31 関係: 原書房、合同出版、吉上昭三、大久保昭男、大月書店、山崎功、山村房次、世界革命文学選、ナデジダ・クルプスカヤ、ユーロコミュニズム、パリ・コミューン、フィデル・カストロ、ニキータ・フルシチョフ、ニコライ・プルジェヴァリスキー、ウラジーミル・レーニン、サンティアゴ・カリーリョ、直野敦、草鹿外吉、青木文庫、高知市、谷耕平、蔵原惟人、村田陽一 (翻訳家)、新日本出版社、新日本文学会、日本共産党、早稲田大学、1904年、1986年、6月8日、8月15日。
原書房
原書房(はらしょぼう)は、日本の出版社。戦史、外交史料集の出版・復刻を出発点としているが、現在はそれに加え推理小説・海外恋愛小説などの文芸書、軍事を扱う書籍、『食人全書』『不潔の歴史』などの一風変わった人文書、『天声人語』の英訳版など、幅広いラインナップを持つ。.
合同出版
合同出版(ごうどうしゅっぱん)は日本の出版社。.
吉上昭三
吉上 昭三(よしがみ しょうぞう、1928年2月27日 - 1996年1月28日)は、ロシア・ポーランド文学者、東京大学名誉教授。大阪市出身。 1951年早稲田大学露文科卒業後、ラヂオプレス通信社入社。1964年より1年間ポーランドに留学。1973年、東京大学教養学部講師、1975年、助教授。1980年、教授。1988年定年退官後、創価大学教授となる。1990年、ポーランドに関する総合文化誌「ポロニカ」を創刊。1991年、ポーランド功労黄金勲章。自宅の火事により焼死。 妻は児童文学者・内田莉莎子(父は洋画家・内田巌。祖父は評論家・内田魯庵)。息子は翻訳家の吉上恭太。.
大久保昭男
大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - )は、イタリア文学者。本名「てるお」だが「あきお」と読むこともある。 茨城県結城郡西豊田村(現・八千代町)生まれ。1945年第一高等学校入学を経て、東京大学文学部仏文科卒。アルベルト・モラヴィアの作品を数多く訳した。(児童向けを含め)フランス文学の訳書も出している。 英文学の翻訳者大久保康雄は遠縁の親戚に当たる。.
新しい!!: 高橋勝之と大久保昭男 · 続きを見る »
大月書店
大月書店(おおつきしょてん)は、日本の出版社。主に、社会、政治、人文、思想などを中心とした図書を刊行している。マルクス主義関連の図書については屈指の刊行数を誇る。.
山崎功
山崎功(やまざき いさお、1907年2月25日 - 1983年6月3日)は、日本のジャーナリスト、イタリア研究者。 石川県金沢市生まれ。1927年東京外国語学校イタリア語科卒、読売新聞社に入る。ローマ特派員、1942年ローマ大学政治学部卒。欧米部次長、論説委員。.
山村房次
山村 房次(やまむら ふさじ、1908年1月29日 - 1986年1月7日)は、日本の文学研究者、ロシア文学者。本名・花房森。.
世界革命文学選
世界革命文学選(せかいかくめいぶんがくせん)は、1962年から1970年にわたって日本共産党中央委員会文化部が編集し新日本出版社が刊行した、日本語の叢書である。 その後、小B6判並製だった判型を四六判上製に改め〈世界の革命文学〉シリーズとして1970年代前半に再刊されたものもある。また、1970年代後半から80年代にかけては、新日本文庫に収録されたものもある。 以下、通巻番号、著者国籍、書名、著者名、訳者名、刊行年月、主題・キーワードの順に記す。.
新しい!!: 高橋勝之と世界革命文学選 · 続きを見る »
ナデジダ・クルプスカヤ
ナデジダ・クルプスカヤ ナデジダ・コンスタンチノヴナ・クルプスカヤ(ナジェージダ、ナジェージュダなどとも;ロシア語:Надежда Константиновна Крупскаяナヂェージュダ・カンスタンチーナヴナ・クループスカヤ;ラテン文字転写の例:Nadezhda Konstantinovna Krupskaya、1869年2月26日(ユリウス暦2月14日) - 1939年2月27日)は、ソビエト連邦の政治家、革命家、教育家。ウラジーミル・レーニンの妻。レーニンとの間に子供は生まれなかった。故にレーニンとクルプスカヤの直系子孫は存在しない。.
新しい!!: 高橋勝之とナデジダ・クルプスカヤ · 続きを見る »
ユーロコミュニズム
ユーロコミュニズム(Eurocommunism)は、中ソ対立などにより国際共産主義運動が多様化する中で1970年代に西ヨーロッパ(主にフランス、イタリア、スペイン)の共産党で趨勢となった共産主義の一潮流。暴力革命路線の放棄、プロレタリア独裁論の破棄、民主集中制と分派禁止規定を廃止した。.
新しい!!: 高橋勝之とユーロコミュニズム · 続きを見る »
パリ・コミューン
パリ・コミューン(Commune de Paris、Paris Commune)は、フランス・パリ市の自治市会(革命自治体)のことであるが、ここでは国防政府のプロイセンとの和平交渉に反対し、同時期にフランス各地で蜂起したコミューン(la Commune)のうち普仏戦争後の1871年3月26日に、史上初の「プロレタリアート独裁」による自治政府を宣言した1871年のパリのコミューン(La Commune de Paris 1871)について説明する。 このパリ・コミューンは約2ヶ月でヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されたが、後の社会主義、共産主義の運動に大きな影響を及ぼし、短期間のうちに実行に移された数々の社会民主主義政策は、今日の世界に影響を与えた。マルセイユ(1870年9月5日宣言)、リヨン(1870年9月4日宣言)、サン・テティエンヌ(1871年3月26日宣言)、トゥールーズ、ナルボンヌ(1871年3月30日宣言)、グルノーブル、リモージュなどの、7つの地方都市でも同様のコミューンの結成が宣言されたが、いずれも短期間で鎮圧された。.
新しい!!: 高橋勝之とパリ・コミューン · 続きを見る »
フィデル・カストロ
フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス(Fidel Alejandro Castro Ruz (audio), 1926年8月13日 - 2016年11月25日 時事ドットコム 11月26日付)は、キューバの政治家、革命家、軍人、弁護士。社会主義者で、1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えた。革命によって同国の最高指導者となり、首相に就任。1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会を、1976年より2008年まで国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)を務めた。 国家元首として在職中、日本国内においては「カストロ議長」と呼称されることが多かった。なお、本項では本人を指す場合は原則として「フィデル」の表記を用いる。これは、彼の弟にして後継者であるラウル・カストロの存在があるためで、ラウルについても本項では原則として「ラウル」の表記を用いる。.
新しい!!: 高橋勝之とフィデル・カストロ · 続きを見る »
ニキータ・フルシチョフ
ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ(Ники́та Серге́евич Хрущёв(ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョーフ)、ラテン文字表記の例:Nikita Sergeyevich Khrushchev、Мики́та Сергі́йович Хрущо́в(ムィクィータ・セルヒーヨヴィチ・フルシチョーウ)、1894年4月17日 - 1971年9月11日)は、ソビエト連邦の政治家、同国の第4代最高指導者。ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)を兼務した。民族的にはウクライナ人。 ヨシフ・スターリンの死後、スターリン批判によってその独裁と恐怖政治を世界に暴露し、非スターリン化に基づいて個人崇拝を否定し、集団指導を掲げた。対外的には、アメリカ合衆国を中心とする西側陣営と平和共存を図り、核実験を抑制しようとした。一方で中華人民共和国およびアルバニアと激しく対立し、またハンガリー動乱に際し軍事介入を行うなど社会主義国同士の紛争が目立った。.
新しい!!: 高橋勝之とニキータ・フルシチョフ · 続きを見る »
ニコライ・プルジェヴァリスキー
ニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェヴァリスキー(Никола́й Миха́йлович Пржева́льский、1839年4月12日[旧暦3月31日] - 1888年11月1日[旧暦10月20日]、プルジェワリスキーとも)はロシア帝国の地理学者で、中央・東アジアの探検家として知られる。最終目的地としたチベットのラサまではたどり着くことはできなかったものの、チベット北部や青海そしてジュンガリア(現在の新疆ウイグル自治区北部)など西洋世界に知られていなかった地域を旅した。彼は中央アジアの情報をヨーロッパ人に大いに齎し、唯一現存する野生馬プルジェワリスキーウマ(学名:Equus przewalskii)について最初に記述して、その種名が彼に因んで命名された。.
新しい!!: 高橋勝之とニコライ・プルジェヴァリスキー · 続きを見る »
ウラジーミル・レーニン
ウラジーミル・イリイチ・レーニン(Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年4月22日 – 1924年1月21日)は、ロシアの革命家、政治家。ロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ、のちに共産党と改名)の指導者として活動し、十月革命を成功させ、革命政府において人民委員会議議長を務めた。また、第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織としてコミンテルンの創設を主導した。政治、経済の分析から哲学に至るまでさまざまな著作を残し、その思想はレーニン主義として継承された。 本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)であり、レーニンは筆名。多くの著作でエヌ・レーニン(Н.)と署名していた。本人が「ウラジーミル・イリイチ・レーニン」と名乗った例はない。.
新しい!!: 高橋勝之とウラジーミル・レーニン · 続きを見る »
サンティアゴ・カリーリョ
ンティアゴ・ホセ・カリーリョ・ソラーレス(Santiago José Carrillo Solares、1915年1月18日 - 2012年9月18日)は、スペインの政治家。1960年から1982年まで、スペイン共産党(PCE)書記長を務めた。ユーロコミュニズムの旗手として活躍した事でも知られる。名字はカリージョとも。.
新しい!!: 高橋勝之とサンティアゴ・カリーリョ · 続きを見る »
直野敦
野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日本の翻訳家・東欧・ロシア文学者。東京大学教養学部名誉教授。.
草鹿外吉
草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 1993年7月25日)は、日本のロシア文学研究者、詩人、小説家である。.
青木文庫
青木文庫(あおきぶんこ)は、青木書店が発行していた文庫本である。 1950年代はじめ、青木書店は、総合的な文庫本を企画し、青木文庫を発刊した。自社出版物からは、長谷部文雄訳の『資本論』などの社会・経済分野のものを文庫化し、文学では日本のプロレタリア文学や、外国の革命文学の作品を多く刊行した。特に、戦前に発表された後再刊されていなかった、黒島伝治の『武装せる市街』の復刊や、田岡嶺雲の評論集などの、近代文学の埋もれた作品の発掘にも力をいれた。小林多喜二やマクシム・ゴーリキーの作品も多く文庫にされた。 1950年代から60年代にかけては、多くの在庫をもち、総合的文庫として定着していたが、70年代にはいると在庫もしぼり、新刊も、戸坂潤の論文集や宮本顕治・宮本百合子の往復書簡『十二年の手紙』や蔵原惟人の『芸術書簡』などわずかになった。 1980年代に刊行を停止した。その後、判型をやや大きくした新装版として、峠三吉の『原爆詩集』や服部之総の明治維新に関する著作などを刊行した時期もあった。.
高知市
知市(こうちし)は、四国の中南部に位置する都市で、高知県の県庁所在地である。中核市に指定されている。旧土佐郡・長岡郡・吾川郡。.
谷耕平
谷 耕平(たに こうへい、1903年11月20日 - 1989年12月6日)は、日本のロシア文学者。長野県生まれ。東京帝国大学文学部卒。戦前からロシア文学者として活動、戦後は早稲田大学教授を務めた。1974年定年、名誉教授。.
蔵原惟人
蔵原 惟人(くらはら これひと、1902年(明治35年)1月26日 - 1991年(平成3年)1月25日)は、日本の評論家である。ペンネームは古川荘一郎。駄じゃれが好きという一面もある。.
村田陽一 (翻訳家)
村田 陽一(むらた よういち、1908年6月4日 - 1997年6月22日)は、日本の翻訳家、社会運動家。.
新しい!!: 高橋勝之と村田陽一 (翻訳家) · 続きを見る »
新日本出版社
株式会社新日本出版社(しんにほんしゅっぱんしゃ)とは、日本の出版社。社会・政治から絵本・児童書まで扱う総合出版社。月刊「経済」の発行元。.
新しい!!: 高橋勝之と新日本出版社 · 続きを見る »
新日本文学会
新日本文学会(しんにほんぶんがくかい)は、1945年から2005年まで存続した、日本の文学者の職能団体である。.
新しい!!: 高橋勝之と新日本文学会 · 続きを見る »
日本共産党
日本共産党(にほんきょうさんとう、Japanese Communist Party)は、日本の政党。英文略称はJCP。.
新しい!!: 高橋勝之と日本共産党 · 続きを見る »
早稲田大学
大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.
新しい!!: 高橋勝之と早稲田大学 · 続きを見る »
1904年
記載なし。
新しい!!: 高橋勝之と1904年 · 続きを見る »
1986年
この項目では、国際的な視点に基づいた1986年について記載する。.
新しい!!: 高橋勝之と1986年 · 続きを見る »
6月8日
6月8日(ろくがつようか)はグレゴリオ暦で年始から159日目(閏年では160日目)にあたり、年末まではあと206日ある。誕生花はクチナシ、ジャスミン、タイサンボクなどとされる。.
8月15日
8月15日(はちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から227日目(閏年では228日目)にあたり、年末まであと138日ある。.
新しい!!: 高橋勝之と8月15日 · 続きを見る »
ここにリダイレクトされます:
里見三吉。