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雨宮庸蔵

索引 雨宮庸蔵

雨宮 庸蔵(あめみや ようぞう、1903年 – 1999年12月2日)は、編集者。山梨県生まれ。 早稲田大学社会哲学科卒。在学中から、早稲田の先輩である嶋中雄作宛に毎月『中央公論』の精細な批評を書き送り、1928年中央公論社に入社、1929年『中央公論』編集部長、谷崎潤一郎を担当し、1932年出版部長に転じる。1934年より「谷崎潤一郎訳源氏物語」を担当し、山田孝雄に校閲を頼む傍ら、谷崎との相談で、皇室に関する部分の削除を決める。1937年『中央公論』編集長に復帰、しかし1938年、石川達三「生きてゐる兵隊」を掲載したことで石川とともに刑事告発され、責任をとって退社、一年後、禁錮四ヶ月、執行猶予三年の刑を受ける。戦前の言論弾圧事件として知られる事件である。 1940年(昭和15年)2月26日に民間アカデミーとして文部省認可が下りた国民学術協会の主事に就任、嶋中や桑木厳翼、清澤洌、長谷川如是閑らと共に1944年の活動中断まで役員を務めた。 戦後は馬場恒吾の引きで読売新聞社に入社、科学部長、論説委員を務めた。回想録『偲ぶ草 ジャーナリスト六十年』(中央公論社、1988)があり、谷崎より雨宮宛の書簡は谷崎記念館より刊行されている。 Category:日本の編集者 Category:早稲田大学出身の人物 Category:山梨県出身の人物 Category:1903年生 Category:1999年没.

19 関係: 山田孝雄山梨県嶋中雄作中央公論中央公論新社国民学術協会石川達三生きてゐる兵隊馬場恒吾読売新聞社谷崎潤一郎谷崎潤一郎訳源氏物語長谷川如是閑桑木厳翼清沢洌早稲田大学12月2日1903年1999年

山田孝雄

山田 孝雄(やまだ よしお、1873年(明治6年)5月10日(実際には1875年(明治8年)8月20日) - 1958年(昭和33年)11月20日)は、日本の国語学者、国文学者、歴史学者。 独学の人として知られる。「契沖、真淵、宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者」とも評される。.

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山梨県

山梨県(やまなしけん)は、本州の内陸部に位置する日本の県の一つ。県庁所在地は甲府市。令制国の甲斐国に相当する。.

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嶋中雄作

嶋中 雄作(しまなか ゆうさく、1887年2月2日 - 1949年1月17日)は、出版人・編集者。中央公論社社長434頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年11月29日閲覧。。奈良県生まれ。兄は社会運動家の島中雄三コトバンク。2017年11月29日閲覧。。.

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中央公論

『中央公論』(ちゅうおうこうろん)は、1887年に日本で創刊され、現在も発行されている、月刊総合雑誌である。現在は中央公論新社が発行する。.

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中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

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国民学術協会

財団法人 国民学術協会(こくみんがくじゅつきょうかい)は、学派学閥を超えた民間アカデミーを掲げ、有識者会員及び民間の支援者らにより組織された日本の財団法人。文化学術の発展に寄与することを目的として1940年に法人化された民間学術団体。.

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石川達三

石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年(明治38年)7月2日 - 1985年(昭和60年)1月31日)は、日本の小説家。『蒼氓』により、芥川賞受賞者第1号となった。.

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生きてゐる兵隊

『生きている兵隊』(旧仮名づかい:生きてゐる兵隊、いきているへいたい)は、中国戦線に取材した石川達三の小説であり、作者自身の中公文庫『前記』によると、「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」という。しかし、「あるがままの戦争の姿を知らせる」(初版自序)ともしており、モデルとなった第16師団33連隊の進軍の日程、あるいは、描写が歴史事実と一致する個所も少なくない。1938年発表。.

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馬場恒吾

場 恒吾(ばば つねご、1875年7月13日 - 1956年4月5日)は、日本のジャーナリスト・政治評論家・実業家。ジャパンタイムズや国民新聞などで自由主義擁護の論陣を張る。第二次大戦後、読売新聞社社長。.

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読売新聞社

読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)は、日本で『読売新聞』を発行する新聞社の名称である。.

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谷崎潤一郎

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。.

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谷崎潤一郎訳源氏物語

谷崎潤一郎訳源氏物語(たにざきじゅんいちろうやくげんじものがたり)は、大正・昭和時代の小説家である谷崎潤一郎による、『源氏物語』の3回にわたる現代日本語訳の総称である。「谷崎訳源氏(たにざきやくげんじ)」、「潤一郎訳源氏(じゅんいちろうやくげんじ)」あるいは単に「谷崎源氏(たにざきげんじ)」とも呼ばれる。.

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長谷川如是閑

長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)11月30日 - 1969年(昭和44年)11月11日)は、日本のジャーナリスト、文明批評家、評論家、作家。明治・大正・昭和と三代にわたり、新聞記事・評論・エッセイ・戯曲・小説・紀行と約3000本もの作品を著した。大山郁夫らとともに雑誌『我等』(後に『批判』)を創刊し、大正デモクラシー期の代表的論客の一人。「如是閑」は雅号、本名は萬次郎。.

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桑木厳翼

桑木 厳翼(くわき げんよく、1874年(明治7年)6月25日 - 1946年(昭和21年)12月15日『日本人名大辞典』710頁。)は、日本の哲学者。文学博士。.

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清沢洌

清沢 洌(きよさわ きよし、1890年(明治23年)2月8日 - 1945年(昭和20年)5月21日)は、ジャーナリスト、評論家。長野県生まれ。外交問題、特に日米関係の評論で知られ、またその太平洋戦争下における日記が『暗黒日記』として戦後公刊されたことでも名高い。 なお名前は「冽(にすい)」でなく「洌(さんずい)」。存命中から「れつ」と呼ばれることも多く、本人もしばしばそのような署名を行っていた。また「沢」は旧字で「清澤 洌」とするものもある。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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12月2日

12月2日(じゅうにがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から336日目(閏年では337日目)にあたり、年末まであと29日ある。.

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1903年

記載なし。

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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