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鳥居本宿

索引 鳥居本宿

鳥居本宿(とりいもとじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道の63番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市鳥居本町。 本陣は寺村家が務め、脇本陣と問屋は高橋家が務めた。本陣や脇本陣の建物こそ現存しないが、随所に重厚な家屋が残り、宿場の雰囲気が残されている。 鳥居本宿から朝鮮人街道が分岐した。.

37 関係: 参勤交代坂田郡天保宿場寺村氏中山道久留米藩広島藩彦根市徳島藩問屋場児玉幸多石高紀州藩町 (単位)番場宿畳 (単位)高宮宿鳥居本駅近江国近江鉄道本線脇本陣長州藩松山藩松江藩津山藩滋賀県朝鮮人街道朝鮮通信使本陣本陣寺村家有川製薬文政旅籠1829年1841年1843年

参勤交代

参勤交代(さんきんこうたい)とは、各藩の藩主を一年おきに江戸に出仕させる江戸幕府の法令のことである。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。 藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵.

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坂田郡

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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宿場

中山道妻籠宿 宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取り扱うため設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。 また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。.

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寺村氏

寺村氏(てらむらし)は、日本の氏族のひとつ。.

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中山道

五十五里塚跡、下諏訪宿 福島宿) 一里塚(岐阜県垂井町) 中山道(なかせんどう)は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。「中仙道板橋駅の北側にある踏切が「中仙道踏切」という名称である。」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。.

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久留米藩

久留米藩(くるめはん)は、筑後国御井郡の久留米城(現在の福岡県久留米市)に藩庁を置いた藩。1620年以降幕末まで摂津有馬氏が藩主を務め、21万石を領した。 米藩(べいはん)とも称される。.

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広島藩

広島藩(ひろしまはん)は、安芸国一国と備後国の半分を領有した大藩で、現在の広島県の概ね半分にあたる。藩庁は広島城(現在の広島市)に置かれた。芸州藩(または安芸藩)と呼ばれることも多い。.

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彦根市

彦根市(ひこねし)は、滋賀県の北東部に所在する市である。滋賀県北部、東部の中心となる都市である。 旧坂田郡鳥居本村と旧愛知郡稲枝町を除き、かつては犬上郡に属していた。.

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徳島藩

徳島藩(とくしまはん)は、阿波国(徳島県)・淡路国(兵庫県淡路島)の2国を領有した藩。藩庁は徳島城(徳島県徳島市)に置かれた。藩主は外様大名の蜂須賀氏。支藩として一時、富田藩があった。.

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問屋場

旧醒井宿問屋場 問屋場(とんやば・といやば)は、江戸時代の街道の宿場で人馬の継立、助郷賦課などの業務を行うところで、駅亭、伝馬所、馬締ともいった(本項の語意に於ける「問屋」とは、運送業を意味する。「問丸」の項を参照)。 業務の主宰者は問屋と称され、その助役の年寄、さらに人馬の出入りや賃銭などを記入する帳付、人馬に荷物を振り分ける馬指などの者がいた。通常の時は交代で出勤するが、大名行列などの大通行があるときは全員が詰めることになっていた。 1868年7月27日(明治元年6月8日)、明治政府は問屋場を伝馬所(でんましょ)、責任者を取締役(1駅あたり定員2名)と改めた。その後、1870年4月9日(明治3年3月9日)に取締役が廃止されて伝馬所は官(駅逓司)の管轄下に置かれ、1872年(明治5年)に伝馬所を含めた宿駅制度そのものが廃止された。.

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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石高

石高(こくだか)とは、近世の日本において、土地の生産性を石という単位で表したもの。太閤検地以降、地租改正まで、大名・旗本の収入および知行や軍役等諸役負担の基準とされ、所領の規模は面積ではなく石高で表記された。また農民に対する年貢も石高を元にして徴収された。.

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紀州藩

紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑 和歌山城 紀州藩(きしゅうはん)は、江戸時代に紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県と三重県南部)を治めた藩。紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。 版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山藩(わかやまはん)。藩庁は和歌山城(和歌山県和歌山市)。藩主は紀州徳川家。紀州家は徳川御三家の一つで、石高は55万5千石。紀伊一国37万石のほか、伊勢国内の17万9千石を統括するために松坂城に城代を置いた。その他、大和国に約1千石の所領があった(石高には御附家老の水野家新宮領と安藤家田辺領を含む)。.

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町 (単位)

(ちょう)は尺貫法での長さ(距離)または面積の単位である。.

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番場宿

場宿(ばんばしゅく、ばんばじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道の62番目の宿場で、現在は滋賀県米原市番場。 飛鳥時代に「東山道」と呼ばれた頃以来の宿場。江戸時代の慶長16年(1611年)、番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から湖上の水運に乗り換えて京都へ結ぶ近道への分岐点となった。.

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畳 (単位)

畳(じょう)は、部屋の大きさ(床面積)を表す単位である。帖と表記するのは慣用である。特に不動産広告では「帖」と表記される傾向が強い。.

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高宮宿

宮宿(たかみやしゅく、たかみやじゅく)は近江国犬上郡にあった中山道の64番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市高宮町。.

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鳥居本駅

鳥居本駅(とりいもとえき)は、滋賀県彦根市鳥居本町にある近江鉄道本線の駅。.

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近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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近江鉄道本線

本線(ほんせん)は、滋賀県米原市の米原駅から滋賀県甲賀市の貴生川駅までを結ぶ、近江鉄道の鉄道路線である。「近江線」「近江本線」などと呼ばれることがある。また、本線を始め近江鉄道各線は地元住民から「近江ガチャコン」「ガチャコン」と呼ばれることがある。 東海道本線や草津線のルートから外れた近江盆地の穀倉地帯を縦断する鉄道として、北陸から関西鉄道(現在の草津線)へ伊勢参詣への短絡路も兼ねて建設された。五箇荘以北は旧中山道、五箇荘から日野までは旧御代参街道(伊勢道)におおむね沿っている。 2013年3月16日から米原駅 - 高宮駅 - 多賀線多賀大社前駅間に「彦根・多賀大社線」(ラインカラー:)、高宮駅 - 八日市駅間に「湖東近江路線」(ラインカラー:)、八日市駅 - 貴生川駅間に「水口・蒲生野線」(ラインカラー:)の愛称が付けられている。.

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脇本陣

因幡街道 大原宿 脇本陣 脇本陣(わきほんじん)は、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時には一般客の宿泊にも供した。 規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。.

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長州藩

長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.

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松山藩

松山藩(まつやまはん).

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松江藩

藩庁松江城 松江藩(まつえはん)は、出雲1国または隠岐国を加えた2国を領有した藩。藩庁は松江城(島根県松江市殿町)。藩主は外様大名の堀尾氏、京極氏と続き、親藩の越前系松平氏が廃藩置県まで支配した。.

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津山藩

津山城古写真(撮影:松平国忠) 津山藩(つやまはん)は、美作国の大半を領有した藩。藩庁は津山城(岡山県津山市)に置かれた。.

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滋賀県

こちら) 滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本国・近畿地方北東部の内陸県である。県庁所在地は大津市。.

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朝鮮人街道

朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)は、近江国(滋賀県)に存在した近世の脇街道である彦根道(ひこねみち)、京道(きょうみち)および八幡道(はちまんみち)の異名である。中山道(上街道)との比較で下街道・浜街道、あるいは朝鮮人道、唐人街道などともいう。.

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朝鮮通信使

孝宗6年 朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団である。正式名称を朝鮮聘礼使と言う。 2017年10月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が主催する事業「世界の記憶」(せかいのきおく、英: Memory of the World: MOW)遺産に登録された。.

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本陣

本陣は、 江戸時代以降の宿場で、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があった。.

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本陣寺村家

本陣寺村家は、滋賀県の鳥居本宿にあった本陣の屋敷。建坪137坪(約452㎡)で畳数201帖、門構え、白砂の前庭、奥には広い庭園、土蔵があった。現在は本陣の門のみが残っている。.

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有川製薬

有川製薬株式会社(ありかわせいやく)は滋賀県彦根市鳥居本町にある製薬メーカー。害虫駆除事業も併営。.

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文政

文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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旅籠

赤坂宿 大橋屋(2007年) 旅籠(はたご)とは、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことである。旅籠屋(はたごや)の略。江戸時代以降も旅籠または旅籠屋の名称を宿やホテル一般的な名称として使う場合がある。本稿では主に江戸時代の日本の旅籠屋について詳述する。.

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1829年

記載なし。

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1841年

記載なし。

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1843年

記載なし。

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