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関西棋院

索引 関西棋院

一般財団法人関西棋院(いっぱんざいだんほうじんかんさいきいん)は囲碁の棋士を統括し、近畿を中心として棋戦や囲碁普及などの活動を行う組織(一般財団法人)。日本棋院から1950年に分離独立。現在117人の棋士、女流棋士が所属。機関誌『囲碁関西』(月刊)を発行している(2019年4月号をもって廃刊予定)。 なお、同じく大阪府大阪市にある囲碁団体の関西総本部は日本棋院の関西支部であり、関西棋院とは別の法人である。.

89 関係: 加藤信加藤正夫半田道玄十段 (囲碁)名古屋市吉田美香坂井秀至坂田栄男大窪一玄大竹英雄大阪市大阪府大手合天元戦女流棋士 (囲碁)宝塚市小西和子小林光一山下敬吾山部俊郎岩本薫島村俊廣中央区 (大阪市)中川和雄中野泰宏平凡社久保松勝喜代井山裕太今村俊也張栩余正麒依田紀基北浜全日本囲碁連合光原伊太郎前田陳爾囲碁囲碁のタイトル在位者一覧倉橋正行石井茜王座王座 (囲碁)碁聖神戸新聞竜星戦第5期本因坊戦第6期本因坊戦羽根直樹結城聡産経プロアマトーナメント戦...田中不二男田中康湧瀬戸大樹白石裕芦田磯子高尾紳路高川格財団法人趙治勲阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦関山利一関西関西棋院第一位決定戦藤井秀哉藤沢秀行藤沢朋斎苑田勇一陳嘉鋭NECカップ囲碁トーナメント戦林海峰東京村川大介棋士 (囲碁)棋聖 (囲碁)棋戦 (囲碁)榊原史子横田茂昭橋本宇太郎橋本昌二法人津島壽一清成哲也本因坊本田邦久昭和日本棋院1950年2010年9月2日 インデックスを展開 (39 もっと) »

加藤信

加藤信(かとう しん、1891年(明治24年)11月5日 - 1952年(昭和27年)7月14日)は、囲碁の棋士。東京市出身、広瀬平治郎門下、方円社、日本棋院、棋正社に所属、八段。重厚な棋風から「黒甲将軍」と呼ばれた。第1期本因坊戦準優勝。.

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加藤正夫

加藤 正夫(かとう まさお 1947年3月15日 - 2004年12月30日)は日本の囲碁棋士。号は「劔正」。名誉王座。 同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれ、名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。七大タイトル獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を7度受賞(歴代2位タイ記録)。 若い頃は力ずくで大石を仕留める豪腕から「殺し屋」のニックネームがあった(なお、加藤の前に大平修三が「殺し屋」とあだ名されていた)が、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。2004年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組むが、2004年暮れに脳梗塞に倒れ、死去した。享年57。門下に大森泰志、岡田伸一郎、鈴木伊佐男、梅沢由香里、小山栄美ら。 妻は書家の加藤石泉。妻の両親もそれぞれ書家である佐々木泰南・佐々木月花であり、佐々木泰南は木谷道場に書の指導に来ていた。 2005年2月8日、その功績により旭日小綬章追贈。.

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半田道玄

半田 道玄(はんだ どうげん、大正4年(1915年)10月25日 - 昭和49年(1974年)4月13日)は、囲碁の棋士。広島県出身、鈴木為次郎名誉九段門下、日本棋院から関西棋院所属、九段。旧名は早巳。十段獲得、本因坊挑戦など。求道的な姿勢と、殿様碁とも言われた独特のゆったりした棋風で知られる。.

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十段 (囲碁)

十段(じゅうだん)は、囲碁の棋戦の一つである十段戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。日本棋院および関西棋院の昇段制度(初段~九段)とは別個に運営される、独立した称号である。.

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名古屋市

名古屋市(なごやし)は愛知県西部(尾張地方)にある市。政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。全16区から構成される。.

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吉田美香

吉田 美香(よしだ みか、昭和46年(1971年)2月12日 - )は、日本の囲碁棋士。大阪府出身、関西棋院所属、水野弘士九段門下。女流本因坊連続4期など。手厚く味のよい碁ながら、大胆な着想も持つ。兄は吉田昇司八段。.

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坂井秀至

坂井 秀至(さかい ひでゆき、1973年4月23日 - )は、日本のプロ棋士。関西棋院所属。兵庫県三田市出身。佐藤直男九段門下。灘高校卒業。 囲碁界初の医師免許保持者、京都大学医学部卒業者。 関西棋院所属棋士29年ぶりの七大タイトル獲得者(第35期碁聖)。.

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坂田栄男

二十三世本因坊栄寿(にじゅうさんせいほんいんぼうえいじゅ、1920年(大正9年)2月15日 - 2010年(平成22年)10月22日)、本名:坂田 栄男 (さかた えいお)は、囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。名誉日本棋院選手権者、名誉NHK杯選手権者。 本因坊戦で7連覇他、選手権制初の名人・本因坊、7タイトル制覇、タイトル獲得64回など数々の記録を持つ、呉清源と並び称される昭和最強棋士の一人。切れ味の鋭いシノギを特徴として「カミソリ坂田」の異名を持ち、数々の妙手、鬼手と呼ばれる手を残している。また布石での三々を多用した。 日本棋院理事長を1978年から1986年まで務めた後、1988年7月より日本棋院顧問。2000年2月15日に現役を引退。2009年より日本棋院名誉顧問。.

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大窪一玄

大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月15日 - 2015年(平成27年)3月2日)は、日本の囲碁棋士。石川県出身、増淵辰子八段門下、日本棋院所属、九段。王座戦準優勝など。旧名幸雄。1999年現役引退。.

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大竹英雄

大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月12日 - )は、囲碁棋士。'''名誉碁聖'''。福岡県北九州市出身、日本棋院所属・顧問、木谷實九段門下、九段。 碁聖位6連覇、名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。 厚く味のよい形を好む本格的な棋風で大器、大竹美学と呼ばれる。布石では小目を好む。またNHK杯優勝5回など早碁を得意とし「早碁の神様」、名人戦では挑戦手合通算12回出場などで「名人戦男」などのニックネームを持つ。同年同月生まれでライバルでもある林海峰と並んで"竹林"とも称される。 通算タイトル獲得数は48。門下に西村慶二八段。木谷門下の塾頭格として、後輩の指導などでも評価が高い。 2008年12月9日-2012年6月26日は日本棋院理事長、2010年から全日本囲碁連合の会長も務めた。日本棋院の新旧タイトル保持者で作る名棋会の会長でもある。 現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者・碁聖位獲得者・十段位獲得者では林海峰名誉天元と並び最年長である。.

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大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

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大阪府

大阪府(おおさかふ)は、近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁所在地は大阪市。.

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大手合

大手合(おおてあい)は、囲碁の棋士の昇段を審査するために、日本棋院などの組織で行われた対局制度。1924年(大正13年)の日本棋院設立時、それまでの個人間の成績に基づいて決定されていた昇段を合理的なものに改めるものとして開始された。当初の名称は「定式手合」で、1927年(昭和2年)の東西制移行時から大手合となった。1950年に日本棋院から独立した関西棋院でも同制度が採用された。途中幾度かの改革を経て80年間続けられたが、日本棋院では2003年、関西棋院では2004年に廃止された。 棋士の成績を客観的に評価するために、段位差がある場合の手合割に基づく点数制を採用したこと、およびコミ無し碁であったところに特徴がある。その後、東西対抗形式や、最高位決定戦の実施なども行われた。開始当時は棋士にとってもっとも重要な公式対局であったが、本因坊戦創設以後は棋戦の数も増え、制度自体が時代の流れに合わなくなったことを受け、棋戦制度の改革とともに新たな昇段制度に移行した。.

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天元戦

天元戦(てんげんせん)は、日本で開かれている囲碁の棋戦。優勝者には天元のタイトルが与えられる。.

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女流棋士 (囲碁)

女流棋士(じょりゅうきし)とは女性のプロ棋士のこと。この項目では、囲碁の女流棋士について解説する。 女流棋士は男女混合の一般棋戦に参加すると同時に、女流しか参加できない女流棋戦に参加することができる。.

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宝塚市

宝塚市(たからづかし)は、兵庫県南東部(阪神間)に位置する市。阪神北県民局管轄区域。国から施行時特例市に指定されている。宝塚市の「塚」は、国や兵庫県では新字体の「塚」を使っているが、市では画数の1画多い「塚」を用いる。.

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小西和子

小西 和子(こにし かずこ、1972年(昭和47年)10月28日 - )は、関西棋院所属の囲碁女流棋士。大阪府出身。師匠は水野弘士九段。1985年(昭和60年)に、第27回全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で3位入賞。 2014年、第18期ドコモ杯女流棋聖戦挑戦者決定戦で青葉かおり四段に勝ちをおさめ挑戦権を獲得した、念願の挑戦手合初出場(女流鶴聖戦などはトーナメント戦、挑戦手合ではなく)、過去に第8期女流最強戦決勝で敗れたの謝依旻に挑む。後に2連敗で挑戦失敗、タイトル奪取はならなかった。.

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小林光一

小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )は、囲碁のプロ棋士。名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖。北海道旭川市出身。木谷實九段門下。日本棋院東京本院所属。前妻の小林禮子(1996年逝去)との間に一男一女がいる。後妻との間にも子どもがいる。長女は小林泉美。娘婿は張栩。門下に河野臨、大矢浩一、酒井真樹、大木啓司、金澤秀男、桑原陽子、穂坂繭がいる。 タイトル獲得数歴代3位。棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など、数々のタイトル連覇記録を樹立。日本の現役囲碁棋士の中で井山裕太と並ぶ3つの名誉称号を持つ。棋道賞「最優秀棋士賞」7回(歴代2位タイ記録)、秀哉賞7回。6年連続賞金ランキング1位(1988-1993)。 2006年から2007年5月まで、日本棋院副理事長。 現在、存命の棋聖位獲得者では最年長である。.

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山下敬吾

山下 敬吾(やました けいご、1978年9月6日 - )は、日本棋院所属のプロ棋士。九段。北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖、名人、本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。 張栩、羽根直樹、高尾紳路らとともに「若手四天王」「平成四天王」と称される。 3大タイトル獲得数歴代6位タイ、棋聖位獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を2度・優秀棋士賞を6度受賞。.

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山部俊郎

山部俊郎(やまべとしろう、大正15年(1926年)7月31日 - 平成12年(2000年)2月5日)は、囲碁の棋士。東京都出身、日本棋院所属、向井一男門下、九段。本因坊戦、天元戦挑戦者など準優勝9回を数える。手の見える天才肌の棋士で「奔放」「変幻」が代名詞。藤沢秀行、梶原武雄と並んで戦後派三羽烏と呼ばれた。.

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岩本薫

岩本薫(いわもと かおる、1902年(明治35年)2月5日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、大正・昭和の囲碁棋士。第3、4期本因坊で本因坊薫和と号する。島根県益田市出身、広瀬平治郎八段門下。 中盤の戦いに強く、序盤はあちこちに散在する石が徐々に関連して相手に圧力をかけてくるところから「豆まき碁」と呼ばれた。 1945年の第3期本因坊戦での橋本昭宇本因坊との挑戦手合において、広島市郊外の五日市(現佐伯区五日市町)で行われた6番勝負の第2局は原爆下の対局として有名。 1948年から日本棋院理事長、1954年から中央会館館長を歴任。 囲碁の海外普及に尽力し、また私財を投じた岩本基金により、サンパウロ、アムステルダム、ニューヨーク、シアトルの囲碁会館設立に多大な貢献をした。 日本における七大タイトル獲得経験者では最年長にあたる。.

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島村俊廣

島村 俊廣(しまむら としひろ、明治45年(1912年)4月18日 - 平成3年(1991年)6月21日)は、日本の囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身、日本棋院所属、九段、鈴木為次郎名誉九段門下。利博から、俊宏、俊広、俊廣と改名。王座戦、天元戦優勝、本因坊戦挑戦2回など、長く中部碁界の重鎮として活躍した。渋い辛抱のいい棋風で「いぶし銀」と呼ばれ、また「忍の棋道」を自認した。.

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中央区 (大阪市)

OBPの景色 難波宮 大阪城付近 道頓堀 中央区(ちゅうおうく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。大阪府の府庁所在地。.

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中川和雄

中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は、京都府出身の元官僚、政治家。元大阪府知事。関西棋院名誉理事長。.

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中野泰宏

中野 泰宏(なかの やすひろ、1977年(昭和52年)5月18日 - )は、関西棋院所属のプロ囲碁棋士。福岡県豊前市出身、森野節男九段門下。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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久保松勝喜代

久保 松勝喜代(くぼまつ かつきよ、1894年(明治27年)10月25日 - 1941年(昭和16年)12月15日)は、囲碁棋士。兵庫県出身。方円社、日本棋院に所属、名誉九段。昭和初期の関西囲碁界の重鎮であり、橋本宇太郎、木谷實らを弟子としながら東京に送り出した他、多くの棋士を育てた。「偉大なる素人」と呼ばれ、大模様の碁を得意とし、初手天元も研究した。連珠八段でもあり、久保松機山を名乗った。.

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井山裕太

井山 裕太(いやま ゆうた、1989年5月24日 - )は、日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。九段。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。名誉棋聖・二十六世本因坊・名誉碁聖の名誉称号資格保持者。号は本因坊文裕(ほんいんぼう もんゆう)。 囲碁界・将棋界通して史上初の2度の七冠達成者であり史上初の年間グランドスラム(その年の七大タイトルをすべて独占)達成者。また、囲碁界史上初の七冠達成者・六冠達成者。2016年4月21日から11月3日までの197日間、2017年10月18日から現在まで日間、七冠を保持中。 七大タイトル獲得数歴代2位(歴代1位タイまであと1期)、三大タイトル獲得数歴代2位、タイトル総獲得数歴代4位記録。 天元位歴代最多獲得記録「6期」、碁聖位連覇最多タイ「6連覇」記録保持者。 史上2人目の大三冠達成者。史上3人目のグランドスラム達成者。また、七大タイトルの数々の最年少記録を保持している。2013年から5年連続棋道賞最優秀棋士賞を受賞。2011年から7年連続賞金ランキング1位。 世界戦ではLG杯世界棋王戦準優勝、テレビ囲碁アジア選手権戦で優勝を果たしている。 2012年7月24日から現在まで間、七大タイトルのうち四冠以上を保持し続けている。 平成30年、国民栄誉賞を受賞。.

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今村俊也

今村 俊也(いまむら としや、昭和41年(1966年)3月29日 - )は、囲碁の棋士。奈良県奈良市出身、関西棋院所属、苑田勇一九段門下、九段。関西棋院常務理事(渉外・ネット担当)。元NHK囲碁講座講師。 第14期碁聖戦挑戦者。第55期王座戦挑戦者。 独創的かつじっくり手厚く構える棋風で「世界一厚い碁」とも呼ばれる。また早島戸川氏(岡山県早島町)の国家老(70石)の末裔として知られる人物である。 門下に長谷川広六段。康子夫人はアマチュア強豪であり、TV司会などでも活躍。.

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張栩

張栩(ちょう う、1980年1月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁棋士。九段。林海峰名誉天元門下。小林光一名誉三冠は義父にあたる。 史上初の五冠王、史上二人目のグランドスラム達成、通算七大タイトル獲得数歴代5位、3大タイトル獲得数歴代6位、棋道賞最優秀棋士賞7回(歴代2位タイ)、王座位獲得数歴代2位など多数の記録を保持。4年連続通算7回の賞金ランキング1位(2003-05・07-10年).

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余正麒

余 正麒(よ せいき、1995年6月19日 - )は、台湾、日本の囲碁棋士。台湾台北市北投区出身。張呂祥六段門下、台湾棋院、関西棋院所属、七段。 第64期王座挑戦者。第55期十段位挑戦者。.

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依田紀基

依田 紀基(よだ のりもと、1966年2月11日 - )は日本の囲碁のプロ棋士。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下、九段。名人4期、碁聖6期、NHK杯優勝5回、世界棋戦で第1回三星火災杯世界オープン戦優勝など、タイトル獲得数35。棋道賞優秀棋士賞4回。左利だが、石を打つのは右手。.

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北浜

北浜(きたはま)は、大阪府大阪市中央区の町名。郵便番号は541-0041。.

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全日本囲碁連合

全日本囲碁連合(ぜんにほんいごれんごう)は、日本の囲碁統括団体。会長は和田紀夫(元日本棋院理事長)。.

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光原伊太郎

光原伊太郎(みつはら いたろう、1897年(明治30年)- 1979年(昭和54年)8月17日)は、日本の囲碁棋士。大阪出身、岩佐銈門下、日本棋院などに所属、名誉八段。関西囲碁界の柱として、高川格ら多くの棋士を輩出した。.

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前田陳爾

前田 陳爾(まえだ のぶあき、1907年11月22日 - 1975年7月3日)は、囲碁の棋士。兵庫県出身、日本棋院所属、九段、本因坊秀哉門下。詰碁創作の大家として知られ、「詰碁の神様」と称される。1927年囲碁新社結成。棋風は接近戦を得意とする力戦型で「攻めの前田」とも言われる。第1期王座戦準優勝、第1期最高位戦リーグ3位など。随筆での毒舌でも知られた。.

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囲碁

囲碁(いご)とは、2人で行うボードゲームの一種。交互に盤上に石を置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う。単に碁(ご)とも呼ばれる。.

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囲碁のタイトル在位者一覧

囲碁のタイトル在位者一覧は、日本国内棋戦七大タイトルの歴代在位者一覧であり、1941年の本因坊戦創設から現在までを網羅する。.

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倉橋正行

倉橋 正行(くらはし まさゆき、1972年12月7日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。大阪府池田市出身。父は倉橋正蔵八段、母は関山利一九段の次女にあたり、関山利道九段は従兄弟にあたる。.

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石井茜

石井 茜(いしい あかね、1982年8月2日 - )は、関西棋院所属の囲碁女流棋士。埼玉県上尾市出身。息子の1人がいる。.

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王座

王座(おうざ).

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王座 (囲碁)

王座(おうざ)は囲碁の棋戦の一つである王座戦で優勝した棋士に贈られるタイトル。.

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碁聖

碁聖(ごせい)は.

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神戸新聞

戸新聞(こうべしんぶん)は、本社が兵庫県神戸市中央区に所在する神戸新聞社が発行する新聞である。.

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竜星戦

星戦(りゅうせいせん)は、囲碁のテレビ棋戦。毎年8月から9月にかけて、決勝トーナメントが行われる。1990年度創設で、1997年から公式戦となった。また2006年より、中国棋院と囲碁・将棋チャンネル共催で中国竜星戦が行われている。 竜星戦はCATV、スカパー!、スカパー!光、ひかりTVなどの『囲碁・将棋チャンネル』で、毎週金曜日と日曜日に放映されている。(詳しくはテレビ放送の項を参照).

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第5期本因坊戦

5期本因坊戦(だい5きほんいんぼうせん)は、第4期本因坊戦終了後の1948年1月に開始され、1950年3月から行われた岩本薫和本因坊と挑戦者橋本宇太郎による七番勝負で、橋本が4勝0敗で2度目の本因坊位を獲得した。この第5期から、予選トーナメントを経て、挑戦者決定リーグ、挑戦手合七番勝負へ進むという、その後の本因坊戦の仕組みが定着し、また掲載紙の毎日新聞では七番勝負の観戦記を作家が執筆するのが慣例となった。また橋本の本因坊獲得は、その後の関西棋院独立の大きな後押しとなった。.

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第6期本因坊戦

6期本因坊戦(だい6きほんいんぼうせん)は、第5期本因坊戦終了後の1950年に開始され、1951年4月から行われた橋本昭宇本因坊と挑戦者坂田栄男七段による七番勝負で、橋本が4勝3敗で本因坊位を防衛した。この第6期から、それまでの1期2年から1期1年制に改められ、またそれが契機となって関西棋院独立問題が発生し、関西棋院の橋本と日本棋院の坂田による挑戦手合は東西対立の様相を帯びて緊迫したものとなった。.

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羽根直樹

羽根直樹(はね なおき、1976年8月14日 - )は囲碁のプロ棋士。日本棋院中部総本部所属。三重県志摩市磯部町出身。A型。七大タイトル獲得は8期。 棋聖2連覇、本因坊2連覇、天元位3連覇。中部総本部初の三大タイトル獲得者。 張栩、山下敬吾、高尾紳路らとともに「平成四天王」と称される。 親子棋士としても有名で史上初の親子での七大タイトル獲得者でもある。.

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結城聡

結城 聡(ゆうき さとし、1972年(昭和47年)2月11日 - )は、囲碁の棋士。元NHK囲碁講座講師。兵庫県神戸市出身、関西棋院所属、佐藤直男九段門下、九段。 第36期天元位、第51期十段位、NHK杯5回優勝、テレビ囲碁アジア選手権戦準優勝。橋本宇太郎・橋本昌二以来約30年ぶりの関西棋院所属のトップ棋士。関西棋院最優秀棋士賞7回。 2017年には史上最年少・最速・最高勝率・関西棋院初の1200勝達成。.

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産経プロアマトーナメント戦

産経プロアマトーナメント戦(さんけいプロアマトーナメントせん)は、日本の囲碁の棋戦。2005年創設。関西棋院所属のプロ棋士とアマチュア各16名の計32名が出場する。主催は産経新聞社、関西棋院。優勝賞金100万円。対局の棋譜は産経新聞夕刊に掲載される。.

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田中不二男

中不二男(たなか ふじお、1916年(大正5年) - 1940年(昭和15年)1月20日)は、日本の囲碁棋士。神戸市出身、久保松勝喜代名誉九段門下、日本棋院所属、五段。ウルトラ新布石と呼ばれる過激な手法で知られた。.

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田中康湧

中 康湧(たなか こうゆう、2001年6月14日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士、古谷裕門下生。兵庫県相生市出身。.

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瀬戸大樹

戸 大樹(せと たいき、1984年3月27日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。三重県出身。.

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白石裕

白石 裕(しらいし ゆたか、1941年(昭和16年)2月14日 - 2017年(平成29年)12月10日)は、日本の囲碁棋士。愛媛県出身、関山利一九段門下、関西棋院所属、九段。関西棋院第一位決定戦優勝、名人戦リーグ3期・本因坊戦リーグ3期など。詰碁創作を得意とする。娘の白石京子三段も囲碁棋士。.

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芦田磯子

芦田 磯子(あしだ いそこ、1958年(昭和33年)9月5日 - )は、関西棋院所属の囲碁女流棋士。京都府出身。師匠は窪内秀知九段。.

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高尾紳路

尾 紳路(たかお しんじ、1976年10月26日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁のプロ棋士、九段。千葉県千葉市出身、藤沢秀行名誉棋聖門下。本因坊雅号は「秀紳(しゅうしん)」。血液型A型。 本因坊3連覇、名人2連覇、十段2連覇、史上6人目の名人本因坊。2006年賞金ランキング1位。 張栩、山下敬吾、羽根直樹らとともに「平成四天王」と称される。 2015年4月23日以降、井山裕太九段以外で七大タイトルを獲得した唯一の棋士である。.

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高川格

二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいんぼうしゅうかく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)、本名:高川格(たかがわ かく)は、日本の囲碁棋士。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。 本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。 本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。.

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財団法人

財団法人(ざいだんほうじん)とは、法人格を付与された財団のことであり、ある特定の個人や企業などの法人から拠出された財産(基本財産)で設立され、これによる運用益である金利などを主要な事業原資として運営する法人である。 2008年11月までは公益目的が主たる財団法人のみであったが、公益法人制度改革に伴い、2008年12月より公益目的でなくとも一般財団法人を設立できるようになった。また、以前の財団法人(特例民法法人)も所管機関での手続きを経て一般財団法人へ移行できるようになった。.

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趙治勲

趙 治勲 (ちょう・ちくん、チョ・チフン、1956年6月20日 -)は、囲碁のプロ棋士。名誉名人・二十五世本因坊。韓国釜山広域市出身。日本棋院所属。血液型はB型。木谷實九段門下。本因坊10連覇の功績により特例で60歳未満で名誉称号を名乗ることができ、2016年6月19日まで無冠の際は二十五世本因坊治勲と表記されていた60歳以後は序列が上の名誉名人が表記されている。。 タイトル獲得数歴代1位、七大タイトル獲得数歴代1位、大三冠達成(史上初)、グランドスラム達成(史上初)、本因坊位獲得数・連覇数歴代1位、名人位歴代1位、棋聖位歴代1位タイ、棋道賞最優秀棋士賞9回(歴代最多)、秀哉賞9回(歴代最多)、公式戦通算1500勝(史上初)など数々の記録を保持している。 叔父に囲碁棋士の趙南哲、兄も囲碁棋士の趙祥衍。.

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阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦

阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦(あごんきりやまはいぜんにほんはやごおーぷんせん)は、日本の囲碁の棋戦。プロとアマが対戦する唯一のオープン戦として、1994年にアコム杯全日本早碁オープン戦が創設され、1999年第6期より阿含・桐山杯となる。優勝賞金額1,000万円、準優勝500万円。.

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関山利一

関山利一(せきやま りいち、明治42年(1909年)12月23日- 昭和45年(1970年)1月15日)は、囲碁の棋士。兵庫県出身、日本棋院、関西棋院所属、鈴木為次郎名誉九段門下、実力制第1期本因坊利仙(りせん)。関山利夫九段は長男。.

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関西

関西(かんさい)は、日本の地方を指す言葉である。一般に近畿地方に含まれる府県を意味しており、大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、三重県、奈良県、和歌山県の2府5県とされる。 関西広域連合では福井県、鳥取県、徳島県を加えた2府8県を関西と定義し、情報発信を行っている。また、福井県は行政管轄区分において近畿地方(関西)とされる場合もある。.

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関西棋院第一位決定戦

山陽新聞杯 関西棋院第一位決定戦(さんようしんぶんはい かんさいきいんだいいちいけっていせん)は、囲碁の棋戦で、関西棋院の棋士が出場する。1957年から開始。 山陽新聞社主催。同社はかつて「山陽新聞三番碁」を主催していた。.

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藤井秀哉

藤井秀哉(ふじいしゅうや、1980年9月10日 - )は、日本の囲碁棋士。関西棋院所属。京都府出身。松村修五段門下。.

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藤沢秀行

藤沢 秀行(ふじさわ ひでゆき、ふじさわ しゅうこう、1925年6月14日 - 2009年5月8日)は、日本の囲碁棋士。本名:「藤沢 保(たもつ)」。棋聖戦6連覇、史上最年長タイトル保持者などに輝いた、昭和を代表する棋士の1人。 甥(秀行の方が年下)に藤沢朋斎九段、子(五男)に藤沢一就八段、孫に藤沢里菜四段。 正しい名前の読み方は「ひでゆき」だが、生涯を通じて「しゅうこう」と呼ばれ続けた。.

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藤沢朋斎

藤沢朋斎(ふじさわ ほうさい、1919年(大正8年)3月9日 - 1992年(平成4年)8月2日)は、囲碁棋士。本名は藤沢庫之助(ふじさわ くらのすけ)。神奈川県出身。日本棋院の大手合による昇段制度初の九段。呉清源と3度の十番碁を戦った。棋風は深い読みに裏付けられた力戦派で、「ダンプカー級の突進力」などと形容された。また白番のマネ碁を多く試みたが、シチョウを利用したマネ碁対策が現われてからは成績は芳しくなかった。藤沢秀行名誉棋聖は叔父、小島高穂九段は甥にあたる。 安倍吉輝は、入段した後に藤沢の門下となる安倍吉輝『対局ハプニング集』(日本棋院)著者紹介。.

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苑田勇一

苑田 勇一(そのだ ゆういち、1952年(昭和27年)3月30日 - )は、囲碁の棋士。大阪府出身、関西棋院所属、小川正治六段門下、九段。天元戦、碁聖戦挑戦者など。中央を志向する独創的な棋風で「西の宇宙流」と称される。.

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陳嘉鋭

陳 嘉鋭(ちん かえい、1954年8月23日 - )は、日本、中国、香港の囲碁棋士。中国広東省出身、中国囲棋協会、関西棋院所属、九段。世界アマチュア囲碁選手権戦優勝後に日本でプロ棋士となり、本因坊戦リーグ、名人戦リーグ入りなど。戦闘的な碁風。.

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NECカップ囲碁トーナメント戦

NECカップ囲碁トーナメント戦(エヌイーシーカップいごトーナメントせん)は、日本電気株式会社が主催する日本の囲碁の棋戦。1981年創設。2012年にて休止。 毎年日本棋院から選抜された棋士14人が出場し、トーナメント戦で優勝を争う。「全国縦断囲碁フェスティバル」と称して、多くの囲碁ファンに楽しんでもらうため、毎回全国の各地を巡回して公開対局で行われた。.

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林海峰

林 海峰(りん かいほう、1942年5月6日 - )は日本、台湾の囲碁棋士。名誉天元。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。 名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは35。史上2人目の1400勝達成。 名人戦挑戦手合に10年連続出場。名人戦リーグに最長記録となる35期連続在籍。 若い頃には地に辛く粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。同世代のライバルである大竹英雄とともに「竹林」とも称される。林海峯の表記も多く使われている。 2017年秋・旭日中綬章受賞。 現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者・碁聖位獲得者・十段位獲得者では大竹英雄名誉碁聖と並び最年長である。.

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東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

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村川大介

村川 大介(むらかわ だいすけ、1990年12月14日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。兵庫県西宮市出身。森山直棋九段門下。 第24代王座(第69期)。2013年阿含・桐山杯優勝。 関西棋院の最年少プロ入り記録を保持(11歳10か月)。囲碁界初の平成生まれかつ90年代生まれ、2004年に廃止された大手合を経験した最年少の棋士。 現在、井山裕太九段より年下で井山から七大タイトルを奪取した唯一の棋士であり、王座位獲得経験者では最年少である。.

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棋士 (囲碁)

棋士(きし)は、碁打ちともいい、囲碁を打つ人の総称。 プロを指す事が多いが、アマチュアでも棋士と呼ぶ事もある。.

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棋聖 (囲碁)

棋聖(きせい).

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棋戦 (囲碁)

棋戦(きせん)とは囲碁の大会、特にプロのものを指す言葉。.

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榊原史子

榊原 史子(さかきばら ふみこ、1970年5月19日 - )は、関西棋院所属の囲碁女流棋士。大阪府摂津市出身。師匠は窪内秀知九段。.

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横田茂昭

横田 茂昭(よこた しげあき、1969年5月1日 - )は、囲碁の棋士。岡山県浅口郡金光町(現浅口市)出身、関西棋院所属、赤木一夫門下、九段。関西棋院第一位、碁聖戦挑戦者など。厚みを重視する棋風。趣味はクラシック音楽とバレーボール。.

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橋本宇太郎

橋本宇太郎(はしもと うたろう、1907年〔明治40年〕2月27日 - 1994年〔平成6年〕7月24日)は、昭和の囲碁棋士。第2、5、6期本因坊で本因坊昭宇と号する。大阪府出身、瀬越憲作名誉九段門下。1950年に関西棋院を率いて日本棋院から独立した。才気と闘志溢れる碁風で「天才宇太郎」「火の玉宇太郎」のニックネームを持つ。 1950年7月から1994年7月まで関西棋院総帥、1986年5月から1994年4月まで同棋院理事長。 1945年の第3期本因坊戦での岩本薫七段との挑戦手合において、広島市郊外の五日市町(現:広島市佐伯区)で行われた第2局は原爆下の対局として有名。 2014年7月18日、囲碁殿堂入り(第11回囲碁殿堂表彰)。.

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橋本昌二

橋本昌二(はしもと しょうじ、1935年(昭和10年)4月18日 - 2009年(平成21年)12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。.

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法人

法人(ほうじん、juristische Person、personne morale、juridical person)とは、自然人以外で、法律によって「人」とされているものをいう。ここでいう「人」とは、権利義務の主体となることができる資格(権利能力)を認められたものをいう。.

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津島壽一

津島 壽一(つしま じゅいち、新字体:寿一、1888年(明治21年)1月1日 - 1967年(昭和42年)2月7日)は、日本の官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 第二次世界大戦後の外債処理や賠償交渉に道筋をつけたことで知られる。.

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清成哲也

清成哲也(きよなり てつや、1961年(昭和36年)11月27日 - )は、囲碁の棋士。宮崎県延岡市出身、関西棋院所属、倉橋正蔵八段門下、九段。長男真央も関西棋院の棋士。主要な良績に NHK杯テレビ囲碁トーナメント準優勝、関西棋院第一位決定戦優勝2回など。入段から九段昇段まで10年3ヶ月の、日本棋院を含めての最短昇段記録を持っていた。.

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本因坊

一世本因坊算砂旧跡、京都市左京区仁王門通東大路西入南側寂光寺前 囲碁本因坊発祥の地、京都市中京区寺町通夷川上る東側 本因坊(ほんいんぼう).

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本田邦久

本田邦久(ほんだ くにひさ、昭和20年(1945年)6月15日 -)は、日本の囲碁棋士。関西棋院所属、橋本宇太郎九段門下、九段。NHK杯戦優勝、関西棋院第一位決定戦優勝4回。布石では小目を多用する。人柄は温厚だが、盤上では相手の意図に反発して難解な接触戦になることが多い。趣味は山登り。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本棋院

公益財団法人日本棋院(にほんきいん、)は、東京都千代田区五番町(市ヶ谷駅前)に本部をおく、囲碁の棋士を統括し、棋戦をおこなっていくための公益財団法人。 約300人の棋士が所属するほか、職員として事務員や棋院発行の出版物をまとめる記者などが所属している。.

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1950年

記載なし。

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2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

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9月2日

9月2日(くがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から245日目(閏年では246日目)にあたり、年末まではあと120日ある。.

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