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ティベリウス・ゲメッルス

索引 ティベリウス・ゲメッルス

ティベリウス・ユリウス・カエサル・ネロ(Tiberius Julius Caesar Nero, 19年 - 37年/38年)は、第2代ローマ皇帝ティベリウスの孫。一般にはティベリウス・ゲメッルス(Tiberius Gemellus)と呼ばれる。ゲメッルス(Gemellus)はラテン語で双子の意味。 ティベリウスの息子小ドルススとリウィッラの双子の息子として19年に生まれた。姉にリウィア・ユリア、双子の兄弟にゲルマニクス・ゲメッルス(Tiberius Germanicus Caesar)がいる。父小ドルススはティベリウスとその最初の妻ウィプサニアの息子で、母リウィッラは大ドルススと小アントニアの娘。 19年の10月にティベリウスの養子で父小ドルススの義兄弟であるゲルマニクスがシリアで急死しており、ティベリウス、ゲルマニクスの双子はその喪の明けきらぬ時期に誕生した。 23年に父小ドルススが急死、同じ年のうちに双子の兄弟ゲルマニクスも夭折する。父ドルススの死は勢力を大きくしつつあった親衛隊長官ルキウス・アエリウス・セイヤヌスによる暗殺であり、それには母リウィッラも荷担していた。 皇帝ティベリウスによってセイヤヌスの勢力が粛清されると、小ドルススの死の真相も明らかとされた。セイヤヌスの権勢のもとでゲルマニクスの年長の男子ネロ・カエサルとドルスス・カエサルは後継者候補から外れており、ティベリウスの後継者はゲルマニクスの遺児ガイウス・カエサル(カリグラ)とティベリウス・ゲメッルスに絞られていた。ティベリウスは自分の血を継いでいるゲメッルスにより愛情を抱いていたといわれる一方、リウィッラとセイヤヌスとの不義の子との疑いを持っていたともいわれる。 37年3月16日、ティベリウスが病没する。遺言状ではカリグラとゲメッルスは対等な相続者とされ、一方の死後は他方が単独の相続者となるように指名していた。しかし共同統治を指示したティベリウスの遺言は生前の不人気もあり無視され、年長ですでに成人しており、また市民の人気も高かったカリグラが単独の統治者として元首に就任した。 統治者の立場は無視されたゲメッルスだが、成人式の時にカリグラはゲメッルスを自らの養子とし、さらに「青年の第一人者」にした。これはアウグストゥスがガイウス・カエサル、ルキウス・カエサルの兄弟に行なったことと同じ措置であり、後継者に指名されたことを意味した。 しかしカリグラは突然ゲメッルスに親衛隊の副官を派遣し、殺害した。その殺害の理由をカリグラは、ゲメッルスが吐く息から解毒剤のにおいをさせており、自身に対し不信を抱き暗殺を恐れていたからだとした。同時期にカリグラは最初の妻の父マルクス・シラヌスにも自殺を強要しており、以降の狂気じみた治世の始まりとなった。 Category:ユリウス・クラウディウス家 Category:双子の人物 Category:19年生 Category:30年代没.

24 関係: 双生児大ドルスス小ドルスス小アントニアネロ・カエサルラテン語リウィッラリウィア・ユリアルキウス・アエリウス・セイヤヌスルキウス・カエサルローマ皇帝プラエトリアニティベリウスドルスス・カエサルアウグストゥスウィプサニアカリグラガイウス・カエサルゲルマニクスシリア19年23年37年38年

双生児

ウィリアム・ブーグロー 双生児(そうせいじ)は同じ母親の胎内で同時期に発育して生まれた2人の子供である。いわゆる双子(ふたご)のことであり、多胎児の一種である。多胎児の中では一番多い。 受胎時の受精卵の数により、一卵性双生児(いちらんせいそうせいじ)と二卵性双生児(にらんせいそうせいじ)に大別される。 出産の時には数分程度の時間差で産まれることが多いが、中には数時間から数十日の間隔で生まれる場合もある(双子が一度の分娩で生まれるとは限らない)ので、誕生日・誕生年が異なってしまう兄弟姉妹もいる。 また日本では、かつて後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習があったが、戸籍法上は生まれた順に記載する事となっている。 双子は多くの哺乳類(猫や羊、フェレットなど)で一般的に観察される出生形態の一つであり、例えば牛の双子発生率は1%から4%程度ある。ただし一般に犬猫の一腹の仔は双子等とは呼ばれず、単に兄弟として扱われる。双子受胎時の困難さを克服できる、あるいは管理することが出来ればより高利益を確保できるため、双子率を上昇させる研究も行なわれている。ただし、類人猿(ヒト上科)の多胎妊娠および多胎出産は非常に珍しい。.

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大ドルスス

大ドルスス(紀元前38年1月14日 - 紀元前9年)は、ユリウス・クラウディウス朝の家系に属する古代ローマ帝国の元首政期の軍人、政治家。 本名はネロ・クラウディウス・ドルースス(Nero Claudius Drusus)という。本稿では以下「ドルースス」と呼ぶ。.

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小ドルスス

ドルスス・ユリウス・カエサル(Drusus Julius Caesar, 紀元前14年? - 紀元23年7月1日)は、第2代ローマ皇帝ティベリウスの息子で後継者候補。一般には単にドルスス、またはティベリウスの弟大ドルススと区別するために小ドルススと呼ばれる。表記ゆれでドゥルススの表記も。.

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小アントニア

小アントニア(Antonia Minor, Julia Antonia Minor, 紀元前36年 - 紀元37年)はユリウス・クラウディウス朝の家系に属する皇族の女性。 父はマルクス・アントニウス、母はアウグストゥスの姉小オクタウィア。姉に同名のアントニアがいる。姉と区別するために小アントニアと呼ばれる。.

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ネロ・カエサル

ムネイル ネロ・カエサル(Nero Julius Caesar Germanicus, 6年 - 31年)は、古代ローマの将軍ゲルマニクスの息子で第2代ローマ皇帝ティベリウスの後継者候補。.

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ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

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リウィッラ

リウィア・ユリア(Livia Julia, 紀元前13年頃 - 紀元31年)は、第4代ローマ皇帝クラウディウスの姉。 正式な名前はクラウディア・リウィア・ユリア(Claudia Livia Julia)であるが、現在では一般にニックネームのリウィッラ(Livilla−「小さなリウィア」の意)と呼ばれる。 大ドルススと小アントニアの娘で、ゲルマニクスやクラウディウスの姉妹。大ドルススはリウィアとティベリウス・クラウディウス・ネロの息子でアウグストゥスの継子であり、小アントニアはアウグストゥスの姉小オクタウィアとマルクス・アントニウスの娘であって、リウィッラは母方からアウグストゥスの血脈に属している。 リウィッラは他のユリウス・クラウディウス朝の女性たちと同様に、元首家の安定のために婚姻を行なっている。 紀元前1年にマルクス・ウィプサニウス・アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの息子ガイウス・カエサルと最初の結婚を行なう。このときガイウス・カエサルはアウグストゥスの養子となっており、その後継者と考えられていた。しかしガイウスはアルメニアで負傷して紀元4年に死去し、リウィッラは寡婦となる。 ガイウス・カエサルの死後、リウィッラはティベリウスの息子小ドルススと2度目の結婚を行なう。ティベリウスは父大ドルススの兄であり、従兄妹同士の結婚であった。この結婚からまもなく、長女リウィア・ユリアが生まれた。 14年にアウグストゥスが逝去すると舅ティベリウスが元首に就任し、夫ドルススはその後継者候補となる。その後リウィッラは夫がパンノニアに派遣された際にこれに同行している。19年にティベリウス・ゲメッルスとゲルマニクス・ゲメッルスの双子を出産。同年に兄ゲルマニクスがシリアで急死する。これにより夫ドルススの後継者としての地位は確定的なものとなった。20年には娘リウィア・ユリアがそのゲルマニクスの遺児ネロ・カエサルと結婚した。 元首ティベリウスはその統治において親衛隊長官であったルキウス・アエリウス・セイヤヌスを片腕として重用し、徐々にその影響力は増していた。こうしたセイヤヌスの重用を後継者ドルススは快く思わず、同様にセイヤヌスもドルススの存在を疎ましく感じていた。 野心家であったセイヤヌスは自らの権勢を拡大するためリウィッラに近づき、不倫な関係を結びドルスス排除に対する自らの協力者とした。この関係を強固なものにするため、セイヤヌスはリウィッラの求めに応じて妻アピカタと離婚し、ドルススの死後の結婚を約束した。こうして紀元23年毒薬を慎重に用い、病死を装ってドルススは暗殺された。 ドルススの死後セイヤヌスの勢力は増大し、新たな後継者候補であったゲルマニクスの遺児であるネロ・カエサル、ドルスス・カエサルとその母大アグリッピナの勢力を牽制するようにもなっていった。さらに寡婦となったリウィッラとの結婚をティベリウスに求めたが、騎士階級の身分でしかなかったセイヤヌスのこの身分不相応の結婚の求めは退けられた。 その後28年にティベリウスがカプリ島に隠棲するとセイヤヌスは元首の代理人として振る舞い、ネロ・カエサル、大アグリッピナを追放しドルスス・カエサルを幽閉した。リウィッラも情夫の手助けのために自らの地位を利用した。 しかしセイヤヌスの権勢も31年に破綻する。セイヤヌスがティベリウスに対して陰謀を企てたと小アントニアから伝えられると、ティベリウスは見事な手際でセイヤヌスを逮捕、処刑しその家族、協力者を処断した。このときセイヤヌスの前妻アピカタは、自死の際にドルススの死の真相を明らかにした。 ドルスス暗殺への関与を知られたリウィッラは、ティベリウスまたは母アントニアの命令で餓死によって命を絶った。.

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リウィア・ユリア

リウィア・ユリア(Claudia Livia Julia Caesaris, 5- 43年)は、ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの孫娘。 4年から8年の間に小ドルススとリウィッラの長女として生まれた。父小ドルススはティベリウスとウィプサニアの息子で、母リウィッラは大ドルススと小アントニアの娘。弟にティベリウス・ゲメッルス、ゲルマニクス・ゲメッルスの双子がいる。 19年にティベリウスの養子ゲルマニクスが急死する。ゲルマニクスは民衆に人気が高く、ユリアの父小ドルススと共にティベリウスの後継者候補であった。翌20年にユリアはゲルマニクスの長男でティベリウスの若い後継者候補とみなされていたネロ・カエサルと結婚する。この結婚はティベリウスの後継者小ドルススとゲルマニクスの遺児を結びつけるものとして多くの人から歓迎された。 23年に父ドルススが死亡する。これ以前より親衛隊長官ルキウス・アエリウス・セイヤヌスはティベリウスの右腕として権力に近い位置にいたが、実の息子で後継者であったドルススをティベリウスが失って以降はますます重用されるようになっていった。 実際には権勢拡大を図るセイヤヌスによってドルススは暗殺されたのだが、このことはセイヤヌスの死まで知られることはなかった。またこの暗殺に先立ってセイヤヌスはユリアの母リウィッラと情交を通じ、自らの陰謀に引き入れていた。 こののち、セイヤヌスは次の標的をユリアの夫ネロと姑大アグリッピナとし攻撃を仕向けるようになっていった。このとき、ユリアから母リウィッラを通してネロの言行がセイヤヌスに伝えられていた。 27年にティベリウスがカプリ島へ隠棲するとセイヤヌスの権勢はますます巨大になり、29年に夫ネロは公敵を宣言されポンティア島へ追放された。その後31年にネロはポンティア島で没した。 寡婦となったユリアは33年にガイウス・ルベッリウス・ブランドゥスと結婚する。ブランドゥスは祖父がティブル出身のローマ騎士と、家系においては大きく先夫ネロに劣っていた。このブランドゥスとの間に息子ガイウス・ルベッリウス・プラウトゥスと娘ルベッリアをもうけている。 37年にティベリウスが死に、ネロ・カエサルの弟カリグラがその後を継いだ。38年に夫ブランドゥスが死ぬ。カリグラは41年に暗殺され、そのあとの皇帝にはユリアにとって叔父にあたるリウィッラの弟クラウディウスが就任した。同年にクラウディウスの妻メッサリナは男子ブリタンニクスを出産する。これ以降、クラウディウスはメッサリナの言いなりとなっていった。 メッサリナは有力者を次々と排除、殺害していったが、ユリアもその標的となり、43年メッサリナによって殺害された。.

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ルキウス・アエリウス・セイヤヌス

記録抹殺刑により彼の名が消されている ルキウス・アエリウス・セイヤヌス(, 紀元前20年 – 紀元後31年10月18日)は、古代ローマの親衛隊長官。セイアヌスとも表記される。第2代ローマ皇帝ティベリウスの信頼を獲得し、権勢を誇ったが、ティベリウスがカプリ島に隠遁した後、代理として元老院を牛耳り、また皇帝一族との婚姻、対立分子の排除を図ろうとする。これが皇帝権力の脅威と見られ、ティベリウスの奸計に陥り処刑された。.

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ルキウス・カエサル

ルキウス・カエサル(Lucius Julius Caesar Vipsanianus, 紀元前17年 - 紀元2年)は、古代ローマの将軍マルクス・ウィプサニウス・アグリッパと大ユリアの息子で、初代ローマ皇帝アウグストゥスの養子。兄のガイウス・カエサルと共にアウグストゥスの後継者候補の一人だった。 アウグストゥスの側近であったマルクス・アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの次男ルキウス・ウィプサニウス・アグリッパとして紀元前17年に誕生した。アウグストゥスから見ると直系の孫にあたるため後継者候補として早くから期待されていた。兄にガイウス・カエサル、弟にアグリッパ・ポストゥムス、姉に小ユリア、妹に大アグリッピナがいる。 ルキウスが誕生した年に兄ガイウスとともにアウグストゥスの養子となりルキウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌスと名を変えた。以降後継者として育てられ、15歳となった紀元前2年には養父アウグストゥスによって紀元2年の執政官(コンスル)に指名され、元老院 (ローマ)に議席を得た。このとき兄ガイウス同様騎士階級から「青年の第一人者」(プリンケプス・ユウェントゥティス、Princeps Juventutis)の称号を贈られている。アウグストゥスはガイウスに対しても同様の待遇を与えているが、2人を元老院議員とするために紀元前5年と紀元前2年に自ら執政官に就任している。予定執政官となったこの年、アエミリア・レピダと婚約し、軍務のキャリアをスタートさせる。しかし同年に、予定されていたコンスルに就任する前にマッシリア(現在のマルセイユ)で没した。ヒスパニアに向かう途中だった。 ルキウスの死の2年後には兄ガイウスも夭折し、アウグストゥスは後継者候補に妻リウィアの連れ子であったティベリウスを選ばざるを得なくなった。ガイウスが死んだ紀元4年にアウグストゥスはティベリウスをルキウスの弟アグリッパ・ポストゥムスと共に養子としている。.

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ローマ皇帝

ーマ皇帝(ローマこうてい)とは、紀元前27年に元老院より「アウグストゥス(Augustus)」の尊称を授与されたオクタウィアヌスと、この尊称を帯びた彼の後継者をさす。「ローマ皇帝」というひとつの職位があるのではなく、多くの重要な職位を一人が集中して兼任した状態のことをいう。初代ローマ皇帝とされるオクタウィアヌスは、実際に様々な官職や権限を一身に集め、彼の後継者に同一の権限を与えた。オクタウィアヌス以降の歴代ローマ皇帝は、「Imperator Caesar Augustus」を自分の名前に付加することで、権限を集中した兼任者(つまり皇帝)が誰であるかを明確にしていた。.

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プラエトリアニ

『即位を宣するクラウディウス帝』(1867年) ローレンス・アルマ=タデマ画左に大勢いるのがプラエトリアニ。 プラエトリアニ(古典ラテン語:praetoriani、プラエトーリアーニー)は、ローマ帝国において皇帝を守るために組織された直属の精鋭部隊である。日本語では「近衛隊」、「近衛軍団」、「護衛隊」、「親衛隊」などと訳される。アウグストゥスによる帝政開始とともに組織され、コンスタンティヌス1世によって解体された。プラエトリアニは帝政ローマにおいて、本国イタリアに駐屯することが許された唯一の軍事組織である。.

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ティベリウス

ティベリウス・ユリウス・カエサル(古典ラテン語:Tiberius Julius Caesar、紀元前42年11月16日 - 紀元後37年3月16日)は、ローマ帝国の第2代皇帝(在位:紀元14年 - 37年)。初代皇帝アウグストゥスの養子。養子となる以前の名前は実父と同じティベリウス・クラウディウス・ネロ。 なお、イエス・キリストが世に出、刑死したときのローマ皇帝である。イエスの言葉である「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」(新約マタ 22:17-21、マコ12:14-17、ルカ 20:22-25)の「カエサル」とは、ティベリウスないし彼を含めた(皇帝の称号としての) カエサル(=ローマ皇帝)一般のことである。.

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ドルスス・カエサル

ドルスス・ユリウス・カエサル(Drusus Julius Caesar, 7年頃 - 33年)は、古代ローマの将軍ゲルマニクスの息子で第2代ローマ皇帝ティベリウスの後継者候補。.

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アウグストゥス

アウグストゥス(Imperator Caesar Divi Filius Augustus インペラートル・カエサル・ディーウィー・フィーリウス・アウグストゥス、Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス、紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日)は、ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。ちなみにアウグストゥスは、ラテン語で「尊厳ある者」を意味しており、現在のギリシア語では「8月」の意になっている。.

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ウィプサニア

ウィプサニア ウィプサニア・アグリッピナ(Vipsania Agrippina, 紀元前36年? - 紀元20年)は、ローマ帝国2代皇帝ティベリウスの最初の妻。 初代皇帝アウグストゥスの盟友マルクス・ウィプサニウス・アグリッパと、その最初の結婚相手でキケロの書簡の宛名人として知られるティトゥス・ポンポニウス・アッティクスの娘ポンポニアとの間に生まれた。 父とアウグストゥスとの密接な関係のため、早くからアウグストゥスの3番目の妻リウィアの連れ子であったティベリウスとの婚約が結ばれていた。2人は紀元前20年に結婚。紀元前13年頃には息子の小ドルススが誕生している。 この間、アウグストゥスは後継者候補であったマルケッルスを失い、代わってウィプサニアの父アグリッパと寡婦となった自身の娘ユリアを結婚させていた。この2人の間に生まれたガイウスとルキウスの兄弟はアウグストゥスの養子とされ、有力な後継者候補と見られるようになっていた。 ウィプサニアとティベリウスの結婚生活は幸福なものだったといわれているが、紀元前12年、父アグリッパの死とともに一変する。翌紀元前11年、アウグストゥスは再び寡婦となった大ユリアとティベリウスを結婚させるためティベリウスとウィプサニアを離婚させた。 こののちウィプサニアは、歴史家ガイウス・アシニウス・ポッリオの息子で有力な元老院議員であるガイウス・アシニウス・ガッルスと再婚する。ウィプサニアはガッルスとの間にガイウス・アシニウス・ポッリオ、マルクス・アシニウス・アグリッパ、アシニウス・ガッルス、アシニウス・ルプス、アシニウス・サロニヌス、セルウィウス・アシニウス・ケレルの6人の子供をもうけた。紀元20年にウィプサニアは死ぬ。マルクス・アグリッパの子供たちが皆不遇や不慮の死を遂げる中で、唯一安逸な死を迎えたという。 ウィプサニアと別れさせられた後も、ティベリウスはウィプサニアを思いつづけたといわれている。離婚後ティベリウスが町でウィプサニアの姿を見たとき何も声をかけず、以降ウィプサニアと会うことを避けるようになったという。またウィプサニアの再婚相手ガッルスに対しては、ウィプサニアの再婚相手であるがゆえに嫌っていたともいわれている。 Category:ユリウス・クラウディウス家 Category:紀元前30年代生 Category:20年没.

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カリグラ

イウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(、12年8月31日 - 41年1月24日)は、第3代ローマ帝国皇帝(在位:37年 - 41年)。ユリウス・クラウディウス朝の皇帝の1人である。カリグラ(カリギュラとも表記)の名でよく知られている(幼少の頃に履いていた小さな軍靴に由来する愛称)。.

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ガイウス・カエサル

イウス・カエサル ガイウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌス(Gaius Julius Caesar Vipsanianus, 紀元前20年 - 紀元4年)は、古代ローマの将軍マルクス・ウィプサニウス・アグリッパと大ユリアの息子で、初代ローマ皇帝アウグストゥスの養子。弟のルキウス・カエサルと共にアウグストゥスの後継者候補の一人だった。 アウグストゥスの側近であったマルクス・アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの長男ガイウス・ウィプサニウス・アグリッパとして紀元前20年に誕生した。アウグストゥスから見ると直系の孫に当たるため、後継者候補として早くから期待されていた。弟にルキウス・カエサルとアグリッパ・ポストゥムスが、妹に小ユリアと大アグリッピナがいる。 弟ルキウスが誕生した紀元前17年にアウグストゥスの養子となり、ガイウス・ユリウス・カエサルそして第四名にウィプサニウス氏族からの養子の意でウィプサニアヌスを加えガイウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌスと名を改める。以後、同じように皇帝の養子となった弟ルキウスと共に後継者として育てられた。紀元前13年のトロイア競技で年長組の組長を務め、初めてローマ市民の前にでる。15歳となった紀元前5年には養父アウグストゥスによって5年後の紀元1年の執政官(コンスル)に指名され、元老院に議席を得た。このとき予定執政官に指名されただけではなく騎士階級から「青年の第一人者」(プリンケプス・ユウェントゥティス、Princeps Juventutis)の称号を贈られ、未来の元首候補であることをローマ市民に強く印象付けた。この称号は以後の元首候補にも贈られ、事実上「皇太子」を意味する称号になっていった。 紀元前1年に大ドルススと小アントニアの娘リウィッラと結婚すると予定執政官としてドナウ方面の軍務につく。その後東方へ派遣され、その地で1年を迎え、正式にコンスルに就任した。このときのガイウスの幕僚には、皇帝ネロの父となるグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスやのちの親衛隊長ルキウス・アエリウス・セイヤヌス、マルクス・ロリウス、プブリウス・スルピキウス・クィリニウスなどがいた。 当時アルメニア王国ではアウグストゥスが王位につけたアルタウァスデスが追放されており、この王位にメディア出身のアリオバルザネスを就けることがガイウスに与えられた任務であった。ガイウスはこの任務を果たすが、アルメニアではパルティアの介入で叛乱が再発した。紀元3年にアルメニアのパルティア包囲戦において負傷、ローマに帰還する途中、現在のトルコ南部のリミラで没した。この時まだ24歳だった。 このガイウスの死より前の紀元2年に弟ルキウスも死亡していたため、アウグストゥスは一定の年齢に達している後継者候補を失い、妻リウィアの連れ子であったティベリウスを後継者とせざるを得なくなった。ガイウスが死んだ紀元4年にアウグストゥスは、ティベリウスをガイウスの弟アグリッパ・ポストゥムスと共に養子としている。.

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ゲルマニクス

ルマニクス・ユリウス・カエサル(Germanicus Julius Caesar, 紀元前15年5月24日 - 紀元後19年10月10日)は、ユリウス・クラウディウス朝の家系に属する古代ローマ帝国の軍人。.

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シリア

リア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。.

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19年

記載なし。

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23年

記載なし。

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37年

記載なし。

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38年

記載なし。

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