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尾上菊五郎 (3代目)

索引 尾上菊五郎 (3代目)

三代目 尾上菊五郎(さんだいめ おのえ きくごろう、天明4年(1784年) - 嘉永2年閏4月24日(1849年6月14日))とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。俳名に賀朝・梅幸・三朝・梅壽、雅号に扇舎がある。また別名に植木屋 松五郎(うえきや まつごろう)、菊屋 万平(きくや まんぺい)がある。「尾上菊五郎」の名跡を一代で江戸歌舞伎を代表する大看板のひとつにのし上げた。.

51 関係: 助六十八番台詞名題大川橋蔵天明女形奈落家の芸家紋小幡小平次尾上菊五郎尾上菊五郎 (4代目)尾上菊五郎 (5代目)尾上菊次郎 (2代目)尾上松助尾上松緑尾上松緑 (初代)尾上梅幸尾上榮三郎屋号岩井半四郎 (5代目)中村座市川團十郎 (7代目)市川團十郎 (初代)市村座市村羽左衛門 (12代目)二枚目仮名手本忠臣蔵伊勢音頭恋寝刃俳名化政文化メイク嘉永四谷怪談立役義経千本桜音羽屋行灯鶴屋南北 (4代目)若衆掛川松本幸四郎 (5代目)歌舞伎江戸江戸時代時代物1784年1849年4月24日 (旧暦)...6月14日 インデックスを展開 (1 もっと) »

助六

『助六』(すけろく)は、歌舞伎の演目の一つの通称。本外題は主役の助六を務める役者によって変わる(詳細は下記を参照)。 江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。.

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十八番

十八番(じゅうはちばん、おはこ)とは、もっとも得意な芸や技のこと。.

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台詞

台詞(せりふ)は、演劇や創作物の劇中で登場人物が発する言葉。科白・セリフとも書く。 転じて、日常会話や文章などにおいての「決まり文句」、または会話や言葉そのもの。.

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名題

名題(なだい)とは、次のいずれかを意味する歌舞伎用語。.

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大川橋蔵

大川 橋蔵(おおかわ はしぞう、旧字体:橋藏)は歌舞伎役者の名跡。屋号は玉屋。.

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天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

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女形

女形・女方(おやま・おんながた)とは、歌舞伎において若い女性の役を演じる役者、職掌、またその演技の様式そのものを指す。.

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奈落

奈落 (ならく).

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家の芸

家の芸(いえの げい)とは、能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎・歌舞伎舞踊・上方舞などの伝統芸能において、宗家や家元とみなされる家に代々相伝する、その家が特に得意としている芸や演目。 古来「お家芸」(おいえげい)と呼ばれていたものの現代的な表現である。.

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家紋

家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。.

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小幡小平次

小幡 小平次(こはだ こへいじ)は、江戸時代の伝奇小説や歌舞伎の怪談物に登場する歌舞伎役者。幽霊の役で名をあげた後に殺害され、自分を殺した者のもとへ幽霊となって舞い戻ったという。創作上の人物だが、モデルとなった役者が実在したことが知られている。.

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尾上菊五郎

尾上 菊五郎(おのえ きくごろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。役者文様に斧琴菊がある。;初代 尾上菊五郎;二代目 尾上菊五郎;三代目 尾上菊五郎;四代目 尾上菊五郎;五代目 尾上菊五郎;六代目 尾上菊五郎;七代目 尾上菊五郎.

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尾上菊五郎 (4代目)

四代目 尾上菊五郎(よだいめ おのえ きくごろう、文化5年〈1808年〉 - 万延元年6月28日〈1860年8月14日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋、俳名は梅幸・菊枝・梅婦。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。通称「梅幸菊五郎」。 大坂で生まれ、初代中村歌六に入門し中村辰蔵、のちに中村歌蝶と名乗る。京坂の宮地芝居で修業したが天保2年(1831年)正月、三代目尾上菊五郎の娘婿となり、同年3月に尾上菊枝と改名し大坂角の芝居に出た。その後、菊五郎とともに江戸へ下り、同年8月に三代目尾上栄三郎と改名し江戸市村座の舞台に立つ。弘化3年(1846年)、菊五郎の俳名である梅幸を襲名。この頃から名声を上げ、安政2年(1855年)9月に四代目尾上菊五郎を襲名した。 当り役は『与話情浮名横櫛』のお富など。おっとりとした気品のある風貌で、年増役、時代物を得意としたが、悪婆の役をやらせると落ち着きすぎ、科白廻しもべたつくようだといわれて不評だったという。死去の際はその妻のお蝶も同日に死去した。養子に初代實川延若がいる。.

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尾上菊五郎 (5代目)

五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)は、明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。 尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。 市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。 九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。.

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尾上菊次郎 (2代目)

二代目 尾上菊次郎(にだいめ おのえ きくじろう、文化11年〈1814年〉 - 明治8年〈1875年〉6月14日)とは、幕末から明治の初めにかけて活躍した歌舞伎役者。俳名は梅花、屋号は音羽屋。 最初七代目片岡仁左衛門の門下に入り、片岡市松を名乗って上方の舞台に立つ。その後大坂で二代目中村富十郎の門下となって中村歌柳と改名し、宮芝居に若女形として出た。天保4年(1833年)、二代目中村三光と改名。翌年には名古屋に行き大須芝居に出る。天保6年江戸に下り、同年11月三代目尾上菊五郎の門下となり二代目尾上菊次郎を襲名、『菅原伝授手習鑑』のお八重を演じ評判をとった。その後二十二年間江戸に留まり舞台を勤める。安政4年(1857年)上方に戻り、同年1月大坂角の芝居に出て俳名の梅花にちなみ尾上梅花と名乗るが、同年5月京都北側芝居に出たとき名を菊次郎に戻した。文久元年(1861年)に再び江戸へ下り、幕末の女形として活躍。明治に入ると時代の流れについていけず地方巡業が多かった。享年62。 当り役に『佐倉宗吾』の女房おみねなど。また音曲を得意とした。その容貌について九代目市川團十郎は「妙なひょっとこ面」と述べているが、同時に「芸の妙に達せしため、自然と婦人の如く見え、果ては其の面の可笑しきさへも心にとまらぬ程になりたり」とも評している(『団洲百話』)。弟子に二代目尾上多賀之丞がいる。.

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尾上松助

尾上 松助(おのえ まつすけ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は抱き若松。.

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尾上松緑

尾上 松綠(おのえ しょうろく、新字体:松緑)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。 定紋は四ツ輪に抱き柏、替紋は藤輪に花菱。 「松緑」は初代尾上松助の俳名に由来する。後に松助はこれを名跡とし、晩年の6年間「尾上松緑」を名乗った。;初代 尾上松緑;尾上松録(尾上梅鶴);二代目尾上松緑;贈三代目 尾上松緑;四代目 尾上松緑 ほか大正から昭和初期に映画で活躍した尾上松緑(尾上松之助門下)がいるが、代数に入らない。 --> Category:歌舞伎役者 Category:歌舞伎役者の名跡.

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尾上松緑 (初代)

初代 尾上 松緑(しょだい おのえ しょうろく、延享元年(1744年)- 文化12年10月16日(1815年11月16日))は、江戸中期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋、一時期新音羽屋。定紋は四つ輪に抱き柏。俳名に重扇・三朝・松緑。松緑は晩年になって俳名を名跡として名乗ったもので、前名の初代 尾上 松助(しょだい おのえ まつすけ)としても知られる。 初代松緑の出自については明らかではないところがある。明治25年(1892年)刊の『歌舞伎新報』1429号所収の「尾上松緑略伝」には、大坂祇園の小芝居方徳次郎の息子で幼名を徳蔵、宝暦5年(1755年)に父とともに江戸に下り、初代尾上菊五郎の門下となって松助と名を改めたとあるが、大正2年刊の劇評家の伊原敏郎著の『近世日本演劇史』では、徳蔵は江戸の生れで、初舞台は宝暦6年としている。しかし延享元年誕生なら宝暦6年には13歳であり、これは当時の役者の初舞台としては遅く、また宝暦12年(1762年)には子役から女形となっているが、この時でもすでに20歳で、これも十代半ばで子役から女形に転向する当時の例から見れば遅すぎる。歌舞伎研究家の渡辺保はこれについて、徳蔵は実は少年時代に色子として売られ、当時は売れっ子の色子となっており、舞台はほんの名目に過ぎなかったためではないかと推測している(渡辺保『娘道成寺』)。 いずれにせよ尾上松助の名がはじめて世に出るのは、宝暦5年11月の市村座でのことである。その後明和7年(1770年)には女形から立役に転向している。その理由については師匠の初代菊五郎にならったものといわれるが、本来が女形に収まりきらない荒っぽいところがあったせいだともいう。後には更に実悪となり、鏡山物の局岩藤も当り役として度々つとめている。 芝居の仕掛け物について自身で工夫してみせるのが好きで、特に鬘の生え際に羽二重を使い、そこに1本ずつ髪の毛を植えるようにしたのは松助の工夫であるという。そんな松助が享和4年(1804年)7月、狂言作者の勝俵蔵(四代目鶴屋南北)と提携した『天竺徳兵衛韓噺』が大当りとなり、以後盆狂言には怪談狂言の役者として名を馳せるようになる。その後も南北と提携し、『彩入御伽艸』の小幡小平次や『阿国御前化粧鏡』の阿国御前などの当り役を残した。文化6年(1809年)11月、俳名の「松緑」を名跡として尾上松緑と名乗り、松助の名跡は養子の初代尾上榮三郎(三代目尾上菊五郎)に譲った。 背が高く容姿に優れ、女形時代にはその舞台姿が初代中村富十郎によく似ているといわれたが、のちにはその背の高さや柄を生かし、『暫』のウケや伊達騒動物の仁木弾正など存在感のある悪役を演じた。また音曲にも秀で、立役になってからも『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責めの段」で傾城阿古屋をつとめ、三曲(箏・三味線・胡弓)を弾きこなして評判となった。怪談狂言の中では早替りや舞台の仕掛けといったケレンも得意としたが、こうした怪談物が三代目菊五郎以降、音羽屋の芸として受け継がれていくことになるのである。.

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尾上梅幸

尾上 梅幸(おのえ ばいこう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。 「梅幸」は初代尾上菊五郎の俳名に由来する。この初代と、二代目、五代目の菊五郎は、それぞれ「梅幸」を俳名としては使ったが、実際にこれを名跡として襲名することはなかった。.

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尾上榮三郎

尾上 榮三郞(おのえ えいざぶろう、新字体:栄三郎)は歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。.

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屋号

屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。.

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岩井半四郎 (5代目)

五代目 岩井 半四郎(ごだいめ いわい はんしろう、安永5年(1776年) - 弘化4年4月6日(1847年5月20日))は化政期に女形として活躍した江戸の歌舞伎役者。幼名は長松(ちょうまつ)。屋号は大和屋。俳名に梅我・杜若、通称に杜若半四郎・眼千両・大太夫などがある。.

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中村座

復元された中村座(江戸東京博物館) 京橋) 中村座の定式幕 中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎代々。控櫓は都座。.

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市川團十郎 (7代目)

七代目 市川 團十郎(しちだいめ いちかわ だんじゅうろう、寛政3年(1791年) - 安政6年3月23日(1859年4月25日))は化政期から天保にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。俳名は三升、白猿、夜雨亭、壽海老人、子福者、二九亭。 天保の改革のあおりを受けて江戸を追放されたことで有名。.

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市川團十郎 (初代)

初代團十郎が始めた元禄見得(銅像のモデルは九代目) 初代 市川團十郎(しょだい いちかわ だんじゅうろう、万治3年(1660年) - 元禄17年2月19日(1704年3月24日))は、元禄歌舞伎を代表する江戸の役者。立役を得意とし、荒事芸を歌舞伎に導入した。團十郎が考案した見得は「元禄見得」と呼ばれる。.

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市村座

市村座(いちむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で、江戸三座のひとつ。座元は市村羽左衛門代々。控櫓は主に桐座だったが、都座と玉川座が代興行したこともある。明治時代以降も経営者が変わりながら運営されていたが、1932年(昭和7年)の焼失により廃座となった。.

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市村羽左衛門 (12代目)

十二代目 市村羽左衛門(じゅうにだいめ いちむら うざえもん、文化9年〈1812年〉 - 嘉永4年8月20日〈1851年9月15日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者で江戸市村座の座元。俳名家橘、屋号は橘屋。定紋は根上がり橘。 市村座の座元十一代目市村羽左衛門の次男。初め市村豊松、のち市村亀之助と名を改め、文政元年(1818年)11月に子役として舞台に立つ。文政3年(1820年)7月に父が死去し、同年11月に十二代目市村羽左衛門を襲名。以後座元と役者の双方を務めた。 天保12年(1841年)10月、隣接する中村座が失火により全焼、隣接する市村座にも類焼し全焼した。これを機に森田座を含む三座は、町奉行所から浅草猿若町に移転を命じられる。嘉永4年(1851年)4月、実子の市村九郎右衛門に十三代目羽左衛門の名と座元を継がせ、自身は五代目市村竹之丞を襲名し舞台に専念するも同年6月、病により死去した。 上品な顔立ちで、私生活では成田山詣でをするのに大勢の幇間や芸者を伴い、そのついでに宴会をするなど、派手な遊びで江戸市中の話題を集めた。.

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二枚目

二枚目(にまいめ)とは、やさ男の美男子のこと武光誠『歴史から生まれた日常語の由来辞典』東京堂出版、1998。.

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仮名手本忠臣蔵

『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。赤穂事件を題材としたもの。通称「忠臣蔵」。 大石内蔵助こと大石良雄の家紋「二つ巴」。この家紋のことは『仮名手本忠臣蔵』においても作中に記されている。.

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伊勢音頭恋寝刃

『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば)とは、歌舞伎の演目のひとつ。全四幕。寛政8年(1796年)7月、大坂角の芝居にて初演。近松徳三ほか作。通称『伊勢音頭』。また歌舞伎から人形浄瑠璃にもなっており、同名の外題で上演されている。.

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俳名

俳名(はい-みょう)は、本来俳号と同義であるが、江戸時代中期以降の芸能分野においては、.

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化政文化

化政文化(かせい ぶんか)とは、江戸時代後期の文化文政時代(1804年-1830年)を最盛期として、江戸を中心として発展した町人文化を指す 「化政文化」コトバンク。化政とは文化・文政を略した言葉。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳など、一般に現代に知られる江戸期の町人文化の全盛期にあたり、国学や蘭学の大成した時期でもある。広義の定義では、18世紀後半から19世紀前半の非常に長い期間を含む場合がある。 史学上は、江戸前期に上方を中心に起こった町人文化である元禄文化と対比され、享楽的色彩が強いとする。また、従来においては江戸の三大改革を基点に、寛政の改革と天保の改革の間の時期と見なされてきた上に、享保の改革と寛政の改革の間の田沼時代(宝暦-天明期)が軽視されたため、本来であれば宝暦-天明期に属する事柄の多くが、化政文化のものとして取り扱われてきた経緯がある。そのため、近年は宝暦・天明文化と新たな時代区分が定義されており、従来、杉田玄白や本居宣長、与謝蕪村といった化政文化の代表人物として扱われることも多かったものが、宝暦・天明期のものに変更されている部分もある。.

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メイク

メイ.

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嘉永

嘉永(かえい)は日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。.

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四谷怪談

『四ツ谷怪談』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談。江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名である。怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。.

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立役

立役(たちやく)は、歌舞伎における尋常な成年男子の役、またその役を演じる役者。 対象とならない役は、芯からの悪人(敵役)、滑稽を主とするもの(道化役)、老人(老役)であるが、現在では役者の職掌としての敵役・道化役はなくなり、立役役者がこれをかねているものの、役の分類としては下記のような区別が存在している。その役柄の階級は武士から町人にいたるまで幅広く、多く劇中において善人方としてふるまい、白塗りのこしらえをもっぱらとする。立役役者は歌舞伎における中心的な存在であり、ほかの職掌にある役者よりも高い地位にあるものとされた。通常、立役が座頭をつとめる。.

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義経千本桜

『義経千本桜』(よしつねせんぼんざくら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。五段続、延享4年(1747年)11月、大坂竹本座にて初演。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。「大物船矢倉/吉野花矢倉」(だいもつのふなやぐら/よしののはなやぐら)の角書きが付く。通称『千本桜』。源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。.

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音羽屋

音羽屋(おとわや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代尾上菊五郎の父・半平は、京の都萬太夫座(みやこ まんだゆう ざ)付き芝居茶屋の出方を営んでいたが、生まれたのが東山の清水寺にほど近い地だったことから、その境内の「音羽の滝」にちなんで、自らを音羽屋半平(おとわや はんぺい)と名乗っていたことがその名の由来。 音羽屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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行灯

和紙を使った行燈 行灯、行燈(あんどん、)は照明器具の一つ。持ち運ぶもの、室内に置くもの、壁に掛けるものなど様々な種類がある。もともとは持ち運ぶものだったため「行灯」の字が当てられ、これを唐音読みして「あんどん」となった。携行用は後に提灯に取って代わられた為、据付型が主流となった。.

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鶴屋南北 (4代目)

四代目 鶴屋 南北(よだいめ つるや なんぼく、宝暦5年(1755年) - 文政12年11月27日(1829年12月22日))は、江戸時代後期に活躍した歌舞伎狂言の作者。 鶴屋南北を襲名した者は5名を数えるが、単に鶴屋南北または南北というと、通常はこの四代目のことをさす。また5代の南北のなかでもその業績が突出しているため、この四代目のことを特に大南北(おおなんぼく)ともいう。.

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若衆

若衆(わかしゅ、わかしゅう)とは衆道において性行為での受け手の役割をする側の少年である。この受動的性行為を務める時期を『心友記』(衆道物語)においては「衆道といふは、少人十二歳より二十歳まで九年の間也」としている。その中で16歳(二八)が最も盛りの年齢とされ『よだれかけ』巻五には「十六歳を若衆の春といふなり」という記述がみとめられる。『男色二倫書』においては若衆の年齢を以下の3つに区分してそれぞれの心得を教えている。; 主童道(しゅどう):12 - 14歳; 殊道:15 - 18歳; 終道:19 - 20歳 上記の時期が終っても念者と若衆の関係が終るとは限らず、『好色一代男』の記述では7歳から25歳を若衆の時期とし、衆道を好むものは30歳の者までも用いたという。.

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掛川

掛川(かけがわ)は、.

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松本幸四郎 (5代目)

五代目 松本 幸四郎(ごだいめ まつもと こうしろう、明和元年(1764年) - 天保9年5月10日(1838年7月1日)は江戸の歌舞伎役者。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。俳名に錦升・金升・錦江、雅号に秋夜亭がある。江戸後期の名優で、その面立ちから俗に鼻高幸四郎(はなたか こうしろう)と呼ばれた。 父は四代目松本幸四郎。明和7年 (1770) 市川純蔵と名乗り江戸中村座で初舞台。三代目市川高麗蔵を経て享和元年11月 (1801)、父の男女川京十郎改名とともに五代目松本幸四郎を襲名。天保9年5月 (1838)、中村座出演中に倒れて死去。 はじめ立役を演じていたが実悪に転じた。鋭い目つきと高い鼻が凄みを与え、東洲斎写楽・初代歌川豊国・三代目歌川豊国の芝居絵にもその芸風が窺われる。実悪では三都随一、古今無類と最大級の賛辞を受けた。彼が舞台で見得をするとあまりの怖さに子供が泣出したと言われている。文化2年11月 (1805) 市村座『けいせい吉野鐘』では評判記『役者大極丸』に「年若なれどもお江戸の大立者、実事実悪とも兼備たるお上手故めったにのぼす事ではないわいの」と書かれている。 当り役は『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の松王、『仮名手本忠臣蔵』の高師直、『義経千本桜』の権太。とくに『伽羅先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)の仁木弾正(にっき だんじょう)は生涯の当り役となり、今日に至るまで彼に敬意を評して、仁木の左の眉尻にはホクロを描いたり(このホクロは五代目の顔の特徴のひとつだった)、四つ花菱や三つ銀杏の紋様が衣装の至る所にちりばめられていたりする(四つ花菱は松本幸四郎の定紋、三つ銀杏は市川染五郎の定紋)。顔のもう一つの特徴だった高い鼻は、『菅原伝授手習鑑・車引』の松王が客席ではなく舞台下手に向かって横向きに見得を切るいう独特の型になって今日に伝わっている(元は幸四郎の鼻の高さを強調した演出だったのが定着した)。 四代目鶴屋南北と組み、時代物では『時今也桔梗旗揚』(馬盥)の武智光秀のような謀反人、世話物では『東海道四谷怪談』の直助権兵衛、『謎帯一寸徳兵衛』の大島團七などの悪役を演じた。いずれも冷酷な役どころで、とくに世話物では庶民の生々しい姿を写実的に演じ新しい芸風を確立。その後の歌舞伎に大きな影響を与えた。 子に六代目松本幸四郎、養子に三代目市川壽美蔵がいる。墓所は東京都江戸川区の大雲寺。 Category:江戸時代の歌舞伎役者 Category:武蔵国の人物 Category:1764年生 Category:1838年没.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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時代物

時代物(じだいもの)とは、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目のうち、江戸時代の庶民の日常からかけ離れた話題、すなわち遠い過去の出来事や、武家や公家の社会に起きた出来事などを扱ったものをいう。 逆に、江戸時代の庶民の日常そのものである市井の話題や風俗などを扱った演目のことを、世話物(せわもの)という。.

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1784年

記載なし。

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1849年

記載なし。

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4月24日 (旧暦)

旧暦4月24日は旧暦4月の24日目である。六曜は先負である。.

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6月14日

6月14日(ろくがつじゅうよっか、ろくがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から165日目(閏年では166日目)にあたり、年末まであと200日ある。誕生花はハルシャギク、ブーゲンビリア。.

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