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テスタッチョ

索引 テスタッチョ

テスタッチョ(Testaccio)は、ローマの地区。ローマに22あるリオーネの1つでかつ、12世紀からある12の旧市街のうちの1地区である。.

3 関係: テヴェレ川アンフォラガイウス・ケスティウスのピラミッド

テヴェレ川

テヴェレ川の流路 テヴェレ川(Tevere)は、イタリアで3番目に長い川。エミリア・ロマーニャ州のアペニン山脈からトスカーナ州、ウンブリア州を経由し、ラツィオ州でティレニア海に注いでいる。流域面積は17,374.996km2でイタリアで2番目である。 ローマ市内を流れていることで有名な河川で、中州にはティベリーナ島(Tiberina、面積2.4km2)がある。 古代ローマ時代には「澄んでない川」を語源とするティベリス川(Tiberis flumen ラテン語)と呼ばれていた。日本語では、西欧諸語経由などで表記のゆれが激しく、イタリア語(Tevere)経由によるテーヴェレ川・テベレ川、英語(Tiber)経由によるティベル川、タイバー川、チベル川など、さまざまな表記がある。 ローマ皇帝ティベリウスなど古代ローマ時代の男性個人名「ティベリウス」や、イタリア人の個人名「ティベリオ」は、この川の名前に由来している。 伝説では、ローマの創始者であるロムルスが双子の弟レムスと共にこの川に流された事になっている。 テヴェレ川はモンテ・フマイオーロの近隣にある二つの泉を水源としている。水源の周辺にはブナ林が広がっている。ベニート・ムッソリーニは、1930年代に、その水源とされる場所に、頂点に鷲が象られた、大理石で作られた古風なローマ様式の柱を立てた。その柱には、ここがテヴェレの生まれた場所であるという意味の文字が刻まれている。 また、尖角状三角州を河口に形成している事でも有名である。.

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アンフォラ

トルコ、ボドルム城に展示されたアンフォラ アンフォラもしくはアンポラ(amphora、複数形は amphorae もしくは amphoras)とは陶器の器の一種で、2つの持ち手と、胴体からすぼまって長く伸びる首を有する。 アンフォラは最初、紀元前15世紀ごろのレバノンからシリアの海岸に現れて古代世界に広まり、古代ギリシア・ローマにおいては、ブドウ、オリーブ・オイル、ワイン、植物油、オリーブ、穀物、魚、その他の必需品を運搬・保存するための主要な手段として用いられた。 ドレッセル 1B タイプのアンフォラ1: 縁 2: 首 3: 持ち手 4: 肩 5: 胴 6: 脚 アンフォラはギリシア時代から産業として生産され、地中海世界で7世紀ごろまで使用された。その後、木や皮の容器がアンフォラにかわって使用されたようである。 海洋考古学者にとってもアンフォラは有益である。沈没船のアンフォラからは、しばしば難破した船の時代や国籍を知ることができるのである。それらは時折、もとの内容物がまだ残るほどの、たいへんよい保存状態で発見される。そこから、古代地中海の人々の食習慣や売買システムなど、貴重な情報を得ることができるのである。 アンフォラには2種類のタイプが存在する。ひとつは首と胴体とが鋭い角度で接続するネック・タイプ、もうひとつは首と胴体とが連続して湾曲線を描くワンピース・タイプである。 後期幾何学様式のアッティカの大きなアンフォラ。紀元前725年 – 紀元前700年 ネック・タイプのアンフォラは、古代ギリシア時代の初期には一般的に用いられたが、紀元前7世紀ごろから徐々にワンピース・タイプへと切り替わっていった。ほとんどのアンフォラは底部を尖った形に作ってあり、柔らかい地面に突き立てることによって真っ直ぐに保つことができる。 アンフォラの高さにはさまざまな種類がある。大きなタイプで1.5メートルの高さがあるかと思えば30センチ以下のものもあり、最も小さなタイプは「amphoriskoi(小さなアンフォラ)」と呼ばれた。多くのものは45センチの高さである。いくつかの種類に重要な規格統一が見られる。一例として、ワインのアンフォラはおよそ39リットルの容量を標準とし、ローマ帝国では「アンフォラ (amphora quadrantal)」という単位が生まれた。全体では、約66種類のアンフォラが確認されている。 高度な装飾が描かれたアンフォラが、社会的・儀礼的目的のため数多く生産された。その図案は、他の実用的な種類のものとはかなり異なる。例えば、広い口と丸い基部を持ち、表面が艶出しされて、人物像や幾何学的紋様で装飾されている、といったものである。こういった「パナシナイコ・アンフォラ (現代ギリシャ語:Παναθηναϊκός αμφορέας)(Panathenaic Amphorae)」は、しばしば賞与の品とされた。「我はアテネよりの賞与なり」の銘を刻まれたアンフォラが残っているが、これは、紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけて行われたパナシナイコ・フェスティバル (Panathenaic Festival) のトロフィーである。 装飾アンフォラは、葬儀にも用いられた。主に葬儀に用いられたのは、アンフォラの一種ルートロフォロス (loutrophoros) である。アンフォラが死者の遺灰の容器として使われる一方、特大の花瓶も墓碑として用いられた。 ギリシアのアンフォラ。女神アテナが描かれている。 「アンフォラ」という言葉はラテン語で、ギリシア語の「 Αμφορέας 」に由来する。これは「両側に」を意味する「amphi-」と、「pherein(運ぶ)」から派生した「phoreus(運搬器)」とが結合してできた語である。.

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ガイウス・ケスティウスのピラミッド

イウス・ケスティウスのピラミッド(,,Sepulcrum Cestii)とは、イタリアローマ市オスティエンセ、オスティエンセ街道のサン・パオロ広場にあるピラミッド。.

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