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セロ・デ・ラス・メーサス

索引 セロ・デ・ラス・メーサス

・デ・ラス・メサス、石碑6号 セロ・デ・ラス・メサス(Cerro de Las Mesas)は、メキシコ、ベラクルス州南部に所在する遺跡で、トレス・サポーテスからは、西北西約100km、アルバラード湾の西方24km、ブランコ川の南沿岸の沼沢地とその無名の支流にかこまれたやや小高い砂の高まりの上に立地する。 この沼沢地は、雨季である6月から12月にかけては水浸しになり、通行不能で、居住に適さないような湿地であるが、乾季には、かわいて現在では良好な牧草地として利用される。この沼沢地には、やや小高い砂地の高まりが分布しており、その高さは、一見しただけではどれほど高いのかわからない程で、一番高低差があるものでも45~60cmほどしかない。このような高まりは雨季になると、この沼沢地に「島」のようにあちらこちらに点在するようになる。このような沼沢地の地形が数平方キロメートルにわたって広がっており、そのような高まりのなかでも比較的おおきなものの上にセロ・デ・ラス・メサスのマウンド群が立地している。 1941年にマシュー・スターリング(Stirling, Matthew W.)とフィリップ・ドラッカー(Drucker, Philip)によって率いられたスミソニアン研究所の調査隊によって、先古典期中期から後古典期後期までの層位が確認された他、多数の石碑や石彫、翡翠製品が確認された。石碑や石彫には、オルメカの伝統を受け継いだジャガー=人間が顔の下半分につけた仮面に表現されたり、頭飾りにつけている神官のような人物が刻まれる。またこれらの石碑のなかには長期暦を刻んでいるものがあり、石碑6号には、9.1.12.14.10(468年)、石碑8号には、9.4.18.16.8(533年)の日付がみられる。 石碑、石彫に刻まれた文字には、オアハカ州のモンテ・アルバンの石碑にみられるサポテカ文字に由来するものも散見される一方、イサパ様式やコツマルワパ様式の影響を受けていると思われるものもみられる。トウシュトラの小像に似たカモの嘴をもった怪人像も発見されている。なお、特記すべきなのは782点というおびただしい量の翡翠の石彫が古典期前期の段階で一時的に埋められているのが確認されたことである。これらの翡翠製品のなかには、グアテマラのマヤ高地、 モンテ・アルバンの影響を受けたものや一定量のオルメカの伝統を忠実に受け継いでいるものがみられる。これらの翡翠製品は、オルメカのように儀式を行う際に用いられたと推定されている。セロ・デ・ラス・メサスは、古典期前期段階で、テオティワカンの影響を強く受けており、円筒型三足土器、カンデレロ、雨神トラロック神の顔を様式化した壷、テオティワカンではおなじみの神々を模した土偶などの出土がみられた。.

35 関係: 乾季後古典期土偶マヤ文明マシュー・スターリングメキシコモンテ・アルバンラ・モハーラトラロックトレス・サポーテストゥシュトラの小像ヒスイテオティワカンベラクルス州イサパオルメカオアハカ州グアテマラコツマルワパ様式ジャガースミソニアン博物館サポテカ文字サポテカ文明円筒型三足土器先古典期石碑遺跡長期暦雨季接尾辞1941年468年528年533年

壺(壷、つぼ)は、主として、食糧の貯蔵や水や酒などの飲料の運搬という用途に用いられる器である。焼き物が多いが、ステンレス鋼製(医療用などに)やプラスチック製もある。 一般的に丸い袋状で、通常は、器体に頸の部分を伴う開口部(口縁部)や注口を持ち、人間が1人で運搬可能な大きさの器のことを壺と呼ぶ。.

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乾季

タイ・バンコクの雨温図。冬が乾季。 乾季(かんき)は、年間の気候が大きく変動しない熱帯や亜熱帯地域において、1年の内降水量の少ない時期(概ね1か月以上)のことである。乾期、乾燥季(かんそうき)とも呼ばれる。逆に降水量の多い時期を雨季という。乾季には、季節風も関係する。 熱帯モンスーン気候やサバナ気候などに見られる。アフリカなどではこの時期に主に草食の動物がえさと水を求めて大移動をする。.

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後古典期

後古典期(こうこてんき、Post Classic period(Stage,era))は、メソアメリカの考古学の時代区分。 マヤ文明で日付けの刻まれた最後の石碑であるトニナーの記念碑101号に刻まれた長期暦の10.4.0.0.0.(紀元909年)を開始の基準として、900年に置く。この時期までに古典期マヤの中部地域の都市は、ほとんど放棄されていた。 後古典期の終わりは、諸説ある。主なものとしては、アステカ帝国滅亡(1521年)までと考える場合、マヤではペドロ・デ・アルバラードによってグアテマラ高地のが滅ぼされ、スペインのグアテマラ征服が完了したのが1524年なので、この年におく場合である。しかし、フランシスコ・デ・モンテーホのユカタン征服事業も同時進行で行われていたので、それが一応完了してメリダが建設された1542年におく場合も、しばしば終了の年代に挙げられる。インカ征服が1532年であったことに合わせ、おおむね1520 - 1530年代においている。.

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土偶

土偶 青森県亀ヶ岡遺跡出土(通称:遮光器土偶) 土偶(どぐう)は、人間(特に女性)を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる土製品で、日本では、縄文時代に沖縄県を除く地域で製作された。古墳時代に製作された埴輪とは区別される(これは古墳に埋葬されるなどするものである)。また、故意に破壊されたと見られる状態で出土することが多い。本項では特記無き場合日本の土偶について述べる。.

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マヤ文明

マヤ文明(マヤぶんめい)とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。また、高度に発達したマヤ文字をもつ文明でもあった。.

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マシュー・スターリング

マシュー・ウィリアムズ・スターリング(Matthew Williams Stirling、1896年8月28日 - 1975年1月23日)は、アメリカ合衆国の考古学者、人類学者。スミソニアン博物館員として主にメキシコ南部、中央アメリカ、南アメリカの発掘調査を行った。オルメカ文明研究の草分けとして知られる。.

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メキシコ

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく、)、通称メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。北にアメリカ合衆国と南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。首都はメキシコシティ。メキシコの総人口は約1億3千万人(2016年時点)で、スペイン語圏においては最も人口の多い国で、GDPは中南米2位である。しかし、人口の40%が貧困層である。.

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モンテ・アルバン

アハカ盆地の遺跡位置図 モンテ・アルバン(Monte Albán)は、メキシコ、オアハカ州のオアハカ盆地中央、オアハカ市街の西方10km、盆地の「底面」からの比高差400mにある山の頂上を平らにして築かれたサポテカ文化の中心をなす祭祀センターである。紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄した。後古典期には、ミシュテカ族に支配された。メソアメリカ文明を考える上で非常に重要な考古遺跡であって、1987年に「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」の名で世界遺産にも登録されている。遺跡全体のひろがりは42km2に及ぶが、中央広場をかこむ東西200m、南北300mの範囲に主な神殿や、天体観測所(建造物J)、球戯場などがある。.

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ラ・モハーラ

ラ・モハーラの石碑1号に刻まれた「実りの山の王」の肖像 ラ・モハーラの石碑1号の銘文。一番左側の行に長期暦の8.5.16.9.7.(紀元156年)の日付が見える。 ラ・モハーラ(La Mojarra)は、メキシコ湾岸低地のトウシュトラ山塊の北麓にある先古典期後期の遺跡。 長期暦の8.5.3.3.5.(紀元143年)と8.5.16.9.7.(紀元156年)の日付けが刻まれた石碑1号で知られ、この石碑には、勇猛な戦士であった「実りの山の王」が王座に上り詰めた経緯や生贄の儀式、義兄弟が企てたクーデターを王が鎮圧したという記事がオアハカ州北東部に住む先住民ミヘーやチアパス州北部とタバスコ州に住む先住民ソケーの言語で刻まれていると推察されている。.

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トラロック

トラロックの石像。 トラロック (Tlaloc) は、メソアメリカ文明の宗教で広く信仰された雨と雷(稲妻)の神。ヌウアルピリ (Nuhualpilli) とも呼ばれる。トラロックは山の中の洞窟に住むと考えられ、大地に含まれる水とも関係が深いと考える見方もある。 トラロックが干魃と雨を司っていると信じたアステカ人が、子どもを生け贄として捧げていたことから、アステカ文明で信仰されていた雨の神として有名である。 その起源は先古典期終末期、紀元前1世紀のトラパコヤ遺跡出土の土器にヘビのような稲妻を伴った姿で描かれているのが最古とされるが、さらに古くオルメカ時代までさかのぼる可能性を主張する研究者もいる。テオティワカンで主神、雨神としての信仰は隆盛をきわめた。 テオティワカンにおいてトラロックは、他の神々と混同されてきたが、大きな目玉と上唇、大きな歯を特徴としていることのほかに最近の研究によって、口の中にジャガーの犬歯と睡蓮を表す文様を伴うトラロックAと、大きさがほぼ同じ円錐形の歯をもちサポテカの雨神コシーホに似た二又に分かれた舌を持つトラロックBと呼ばれる姿に描かれていることが解明されてきた。 テオティワカンの衰退とともにその信仰は一時弱体化した。一方で、テオティワカン人と交易をしていたマヤ文明でも引き継がれた雨の神はチャックと呼ばれる。チャックの長い鼻に対し、トラロックは大きな両眼と牙が特徴的である。 トラロックは花の女神であるショチケツァルと結婚したが、テスカトリポカが女神を連れ去ったため、マトラルクエイェと再婚。ウィシュトシワトル (Huixtocihuatl)と呼ばれる姉がいる。 トラロックは「トラリ」 (Tlalli) から派生したとされる。Tlalliは「大地」、ocは「彼は座る」の意であることから、文字通りに訳せば「大地に座るもの」という意味である。トラロックは天からの恵まれた水の神であり、川のような「すでに大地に存在する水」の神は別に存在する(チャルチウィトリクエ)。 Category:アステカ神話の神 Category:水神 Category:雷神.

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トレス・サポーテス

トレス・サポーテス石碑C(裏面) オルメカ文化が栄えた領域 トレス・サポーテス遺構配置図 トレス・サポーテス(スペイン語:Tres Zapotes)は、メキシコ湾岸南部、メキシコ合衆国ベラクルス州に位置するオルメカ文明終末期の遺跡。メキシコシティから南東390km、の北西約160kmに位置し、パパロアパン川とサン・ファン川が形成した沼がちな盆地の低い丘の上に立地する。流れの堤に沿って3kmにわたって約50の土のマウンドが並ぶ。長期暦が使用され始めた初期の7.16.6.16.18.(紀元前32年)の日付を示す石碑Cで有名な遺跡である。 1939年、1940年に、アメリカ人民俗学・考古学者のマシュー・スターリングらが発掘調査を行っている。遺跡は祭祀センターとして、紀元前800年頃から紀元前後にかけて繁栄したと考えられているが、出土した土器片及び土偶について、型式学的、層位学的な編年研究が行なわれた結果、単色の土器を主とした下層(紀元前800年頃 - 紀元前300年頃、Lower TZ、またはTZ1期)、多彩色土器が出土し始める中層(紀元前300年頃 - 300年頃、Middle TZ、またはTZ2期)、メキシコ中央高原のテオティワカンの影響を受けた土器や土偶の出土する上層(300年頃 - 600年頃、Upper TZ、またはTZ3期)、さらに後古典期前期のソンカウトラ・コンプレックス(600年頃以降、Soncautla Complex、またはTZ4期)の4時期に区分されることになった。TZ1期の土器や土偶から、ラ・ベンタと同時代からの古い住居があったことが判明している。巨石人頭像も2基確認されている。.

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トゥシュトラの小像

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ヒスイ

翡翠の原石(ヒスイ輝石) 翡翠製のボタン 翡翠の小杯 オルメカ文化の翡翠の仮面 メソアメリカの先住民ミシュテカの翡翠の仮面、西暦およそ1300年 - 1350年頃 ヒスイ(翡翠、jade、ジェイド)は、深緑の半透明な宝石の一つ。東洋(中国)、中南米(インカ文明)では古くから人気が高い宝石であり、金以上に珍重された。古くは玉(ぎょく)と呼ばれた。 鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト: 透閃石-緑閃石系角閃石)」に分かれ、両者は全く別の鉱物である。しかし見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいる。.

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テオティワカン

テオティワカン(Teōtīhuacān、Teotihuacan)とは、メキシコの首都メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡増田義郎「先コロンブス期の文化」(増田義郎・山田睦男編『新版世界各国史25 ラテン・アメリカ史Ⅰ』山川出版社 1999年)。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していた。.

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ベラクルス州

ベラクルス州 (Veracruz de Ignacio de la Llave) は、メキシコ合衆国の31の州の一つで、メキシコ湾の西岸、タマウリーパス州の南隣、タバスコ州の北西、北緯17°10' から22°38'、西経93°55' から98°38'に位置する南北方向に細長い州である。面積は、 72,815km2で、メキシコで11番目であり、2010年センサスで州の人口は7,638,378人でメキシコで3番目に人口の多い州である。 気候は、海岸沿いでは、高温多湿であり、やや内陸の丘陵地帯は、多湿であるが涼しくなる。プエブラ州、イダルゴ州、オアハカ州との州境に近い山岳地帯は、やや寒冷で多雨である。 6月から10月にかけては、カリブ海などで発生するサイクロンの影響を受ける。 州のフォーマルな名称は、「Veracruz de Ignacio de la Llave(イグナシオ・デ・ラ・ジャベの聖十字架)」あるいは、短縮して「Veracruz-Llave」という。州の名称が、単なる「Veracruz」になったのは、フランスがメキシコに侵攻していた1863年に、将軍イグナシオ・デ・ラ・ジャベが亡くなったときからである。 ベラクルス州には、210の自治体があり、住民の80%は、メスティーソで、20%がインディヘナである。山岳地帯でも山頂に近い場所へ行くと、貧しいインディヘナの人々に出会うことがある。工業化された港湾都市のベラクルス、オリサバ、コアツァコアルコスと対照的である。 ベラクルス州は、先古典期には、オルメカ文明の中心部にあたり、州南部には、サン・ロレンソやトレス・サポーテスなどの祭祀センターが築かれ、繁栄した。古典期に入ると、州南部では、トレス・サポーテスに加えて、セロ・デ・ラス・メーサス (Cerro de las Mesas) と呼ばれる祭祀センターが築かれ繁栄した。セロ・デ・ラス・メーサスは、点を1、横棒を5と表示する長期暦の日付けのある石碑で知られる。両方ともテオティワカンの強い影響を受け、円筒型三足土器の出土がみられる。州の中部には、トトナカ文化の中心都市で、「壁龕のピラミッド」で知られる世界遺産の祭祀センターエル・タヒンや笑う土偶で知られるレモハーダス文化が繁栄した。.

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イサパ

イサパ石碑2号 イサパ石碑25号 イサパ(izapa)は、グアテマラとの国境に近いメキシコ、チャパス州タパチュラの東近郊、メキシコシティからは、南東約840kmに位置する丘陵にある先古典期後期の遺跡でイサパ文化、イサパ様式の標式遺跡。チャパス高地の太平洋岸斜面に立地する。マヤ低地における文明の典型と考えられている特徴をいくつか備えている遺跡である。.

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オルメカ

ン=ロレンソ記念碑1号。代表的な巨石人頭像 オルメカ(Olmeca)は、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化・文明である。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる国本伊代『メキシコの歴史』新評論、2002年、37-39ページ。。.

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オアハカ州

アハカ州(オアハカしゅう、Estado de Oaxaca、)は、メキシコ合衆国の州のひとつ。州都はオアハカ。オアハカ州は、 93,952 km2 でメキシコで5番目に大きな面積を持つ州である。2010年センサスで州の人口は3,801,871人。.

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グアテマラ

アテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はグアテマラ市。 先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から1996年まで続いたグアテマラ内戦により治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。.

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コツマルワパ様式

ル・バウル石碑7号。左上に「2の猿」、右上に「6の猿」の日付けが見える。 エル・バウル記念碑27号。「球戯者の石碑」 コツマルワパ様式(コツマルワパようしき cotzumalhuapa)は、古典期後期から終末期にグアテマラ南部高地、太平洋岸斜面、エスクイントラ地方の南部に盛行したと考えられるナワ族風、メキシコ風の図像に特徴づけられる石彫群の様式をいう。グアテマラ・シティから車で2時間ほどの位置にあるサンタ・ルシア・コツマルワパ周辺の52平方キロメートルにこの様式の石彫をもつ遺跡が集中していることからコツマルワパ様式と名づけられた。最大規模の遺跡は、ビルバオであり、周辺に、エル・バウル、エル・カスティージョ、パンタレオン、パロ・ベルデなどの遺跡の分布が知られており、マイケル・コウは、ひとつの遺跡の可能性もあると考えている。それぞれの遺跡は、数百メートルの基壇の上に建てられた神殿建築からなり、建造物は土を盛り上げ、表面に河原石をそのまま並べた構造だが、階段や中庭には加工した石材を使っている様子がうかがわれる。.

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ジャガー

ャガー(Panthera onca)は、食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。.

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スミソニアン博物館

ミソニアン博物館(スミソニアンはくぶつかん、英:Smithsonian Museum )は、アメリカを代表する科学、産業、技術、芸術、自然史の博物館群・教育研究機関複合体の呼び名。スミソニアン学術協会が運営している。.

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サポテカ文字

ポテカ文字(サポテカもじ)は、今のメキシコ南部のオアハカ州を中心とするサポテカ文明で使われていた文字。充分には解読されていない。.

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サポテカ文明

アハカ盆地の遺跡位置図 サポテカ(またはサポテック、サポテカ文化、サポテカ文明)は、メキシコ南部、オアハカ州のモンテ・アルバンを中心として栄えていたとされる文明。その開始時期については、先古典期前期末のサン・ホセ・モゴテのティエラ・ラルガス相(Tierra Largas;1400B.C.~1150B.C.)の時期と考えられる。この時期にサン・ホセ・モゴテは、7.8haほどの集落となり、その規模は、オアハカ盆地の他の集落の5~8倍であった。この頃、メソアメリカでは最古の部類に属する5.5m×4.5mほどの長方形を呈する6号建造物をはじめとした公共建造物が築かれるようになった。ロサリオ相(Rosario;700B.C.~500B.C.)になると人口は1300~1400人ほどになり、サン.

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円筒型三足土器

円筒型三足土器(えんとうがたさんそくどき;Cylinderical Tripod/Tripod Cylinder )はテオティワカンあるいはその影響を表す特徴的な土器で、円筒状の本体(胴部)に三つの「足」(脚)を取り付けた形状を呈する。ティカルのPD50という遺構から出土の土器に描かれた図像などから、王族、貴族層の儀式等に使われたと考えられる。 もともとは、先古典期後期のチャパス州(イサパなど)やグアテマラ起源ともいわれ、テオティワカンでも、概ね古典期前期にあたるトラミミロルパ期の土器は、チャパス州やグアテマラの土器に似て三箇所の脚部(土器の名称は「三足」でも土器の部位の名称は「脚部」)は円錐状である。しかし、時期が下るにつれて三箇所の脚部は空洞の四角柱状(網目や段をつけるものもある)になったり、先端に丸みをつけた空洞の円柱状になったりバラエティに富むようになる。 円筒型三足土器は、マヤ地域の遺跡、メキシコ湾岸の遺跡、グアテマラの遺跡(主としてカミナルフューなど)からテオティワカンからの直輸入品やテオティワカンのものを模倣したり、テオティワカンのものを模倣しつつアレンジを加えたりしたものが王族、貴族層の墓から出土している。 Category:土器 Category:メソアメリカ文明.

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先古典期

先古典期(せんこてんき、)は、メソアメリカ考古学上の時代区分で、オルメカ文明が繁栄した時代として知られる。その後期に当たる時期にエル・ミラドールやラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれていることが判明してきたために、形成期(Formative Period (Stage))という用語に代えて、「古典期に先行する古典期」という意味合いで使われるようになった。 最近では、グアテマラ、ペテン県のサン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立していたことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている。 アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して紀元前2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から紀元後300年頃を原古典期(Protoclassic Period (Stage,era))と位置づける研究者もいる。 メソアメリカの先古典期の土器は、オルメカのジャガーなどに関連する独特のシンボルが刻まれる一方で、中期段階(マモム期)になるとマヤ地域では表面にろうのような光沢(waxy)を持つ土器が生産流通した。またエルサルバドルからウスルタン式土器が現れるとそのネガティブ技法ないしレジスト・ペインティングや波線文様を模倣する土器も現れた。.

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石碑

ルーン石碑 石碑(せきひ、)とは、人類が何らかの目的をもって銘文(碑文ともいう)を刻んで建立した石の総称。「碑(いしぶみ)」ともいう。墓石としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう(ただし、英語の stele の場合は、木製のものや墓碑も含む場合がある)。なお、何かの記念として建てられたものを記念碑(きねんひ)、和歌・短歌や歌の歌詞を刻んだものを歌碑(かひ)、俳句を刻んだものを句碑(くひ)、詩を刻んだものを詩碑(しひ)という。.

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遺跡

遺跡(いせき、Site)は、.

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長期暦

長期暦(ちょうきれき、Long Count, cuenta larga)とはメソアメリカ文明でおそくとも紀元前1世紀頃から使用されはじめた長期間の時を表現する暦である。マヤ諸都市の石碑に刻まれていたことでひろく知られるようになったためにマヤ暦とされることもあるが、マヤ以外の土地で古くから使われており、マヤ文明に起源するわけではない。.

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雨季

タイ・バンコクの雨温図。夏が雨季。 雨季(うき)とは、1年の降水量の多い時期(概ね1か月以上)のことをいう。雨期とも書く。逆に降水量の少ない時期を乾季という。日本のにおける雨季は6月の梅雨期と、9月の秋雨期がある。 サバナ気候や熱帯モンスーン気候に顕著である。赤道に近い地域で、四季のない地域であっても、雨季と乾季の交代が1年の季節を感じさせることがある。.

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接尾辞

接尾辞(せつびじ)とは、接辞のうち、語基の後ろに付くもの。接尾語(せつびご)とも言うが、接尾辞は語ではない。.

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1941年

記載なし。

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468年

記載なし。

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528年

記載なし。

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533年

記載なし。

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セロ・デ・ラス・メサスセロ=デ=ラス=メーサス

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