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霧氷 (曲)

索引 霧氷 (曲)

霧氷」(むひょう)は、1966年10月5日にビクターより発売された橋幸夫の84枚目シングル。.

28 関係: いつでも夢を吉田正吉永小百合夢みる港宮川哲夫寺岡真三チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-ムード歌謡デュエット利根一郎シンガポールの夜は更けてシングル第17回NHK紅白歌合戦第4回日本レコード大賞第8回日本レコード大賞黄金の声雨の中の二人JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント恋と涙の太陽恋はせつなく恋をするなら (橋幸夫の曲)橋幸夫歌謡曲汐風の中の二人10月5日1962年1966年1966年の音楽

いつでも夢を

いつでも夢を」(いつでもゆめを)とは、1962年9月20日に 日本ビクター(音楽事業部。後のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売された橋幸夫と吉永小百合のデュエットによって発売された楽曲(VS-807モノラル)で、橋の27枚目、吉永の3枚目のシングル。.

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吉田正

吉田 正(よしだ ただし、1921年1月20日 - 1998年6月10日)は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家。死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞。 生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げ、日本歌謡史の黎明期を支えたひとりである。.

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吉永小百合

吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.22.

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夢みる港

『夢みる港』は、1966年4月15日に ビクターより発売された橋幸夫の78枚目のシングル(SV-384)で、吉永小百合とのデュエット曲.

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宮川哲夫

宮川 哲夫(みやがわ てつお、1922年2月7日 - 1974年9月30日)は、昭和期の歌謡曲作詞家。伊豆大島、大島町波浮港出身。.

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寺岡真三

寺岡 真三(てらおか しんぞう、1925年(大正14年)12月4日 ‐ 2007年(平成19年)8月26日)は昭和期の作曲家、編曲家。本名寺田 常三郎。.

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チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-

チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-」は、1964年11月20日にビクターレコードより発売された橋幸夫の59枚目のシングルである(SV-150)。副題の「涙にさよならを」を題名とした松竹映画が作成され主題歌となった。後に日本ビクター出版よりミュージックブック「涙にさよならを」(MBK3123)が制作、発売されている。.

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ムード歌謡

ムード歌謡(ムードかよう)は、第二次世界大戦後、特に1952年(昭和27年)の連合国の占領軍の撤退以降の日本で独自に発達したポピュラー音楽のスタイル、ジャンルの一つである。広義では歌謡曲に含まれ、コーラスを主体としたものをムードコーラスと呼ぶことがある。.

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デュエット

ヘンドリック・テル・ブルッヘン作のデュエット デュエット(英語:duet (デュエット))は、二重奏、あるいは二重唱のこと。二人の奏者が異なるパートを演奏することを指すこともあり、その曲(二重奏曲、二重唱曲)や実演者(二重奏団、二重唱団)もデュエットと呼ぶ。 通常は声楽的な意味で用いられ、特にポピュラーソングの分野における男女二重唱を指すことが一般的である。ちなみに同性による二重唱の場合はデュオ(duo)として区別されることが多い。 デュエットもデュオもギリシャ語で「2」 を表す数詞 δυο に由来する。.

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利根一郎

利根 一郎(とね いちろう、1918年(大正7年)4月15日 - 1991年(平成3年)12月16日)は昭和期の作曲家。本名恩田良武。.

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シンガポールの夜は更けて

『シンガポールの夜は更けて』は、1966年12月10日にビクターより発売された橋幸夫の85枚目のシングル (SV-496)。橋が主演する同名の映画の主題歌となっている(後述)。.

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シングル

ングル() は、本来は1曲を表す言葉であるが、音楽、特に大衆音楽において、楽曲を1曲や2曲程度収めた販売単位をも指す。これは、販売用の媒体として多数の、もしくは演奏時間の長い楽曲を収めたアルバムとの対比的な表現である。時代や目的に応じて様々な手法で販売されたが、1曲から数曲ほどを収録し、メインとなる楽曲のヒットを主目的として販売されるメディアのことを言う。代表的なものは、レコード盤におけるシングル・レコードやCDにおけるCDシングルであり、これらはシングル盤とも呼ばれ、シングル盤に収録されている曲はシングル曲と呼ばれる。 2010年頃からはインターネットで配信されるダウンロード・シングルも急増している。.

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第17回NHK紅白歌合戦

『第17回NHK紅白歌合戦』(だいじゅうななかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1966年12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算17回目の『NHK紅白歌合戦』。21時05分 - 23時45分にNHKで生放送された。.

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第4回日本レコード大賞

4回日本レコード大賞(だい4かいにほんレコードたいしょう)は、1962年(昭和37年)12月27日に日比谷公会堂で行われた、4回目の『日本レコード大賞』である。.

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第8回日本レコード大賞

8回日本レコード大賞は、1966年(昭和41年)12月24日に日比谷公会堂で行われた、8回目の『日本レコード大賞』である。.

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黄金の声

『黄金の声』は、1967年3月にビクターレコードより2枚組で発売された橋幸夫のLP盤でのベストアルバム(JV-229-S,JV-230-S)である。1966年に『霧氷』(作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎)で2回目となる日本レコード大賞を受賞したことを記念したものである。.

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雨の中の二人

の中の二人」は、1966年1月15日にビクターレコードより発売された橋幸夫の75枚目のシングルである(SV-348)。田村正和が主演した同名の松竹・ビクター提携映画の主題歌になっている。.

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JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(ジェイブイシーケンウッド・ビクターエンタテインメント、英語:JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.)は、音楽ソフト発売・販売業務を行う日本企業であり、JVCケンウッドの子会社である。 1972年4月24日まで日本ビクターの音楽レコード事業部、2011年9月30日までは日本ビクターの子会社であった。旧社名は1972年4月25日から1993年3月31日まではビクター音楽産業株式会社(ビクターおんがくさんぎょう、略称:ビクター音産)、1993年4月1日から2014年3月31日まではビクターエンタテインメント株式会社(Victor Entertainment, Inc.)だった。.

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恋と涙の太陽

恋と涙の太陽(アメリアッチ)」は、1966年6月23日にビクターレコードより発売された橋幸夫の81枚目のシングルである(SV-432)。同名の松竹映画の主題歌ともなった。後に日本ビクター出版よりミュージックブック「恋と涙の太陽」(SB3037)が発売されている。.

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恋はせつなく

『恋はせつなく』は、1968年7月5日に ビクターより発売された橋幸夫の99枚目のシングル(SV-723)。.

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恋をするなら (橋幸夫の曲)

『恋をするなら』は、1964年8月5日にビクターレコードより発売された橋幸夫の54枚目のシングルである(SV-87)。橋のリズム歌謡第1作にあたる。 c/wの「孤独のブルース」とともに橋主演映画『孤独』の主題歌になっている。同名のミュージックブックも制作されている(MBK3115)。.

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橋幸夫

橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943年5月3日 - )は、東京都荒川区出身の歌手、俳優、作曲家、プロデューサー。血液型はA型。歌手の他に、俳優としても活躍、著書に認知症の実母の介護生活を綴った「お母さんは宇宙人」がある。 俳優の橋龍吾は息子、演歌歌手の橋宏之(ひろゆき)は甥にあたる。.

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歌謡曲

歌謡曲(かようきょく)とは、昭和時代に流行した日本のポピュラー音楽の総称。1970年代半ばからは、ニューミュージックが主流となり、90年代半ばから流行したものはJ-POPと呼ばれ、曲調・サウンドなどが変遷していった。 1960年代以降に隆盛した演歌と混同されがちであるが、本来はあくまで西洋音楽の日本における派生形である。ただし愛好者の層が重なるため、近年では『演歌・歌謡曲』というジャンルが存在する。 なお歌謡曲は、昭和初期には流行歌とも呼ばれていた。.

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汐風の中の二人

汐風の中の二人」(しおかぜのなかのふたり)は、1966年6月15日にビクターレコードより発売された橋幸夫の80枚目のシングルである(SV-348)。竹脇無我が主演した同名の松竹映画(後述)の主題歌になっている。.

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10月5日

10月5日(じゅうがついつか)はグレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。.

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1962年

記載なし。

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1966年

記載なし。

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1966年の音楽

1966年の音楽(1966ねんのおんがく)では、1966年(昭和41年)の音楽分野に関する動向を記述する。.

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