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僰文

索引 僰文

僰文(ほくぶん)、またの名を方塊ペー字(ほうかいペーじ、方塊白字)、白文とはペー族が漢字に倣って作ったペー語の意音文字による表記システムである。 この文字の存在性については現在も論争が続いており、大多数の学者は僰文を漢字から独立した文字であると認めるが、僰文は漢字によってペー語の音を表したに過ぎないとする学者も存在する。 完全な規範化がなされておらず、方言差があるため、1000年以上の歴史を通じて漢文と比べて白文は従属的・部分的な地位に留まっている (archive.is)。.

13 関係: Archive.is南詔古壮字大理市大理国ペー語ペー族チュノムラテン文字表意文字漢字景泰

Archive.is

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南詔

8世紀のアジア 南詔(なんしょう)は、8世紀半ば、中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベット・ビルマ語族の王国。最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した。.

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古壮字

古壮字(こそうじ、英語:Zhuang logogram)は、チワン語(壮語)固有の文字体系。 現在の中国南部の広西チワン族自治区に住むチワン族(壮族)の祭祀者がチワン語の記録のために、漢字をそのまま利用したり、漢字の構成方法を使って作り出した。 形が漢字と同じく四角い枠に入るので方塊壮字(ほうかいそうじ)とも呼ばれる。チワン語では未成熟な文字という意味でサーウディプ(sawndip 、古壮字:)と呼ばれている。.

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大理市

大理市(だいりし)は中華人民共和国雲南省大理ペー族自治州に位置する県級市。.

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大理国

大理国(だいりこく、dàlǐguó)は、937年に白蛮(チベット系のペー族)出身の段思平が南詔(およびその後継国家の大長和、大天興、大義寧)にかわって樹立した国家。現在の雲南地方を主たる領域として統治していた。集権的ではなく、君主権はそれ程強くなかったと考えられている。 1094年、高昇泰は段氏の皇帝を廃し、国号を大中、元号を上治と改め、自ら皇帝として即位した。しかし、1096年、臨終を迎えた高昇泰は、息子のに、政権を段氏に返すよう遺言した。この中断より後の大理国は「後大理国」とも呼ばれる。 君主は終始国内的には皇帝号を称していたが、後大理国時代の1117年に北宋より「雲南節度使大理国王」に冊封もされ、対外称号と国内称号を使い分けている。1253年にモンゴル帝国の雲南・大理遠征を受けると、翌年大理はモンゴル帝国に降伏。クビライがモンゴル帝国第5代皇帝となると、その地はクビライの庶子・フゲチに与えられ、雲南王国となった(のち梁王国と改称)。大理の旧主の段一族はフゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせて、この地における支配階級の一員「大理総管」としての地位を保ち続けた。1390年に明がこの梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切って明に取り入り大理国の復活を目論んだが、その領内にあった当時東アジアでも有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を認めず、この地は漢唐以来隔絶していた中原政権に併合され、雲南全境の独立国家の歴史はここに終った。 首都は大理。.

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ペー語

ペー語(白語、)は中国雲南省に住むペー族の言語。ペー語ではBaip ngvp zix(ペーンーツー)というが、この語はペー族をも意味する。話者は約124万人。声調言語であり、音声的特徴からはシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属すと考えられるが、漢語と同じSVO型(主語、動詞、目的語)の基本語順を持つ点が異なる。また、漢語との語彙の共通率の高さから、漢語と同じシナ語派に入れる説もある。.

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ペー族

ペー族(自称: ペーホー Baipho、ペーツィー Baipzix、中国語: 白族 Bái zú、英語 Bai)は、中国雲南省大理ペー族自治州を中心に住むチベット系民族。2000年の統計では人口1,858,063人。内、約124万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派のペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。雲南省以外では、貴州省畢節地区、四川省西昌市、湖南省桑植県、ミャンマー北部などにも分布している。 未婚女性が頭に巻き付ける白い羽根飾りが特徴的で、民族名の由来となっている。漢族からは「白人」、「民家」などと呼ばれていたが、1956年に大理に自治州を設立する際に、正式に白族の名が定められた。 かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、ペー語を、漢字を借用したり、漢字の構成方法を応用して作った漢字風の文字を組み合わせて記述したり、借用語として多くの漢語をペー語に取り入れている。文法的にも漢語の影響をうけ、基本語順が漢語と同じSVO型になっている。 牧畜の歴史が長く、乳製品を作っており、特に中国語で乳扇と呼ばれているチーズは特徴的である。漢族の雲南料理同様に、トウガラシで辛く味付けした料理が多い。米を主食にしたり、ワサビを食用にするなど、日本人と共通する文化も見られる。.

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チュノム

チュノム(、喃字)はベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字。日本語の漢字表記では「字喃」と書かれるが、その「字」はチュノム表記の「」(:U+5B81(宀 + 丁)+ 字、U+21A38)を置き換えたものである。13世紀-20世紀初期に使われた。.

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ラテン文字

ラテン文字(ラテンもじ、abecedarium Latinum、Latin alphabet、ラテンアルファベット)は、表音文字(音素文字・アルファベット)の一つである。ローマ文字、ローマ字(alfabeto Romano、Roman alphabet)とも呼ばれる。 文字を右書きで横に並べることで単語を表記し、単語間を分かち書きで区切って並べることで文章を構成する。それぞれの文字は子音か母音を表す。 今日、人類社会で最も解読者人口が多い文字である。 元来ラテン語の文字で、古くから西欧・中欧の諸言語で使われているが、近代以降はこれら以外にも使用言語が多い。ただし発音の文字への表記方法は各言語ごとに異なっており、同じ綴りでも言語によって違う発音をすることはラテン文字においては全く珍しくない。英語など、古い時代に表記法が定められた言語においては表記と発音の間の乖離も大きなものとなってきている。.

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表意文字

表意文字(ひょういもじ、ideogram)は、ひとつひとつの文字が意味を表している文字体系のこと。.

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漢字

漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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景泰

景泰(けいたい)は中国、明代の元号(1450年 - 1457年1月)。第7代皇帝代宗の在世に使われた。このため代宗は景泰帝と呼ばれる。 景泰8年(1457年)1月16日、奪門の変が起き、上皇となっていた英宗が、代宗より帝位を奪い重祚、直ちにその年を天順元年に改元した。.

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