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ナシ族

索引 ナシ族

ナシ族(ナシぞく/納西族)は中華人民共和国の少数民族のひとつ。.

50 関係: 南詔古城区吐蕃妻問婚宗教少数民族中国の少数民族中国語中華人民共和国世界の記憶仏教彝語土司地級市ナシ族マルカム県チベットチベット仏教チベット・ビルマ語派チベット自治区チベット民族ラテン文字リス族ヌー族トンパ文字トーロン族イ族シャーマン元 (王朝)国際連合教育科学文化機関四川省玉竜ナシ族自治県道教象形文字麗江古城麗江市自然崇拝長江雲南省母系制漢民族文化大革命改土帰流晋 (王朝)1957年2000年7世紀

南詔

8世紀のアジア 南詔(なんしょう)は、8世紀半ば、中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベット・ビルマ語族の王国。最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した。.

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古城区

古城区(こじょうく)は中華人民共和国雲南省麗江市の市轄区である。区政府駐在地は西安街道福慧路。.

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吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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妻問婚

妻問婚(つまどいこん)とは婚姻の一種で、夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。 女系制の伝統のある社会などで、普通、子は母親の一族に養育され、。 かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、高句麗、古代の日本人など。 『後漢書』によると、高句麗では、婚姻は妻問婚で、子供が成長した後に夫の家に連れ還ったという。.

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宗教

宗教(しゅうきょう、religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり『世界大百科事典』 231頁。、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 。.

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少数民族

少数民族(しょうすうみんぞく)とは、ある民族や国家や地域など何かしらの枠組みが複数の民族集団(ethnic group)によって構成されている場合に、相対的に少数からなる民族集団のことを言う。.

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中国の少数民族

中国の少数民族(ちゅうごくのしょうすうみんぞく)では、中華人民共和国(以下、中国)政府が規定した、国民の92%を占める漢民族(漢族)以外の少数民族政策による分類における「少数民族」を記載する。.

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中国語

記載なし。

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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世界の記憶

世界の記憶(せかいのきおく、Memory of the World: MoW)は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が主催する事業の一つ。危機に瀕した古文書や書物などの歴史的記録物(可動文化財)を保全し、広く公開することを目的とした事業として、1992年に創設された。日本政府は2010年に日本ユネスコ国内委員会の小委員会で「記憶遺産」と訳すことを了承したが、「」など遺産を意味する英単語が正式名称に含まれていないことから、外務省や文部科学省では2016年6月から直訳である「世界の記憶」を用いている。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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彝語

彝語(いご)とは、主に中国四川省南部・雲南省・貴州省・広西チワン族自治区およびベトナム北西部ハザン省に居住する彝族によって話される言語。 シナ・チベット語族チベット・ビルマ語派ビルマ・ロロ・ナシ語群に属するロロ諸語の系統。彝語は6方言25下位方言に分類される。異なった方言話者の間での意思の疎通は困難である。話者数は650万人程度。 表記には彝文字を使用。四川省では涼山規範彝文が使われる。.

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土司

土司(どし)は、中国王朝が、中国に隣接する諸民族の支配者たちに授ける特定タイプの官職に対する総称。 中国の歴代王朝は、近隣の諸国・諸民族との間で冊封・朝貢という君臣関係に擬した外交関係を築き、その際、中国との交際を求める諸国・諸民族の勢力の大小に応じて、王号や州・県の知事職、軍事指揮官の称号を与えた。土司は、それらの諸民族の首長のうち、軍事指揮官の称号をうけたものに対する総称。.

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地級市

地級市(ちきゅうし)は、中華人民共和国の地方行政単位。地区、自治州、盟とともに二級行政単位を構成する。省クラスの行政単位と県クラスの行政単位の中間にある地区クラスの行政単位である。地方によっては「区級市」と呼ぶこともある。 1983年11月5日に制度化され、地区から地級市への改編が行われた。地級市はその内部に都市部の何倍もの面積を有す農村部を内包しており、厳密な意味での市とは定義を異にする。地級市は地区の後身であり、下部に市轄区、県、自治県、旗、自治旗を管轄し、また県級市を代理管轄している。 これまでの地方行政区画再編成の結果、雲南省、貴州省、青海省や新疆ウイグル自治区、チベット自治区以外の地域では地級市の比重が増加傾向にある。.

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ナシ族

ナシ族(ナシぞく/納西族)は中華人民共和国の少数民族のひとつ。.

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マルカム県

マルカム県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。東経98度00分~99度05分、北緯28度37分~30度20分に位置する。東は金沙江を隔てて四川省バタン県、南は雲南省デチェン県、西は瀾滄江(メコン川上流)を挟みゾガン県、北はゴンジョ県、ダクヤプ県に隣接。金沙江と瀾滄江の分水嶺であるマルカム山脈(芒康山脈、寧静山脈)が走っている。 県名はチベット語で「善妙なる地域」の意。井塩を産することで名高い。清末には寧静県が置かれ、後に芒康宗(芒康県、または江卡宗)と改名した。1960年には塩井宗(塩井県)と合併して寧静県となったが、1965年にまた現在の名となった。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

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チベット・ビルマ語派

チベット・ビルマ語派(チベット・ビルマごは)は、シナ・チベット語族の一語派。シナ語派(中国語)とともにこの語族を構成し、。 チベットからヒマラヤ・アッサム・中国南西部・ミャンマー・タイにかけて分布。.

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チベット自治区

チベット族 チベット自治区(チベットじちく、チベット語: プー・ランキョン・ジョン, )、或いは西蔵自治区(せいぞうじちく)は、中華人民共和国(以下、「中国」)の西南部を占める区域自治区である。.

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チベット民族

ダライ・ラマ14世 チベット民族(チベットみんぞく、Tibetan peopleまたはTibetans)は、ユーラシア大陸中央部のチベット高原上に分布する民族。チベット語を話す。人種的にはモンゴロイドに属する。.

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ラテン文字

ラテン文字(ラテンもじ、abecedarium Latinum、Latin alphabet、ラテンアルファベット)は、表音文字(音素文字・アルファベット)の一つである。ローマ文字、ローマ字(alfabeto Romano、Roman alphabet)とも呼ばれる。 文字を右書きで横に並べることで単語を表記し、単語間を分かち書きで区切って並べることで文章を構成する。それぞれの文字は子音か母音を表す。 今日、人類社会で最も解読者人口が多い文字である。 元来ラテン語の文字で、古くから西欧・中欧の諸言語で使われているが、近代以降はこれら以外にも使用言語が多い。ただし発音の文字への表記方法は各言語ごとに異なっており、同じ綴りでも言語によって違う発音をすることはラテン文字においては全く珍しくない。英語など、古い時代に表記法が定められた言語においては表記と発音の間の乖離も大きなものとなってきている。.

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リス族

リス族(リスぞく、族)は、東南アジアに住む少数民族の1つである。.

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ヌー族

ヌー族(ヌーぞく)は、中国の少数民族のひとつ。怒族とも書き、どぞくとも読む。主に雲南省に住み、人口は約2万8000人(2000年)。チベット・ビルマ語派の言語を用いるが、周囲との差が激しく、碧江県、福貢県、蘭坪県などと通じない。独自の文字がなく、ほとんど中国語(漢字)を用いる。 ヌー族の名称はヌー族がヌー川(怒江)の両岸に住んでいるところから来ており、ヌー族は怒江と瀾滄江(メコン川)の両岸に古くから住む民族のひとつである。.

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トンパ文字

トンパ文字(トンパもじ、中国語:東巴文)またはトンバ文字とは、中国のチベット東部や雲南省北部に住む少数民族の一つナシ族に伝わる、象形文字の一種である。ナシ語の表記に用い、異体字を除くと約1400の単字からなり、語彙は豊富である。現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。 2003年、ユネスコが主催する世界記録遺産にも登録された。.

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トーロン族

トーロン族(中国語独龍族、ピン音Dúlóngzú トーロン族またはトールン族)は中国の漢族・チベット族系の少数民族。中国政府に認定されている民族である。人口の大半は雲南省怒江リス族自治州貢山トーロン族ヌー族自治県のサルウィン川河口に居住している。人口は約7400人。.

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イ族

イ族(イぞく、彝族, )は中国の少数民族の一つ。2010年の第6次全国人口普査統計では人口は8,714,393人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多い。.

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シャーマン

ャーマン.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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元 (王朝)

元(げん)は、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心領域として、東アジア・北アジアの広大な土地を支配した王朝である。正式の国号は大元(だいげん)で、元朝(げんちょう)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で国姓は「奇渥温」である。伝統的な用語上では、「モンゴル帝国が中国に支配後、中華王朝に変化した国」というように認定されたが、視点によって「元は中国では無く、大元ウルスと呼ばれるモンゴル遊牧民の国」と、様々な意見もある。 中国王朝としての元は、唐崩壊(907年)以来の中国統一政権であり、元の北走後は明(1368年 - 1644年)が中国統治を引き継ぐ。しかし、中国歴代征服王朝(遼・金・清など)の中でも元だけが「政治制度・民族運営は中国の伝統体制に同化されなく、モンゴル帝国から受け継がれた遊牧国家の特有性も強く持つ」のような統治法を行った。一方、行政制度や経済運営の面では、南宋の仕組みをほぼ潰して、中華王朝従来の体制を継承してることとは言わない。.

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国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

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四川省

三星堆遺跡の青銅仮面 四川省の伝統芸能『川劇』 四川省(しせんしょう、、、)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は川あるいは蜀。省都は成都。西北部はチベットの伝統的な地方区分でいうアムド地方の東南部、西部はカムの東部にあたる。また、東部の重慶は直轄市として1997年に分離した。.

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玉竜ナシ族自治県

玉竜ナシ族自治県(ぎょくりゅうナシぞくじちけん)は中華人民共和国雲南省麗江市に位置する自治県。面積6521平方キロ、人口24万人(2003年)。 雲南省麗江市玉竜ナシ族自治県石鼓鎮で南向きから北向きへ流れを変える金沙江(長江第一湾).

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道教

道教(どうきょう、)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある横手(2008)、p.001-008、中国史の中の道教。.

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象形文字

象形文字(しょうけいもじ)とは、ものの形をかたどって描かれた文字からなる文字体系で、絵文字からの発展によって生まれたと考えられている。絵文字と象形文字との最大の違いは、文字が単語に結びつくか否かにある。絵文字が文字と語の結びつきを欲せず、その物を必要としたものであるのに対し、象形文字は文が語に分析され、その語と文字とが一対の対応をなす表語文字の一種のことをいう。 象形文字では、文字はもっぱらそのかたどったものの意味を担うが、一般に表語文字では、それぞれの文字が具体的な事物にとどまらず語や形態素を表すことが多い(詳細は表語文字の項を参照)。しかし、漢字における仮借、ヒエログリフなどでの表音的使用など必ずしも象形文字の特徴と一致するわけではないものもまとめて象形文字と呼ぶことが多い。 このような意味での象形文字としては、漢字、ヒエログリフ、楔形文字、インダス文字、トンパ文字などがある。.

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麗江古城

麗江古城(れいこうこじょう)はナシ族によって建設された、中華人民共和国雲南省、麗江市の旧市街地。 1997年にユネスコの世界遺産に登録された。.

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麗江市

麗江の街並み。街の中には水路が数多く走っている。右の女性の着ている青い服装はナシ族の民族衣装。麗江では普通に見かけることができる。 麗江の家並み。瓦や煉瓦はこの地方の土の性質で燻銀色になる。 商店の看板にもトンパ文字が見られる。 ナシ族の踊りとそれを見る観光客(2004年)。 麗江市(れいこうし)は中華人民共和国雲南省西北部に位置する地級市。 麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都であり、現在でもナシ族の人々が多く居住している。またナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。1996年の大地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区の麗江古城の旧市街の世界遺産への登録などを契機に復興が進められた。4年ほどで地震被害はほぼ修復されたうえ、古すぎた建物も修復された。その後の人気化とともに以前は旧市街ではなく、近代的な建物があった場所まで旧市街と同様の建物が建てられ、「旧市街」の範囲が広がりつつある。.

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自然崇拝

自然崇拝(しぜんすうはい・英nature worship/physiolatry)とは、自然物・自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを神格化する信仰の総称。 「自然への崇拝」ではなく、「自然」という概念ができる以前の崇拝形態である。自然崇拝は世界各地に見られ、また各地の神話にも自然物・現象を神格化した神が登場することから、古くは普遍的であったと思われる。万物に宿る精霊を崇拝対象とするアニミズムとも関係が深く、その原初的な形とも捉えられる。しかし自然崇拝では精霊でなく自然物・現象そのものを崇拝対象とする(自然と超自然的存在を区別しない)場合も多く、またしばしば特定の自然物・現象だけを尊重する点で区別される。.

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長江

長江(ちょうこう、中国語拼音字母: )は、青海省のチベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位。 中国国外では、最下流部の異称である「揚子江」(ようすこう、Yangtze River)の名で良く知られる。古語では江(こう)。音訳する場合は「長」のみを音訳しチャン川 (Chang River) とすることもあるが、「江」が本来の河川名であることから、(他の中国の河川を「片仮名+川」とする場合でも)チャンチアンとすることもある。 青海省のタンラ山脈からチベット高原、四川盆地、三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流(最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江)、宜昌から江西省湖口県までが中流(荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流(揚子江)にあたる。 その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。.

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雲南省

雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.

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母系制

母系制(ぼけいせい、matriliny)とは、母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度である。対義語には父系制がある。類似する言葉に母権制(ぼけんせい、matriarchy)がある。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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漢民族

漢民族(かんみんぞく)は、中華人民共和国(中国大陸)、中華民国(台湾)、シンガポールで大多数を占める民族。人類の20%を占める世界最大の民族集団である。 中華人民共和国の民族識別工作では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人、唐人と自称することが多い。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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文化大革命

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた社会的騒乱である。全称はプロレタリア文化大革命(簡体字: 无产阶级文化大革命, 繁体字: 無產階級文化大革命)、略称は文革(ぶんかく)。 名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動だった。しかし実際は、大躍進政策の失敗によって国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲った毛沢東共産党主席が自身の復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であった。 これにより1億人近くが何らかの損害を被り、国内の大混乱と経済の深刻な停滞をもたらした。.

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改土帰流

改土帰流(かいどきりゅう)とは、元代から清朝初期にかけての王朝中央政府による地方の原住民に対する間接統治システムであった「土司制度」をしだいに廃止し、王朝中央政府直轄の州県制に転換させ、科挙に合格して選抜された「流官」を派遣し直接支配するという、明代以降の一連の制度転換をいう王(2005年)31ページ藤井(1959年)105ページ。.

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晋 (王朝)

晋(晉、しん、265年 - 420年)は、中国の王朝の一つ。司馬炎が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国した。280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させる。通常は、匈奴(前趙)に華北を奪われ一旦滅亡し、南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼び分けているが、西晋、東晋とも単に、晋、晋朝を称していた。東晋時代の華北は五胡十六国時代とも称される。首都は洛陽、西晋末期に長安に遷った後、南遷後の首都は建康。宋により滅ぼされた。 詳細は西晋および東晋を参照。 * Category:魏晋南北朝時代の王朝 *.

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1957年

記載なし。

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2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

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7世紀

ブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。 ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。.

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