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心中天網島

索引 心中天網島

『心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。享保5年(1720年)12月6日、大坂竹本座で初演。全三段の世話物。 同年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を脚色。愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されている。また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られる。後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれの こたつ)が主に上演されている。 「天網島」とは、「天網恢恢」という諺と、心中の場所である網島とを結びつけた語。近松は住吉の料亭でこの知らせを受け、早駕に乗り大坂への帰途で、「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」という書き出しを思いついたという。.

100 関係: ぎふアジア映画祭つっころばし古湯映画祭名作歌舞伎全集坂田藤十郎 (4代目)大阪城北詰駅大阪市大阪府を舞台とした作品一覧大長寺 (大阪市)宝塚歌劇団卒業生安養寺 (大阪市)實川延若 (2代目)實川延若 (初代)實川額十郎 (初代)富岡多恵子小松方正小春尾上菊次郎 (4代目)岩下志麻左時枝中島歩中村又五郎 (初代)中村宗十郎中村亀鶴 (2代目)中村鴈治郎 (2代目)中村鴈治郎 (初代)中村霞仙 (初代)中村雀右衛門 (3代目)中村梅玉 (2代目)中村梅玉 (3代目)中村歌右衛門 (6代目)七瀬なつみ市川市蔵 (4代目)市川箱登羅 (初代)市村羽左衛門 (17代目)広末保心中心中天網島 (映画)心中物北野恒富北新地嵐三右衛門 (11代目)嵐芳三郎 (6代目)ウェルテル効果ザ歌舞伎元禄文化玩辞楼十二曲祐田善雄稲荷來明竹本越路大夫...竹本政太夫網島網島駅義太夫節田中澄江牧田正嗣片岡功片岡孝太郎片岡秀太郎 (2代目)片岡我童 (13代目)音尾琢真荒木繁駆け落ち高瀬一樹黒衣黒木勘蔵近松門左衛門関西歌舞伎藤田美術館藤田邸跡公園藤野義雄里中満智子若杉宏二桜橋 (大阪市北区)橋づくし死神 (日本)歌舞伎歌舞伎の演目一覧毎日映画コンクール深津絵里清元榮壽郎湯女有害情報成人映画明治十八年の淀川洪水浮世絵新国立劇場文楽日本の近世文学史日本の映画作品一覧日本アート・シアター・ギルド公開作品の一覧愛の劇場〜男と女はトメラレナイ〜曽根崎川曽根崎心中10月14日 (旧暦)11月13日12月6日 (旧暦)1969年1969年の映画1969年の日本公開映画 インデックスを展開 (50 もっと) »

ぎふアジア映画祭

ぎふアジア映画祭(ぎふあじあえいがさい)は、岐阜市でアジア各国の映画を上映する映画祭。 毎年後半に岐阜市文化センター等で開催される。アジアの枠をこえた様々な国の優秀な作品を上映する「グットシアター」(2008年 - )、日本の昔の名画を上映する「優秀映画推進事業」と一体となって運営されている。関連イベントとして数日でつくる短編映画製作がある。.

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つっころばし

つっころばしは、歌舞伎の役種の一。上方和事の、柔弱でやや滑稽味を帯びた立役をこう呼ぶ。具体的な役としては『夏祭浪花鑑』の玉島磯之丞、『双蝶々曲輪日記』の与五郎、『河庄』の紙屋治兵衛、『廓文章』など。 その語源が「肩をついただけで転びそうな」というところから来ていることからもわかるように、本来は優柔不断な若衆役であり、たいていは商家の若旦那や若様といった甲斐性なし、根性なしで、さらに劇中で恋に狂い、いっそう益体のないどうしようもなさを露呈することにある。そのさまは、特に紙治や伊左衛門に特徴的だが、あわれであると同時に、それを通りこして滑稽でさえあり、でれでれとした叙情的な演技が一面から見れば喜劇味をも含むという不思議な味いがある。 江戸和事の二枚目や、上方和事のつっころばし以外の二枚目との決定的な違いは、まさしくこの滑稽味、喜劇味の有無にあり、さらにいえばその原因となる性格造形の違いにあるといえるだろう。つっころばしは気が弱く、女に優しく、そのくせいいところの御曹司であるがために甲斐性や根性には欠け、なんとなくたよりない。これに対して江戸の二枚目は、表面上はつっころばしに似つつも、その芯の部分にはげしい気性や使命を帯びているために、どこかきりっとした部分が残るのである(それゆえに恋に狂っても喜劇的にはならない)。 つっころばしは上方独特の役種で、演技の巧拙以上に役者の持味、舞台の雰囲気に左右されることが多い。しばしば上方歌舞伎は型よりも持味、心情、雰囲気を重視するといわれるが、なかでもつっころばしはその典型的な例であるといえる。 つつころはし.

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古湯映画祭

古湯映画祭(ふるゆえいがさい)は、佐賀市の富士地区で、開催される映画祭。.

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名作歌舞伎全集

『名作歌舞伎全集』(めいさくかぶきぜんしゅう)とは、東京創元社から刊行された歌舞伎の脚本全集。全二十五巻。昭和43年(1968年)から昭和48年(1973年)にかけて刊行された。.

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坂田藤十郎 (4代目)

四代目 坂田 藤十郎(よだいめ さかた とうじゅうろう、1931年(昭和6年)12月31日 - )は、日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「坂田藤十郎」の当代。屋号は山城屋。定紋は五つ藤重ね星梅鉢、替紋は向い藤菱。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)としても、また今なお前々名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)としても知られる。日本舞踊雁音流の家元としては雁音 歌扇(かりがね かせん)。本名は林 宏太郎(はやし こうたろう)。妻は女優で政治家の扇千景、妹は女優の中村玉緒。 現代歌舞伎の大看板のひとりでもあり、また上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めるほか、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成している。 日本中にブームを巻き起こした『曾根崎心中』のお初は当たり役とされている。.

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大阪城北詰駅

ホーム壁面に張り付けられている瓢箪型の意匠 大阪城北詰駅(おおさかじょうきたづめえき)は、大阪府大阪市都島区網島町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)JR東西線の駅である。駅番号はJR-H42。駅シンボルは、豊臣秀吉の馬印にちなみ、「瓢箪」である。.

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大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

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大阪府を舞台とした作品一覧

大阪府を舞台とした作品一覧(おおさかふをぶたいとしたさくひんいちらん)では、大阪府内をモチーフあるいはロケーション撮影地にした映画・テレビドラマ・小説・アニメーションなど、Wikipedia日本語版に存在する一覧。.

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大長寺 (大阪市)

大長寺(だいちょうじ)は大阪市都島区にある浄土宗の寺院。.

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宝塚歌劇団卒業生

宝塚歌劇団卒業生(たからづかかげきだんそつぎょうせい)は、宝塚歌劇団を退団した生徒(団員)のことを示す。 宝塚歌劇団の主な卒業生は次のとおり(項目ごとに入団年度順)。.

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安養寺 (大阪市)

安養寺(あんようじ)は、大阪市西成区岸里にある浄土宗知恩院派一心寺の末寺に属する仏教寺院。山号は昌芳山。.

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實川延若 (2代目)

二代目 實川 延若(新字体:実川、じつかわ えんじゃく、1877年(明治10年)12月11日 - 1951年(昭和26年)2月22日)は、大阪出身の歌舞伎役者。本名は天星 庄右衛門(あまぼし しょうえもん)。屋号は河内屋。定紋は重ね井筒、替紋は五つ雁金。.

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實川延若 (初代)

初代 實川 延若(しょだい じつかわ えんじゃく、新字体:実川、天保2年6月23日(1831年7月31日) - 明治18年(1885年)9月18日)は、大坂出身の歌舞伎役者。本名は天星 庄八(あまぼし しょうはち)。屋号は河内屋。定紋は重ね井筒、替紋は五つ雁金。俳名は正鴈。.

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實川額十郎 (初代)

初代 實川 額十郎(しょだい じつかわ がくじゅうろう、1782年(天明2年) - 1835年12月23日(天保6年11月4日))は、江戸時代後期の上方の歌舞伎役者。屋号は井筒屋。俳名に延若・鬼丈がある。 はじめ初代淺尾工左衛門の門人で淺尾八百藏と名乗る。寛政7年(1795年)ごろから大坂小芝居で活躍、翌寛政8年に二代目中村仲藏に認められて門人となり、中村八百藏と改名する。しかしほどなく仲藏が死去。文化6年(1809年)には工左衛門の門下に復帰し淺尾勇次郎と改名する。翌文化7年からは江戸の舞台にも立った。 文政元年(1818年)上方の舞台に復帰、三代目中村歌右衛門の勧めで文政5年(1822年)大坂・淺尾與三郎座の『けいせい染分手綱』で淺尾額十郎と改名。以後めきめきと腕を磨き、上方歌舞伎の人気役者として活躍する。1833年(天保4年)に初代實川額十郎と改名するが、その2年後に病に倒れて死去した。 立役、武道、和事、女形など幅広い役柄をこなし、實川姓の歌舞伎役者の始祖ともなった。当たり役は『菅原伝授手習鑑』の菅丞相・武部源蔵、『心中天網島』の粉屋孫右衛門など。 養子に二代目實川額十郎と二代目實川勇次郎がいる。.

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富岡多恵子

富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年7月28日 - )は、日本の詩人・小説家・文芸評論家、日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。現代美術家の菅木志雄は夫。.

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小松方正

小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優・声優。本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。.

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小春

小春(こはる、しょうしゅん).

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尾上菊次郎 (4代目)

四代目 尾上 菊次郎(よだいめ おのえきくじろう、1904年(明治37年)9月29日 - 1981年(昭和56年)7月24日)は、主に関西歌舞伎で活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は向い菊、替紋は裏菊菱。俳名に幸菊がある。本名は渡辺 良雄(わたなべ よしお)。 二代目坂東彦十郎の次男。東京・築地出身。1910年(明治43年)4月帝国劇場『心中天網島』「紙治」の勘太郎で坂東子鶴を名のって初舞台。1919年(大正8年)6月帝劇『一谷嫩軍記』の熊谷の遠見で四代目坂東竹三郎を襲名。これを機に菊五郎一座に入り活躍するうち才能を認められ、1924年(大正13年)5月市村座『義経千本桜』の小金吾と『娘道成寺』所化で名題昇進。1935年(昭和10年)10月歌舞伎座『三人形』の傾城で四代目尾上菊次郎を襲名した。 その後二代目市川猿之助一座を経て、1949年(昭和24年)関西歌舞伎に移籍。主として老女形として古風な芸で活躍した。 品格と情味を兼ね備えた芸風で、当たり役は、『恋女房染分手綱』(重の井の子別れ)の重の井や、『妹背山女庭訓』「吉野川」の定高などの片はずし、そして『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」の母微妙などの三婆。立女形だが、晩年には幅広い役柄をこなし、『傾城反魂香』「吃又」の将監、『奥州安達原』「袖萩祭文」の謙杖直方、『夏祭浪花鑑』「三婦内」の釣船三婦、果ては『義経千本桜』「鮨屋」の梶原景時など、一見ニンに合わないのではないかと思わせるような役どころでもきちんとつとめて違和感がなかった。 1978年(昭和53年)勲五等双光旭日章を受章。1981年(昭和56年)1月京都中座『心中紙屋治兵衛』「河庄」のお庄が最後の舞台となった。 四代目中村富十郎は弟、五代目坂東竹三郎は名前養子にあたる。.

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岩下志麻

岩下 志麻(いわした しま、1941年1月3日 - )は、日本の女優。東京府東京市京橋区(現:東京都中央区)銀座生まれ『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年、p.101-103。本名は篠田 志麻(しのだ しま)。 俳優の父・野々村潔と元新劇女優の山岸美代子の長女として生まれた。4代目河原崎長十郎は義理の伯父に当たる。夫は映画監督の篠田正浩。松竹の看板女優の一人として活躍した。 身長165cm、体重48kg、血液型A型。グランパパプロダクション所属。.

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左時枝

左 時枝(ひだり ときえ、本名及び旧芸名;額村 多美子、1947年3月27日 - )は、富山県出身の女優。東京都立松原高等学校、東京女子体育大学卒業。ファザーズコーポレーション所属。血液型はO型。身長159cm、体重50kg。長姉は左幸子(自身が五女)。義兄は羽仁進、姪は羽仁未央。羽仁進の二人目の妻の額村喜美子も姉(四女)。娘は額村麻裕。.

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中島歩

中島 歩(なかじま あゆむ、1988年10月7日 - )は、日本の俳優。宮城県出身。テンカラット所属。.

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中村又五郎 (初代)

初代 中村又五郎(しょだい なかむら またごろう、1885年(明治18年)1月1日 - 1920年(大正9年)3月19日)は、明治から大正にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は播磨屋。定紋は揚羽蝶、替紋は向い菱。俳名に紫琴がある。.

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中村宗十郎

中村 宗十郎(なかむら そうじゅうろう、天保6年(1835年) - 明治22年(1889年)10月8日)は明治時代に上方で活躍した歌舞伎役者。同時期の初代實川延若、初代市川右團次とともに「延宗右」と呼ばれ、関西劇壇の重鎮として人気を集めた。本名は藤井 重兵衛(ふじい しげべえ)。屋号は末廣屋、俳名は千昇・霞仙。.

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中村亀鶴 (2代目)

二代目 中村亀鶴(にだいめ なかむら きかく 昭和47年 (1972年) 6月18日 - )は、歌舞伎役者。屋号は八幡屋。定紋は向い亀鶴菱。本名は渡辺 芳彦(わたなべ よしひこ)。 初代中村亀鶴の長男。父方の祖父は四代目中村富十郎、祖母は初代中村鴈治郎の娘の中村芳子。 御曹司の血筋でありながら国立劇場の第十期歌舞伎研修生養成所出身という、珍しい経歴を持つ。 身長170cm 血液型はA型.

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中村鴈治郎 (2代目)

二代目 中村鴈治郎(にだいめ なかむら がんじろう、1902年(明治35年)2月17日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は成駒屋、定紋はイ菱。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は林 好雄(はやし よしお)。 上方歌舞伎の伝統を継承し、立役から女形まで幅広い芸域を誇ったが、特に父・初代鴈治郎譲りの二枚目役においてその本領を発揮した。.

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中村鴈治郎 (初代)

初代 中村 鴈治郎(しょだい なかむら がんじろう、安政7年3月6日(1860年3月27日) - 1935年(昭和10年)2月1日)は明治・大正の上方歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋はイ菱。俳名に扇若・亀鶴、雅号に玩辞楼、浄瑠璃名に吉田玉太郎。本名は林 玉太郎(はやし たまたろう)。.

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中村霞仙 (初代)

初代 中村霞仙(しょだい なかむら かせん、1868年(明治元年) - 1903年(明治36年)8月21日)は、明治時代初期に大阪で活躍した歌舞伎役者。屋号は末廣屋。本名は藤井 重兵衛(ふじい しげべえ)。 大阪九郎右衛門町の生まれ。生家は貸席業。はじめ三代目中村翫雀門下に入るはずだったが、翫雀の急死で中村宗十郎門下で中村翫童と名乗る。「位牌弟子」というかたちで、翫雀の門人であったことにもした。その後才能が認められ、宗十郎から目をかけられるようになる。明治22年 (1889) に宗十郎が死ぬと、未亡人から宗十郎の本名「藤井重兵衛」を名乗ることを許され、事実上の養子となった。これを機に初代中村霞仙を襲名した。 宗十郎譲りの芸風で『河庄』の紙屋治兵衛、『対面』の曾我十郎などを得意とし、末廣屋の後継者として将来を期待されたが早世した。子に二代目中村霞仙がいる。養子に落語家の笑福亭圓歌(二代目中村鴈治郎の義父)がいたがのちに離縁。 Category:歌舞伎役者 Category:1868年生 Category:1903年没.

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中村雀右衛門 (3代目)

三代目 中村 雀右衛門(さんだいめ なかむら じゃくえもん、明治8年(1875年)1月2日 - 昭和2年(1927年)11月15日)は、明治から大正の上方の歌舞伎役者。屋号は京屋。俳名に梅都・芝斗。本名は中島 笑太郎(なかじま しょうたろう)。 父は歌舞伎役者の嵐璃笑。明治12年(1879年)正月大阪中座で初舞台、嵐笑太郎と名乗る。父の死後京都の舞台で活躍中に二代目中村雀右衛門に認められ、その養子となり中村笑太郎と名乗る。明治23年(1890年)義兄の三代目中村芝雀が死去したので、義父の意向もあって翌年9月四代目中村芝雀を襲名する。このころは立役を主につとめていたが、東京で女形の芸を学び帰阪後は関西歌舞伎随一の女形として認められるようになる。 大正3年(1914年)10月、大阪浪花座『芦屋道満大内鑑』の葛の葉で三代目中村雀右衛門を襲名。その喉を締め付けるようなだみ声は物まねの定番となるほどのものだったが、そんな悪声と小柄な体格という負い目を背負いながらも、舞台に上がると絶世の美女になった。その美しさは『心中天網島』で舞台を共にした初代中村鴈治郎が「この女とやったら死ねる」といったという逸話からもうかがわれる。『鎌倉三代記』「絹川村」の時姫、『祇園祭礼信仰記』「金閣寺」の雪姫、『本朝廿四孝』の八重垣姫などの時代物や、『新版歌祭文』「野崎村」のお光、『義経千本桜』「すし屋」のお里、『桂川連理柵』「帯屋」のお半などの娘役、『摂州合邦辻』「合邦庵室」の玉手御前、『艶容女舞衣』「酒屋」のお園、『国訛嫩笈摺』「どんどろ大師」のお弓などの女房役のほか、人形振りも得意で『伊達娘恋緋鹿子』「火の見櫓」のお七などが当たり役だった。昭和2年(1927年)11月14日、『増補忠臣蔵』「本蔵下屋敷」の三千歳姫をつとめている最中に倒れて翌日死去。 従来の演出にとらわれることなく「京屋型」という新しい型を創造した。二代目中村鴈治郎は著書『八人の歌舞伎役者』のなかで「私の知っている限りでは、女形の名人ともいうべきお方でした。大抵の人は昔の型を伝えるだけですが、このお方は御自分でも新しく型を創作なすったのです」と三代目を述懐している。 子に出征中戦病死した中村景章(「五代目中村芝雀」を追贈)がいる。四代目雀右衛門はその景章の親友だった関係から、雀右衛門家に位牌養子に入って四代目を襲名したという経緯がある。 Category:歌舞伎役者 Category:1875年生 Category:1927年没.

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中村梅玉 (2代目)

二代目 中村梅玉(にだいめ なかむら ばいぎょく、天保12年12月28日(1842年2月8日) - 大正10年(1921年)6月8日)は、幕末から明治、大正にかけて活躍した上方の歌舞伎役者。屋号は高砂屋。俳名に三雀・鶯声。本名は笹木 徳数(ささき のりかず)。 京五条の生まれ。生家は鋲造りの鍛冶職人。嘉永元年(1848年)大坂に移住。同年、女形として藤岡菊太郎とを名乗って竹田芝居で初舞台。2年後初代中村玉七の門人となって中村玉蔵を名乗る。慶応元年(1865年)五代目三枡大五郎の養子に迎えられ四代目三枡他人(みます たにん)を襲名した。 慶応3年(1867年)、来坂した二代目中村福助に認められてその門人となるが、福助はまもなく急死。福助人気をあてこんでいた興行師はその突然の客死に頭を抱え、窮余の策として年格好が似ており、しかも並ならぬ技量があった三枡他人に白羽の矢を立てる。この興行師の説得に折れるかたちで翌年三代目中村福助を襲名。ところが時をほぼ同じくして江戸でも二代目福助の高弟が三代目福助を襲名したため、期せずして東西に二人の福助が立つことになってしまった。これが以後100年間にわたって延々と続くことになる東京の成駒屋中村福助と大阪の高砂屋中村福助の並立である(詳細は「中村福助」の記事を参照)。 その後は東西の舞台で活躍するが、初代中村鴈治郎が台頭すると、率先して脇に廻りその相方をつとめるようになる。明治40年(1907年)10月、大阪角座にて二代目中村梅玉を襲名。以後、『河庄』の孫右衛門、『土屋主税』の宝井基角、『伊賀越道中双六・岡崎』の山田幸兵衛、『菅原伝授手習鑑・道明寺』の覚寿『絵本太功記・尼崎』の操などで鴈治郎を助けた。 口跡・容貌とも優れ、役柄も広く、融通無碍の演技力で、鴈治郎が昨日と違う演技をしても「又変わったんやな」とさらりと受け流す度量があり、そのうえ聞けば助言もしてくれる。まさに梅玉は鴈治郎にとってなくてはならない相方だった。老いてもかくしゃくとして、舞台は最晩年まで休むことなくつとめたが、大正10年(1921年)神戸の自宅で朝風呂に入浴中に心臓麻痺で死去。80歳の大往生だった。鴈治郎の落胆ぶりは端で見ていても気の毒になるほどで「もう『紙治』もなんも、でけしまへんがな」と呟くのがやっとだったという。 鴈治郎の女房役は、手塩にかけて育てた養子の三代目中村政次郎(のちの三代目中村梅玉)によって引き継がれた。 Category:歌舞伎役者 Category:山城国の人物 Category:京都府出身の人物 Category:1842年生 Category:1921年没.

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中村梅玉 (3代目)

三代目 中村 梅玉(さんだいめ なかむら ばいぎょく、1875年(明治8年)1月14日 - 1948年(昭和23年)3月18日)は、大正から戦前昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は高砂屋。定紋は祇園守、替紋は銀杏守。俳名に三雀。本名は笹木 伊之助(ささき いのすけ)。 初代中村鴈治郎の女房役者をつとめ、後には関西歌舞伎の長老として大梅玉(おおばいぎょく)と呼ばれた。.

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中村歌右衛門 (6代目)

六代目 中村 歌右衛門(ろくだいめ なかむら うたえもん、1917年(大正6年)1月20日 - 2001年(平成13年)3月31日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋は祇園守、替紋は裏梅。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は河村 藤雄(かわむら ふじお)、俳名は魁春(かいしゅん)。生涯を通じて歌舞伎に専念し、戦後の歌舞伎界における女形の最高峰と呼ばれた。歌舞伎と舞踊以外の演劇活動は行わず、映画やテレビドラマに出演することもなかった。.

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七瀬なつみ

七瀬 なつみ(ななせ なつみ、1967年3月23日 - )は、日本の女優・タレント。本名、若杉 美千代(わかすぎ みちよ)旧姓、滝沢(たきざわ)。埼玉県川口市出身。ケイセブン中村屋所属。.

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市川市蔵 (4代目)

四代目 市川 市蔵(よだいめ いちかわ いちぞう、明治元年10月15日(1868年11月28日) - 昭和19年(1944年)8月1日)は関西の歌舞伎役者。屋号は播磨屋。俳名に蝶升。本名は安部 楠松(あべ くすまつ/なんしょう)。初代中村鴈治郎の相手役として活躍した。 大阪北堀江の生まれ。明治10年 (1877)、二代目阪東壽三郎の門人となり阪東豊作を名乗る。明治22年 (1889) 10月には本名の安部楠松を名乗っていたが、明治23年 (1890) 11月角座において四代目市川市蔵を襲名。以降関西歌舞伎において活躍する。 当たり役に『桜鍔恨鮫鞘』(鰻谷)の古手屋八郎兵衛、『戀飛脚大和往來・封印切』の八右衛門、『心中天網島・河庄』の孫右衛門などがある。特に八右衛門と孫右衛門は初代鴈治郎の十八番である忠兵衛(封印切)、治兵衛(河庄)の脇を固める重要な役どころで、市蔵はこれを見事に勤めた。口跡に難があり演技面でもうまくなかったといわれているが、一代の名優を助ける名相方として評価を上げたのである。 なお『封印切』はSPレコードの録音版がある。市蔵は八右衛門で、初代鴈治郎の忠兵衛、中村魁車の梅川、三代目中村梅玉のおえんと舞台を勤めており、その芸風を偲ぶことができる。 晩年は関西歌舞伎の長老として重きを成した。   Category:歌舞伎役者 Category:1868年生 Category:1944年没.

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市川箱登羅 (初代)

初代 市川箱登羅(しょだい いちかわ はことら、1867年(慶応3年) - 1944年(昭和19年)4月24日)は大阪の歌舞伎役者。 はじめ東京で活躍していたが、明治28年 (1895)、大阪の初代中村鴈治郎の門下に。その後は鴈治郎の大番頭として活躍、その死後は子の四代目中村翫雀(二代目鴈治郎)を支える。 あくの強い容貌と芸風で、端敵や道化役にいい味を出した。演劇評論家の山田庄一は「あの優は顔はもちろん美男ではなく、愛嬌があるというものでもなかった。それでいて、あの独特の軽さは、東京の名人松助(四代目尾上松助)と同様な評価を与えても、決して過ぎはしないだろう。・・・関西の、最近の名人と称しても過言ではあるまい。」と評している。(山田庄一『上方芸能今昔がたり』岩波書店 2013) 昭和19年(1944年)3月大阪歌舞伎座『松平長七郎』の庭番が最後の舞台となる。『仮名手本忠臣蔵』の鷺坂伴内、『伊賀越道中双六・岡崎』の蛇の目眼八、『心中天網島・河庄』の太兵衛、『椀久末松山』の柴田定之進などを当たり役とした。 彼の残した『市川箱登羅日記』は明治時代の役者の生活を語る貴重な資料となっている。.

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市村羽左衛門 (17代目)

十七代目 市村 羽左衛門(じゅうしちだいめ いちむら うざえもん、1916年(大正5年)7月11日 - 2001年(平成13年)7月8日)は、昭和から平成にかけての歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は坂東 衛(ばんどう まもる)。俳名に可江。舞踊の名取は藤間 善蔵(ふじま ぜんぞう)。 派手さはないが堅実な芸風をもった立役として時代物・世話物で模範的演技を見せ、晩年は「歌舞伎の生き字引」とまで呼ばれた。また大名跡「市村羽左衛門」を襲名した後も、自身は五代目菊五郎の孫であり、六代目菊五郎の甥である立場から、尾上菊五郎家のお家芸を守る一人として菊五郎劇団で重きをなし、二代目尾上松緑や七代目尾上菊五郎を長く支えた。.

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広末保

廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 1993年10月26日)は、法政大学教授。日本の近世文学研究者、演劇評論家。.

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心中

心中(しんじゅう、旧仮名遣い:しんぢゆう)とは、本来は相思相愛の仲にある男女が双方の一致した意思により一緒に自殺または嘱託殺人すること。情死とも。.

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心中天網島 (映画)

『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)は、1969年5月24日に公開された、表現社とATG製作の日本映画。監督は篠田正浩で、彼が自身のプロダクションである表現社とATGで製作した作品。近松門左衛門の人形浄瑠璃『心中天網島』の映画化で、篠田と富岡多恵子、武満徹の3人が脚本を書いた。 劇中に黒子が登場したり、大きな字や浮世絵が描かれた壁や床のセットなど、様々な実験的な演出が行われており、浄瑠璃と歌舞伎の雰囲気を色濃く漂わせる作風となっている。 この年のキネマ旬報ベストテン第1位にランクインされたほか、毎日映画コンクール日本映画大賞などに選ばれた。.

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心中物

心中物(しんじゅうもの、歴史的仮名遣:しんぢゆうもの)とは、心中や情死を題材とした江戸時代の人形浄瑠璃・歌舞伎・歌謡のジャンルのひとつ「心中物」世界大百科事典2版。近松門左衛門の人形浄瑠璃で知られる。.

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北野恒富

北野 恒富(きたの つねとみ、明治13年〈1880年〉5月28日 - 昭和22年〈1947年〉5月20日)とは、明治から昭和前期にかけての浮世絵師、日本画家、版画家。本名は北野富太郎、夜雨庵とも号した。.

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北新地

北新地(きたしんち)は、大阪府大阪市北区の歓楽街。 また、本項目では北区の町名である曽根崎新地についても述べる。現行行政地名は曾根崎新地一丁目から二丁目まで。2010年10月1日現在の人口は219人、世帯数は280世帯。郵便番号は530-0002。.

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嵐三右衛門 (11代目)

称十代目 嵐三右衞門(しょう じゅうだいめ あらし さんえもん、新字体:〜衛門、1906年(明治39年)10月23日 - 1980年(昭和55年)7月17日)は関西の歌舞伎役者。屋号は津の國屋。定紋は八角小の字、替紋は橘の三重ね。本名は大川 實(おおかわ みのる)。十一代目 嵐三右衞門(じゅういちだいめ あらしさんえもん)としても知られる。 大阪生まれ。はじめ三代目中村梅玉門人で、明治45年(1912年)大阪浪花座で中村福萬壽を名乗って初舞台。昭和4年(1929年)、大阪中座『二人袴』の雛鶴で七代目中村駒之助を襲名。昭和23年(1948年)正月大阪中座復興杮落しの『雪女五枚羽子板』で大名跡・嵐三右衛門を襲名した。三右衛門代々としては「十一代目」のはずなのだが、本人は一貫して「十代目」を称してはばからなかった。 立派な風貌で人気を集めていたが、関西歌舞伎が衰退する中、昭和29年(1954年)宝塚新芸座に移籍、大衆演劇の世界に入る。ここでは座頭として活躍。桂春坊(二代目露の五郎兵衛)や笑福亭松之助ら若手落語家と舞台をともにしたこともある。 昭和33年(1958年)には宝塚映画に参加。その後歌舞伎の舞台に復帰した。主に二代目中村鴈治郎の相方を勤め、『心中天網島・河庄』の太兵衛や『梶原平三誉石切』(石切梶原)の呑助などの脇役が好評だったが、往年の精彩はなかった。 Category:歌舞伎役者 Category:大阪府出身の人物 Category:1906年生 Category:1980年没.

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嵐芳三郎 (6代目)

六代目嵐芳三郎(ろくだいめ あらし よしさぶろう、1935年8月22日 - 1996年8月22日)は、前進座の歌舞伎役者・俳優。屋号は豊島屋。旧芸名は嵐芳夫。東京都出身。本名は寺田敏晃。 五代目嵐芳三郎の長男。弟に嵐圭史、声優の麦人、妹に女優の寺田路恵、シャンソン歌手の広瀬節子。長男が六代目河原崎國太郎、次男が七代目嵐芳三郎。.

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ウェルテル効果

ーテ 『若きウェルテルの悩み』初版 ウェルテル効果()とは、マスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増える事象を指し、これを実証した社会学者のDavid P. Phillipsにより命名された平成15年度厚生科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)自殺と防止対策の実態に関する研究研究協力報告書。特に若年層が影響を受けやすいとされる。 「ウェルテル」は、ゲーテ著の『若きウェルテルの悩み』(1774年)に由来する。本作の主人公、ウェルテルは最終的に自殺をするが、これに影響された若者達が彼と同じ方法で自殺した事象を起源とする(横浜市立大学医学部精神医学教室)。なお、これが原因となり、いくつかの国家でこの本は発禁処分となった。ただし、実在の人物のみならず、小説などによるフィクションの自殺も「ウェルテル効果」を起こすか否かについては諸説分かれている。.

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ザ歌舞伎

歌舞伎(ざかぶき)は、1976年にオーストラリア国立大学の学生により設立された歌舞伎一座。正式名称はANU Za KABUKI (豪州国立大学座歌舞伎)。日本国外の歌舞伎の一座としては最も長期間継続している。.

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元禄文化

尾形光琳筆 「燕子花図屏風」 元禄文化(げんろくぶんか)とは、江戸時代前期、元禄年間(1688年 - 1704年)前後の17世紀後半から18世紀初頭にかけての文化。 17世紀中ごろ以降の日本列島は、農村における商品作物生産の発展と、それを基盤とした都市町人の台頭による産業の発展および経済活動の活発化を受けて、文芸・学問・芸術の著しい発展をみた深井(2012)pp.12-15高埜「元禄の社会と文化」(2003)pp.85-90。とくに、ゆたかな経済力を背景に成長してきた町人たちが、大坂・京など上方の都市を中心にすぐれた作品を数多くうみだした深谷(2000)pp.80-89。そこでは庶民の生活・心情・思想などが出版物や劇場を通じて表現された。ただし、その担い手は武士階級出身の者も多かった尾藤『元禄時代』(1975)pp.16-25。また、同じ上方でも京より大坂に重心がうつると同時に、文化の東漸運動も進展し、江戸・東国が文化に占める重要性が高まっていく端緒となった原田 他(1981)p.247。 元禄文化は、しばしば「憂き世から浮世へ」と称せられるように、現世を「浮世」として肯定し、現実的・合理的な精神がその特徴とされる尾藤『元禄時代』(1975)pp.26-51小澤(1993)pp.60-69。もとより貴族的な雅を追求する芸術の成果も一方には存在したが、「民勢さし潮のごとく」と評された民衆の情緒を作品化したものが多く、世間(社会)の現実をみすえた文芸作品もうみ出された。とりわけ、小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門は日本文学史上に燦然と輝く存在である。また、実証的な古典研究や実用的な諸学問が発達し、芸術分野では、日本的な装飾画の様式を完成させたとされる尾形光琳や浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれ、従来よりも華麗で洗練さを増した美術工芸品もまた数多くつくられた。音楽では生田流箏曲や新浄瑠璃、長唄などの新展開がみられた。さらに、音曲と組み合わせて視聴覚に同時に訴えかける人形浄瑠璃や歌舞伎狂言も、この時代に姿がととのえられた。元禄時代は、めざましい創造の時代だったのである。 なお、日本における1960年代の高度経済成長期の文化隆盛を指すものとして、「昭和元禄」(しょうわげんろく)という言葉が生まれている1964年に政治家福田赳夫が言いだした、経済成長下での天下泰平・奢侈安逸の風潮を評した言葉。。.

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玩辞楼十二曲

玩辞楼十二曲(がんじろうじゅうにきょく)とは、初代中村鴈治郎が撰んだ成駒屋(中村鴈治郎家)のお家芸のこと。.

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祐田善雄

善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13日 - 1973年(昭和48年)8月23日)は、国文学者、浄瑠璃・歌舞伎研究者。 大阪出身。京都帝国大学文学部国文科卒。天理大学教授を務めた。.

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稲荷來明

荷 來明(いなり らいあ、(本名、中山 明)、1971年11月18日 - )は、東京都板橋区出身の日本の舞台俳優。大衆演劇の演劇作家。血液型A型。身長178cm.

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竹本越路大夫

竹本 越路大夫(たけもと こしじだゆう)は、江戸時代後期以来の文楽義太夫節の太夫。4代を数える。.

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竹本政太夫

竹本 政太夫(たけもと まさたゆう)は、義太夫節の太夫。竹本派でも重要な名跡。.

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網島

網島(あみじま)は、.

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網島駅

網島駅(あみじまえき)は、かつて大阪市の院鉄桜ノ宮線(一部区間廃止後、片町線に編入)上に存在した鉄道駅(廃駅)である。.

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義太夫節

義太夫節(ぎだゆうぶし)とは、江戸時代前期、大坂の竹本義太夫がはじめた浄瑠璃の一種。略して義太夫(ぎだゆう)ともいう。国の重要無形文化財。.

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田中澄江

中 澄江(たなか すみえ、旧姓:辻村、1908年4月11日 - 2000年3月1日)は、日本の脚本家、著作家。中野区教育委員も務めた。また、山を愛していて「花の百名山」を選んだことでも知られる。東京都名誉都民。夫は劇作家の田中千禾夫。小学校時代の同級生に川島芳子がいる。日本ペンクラブ、日本演劇協会、日本文芸家協会、日本放送作家協会、各会員日外アソシエーツ現代人物情報。 長男・聖夫(たかお)の妻は画家の三田恭子(日本初の女性刑務所長・三田庸子の娘)。.

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牧田正嗣

牧田 正嗣(まきた まさつぐ、1933年1月1日 - 1991年)は日本の俳優。北海道出身。1955年に劇団中芸に入団。東京芸術座出身。東映や独立企画に所属。北海道北見北斗高等学校卒。.

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片岡功

片岡 功(かたおか いさお、1955年3月7日 - )は、日本の俳優。本名・松原正憲(まつばら まさのり)。旧芸名・片岡正太郎(かたおか まさたろう)、松原正之介(まつばら しょうのすけ)。東京都港区赤坂出身。祖父は歌舞伎俳優・13代目・片岡仁左衛門。15代目・片岡仁左衛門は叔父。父は清元節三味線の人間国宝・四世清元梅吉。.

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片岡孝太郎

片岡 孝太郎(かたおか たかたろう、1968年(昭和43年)1月23日 - )は、日本の歌舞伎役者、俳優。屋号は松嶋屋。定紋は追っかけ五枚銀杏。本名は片岡 康雄(かたおか やすお)。 京都府出身。父は十五代目片岡仁左衛門。妹が女優の片岡サチと片岡京子、長男に片岡千之助がいる。 若女形としてめざましい活躍を見せ、歌舞伎界の新世代のひとりとして活躍する一方、歌舞伎以外の映画・テレビドラマでも俳優として活動の幅を広げている。.

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片岡秀太郎 (2代目)

二代目 片岡 秀太郎(にだいめ かたおか ひでたろう、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、俳優、歌舞伎役者。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割り丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。本名は片岡 彦人(かたおか よしひと)。 大阪府大阪市生まれ。十三代目片岡仁左衛門の次男。1946年(昭和21年)10月京都南座で『吉田屋』の禿役で本名の片岡彦人で初舞台。1956年(昭和31年)3月大阪歌舞伎座の『河内山』の浪路で二代目片岡秀太郎を襲名。 上方色の濃い柔らか味の有る女形として活躍中。女形では、『道明寺』の立田、『輝虎配膳』のお勝などの時代物、『心中天網島・河庄』の小春、『封印切』の梅川、『雁のたより』のお玉などの上方世話物のほか『仮名手本忠臣蔵』の力弥、『車引』の桜丸などの若衆役も得意とする。古風な女形を演じて秀逸との評価が高い。 女優高田美和と結婚するも子供に恵まれなかったことや秀太郎に起因したといわれる諸々の問題から不和となり破局、後年現在の夫人と再婚。2人の女児を授かる。 兄が五代目片岡我當。弟が十五代目片岡仁左衛門。養子に六代目片岡愛之助がいる。関西歌舞伎塾の講師として上方歌舞伎の人材育成にも努めている。.

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片岡我童 (13代目)

十三代目 片岡我童(じゅうさんだいめ かたおか がどう、明治43年(1910年)7月6日 - 平成5年(1993年)12月31日)は歌舞伎役者。本名は片岡 一(かたおか はじめ)。十三代目片岡仁左衛門とともに不振の上方歌舞伎の復興につとめ、また女形としても活躍した。 死後十四代目 片岡仁左衛門(じゅうよだいめ かたおか にざえもん)を追贈された(歴代仁左衛門では唯一の真女形)。.

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音尾琢真

音尾 琢真(おとお たくま、1976年3月21日 - )は、日本の俳優、タレント。北海道旭川市出身。CREATIVE OFFICE CUE(業務提携先はアミューズ)、演劇ユニットTEAM NACS所属。.

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荒木繁

荒木 繁(あらき しげる、1922年 - )は、国文学者、和光大学名誉教授。 茨城県生まれ。1947年東北帝国大学法文学部国文科卒。同大学副手。東京都立西高等学校教諭、和光大学人文学部教授。93年定年退任、名誉教授。語り物文芸、国語教育を専門とする。.

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駆け落ち

駆け落ち(かけおち)は、愛し合っている男女が一緒になることを親によって許されない事情があり、親の知らないところで同棲生活をするために一緒に逃げること。.

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高瀬一樹

一樹(たかせ かずき、1959年9月8日 - )は、日本の演出家。.

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黒衣

黒衣(くろご)は、歌舞伎や人形浄瑠璃で、観客からは見えないという約束事のもとに舞台上に現われ、後見として役者や人形遣いを助けたり、小道具を役者に渡したり舞台から下げたりする係。また彼らが着用する黒づくめの特殊な衣装のこと。黒具(くろぐ)ともいう。 黒子(くろこ)ともいうが、「黒子」は当て字、「くろこ」は訛読で、どちらも正しくはないものが慣用化して一般に定着してしまったものである(本来は「黒子」と書いて「ほくろ」と読む)。.

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黒木勘蔵

黒木勘蔵(くろき かんぞう、1882年9月10日 ‐ 1930年10月8日)は、日本近世文学研究者。 長野県諏訪郡玉川村(茅野市)出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)、長野師範学校を経て、1908年早稲田大学卒。高野辰之の下で、東京音楽学校邦楽調査部で近世邦楽を研究、のち早稲田大学文学部講師。1925年東京高等師範学校教授。浄瑠璃および元禄歌舞伎を研究。.

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近松門左衛門

近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。 家紋は「丸に一文字」。.

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関西歌舞伎

上方歌舞伎(かみがたかぶき).

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藤田美術館

藤田美術館(ふじたびじゅつかん) は、大阪市都島区網島町にある、東洋古美術を中心とした大阪府の登録博物館である。常設展示は行っておらず、春と秋に3か月ずつ企画展の形でのみ開館するのが特徴である。運営は、公益財団法人藤田美術館。.

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藤田邸跡公園

藤田邸跡公園(ふじたていあとこうえん)は、大川左岸の大阪市都島区網島町に位置する都市公園である。北に隣接している桜之宮公園の一部となっている。敷地面積は約16000平方メートル。.

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藤野義雄

藤野 義雄(ふじの よしお、1904年9月18日 - 1998年11月2日)は、歌舞伎研究者。 岐阜県恵那郡上村(現・恵那市)出身。東洋大学文学部卒。1961年「近松の世話悲劇の研究」で東洋大学文学博士。金城学院大学教授、中京大学教授、御園座図書館長を務めた。.

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里中満智子

里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日 - )は、日本の漫画家、大阪芸術大学教授。大阪府大阪市出身。.

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若杉宏二

若杉 宏二(わかすぎ こうじ、1962年11月16日 - )は、日本の俳優である。長崎県出身。流山児★事務所団員。クリオネ所属。身長:172cm、体重:62kg。.

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桜橋 (大阪市北区)

桜橋(さくらばし)は、現在の大阪府大阪市北区曽根崎新地に明治末期まで存在した曽根崎川(通称:蜆川)に架かっていた橋である。.

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橋づくし

『橋づくし』(はしづくし)は、三島由紀夫の短編小説。銀座や築地界隈を舞台に、陰暦8月15日 の満月の夜に7つの橋を渡り願掛けをする4人の女たちの悲喜交々を、数学的な人工性と古典的な美学とを巧妙に組み合わせて描いた作品である「『橋づくし』について」(西川会上演プログラム 1959年4月)。に所収「『橋づくし』について」(新派プログラム 1961年7月)。に所収 前田愛「三島由紀夫『橋づくし』築地」(本の窓 1982年1月号)。に所収。誰が最後まで橋渡りに成功するかの道行からオチの意外性、優れた技巧と構成で、多くの文芸評論家や作家から、短編の傑作として高い評価を受けた「第三章 問題性の高い作家」()勝又浩「橋づくし」()鈴木靖子「橋づくし」()。 1958年(昭和33年)10月には、三島が書いた舞踊用台本で舞踊劇が上演され、1961年(昭和36年)7月には新派で劇化上演された。1967年(昭和42年)度のフォルメントール国際文学賞 (Formentor Literature Prize)で第2位を受賞した英訳の短編集『真夏の死 その他』(“Death in Midsummer and other stories”)の中の一作となっている久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」()。.

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死神 (日本)

死神(しにがみ)は、人間を死に誘う、または人間に死ぬ気を起こさせるとされる神。死に神とも書かれる。本項では日本の宗教、古典、民間信仰、大衆文化における死神について記述する。日本以外の神話や民間伝承上の死神については「死神」の項を参照。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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歌舞伎の演目一覧

歌舞伎の演目一覧(かぶきの えんもく いちらん)では、歌舞伎の代表的な演目をあげる。 以下一覧中:.

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毎日映画コンクール

毎日映画コンクール(まいにちえいがコンクール)は、1946年に創設された、毎日新聞社やスポーツニッポン新聞社などが主催する映画の賞である。.

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深津絵里

深津 絵里(ふかつ えり、1973年1月11日 ‐ )は、日本の女優。大分県大分市出身。アミューズ所属。母は書家の深津諭美子。愛称は「ふかっちゃん」。.

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清元榮壽郎

清元 榮壽郞(きよもと えいじゅろう、新字体:栄寿郎、1904年4月21日 - 1963年3月10日)は、大正・昭和中期に活躍した清元節三味線方。本名は宮川 源次。大和楽では、本名や宮川寿朗(大和栄棋)の名で活動した。.

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湯女

湯女(ゆな)とは、江戸時代初期の都市において、銭湯で垢すりや髪すきのサービスを提供した女性である。中世には有馬温泉など温泉宿において見られ、次第に都市に移入された。当初は垢すりや髪すきのサービスだけだったが、次第に飲食や音曲に加え売春をするようになったため、幕府はしばしば禁止令を発令し、江戸では明暦3年(1657年)以降吉原遊郭のみに限定された。禁止後は、三助と呼ばれる男性が垢すりや髪すきのサービスを行うようになり、現代に至る。あかかき女、風呂屋者(ふろやもの)などの別称で幕府の禁止令を逃れようとした歴史があった。.

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有害情報

有害情報(ゆうがいじょうほう)とは、以下のものを指す。.

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成人映画

太陽の季節』(「成人向映画」、1956年)。 成人映画(せいじんえいが)は、日本のレイティングシステムによる映画のジャンルであり、映画倫理委員会(映倫)、あるいはその前身の映画倫理規程管理委員会が、「18歳未満の者の鑑賞には不適当」と認め「成人向け」と指定した映画群である''成人映画''、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年6月14日閲覧。''成人映画''、大辞林 第三版、コトバンク、2012年6月14日閲覧。。18歳未満の入場が制限される。時代・社会情勢によってその定義、範疇は変化しており、必ずしも「ポルノグラフィックな映画」「ポルノ映画」を意味せず、「反社会的な映画」「残虐な映画」として「成人映画」に指定される作品も存在する。 2009年(平成21年)4月23日に映倫が制定した、現行の「映画倫理綱領」および「映画の区分と審査方針」には、「成人映画」「成人向け」の表現は存在しない''映画倫理綱領''、映画倫理委員会、2009年4月23日制定、2012年6月14日閲覧。''映画の区分と審査方針''、映画倫理委員会、2009年4月23日制定、2012年6月14日閲覧。。.

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明治十八年の淀川洪水

明治十八年の淀川洪水(めいじじゅうはちねんのよどがわこうずい)は、1885年(明治18年)6月中旬から7月にかけて続いた淀川の洪水のことである。明治大洪水とも言う。.

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浮世絵

浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。本来、「浮世」という言葉には「現代風」「当世」「好色」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。大別すると、版本の挿絵、一枚摺の木版画、肉筆浮世絵の3種類に分けられる。当然、木版画が量産されるようになる以前には肉筆画のみしか存在しなかったわけで、巻物などの肉筆浮世絵が含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。また、浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行して行った。広義には引き札、鏝絵、泥絵、ガラス絵、凧絵 ねぶた絵なども浮世絵の一種といえる。ただし、現代においては一般的には多色摺りの木版画錦絵のことを指すことが多い。.

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新国立劇場

新国立劇場(しんこくりつげきじょう、英語:New National Theatre, Tokyo)は、東京都渋谷区本町一丁目にある歌劇場、劇場である。日本芸術文化振興会が設置し、公益財団法人新国立劇場運営財団が委託を受けて運営をしている。オペラ劇場、中劇場、小劇場の3つの劇場が設けられ、オペラ、バレエ、現代舞踊、演劇の自主公演が行われている。.

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文楽

文楽以外の人形浄瑠璃である。 『静御前』 JR新大阪駅 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地とする人形浄瑠璃の系譜。 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。2003年ユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への掲載、そしてユネスコ無形文化遺産保護条約が発効した2009年9月の第1回登録であらためてユネスコの無形文化遺産に登録された。2017年現在は公益財団法人文楽協会を公演団体とし、大阪市の国立文楽劇場を中心に公演を行っている。 1684年、古浄瑠璃を独自に発展させた「義太夫節」の始祖である竹本義太夫が、大坂に「竹本座」を建て、自らの義太夫節の演奏と人形による三業(後述)での人形浄瑠璃の興行を始めた。その後、竹本義太夫の弟子が独立し豊竹若太夫を名のって興した「豊竹座」と競うなど、隆盛の時代には複数の興行元を数えたが、明治初期には興行元が「彦六座」と「文楽座」の2座のみとなった。その後に彦六座が解散、興行が文楽座のみとなったため、「文楽」という2字の名称が、すべての人形浄瑠璃の代表的存在、ならびにその代名詞と化したものである。 なお、文楽および文楽座という名称の直接的由来は、兵庫県淡路出身の植村文楽軒という人物が興行元であった上述の文楽座ではあるが、前述どおり、義太夫節の始祖が大坂で直接成立させた人形浄瑠璃の一形態の系譜であるため、人形浄瑠璃文楽を成立させた源流=淡路ということではない(淡路には淡路人形浄瑠璃が存在する)。 しかしながら、大坂で成立したその「義太夫節+人形」という人形浄瑠璃の系譜をしめす呼称がない(あるいは消失してしまっている)ため、その系譜を示す語の実例として、たとえば現在の人形浄瑠璃文楽の技芸員における演奏的特徴を示す語として「文楽系」と呼ぶことがある(それに呼応する語には「彦六系」などがある)。 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)は日本の伝統芸能で、浄瑠璃と人形によって演じられる人形劇。明治以降、文楽座が一定規模以上の人形浄瑠璃の公演を行う唯一の公演団体となったため、「文楽」の名称が人形浄瑠璃と同義に用いられる場合もある。 この記事では文楽を中心に、文楽系統の成立以前の人形浄瑠璃、および文楽以外の人形浄瑠璃についても説明する。「人形浄瑠璃」については浄瑠璃も参照のこと。.

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日本の近世文学史

日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)では、江戸時代(近世)の日本文学の歴史を述べる。.

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日本の映画作品一覧

日本の映画作品一覧(にほんのえいがさくひんいちらん)は、日本語版ウィキペディア内に記事のある、日本映画のタイトルの一覧である。括弧内は制作年を示す。.

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日本アート・シアター・ギルド公開作品の一覧

日本アート・シアター・ギルド公開作品の一覧は、日本アート・シアター・ギルド (ATG) で公開された映画を、ATGでの封切年月順に並べた一覧である。 ATGが製作・配給のどちらか一方だけ関わった作品も含む。.

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愛の劇場〜男と女はトメラレナイ〜

『愛の劇場〜男と女はトメラレナイ〜』(あいのげきじょう おとことおんな- )は、NHK教育テレビのテレビ番組である。.

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曽根崎川

曽根崎川(そねざきがわ)は、大阪府大阪市北区・福島区にかつて存在した河川である。別名は蜆川(しじみがわ)。.

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曽根崎心中

露天神の境内にあるブロンズ像 『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう/旧字曾根崎心中、そねざきしんぢゅう)は世話物浄瑠璃(江戸時代における現代劇浄瑠璃)。一段。近松門左衛門作。1703年(元禄16年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。 「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる有名な道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。.

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10月14日 (旧暦)

旧暦10月14日(きゅうれきじゅうがつじゅうよっか)は、旧暦10月の14日目である。六曜は大安である。.

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11月13日

11月13日(じゅういちがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から317日目(閏年では318日目)にあたり、年末まであと48日ある。.

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12月6日 (旧暦)

旧暦12月6日(きゅうれきじゅうにがつむいか)は旧暦12月の6日目である。六曜は大安である。.

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1969年

記載なし。

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1969年の映画

1969年の映画(1969ねんのえいが)では、1969年(昭和44年)の映画分野の動向についてまとめる。.

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1969年の日本公開映画

『1969年の日本公開映画』 (1969ねんのにほんこうかいえいが) は、1969年 (昭和44年) 1月1日 - 12月31日までに日本で封切り公開された映画の一覧である。一般劇場公開のみで、映画祭などイベント上映を除く。タイトル後のカッコ内は製作国。.

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