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青海省

索引 青海省

青海省(せいかいしょう、中国語:青海省、拼音:Qīnghǎi Shěng、英語:Qinghai、チベット語: མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན།、 モンゴル語:)は、中華人民共和国の西部に位置する省のひとつ。省都は西寧市。1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。.

112 関係: 城中区 (西寧市)南宋吐谷渾吐蕃同仁県塩湖宋 (王朝)宋秀岩中国中国語中華人民共和国中華民国土司地級市北宋チベットチベットの領域に関する認識と主張チベット動乱チベット語チベット高原チベット自治区チベット民族ムスリムメコン川モンゴル (曖昧さ回避)モンゴル帝国モンゴル語モンゴル民族ラサトゥ族プーと大プーピン音ツァイダム盆地テュルク系民族デリンハ市ダヤン・ハーンアムドオイラトカムカク鵬グーシ・ハーングシ・ハン王朝ゴルムド市ゴロク・チベット族自治州タンラ山脈タングートサラール族唐蕃会盟碑共和県...元 (王朝)回族四川省玉樹市玉樹チベット族自治州瑪沁県甘粛省白恩培青蔵鉄道青海青海地震青海民族大学青海湖西夏西寧市西部大開発西蔵馬家軍趙楽際黄南チベット族自治州黄河辛亥革命蒋介石政権自治州 (中国)長安長江英語雍正のチベット分割雍正帝楽都区毛沢東河西回廊漢民族漢文海南チベット族自治州海北チベット族自治州海西モンゴル族チベット族自治州海東市海晏県新疆ウイグル自治区日月山1723年1724年17世紀18世紀1928年1950年代2000年2004年2005年2006年2010年2014年7世紀7月1日822年8世紀 インデックスを展開 (62 もっと) »

城中区 (西寧市)

城中区(じょうちゅう-く)は中華人民共和国青海省西寧市に位置する市轄区。.

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南宋

南宋(なんそう、1127年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が建国した北宋が、女真族の金に華北を奪われた後、南遷して淮河以南の地に再興した政権。首都は臨安(現杭州)であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも社会・経済・文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分しやすい歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区分しにくい分野を宋 (王朝) で解説することとする。 この項目では全般にわたって山川出版社『中国史3』と講談社学術文庫『五代と宋の興亡』を使用している。この二書に関しては特に必要のない限りは出典としては挙げない。.

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吐谷渾

吐谷渾(とよくこん、拼音:tǔyùhún)は、中国の西晋時代に遼西の鮮卑慕容部から分かれた部族。4世紀から7世紀まで(329年 - 663年)、青海一帯を支配して栄えたが、チベット民族の吐蕃に滅ぼされた。.

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吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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同仁県

同仁県(どうじん-けん)は中華人民共和国青海省黄南チベット族自治州に位置する県。チベット語ではレプゴンとも呼ぶ。.

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塩湖

塩湖(えんこ、、)または塩水湖(えんすいこ)とは、塩水をたたえる湖のこと。淡水をたたえる湖である淡水湖と対になる。 陸に閉ざされた湖(内陸湖)の塩分(主成分は塩化ナトリウム)やその他塩類の濃度が通常の淡水湖よりも高くなった湖をいう。1 Lの湖水当たりの塩類の総イオン濃度が 3,000 mg(3 g)が塩湖と定義される基準となっており、狭義では、塩類の中でも塩化ナトリウムが主であるものを指す。塩湖には海水より塩分濃度がはるかに濃い湖もある。 広義では、河川と海水の流入によって水質に塩分を含むようになった汽水湖を含めて、「鹹湖」という名称を用いている。.

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宋 (王朝)

宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.

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宋秀岩

宋 秀岩(そう しゅうがん)は中華人民共和国の女性政治家。前青海省省長。2010年1月から、全国婦連の党グループ書記・副主席・書記処第一書記。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国語

記載なし。

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

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土司

土司(どし)は、中国王朝が、中国に隣接する諸民族の支配者たちに授ける特定タイプの官職に対する総称。 中国の歴代王朝は、近隣の諸国・諸民族との間で冊封・朝貢という君臣関係に擬した外交関係を築き、その際、中国との交際を求める諸国・諸民族の勢力の大小に応じて、王号や州・県の知事職、軍事指揮官の称号を与えた。土司は、それらの諸民族の首長のうち、軍事指揮官の称号をうけたものに対する総称。.

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地級市

地級市(ちきゅうし)は、中華人民共和国の地方行政単位。地区、自治州、盟とともに二級行政単位を構成する。省クラスの行政単位と県クラスの行政単位の中間にある地区クラスの行政単位である。地方によっては「区級市」と呼ぶこともある。 1983年11月5日に制度化され、地区から地級市への改編が行われた。地級市はその内部に都市部の何倍もの面積を有す農村部を内包しており、厳密な意味での市とは定義を異にする。地級市は地区の後身であり、下部に市轄区、県、自治県、旗、自治旗を管轄し、また県級市を代理管轄している。 これまでの地方行政区画再編成の結果、雲南省、貴州省、青海省や新疆ウイグル自治区、チベット自治区以外の地域では地級市の比重が増加傾向にある。.

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北宋

北宋(ほくそう、拼音:Bĕisòng、960年 - 1127年)は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも社会・経済・文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分しやすい歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区分しにくい分野を宋で解説することにする。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベットの領域に関する認識と主張

チベットの領域に関する認識と主張では、「チベット」の記事の下方単位として、チベット亡命政府および中華人民共和国政府それぞれの主張するチベットの範囲を中心として、「チベットの領域」についての認識について紹介する。.

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チベット動乱

観点.

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チベット語

チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(支那-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつ。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。 チベット語に含まれない周辺のチベット系言語についてはチベット諸語を参照。.

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チベット高原

チベット高原(チベットこうげん、、)はユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原。チベットの領域とほぼ等しい。.

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チベット自治区

チベット族 チベット自治区(チベットじちく、チベット語: プー・ランキョン・ジョン, )、或いは西蔵自治区(せいぞうじちく)は、中華人民共和国(以下、「中国」)の西南部を占める区域自治区である。.

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チベット民族

ダライ・ラマ14世 チベット民族(チベットみんぞく、Tibetan peopleまたはTibetans)は、ユーラシア大陸中央部のチベット高原上に分布する民族。チベット語を話す。人種的にはモンゴロイドに属する。.

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ムスリム

ムスリム(مسلم、Muslim)とは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教の教徒のことである。.

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メコン川

メコン川(メコンがわ、Mekong River、แม่น้ำโขง(ラテン文字転写:Mae Nam Khong)、Sông Cửu Long/瀧九龍)は、東南アジアを流れる河川。東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川である。.

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モンゴル (曖昧さ回避)

モンゴル (Монгол) 民族.

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モンゴル帝国

モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の創始者チンギス・カンと『四駿四狗』やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。三大洋全てに面していた。 モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、大ハーン)を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。 中国とモンゴル高原を中心とする、現在の区分でいう東アジア部分を統治した第5代皇帝のクビライは1271年に、大都(現在の北京)に遷都して緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。.

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モンゴル語

モンゴル文字で書かれた「モンゴル」 モンゴル語(モンゴルご、Монгол хэл、Mongol hel、、mongGul kele)は、モンゴル諸語に属する言語であり、モンゴル国の国家公用語である。モンゴル語を含むモンゴル語族は、テュルク語族及びツングース語族とともにアルタイ諸語と呼ばれる。 第8条はモンゴル語をモンゴル国の国家公用語に規定している。モンゴル国では、行政・教育・放送のほとんどがモンゴル語でなされるが、バヤン・ウルギー県では学校教育をカザフ語で行うことが認められている。こうした地域の人々の中にはモンゴル語を全く解さない者もいる。モンゴル国外には10万人以上のモンゴル国民が居住(日本国内にも合法・不法合わせ数千人が滞在しているものと推定されている)しており、かれらの母語でもある。 モンゴル諸語のうち、どこまでを「モンゴル語」と呼ぶのか明確な定義はないが、一般的にはモンゴル国や中国の内モンゴル自治区でも話されているものがモンゴル語とされる。.

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モンゴル民族

モンゴル民族(もんごるみんぞく、英:Mongol、蒙:Монгол、中:蒙古族)は、7世紀から歴史上に登場し、13世紀 - 14世紀にユーラシア大陸の大部分を版図としたモンゴル帝国を築いたモンゴル系民族。モンゴル語を話す。大きくハルハとチャハルに分けられる。現在はモンゴル国と中華人民共和国の内モンゴル自治区にその多くが住んでいる。.

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ラサ

ラサ(,lha sa)は吐蕃時代の7世紀に成立したチベットの古都。吐蕃時代(7世紀 - 842年)やダライ・ラマ政権時代(1642年 - 1959年)に政権の本拠地がおかれて政治的中枢となり、また政権の変遷をこえて文化的中枢でありつづけた。チベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の中枢でもある。 トゥルナン寺のチョカン(本殿)をとりまくナンコル、トゥルナン寺の境内をとりまくパルコル、パルコルを東の中心、ポタラ宮があるマルポリの丘・薬王山チャクポリを西の中心とする楕円状をなすリンコルの、三重の環状巡礼路をメインストリートとし、ダライ・ラマ政権の末期には、古都ラサの市長「ミプン」はリンコルの内部を管轄していた。 1960年、中国政府により、古都ラサと郊外、ウー地方北部諸県を領域とする地級市拉薩市(ラサ市)が設置された。 中国の統治下で、リンコルの西縁をはさんでマルポリ・チャクポリの周辺に新市街が開発された。 表記はチベット語:ལྷ་ས་ ワイリー方式:lha sa/蔵文ピンイン:Lhasa、中国語簡体字:拉萨/繁体字:拉薩、英語:Lhasa。.

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トゥ族

トゥ族()は、中国のモンゴル系少数民族。中国政府が認定する民族である。人口の大半は青海省・甘粛省全般に居住している。人口は中国政府が2000年に行った国勢調査で約24.1万人。.

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プーと大プー

プーと大プー(プーとだいプー)は、チベット語で「プー・タン・プーチェンボ(བོད་དང་བོད་ཆེན་པོ、bod dang bod chen po)」と言い、チベット全域に対する地理的な区分方法の一つ。チベットの古典文献においてチベットの地域的な区分の様々なバリエーションが列挙・提示される場合に、その一種として登場する。 インド人がチベットを呼ぶ際、インドに近い部分を「ボータ(Bhota)」と、インドから遠い部分を「マハー・ボータ(大ボータ, Mahabhota)」と、それぞれ読んだ区分法に対応した表現であり、チベット人の間では、「インドの学者による用法」として認識されている。.

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ピン音

(ピンイン)は、中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す。一般的な場合この語は、(かんごピンイン、Hànyǔ Pīnyīn)と呼ばれる1958年に中華人民共和国が制定したという表記法、またはそれに基づくという文字を指す。 のように中国大陸とは異なる「」もあり、ウェード式などの他のラテン文字による表記法も中国語ではと称することがある。の名称は、それらと特に区別する必要がある場合用いられる。 は、当初は将来的に漢字に代わる文字として中国で位置づけられていたが、現在では中国語の発音記号として使用されている。.

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ツァイダム盆地

ツァイダム盆地(ツァイダムぼんち)は、中華人民共和国青海省にある盆地。北にはアルチン山脈(阿爾金山脈)、チーリェン山脈(祁連山脈)、南にはクンルン山脈(崑崙山脈)がある。 盆地の大部分はツァイダム砂漠が占める。砂漠のなかにはチャルハン塩湖(察爾汗塩湖)があり、その周辺の砂漠は土壌深い所の塩分濃度が高い。 「宝の盆地」と呼ばれ、天然資源が豊富である。天然ガス、原油の埋蔵が確認されているほか、リチウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウム、石灰岩、珪素などの大規模な鉱床もある。 青蔵鉄道が通っている。.

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テュルク系民族

世界のテュルク系民族の分布。濃い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている国。薄い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている自治地域。 テュルク系民族の分布。 テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 または、 、 )は、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。.

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デリンハ市

デリンハ (モンゴル語:) は中華人民共和国青海省海西モンゴル族チベット族自治州に位置する県級市。海西州人民政府の所在地である。 市名のデリンハ(.

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ダヤン・ハーン

ダヤン・ハーン(Даян хаан、 Dayan Khan、1464年 - 1524年)は、モンゴルの第34代(北元としては第20代)大ハーン。長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一し、ハーンの権威を回復させた。本名はバト・モンケ(Batu Möngke、Батмөнх)。明朝で編纂された漢文史料では大元大可汗や小王子、或いは達延汗と記されている。 ダヤン・ハーンはモンゴル中興の祖として称賛されており、モンゴルの諸王公はチンギス・カン(太祖テムジン)、セチェン・カーン(世祖クビライ)に次ぐ偉人としてダヤン・ハーンを位置づけている。現在のモンゴル国における「チンギス・カンの末裔」は大部分がダヤン・ハーンの流れをくんでいる。.

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アムド

アムド( a mdo、、拼音: Ānduō)は、チベット(チベット高原)を構成する地方のひとつで、その東北部を指す。 伝統的にチベット人とともにオイラトのホシュート部を中心とするモンゴル人や一部のテュルク系などが多数居住してきた。当地に居住するチベット人はアムド方言を用い、アムドーワ(a mdo ba)と自称した。 現在も青海省には多数のチベット仏教寺院が残り、チベット人・モンゴル人の僧侶によって守られている。.

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オイラト

イラト(Oirad、Oyirad、瓦剌、衛拉特)は、モンゴル高原の西部から新疆の北部にかけて居住する民族。.

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カム

ム.

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カク鵬

郝 鵬(かく ほう)は、中華圏の人名。.

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グーシ・ハーン

ーシ・ハーン グーシ・ハーン(Güsi Qaγan, 中国語:顧實汗/固始汗, 現代モンゴル語:Гүүш-Хаан、1582年 - 1654年)、別名グシリ・ハーン、本名トゥルバイフ(オイラト語: Töröbaikhu, ハルハ語(現代モンゴル語): Төрбайхトゥルバエフ)は、17世紀中頃のオイラト八部のひとつホシュート部の部族長。チベットに遠征し、ダライ・ラマの権威の下にグシ・ハン王朝を樹立した。資料によってはグシ・ハン、グシ・ハーンとも表記される。.

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グシ・ハン王朝

・ハン王朝(グシ・ハンおうちょう)は、1642年にオイラト族のホショト部の指導者グシ・ハン(トゥルバイフ)がチベットに樹立した王朝。4代約80年続いた。1717年、オイラト本国を支配するジュンガル部の奇襲により嫡系が断絶。さらに1723-24年、清朝の雍正帝はグシハン王家の傍系一族を攻撃して屈服させ、彼らがチベットに有していた様々な権限や権益を剥奪、この攻撃によりグシ・ハン一族はチベット王権も喪失して王朝は終焉をむかえた。.

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ゴルムド市

ルムド市(-し)は中華人民共和国青海省に位置する県級市。市名はモンゴル語で「河川が集まる土地」に由来する。チベット語では「ガルム」ともいう。人口の90%を漢族が占める。新興の工業都市で、平均年齢は32歳と若い。チベット高原では西寧市、ラサ市に次ぐ第3の都市となっている。.

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ゴロク・チベット族自治州

・チベット族自治州(ゴロクチベットぞくじちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置するチベット民族の自治州。チベット名ゴロク・プーリー・ランキョンクル()。中国名「果洛」はチベット名の音写である。チベットの伝統的な地理区分ではアムド地方の南部に相当する。.

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タンラ山脈

タンラ山脈(タンラさんみゃく)は、チベット高原の中央部を西北西より東南東の方向へ縦断している山脈の一つ。.

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タングート

タングート(Tangut)は、7世紀~13世紀ごろに中国西南部の四川省北部・青海省などに存在したチベット系民族である。 11世紀初めに西夏を建てた。中国語表記では党項。日本語ではタンガットという記法も散見される。同じくタングート族、タングート人とも。また。タングートの前身は羌である。 同時に、中国語表記で唐兀とも表記され、モンゴル化したテュルク民族とする説もある宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(2002年、刀水書房)137ページ、ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(1989年、平凡社)309-311ページ(ただし、311ページでは「タングートは実はチベット系である」と記述されている)。。.

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サラール族

ラール族、またはサラ族(撒拉族、英語:Salar)は、中華人民共和国に居住するテュルク系民族で、少数民族の一つである。イスラム教を信仰し、2000年の第5次全国人口普査統計では人口は104,503人で、中国政府が公認する56の民族の中で36番目に多い。 サラール族は青海省の循化撒拉族自治県、化隆回族自治県、甘粛省の積石山保安族東郷族撒拉族自治県、新疆ウイグル自治区のイリ・カザフ自治州などに居住している。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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唐蕃会盟碑

唐蕃会盟碑(とうばんかいめいひ、チベット語:、ワイリー方式:gtsug lag khang mdun gyi rdo rings、「トゥルナン寺の前の碑」の意)は、唐朝と吐蕃の間で成立した長慶会盟の内容を記載した石碑。9世紀に立てられた。 821年(唐:長慶元年、吐蕃:彝泰7年)、に唐朝の丞相である崔植、王播、杜元穎等17人と吐蕃の礼部尚書である論訥羅が長安西郊で締結された両国の講和条約に相当する長慶会盟の内容、会盟締結までの経緯、両国の使節氏名及び職位を刻字した石碑を両国の都城である長安、ラサ(邏些)及び、国境の日月山(ニンダーラ)の3カ所建てられた石碑の一つ。長安及び日月山のものは失われ、ラサのトゥルナン寺(ジョカン・大昭寺)の門前に立てられた碑のみが現存し、唐蕃会盟碑と称される。ただしこの碑も四方を石塀に囲まれ、近づいて直接碑文を確認することはできない。 東面はチベット語により両国による会盟締結の経緯が、西面は漢文とチベット語で会盟の内容として国境の確定、使節往来の際の迎接の手順、犯罪者の引き渡し、両国が紛争時に武力を用いない内容等が、南面は漢文とチベット語で会盟に参加した唐朝専使一覧が、北面は漢文とチベット語で会盟に参加した吐蕃専使一覧が記されている。条約では国号が「大唐」と「大蕃」、君主名が「文武孝徳皇帝」と「聖神賛普」というように両国での正式名を使い、文言で上下をつけぬよう配慮されている。さらに二国の関係を「蕃漢二国」と対等に表記し、両国の年号まで併記するなど、可能なかぎり唐と吐蕃を並び立たせる表現を採用しているのが特徴である。 この碑文で両国の対等な関係が強調された背景には、当時の国際情勢がある。十年におよぶ安史の乱で疲弊した唐にかわって北方の回鶻および南西の吐蕃が台頭をはじめ、763年には吐蕃軍が長安に入城することもあった。特に779年以降吐蕃対回鶻・唐連合の時代が続いたが、この東アジア三大勢力の対立を終わらせたのが821年の長慶会盟である。上述のとおり、歴史はあるが当時は三勢力のなかでもっとも弱体化していた唐と国威盛んな吐蕃とが和平を結ぶには、両者が対等であることを示す必要があった。 このように、唐蕃会盟碑は唐が実質的に吐蕃の下に立つことで成立した会盟を示すものであり、また中国とチベットの二か国間に走る国境線の画定も明記されている。中国政府はこの碑文を『唐と吐蕃が統一国家建設にむけて堅固な基盤を築いた』と解釈し、逆にチベット侵攻とそれに伴う十七か条協定(つまり中華王朝の後継者による中国とチベットの統一)の根拠としている。.

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共和県

共和県(きょうわ-けん)は中華人民共和国青海省海北チベット族自治州に位置する県。.

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元 (王朝)

元(げん)は、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心領域として、東アジア・北アジアの広大な土地を支配した王朝である。正式の国号は大元(だいげん)で、元朝(げんちょう)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で国姓は「奇渥温」である。伝統的な用語上では、「モンゴル帝国が中国に支配後、中華王朝に変化した国」というように認定されたが、視点によって「元は中国では無く、大元ウルスと呼ばれるモンゴル遊牧民の国」と、様々な意見もある。 中国王朝としての元は、唐崩壊(907年)以来の中国統一政権であり、元の北走後は明(1368年 - 1644年)が中国統治を引き継ぐ。しかし、中国歴代征服王朝(遼・金・清など)の中でも元だけが「政治制度・民族運営は中国の伝統体制に同化されなく、モンゴル帝国から受け継がれた遊牧国家の特有性も強く持つ」のような統治法を行った。一方、行政制度や経済運営の面では、南宋の仕組みをほぼ潰して、中華王朝従来の体制を継承してることとは言わない。.

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回族

道を行く回族の男女 清真)に従った食品を出すと書かれている。左上にはモスクの絵がある。 回族の老人 祈りを捧げる人々(寧夏回族自治区) 回族の一家。新年を祝っている(寧夏回族自治区)。 回族(かいぞく、ホウェイ族あるいはフェイ族、、 حواري)は、中国の少数民族の一つで、中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団である。回族とされる人々は、言語・形質等は漢民族(漢族)と同じだが、イスラム教(イスラーム)を信仰する。中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は2000年の時点で約980万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。.

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四川省

三星堆遺跡の青銅仮面 四川省の伝統芸能『川劇』 四川省(しせんしょう、、、)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は川あるいは蜀。省都は成都。西北部はチベットの伝統的な地方区分でいうアムド地方の東南部、西部はカムの東部にあたる。また、東部の重慶は直轄市として1997年に分離した。.

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玉樹市

玉樹市(ぎょくじゅし、yus hru'u rdzong)は中華人民共和国青海省玉樹チベット族自治州に位置する県級市。 市政府が置かれているのは結古鎮(結古多鎮、ケグ, skye rgu, Gyêgu)。チベット東部の市場の町であり古くから交易の中心だった。西洋や古いチベットの文献では、ジェクンド(Jyekundo, skye dgu mdo, skye rgu mdo)の名でも登場している。 2010年4月14日に青海地震が発生し、被害の中心地となった。チベット様式の建物は揺れに弱く、ジェグ寺などの寺院を含む多くの建物が被災したが、5年を目途に復興計画が立てられ、急ピッチで町の再建が行われた。 2013年7月4日、県級市に改編され現在に至る。.

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玉樹チベット族自治州

玉樹チベット族自治州(ぎょくじゅ-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置するチベット族自治州。 チベット名ユフ・プーリー・ランキョンクル()。中国語名「玉樹」は、この地方の伝統的呼称ユルシュル (yul shul) の音写であるが、現行のチベット名はこの「玉樹」から再音写した表記である。 チベットの伝統的な地理区分では大部分がアムド地方に属するが、東南部はカム地方の北部に相当する。 州人民政府は玉樹市のケグ(skye rgu、Gyêgu、結古)鎮にある。西洋や古いチベットの文献ではジェクンド(Jyekundo, skye dgu mdo, skye rgu mdo)の名でも登場する。.

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後漢末期(198年頃)の羌族の位置 羌(きょう、)は、古代より中国西北部に住んでいる民族。西羌とも呼ばれる。現在も中国の少数民族(チャン族)として存在する。.

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省(しょう)は、国の行政機関の呼称である。本来、中国における行政機関の名称であったが、現在の中国では用いられない。 中国等においては行政区分の一種で、地方行政区画のうち最上位のものを指す。.

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瑪沁県

沁県(ばしん-けん、 マチェン・ゾン、rma chen rdzong)は中華人民共和国青海省ゴロク・チベット族自治州に位置する県。.

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甘粛省

粛省(かんしゅくしょう、中国語:甘肃省、拼音:Gānsù Shěng、英語:Gansu)は、中華人民共和国北西部にある省級行政区である。省都は蘭州市。.

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白恩培

白恩培(はく おんばい)は、中華人民共和国の政治家。陝西省出身。西北工業大学航海設備・自動制御系卒業。元共産党雲南省委員会書記および雲南省人民代表大会常務委員会主任。その後、全国人民代表大会環境・資源保護委員会副主任委員を務める。2015年1月に汚職による党規約違反で党籍剥奪と公職の解任の処分を受ける。.

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隋(呉音: ずい、漢音: すい、 、581年 - 618年)は、中国の王朝。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。当時の日本である倭国からは遣隋使が送られた。.

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青蔵鉄道

青蔵鉄道(せいぞうてつどう、読み:チンツァンティエルー)は、中華人民共和国西部の青海省西寧とチベット自治区首府ラサ(拉薩)を結ぶ高原鉄道。総延長1,956kmで青蔵鉄路公司により運営されている。青蔵線とも呼ばれる。日本のメディアでは、青海チベット鉄道と呼ばれることも多い。青海の青と西蔵の蔵から青蔵鉄道と命名された。 西部大開発の代表的なプロジェクトとして、1984年までに一期工事が行われ、2001年からの二期工事を経て2006年7月1日に全通した。建設費は4,500億円と伝えられている。 外国人と台湾人がラサまで乗車する場合は、チベット入域許可書が必要であり、旅行代理店の主催するツアーに参加する必要がある。なお、時期によっては形式上ツアーに参加し、実際には個人旅行として乗車することも可能であるが、シーズンによっては乗車券のほとんどは団体向けに確保されているため、この方法での乗車券の入手はかなり困難である。 建設の目的については、中国によるチベット支配の徹底と民族融合狙いとの報道があった。.

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青海

青海(せいかい、Qinghai、མཚོ་སྔོན་ 転写:mTsho-sngon、Хөхнуур、 転写:Kökenaγur、ᡥᡠᡥᡠᠨᠣᠣᠷ 転写: huhu noor)は、清朝の雍正帝がグシ・ハン一族を屈服させたのち、チベットの東北部に成立させた地域的枠組み。チベット高原の中央部に分布する遊牧民の居住地域が、1724年 - 1732年に行われた雍正のチベット分割により南北に分割されることによって成立。 アムド地方の西部・中央部とカム地方の北部から成る。 清朝時代は藩部に区分され、理藩院の管轄を受けた(のちに、中華民国の国民政府の時代、河西回廊の一部とあわせて青海省が設けられた)。 中華民国以降の青海地方については青海省 (中華民国)、青海省等を参照。.

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青海地震

青海地震(せいかいじしん)は2010年4月14日、現地時間7時49分(13日23時49分 UTC)に中国西部、青海省玉樹チベット族自治州玉樹県で発生した地震である。震源の深さは約17km、地震の規模はモーメントマグニチュード(Mw)6.9。中国地震局は表面波マグニチュード(Ms)7.1。.

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青海民族大学

青海民族大学(拼音:Qīnghǎi Mínzú Dàxué, 英:Qinghai University for Nationalities)は中華人民共和国の青海省西寧市に所在する大学。.

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青海湖

宇宙から見た青海湖、1994年11月 青海湖(せいかいこ、チンハイフー)は、中華人民共和国青海省(チベット・アムド地方)にある湖。「チンハイこ」とも読まれる。モンゴル語ではココ・ノール( Хөхнуур/Köke naɣur「青い湖」の意)、チベット語ではツォ・ゴンポ(མཚོ་སྔོན་; mtsho sngon po)またはツォ・ティショル・ギャルモ(མཚོ་ཁྲི་ཤོར་རྒྱལ་མོ་; mtsho khri shor rgyal mo)と呼称される。.

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西夏

西夏(せいか、西夏文字: 、1038年 - 1227年)は、タングートの首長李元昊が現在の中国西北部(甘粛省・寧夏回族自治区)に建国した王朝。国号は夏だが、中国最古の王朝夏などと区別するため、通例「西」の字を付して呼ぶ。首都は興慶(現在の銀川)。モンゴル帝国のチンギス・カンによって滅ぼされた。.

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西寧市

西寧市(せいねいし、中国語:西宁市、英語:Xining)は中華人民共和国青海省の省都。五区からなる市区と三つの県から構成される地級市のひとつ。チベット名はཟི་ལིང་(シリン)。省人民政府は本市の城中区にある。人口205万人、青海省全人口518万人の40%に当り、漢族、回族、チベット族、モンゴル族などの民族が住む。 現在西寧市に住んでいる人は近年他省から移住した人が多いため、普通話(中国語)を話す者が多い。また、チベット語話者も住んでいる。.

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西部大開発

西部大開発(せいぶだいかいはつ)は中国において東部沿海地区の経済発展から取り残された内陸西部地区を経済成長軌道に乗せるために中華人民共和国国務院が実施している開発政策及びその結果としての経済動向を指す。その政策は、2000年3月の全国人民代表大会で正式決定されたもので「西電東送」、「南水北調」、「西気東輸」、「青蔵鉄道」の4つが目玉プロジェクトとなっている。.

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西蔵

西蔵(せいぞう/シーツァンXīzàng)は歴史的チベットのうち、アムドやカムを除く、西南部2分の1程度を占める部分に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語。元代より康熙中期ごろまで用いられた烏斯蔵に代わり、康熙末年ごろより使用され始めた地域概念である。その後、中国以外の漢字圏でこの表記がとりいれられ、あるいは中国国外在住の中国語話者たちが発信するチベット関連の情報において、中国における概念・用法にあわせてチベットの一部として、もしくは中国における概念・用法とは別個に全チベットの総称として、使用されるようになった。本来の、および派生した概念・用法の主要なものは、以下のとおり。.

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馬家軍

家軍(ばかぐん)は1949年まで甘粛、寧夏、青海地域を支配していた一族の軍閥。一族のほとんどが姓が馬の甘粛省河州(現臨夏回族自治州)出身で、中国のムスリムたる回族である。馬家軍の主要人物は甘粛の馬占鰲、馬安良、寧夏の馬福祥、馬鴻逵、馬鴻賓、青海の馬海晏、馬麒、馬麟、馬歩芳で、特に馬鴻逵、馬鴻賓、馬歩芳らを併せて“西北三馬”(シーベイサンマ、西北地方の3頭の馬の意)と呼ばれた。 いずれも清末の回教反乱の中から出で、辛亥革命の混乱の中で政府側に回り、同じ回教徒の血を踏みつけて高官の座に昇った側面がある。この事から、回民社会では彼らのことを「回回の血で、やつらの官吏制帽の真珠を赤く染めた」と伝えられている。 馬家軍は一貫して勢力維持に努め、中国国民党と手を組み、勢力内に侵入してきた中国共産党の西路軍や日本軍と戦った。国共内戦では国民党に味方し共産党軍と戦い、敗色が濃厚になると馬鴻賓が投降し、馬歩芳と馬鴻逵が国民党と共に台湾へ逃亡した。.

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趙楽際

趙 楽際(ちょう らくさい、1957年3月8日 - )は、中国の政治家。中国共産党第19期中央政治局常務委員、中国共産党中央規律検査委員会書記。元党中央組織部部長。.

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黄南チベット族自治州

南チベット族自治州(こうなん-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置する自治州で青海省の東部に位置する。黄南蔵族自治州(こうなんぞうぞくじちしゅう)とも称されている。 チベット名マロ・プーリー・ランキョン・クル( )。チベット語の「マ」とは黄河の上流部マチュ河 (rma chu) を、「ロ」とは「南」を意味し、あわせて「マチュ河の南」を意味する。中国名「黄南」は、その逐語訳である。.

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黄河

河流域 黄河(こうが、、ファンフー)とは、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。現在の中国文明の直接の母体である黄河文明を育んだ川であり、中国史上において長江と並び巨大な存在感を持つ河川である。.

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辛亥革命

辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。 この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。.

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蒋介石政権

蒋介石政権(しょうかいせきせいけん)とは、中華民国における政権の1つ。中国国民党の蒋介石を事実上の指導者(一時、国民党総裁と軍事委員長)とした南京国民政府(なんきんこくみんせいふ)の異称。.

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自治州 (中国)

自治州(じちしゅう、)は中華人民共和国の行政単位のひとつで、省クラスと県クラスの行政レベルの中間で、少数民族に自治権が付与された地区クラスの行政体である。中国の少数民族の自治行政体としては省クラスの自治区や副省級クラスの副省級自治州、県クラスの自治県、さらに下級の自治郷もある。中国大陸には現在30の自治州がある。.

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長安

長安(ちょうあん、、)は、中国の古都。現在の陝西省の省都西安市に相当する。 漢代に長安と命名され、前漢、北周、隋などの首都であった。唐代には大帝国の首都として世界最大の都市に成長した。シルクロードの起点とされることもある(シルクロード:長安-天山回廊の交易路網)。また西都(さいと)、大興(だいこう)、西京(さいきょう)と呼ばれていた時期もあった。宋代以降は政治・経済の中心は東の開封に移り、長安が首都に戻ることはなかった。 西域に近かったこともあって、王朝の隆盛とともに国際都市となっていた唐代の長安は周辺諸民族が都城建設の模範とした。日本でも平城京や平安京は長安に倣ったと考えられており、日本において平安初中期の詩文の中で、平安京を指して長安と書いている例が見られる。やがて平安京は現在に至るまで洛陽に例えられるようになり、とりわけ南北朝頃からは、洛陽の西方にある副都になぞらえて、長安は平安京の右京(西京)の異称となった。.

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長江

長江(ちょうこう、中国語拼音字母: )は、青海省のチベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位。 中国国外では、最下流部の異称である「揚子江」(ようすこう、Yangtze River)の名で良く知られる。古語では江(こう)。音訳する場合は「長」のみを音訳しチャン川 (Chang River) とすることもあるが、「江」が本来の河川名であることから、(他の中国の河川を「片仮名+川」とする場合でも)チャンチアンとすることもある。 青海省のタンラ山脈からチベット高原、四川盆地、三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流(最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江)、宜昌から江西省湖口県までが中流(荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流(揚子江)にあたる。 その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。.

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英語

アメリカ英語とイギリス英語は特徴がある 英語(えいご、)は、イ・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。.

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雍正のチベット分割

雍正のチベット分割(ようせいのチベットぶんかつ)は、清朝の雍正帝が1723年 - 1724年に青海地方に出兵し、グシ・ハン一族を征服した際の事後措置。 この措置により、チベットはタンラ山脈よりディチュ河にかけての線により二分され、その西南部はガンデンポタンに委ねられ、その東北部のモンゴル王公、チベット人諸侯らは青海地方と甘粛省、四川省、雲南省などの諸省に分属させられることとなった。中華人民共和国の、チベット民族の自治区を西蔵部分のみに限定し、その他のチベット各地を青海省と甘粛・四川・雲南などの「内地(中国本土)」諸省に分割して組み込む行政区画は、この分割の際の境界を踏襲したものである。.

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雍正帝

雍正帝(ようせいてい)は、清の第5代皇帝。諱は胤禛(いんしん(禛の字は示眞))、廟号は世宗、謚号は憲皇帝(temgetulehe hūwangdi)。在世時の元号を取って雍正帝と呼ばれる。.

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楽都区

楽都区(らくと-く)は中華人民共和国青海省海東市に位置する市轄区。旧称は湟水県。五胡十六国時代には南涼が首都を置いていた。.

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毛沢東

毛 沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン、1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。 中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、1945年より中国共産党中央委員会主席と中央軍事委員会主席を務めた。 日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあった。.

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河西回廊

河西回廊(かせいかいろう、河西走廊、甘粛走廊)は、東は烏鞘嶺からはじまり、西は玉門関、南北は南山(祁連山脈と阿爾金山脈)と北山(馬鬃山、合黎山および龍首山)の間の長さ約900km、幅数kmから近100kmと不規則な、西北-東南方向に走る狭く長い平地である。回廊の形を為し、黄河の西にあるために河西回廊と呼ばれる。地域では甘粛省の蘭州と、6,500m級の祁連山脈を水源とする、砂漠河川に潤されるオアシス都市群、「河西四郡:武威(かつての涼州)、張掖(甘州)、酒泉(粛州)、敦煌(瓜州)」を包括する。民族では漢族、回族、モンゴル族、ユグル族、チベット族など多くの民族が居住する。漢の武帝が河西を開闢し、武威、張掖、酒泉、敦煌の四郡を列して以来、内陸の新疆に連なる重要な通路であり、古代のシルクロードの一部分として、古代中国と西方世界の政治・経済・文化的交流を進めた重要な国際通路であった。 Category:中国の平野 Category:甘粛省の地形 Category:回廊地帯.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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漢(かん、)は、中国の王朝である。通例、前漢(紀元前206年 - 8年)と後漢(25年 - 220年)の二つの王朝(両漢)を総称して「漢王朝」と呼ばれる。また、ここから転じて中国全土や中国の主要民族を指す名称ともなった。以下の記事では王朝について記述する。 中国初の統一王朝だった秦王朝が紀元前206年に滅亡すると、中国は秦を討った各軍の将帥による群雄割拠の状態に戻っていた。こうした中、漢中及び巴蜀に封じられていた劉邦が紀元前202年に垓下の戦いで項羽を討って中国を再統一した。中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であった漢をそのまま統一王朝の国号として用いた。この劉邦が開いた前漢と、いったん滅亡したのち劉秀によって再興された後漢の漢王朝は、あわせて400年の長きに渡った。初の統一王朝だった秦王朝が統一王朝としては実質的に一代で滅びたこともあり、漢王朝は中国の統一状態を実質的に確定した王朝となり、これから中国全土や中国の主要民族を指す名称として「漢」が用いられるようになった。 漢王朝の歴史の詳細については、前漢・後漢をそれぞれ参照。.

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漢民族

漢民族(かんみんぞく)は、中華人民共和国(中国大陸)、中華民国(台湾)、シンガポールで大多数を占める民族。人類の20%を占める世界最大の民族集団である。 中華人民共和国の民族識別工作では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人、唐人と自称することが多い。.

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漢文

漢文(かんぶん)とは、古代中国の文語体の文章のこと。または近代中国人・朝鮮人・日本人・ベトナム人によって書かれる古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものをいう。.

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海南チベット族自治州

海南チベット族自治州(かいなん-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置するチベット族自治州。チベット名の「ツォロ mtsho lho」は「青海湖の南」を意味する。中国名は中国語訳による。 チベットの伝統的な地理区分ではアムド地方の東部に相当する。州都はチャプチャ(chab cha, 恰卜恰)。.

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海北チベット族自治州

海北チベット族自治州(かいほく-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置する自治州の一つ。チベット名はツォチャン・プーリー・ランキョンクル (mtsho byang bod rigs rang skyong khul)。日本語では、中国語名に基づき海北蔵族自治州(かいほくぞうぞくじちしゅう)とも称されている。 自治州は地区級の民族区域自治単位の一種で、本自治州は青海省北部に位置する。 チベット名の「ツォ (mtsho)」とは、中国名「青海湖」で名高いティショルギャルモ湖 (mtsho khri shor rgyal mo) を、「チャン (byang)」とは「北」を意味し、あわせて「ティショルギャルモ湖の北」を意味する。中国名「海北」は、その逐語訳である。 チベット族をこの州の「区域自治」の「主体民族」とするが、回族が区域自治の主体民族である門源回族自治県もある。.

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海西モンゴル族チベット族自治州

海西モンゴル族チベット族自治州(かいせい-モンゴルぞく-チベットぞく-じちしゅう、モンゴル文字: 転写:Qayisi-yin Moŋɣol Töbed öbertegen jasaqu jėü、チベット文字:)は、中華人民共和国の青海省に設置されたチベット族およびモンゴル族を自治の主体民族とする自治州の一つ。 チベット名ツォヌプの「ツォ (mtsho)」、モンゴル名の「ノール 」とは、「青海湖(チベット名:ティショルギャルモ湖、 モンゴル名フフ・ノール ) を、チベット名「ヌプ (nub)」、モンゴル名「バロン 」」とは「西」を意味し、あわせて「ティショルギャルモ湖の西」を意味する。中国名「海西」はその逐語訳である。 自治州面積は青海省の45%を占める。州都はデリンハ市。チベットの伝統的な地理区分ではアムド地方の北部に相当する。またモンゴル人が伝統的に「デート・モンゴル(高地モンゴル)」と称してきた地の大部分を占める。.

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海東市

海東市(かいとうし)は中華人民共和国青海省に位置する地級市。.

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海晏県

海晏県(かいあん-けん、ハェイェン・ゾン, ha'e yan rdzong)は中華人民共和国青海省海北チベット族自治州に位置する県。同自治州人民政府の所在地。.

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新疆ウイグル自治区

新疆ウイグル自治区(新疆維吾爾自治区)(しんきょうウイグルじちく)(شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونی / Shinjang Uyghur Aptonom Rayoni)は、中華人民共和国の西端にある自治区である。1955年に設立され、首府はウルムチである。 民族構成はウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)などさまざまな民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれている。中華民国時代には、1912年から新疆省という行政区分が置かれていた。 本来中国には時差が設定されていないが、新疆では非公式に北京時間(UTC+8)より2時間遅れの新疆時間(UTC+6)が使われている。.

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日月山

日月山(にちげつさん)は、青海省東部の湟源県日月チベット族郷に位置する地名。古称は赤嶺、チベット名はニンダーラ。祁連山脈に属する。822年(唐長慶2年、吐蕃彝泰8年)に締結された唐と吐蕃の講和条約では、両国の国境がこの地に定められ、両国の首都(長安・邏些(ラサ))とこの地に、条約の文面を刻んだ石碑が立てられた。 現在でも、アムド地方(青海省)における生活環境の境界となっており、この地の西方と南方は、遊牧を営む蔵族・蒙古族の住人が、東北方では農業その他に従事する諸民族の混住地域となっている。.

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1723年

記載なし。

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1724年

記載なし。

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17世紀

ルイ14世の世紀。フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 エスファハーンの栄華。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられたシェイク・ロトフォラー・モスクの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 イエズス会の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光東照宮。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 歌舞伎の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた出雲阿国の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻(名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。.

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18世紀

Jean-Pierre Houëlが描いたバスティーユ襲撃(フランス国立図書館蔵)。 国立マルメゾン城美術館蔵)。 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。 18世紀(じゅうはっせいき)は、西暦1701年から西暦1800年までの100年間を指す世紀。.

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1928年

記載なし。

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1950年代

1950年代(せんきゅうひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1950年から1959年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1950年代について記載する。.

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2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

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2004年

この項目では、国際的な視点に基づいた2004年について記載する。.

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2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。.

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7世紀

ブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。 ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。.

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7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.

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822年

記載なし。

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8世紀

イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.

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