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中道

索引 中道

仏教用語としての中道(ちゅうどう、Madhyamā-pratipad, マディヤマー・プラティパッド、Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー)は、2つのものの対立を離れていること。断・常の二見、あるいは有・無の二辺を離れた不偏にして中正なる道のこと中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1183頁。。中行、中路あるいは単に中ともいう。 中道の語は仏教において広く重んじられているため、その意味には浅深があるが、各宗がその教理の核心を中道の語で表す点は一致する総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、997-999頁。。

目次

  1. 61 関係: 十二因縁吹田隆道天台宗如来実在論中央公論新社中庸中観派中論中阿含経常見世親世間三界三論宗平川彰二諦五比丘快楽主義パーリ仏典初転法輪分別 (仏教)ソーナ (僧)サールナート八正道因縁因縁相応犍度空 (仏教)精進縁覚縁起瑜伽行唯識学派無著相応部解脱への道解深密経諦相応転法輪経龍樹迦旃延霊友会部派仏教阿含経阿毘達磨大毘婆沙論苦行雑阿含経波羅蜜... インデックスを展開 (11 もっと) »

  2. 中観

十二因縁

十二因縁(じゅうにいんねん)、あるいは、十二縁起(じゅうにえんぎ、dvādaśāṅgika-pratītyasamutpāda)とは、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの。仏教の基本的な考えの一つである。 鳩摩羅什訳では十二因縁とし、玄奘訳では十二縁起や十二有支と訳す。他にも十二支縁起、十二支因縁などと表記する場合がある。

見る 中道と十二因縁

吹田隆道

吹田 隆道(ふきた たかみち、FUKITA Takamichi、1955年1月18日 - )は、日本の仏教学者、浄土宗の僧侶。 京都府生まれ。1979年に大正大学文学研究科修士課程(梵文学専攻)修了。1985年に佛教大学大学院文学研究科博士課程(仏教学専攻)満期退学。浄土宗招善寺住職。佛教大学大学院非常勤講師。

見る 中道と吹田隆道

天台宗

天台宗(てんだいしゅう, Tiantai)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため、とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。名称は、実質的開祖の智顗が天台山に住んでいたということに由来する。 天台教学は入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。今日では中国、日本、朝鮮、ベトナムに信徒を持つ。

見る 中道と天台宗

如来

如来(にょらい)とは、サンスクリットのタターガタ(तथागत, )の漢訳であり、語義は諸説あるが、仏教で釈迦や諸仏の称呼に用いられる『岩波 仏教辞典』第二版、岩波書店、2002年。。 仏陀の10の称号である十号の一つ。如来を総名として十号の内に数えない場合もある(十号#異説を参照)。

見る 中道と如来

実在論

実在論(じつざいろん、Realism)とは、名辞・言葉に対応するものが、それ自体として実在しているという立場。対応するものが概念や観念の場合は観念実在論になり、物質や外界や客観の場合は、素朴実在論や科学的実在論になる。 実在論の起源は古代ギリシアのプラトンが論じたイデア論にまで遡ることができる。イデアの理論によれば、感覚することができる世界は実在するものでなくイデアの射影であると考えられた。個々の感覚を理性によって把握することによってのみ実在するイデアを認識することができると論じている。 アリストテレスもまた普遍的な概念として実在を考えており、感覚によって捉えられる個物を「第一実体」、そしてそれが普遍化されたものを「第二実体」と呼んで区別した。

見る 中道と実在論

中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。

見る 中道と中央公論新社

中庸

中庸(ちゅうよう)とは、儒教において、「四書」の一つであり、またその中心的概念の一つである。

見る 中道と中庸

中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama)もしくは中道(madhyamā pratipat)の立場を重んじる中村・2005年250頁。

見る 中道と中観派

中論

中論(ちゅうろん)、正式名称『根本中頌』(こんぽんちゅうじゅ、Mūlamadhyamaka-kārikā, ムーラマディヤマカ・カーリカー)は、初期大乗仏教の僧・龍樹(ナーガールジュナ)の著作である。インド中観派、中国三論宗、さらにチベット仏教の依用する重要な論書である。 本文は論書というよりは、その摘要を非常に簡潔にまとめた27章の偈頌からなる詩文形式であり、注釈なしでは容易に理解できない。注釈書・論書の例は#注釈書・論書を参照。

見る 中道と中論

中阿含経

『中阿含経』(ちゅうあごんきょう、Madhyama Āgama)とは、仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「中部」(マッジマ・ニカーヤ)に相当する。大正新脩大蔵経No26。

見る 中道と中阿含経

常見

常見(じょうけん)とは、仏教用語で、「アートマン(自我:霊魂)」は永遠に続くもので不滅である(常住;sassata)とする見解のこと。常住論(sassatavādā)ともされ、邪見のひとつ。反対語は断見(だんけん)。 原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間やアートマン(梵我)が永遠に存続すると主張したものであるパーリ仏典 長部, 梵網経。「見」(ディッティ,dṛṣṭi)とは見解・意見・見方のこと。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるが、死後もこの世界においてアートマンという固定の実体が不滅で永続するものであると肯定する見解をいう。梵網経では「我と世界は常住である。死後山頂の如く不動で石柱の如く固定したものである」などと述べている。

見る 中道と常見

世親

世親(せしん、Vasubandhu、蔵: )は、インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。4世紀頃の人。 唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。また、インド論理学そのものの発展にも寄与した。

見る 中道と世親

世間

とは、インド発祥の宗教における用語であり、とあわせてこの世を二分して見る言葉である。移り変り、破壊を免れない迷いの世界という意味である。 さらに、日本ではこの用語は一般名化して、「この世」「世の中」「社会」のことを表す用語として使われている。転じて歴史学者の阿部謹也は、日本社会が英単語「society」の訳語としての「社会」に当てはまらない性質があるとして、旧来の「世間」の呼称を採用し、西欧的「社会」との比較研究としての「世間論」を展開した。また、「世間」と書いて「よのなか」と読むこともある。

見る 中道と世間

三界

仏教における三界(さんがい、tri-dhātu、または梵: त्रिलोक, IAST:triloka)とは、欲界・色界・無色界の三つの世界のことであり、衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界をその三つに分けたもの。三有(さんう)ともいう。 欲界よりも色界のほうが、色界よりも無色界のほうが、いっそうすぐれた生存のしかたであると考えられており、その場所も、欲界が最下にあり、無色界が最上に位置する。

見る 中道と三界

三論宗

三論宗(さんろんしゅう)は、中国・東アジアの大乗仏教宗派の1つで、インド中観派の龍樹の『中論』『十二門論』、その弟子提婆の『百論』を合わせた「三論」を所依の経典とする論宗である。 空を唱える事から、空宗とも言う他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もある。 日本仏教における三論宗は、南都六宗の一つ。

見る 中道と三論宗

平川彰

平川 彰(ひらかわ あきら、1915年1月21日 - 2002年3月31日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。

見る 中道と平川彰

二諦

二諦(にたい、satya-dvaya, サティヤ・ドヴァヤ, dve satye)とは、仏教における二種類の諦(satya; 正しいこと、真や真理を意味する)を区別する用語であり、真諦と俗諦のこと。真諦と俗諦をあわせて真俗二諦という総合仏教大辞典編集委員会『総合仏教大辞典』法蔵館、1988年1月、1097-1100頁。。

見る 中道と二諦

五比丘

五比丘(ごびく、梵: pañca-bhikṣávaḥ)は、ゴータマ・シッダルタ(釈迦)が成道して(悟りを開いて)最初に弟子となった5人の修行者。最初期の僧伽。 彼らは元々、ゴータマの父であるスッドダーナ(浄飯王)の要請によって苦行林に同行した(出家したゴータマの身辺警護のため父王の命令で派遣されたともいわれている)。彼らはともにウッダカ・ラーマプッタ仙人の下でバラモン修行を行うが、教えに満足して更なる修行を求めて出立する釈迦に同調し、ともに教団を離れた。6年に渡る苦行の後、釈迦は「苦行は悟りを得る真実の道ではない」として苦行林を去り、スジャーターから乳がゆの供養を得た様子を見て、鹿野苑へ去った(苦行放棄)。

見る 中道と五比丘

快楽主義

快楽主義(かいらくしゅぎ、hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。 快楽主義はその存在の側面と当為の側面から二種に分けられる。

見る 中道と快楽主義

パーリ仏典

パーリ仏典(パーリ語仏典、パーリ聖典、)、あるいはパーリ三蔵(Tipiṭaka, ティピタカ、三蔵のこと)は、南伝の上座部仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典である。北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の1つ。パーリ経典(パーリ語経典)とも呼ばれることがある。 日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。

見る 中道とパーリ仏典

初転法輪

初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指す。伝統的な理解においては、そこでは仏教の中核概念である四諦、八正道、中道が説かれたとされる。 釈迦は菩提樹下で悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた。

見る 中道と初転法輪

分別 (仏教)

分別(ふんべつ、vikalpa)とは、仏教において、心、心所が対象に対してはたらきかけ、それを思い計ることをいう。サンスクリット語のviśeṣa(特殊)、pariccheda(判別)、nirdeśana(開示)、vibhāga(分析)なども分別と訳される。

見る 中道と分別 (仏教)

ソーナ (僧)

ソーナ・コーリヴィーサは、釈迦仏の弟子の一人である。 彼の名前は、経典などにより表記が異なるため、主なものを表記する。

見る 中道とソーナ (僧)

サールナート

サールナート(ヒンディー:सारनाथ,Sārnāth、英語:Sarnath)は、インドのウッタル・プラデーシュ州にある地名。ヴァーラーナシー(ベナレス)の北方約10kmに位置する。仏教の四大聖地のひとつ。 現サールナートは、釈迦が悟りを開いた後、鹿が多く住む林(旧訳「施鹿林」、新訳「鹿野苑」)の中で初めて教えを説いた初転法輪の故地とされる。鹿野苑(ろくやおん、mṛgadāva)はリシパタナとも呼ばれる。リシパタナ(ṛṣi-patana)とは「聖仙の集まるところ」の意で、『解深密経』などでは「仙人堕処」(仙人の落ちる所)と誤訳され、『雑阿含経』などでは「仙人住処」(仙人の住む所)と訳されている(patana の語基である動詞根 √pat には「落ちる」という意味があるが、植木雅俊はこの場合「〜に入る」の意味に解釈するべきであると指摘している。一方、中村元はパタナには現代ヒンディー語でも飛行場の意味に使われることがあり、仙人の飛行場の意味であるとしてしている) 鹿野苑だったとされる場所は現在はインド政府によって整理され遺跡公園になっている。その周辺からは「サールナート仏」と呼ばれる仏像が多数出土し、最高傑作とも評される「初転法輪像」がに収蔵されている。

見る 中道とサールナート

八正道

八正道(はっしょうどう、ariya-aṭṭhaṅgika-magga, ārya-aṣṭāṅga-mārga )は、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のこと。八聖道(八聖道分)、八支正道、もしくは八聖道支ともいう。「道(magga)」とは仏道、すなわち解脱への道のこと。 八正道は釈迦が最初の説法(初転法輪)において説いたとされる。四諦のうちでは道諦にあたり、釈迦の説いた中道の具体的内容ともされる。

見る 中道と八正道

因縁

因縁(いんねん)とは、サンスクリット語の Nidana に由来し「原因、動機づけ、機会」といった意味合いである。この語はni (降下、内化)と da (束縛, dana)による熟語である。リグ・ヴェーダにおいては節10.114.2に登場し、また節 6.32.6 においては、馬などを別のものに繋げておくロープやバンドを指している(絆と同様の意味)。 また仏教において因(hetu)と縁(pratyaya)のこと総合仏教大辞典編集委員会・1988年 70頁。。縁因ともいう。狭義には、結果(果)を生じさせる内的な直接の原因を因(内因)といい、外からそれを助ける間接の原因を縁(外縁)というが、広義では、その両方を合わせて因とも縁ともいう総合仏教大辞典編集委員会・1988年 64-65頁。

見る 中道と因縁

因縁相応

「因縁相応」(いんねんそうおう、Nidāna-saṃyutta, ニダーナ・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第12相応。

見る 中道と因縁相応

犍度

犍度(けんど、khandhaka、カンダカ)とは、上座部仏教の『パーリ仏典』「パーリ律」において、出家修行者(比丘・比丘尼)が属する僧伽(僧団)内の作法・規則や、その由来を説いた領域のこと。 以下の2篇から成る。

見る 中道と犍度

空 (仏教)

仏教における空(くう、śūnya またはśūnyatā 、suññatā )とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと。空は仏教全般に通じる基本的な教理である。

見る 中道と空 (仏教)

精進

は、仏教用語のの意訳語。撥音を無表記して「しょうじ」ともいう。漢訳仏典ではと音写して「勤」「」などとも訳す。神道では精進を「そうじ」と読んで物忌と同意に用いる。 八正道では正精進として、四正勤が挙げられている。

見る 中道と精進

縁覚

縁覚(えんがく、サンスクリット: pratyeka-buddha、パーリ語:paccekabuddha)とは、修行者の性質や修行の階位を示す仏教用語で、性質としては仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者(無師独悟)を指す。階位としては菩薩の下、声聞とされる - 学研全訳古語辞典 (weblio古語辞典)。。縁覚は寂静な孤独を好むために、説法教化をしないとされる。辟支仏(びゃくしぶつ)や鉢剌医迦仏陀と音写し、師なくしてひとりで悟るので独覚(どっかく)ともいう。この名称の使用例はジャイナ教にもある(後述)。 縁覚の境地を縁覚地、十二因縁を観じてさとりを開く教えを縁覚乗、縁覚の道を説いた教えを縁覚蔵、縁覚の起こす菩提心を縁覚菩提という。

見る 中道と縁覚

縁起

縁起(えんぎ、pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。 仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁起法、縁生、因縁法、此縁性ともいう。種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた。

見る 中道と縁起

瑜伽行唯識学派

瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。 ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。 とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、深層意識の阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。

見る 中道と瑜伽行唯識学派

無著

無著(無着 むじゃく / むぢゃく、Asaṅga アサンガ、蔵: )は、インドの大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳である。

見る 中道と無著

相応部

相応部(そうおうぶ、Saṃyutta Nikāya, SN, サンユッタ・ニカーヤ)とは、仏教のパーリ語経典の経蔵を構成する「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第3番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。テーマ別の短編経典集である。「相応」(saṃyutta, サンユッタ)とは、「テーマ別のまとまり」のことを指す。 漢訳仏典における『阿含経』の内の『雑阿含経』(ぞうあごんぎょう)に相当するが、漢訳の方は「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている - 中央学術研究所。 マーラ(漢訳:魔羅、天魔、悪魔)は相応部の「悪魔相応」Māra samyuttaに見いだされる。

見る 中道と相応部

解脱への道

仏教における道(みち、、Magga)、仏道(ぶつどう)とは、解脱・正覚に至る道のことであり、様々な方法が記載されている。最も古典的なものは八正道であるが、これは経蔵記載における要約の一つにすぎない。ほかにも様々な解脱への道が存在する。道すなわち菩提を完成することを成道という。

見る 中道と解脱への道

解深密経

『解深密経』(げじんみっきょう、Saṃdhinirmocana Sūtra, サンディニルモーチャナ・スートラ)は、中期大乗仏教経典の1つである。「サンディ」(saṃdhi) が「結合・連結」(深密)、「ニルモーチャナ」(nirmocana)が「解放」(「解脱」)、「スートラ」(sūtra) が「経」、総じて「解放(解脱)へとつながる経」の意。 唯識派(ゆいしきは)もしくは、中国(唐)・日本の法相宗の所依の経典の一つで、唯識思想を展開させたといわれる経典である。また、序品を除いて、ほとんどが『瑜伽師地論』(『瑜伽論』とも。)第75-78巻に引用され、さらに『摂大乗論』『成唯識論』などに引用されて、後世への影響が大きい。この『瑜伽師地論』は『解深密経』とともに法相宗の開祖 慈恩大師が教理的根拠を索めた六経十一論が帰着する一経一論とされる。

見る 中道と解深密経

諦(たい、सत्य, satya、サティヤ、とは、仏教において真理や悟りを意味する語。ヨガ哲学における、ヤマの一つ。

見る 中道と諦

諦相応

「諦相応」(たいそうおう、Sacca-saṃyutta, サッチャ・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第56相応。

見る 中道と諦相応

識(しき、viññāṇa ヴィニャーナ, vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、意識、生命力、心See, for instance, Rhys Davids & Stede (1921-25), p. 618, entry for "Viññāa," retrieved on 2007-06-17 from the University of Chicago's "Digital Dictionaries of South Asia".

見る 中道と識

転法輪経

『転法輪経』(てんぽうりんぎょう)は、パーリ語で Dhammacakkappavattana Sutta、サンスクリット語で Dharmacakrapravartana Sūtra、英語 The Setting in Motion of the Wheel of the Dharma Sutta、ないし、Promulgation of the Law Sutta と呼ばれる仏典で、仏教徒は、正覚を得た釈迦が最初におこなった教えを記録したものと見なしている。この経の主題は、仏教の基本的な方向性を示す四諦であり、それを形式的な表現で述べている。この経には、仏教における概念である、中道、無常、縁起などについても言及がある。

見る 中道と転法輪経

龍樹

龍樹(りゅうじゅ、、、、、、)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナの漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

見る 中道と龍樹

迦旃延

迦旃延(かせんねん、カッチャーナ、Katyayana)は、釈迦の十大弟子の一人であり、論議第一と称せられる。 摩訶(まか、Mahā=「偉大なる」の意)を冠して摩訶迦旃延(梵:Mahākātyāyana マハーカーティヤーヤナ、巴:Mahākaccāna マハーカッチャーナ)、大迦旃延などとも呼ばれる。彼の名前は、経典などにより表記が著しく異なるが、主なものとしては音訳としては摩訶迦多衍那、婆帝梨迦、大迦旃延、大迦多衍那、大迦多演那などが、意訳としては好肩、文飾、大剪剔種男、大浄志などがあげられる。なお、「迦旃延」とは、婆羅門種の十姓の一つであり、姓を以って名としている。 パーリ仏典には、彼の名を記したカッチャーナゴッタ経(Kaccānagotta Sutta)が存在する。

見る 中道と迦旃延

霊友会

宗教法人霊友会(しゅうきょうほうじんれいゆうかい)は、法華系の新宗教である。信者数は公称2,527,457人。『宗教年鑑 令和5年版』における国内信者数は、1,100,544人とされている。キャッチフレーズは「いんなあ・とりっぷの霊友会」。

見る 中道と霊友会

部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈尊の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団が分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。部派(ぶは)とはパーリ語のNikāya(ニカーヤ)に由来し、原義では集団を意味する。仏教においては戒や仏典の伝承系統によって分岐した、出家者の集団を指す。 紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂して行った。各部派は、釈尊が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈尊と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教はこれらの部派仏教を小乗仏教と貶称した。

見る 中道と部派仏教

阿含経

阿含経(あごんきょう、あごんぎょう、梵・āgama, アーガマ)とは、最も古い仏教経典集(スートラ)であり、釈迦の言葉を色濃く反映した真正な仏教の経典ものとされる。阿含(あごん)とは、サンスクリット・パーリ語のアーガマの音写で、「伝承された教説、その集成」という意味である。阿含の類義語には部(ぶ、Nikāya)があり、パーリ仏典ではそれが用いられている。 釈迦の死後、その教説は迦葉や阿難を始めとする弟子たちを中心として何回かの結集を経てまとめられ、経蔵(sutta-piṭaka, スッタ・ピタカ)を形成した。他方、守るべき規則は律蔵(vinaya-piṭaka, ヴィナヤ・ピタカ)としてまとめられたが、一般に紀元前4世紀から紀元前1世紀にかけて徐々に作成されたものであると言われているブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿含経」 https://kotobank.jp/word/阿含経-24948。その経蔵はそれぞれ阿含(āgama, アーガマ)または部(nikāya、ニカーヤ)の名で呼ばれた。

見る 中道と阿含経

阿毘達磨大毘婆沙論

阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつま だいびばしゃろん、Mahāvibhāṣa)は、仏教の注釈書の1つ。略称として、『大毘婆沙論』や『婆沙論』が用いられる傾向にある。また、これらの略称を用いる際には主に玄奘訳の『阿毘逹磨大毘婆沙論』を指す。

見る 中道と阿毘達磨大毘婆沙論

苦行

苦行(くぎょう、तपस् )とは、身体を痛めつける事によって自らの精神を高めようとする宗教的行為。禁欲とも密接に関係し、主立った宗教(仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、神道など)には共通して禁欲主義的な傾向が見られる。

見る 中道と苦行

雑阿含経

『雑阿含経』(ぞうあごんきょう、Saṃyukta Āgama)とは、仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)に相当するが、パーリ語経典相応部と異なり、こちらは「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている - 中央学術研究所。計1362経。大正新脩大蔵経No99。

見る 中道と雑阿含経

波羅蜜

波羅蜜(はらみつ、Pāramī、 パーラミー、Pāramitā、 パーラミター)とは、仏になるために菩薩が行う修行のこと。六波羅蜜と十波羅蜜がある。 到彼岸(とうひがん)、度(ど)、波羅蜜多(はらみった)などとも訳す。

見る 中道と波羅蜜

法相宗

とは、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。645年、中インドから玄奘三蔵が帰国し唯識説が伝えられることになる。その玄奘の弟子の慈恩大師基(窺基)が開いた宗派である。唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれる。705年に華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰えた。 日本仏教における法相宗は、玄奘に師事した道昭が法興寺で広め、南都六宗の一つとして8世紀から9世紀にかけて隆盛を極めた。有名な寺院としては、薬師寺・興福寺などがある。

見る 中道と法相宗

法華経

法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。。 法華経(ほけきょう、ほっけきょう、Saddharma-puṇḍarīka-sūtra)は、大乗仏教(密教も含まれる)の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、法華経絶対主義、法華経至上主義が貫かれており、法華経が開発した菩薩や如来は密教に引き継がれている。また、壮大なフィクションや、法華経の無限連鎖などの独創性は他に類を見ない。法華経は、仏教側が信者獲得のため「下位カースト在家集団」が創作した独自経典であるため、矛盾する思想が混在している。また、カルト的という特色を持つ一方で、誰もが平等に成仏できるという、新しい仏教思想が説かれているNHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送。新版・NHK「100分de名著」ブックス、2021年6月。

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涅槃

涅槃(ねはん)、ニルヴァーナ()、ニッバーナ()とは、一般にヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと。 インド発祥の宗教においては、涅槃は解脱(モークシャ मोक्ष または ムクティ मुक्ति mukti)の別名である。すべてのインドの宗教は、涅槃は完全な静寂、自由、最高の幸福の状態であるだけでなく、誕生、生、死の繰り返しである輪廻からの解放と終了であると主張しているGavin Flood, Nirvana.

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成実論

『成実論』(じょうじつろん、Satyasiddhi, Tattvasiddhi)は、訶梨跋摩(かりばつま、Harivarman, ハリヴァルマン)によって著された、16巻の仏教論書である。

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断見

断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ。反対語は常見(じょうけん)。 原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我(アートマン)の断滅を主張したものである。「見(ディッティ)」とは見解・意見・見方のこと。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその果報を無視し否定する見解をいう。六師外道の順世派(アジタ・ケーサカンバリン)などが長部梵網経では「肉体は壊れることにより断滅し、死後は存在しない」と述べている。

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摩訶止観

摩訶止観(まかしかん)は、仏教の論書の1つで、止観(止は三昧、観は智慧。仏教瞑想はこの2つから成る。上座部仏教でいうサマータとヴィパッサナー)についての解説書。10巻。594年に中国荊州(現在の湖北省)玉泉寺で天台智顗によって講義され、弟子の章安灌頂によってまとめられた。天台三大部の1つ。

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摂大乗論

『摂大乗論』(しょうだいじょうろん、、Mahāyāna-saṃgraha, マハーヤーナ・サングラハ)は、北インドの大乗仏教の僧侶・無著が5世紀頃に執筆した唯識の論書。 無着までの大乗仏教の教義をまとめたもので、『大乗阿毘達磨経』・『解深密経』・『十地経』・『般若経』が引用されている。中国ではこれを論拠として「摂論宗」が誕生した。

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悟り

悟り(さとり、bodhi)は、迷いの世界を超え、真理を体得すること。覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。

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教相判釈

教相判釈(きょうそう はんじゃく)とは、中国をはじめとする漢訳仏典圏において、仏教の経典を判定し、解釈したもの。略して教判ともいう。 釈迦は成道して、涅槃に入るまでの45年前後の間に、多くの教えを説いたが、書物を残さなかった。そのため、数百年の間にインド周辺で釈迦の直説とされる大量の経典が形成された。 さらにそれらの多くの経典が、中国へ伝えられ、漢訳仏典として集成されると、実は中国撰述のものも含めてすべてが本物とされた。そして、独自の仏伝の解釈に基づき、これらの諸経典の教えの相や時期を分けて判別して、それらから仏道修行の完全なる悟りを得ようとした。これらは日本、朝鮮、ベトナムなどにも伝えられていき、日本では比叡山延暦寺から生まれた各派を中心に、近代文献学の台頭まで権威を持っていた。また、同じく大乗仏教が伝わったチベットでは独自の体系化を図っていた。

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慧文

慧文(えもん、生没年不詳)または慧聞は、中国南北朝時代の北斉の仏教僧侶(禅師)。 天台宗の初祖(開祖)龍樹を初祖(開祖)とする場合は、慧文は第2祖となる。。 弟子である慧思の弟子、すなわち慧文から見て孫弟子に当たる智顗が天台宗を確立したため、遡って慧文が初祖とされる。 鳩摩羅什が漢訳した『中論』等の龍樹の著作を所依として禅観につとめ、「一心三観」を悟った。

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智慧

智慧(ちえ)とは、一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用を意味する仏教用語。原語とその訳語の用いられ方を考慮すると、代表的な用例は下記の3つがあるという。

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参考情報

中観

法相宗法華経涅槃成実論断見摩訶止観摂大乗論悟り教相判釈慧文智慧