ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

マシュー・スターリング

索引 マシュー・スターリング

マシュー・ウィリアムズ・スターリング(Matthew Williams Stirling、1896年8月28日 - 1975年1月23日)は、アメリカ合衆国の考古学者、人類学者。スミソニアン博物館員として主にメキシコ南部、中央アメリカ、南アメリカの発掘調査を行った。オルメカ文明研究の草分けとして知られる。.

5 関係: トレス・サポーテスオルメカオシュトティトラン洞穴スターリングセロ・デ・ラス・メーサス

トレス・サポーテス

トレス・サポーテス石碑C(裏面) オルメカ文化が栄えた領域 トレス・サポーテス遺構配置図 トレス・サポーテス(スペイン語:Tres Zapotes)は、メキシコ湾岸南部、メキシコ合衆国ベラクルス州に位置するオルメカ文明終末期の遺跡。メキシコシティから南東390km、の北西約160kmに位置し、パパロアパン川とサン・ファン川が形成した沼がちな盆地の低い丘の上に立地する。流れの堤に沿って3kmにわたって約50の土のマウンドが並ぶ。長期暦が使用され始めた初期の7.16.6.16.18.(紀元前32年)の日付を示す石碑Cで有名な遺跡である。 1939年、1940年に、アメリカ人民俗学・考古学者のマシュー・スターリングらが発掘調査を行っている。遺跡は祭祀センターとして、紀元前800年頃から紀元前後にかけて繁栄したと考えられているが、出土した土器片及び土偶について、型式学的、層位学的な編年研究が行なわれた結果、単色の土器を主とした下層(紀元前800年頃 - 紀元前300年頃、Lower TZ、またはTZ1期)、多彩色土器が出土し始める中層(紀元前300年頃 - 300年頃、Middle TZ、またはTZ2期)、メキシコ中央高原のテオティワカンの影響を受けた土器や土偶の出土する上層(300年頃 - 600年頃、Upper TZ、またはTZ3期)、さらに後古典期前期のソンカウトラ・コンプレックス(600年頃以降、Soncautla Complex、またはTZ4期)の4時期に区分されることになった。TZ1期の土器や土偶から、ラ・ベンタと同時代からの古い住居があったことが判明している。巨石人頭像も2基確認されている。.

新しい!!: マシュー・スターリングとトレス・サポーテス · 続きを見る »

オルメカ

ン=ロレンソ記念碑1号。代表的な巨石人頭像 オルメカ(Olmeca)は、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化・文明である。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる国本伊代『メキシコの歴史』新評論、2002年、37-39ページ。。.

新しい!!: マシュー・スターリングとオルメカ · 続きを見る »

オシュトティトラン洞穴

ュトティトラン洞穴をはじめとするオルメカ遺跡の位置 オシュトティトラン洞穴に描かれた壁画の位置図 オシュトティトラン洞穴(オシュトティトランどうけつ、Oxtotitlan cave)は、メキシコ、ゲレロ州にあるオルメカ様式の壁画で知られる奥行きが浅い洞穴遺跡である。壁画は図示したように洞穴の入り口付近に集中している。オシュトティトランの名称は、洞穴から2km西方にあるアカティトランの住民による呼称で、ナワトル語で「穴のある場所」という意味である。同じく壁画で知られるフストラワカ洞窟 (Juxtlahuaca cave) から北方30kmの地点に位置する。発見当時は、ゲレロ州の州都チルパンシンゴから舗装のない悪路を東方に44km進んだ場所にあった。 オシュトティトランの洞穴遺跡は、険しい崖の壁面にある大きな開口部をもつわりに奥行きのない南北二つの洞穴で構成されている。オシュトティトランには3種類の異なったタイプの壁画が見られる。崖の壁面の2箇所に9m2以上にわたって多彩色の壁画(Mural)が見られる。北洞穴(North Grotto)には小さめの黒色の壁画(Painting)が多数見られ、1~9までのグループ番号がつけられている。南洞穴(South Grotto)に描かれた壁画はA,B,Cの3つのグループに分けられシンプルなデザインに赤色が用いられている。これらの壁画についてはスタイルだけでなく、意味も考えるべきであるがその解釈をめぐっては、はげしい論争がある。 オシュトティトランの壁画は、下地に樹脂かあるいはシソ科サルビア属の草であるチーアの実(種子を水に漬けると粘液質が膨潤し、これを絵具のメディウムとして用いることができる)ないし動物の脂肪などの油をベースに多彩色の鉱物質の顔料を用いて描いたと考えられる。.

新しい!!: マシュー・スターリングとオシュトティトラン洞穴 · 続きを見る »

スターリング

ターリン.

新しい!!: マシュー・スターリングとスターリング · 続きを見る »

セロ・デ・ラス・メーサス

・デ・ラス・メサス、石碑6号 セロ・デ・ラス・メサス(Cerro de Las Mesas)は、メキシコ、ベラクルス州南部に所在する遺跡で、トレス・サポーテスからは、西北西約100km、アルバラード湾の西方24km、ブランコ川の南沿岸の沼沢地とその無名の支流にかこまれたやや小高い砂の高まりの上に立地する。 この沼沢地は、雨季である6月から12月にかけては水浸しになり、通行不能で、居住に適さないような湿地であるが、乾季には、かわいて現在では良好な牧草地として利用される。この沼沢地には、やや小高い砂地の高まりが分布しており、その高さは、一見しただけではどれほど高いのかわからない程で、一番高低差があるものでも45~60cmほどしかない。このような高まりは雨季になると、この沼沢地に「島」のようにあちらこちらに点在するようになる。このような沼沢地の地形が数平方キロメートルにわたって広がっており、そのような高まりのなかでも比較的おおきなものの上にセロ・デ・ラス・メサスのマウンド群が立地している。 1941年にマシュー・スターリング(Stirling, Matthew W.)とフィリップ・ドラッカー(Drucker, Philip)によって率いられたスミソニアン研究所の調査隊によって、先古典期中期から後古典期後期までの層位が確認された他、多数の石碑や石彫、翡翠製品が確認された。石碑や石彫には、オルメカの伝統を受け継いだジャガー=人間が顔の下半分につけた仮面に表現されたり、頭飾りにつけている神官のような人物が刻まれる。またこれらの石碑のなかには長期暦を刻んでいるものがあり、石碑6号には、9.1.12.14.10(468年)、石碑8号には、9.4.18.16.8(533年)の日付がみられる。 石碑、石彫に刻まれた文字には、オアハカ州のモンテ・アルバンの石碑にみられるサポテカ文字に由来するものも散見される一方、イサパ様式やコツマルワパ様式の影響を受けていると思われるものもみられる。トウシュトラの小像に似たカモの嘴をもった怪人像も発見されている。なお、特記すべきなのは782点というおびただしい量の翡翠の石彫が古典期前期の段階で一時的に埋められているのが確認されたことである。これらの翡翠製品のなかには、グアテマラのマヤ高地、 モンテ・アルバンの影響を受けたものや一定量のオルメカの伝統を忠実に受け継いでいるものがみられる。これらの翡翠製品は、オルメカのように儀式を行う際に用いられたと推定されている。セロ・デ・ラス・メサスは、古典期前期段階で、テオティワカンの影響を強く受けており、円筒型三足土器、カンデレロ、雨神トラロック神の顔を様式化した壷、テオティワカンではおなじみの神々を模した土偶などの出土がみられた。.

新しい!!: マシュー・スターリングとセロ・デ・ラス・メーサス · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »