ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

鶴屋南北

索引 鶴屋南北

屋 南北(つるや なんぼく)は、歌舞伎の役者および作者の名跡。初代から三代目までが道化方役者、四代目以後が狂言作者。屋号は鶴屋、定紋は丸に大の字。.

20 関係: 名跡合巻天明姥尉輔宝暦家紋尾上菊五郎 (3代目)屋号享保元禄元文狂言瀬川如皐 (3代目)道外方鶴屋 (歌舞伎)鶴屋南北 (4代目)鶴屋南北 (5代目)正徳 (日本)歌舞伎河竹黙阿弥

名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

新しい!!: 鶴屋南北と名跡 · 続きを見る »

合巻

合巻(ごうかん)は、寛文期以降江戸で出版された草双紙類の、1804年(文化元年)頃に始まった最終形態。それまで5枚(5丁)1冊に別々に綴じていたのを、纏めて厚く綴じた。明治初期まで続いた。.

新しい!!: 鶴屋南北と合巻 · 続きを見る »

天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

新しい!!: 鶴屋南北と天明 · 続きを見る »

姥尉輔

姥 尉輔(うば じょうすけ)は歌舞伎作者の名跡。.

新しい!!: 鶴屋南北と姥尉輔 · 続きを見る »

宝暦

宝暦(ほうれき、ほうりゃく、旧字体: 寶曆)は日本の元号の一つ。寛延の後、明和の前。1751年から1764年までの期間を指す。この時代の天皇は桃園天皇、後桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川家重、徳川家治。.

新しい!!: 鶴屋南北と宝暦 · 続きを見る »

家紋

家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。.

新しい!!: 鶴屋南北と家紋 · 続きを見る »

尾上菊五郎 (3代目)

三代目 尾上菊五郎(さんだいめ おのえ きくごろう、天明4年(1784年) - 嘉永2年閏4月24日(1849年6月14日))とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。俳名に賀朝・梅幸・三朝・梅壽、雅号に扇舎がある。また別名に植木屋 松五郎(うえきや まつごろう)、菊屋 万平(きくや まんぺい)がある。「尾上菊五郎」の名跡を一代で江戸歌舞伎を代表する大看板のひとつにのし上げた。.

新しい!!: 鶴屋南北と尾上菊五郎 (3代目) · 続きを見る »

屋号

屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。.

新しい!!: 鶴屋南北と屋号 · 続きを見る »

享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

新しい!!: 鶴屋南北と享保 · 続きを見る »

元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

新しい!!: 鶴屋南北と元禄 · 続きを見る »

元文

元文(げんぶん)は日本の元号の一つ。享保の後、寛保の前。1736年から1741年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

新しい!!: 鶴屋南北と元文 · 続きを見る »

狂言

言「水掛聟(みずかけむこ)」 狂言(きょうげん)は、能と同様に猿楽から発展した伝統芸能で、猿楽の滑稽味を洗練させた笑劇。明治時代以降は、能・式三番と併せて能楽と呼ぶことがある。.

新しい!!: 鶴屋南北と狂言 · 続きを見る »

瀬川如皐 (3代目)

三代目 瀬川如皐(さんだいめ せがわ じょこう、文化3年(1806年) - 明治14年(1881年)6月28日)は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎作者。本名は六三郎(ろくさぶろう)。俳名に吐蚊、雅号に二五社・藪雀庵がある。 江戸の生まれ。はじめ呉服屋を営んでいたが、天保10年(1839年)絞吉平の名で河原崎座に入り、歌舞伎狂言の創作活動を始める。のち絞吉兵衛。姥尉輔の名で五代目鶴屋南北に師事する。その後四代目中村歌右衛門の後援を受け活動が活発となる。弘化2年(1845年)藤本吉兵衛、一時澤村吉兵衛とも名乗る。嘉永元年(1848年)11月中村座の立作者となり、嘉永3年(1850年)三代目瀬川如皐を襲名。以後主に八代目市川團十郎や四代目市川小團次のために台本を書く。 几帳面な性格で、台本も趣向に富み、創作性には優れていた。ただし書き直しが多く、そのうえ台本の字が小さく、指示も細か過ぎるうえ、作品自体も冗長で、役者や観客からはすこぶる不評だった。代表作は『与話情浮名横櫛』(切られ与三)、『東山桜荘子』(佐倉義民伝)、『新台いろは書始』(のちに改作されて『松浦の太鼓』)など。とくに『切られ与三』では七五調の台詞を河竹黙阿弥に先駆けて使用して幕末の生世話物狂言の発展に貢献、『佐倉義民伝』では日本最初の農民劇を創作するなどの功績をあげている。また、『乗合舟』『競獅子』などの舞踊の作詞、合巻の著作などがある。 私生活では潔癖な人柄で、自宅は常に柱から土間まで磨きあげられ塵ひとつなかった。ある日家に遊びに来た後輩がうっかりして泥のついた下駄で入り込んだ時は、「おいおい。だめじゃないか。」と激しく怒ったという 嘉永7年(1854年)小團次が河原崎座に移籍。以降小團次は黙阿弥と提携してしまう。代わりに如皐と組んだ四代目中村芝翫が丸本物を得意とすることが、生世話物に本領とする如皐には合わないなどの理由から筆力が衰退する。それでも三代目澤村田之助のために『蠎阿由曙仇討』(うわばみお由)などいくつかの佳作をものにしたが、明治以降になると新時代に対応できず、さらに黙阿弥の人気に押され二流の芝居小屋での活躍を余儀なくされた。以上のように才能がありながらも狂言作者として大成せぬまま終わったが、鶴屋南北と黙阿弥の間の時代を埋める存在として評価されている。 墓所は向島弘福寺。四代目瀬川如皐は親戚に当たる。 Category:歌舞伎作者 Category:武蔵国の人物 Category:1806年生 Category:1881年没.

新しい!!: 鶴屋南北と瀬川如皐 (3代目) · 続きを見る »

道外方

道外方または道化方(どうけがた)は、歌舞伎の役どころのひとつ。おもに笑いを誘う。 歌舞伎の道外方は、最も古い時期に成立した役柄の一つといわれる。西欧の道化師とおなじように物真似や滑稽な口上で人を笑わせたが、道化師との大きな違いは、道外方が純然とした芝居の役どころとして発達したことにある。元禄歌舞伎では、演目の構成上特に重要な一場面を担当することが多く、それもただ滑稽な演技で観客を笑わせるだけではなく、司会役としての役割を兼ねた役どころだった。しかしその後の歌舞伎が物語性を追求したものになっていったこと、そして通し狂言がほとんどなくなり今日のような見取り狂言じたてになったことで、道外方の役割はしだいになくなり、天明歌舞伎のころまでには衰退してしまった。 なお当時の芝居小屋に掛けられる看板には、まず一枚目に一座の看板役者を、続く二枚目には人気の若衆方を、そして三枚目にこの道外方を書いて掲げていたが、これが面白可笑しい者のことを指す「三枚目」の語源の一つと考えられている。.

新しい!!: 鶴屋南北と道外方 · 続きを見る »

鶴屋 (歌舞伎)

屋(つるや)は、歌舞伎役者の屋号。 鶴屋南北の系統と、市川右團次の系統がある。.

新しい!!: 鶴屋南北と鶴屋 (歌舞伎) · 続きを見る »

鶴屋南北 (4代目)

四代目 鶴屋 南北(よだいめ つるや なんぼく、宝暦5年(1755年) - 文政12年11月27日(1829年12月22日))は、江戸時代後期に活躍した歌舞伎狂言の作者。 鶴屋南北を襲名した者は5名を数えるが、単に鶴屋南北または南北というと、通常はこの四代目のことをさす。また5代の南北のなかでもその業績が突出しているため、この四代目のことを特に大南北(おおなんぼく)ともいう。.

新しい!!: 鶴屋南北と鶴屋南北 (4代目) · 続きを見る »

鶴屋南北 (5代目)

五代目 鶴屋 南北(ごだいめ つるや なんぼく、寛政8年(1796年) - 嘉永5年1月21日(1852年2月10日))は江戸後期の歌舞伎役者・歌舞伎作者。本名、松本源三郎。俳名は可祐、屋号は鶴屋、紋は丸に大の字。 父は江戸深川八幡宮境内にある二軒茶屋の主人松本歳右衛門。その三男として生まれる。寛政12年(1800年)、二代目勝俵蔵の養子となり芝居の世界に入る(四代目鶴屋南北の娘婿・勝兵助の養子の説もあり)。 享和2年(1802年)、南北丑右衛門の名で江戸市村座の「當奥州壺碑」の舞台に上がり、道化役の鶴屋南北家の家紋「丸に大の字」を使用する。その後も舞台活動を続けるが、文政4年(1821年)頃、狂言作者に転向。靏峯千助と改名。同年5月江戸河原崎座『敵討櫓太鼓』、7月『玉藻前御園公服』など祖父の四代目鶴屋南北の脚本に参加する。のち、鶴屋孫太郎と改名。たまさかに舞台に出るときは靏峯丑左衛門の名を名乗り四代目の傑作『絵本合法衢』に出演する。 こうして舞台活動を続けながらも祖父のスケとして活動、『東海道四谷怪談』『金幣猿島郡』などの傑作脚本の執筆に加わり、文政12年(1829年)立作者となる。四代目の死後も創作活動は続き天保3年(1832年)に二代目姥尉輔(四代目南北の草双紙のペンネーム)を襲名。天保8年(1837年)3月江戸中村座『桜花大江戸舟』で五代目鶴屋南北を襲名。その後も江戸、大阪の劇壇で活躍する。四代目と区別するために『孫太郎南北』と呼ばれた。 主として、旧作や四代目の作品の補作、改訂に終始し独創性に乏しかったが、三代目瀬川如皐、二代目河竹新七(のちの河竹黙阿弥)ら幕末、明治期にかけて活躍する逸材たちを育てた功績は大きい。 Category:歌舞伎役者 Category:歌舞伎作者 Category:武蔵国の人物 Category:1796年生 Category:1852年没.

新しい!!: 鶴屋南北と鶴屋南北 (5代目) · 続きを見る »

正徳 (日本)

正徳(しょうとく)は日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継。.

新しい!!: 鶴屋南北と正徳 (日本) · 続きを見る »

歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

新しい!!: 鶴屋南北と歌舞伎 · 続きを見る »

河竹黙阿弥

黙阿弥 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。.

新しい!!: 鶴屋南北と河竹黙阿弥 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

4代目鶴屋南北勝俵蔵四世鶴屋南北四代目鶴屋南北鶴屋南北四世

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »