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象限儀

索引 象限儀

象限儀(しょうげんぎ、quadrant)とは、測量機器のひとつ。円の4分の1の扇形をしていることから四分儀(しぶんぎ)とも称される。 測量のほか航海などに使われ、円の4分の1の扇形をした目盛りのついた定規に望遠鏡がつき、天体を観測しながら現在地の緯度を割りだした。.

23 関係: しぶんぎ座天体観測伊能忠敬ペトルス・アピアヌスヤコブの杖ヤコブ・ベン・マキル・イブン・ティボンライデン天文台ビクトリア号ピュテアスピエール・ヴェルニエアブル・ワファーアストロラーベウラニアの鏡ウルグ・ベク天文台オールズモビル・トロネードグムンデンのヨハネスシェハリオンの実験ジョン・デイヴィス (探検家)サマルカンド八分儀六分儀六分儀 (天体観測)発明の年表

しぶんぎ座

ヨハン・ボーデの星図に描かれたしぶんぎ座 しぶんぎ座(しぶんぎざ、Quadrans Muralis、四分儀座)あるいはへきめんしぶんぎ座(壁面四分儀座)は、1795年にフランスの天文学者のジェローム・ラランドが設定した星座の1つ。Quadrans Muralis とは「壁面四分儀」のことで、ラランドがこの観測機器を用いて甥のミシェル・ルフランセ・ド・ラランドと共に天体を観測したことを記念して設定されたものである。周りにはりゅう座・ヘルクレス座・うしかい座・わし座がある。1922年に国際天文学連合が88の星座を決定した際に選から外され、しぶんぎ座が設定されていた領域はりゅう座の一部となった。 毎年1月4日頃に極大を迎えるしぶんぎ座流星群は、かつてこの星座が設定されたりゅう座ι星近辺を輻射点とすることからその名前が付けられている。.

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天体観測

天体観測(てんたいかんそく)は、天体そのものや天体の運行、変化などを観測することである。天体観測は肉眼で夜空を見上げることから始まり、双眼鏡や小さな望遠鏡を使って趣味的に行う観測から、天文台において大望遠鏡および特殊な観測機器を用いた観測まで幅広く行われる。観測は主に地球上から行われるほか、人工衛星の軌道上からも行われる。主たる観測対象は星座や恒星、流星、火星や金星などの惑星、あるいは月の満ち欠け、星の動きなど。天文学は天体観測から始まり、天体現象の物理学的探求はデータ解析や仮説検証などによって行われる。.

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伊能忠敬

伊能 忠敬(いのう ただたか地元などでは親しみと尊敬の念をこめて、有職読みで「いのうちゅうけい」とも呼ばれている。、延享2年1月11日(1745年2月11日) - 文化15年4月13日(1818年5月17日))は、江戸時代の商人・測量家である。通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。 寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて日本全国を測量して『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。 1883年(明治16年)、贈正四位。.

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ペトルス・アピアヌス

ペトルス・アピアヌス(Petrus Apianus, 1495年4月16日 - 1552年4月21日)は、ドイツの人文主義者で、数学や天文学、地図学などの事績で知られる。.

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ヤコブの杖

ヤコブの杖(ヤコブのつえ、英:Jacob's staff)またはクロス・スタッフ(cross-staff、直訳すると「十字型の杖」)とは、天体の高度角を測る道具で、西洋では14世紀ころから使用され始めた。航海術、測量術、または天文観測において、北極星または太陽の高度角を測ることによって緯度を知るために用いられた。名前の由来は当時の星座から(今で言うオリオン座のうち、「帯」の三つ星とリゲル、ベテルギウスはヤコブの杖と呼ばれていた)とも言われる茂在寅男『航海術 - 海に挑む人間の歴史』中公新書、1967年。 目盛りの刻まれた長い棒と、それに直角に取り付けられて自由に動かせる短い棒(クロスピース、十文字片と呼ばれる)から成る。長い棒を目の前に構え、その上下に目標の天体と水平線が来るようにクロスピースを動かして、クロスピースの位置を目盛りで読むことによって使用する。 インド洋の航海者だったアラビア人たちは、アル・ケマル(カマル Kamal ともH・C・フライエスレーベン『航海術の歴史』岩波書店、1983年)と呼ばれる器具を使用していた。これはヤコブの杖と同じ原理だが、目盛りの付いた棒の代わりに結び目のある紐を、クロスピースの代わりに板を使ったものであった。15世紀には既に定着していた。アストロラーベや四分儀(コードラント)も緯度を知るための道具であったが、ゆれる船上では、重く使用しにくいものであったので、クロス・スタッフが用いられるようになった。 中国では11世紀の学者、沈括の『夢渓筆談』にこのような道具の記述がある。ヤコブの杖が西洋の文献に登場するのは14世紀のユダヤ人の数学者レビ・ベン・ゲルソンによるものである。16世紀のオランダのアドリアーンスゾーン・メチウスやゲンマ・フリシウスによって改良が加えられた。.

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ヤコブ・ベン・マキル・イブン・ティボン

ヤコブ・ベン・マキル・イブン・ティボン(Jacob Ben Machir ibn Tibbon、1236年頃 - 1304年頃)はユダヤ人の天文学者である。12世紀から13世紀にスペインとフランスで活動した学者・翻訳家・指導者の一族イブン・ティボン家の一人である。 マルセイユで生まれたと伝えられ、モンペリエで没した。Samuel ben Judah ibn Tibbonの孫で、プロバンス語名はDon Profiat Tibbon、ラテン語の書物ではProfatius Judæusと呼ばれる。 中世天文学の歴史において、重要な位置をしめ、ラテン語に訳されたイブン・ティボンの著作はコペルニクス、エラスムス・ラインホルト、クリストファー・クラヴィウスらによって引用されている。また ジャン・アストリュクの著書("Mémoires pour Servir à l'Histoire de la Faculté de Médecine de Montpellier")によれば有名な医師でもあった。 ユークリッドの "Elements"を含む、多くのアラビア語の科学書、哲学書をヘブライ語に訳した他、2冊のイブン・ティボンの天文学に関する著書がある。天文機器四分儀について著述や1300年の3月1日から始まる天文表があり、これらはラテン語に訳され高い評価を得た。 Category:スペインの天文学者 Category:フランスの天文学者 Category:ユダヤ人 Category:スペインの翻訳家 Category:フランスの翻訳家 Category:マルセイユ出身の人物 Category:1230年代生 Category:1300年代没.

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ライデン天文台

ライデン天文台(オランダ語ではSterrewacht Leiden)はオランダ、ライデンにある天文台である。1633年にスネルの使った四分儀を設置するためにライデン大学に設立されたのに始まる。それまで天体観測は個人の設備で行われることが多く、大学で観測が行われる最初の天文台となった。 建物が、観測設備を収容できなくなったため、2度、移転した。1860年にWitte Singelに移転し、1974年に市の北西部に移転した。天文学部としてはオランダで最大で、世界的に評価の高い研究を行っている。ウィレム・ド・ジッターやアイナー・ヘルツシュプルング、ヤン・オールトらがライデン天文台で業績をあげ、所長を務めた。ヤコブス・カプタインもライデン天文台で研究した。.

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ビクトリア号

ビクトリア号()は、地球一周航行を目指しフェルディナンド・マゼランが指揮した船団を構成した5隻の内の1隻。木造帆船で85トンの大きさ、船種はキャラック船あるいはナオ船という。 名前はマゼランが国王カルロス1世に忠誠の誓いを立てたサンタ・マリア・デ・ラ・ビクトリア・デ・トリアナ教会()にちなんでいる。 1519年から1522年にかけての地球一周の旅を達成した唯一の船となった。この遠征は過酷なものとなり、出航当時265名いた乗員の内、生還できた者は18名のみであり、航海の中でマゼランはじめ大部分の人員が失われた。 船団を構成した他の船は、旗艦トリニダッド号(110トン)、サン・アントニオ号(120トン)、コンセプシオン号(90トン)、サンチアゴ号(74トン)でビクトリア号(85トン)を含めて総勢5隻である。 マゼランの死後、艦隊の指揮官は様々入れ替わるが、最終的に1522年9月6日、フアン・セバスティアン・エルカーノの指揮の下ビクトリア号がただ一隻、スペインのサンルカール・デ・バラメーダに帰還し、地球一周を達成した。エルカーノを含めた18名の生存者の内の1人、アントニオ・ピガフェッタが後に航海記を著し、地球一周の旅の記録を今日に伝えている。(他にスペイン王の秘書トランシルヴァーノが後にエルカーノなど3人の乗組員から聞き取った調書やビクトリア号の航海長アルボの航海日記なども残っているが記述の分量ではピガフェッタが圧倒している。後年の伝記作家や研究者はピガフェッタの記録を中心に、トランシルヴァーノの調書、アルボの航海日記、セビリアのインディアス総合古文書館に残る公文書などを加えてマゼランの遠征を考察している。).

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ピュテアス

マッシリアのピュテアス(、紀元前4世紀)は、ギリシア植民都市マッシリア(現在のマルセイユ)出身のギリシア人地理学者、探検家。紀元前325年ごろ、北西ヨーロッパへの冒険航海に出た。グレートブリテン島各地を訪れている。白夜や極冠、ゲルマン人について最初の記録を残した人物であり、フィン諸語種族と見られる民族についても最初の記録を残している。遠いトゥーレの伝説を地理的想像力に導入した人物でもあり、潮汐の原因が月だということを最初に述べた人物でもある。.

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ピエール・ヴェルニエ

ピエール・ヴェルニエ(Pierre Vernier、1580年8月19日 - 1637年9月14日)は、フランスの数学者、測定装置の発明者である。測定機の副尺(英語ではヴェルニエの名からバーニヤと呼ばれる)を発明した。 フランシュ=コンテの(当時スペイン統治下のブルゴーニュ伯領)で生まれた。父親から科学の教育を受けて、スペイン王の軍人となり、後にオルナンの城主となった。さらにブルゴーニュ伯領における顧問官および財務長官となった。 1631年にブリュセルで "La construction, l'usage, et les proprietes du quadrant nouveau de mathematiques" を著し、その中で副尺について記述した。 それまでの四分儀の目盛は、0.5度で刻まれていたのに対して、目盛の間隔の少し狭めて刻んだ目盛の動尺を組合わせることによって、角度を1分の精度でよみとることを可能にした。バーニヤは、ノギスやマイクロメーター、六分儀、気圧計(水柱式気圧計)などの測定値の読取に広く用いられた。クリストファー・クラヴィウスも同様なアイデアについて述べたが、実際に測定機につけることはしなかった。ポルトガルの数学者ペドロ・ヌネシュも異なる方法でアストロラーベに副尺を付けたことから、19世紀の始めまではバーニヤはノニウス(ヌネシュのラテン語読み)と呼ばれていた。ただ、現在でもノニウス(またはノニオ)と呼んでいる国は多数あり、日本での呼称であるノギスもノニウスが語源である。 Category:フランスの数学者 800819 -800819 Category:ブルボン朝の人物 Category:1580年生 Category:1637年没 Category:数学に関する記事.

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アブル・ワファー

アブル・ワファー・ブーズジャーニー アブル・ワファー・ブーズジャーニー(ペルシア語Abū al-Wafā Būzjānī ابوالوفا بوزجانى、 全名(アラビア語) ابوالوفا محمد بن محمد بن يحيى بن اسماعيل بن العباس البوزجاني Abū al-Wafāʾ Muḥammad ibn Muḥammad ibn Yaḥyā ibn Ismāʿīl ibn al-ʿAbbās al-Būzjānī 、940年 – 997年または998年没)は、ブワイフ朝時代のイラクで活躍したペルシアの数学者、天文学者である。日本語ではアブル・ウワファ・ブーズジャーニと表記されている場合もある。.

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アストロラーベ

アストロラーベ(Astrolabe )は平面アストロラーベとも呼ばれ、古代の天文学者や占星術者が用いた天体観測用の機器であり、ある種のアナログ計算機とも言える。用途は多岐にわたり、太陽、月、惑星、恒星の位置測定および予測、ある経度と現地時刻の変換、測量、三角測量に使われた。イスラムとヨーロッパの天文学では天宮図を作成するのに用いられた。アラビア文字・اصطرلاب. aṣṭurlāb استرلاب. asturlābなどと綴られるが、ペルシア語ではこれらの綴りで uṣṭurlāb/oṣṭorlāb と読み、トルコ語でも usturlâb となる。 日本語ではアラビア語に近いアストロラーブとの表記もあるが本項目ではアストロラーベに統一する。.

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ウラニアの鏡

『ウラニアの鏡』(ウラニアのかがみ、Urania's Mirror; or, a view of the Heavens)は、1824年11月に出版された32枚の星図カードからなるカード集。 アレクサンダー・ジェイミソンの『ジェミーソン星図 』をベースにしているが、カードには穴が開けられていて、灯りにかざすと星座の星が光るという仕掛けがほどこされていた See also:File:Advertisement for Urania's Mirror.png.

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ウルグ・ベク天文台

ウルグ・ベク天文台 (Ulugh Beg Observatory) はウズベキスタンのサマルカンドにある天文台である。ウルグ・ベク天文台はティムール朝の君主であり、天文学者でもあったウルグ・ベクにより1420年代に建設され、中世イスラム世界において有数の天文台とされている。ウルグ・ベク天文台にはジャムシード・カーシーや、そしてウルグ・ベク本人といった、中世イスラム世界の有名な天文学者が多数勤務していた。ウルグ・ベク天文台はウルグ・ベクの死後1449年に大部分が破壊され、約450年後の1908年に地下部分が発見されることとなった。.

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オールズモビル・トロネード

ールズモビル・トロネード(Oldsmobile Toronado)は、1966年から1992年までゼネラルモーターズ(GM)のオールズモビル・ディビジョンで製造された2ドアクーペである。 "トロネード(Toronado)"という名称には特別な意味は無く、元々は1963年のシボレーのコンセプトカーのために考え出された名前であった。フォード・サンダーバードやビュイック・リヴィエラと直接競合するオールズモビルのフルサイズのスペシャリティカーとして企画されたトロネードは、1937年のコード(Cord)以来途絶えていたアメリカ合衆国で大規模に量産された最初の前輪駆動(FWD)車として歴史的に記憶されている。 トロネードは構造的に1966年の後輪駆動のビュイック・リヴィエラと翌年のキャデラック・エルドラド(Cadillac Eldorado)と関連を持っていたがスタイリングは全く異なっていた。トロネードはリヴィエラとエルドラドとはその28年間の歴史でEボディ(E-body)・プラットフォームを共有し続けたが、ビュイック・リヴィエラは1979年モデルまで前輪駆動に転換しなかった。.

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グムンデンのヨハネス

グムンデンのヨハネス(Johannes von Gmunden、1380年か1384年生- 1442年2月23日) は14世紀から15世紀のオーストリアの天文学者、数学者。 オーストリアのグムンデンに生まれた。1365年にウィーンに設立された新しい大学(現在のウィーン大学)で1406年に博士となり、1408年からウィーン大学で天文学の教鞭を執った。古代ギリシャやアラビアの数学や天文学の知識を中部ヨーロッパにもたらした最初の学者の一人である。1437年と1440年に惑星運行表を作成し、ドイツ語で作られた最初の暦を出版した。ウィーンで没した。 アストロラーベや四分儀に関する著作Astrolabii qui primi mobilis motus deprehendur canones がある。 小惑星(15955) ヨハネスグムンデンはヨハネスの名に因んで命名された。 Category:オーストリアの天文学者 Category:15世紀の学者 Category:ウィーン大学の教員 Category:1380年代生 Category:1442年没.

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シェハリオンの実験

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ジョン・デイヴィス (探検家)

17世紀に描かれたジョン・デイヴィスの肖像 ジョン・デイヴィス(John Davis、1550年ごろ - 1605年12月29日)は、イギリスの航海者、探検家。イングランド女王エリザベス1世の時代に活躍した人物で、北極海および極東の探検で知られる。.

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サマルカンド

マルカンド(Samarkand, سمرقند (Samarqand), Самарқанд (Samarqand))は、中央アジア、ウズベキスタンの古都。アムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約38万人(2001年)。ウズベキスタンの初代大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。 ステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクの色から「青の都」と呼ばれる。.

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八分儀

八分儀(はちぶんぎ、Octant)は天体や物標の高度、水平方向の角度を測るための道具。測量や航海に用いられ、弧が45°(360°の八分の一)であるところからこの名がついた。測定には平面鏡の反射を利用しており、45°の弧に90°までの目盛りが書き込まれている。 この機器にちなんだ、はちぶんぎ座という星座がある。 1730年、ジョン・ハドリーによってこの機器が開発され、1732年に王立協会へ提出された。後に、月の正確な運行表が作られると、これを利用して経度を知るためには90°を超える月と星の角度を測らねばならなかったため、八分儀よりも大きな角度を容易に測定できる六分儀が普及していった。.

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六分儀

六分儀(ろくぶんぎ、Sextant)とは天体や物標の高度、水平方向の角度を測るための道具である。弧が60°(360°の六分の一)であるところからこの名がついた。1757年に発明された。 天体の高度測定、自身の位置の割り出しなどに利用される。すなわち、大型の六分儀がおもに天体観測用に使われたのに対して、小型の六分儀は船舶の天測航法用に使用された。 また、六分儀にちなんでろくぶんぎ座という星座もある。.

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六分儀 (天体観測)

六分儀(ろくぶんぎ、)はもともと天体観測に使われ、後に小型の六分儀が船舶の天測航法用に使用されたが、もともとは建物に埋め込まれるなど大型のものであった。 15世紀のチムール帝国時代に現在のウズベキスタン共和国のサマルカンドに建設されたウルグベク天文台のものがつとに有名である。.

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発明の年表

明の年表は、特に重要な技術的発明を時系列に列挙したものである。 発明の時期(具体的な日付)は常に論争の的になっている。同じ時期に複数の発明家が独自に発明したこともあれば、原形となる発明が世に知られず、後世の発明家がそれを改良したものが一般に知られている場合もある。ここでは、不明瞭な点がある場合は最初に一般に知られたものを採用している。.

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