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UNIVAC Iとコンピュータ

ショートカット: 違い類似点ジャカード類似性係数参考文献

UNIVAC Iとコンピュータの違い

UNIVAC I vs. コンピュータ

UNIVAC I のデモの様子 UNIVAC Iは、世界初の商用コンピュータ。1950年に完成し、1951年にレミントンランド社(現Unisys)が発売。Universal Automatic Computer(万能自動計算機)の略。初の事務処理用途のコンピュータでもある。 ENIACと比較して真空管の本数は3分の1以下の5200本。メモリには100本の水銀遅延管を使用し、10000本のダイオードを搭載していた。重量7.2トン。入出力装置には、初めて磁気テープが搭載された。プログラム内蔵方式で、1秒間に10万回の加算が可能だった。 ENIACを開発したモークリー(John William Mauchly)とエッカート(John Presper Eckert)が設立したエッカート・モークリ社で開発が開始された。しかし、資金不足に陥り、IBMからは資金援助を断られるが、1950年にレミントンランド社が買収し、発売にこぎつける。1号機は国勢調査局に納入された。 価格は、1台目が159,000ドル、2, 3台目が250,000ドル。最終的には、47台販売された。当時、コンピュータといえばUNIVACと言われるほど普及した。 1952年のアメリカ大統領選挙で、選挙結果の予想を行ったコンピュータとしても知られる。大方の予想に反してアイゼンハワーの勝利を予想し、的中させたことで驚きを与えた。 現在、スミソニアン博物館に第一号機が展示されている。また,ミュンヘンのドイッチェ博物館にも,本体が展示されている。 この機械は更にUNIVAC IIとして進化した。UNIVAC IIでは,主メモリ(2000語)・磁気テープ外部記憶装置との速度緩衝メモリ(60語)が磁気コアメモリとなり,磁気テープの記録密度は,250ppi(pulse per inch)と2倍密度であった。内部レジスタは超音波を結晶中で反射させその遅延時間を利用していた。1語長は,7ビット語12桁で,通常の機械命令語はその半分の6文字で構成していた。日本国にもその第29号機が(株)東京電力に輸入され,昭和36年~昭和43年まで,主に従量電灯計算など大量データ処理に使用された。 UNIVAC1 Category:UNIVACのメインフレーム. ンピュータ(Computer)とは、自動計算機、とくに計算開始後は人手を介さずに計算終了まで動作する電子式汎用計算機。実際の対象は文字の置き換えなど数値計算に限らず、情報処理やコンピューティングと呼ばれる幅広い分野で応用される。現代ではプログラム内蔵方式のディジタルコンピュータを指す場合が多く、特にパーソナルコンピュータやメインフレーム、スーパーコンピュータなどを含めた汎用的なシステムを指すことが多いが、ディジタルコンピュータは特定の機能を実現するために機械や装置等に組み込まれる組み込みシステムとしても広く用いられる。電卓・機械式計算機・アナログ計算機については各項を参照。.

UNIVAC Iとコンピュータ間の類似点

UNIVAC Iとコンピュータは(ユニオンペディアに)共通で6ものを持っています: レミントンランドプログラム内蔵方式真空管ENIAC遅延記憶装置IBM

レミントンランド

レミントンランド (Remington Rand, 1927–1955) は、アメリカの事務機器製造企業であり、タイプライターやメインフレームのUNIVACシリーズの製造元としてよく知られている。19世紀前半に創業したレミントン・アームズから成長し、事務機器、電気かみそりなど様々な製品を製造販売するコングロマリットとなった。1911年ニューヨークに建設された20階建ての超高層ビルはレミントンランド・ビルディングと呼ばれ、本社として使われていた。.

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プログラム内蔵方式

プログラム内蔵方式(プログラムないぞうほうしき)、ストアドプログラム方式は、主記憶に置かれたプログラムを実行する、という、コンピュータ・アーキテクチャの方式の一つである。 ノイマン型アーキテクチャに内包されるため、また、このような分類が議論になるような初期の計算機において、プログラム内蔵でプログラムは全てROMに置いた、というものはないため、ノイマン型で実現されるプログラムが書き換え可能という性質を含めて指すこともある。 しかし、プログラム内蔵方式か否かについては、今日一般に、プログラムを置く記憶装置が書き換え可能か否かは問わず、またいわゆるハーバード・アーキテクチャも普通プログラム内蔵方式とすることが多い。一方、プログラムを内蔵している、と見えるものの一種であるが、記憶装置に置かれた命令ではなく、ワイヤードロジックでプログラミングをしているものは普通プログラム内蔵方式としない。 プログラムを置く直接の記憶装置が、CPUが普通に読む(読み書きする)電子的(ないし電気的)な主記憶か、そうでない補助記憶か、という点は、今日そんなデザインはまずないが、この分類では重視する。次のような歴史的理由による。 歴史的には、初期のプログラム駆動型の計算機には、主記憶(ROM含む)はデータの置き場としてのみ使い、プログラムは全てパンチカードや鑽孔テープのような補助記憶で与えられ、それを直接読み込みながら実行する、というものがあった。当然ながらジャンプが極端に制限されるなどプログラミング的に非常に制限され、プログラムの実行速度が読み込み装置の速度に制限されるため、すぐに古いデザインとみなされるようになった。そのような設計を、プログラム内蔵方式でない、とする分類であった。電子式でない、リレーを使ったコンピュータなど、機器自体の動作が紙テープリーダと比してたいして速くなく、素子のコストが記憶装置として使うには高い機械では、テープを直接実行するものが多かった。リレー式コンピュータの例としては、日本で建造されたものにFACOM 128やETL MarkIとIIがある。.

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真空管

5球スーパーラジオに使われる代表的な真空管(mT管) 左から6BE6、6BA6、6AV6、6AR5、5MK9 ここでは真空管(しんくうかん、vacuum tube、vacuum valve)電子管あるいは熱電子管などと呼ばれるものについて解説する。.

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ENIAC

プログラミングされるENIAC 2人のプログラマがENIACの制御パネルを操作しているところ ENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer)は、アメリカで開発された黎明期の電子計算機。電子式でディジタル式だがプログラム内蔵方式とするにはプログラムのためのメモリはごくわずかで、パッチパネルによるプログラミングは煩雑ではあったものの、必ずしも専用計算機ではなく広範囲の計算問題を解くことができた。しかし、任意の計算可能な問題について計算できるという能力が当初の時点で基本的にはあったわけではなく(後述)、アナログ機械式計算機の一種類である微分解析機と同様に、微分方程式で表すことができるような多くの種類の問題について積分法によって数値的な解を得る(ただしこちらは数値的(ディジタル)に)、という機械である。後の改良により、ごく小規模だがプログラミング的な使い方も可能になり、円周率の桁数向上記録の歴史で有名な1949年の2037桁という記録は、そのような改良後の機能を活用したものである。 当初は、アメリカ陸軍の弾道研究室での砲撃射表の計算を第一の目的として設計されたが、その初期に行われた計算で射表の計算とは全く違うもののひとつに、マンハッタン計画についてのものがある。1946年に発表されたとき、報道には「巨大頭脳」(Giant Brain) といった呼称が見られる。なお、新技術に "Brain" という比喩を使うのは、戦時中から見られる。例えば、ライフ誌1937年8月16日の p.45 に Overseas Air Lines Rely on Magic Brain (RCA Radiocompass)、1942年3月9日の p.55 に the Magic Brain - is a development of RCA engineers (RCA Victrola)、1942年12月14日の p.8 に Blanket with a Brain does the rest! (GE Automatic Blanket)、1943年11月8日の p.8 に Mechanical brain sights gun (How to boss a BOFORS!) といった記事があり、また、各種の計算機械を扱った Edmund Berkeley(:en:Edmund Berkeley)の啓蒙書 "Giant Brains, or Machines That Think"(邦題『人工頭脳』)などといった例もあるように、これは何ら特記事項ではない。 第二次世界大戦中、ENIACの設計と製作の資金はアメリカ陸軍が支出した。その契約は1943年6月5日に結ばれ、ペンシルベニア大学電気工学科にて "Project PX" の名で秘密裏に設計が開始された。1946年2月14日の夕方に完成したマシンが公開され、翌日にはペンシルベニア大学で正式に使用が開始された。開発にかかった総額は50万ドル弱だった。アメリカ陸軍に正式に引き渡されたのは1946年7月のことである。1946年11月9日、改造と記憶装置のアップグレードのためにシャットダウンされ、1947年にはメリーランド州のアバディーン性能試験場に移送された。そこで1947年7月29日に電源を入れ、1955年10月2日の午後11時45分まで運用された。 ENIACを考案・設計したのはペンシルベニア大学のジョン・モークリーとジョン・エッカートである。設計開発に加わった技術者としては、Robert F. Shaw(ファンクションテーブル)、Jeffrey Chuan Chu(除算器/平方根計算器)、アーサー・バークス(乗算器)、(入出力)、Jack Davis(アキュムレータ)らがいる。1987年、ENIACはIEEEマイルストーンに選ばれた。.

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遅延記憶装置

UNIVAC Iの水銀遅延線(1951) 遅延記憶装置(ちえんきおくそうち)とは、媒体が音波などを伝える際の遅れを利用し、信号を循環させ記憶装置として使用するものである。種類によっては、遅延線記憶装置(delay line memory)という。技術的にはレーダーで使う信号処理技術などから生まれたもので、黎明期のコンピュータでよく使われた。 構成方法にもよるが、たとえば加算器に直列加算器が使えるなど、部品数を抑えて多くの情報を扱えるコンピュータを作ることができる、という利点がある。これは安上がりという点だけではなく、初期のコンピュータの多くが苦労した信頼性という点でも重要である。.

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IBM

IBM(アイビーエム、正式社名: International Business Machines Corporation)は、民間法人や公的機関を対象とするコンピュータ関連製品およびサービスを提供する企業である。本社はアメリカ合衆国ニューヨーク州アーモンクに所在する。世界170カ国以上で事業を展開している。.

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上記のリストは以下の質問に答えます

UNIVAC Iとコンピュータの間の比較

コンピュータが405を有しているUNIVAC Iは、19の関係を有しています。 彼らは一般的な6で持っているように、ジャカード指数は1.42%です = 6 / (19 + 405)。

参考文献

この記事では、UNIVAC Iとコンピュータとの関係を示しています。情報が抽出された各記事にアクセスするには、次のURLをご覧ください:

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