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チベット仏教と摩訶衍

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チベット仏教と摩訶衍の違い

チベット仏教 vs. 摩訶衍

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。. 摩訶衍(まかえん、蔵:)は、8世紀の唐の仏教僧の名で、招聘されて禅を吐蕃(チベット)に伝えた。 786年(貞元2年)、敦煌陥落の頃、ティソン・デツェン王は吐蕃に、この禅僧の摩訶衍(マハーヤーナ)を呼んで布教させた。 吐蕃でインド仏教系の僧は、シャーンタラクシタ(寂護、? - 787年)亡きあと、禅の教義に疑義を示し、文書による論争を重ね、禁教にいたらせた。 摩訶衍は無念・無想・無作意による悟得の教義を説いて791年には皇后(沒盧氏)を出家させた。 しかし、禅の信徒の抵抗で794年禁教が解かれた。 王はインドからカマラシーラ(蓮華戒)を呼び、サムエーのチャンチュプ院においてその面前で摩訶衍を論破させ、妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り、インド仏教の正統性が認められ、主導権が確立されたと伝えられる(サムエー宗論、拉薩法諍)。.

チベット仏教と摩訶衍間の類似点

チベット仏教と摩訶衍は(ユニオンペディアに)共通で12ものを持っています: 吐蕃チベットチベット語ティソン・デツェンインドカマラシーラシャーンタラクシタサムイェー寺の宗論敦煌市786年

吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベット語

チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(支那-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつ。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。 チベット語に含まれない周辺のチベット系言語についてはチベット諸語を参照。.

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ティソン・デツェン

ティソン・デツェン(チベット語:、ワイリー転写:Khri srong lde brtsan、 742年 - 797年金子「ティソン・デツェン」『アジア歴史事典』6巻、413頁/98年デエ『チベット史』、58頁)は、 古代チベット王朝である吐蕃の王(在位:755年/56年デエ『チベット史』、55頁 - 797年/98年)。37代国王ティデ・ツグツェンを父に持ち、ナナム氏族のマンポジェシティンを母とする。 唐で起きた安史の乱に乗じて唐の首都・長安を占領し、西域に駐屯する唐軍の弱体化に乗じて勢力を拡大した梅村「オアシス世界の展開」『中央ユーラシア史』、130-131頁。 ティソン・デツェンの在位中にチベットの支配領域は最大に達するフランソワーズ・ポマレ『チベット』(今枝由郎監修, 後藤淳一訳, 「知の再発見」双書, 創元社, 2003年12月)、57-60頁。後世には、軍事的功績と神話的な要素が入り混じったティソン・デツェンの伝承が作り出された。 また、ティソン・デツェンの時代にチベットの仏教文化は顕著な発展を見せる。ティソン・デツェンはサムイェー寺の大伽藍を建立し、779年に仏教を国教に制定した山口『チベット』下、30頁。後世の人間はティソン・デツェンをソンツェン・ガンポ、ティツク・デツェン(レルパツェン)と並ぶ仏教王の一人に数えた。.

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インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

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カマラシーラ

マラシーラ(Kamalaśīla、ཀ་མ་ལ་ཤཱི་ལ།、漢訳: 蓮華戒)は、インド仏教における瑜伽行中観派の僧侶。チベット仏教の始祖であるシャーンタラクシタ(寂護)の弟子。.

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シャーンタラクシタ

ャーンタラクシタを描いた19世紀の絵画 シャーンタラクシタ(Śāntarakṣita、蔵: 、?-787年頃、漢訳名:寂護、じゃくご)は、ナーランダ大僧院に所属していたインドの大乗仏教・中観派の僧.

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サムイェー寺の宗論

ムイェー寺の宗論(さむいぇーじのしゅうろん、サムイェーの宗論、サムイェー宗論)は、8世紀末のチベット・サムイェー寺を舞台に行なわれた、インド仏教と中国仏教の間の宗教論争。この論争の結果、インド仏教が勝利を収め、以後のチベット仏教の方向性を決定づけたとされる。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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禅(ぜん)は、大乗仏教の一派である禅宗(ぜんしゅう)の略、もしくは、サンスクリット語の dhyāna (ディヤーナ)の音写、禅那(ぜんな)の略である『広辞苑』「禅」。また坐禅(座禅)の略としての意もある。本項では宗派についての禅宗について述べる。.

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敦煌市

敦煌市(とんこうし)は、中国甘粛省北西部の都市。酒泉市の管轄下の県級市である。かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市であり、近隣にある莫高窟とそこから出た敦煌文書で有名である。歴史的な敦煌は現在の敦煌市と瓜州県を合わせた領域にほぼ重なる。.

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786年

記載なし。

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チベット仏教と摩訶衍の間の比較

摩訶衍が18を有しているチベット仏教は、230の関係を有しています。 彼らは一般的な12で持っているように、ジャカード指数は4.84%です = 12 / (230 + 18)。

参考文献

この記事では、チベット仏教と摩訶衍との関係を示しています。情報が抽出された各記事にアクセスするには、次のURLをご覧ください:

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