ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ベンタロン遺跡

索引 ベンタロン遺跡

300px ベンタロン遺跡(Ventarrón)は、ペルー北部チクラーヨの郊外にある約5000~4000年前のプレ・インカの寺院跡。モチェ文化のシパンからは約20kmの所に位置する。遺跡の大きさは約2,500平方メートルあり、近くの川の泥より作られたアドベ(日干し煉瓦)によって建てられている。 300px シパン王墓博物館館長ワルテル・アルバ(Walter Alva)氏が率いるチームにより発掘調査が行われ、2007年に黒鹿が網にかかっている様子が描かれた壁画が発見されている。この寺院より見つかった彩色壁画は、放射性炭素年代測定により約4000年前のものであることが判明しており、アメリカ大陸でも最も古い遺跡の一つに数えられている。 遺跡は、主に3つの時代の層からなり、黒鹿の壁画は中層から見つかっている。最下層には円形の祭壇がみつかっており、その壁には上下に向いた魚の壁画を見ることができる。このことから、灌漑による農耕が始まる以前の先土器時代にはすでに、狩猟、漁労、採取の資源が豊富にあったこの地に、人々が惹きつけられていたことがわかる。 また、アマゾン地域のインコやサルの骨やエクアドル特有の貝殻などが、捧げ物として出土していることから、この地域において、太平洋岸地帯とそれ以外のペルーの地域との文化交流が盛んに行われていたことがわかっている。 2017年11月12日に、付近のトウモロコシ畑から出火した火災に遭い遺跡を覆っていた屋根が全焼。壁画や出土品などが損傷した。.

7 関係: ペルーナショナルジオグラフィック (雑誌)チクラーヨモチェ文化アドベシパン放射性炭素年代測定

ペルー

ペルー共和国(ペルーきょうわこく、、、)、通称ペルーは、南アメリカ西部に位置する共和制国家である。北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面する。首都はリマ。 紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地だった。その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地となり、独立後は大統領制の共和国となっている。.

新しい!!: ベンタロン遺跡とペルー · 続きを見る »

ナショナルジオグラフィック (雑誌)

『ナショナル ジオグラフィック』(National Geographic)は、ナショナル・ジオグラフィック・パートナーズ社の雑誌。創刊は1888年で、ナショナル ジオグラフィック協会創設後9カ月後に公式雑誌として刊行された。当初の誌名は National Geographic Magazine。しばらくして表紙の黄色の枠を特徴とするようになった。 月刊誌として年間12冊発行されており、それに加えて付録の地図を発行している。また、時に特別号も発行している。地理学、人類学、自然・環境学、ポピュラーサイエンス、歴史、文化、最新事象、写真などの記事を掲載している。現在の編集長はスーザン・ゴールドバーグ(Susan Goldberg)。 世界中で36カ国語で発行されており、180か国以上で850万人が定期購読している(日経BPマーケティング)。日本語版の発行部数は約8万4千部(日本ABC協会2009年公査部数)であり、読者は首都圏のみで42%を超える。また、読者の平均世帯年収(SA)が高く、日本における高級誌の一角を占めている。 2007年、2008年、2010年の3回、American Society of Magazine Editors (ASME) の(発行部数200万部以上の部で) General Excellence Award を受賞。2010年には報道写真とエッセイの部門で最高ASME賞も受賞している。 非営利団体「ナショナル ジオグラフィック協会」の公式雑誌として発行されていたが、2015年アメリカの21世紀フォックスに売却され、新会社ナショナル・ジオグラフィック・パートナーズの刊行物となった。.

新しい!!: ベンタロン遺跡とナショナルジオグラフィック (雑誌) · 続きを見る »

チクラーヨ

チクラーヨ(Chiclayo)は、ペルー北西部の太平洋岸の商業都市。急激に近代化が進む。 人口は57万4408人。 ランバイエケ県の県都である。.

新しい!!: ベンタロン遺跡とチクラーヨ · 続きを見る »

モチェ文化

ラルコ・オイレによる鐙型注口土器の五区分編年。 モチェ文化(モチェぶんか;Moche)は、ペルー北海岸にそそぐモチェ川から名称をとられた紀元前後からA.D.700頃まで繁栄したインカに先行するプレ・インカと呼ばれる高度な文化のひとつである。「モチーカ」と呼ばれることも多いが研究者の間では、スペイン人到着時に北海岸の住民が話していた言葉(ムチック語)の名称ということで避ける傾向が強い。モチェは、美しく彩色され、写実的に人面、動物、作物などを象った鐙型注口土器と黄金やトゥンバガ(金、銀、銅、砒素の低カラット合金)細工などのすばらしい副葬品で知られる。モチェ文化が繁栄したのは、モチェ川のほか、その北方を流れるラ・レチェ川流域から南は中部海岸のワルメイ川流域までの500kmの範囲に及んで、一つか二つの谷にまたがるいくつかの国家の形態をなしていたと考えられている。.

新しい!!: ベンタロン遺跡とモチェ文化 · 続きを見る »

アドベ

アドベ()またはアドービ(英語発音)とは、砂、砂質粘土とわらまたは他の有機素材で構成された天然建材である。これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にして使われ、ヨーロッパのや日干しレンガによく似ている。アドベの構築物は非常に耐久性に富み、地球上に現存している最古の建築物によく使われている。アドベ建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに保たれ、暑くて乾いた気候に適している。 日干しの土で作られた建築物は、中東や北アフリカ、そしてスペイン(通常ムデハル様式)で一般的だが、アドベは数百年もの間、アメリカ合衆国南西部(プエブロ)、中央アメリカ、そして南米のアンデス山脈の地域の、アメリカ大陸の先住民によって使われてきた(ただ、しばしば多量の石もプエブロの建築物の壁に使われている)。このレンガの製作法は、16世紀にメキシコとペルーを探険したスペイン人によって輸入された。通常のレンガのサイズのものから、大きいもので1、2ヤード(0.91~1.82m)の長さのものまであるのが特徴である。 アドベ(Adobe)という単語は、4000年間もの間発音と意味に驚くほど小さな変化をきたしながら伝えられている。紀元前2000年の中期エジプト語の単語"dj-b-t"が「泥の(または日干しの)レンガ」を意味し、中期エジプト語が後期エジプト語、民衆文字(デモティック)、最終的にはコプト・エジプト語(およそ紀元前600年)へと変化するにつれ、"dj-b-t"は「トベ」("tobe"、「泥のレンガ」)になった。これはアラビア語の"トゥーブ"(طوب、"レンガ")に発展し、これにアラビア語の定冠詞「アル」(ال)をつけた「アットゥーブ」(الطوب)が古スペイン語に取り入れられ、"泥のレンガ"という意味のアドベ(adobe)となった。英語の語彙には、18世紀初めにスペイン語から導入されて現在に至っている。 現代の用法においては、用語"アドベ"は、北アメリカの砂漠気候地帯、とりわけニューメキシコ州でのプエブロの伝統建築を模倣した一般的な建築物のスタイルを意味するようになった。なお、アメリカ合衆国の南西部にはアドベ以外の素材に「スタッコ仕上げ」(stucco)を施してアドベ建築と外見を合わせた「にせアドービ」(fake adobe)も存在する。.

新しい!!: ベンタロン遺跡とアドベ · 続きを見る »

シパン

パン王墓 シパン(Sipán)は、ペルー北部ランバイエケ県のチクラーヨ近郊のランバイエケの谷にあるモチェ王国の考古学遺跡。1987年から、ウォルター・アルバ (Walter Alva、1951年生まれ、ペルーの考古学者)(英語版) により発掘されたシパン王墓 (Lord of Sipán)(英語版) で有名である。シパンの町の歴史は、モチェ時代の西暦50~700年頃までに遡る。.

新しい!!: ベンタロン遺跡とシパン · 続きを見る »

放射性炭素年代測定

放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい、)は、自然の生物圏内において放射性同位体である炭素14 (14C) の存在比率が1兆個につき1個のレベルと一定であることを基にした年代測定方法であるアリソン 2011 p.71。対象は動植物の遺骸に限られ、無機物及び金属では測定が出来ない。 C14年代測定(シーじゅうよんねんだいそくてい、シーフォーティーンねんだいそくてい)に同じ。単に炭素年代測定、炭素14法、C14法などともいう。.

新しい!!: ベンタロン遺跡と放射性炭素年代測定 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »