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高堂国典

索引 高堂国典

堂 国典(こうどう くにのり、1887年(明治20年)1月29日 - 1960年(昭和35年)1月22日)は、日本の俳優。本名は谷川 佐市郎(たにがわ さいちろう)。一時は高堂 黒天(読み同じ)の芸名で活動していた。通り名は「こくてん」。 戦前は帝国キネマと市川右太衛門プロダクションで活躍し、戦中から戦後にかけて東宝に出演した。老け役として個性を発揮し、様々な作品に脇役で活躍。黒澤明作品の常連の一人でもある。.

101 関係: てんやわんやどたんばあらくれ (小説)古海卓二右門捕物帖吉良義央堀部金丸夫婦 (映画)奈良市奈良県姿三四郎 (映画)宮本武蔵 (小説)宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島小杉義男左卜全上田吉二郎帝国キネマ七人の侍市川右太衛門プロダクション三好栄子三等重役三船敏郎下郎 (映画)幻の馬忠臣蔵 (1932年の映画)俳優土屋嘉男トーキーわが青春に悔なしアシヤ映画製作所カルメン故郷に帰るキネマ旬報キネマ旬報社ゴジラ (1954年の映画)サイレント映画兵庫県剣戟映画獣人雪男現代劇稲垣浩第一線映画連盟紀伊國屋文左衛門続宮本武蔵 一乗寺の決斗續姿三四郎生きものの記録無法松の一生白痴 (1951年の映画)白蘭の歌隠し砦の三悪人銀嶺の果て...青い山脈 (映画)青い真珠青色革命裸の大将 (映画)高砂市麦秋 (1951年の映画)黒澤明蜘蛛巣城阿波の踊子赤線基地赤線地帯関西学院中学部・高等部藤原釜足醜聞野良犬 (1949年の映画)長崎の鐘雪之丞変化連合映画芸術家協会暁の追跡暴力の街暗黒街の顔役 (1959年の映画)柿の木のある家東宝松竹京都撮影所村田正雄 (初代)次郎長三国志淡路恵子未來社戦国無頼我が家は楽し映画の分類新劇新妻鏡新・平家物語 義仲をめぐる三人の女新派日本旗本退屈男時代劇1887年1888年1901年1923年1926年1927年1936年1939年1959年1960年1月17日1月22日1月29日 インデックスを展開 (51 もっと) »

てんやわんや

『てんやわんや』は、『毎日新聞』に1948年から1949年にかけて連載された獅子文六による日本の小説、またそれを原作とする日本映画である。.

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どたんば

『どたんば』は、1956年にNHKで放送された単発のテレビドラマ、およびそれを原作として、1957年に東映配給で公開された映画である。 炭坑の落盤事故で生き埋めにされ、極限状態に追いつめられる作業員達の葛藤、その救出をめぐる肉親や愛人、事業主らのやりとりが展開される。.

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あらくれ (小説)

『あらくれ』は、1915年(大正4年)に徳田秋声が読売新聞紙上に連載した日本の長篇小説であり''あらくれ''、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年6月19日閲覧。''あらくれ''、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年6月19日閲覧。、同作を原作として1957年(昭和32年)に成瀬巳喜男が監督し、東宝が製作・配給して公開した日本の長篇劇映画である''あらくれ''、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月19日閲覧。。小説は、自然主義文学者の徳田が写実的に描いた女の一代記であり、映画は、水木洋子が脚色、主人公を高峰秀子が演じた文芸映画であるが、当時の「映画倫理管理委員会」(新映倫、現在の映画倫理委員会)は同作を成人映画に指定し、18歳未満の鑑賞を制限した。1961年(昭和36年)には、朝日放送が「近鉄金曜劇場」枠の第1回作品として、テレビドラマ化している''あらくれ''、テレビドラマデータベース、2012年6月19日閲覧。。.

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古海卓二

古海 卓二(ふるみ たくじ、明治27年(1894年)3月3日 - 昭和36年(1961年)4月10日)は、日本の劇作家、作詞家・作曲家、俳優、舞台監督、映画監督、小説家である。獏 与太平・貘 與太平(ばく よたへい)の名で翻案・オリジナルのオペラ作劇により「浅草オペラ」、あるいは横浜の大正活動映画で活動ののちに舞台を京都に移し、「古海卓二」名で映画監督として活躍した。監督としては園池 成男(そのいけ なるお)の名ももつ。俳優としては高倉 健二郎(たかくら けんじろう)を名乗った三楽, p.260.

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右門捕物帖

『右門捕物帖』(うもんとりものちょう)は、佐々木味津三の時代小説。また、これを原作とする映画、テレビ時代劇。 主人公は同心の近藤右門。無口であることから「むっつり右門」の異名をもつ。岡っ引の伝六を伴い、数々の難事件を解決してゆく。.

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吉良義央

吉良 義央(きら よしひさ/よしなか(名前の読みについては後述を参照))は、江戸時代前期の高家旗本(高家肝煎)。赤穂事件の一方の当事者であり、同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。吉良上野介と呼ばれることが多い。本姓は源氏(清和源氏)。家紋は丸に二つ引・五三桐。.

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堀部金丸

堀部 金丸(ほりべ かなまる(あきざね)、寛永4年(1627年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は弥兵衛(やへえ/やひょうえ)。堀部勝綱の子。本姓は源氏(近江源氏)。家紋は四ツ目結二ツ。.

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夫婦 (映画)

『夫婦』(ふうふ)は1953年1月22日に公開された日本映画。製作、配給は東宝。モノクロ、スタンダード。.

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奈良市

奈良市(ならし)は、日本の奈良県の北部に位置する市で、同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。.

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奈良県

奈良県(ならけん)は、日本の都道府県の一つ。本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置する県である。 令制国の大和国の領域を占め、県庁所在地は奈良市。北西部の盆地部を除き、険しい山々がそびえている。都道府県面積は全国で8番目に狭く内陸8県では最も狭いが、最小の香川県の約2倍でもある。.

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姿三四郎 (映画)

『姿三四郎』(すがたさんしろう)は、富田常雄の小説『姿三四郎』を原作とする映画である。これまでに5度映画化されている。.

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宮本武蔵 (小説)

『宮本武蔵』(みやもとむさし)は、吉川英治の新聞小説。朝日新聞に連載されたこの作品は、1935年の8月23日から、4年後の1939年7月11日まで続いた。 二天一流の開祖でもある剣豪・宮本武蔵の剣士として自己を確立するに至るまでの成長を描く。同時に、彼を取り巻く武芸者たちの人生も描かれている。 剣禅一如を目指す求道者・宮本武蔵を描いたこの作品は、日中戦争から太平洋戦争へと向かう戦時下での人心に呼応し、新聞小説史上かつてないほどの人気を得た、大衆小説の代表作である。 連載後も永く、多くの人々が影響を受けた旨述べている。.

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宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島

『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』(みやもとむさし かんけつへん けっとうがんりゅうじま、英題:Samurai III: Duel at Ganryu Island)は、1956年(昭和30年)1月3日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は稲垣浩、主演は三船敏郎。イーストマンカラー、スタンダード、104分。 吉川英治の長編小説『宮本武蔵』を原作とした、稲垣監督・三船主演による3部作の最終作。配収は1億5550万円で、1955年度の邦画配収ランキング第8位となった。.

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小杉義男

小杉 義男(こすぎ よしお、1903年〈明治36年〉9月15日 - 1968年〈昭和43年〉3月12日)は、栃木県出身の日本の俳優。叔父に日本画家の小杉放庵、長女は元女優の小杉公子。.

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左卜全

左 卜全(ひだり ぼくぜん、本名;三ヶ島 一郎〈みかじま いちろう〉、1894年2月20日 - 1971年5月26日)は、日本の俳優、オペラ歌手。異母姉は三ヶ島葭子。.

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上田吉二郎

上田 吉二郎(うえだ きちじろう、1904年3月30日 - 1972年11月3日)は、日本の俳優。本名は上田 定雄(うえだ さだお)。 アクの強い個性的な演技で知られた名脇役で、300本以上の映画に出演した。愛称は上吉(うえきち)。悪役・敵役を得意とし、弱者を痛めつけ自分より強いものには平身低頭するような悪役を演じることが多かった。その独特なダミ声で知られ、よく声帯模写で取り上げられた。主な出演作品に『羅生門』『生きものの記録』など。.

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帝国キネマ

帝國キネマ演藝株式會社(ていこくキネマえんげい、1920年(大正9年)5月 改組設立 - 1931年(昭和6年)8月28日 改組消滅)は、第二次世界大戦以前に大阪に存在した映画製作会社である。通称帝国キネマ、略称帝キネ。 1920年(大正9年)に大阪の興行師・山川吉太郎が設立。時代劇のほか現代劇でも大ヒットをいくつか飛ばし、千日前で漫才などの演芸興行も行ったが、内紛も多かったとされる。.

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七人の侍

『七人の侍』(しちにんのさむらい)は、1954年(昭和29年)4月26日に公開された日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬。モノクロ、スタンダード・サイズ、207分。 当時の通常作品の7倍ほどに匹敵する製作費をかけ、何千人ものスタッフ・キャストを動員、1年余りの撮影期間がかかったが、興行的には成功し、700万人の観客動員を記録した。日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。 黒澤明が初めてマルチカム方式(複数のカメラで同時に撮影する方式)を採用し、望遠レンズを多用した。ダイナミックな編集を駆使して、豪雨の決戦シーン等迫力あるアクションシーンを生み出した。さらにその技術と共に、脚本、綿密な時代考証等により、アクション映画・時代劇におけるリアリズムを確立した。 黒澤明が尊敬するジョン・フォードの西部劇から影響を受け、この作品自体も世界の映画人・映画作品に多大な影響を与えた。1960年にはアメリカ合衆国で『荒野の七人』として、2016年には『マグニフィセント・セブン』としてリメイクされている。ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。.

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市川右太衛門プロダクション

市川右太衛門プロダクション(いちかわうたえもんプロダクション、1927年5月 - 1936年)は、かつて奈良県に存在した映画会社である。当時の若手人気俳優市川右太衛門が設立したスタープロダクションであり、生駒郡伏見村(現・奈良市)にあった遊園地内に撮影所を建設、9年にわたって稼働した。通称右太プロ。.

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三好栄子

三好 栄子(みよし えいこ、1894年4月8日 - 1963年7月28日)は、日本の女優である。東京市出身。夫は映画プロデューサーの森田信義。黒澤明映画をはじめ多くの東宝映画に出演した。出生名は宮田 ハル(みやた はる)、結婚後の本名は森田 ハル(もりた はる)。.

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三等重役

『三等重役』(さんとうじゅうやく)は、源氏鶏太による日本の小説であり、同作を原作とした1952年(昭和27年)製作・公開の日本の長篇劇映画、および『続三等重役』、『一等社員 三等重役兄弟篇』の3作のシリーズである。映画版は『新三等重役』に始まる第2シリーズを生んだ。.

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三船敏郎

三船 敏郎(みふね としろう、Toshiro Mifune、1920年4月1日 - 1997年12月24日)は、日本の俳優・映画監督・映画プロデューサー。本名は同じ。 中国・青島市の生まれで、軍隊生活を送った後、1947年(昭和22年)に東宝ニューフェイス第1期生として入社し『銀嶺の果て』で映画デビューした。翌年の『醉いどれ天使』から黒澤明とコンビを組んで『羅生門』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『用心棒』など計15本に主演したほか、岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』、熊井啓監督『黒部の太陽』や、墨映画『価値ある男』、米映画『グラン・プリ』、『太平洋の地獄』、米ドラマ『将軍 SHOGUN』、仏映画『レッド・サン』といった海外映画にも多く出演した。黒澤が世界的な監督になるとともに、三船も国際的なスターとなり、日本では世界のミフネ、英語圏では、The WolfやThe Shogunなどと呼ばれ、世界中の映画関係者に影響を与え、尊敬された(⇒#世界のミフネ・#映画人の評価参照)。 栄典及び称号に、芸術選奨・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・川喜多賞・芸術文化勲章・ロサンゼルス市名誉市民・カリフォルニア大学ロサンゼルス校名誉学位。1961年と1965年にヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞した。 元俳優で映画プロデューサーの三船史郎は本妻(元女優の吉峰幸子)との、タレントの三船美佳は内縁の妻(女優の喜多川美佳)との間にもうけた子供。 以下、氏名の表記は特記を除き「三船」で統一する。.

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下郎 (映画)

『下郎』(げろう)は、1927年(昭和2年)製作・公開、伊藤大輔監督による日本の長篇劇映画である。サイレント映画、剣戟映画であり、時代劇の傾向映画とされる。第二次世界大戦後の1955年(昭和30年)、『下郎の首』(げろうのくび)のタイトルで伊藤がセルフリメイクしている。セルフリメイク版についても本稿で詳述する。.

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幻の馬

『幻の馬』(まぼろしのうま)は、1955年7月20日に公開された、トキノミノルを題材にした日本映画。製作は大映。カラー映画。.

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忠臣蔵 (1932年の映画)

『忠臣蔵』(ちゅうしんぐら)は、1932年(昭和7年)12月1日公開の日本映画である。松竹製作・配給。監督・脚本は衣笠貞之助。モノクロ、スタンダード、139分。 忠臣蔵映画の中では初のトーキー映画で、松竹オールキャスト・製作日数80日・総製作費は(当時の金額の)8万円で製作された鈴木晰也『人生仕方ばなし 衣笠貞之助とその時代』、ワイズ出版、2001年。前篇の「赤穂京の巻」、後篇の「江戸の巻」の2部構成で、公開時は3時間半ほど(全20巻)の作品だったが、現存するのは東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵の139分尺のポジフィルムのみである。第9回キネマ旬報ベスト・テン第3位。.

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俳優

俳優(はいゆう、actor)は、演劇、映画等において、その人物に扮して台詞、身振り、表情などで演じる人のこと。またその職業。役者(やくしゃ)とも呼ばれる。.

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土屋嘉男

土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - 2017年2月8日)は、日本の俳優。本名同じ。身長173cm、体重72kg。.

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トーキー

ーモンの発声映画を宣伝するポスター(1902年) トーキー (talkie) は、映像と音声が同期した映画のこと。talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture を movie と呼んだのにならったものである。サイレント映画(無声映画)の対義語として「トーキー映画」と呼ばれることもあるが冗語である。無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれる。音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない。発声映画が最初に上映されたのは1900年のパリでのことだったが、商業的に成り立つにはさらに10年以上を要した。当初は映画フィルムとは別にレコード盤に録音したものを使っていたため同期が難しく、しかも録音や再生の音質も不十分だった。サウンドカメラの発明によって同期が簡単になり、1923年4月にニューヨークで世界で初めてその技術を使った短編映画が一般上映された。 発声映画の商業化への第1歩はアメリカ合衆国で1920年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。長編映画としての世界初のトーキーは、1927年10月公開のアメリカ映画『ジャズ・シンガー』(ワーナー・ブラザース製作・配給)であり、ヴァイタフォン方式だった。これは、前述のレコード盤に録音したものを使う方式で、その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)がトーキーの主流となった。翌1928年に、サウンドトラック方式を採用したウォルト・ディズニー・プロダクション製作の『蒸気船ウィリー』が公開される。『蒸気船ウィリー』は短編ながら、初のクリックトラックを採用した映画である。しかし、世界初のトーキーアニメーション映画に関しては、1926年に、フライシャー・スタジオの『なつかしいケンタッキーの我が家』がすでに公開されている。 1930年代に入るとトーキーは世界的に大人気となった。アメリカ合衆国ではハリウッドが映画文化と映画産業の一大中心地となることにトーキーが一役買った(アメリカ合衆国の映画参照)。ヨーロッパや他の地域では無声映画の芸術性がトーキーになると失われると考える映画製作者や評論家が多く、当初はかなり懐疑的だった。日本映画では1931年(昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー作品である。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかった。インドの映画はトーキーの到来によって急速に成長し、1960年代以降はアメリカを抜き、世界一の映画製作数を誇るようになった。.

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わが青春に悔なし

『わが青春に悔なし』(わがせいしゅんにくいなし)は、1946年(昭和21年)10月29日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明。モノクロ、スタンダード、110分。 GHQの奨励した民主主義映画の一つ。滝川事件とゾルゲ事件をモデルに、ファシズムの時代の中で自らの信念に基づいて生きる女性の姿を描いた作品で、「自我の確立」をテーマに据えた。第20回キネマ旬報ベスト・テン第2位。.

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アシヤ映画製作所

アシヤ映画製作所(アシヤえいがせいさくしょ、1925年設立 - 同年活動停止)は、兵庫県芦屋市にかつて存在した日本の映画製作会社である。大阪の映画会社「帝国キネマ演芸」社の内紛によって生まれた会社で、同社の寿命は短命に終わったが、全従業員が従来の「帝キネ芦屋」に復帰できた。.

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カルメン故郷に帰る

『カルメン故郷に帰る』(カルメンこきょうにかえる)は、1951年の松竹大船撮影所製作の日本映画、および高峰秀子による同名の主題歌。.

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キネマ旬報

『キネマ旬報』(キネマじゅんぽう)は、キネマ旬報社が発行する映画雑誌である。1919年7月創刊。毎月5日・20日刊行。通称「キネ旬」。.

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キネマ旬報社

株式会社キネマ旬報社(キネマじゅんぽうしゃ)は、日本の出版社。『キネマ旬報』をはじめとして、数々の映画業界関連、映像エンタテインメント関連の雑誌・ムック・書籍を発行している。 2008年1月、親会社で業界誌『ビデオ・インサイダー・ジャパン』、『DVDナビゲーター』を発行するフットノート(映画配給会社ギャガ・コミュニケーションズの出版事業部が前身/沿革を参照)と合併した。.

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ゴジラ (1954年の映画)

『ゴジラ』は、1954年(昭和29年)11月3日名古屋地区では10月27日に特別先行公開されている。に、東宝が製作・公開した日本映画。観客動員数961万人。モノクロ、97分、スタンダード。 巨大怪獣ゴジラが登場するゴジラシリーズ第1作。日本の怪獣映画の元祖である。 海底に潜んでいたジュラ紀の怪獣「ゴジラ」が水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸する。監督は本多猪四郎、円谷英二。原作は香山滋。脚本は村田武雄と本多猪四郎。出演は平田昭彦、河内桃子、宝田明ら。 怪獣映画、特撮映画、パニック映画、反核映画の傑作として名高い。.

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サイレント映画

イレント映画(サイレントえいが、silent film)は、音声・音響、特に俳優の語るセリフが入っていない映画のことである、デジタル大辞泉、小学館、コトバンク、2010年2月4日閲覧。。.

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兵庫県

兵庫県(ひょうごけん)は、日本の都道府県の一つ。本州の中西部に位置し、近畿地方に属する。県庁所在地は神戸市。.

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剣戟映画

剣戟映画(けんげきえいが)は、剣戟を中心に据えた映画のジャンルである。1920年代から1940年代までの第二次世界大戦前、1940年代から1950年代までの戦後の時期に流行し、量産された。日本で製作された剣戟映画は、俗にちゃんばら映画と呼ばれ親しまれ、日本ではハリウッドやフランスの剣戟映画をも俗に同呼称を用いている。「ちゃんばら」の由来に関してはチャンバラの項を参照。.

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獣人雪男

『獣人雪男』(じゅうじん ゆきおとこ)は、1955年(昭和30年)8月14日に公開された、東宝制作の特撮映画。モノクロ、95分、スタンダード。同時上映は『初恋三人息子』。.

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現代劇

代劇(げんだいげき)は、日本の演劇や映画(劇映画)、テレビドラマ等を2つに大別し、現代を題材とした作品を指す大ジャンルである。他方の大ジャンルは時代劇であり、時代劇が明治維新以前の江戸時代、あるいはそれ以前の日本史上における古い時代を舞台としたものであるのに対し、現代劇は、明治維新以降の近現代世界を描いた作品を指す。現代風俗、現代の世相における感情、現代における思想などをテーマとし、演劇、劇映画、あるいはテレビ・ビデオ等の映像メディアでの劇作品で描く。.

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稲垣浩

垣 浩(いながき ひろし、1905年12月30日 - 1980年5月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。本名は稲垣 浩二郎。戦前期に伊丹万作、山中貞雄らと時代劇の傑作を生み出し、日本映画の基礎を作った名監督の一人である。チャンバラに頼らない時代劇を作り「髷をつけた現代劇」と呼ばれた。生涯で100本の映画を撮り、海外での評価も極めて高い。.

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第一線映画連盟

一線映画聯盟(だいいっせんえいがれんめい、1926年 結成 - 1927年 解散)は、かつて存在した日本の映画製作集団である。添田唖蝉坊系アナキストで「浅草オペラ」出身の「獏与太平」こと、映画監督古海卓二が結成した。.

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紀伊國屋文左衛門

紀伊國屋 文左衛門(きのくにや ぶんざえもん、寛文9年(1669年)? - 享保19年4月24日(1734年5月26日)?)は、日本の江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」(きぶん)と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしないなど、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。.

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続宮本武蔵 一乗寺の決斗

『續宮本武蔵 一乘寺の決斗』(ぞくみやもとむさし いちじょうじのけっとう、英題:Samurai II: Duel at Ichijoji Temple)は、1955年(昭和30年)7月12日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は稲垣浩、主演は三船敏郎。イーストマンカラー、スタンダード、103分。 吉川英治の長編小説『宮本武蔵』を原作とした、稲垣監督・三船主演による3部作の第2作。本作で鶴田浩二演ずる佐々木小次郎が登場する。ポスターは中央に二刀流の三船の全身写真だが最も目立つ顔のサイズで向かって左下に鶴田の顔が配置され配収は現在で言う全く同格の共演=W主演を意図し同じ稲垣浩監督の1940年版=月形龍之介の当たり役で豪のイメージだった小次郎を正反対の柔(朱美を惹きつけてしまう)美剣士ヒーローとして描かれている。三部作中最高額の1億6800万円で、1955年度の邦画配収ランキング第6位となった。.

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續姿三四郎

『續姿三四郎』(ぞくすがたさんしろう)は、1945年(昭和20年)5月3日の公開日本映画である。東宝製作、映画配給社(紅系)配給。監督は黒澤明。モノクロ、スタンダード、82分。 黒澤のデビュー作『姿三四郎』の続篇であり、兄の復讐のため戦いを挑む檜垣兄弟と姿三四郎の死闘を描いた作品である。前作の大ヒットを受けて製作した娯楽作だったが、黒澤は「あまり上出来の映画にならなかった」と述懐している。.

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生きものの記録

『生きものの記録』(いきもののきろく)は、1955年(昭和30年)11月22日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、スタンダード、103分。 米ソの核軍備競争やビキニ環礁での第五福竜丸被爆事件などで加熱した反核世相に触発されて、原水爆の恐怖を真正面から取り上げた社会派ドラマ。当時35歳の三船が70歳の老人を演じたことが話題となった。また、作曲家・早坂文雄の最後の映画音楽作となった。第29回キネマ旬報ベスト・テン第4位。.

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無法松の一生

『無法松の一生』(むほうまつのいっしょう)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。 1938年(昭和13年)に『富島松五郎伝』の題名で脱稿し、『改造』の懸賞小説に応募して佳作入選した。翌1939年(昭和14年)に『九州文学』10月号に掲載、中央文壇の目にとまり、1940年(昭和15年)に『オール讀物』6月号に掲載され、第10、11回直木賞候補作となった(本賞受賞できず)。 1943年(昭和18年)に大映が『無法松の一生』の題名で映画化して以降、映画・テレビ・舞台で度々取り上げられ、後に作者本人が『無法松の一生』と改題した。 1959年(昭和34年)、北九州市小倉区古船場町に「無法松の碑」が建てられた。.

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白痴 (1951年の映画)

『白痴』(はくち)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』を原作とした日本映画である。監督は黒澤明で、1951年(昭和26年)に公開された。 原作はロシア文学で、1868年に発表され同時代のロシアを舞台としている。本作では舞台が昭和20年代の札幌に置き換えられている。当初4時間25分であった作品であるが、松竹の意向で大幅にカットされ166分となった。.

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白蘭の歌

『白蘭の歌』(びゃくらんのうた)は、東宝映画・満洲映画協会製作、1939年(昭和14年)公開の日本・満州国合作の国策映画、およびその主題歌である。映画の主演は長谷川一夫、李香蘭、霧立のぼる。原作は久米正雄。主題歌「白蘭の歌」は作詞:久米正雄、作曲:竹岡信幸、歌唱:伊藤久男、二葉あき子。.

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隠し砦の三悪人

『隠し砦の三悪人』(かくしとりでのさんあくにん)は、1958年(昭和33年)12月28日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、東宝スコープ、139分。 黒澤作品初のシネマスコープ作品。戦国時代を舞台に、敗国の侍大将が姫と軍用金を擁して敵国突破をする姿を描いた娯楽活劇。第32回キネマ旬報ベスト・テン第2位。.

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銀嶺の果て

『銀嶺の果て』(ぎんれいのはて)は、1947年(昭和22年)8月5日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は谷口千吉。モノクロ、スタンダード、88分。 黒澤明が執筆したオリジナル脚本『山小屋の三悪人』を、谷口がメガホンを取った監督第1作。冬の日本アルプスでロケーションを行った山岳アクション映画であり、三船敏郎のデビュー作であると共に伊福部昭が初めて映画音楽を手がけた作品でもある。第21回キネマ旬報ベスト・テン第7位。東宝からDVDが発売されている。.

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青い山脈 (映画)

青い山脈(あおいさんみゃく)は、石坂洋次郎の小説『青い山脈』を映画化した作品(日本映画)。 1949年・1957年・1963年・1975年・1988年の5回製作されたが最も名高いのは、1949年の今井正監督作品。主題歌の『青い山脈』は、日本映画界に限らず、広く知られている。(主題歌については、「青い山脈 (曲)」の項目も参照のこと。) 作品中、ラブレターの文に「恋しい恋しい私の恋人」と書かれるべきものが、「変しい変しい私の変人」となっているエピソードは名高い。.

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青い真珠

『青い真珠』(あおいしんじゅ)は、1951年8月3日に公開された日本映画。製作、配給は東宝。モノクロ、スタンダード。上映時間は99分。.

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青色革命

『青色革命』(あおいろかくめい)は、1953年6月10日に公開された日本映画。製作、配給は東宝。モノクロ、スタンダード。上映時間は107分。.

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裸の大将 (映画)

『裸の大将』(はだかのたいしょう)は、画家の山下清をモデルに描いた1958年東宝製作映画。.

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高砂市

市(たかさごし)は、兵庫県の播磨南東部に位置する市。東播磨県民局管轄区域。 播磨灘沿岸地域に工場が林立する工業都市。漁業や採石業も盛んで古い歴史を持つ。市内南部を中心に神社が多く、播州の秋祭りと総称される祭礼が知られる。.

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麦秋 (1951年の映画)

『麦秋』(ばくしゅう)は、小津安二郎監督による1951年・松竹大船撮影所製作の日本映画。日本では同年10月3日に公開された。 タイトルの「麦秋」とは、麦の収穫期で季節的には初夏に当たる時期を指す。.

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黒澤明

黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年(明治43年)3月23日 - 1998年(平成10年)9月6日)は、日本の映画監督、脚本家である。妻は女優の矢口陽子。 ダイナミックな映像表現とヒューマニズムに徹した作風で、『羅生門』『生きる』『七人の侍』など30本の監督作品を生み出し、アカデミー賞と世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)で賞を得た。 小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に世界的にその名が知られ、映画史においてはスティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ、北野武などの映画人に大きな影響を与えており、日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。 映画監督として初めて文化勲章受章、文化功労者顕彰、東京都名誉都民選出、贈従三位(没時叙位)、贈国民栄誉賞(没後追贈)。1990年に日本人初のアカデミー名誉賞を受賞。1999年には米週刊誌『タイム』アジア版の「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選出されている。米国映画芸術科学アカデミー会員。.

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蜘蛛巣城

『蜘蛛巣城』(くものすじょう)は、1957年(昭和32年)1月15日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、スタンダード、110分。 シェイクスピアの戯曲『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた作品。ラストに主人公の三船が無数の矢を浴びるシーンで知られる。原作の世界観に能の様式美を取り入れ、エキストラ人員とオープンセットは黒澤作品では随一の規模で製作された。第31回キネマ旬報ベスト・テン第4位。.

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阿波の踊子

『阿波の踊子』(あわのおどりこ)は、東宝映画京都撮影所製作、東宝映画配給、1941年(昭和16年)5月21日に公開された日本の長篇劇映画である。第二次世界大戦後、『劔雲鳴門しぶき』と改題・短縮で再公開されたフィルムが現存している。.

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赤線基地

『赤線基地』(あかせんきち)は1953年の日本のドラマ映画。米軍基地問題をその影響下で生きる人々の目線で描いた作品であり、反米的なテーマのために一時上映見送りとなった問題作である。なお、本編冒頭に以下の文章が表示される。.

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赤線地帯

『赤線地帯』(あかせんちたい)は1956年公開の溝口健二監督作品。溝口作品としては1954年『噂の女』以来の現代劇で、公開後に溝口が死去したため遺作となった。.

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関西学院中学部・高等部

関西学院中学部・高等部(かんせいがくいん ちゅうがくぶ・こうとうぶ、英称:Kwansei Gakuin Junior High School・Senior High School)は、兵庫県西宮市上ヶ原一番町にある私立のキリスト教プロテスタント系小中高大一貫校。通称「関学」(商標登録番号3033847)。.

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藤原釜足

藤原 釜足(ふじわら かまたり、1905年1月15日 - 1985年12月21日)は、日本の俳優。本名は安惠 重男、戦時中の芸名は藤原 鶏太。身長156cm。 実生活に根ざした芸風で知られた、黒澤明作品常連の名脇役。女優の沢村貞子は元妻。他に安恵一夫、藤原秀臣という芸名も用いた。.

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醜聞

『醜聞』(スキャンダル)は、1950年(昭和25年)4月26日公開の日本映画である。松竹製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、スタンダード、105分。 東宝争議のため東宝での映画製作を断念し、他社で作品を撮っていた黒澤監督の初の松竹作品である。過剰なジャーナリズムによる問題を描いた社会派ドラマ。無責任なマスコミの言論の暴力を不愉快に思っていた黒澤が、電車の雑誌広告のセンセーショナルな見出しをヒントに製作した。第24回キネマ旬報ベスト・テン第6位。.

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野良犬 (1949年の映画)

『野良犬』(のらいぬ)は、1949年(昭和24年)10月17日公開の日本映画である。新東宝・映画芸術協会製作、東宝配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、スタンダード、122分。 終戦直後の東京を舞台に、拳銃を盗まれた若い刑事がベテラン刑事と共に犯人を追い求める姿を描いた、黒澤監督初の犯罪サスペンス映画である。東宝争議の影響で東宝を離れていた黒澤が他社で撮った作品の1本である。第23回キネマ旬報ベスト・テン第3位。昭和24年度芸術祭賞。.

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長崎の鐘

『長崎の鐘』(ながさきのかね)は、永井隆が執筆した随筆。 内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いている。永井は、この時妻を亡くした。また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。 作品は1946年(昭和21年)8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の検閲によりすぐには出版の許可が下りなかった。精神科医の式場隆三郎が創刊に関った『東京タイムズ』に「原爆病患者の手記」の連載を始めると大いに話題になり、1948年、永井隆の『生命の河』がやはり式場隆三郎の経営する日比谷出版社から出版された。『長崎の鐘』は、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年(昭和24年)1月、同じく日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。 永井自身は、「なかなか出版してくれる出版社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と本書序文に書いている。 同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で同書をモチーフとした歌謡曲が発売されて大ヒットし、翌1950年(昭和25年)には松竹により映画化された。.

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雪之丞変化

雪之丞変化(ゆきのじょう へんげ)は、1934年(昭和10年)から翌年にかけて朝日新聞に連載された三上於菟吉の時代小説。またこれを原作とした多くの映画・テレビドラマ・舞台・新作歌舞伎・宝塚歌劇などが製作されている。.

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連合映画芸術家協会

聯合映畫藝術家協會(れんごうえいがげいじゅつかきょうかい、大正14年(1925年)設立 -昭和2年(1927年) 解散)は、かつて奈良に存在した日本の映画会社である。小説家の直木三十五が設立し、マキノ・プロダクションから撮影所を提供されて映画を連作した。.

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暁の追跡

『暁の追跡』(あかつきのついせき)は、1950年10月3日に公開された日本映画。劇場公開時タイトルは『曉の追跡』。.

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暴力の街

『暴力の街』(ぼうりょくのまち)は、1950年にペン偽らず共同製作委員会が製作し、大映が配給した日本映画。キネマ旬報ベストテン第8位。.

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暗黒街の顔役 (1959年の映画)

『暗黒街の顔役』(あんこくがいのかおやく)は岡本喜八監督、鶴田浩二主演の1959年製作の日本映画。同時上映は『こだまは呼んでいる』。.

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柿の木のある家

『柿の木のある家』(かきのきのあるいえ)は、1949年(昭和24年)4月に発表された壺井栄の小説であり『国文学 解釋と鑑賞』、p.59.

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東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

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松竹京都撮影所

松竹京都撮影所(しょうちくきょうとさつえいじょ)は、かつて大正から昭和にかけて京都市に存在した松竹キネマあるいは松竹が直営した日本の映画スタジオである。時代劇を製作していた。1923年(大正12年) - 1952年(昭和27年)には左京区の下加茂(下鴨宮崎町)、1952年(昭和27年) - 1965年(昭和40年)までは右京区の太秦(太秦堀ヶ内町)にあった#外部リンク欄の松竹京都撮影所(2008年設立)公式サイトの「松竹京都撮影所: 沿革」リンク先の記述を参照。二重リンクを省く。。 2008年(平成20年)、京都映画を源流とする企業「松竹京都映画株式会社」が「株式会社松竹京都撮影所」を新規に設立、太秦堀ヶ内町の同社の撮影所を「松竹京都撮影所」と改称した。ここでは、松竹キネマ/松竹直営の「松竹京都撮影所」についてのみ述べる。.

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村田正雄 (初代)

初代 村田 正雄(しょだい むらた まさお、天保暦 明治4年2月4日 / グレゴリオ暦 1871年3月25日 - 1925年6月7日、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年1月5日閲覧。)は、日本の俳優である。本名は村田 又彦(むらた またひこ)、俳号は村田 芳泉(むらた ほうせん)。.

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次郎長三国志

『次郎長三国志』(じろちょうさんごくし)は、清水次郎長を主人公とする村上元三の連作時代小説、並びに同作を原作とするマキノ雅弘監督の映画シリーズのタイトルである''次郎長三国志''、コトバンク、2015年7月15日閲覧。、国立国会図書館、2015年7月15日閲覧。。本作における「三国」とは駿河国(現在の静岡県中部)、遠江国(現在の静岡県西部)、三河国(現在の愛知県東部)を指す。.

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淡路恵子

淡路 恵子(あわじ けいこ、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)1月11日)は、日本の女優。本名は井田 綾子(いだ あやこ)であった。.

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未來社

未來社(みらいしゃ)は、日本の学術系の出版社。人文会会員社。社会科学、人文科学の分野で学術書の出版を行っている。主要な分野としては、思想、民俗、宗教、教育など。 1951年(昭和26年)に西谷能雄が創業。出発当初は、演劇やその戯曲など、演劇分野の出版社として知られた。その後学術出版社として扱う分野を拡大した。全集の企画刊行でも著名である。1986年(昭和61年)、小箕俊介が社長に就任し、それに伴い西谷は会長となった。しかし1989年(平成元年)に小箕が交通事故により急逝したため、西谷能雄が社長に復帰した。1992年(平成4年)、西谷能英が社長に就任した。2006年(平成18年)よりオンデマンド出版を始めており、その註文はネット書店の万能書店で行える。 出版物は1968年(昭和43年)より註文制となるが、現在は買切条件というわけではない。 PR誌『未来』は、2014年(平成26年)10月号までは月刊。次の2015年(平成27年)1月号にあたる2015年冬号から季刊。.

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戦国無頼

『戦国無頼』(せんごくぶらい)は、1952年(昭和27年)5月22日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は稲垣浩、脚本は稲垣と黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、スタンダード、135分。 原作はサンデー毎日に連載された井上靖の同名小説であり、落ち武者となった3人の運命を描く。.

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我が家は楽し

『我が家は楽し』(わがやはたのし)は、1951年の日本映画。本来のタイトル表記は『我が家は樂し』。 当時のスターを揃えた豪華キャストによる家族ドラマ。岸恵子のデビュー作、中村登監督の出世作である。.

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映画の分類

映画の分類(えいがのぶんるい)としては、どういう分類の仕方をするかによって名称が変わってくる。 映画を「作品」としてとらえ、単に知見を広めたり視聴覚的に情報を得るためではなく、 映画独自の表現を楽しむ事を主たる目的として「鑑賞」する観点からは以下の三つに大別する事が出来る。.

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新劇

新劇(しんげき)は、ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す日本の演劇を指す。旧劇(歌舞伎を指す)、新派(書生芝居の流れ)に対する言葉。当初翻訳劇を中心に始まり、歌舞伎や新派の商業主義を批判し、芸術志向的な演劇を目指した。.

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新妻鏡

『新妻鏡』(にいづまかがみ)は、小島政二郎の小説作品、及びそれを原作とした映画、ドラマ化作品である。.

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新・平家物語 義仲をめぐる三人の女

『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(しん・へいけものかたり よしなかをめぐるさんにんのおんな)は、1956年(昭和31年)1月15日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は衣笠貞之助、主演は長谷川一夫。カラー、スタンダード、121分。 吉川英治の小説『新・平家物語』を映画化した3部作の第2作で、前作『新・平家物語』が平清盛の青年期を描いたのに対し、本作では木曾義仲を中心に描いており、義仲の妻・女兵・敵方の姫とのエピソードを交えている。.

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新派

新派(しんぱ)は、1888年(明治21年)に始まった日本の演劇の一派。 明治時代に始まった「壮士芝居」「書生芝居」などをもとに歌舞伎とは異なる新たな現代劇として発達し、「旧派」の歌舞伎に対し「新派」と称された。第二次世界大戦を経て、戦後複数の劇団が「劇団新派」に統合した。当代の庶民の哀歓・情緒を情感豊かに描いた演目が多い。 本項ではその系譜に連なる劇団新派(げきだん しんぱ)、および朝鮮半島における新派劇についても解説する。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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旗本退屈男

旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)は、小説家・佐々木味津三原作の時代小説および同作品に登場する主人公・の異名。.

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時代劇

時代劇(じだいげき)は、日本の演劇や映画、テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である、コトバンク、2009年10月24日閲覧。、コトバンク、2009年10月24日閲覧。。.

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1887年

記載なし。

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1888年

記載なし。

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1923年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1936年

記載なし。

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1939年

記載なし。

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1959年

記載なし。

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1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

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1月17日

1月17日(いちがつじゅうななにち、いちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から17日目に当たり、年末まであと348日(閏年では349日)ある。.

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1月22日

1月22日(いちがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から22日目に当たり、年末まであと343日(閏年では344日)ある。.

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1月29日

1月29日(いちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)ある。.

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