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鷲津砦

索引 鷲津砦

鷲津砦(わしづとりで)は、名古屋市緑区にあった砦。織田信長によって築かれ、桶狭間の戦いの前哨戦が行われた。.

41 関係: 史跡名古屋市大高城大高駅太田牛一尾張国山口教継中嶋砦丸根砦丹下砦三河国今川義元弘治 (日本)徳川家康信長公記善照寺砦緑区 (名古屋市)織田信秀織田信長織田秀敏熱田神宮飯尾定宗飯尾尚清西暦要塞駿河国鳴海城長寿寺 (名古屋市)桶狭間の戦い武徳編年集成永禄清洲城清洲同盟朝比奈泰能朝比奈泰朝1557年1559年1560年1938年5月19日 (旧暦)6月12日

史跡

特別史跡「姫路城跡」(兵庫県姫路市) 史跡(しせき、非常用漢字:史蹟)とは、貝塚、集落跡、城跡、古墳などの遺跡のうち歴史・学術上価値の高いものを指し、国や自治体によって指定されるものである。この語は一般には遺跡全般と同義で現在においてもその意味で使用される場合も多いが、日本においては1919年(大正8年)の史蹟名勝天然紀念物保存法以降、特に法律で指定保護されている遺跡を指すようになり、現在では狭義の「史跡」は文化財の種別の一つとして文化財保護法第109条第1項に規定されている。.

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名古屋市

名古屋市(なごやし)は愛知県西部(尾張地方)にある市。政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。全16区から構成される。.

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大高城

大高城(おおだかじょう)は、名古屋市緑区大高町にあった日本の城。 桶狭間の戦いの前哨戦として、当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで名高い。現在は国の史跡に指定され、公園として整備されている。.

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大高駅

大高駅(おおだかえき)は、愛知県名古屋市緑区大高町字鶴田にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。.

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太田牛一

太田 牛一(おおた ぎゅういち / うしかず / ごいち)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、官僚。『信長公記』などの軍記と伝記の著者。官位は和泉守。通称は又助(又介)あるいは和泉を用いた。.

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尾張国

尾張国(おわりのくに/をはりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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山口教継

山口 教継(やまぐち のりつぐ)は、戦国時代の武将。織田氏、今川氏の家臣。尾張国鳴海城主。.

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中嶋砦

中嶋砦(なかしまとりで)は、今川義元との戦いの際に織田信長が鳴海城を囲むように築いた三砦の一つ。 中島砦跡周辺.

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丸根砦

丸根砦(まるねとりで)は、名古屋市緑区にあった砦。織田信長によって築かれ、桶狭間の戦いの前哨戦が行われた。 奥の森林が丸根砦址.

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丹下砦

丹下砦(たんげとりで)は、今川義元との戦いの際に織田信長が鳴海城を囲むように築いた三砦の一つ。.

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三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

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今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。.

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弘治 (日本)

弘治(こうじ)は、日本の元号の一つ。天文の後、永禄の前。1555年から1558年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇、正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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信長公記

信長公記/陽明文庫所蔵 『信長公記』(しんちょうこうき / のぶながこうき)は、戦国大名である織田信長の一代記で、戦国時代から安土桃山時代にかけての史料。著者は信長旧臣の太田牛一。原本は江戸時代初期に成立した。 信長の幼少時代から信長が足利義昭を奉じて上洛する前までを首巻とし、上洛(永禄11年(1568年))から本能寺の変(天正10年(1582年))まで15年の記録を1年1巻とし、全16巻(16冊)にまとめている。 読みに関しては米沢藩上杉氏旧蔵本である個人蔵十冊本の内題に「しんちやうき」とあることから、音読みで「しんちょうき」と読まれていたと考えられている。また、森銑三は江戸時代にはその人に敬意を表する意味で人名を音読みする習慣があったことを指摘し(有職読み)、同様の事例に『義経記(ぎけいき)』を挙げている。.

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善照寺砦

善照寺砦(ぜんしょうじとりで)は、今川義元との戦いの際に織田信長が鳴海城を囲むように築いた三砦の一つ。 所在地は、現愛知県名古屋市緑区鳴海町砦3。 砦公園からの眺望.

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緑区 (名古屋市)

緑区(みどりく)は、名古屋市を構成する16区のうちのひとつである。名古屋市の南東部に位置する。.

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織田信秀

織田 信秀(おだ のぶひで)は、戦国時代の尾張国の武将、戦国大名。織田信長の父。.

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織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.

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織田秀敏

織田 秀敏(おだ ひでとし、生年不詳 - 永禄3年5月19日(1560年6月12日)?)は、戦国時代の武将。『寛政重修諸家譜編』や『信長公記』などによると織田敏定の五男(または織田良信の子ともいう)。諱は信平とも。通称は七郎。官職は玄蕃允、玄蕃頭(確認されているのは玄蕃允のみ)。子に津田秀重。滝川一益の娘婿・津田秀政の祖父にあたる。.

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熱田神宮

熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。.

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飯尾定宗

飯尾 定宗(いいのお さだむね)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。尾張国中島郡奥田城主。織田氏流飯尾氏の祖。 織田敏定の子で織田信秀の叔父、または敏定の孫で信秀の従兄弟とされるが、織田敏定と定宗及び子の尚清の年代から見ると、後者のほうが有力とされる。奥田城主となり、斯波氏の一族とされる尾張の土豪飯尾氏の養子となった。 弘治2年(1556年)6月、織田信長に従って、嫡男・尚清と共に守山城攻めに従軍。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで信長の命により、子の尚清と叔父の織田秀敏と共に今川軍の備えで鷲津の砦に置かれる。しかし、5月19日に朝比奈泰朝ら今川軍の猛攻をうけ敗死した。家督は尚清が継いだ。 室町幕府将軍の直臣として、相伴衆に加わったとされるが、恐らくは幕臣の飯尾氏と混同されたものと思われる。.

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飯尾尚清

飯尾 尚清(いいのお ひさきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。尾張国奥田城・北島城主。赤母衣衆の一人。 諱は信宗とも伝わるが、尚清が正しいとされる。弘治2年(1556年)6月26日、父・飯尾定宗と共に、尾張守山城攻めに従軍。永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで父や大叔父・織田秀敏と共に鷲津の砦を守るが、今川軍に敗れて父は討ち死にし、尚清は敗走。以後は信長の馬廻となり、同年、母衣衆(赤母衣衆)に加わった。石山合戦、三木合戦などでは検視役を務めた。どちらかといえば吏僚的な活躍の方が多い。 天正2年(1574年)7月の伊勢国の長島一向一揆に参戦した。天正10年(1582年)、本能寺の変では長男・敏成が討ち死にした。信長の死後は、その次男・織田信雄に仕え、2200貫文を知行する。のち羽柴秀吉に仕えた。天正15年(1587年)、正五位上。天正18年(1590年)、従四位下、侍従に任じられる。 天正19年(1591年)2月22日に死去。享年63。家督は弟・重宗(敏宗)が継ぎ、次男・宗敏は重宗の猶子となっている。.

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西暦

西暦(せいれき)とは、キリスト教でキリスト(救世主)と見なされるイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.またADとは「アンノドミニ (Anno Domini)」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。 今年は2018年 (JST) である。西ヨーロッパのキリスト教(カトリック教会、および後のプロテスタント)地域から徐々に普及し(後述)、西欧諸国が世界各地で進めた植民活動などによって伝わった結果、現在において世界で最も広く使われている紀年法となっている。 しかし、19世紀以降においては、非キリスト教徒との関係から、ADをCommon Era(略:CE、「共通紀元」の意)へ、同時に紀元前(BC)をBefore Common Era(BCE)に切り替える動きが広まっている。.

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要塞

堡式城郭の例。オランダのブールタング 要塞(ようさい)とは、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。とりで(砦、堡、塞)、城砦(じょうさい)、城堡(じょうほ)ともいう。.

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駿河国

駿河国(するがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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鳴海城

海城の石碑 鳴海城(なるみじょう)は、かつて愛知県名古屋市緑区に存在した日本の城である。別名「根古屋城(ねごやじょう)」。.

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長寿寺 (名古屋市)

長寿寺(ちょうじゅじ)は、愛知県名古屋市緑区大高町にある臨済宗の寺院。山号は鷲頭(わしず)山。本尊は阿弥陀如来。知多四国八十八箇所の第87番札所。現地案内石碑及び立札より.

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桶狭間の戦い

今川義元の墓(明治9年(1876年)5月建立)桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市)内 桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国桶狭間で行われた合戦。.

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武徳編年集成

武徳編年集成」(ぶとくへんねんしゅうせい)は、徳川家康の伝記。 成立年は元文5年(1740年)、著者は幕臣木村高敦。偽書の説、諸家の由緒、軍功の誤りなどの訂正が行われており、寛保元年(1741年)徳川吉宗に献上される。 「駿府政事録」や「宮中秘策」にある、慶長18年(1613年)の家康が花火を見た記録が、「武徳編年集成」にも引用されている。 天明6年(1786年)版(木活字本)全93巻が、国立国会図書館ほかに所蔵されている。.

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永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

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清洲城

五条川の桜 清洲城と桜 清洲城(きよすじょう)は、尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった日本の城。尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄え、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として重視された。.

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清洲同盟

清洲同盟(きよすどうめい)は、戦国時代に尾張の戦国大名・織田信長と三河の戦国大名・徳川家康との間で結ばれた軍事同盟。それぞれの一文字から織徳同盟(しょくとくどうめい)、尾三同盟(びさんどうめい)ともよばれる。.

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朝比奈泰能

朝比奈 泰能(あさひな やすよし)は、戦国時代の武将。今川氏の重臣。遠江国掛川城主。.

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朝比奈泰朝

朝比奈 泰朝(あさひな やすとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏の家臣。掛川城主。.

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1557年

記載なし。

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1559年

記載なし。

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1560年

記載なし。

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1938年

記載なし。

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5月19日 (旧暦)

旧暦5月19日は旧暦5月の19日目である。六曜は大安である。.

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6月12日

6月12日(ろくがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から163日目(閏年では164日目)にあたり、年末まであと202日ある。誕生花はライラック、ベロペロネ。.

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