ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

得浄明院と浄土宗

ショートカット: 違い類似点ジャカード類似性係数参考文献

得浄明院と浄土宗の違い

得浄明院 vs. 浄土宗

得浄明院(とくじょうみょういん)は、京都府京都市東山区にある無宗派の単立寺院。無宗派ではあるが、浄土宗鎮西派の特別寺院となっている。信州善光寺大本願の京都別院でもある。 明治27年(1894年)9月、京都市東山の知恩院の西側、かつて知恩院入道親王の住坊であった華頂殿跡の敷地に、善光寺大本願の京都別院の尼寺として建立される。 開山は善光寺大本願第117世誓圓尼(伏見宮邦家親王第3王女、幼名真喜宮)。誓圓尼は、関西や西日本の人々が、信州までお参りするのはなかなか大変なことであるため、関西の近くで善光寺如来の仏縁を人々に結ばせたいと発心し、善光寺の別院の建立を思い立った。そこで、京都に住んでいた元天台座主でもある兄の久邇宮朝彦親王に相談した結果、その計らいによって空き地となっていた華頂殿敷地の大部分を、明治15年(1882年)6月、賛同した知恩院管長の大徳、養鸕徹定が誓圓尼に寄進し、善光寺別院の建立の端が発せられた。 本尊は善光寺の一光三尊阿弥陀如来の分身を安置している。また善光寺同様に戒檀巡りができるようになっている。 開山上人である誓圓尼は、明治43年(1912年)12月12日、得浄明院において83歳で示寂。遺骨は知恩院山内一心院に埋葬された。. #伝統宗派としての浄土宗。浄土宗諸派の総称としての浄土宗。鎮西派と西山派に分かれる。.

得浄明院と浄土宗間の類似点

得浄明院と浄土宗は(ユニオンペディアに)共通で6ものを持っています: うがい徹定京都市京都府善光寺知恩院東山区

うがい徹定

養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日(1814年5月4日) - 明治24年(1891年)3月15日)は、幕末・明治期の浄土宗僧侶・仏教史家。 筑後国久留米にて久留米藩士鵜飼万五郎政善・久保氏の次男に生まれる。6歳で地元の西岸寺に入り、後に京都や江戸で修行する。21歳の時に増上寺にて宗脈を受ける。後に増上寺学寮を掌った。文久元年(1861年)に浄国寺住職となる。文久3年(1863年)自身の羅漢研究を纏めた『羅漢図讃集』を刊行する。これは今日から見ても高い学術的価値を持つ著作であり、徹定の優れた学識が窺える。また徹定は羅漢の知識を狩野一信に教え、増上寺に残る計100幅にも及ぶ一信の「五百羅漢図」制作にも役立った。 明治5年(1872年)に明治政府より教部省十等出仕・権少教正に任じられる。この年、僧侶も姓を名乗ることになったが、この際に出家以前の「鵜飼」姓を同じ読みの「養鸕」と改める。明治6年(1873年)に伝通院、明治7年(1874年)に知恩院75代住職に晋山(住職補任)。明治8年(1875年)に大教正となり浄土宗規を定める。明治18年(1885年)に浄土宗管長になる。2年後に知恩院住持を辞して塔頭の福寿院に移った。狩谷棭斎・伴信友の学を継承して仏教史の研究にあたって廃仏毀釈や西洋人の仏教批判に強く抵抗し、キリスト教を排撃する一方で日本史における仏教の重要性を説いた。明治10年(1877年)には知恩院に自らのコレクションを寄贈したが、その中には『上宮聖徳法王帝説』をはじめ現在国宝に指定されている3点も含まれている。 また、各地に布教活動を行って各地に寺院を創建した。また、音楽や書、詩文など多様な趣味を有していた。 明治24年(1891年)、名古屋市にて死去した。 著書に『縁山詩叢』『古経捜索録』『古経題跋』などがある。.

うがい徹定と得浄明院 · うがい徹定と浄土宗 · 続きを見る »

京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

京都市と得浄明院 · 京都市と浄土宗 · 続きを見る »

京都府

京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.

京都府と得浄明院 · 京都府と浄土宗 · 続きを見る »

善光寺

善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れる。.

善光寺と得浄明院 · 善光寺と浄土宗 · 続きを見る »

知恩院

遠景(左三門、右本堂、後方比叡山) 知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。 浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。 なお他流で門跡に当たる当主住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。.

得浄明院と知恩院 · 浄土宗と知恩院 · 続きを見る »

東山区

東山区(ひがしやまく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。 区内には祇園や三条京阪周辺などの繁華街がある。鴨川左岸の平野部は早くから市街化されているが、東山の西麓には大規模な寺社が林立する。景観条例等の規制が比較的厳しいこともあって、他の区で見られるような山間部の住宅開発は行われておらず、人口は11区中最も少ない。なお、当区の65歳以上の高齢者比率は11区中最も高く、全国の政令指定都市の行政区の中でも6番目に高い。.

得浄明院と東山区 · 東山区と浄土宗 · 続きを見る »

上記のリストは以下の質問に答えます

得浄明院と浄土宗の間の比較

浄土宗が171を有している得浄明院は、21の関係を有しています。 彼らは一般的な6で持っているように、ジャカード指数は3.12%です = 6 / (21 + 171)。

参考文献

この記事では、得浄明院と浄土宗との関係を示しています。情報が抽出された各記事にアクセスするには、次のURLをご覧ください:

ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »