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ポラツク

索引 ポラツク

ポラツク(Полацк、Полоцк、Połock、Polatsk)は、ベラルーシのヴィーツェプスク州、ポラツク地区にある市。西ドヴィナ川が流れる。.

11 関係: 原初年代記ノヴゴロドポロツク公国ヴィーツェプスク州ダウガヴァ川ベラルーシキエフキエフ大公国クリヴィチ族聖ソフィア大聖堂 (ポラツク)救世主顕栄聖堂 (ポラツク)

原初年代記

原初年代記(げんしょねんだいき)は、およそ850年から1110年までのキエフ・ルーシの歴史について記された年代記(レートピシ)である。初版は1113年に編纂された。過ぎし年月の物語(古ルーシ語:Повѣсть времяньныхъ лѣтъ;ウクライナ語:Повість врем'яних літ;ベラルーシ語:Аповесць мінулых часоў;ロシア語:Повесть временных лет)とも。.

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ノヴゴロド

ノヴゴロド(Но́вгород )は、ロシアの北西連邦管区、ノヴゴロド州の州都。人口は216,856人(2002年国勢調査、1989年国勢調査では229,126人)。イリメニ湖とそこから流れ出るヴォルホフ川に沿って位置する。1998年以降の公式名称は大ノヴゴロド(ヴェリーキー・ノヴゴロド Вели́кий Но́вгород 、Veliky Novgorod)。ロシア最古の都市であり、中世までノヴゴロド公国として存在していた。1992年に『ノヴゴロドと周辺の文化財』としてユネスコの世界遺産に登録された。 なおニジニ・ノヴゴロドとは別の都市であり、それと区別して本項目の都市を「大ノヴゴロド」(ヴェリーキー・ノヴゴロド、Великий Новгород)とよぶことがある。 ヴェリーキー・ノヴゴロド中心部.

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ポロツク公国

ポロツク公国(Полацкае княства)はキエフルーシ時代に、現ベラルーシのポロツク(ベラルーシ語ではポーラツク)を首都として成立した国家である。キエフ大公国から最初に分離した公国であり、しばらく後に事実上の独立を果たした。公国の歴史を概括すると、前期はキエフ大公国などのルーシ諸国と、中期にはリヴォニア帯剣騎士団などの十字軍勢力と争い、最終的にはリトアニア大公国に組み込まれた。.

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ヴィーツェプスク州

ヴィチェプスク州の位置 ヴィーツェプスク州(Ві́цебская во́бласць)はベラルーシ北部に位置する州。州都はヴィーツェプスク。面積は40,100km2。人口は129万4700人(2006年末)。州の南をマヒリョウ州、ミンスク州及びフロドナ州に接している。また東及び北をロシアに、北及び西をラトビア及びリトアニアに接している。.

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ダウガヴァ川

ダウガヴァ川、西ドヴィナ川、または西ジヴィナ川(Западная Двина́、Заходняя Дзьвіна、Daugava、Düna)は、東ヨーロッパを流れる全長約1020kmの川である。.

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ベラルーシ

ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく、Рэспу́бліка Белару́сь、Республика Беларусь)、通称ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する共和制国家。日本語では白ロシア(はくロシア)とも呼ばれる。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接する、世界最北の内陸国である。首都はミンスク。ソビエト連邦から独立した。国際連合にはウクライナと共に、ソ連時代からソ連とは別枠で加盟していた。また、ヨーロッパ州で最も北にある内陸国の一つでもある。.

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キエフ

フ(Київ キーイウ、Киев )は、ウクライナの首都。ドニプロ川の中流に位置する。同国最大の都市で、政治・経済・社会・学術・交通の中心地である。特別自治都市。5世紀後半に建設されたポリャーネ族の集落から発展した。中世にはキエフ・ルーシの都であったが、近世にはコサックのキエフ連隊の中心となった。20世紀中にウクライナ人民共和国、ウクライナ国とウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都であり続けた。キエフ市内の人口はおよそ279万人であるが、キエフ首都圏の人口はおよそ400万人となっている。東ヨーロッパにおける最古の都市で、キリスト教の聖地の一つである。都内にある聖ソフィア大聖堂とキエフ洞窟大修道院は世界遺産に登録されている。.

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キエフ大公国

フ大公国(キエフたいこうこく)は、9世紀後半から1240年にかけてキエフを首都とした東欧の国家である。正式な国号はルーシ(古東スラヴ語: Русь)で、日本語名はその大公座の置かれたキエフに由来する。 10世紀までにキリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となった。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つであったが、12世紀以降は大公朝の内訌と隣国の圧迫によって衰退した。1240年、モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊した。.

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クリヴィチ族

リヴィチ族(地図中ではクリーヴィチと表記)等の居住範囲を示す。 クリヴィチ族(Крывічы、Кривичи、кривичі)は、6世紀 - 10世紀の西ドヴィナ川、ドニエプル川、ヴォルガ川の三河川の上流域に形成された、東スラヴ民族の部族連合体である。ルーシの史料では『原初年代記』にその名がみられる國本哲男『ロシア原初年代記』22頁。 クリヴィチ族の居住地域(現在の地理で言えば、南部を除くベラルーシ全域と、ロシアのスモレンスク州・プスコフ州のあたりに相当する。)は、9世紀頃にキエフ大公国の一部に組み込まれ、11世紀 - 12世紀にはスモレンスク公国・ポロツク公国の領域となった。また北西部はノヴゴロド公国に属した。主要都市にはスモレンスク・ポロツク・イズボルスクがあった。クリヴィチ族は農耕・牧畜・手工業を営んでおり、民族研究上の仮説の1つによれば、古ルーシ民族(ru)に含まれる。 (留意事項):本文・注釈のキリル文字表記にはロシア語を用いている。(参考文献・出典の書籍名はこの限りではない。).

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聖ソフィア大聖堂 (ポラツク)

聖ソフィア大聖堂(Сафійскі збор, Софийский собор)は、ベラルーシ共和国の古都、ポラツクにある正教会の大聖堂。11世紀に建立されたが、1710年に破壊され、18世紀にバロック様式で再建される。 Category:正教会の教会 Category:大聖堂 Category:ベラルーシにあるキリスト教の教会 Category:ポロツク公国 Category:ルーシの文化.

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救世主顕栄聖堂 (ポラツク)

本項はベラルーシ、ポラツクにある救世主顕栄聖堂(Спаса-Праабражэнская царква、Спасо-Преображенский храм)を扱う。 この救世主顕栄聖堂は救世主聖エヴフロシニヤ修道院女子修道院。聖エヴフロシニヤが救世主であるという意味ではない。救世主たるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)と聖エヴフロシニヤの両方を記憶する名称。「救世主」を重ねているわけではないが、至聖三者(三位一体の神)とラドネジの聖セルギイを重ねて記憶する修道院名の例として至聖三者聖セルギイ大修道院が挙げられる。にある。建立は12世紀で、修道院内で現存する建物の中では最も古く、ベラルーシ全域においても唯一、12世紀当時の完全な姿を保っている聖堂である。 宗教弾圧政策をとっていたソビエト連邦によって修道院は1925年に閉鎖されたが、第二次世界大戦中の1943年に復興が許可された。しかし1960年に修道院が再び政府により閉鎖されて以降は、救世主顕栄聖堂は地域の教会として使用された。1980年代には聖堂を博物館化する動きもあったが、信徒たちの請願があり実行されなかった。 1989年、ロシア正教会聖シノドのもとに聖堂の管理が移ったソ連崩壊前、既にペレストロイカ以降、宗教弾圧政策は緩和されていた。。1991年8月には、救世主顕栄聖堂で活動していた教会が、同じくポラツクにある神現大聖堂に拠点を移した。1990年代初頭から、聖堂内のフレスコ画イコンの修復が行われている。.

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