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開拓使

索引 開拓使

開拓使(かいたくし)は、北方開拓のために明治2年(1869年)7月8日から明治15年(1882年)2月8日まで置かれた日本の官庁である。 樺太開拓使が置かれた明治3年(1870年)2月13日から明治4年(1871年)8月7日までは、北海道開拓使と称した。開拓使設置前の北海道行政は箱館府(箱館県)が行なっていた。開拓使の廃止後は札幌県・函館県・根室県が設立された。.

95 関係: お雇い外国人古代日本の地方官制堀基太政官官庁官営幌内鉄道小樽市屯田兵岩村通俊島義勇三県一局時代一揆平民五代友厚五畿七道令外官佐賀藩得撫島律令制北陸地方北極星北海道 (令制)北海道の分領支配ロシアホーレス・ケプロンサッポロビール内高函館市兵士福島郡移民箱館府箱館裁判所箱館戦争爾志郡炭鉱片倉氏銭函道路鍋島直正蝦夷地青森県表高西郷従道角田県調所広丈黒田清隆薩摩国開拓開拓使号客車...開拓使官有物払下げ事件藩閥長谷部辰連鉄道折田平内東久世通禧東京府東北地方松前藩松本十郎 (開拓使大判官)松浦武四郎樺太樺太・千島交換条約樺太アイヌ樺太開拓使檜山郡汚職津軽郡 (北海道)渡島国測量清水谷公考札幌市札幌市時計台札幌農学校戊辰戦争明治日本政府時任為基1869年1870年1871年1872年1873年1874年1875年1881年1882年2月13日2月8日3月17日7月8日8月19日8月20日8月7日 インデックスを展開 (45 もっと) »

お雇い外国人

お雇い(御雇)外国人(おやといがいこくじん)は、幕末から明治にかけて、「殖産興業」などを目的として、欧米の先進技術や学問、制度を輸入するために雇用された外国人で、欧米人を指すことが多い。江戸幕府や諸藩、明治政府や府県によって官庁や学校に招聘された。お抱え外国人とも呼ばれることもある。.

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古代日本の地方官制

古代日本の地方官制(こだいにっぽんのちほうかんせい)は、日本国の古代の時代において施行されていた地方行政の制度である。701年(大宝元)に制定された大宝律令で国・郡・里の三段階の行政組織に編成された。.

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堀基

堀 基(ほり もとい、1844年7月29日(天保15年6月15日) - 1912年(明治45年)4月8日)は、江戸時代末期の武士・薩摩藩士、明治期の実業家。北海道炭礦鉄道初代社長。貴族院議員。.

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太政官

太政官.

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官庁

官庁(かんちょう:独 Behörde)は、ドイツ法や日本法において、国の事務について国の意思を決定し表示する権限を有する機関を指す法律用語。構成する官吏の数により独任制官庁と合議制官庁に分類され、所掌事務により行政官庁と司法官庁に、事物の管轄の範囲により普通官庁と特別官庁に、地理的な管轄の範囲により中央官庁と地方官庁に分類される。.

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官営幌内鉄道

官営幌内鉄道 官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)は、北海道にかつて存在した官営の鉄道事業者。北海道開拓使の運営。 後の手宮線(1985年廃止)、函館本線南小樽駅 - 岩見沢駅間(現存)、幌内線(1987年廃止)などを建設した。.

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小樽市

小樽市(おたるし)は、北海道後志総合振興局の市。保健所政令市。.

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屯田兵

屯田兵(とんでんへい)は、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊である。1874年(明治7年)に制度が設けられ、翌年から実施、1904年(明治37年)に廃止された。.

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岩村通俊

岩村 通俊(いわむら みちとし、天保11年6月10日(1840年7月8日) - 大正4年(1915年)2月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。貫堂と号し、素水を俳号とする。栄典は正二位勲一等男爵。.

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島義勇

島 義勇(しま よしたけ、文政5年9月12日(1822年10月26日) - 明治7年(1874年)4月13日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての佐賀藩士、官吏。札幌市の都市開発に関わり、「北海道開拓の父」と呼ばれる。佐賀の七賢人の一人。.

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三県一局時代

三県一局時代(さんけんいっきょくじだい)とは、北海道の歴史における時代区分のひとつ。 1882年2月8日の開拓使廃止に伴い、函館県(はこだてけん)・札幌県(さっぽろけん)・根室県(ねむろけん)が設置された。また、北海道にはこの3県のほか、北海道事業管理局(農商務省の一部局)が設置されていた。 3県と事業管理局は、1886年1月26日の北海道庁設置に伴って廃止された。.

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一揆

一揆(いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。ドイツ語のPutschの訳語としても使われる(カップ一揆や、アドルフ・ヒトラーらが起こしたミュンヘン一揆など)。.

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平民

平民(へいみん)とは、官位や爵位を持たない普通(一般)の人民、市民のこと。貴族と対比されることが多い。.

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五代友厚

五代 友厚(ごだい ともあつ)は、江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士(薩摩藩士)、実業家。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現鹿児島市長田町)生まれ。大阪経済界の重鎮の一人。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。.

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五畿七道

西海道 五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。 1869年(明治2年)、北海道 (令制)が新設されてからは五畿八道と呼ばれる(道 (行政区画)#令制後)。 1871年(明治4年)の廃藩置県以降も、五畿八道は廃止されておらず、令制国も併用されていたが、1885年(明治18年)以降はすたれ、現在は、五畿八道としての地方区分はあまり用いられなくなっている。 しかし、現在の日本各地の地方名の多く(東海、東山、北陸、山陽、山陰、北海道など)は、五畿八道に由来している。また、東海道新幹線や山陽新幹線、北陸自動車道などの交通網や、今後想定される東海地震や南海地震、また地震発生帯の南海トラフなどの名称にもその名残が見られる。.

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令外官

令外官(りょうげのかん)とは、律令の令制に規定のない新設の官職。令外官が管掌する官司を令外官司(りょうげのかんし)と称する場合もある。 現実的な政治課題に対して、既存の律令制・官制にとらわれず、柔軟かつ即応的な対応を行うために置かれた。中国ではじまり、8世紀前期~中期に令外官が多数新設された。日本では、8世紀末の桓武期の改革の際に多くの令外官が置かれ、その後も現実に対応するため、いくつかの令外官が設置されていった。.

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佐賀藩

佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。.

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得撫島

得撫島北東部にある見嶋湾。遠景の岬の日本が建てた灯台の周りには、ウルップソウの大群落がある。 得撫島(うるっぷとう)は、千島列島にある島。ロシア名はウループ島 (Остров Уруп)、英語表記はUrup。 島の名前の由来は、アイヌ語で「紅鱒」を意味する「ウルㇷ゚」から。知里真志保の著書にもこのことが記してある。.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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北陸地方

北陸地方(ほくりくちほう)は、本州中央部に位置する中部地方のうち日本海に面する地域である。新潟県、富山県、石川県、福井県の4県『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.1041 ISBN 4-09-523101-7、あるいは富山県、石川県、福井県の3県を指す。区別のため前者を「北陸4県」「新潟県を含む北陸地方」、後者を「北陸3県」などと表現することがある。北陸3県の繋がりについては「北陸3県について」の節を参照。 名称は、畿内から見て北方にある五畿七道の北陸道に由来し、中世以前では、この地域を北国(ほっこく)と称していた。.

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北極星

'''こぐま座とポラリス''' 中央上端にポラリス(図中ではPolarisと表記)が位置する 地球からは、北極星はほとんど動かないように見える 北極星(ほっきょくせい、pole star)とは、天の北極に最も近い輝星を意味する。 21世紀時点の地球の北極星は、こぐま座α星のポラリスである。.

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北海道 (令制)

明治時代の日本地図。北海道の令制国も記されている。 北海道(ほっかいどう)は、1869年9月20日(明治2年8月15日)に制定された日本の広域行政区画名である。 それまでの五畿七道に、北海道(令制) を加えたことで五畿八道の一つとなった。 その範囲は、北海道本島(江戸時代までは蝦夷地・北州・十州島などと呼ばれた)とその付随する島々を含んだ。(#行政区画) この名が制定されたのは、戊辰戦争(箱館戦争)終結直後であり、また、箱館府(箱館奉行の後身)を置き換えるように開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である)を設置した年であった。この開拓使の開拓判官であった松浦武四郎の『北海道々国郡名撰定上書』をもとに命名された。 松浦のこの書から、北海道という名は、7世紀後半成立の律令制下の五畿七道における東海道、西海道、南海道などを踏襲し、命名されたものである。 なお、明治維新後の近代行政区画としての北海道については北海道の項を、近代行政機関については三県一局時代および北海道庁 (1886-1947)、北海道庁の項目を参照。.

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北海道の分領支配

北海道の分領支配(ほっかいどうのぶんりょうしはい)は、明治2年(1869年)7月から明治4年(1871年)8月まで、開拓使が管轄する北海道を諸藩、士族、庶民の志願者に分割して支配させた体制のことである。.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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ホーレス・ケプロン

ホーレス・ケプロン(Horace Capron、1804年8月31日 - 1885年2月22日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。お雇い外国人の1人。.

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サッポロビール

ッポロビール株式会社(英語:Sapporo Breweries Limited) は、日本の大手ビールメーカーである。1876年(明治9年)に、政府の開拓使が北海道札幌市に札幌麦酒醸造所を設立し、そこで作られた「冷製札幌ビール」が社名の由来とされている。 1949年(昭和24年)9月1日に、過度経済力集中排除法及び企業再建整備法の適用を受けた大日本麦酒株式会社の決定整備計画に基づき『日本麦酒株式会社』として設立、1964年(昭和39年)1月にサッポロビール株式会社に商号変更した。グループの持株会社体制へ移行に伴い2003年(平成15年)7月1日にサッポロホールディングス株式会社へ商号を変更し、現業一切を同日設立された新設会社「サッポロビール株式会社」へ分割譲渡し、純粋持株会社に移行した。本項は2003年(平成15年)6月30日までの旧会社と同年7月1日以降の現行会社について述べる。 2010年(平成22年)からの企業スローガンは「乾杯をもっとおいしく。」。日本テレビ系・箱根駅伝中継や、過去のプロ野球関連番組などのスポーツ中継では「スポーツマンシップに乾杯!!」も使われている。.

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内高

内高(うちだか)は、江戸時代の大名や旗本の所領内において、領民に年貢を課す際の算定基準として用いられた石高のことである。将軍に認められた額面上の石高である表高に対する語で、実高(じつだか)ともいう。.

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函館市

函館市(はこだてし)は、北海道にある市である。渡島総合振興局所在地。札幌市、旭川市に次ぐ北海道第三の人口約26万人を有する中核市。.

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兵士

兵士(へいし)は、古代から現代まで国家の軍隊の軍人や、それに準ずる戦闘組織の構成員であり、将官や将校といった指揮官からの命令に従って任務をこなす。個人や部族社会の戦士とは異なり、公然と戦闘のために組織に属している場合に使われる。 日本の古代、律令制においては、中国の唐の兵制を参考に編成され、人員を年齢別に記載した戸籍である正丁から一定の割合で徴発された。兵士は軍団に所属し、有事の際の出兵や辺境防備のための防人、衛士として各地へ派遣された。792年(延暦11年)に一部を除いて原則的に廃止され、任務は健児に継承される。 日本語の兵士は近代軍隊における、上位の下士官、士官に対する兵卒を指すことが多い。あるいは朝鮮人日本兵を指すときのように、軍人と軍属の総称として用いられることもあり、いずれにせよ制度的な用語ではない。士官と下士官兵を併せて将兵、将士と呼ぶことがある。.

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福島郡

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移民

移民(いみん)とは、異なる国家や異なる文化地域へ移り住む事象(immigration, emigration)、また移住する・移住した人々(immigrants, emigrants)を指す。.

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箱館府

箱館府(はこだてふ)は、明治元年 (1868年) から明治2年 (1869年) 7月までの間、蝦夷地を統治するために箱館(現在の函館市)に設けられた地方政治機関である。箱館裁判所の改称によって成立し、開拓使の設置によって廃止された。なお、開拓使への移行時には、一時的に箱館県と改称していた。.

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箱館裁判所

箱館裁判所 (はこだてさいばんしょ) は、慶応4年(9月8日から改元して明治元年)(1868年) の短時日に、蝦夷地を統治するために箱館(現在の函館市)に設けられた裁判所である。箱館奉行所を引き継ぎ、箱館府に引き継がれた。.

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箱館戦争

永嶌孟斎画 箱館戦争(はこだてせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である。旧幕府軍の蝦夷地での根拠地から五稜郭の戦いとも呼ばれる。この戦いの最中に干支が戊辰から己巳に替わったことから、己巳の役(きしのえき)と呼ばれることもある。.

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爾志郡

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炭鉱

石炭を運び出す場面 インドにある炭鉱(露天掘り) 炭鉱(たんこう、coal mine)は、石炭または亜炭を掘り出すための鉱山のこと。 なお、しばしば上記意味に対し、炭鉱と同じ読みの炭礦の表記が当てられる。その理由として石炭が金属ではなく、その採掘地を金属鉱山とも呼べないため、漢字の偏が「金偏」ではなく「石偏」となるのが正しいためとも主張される。また、石炭採掘の坑道という意味で通常用いられる炭坑もしばしば炭鉱を指すために使われる。本項目では上記定義が示す用語を「炭鉱」に統一し記述する。.

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片倉氏

片倉氏(かたくらうじ、かたくらし)は、戦国時代から江戸時代まで伊達氏に仕えた武士の一族である。仙台藩にあって白石城を預けられ刈田郡の大部分、1万8000石を領した。江戸時代の代々の当主は初代片倉景綱にならって片倉小十郎を名乗り、藩の内外の人々は通常この名で呼んだ。.

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銭函

銭函(ぜにばこ)は北海道小樽市の地名。1丁目から5丁目まである。郵便番号は1-3丁目が047-0261、4・5丁目が061-3271。.

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道路

道路(どうろ、ラテン語 strata、 フランス語 route、ドイツ語 Straße、英語 road)とは人や車両などが通行するためのみち、人や車両の交通のために設けられた地上の通路である。.

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鍋島直正

鍋島 直正(なべしま なおまさ)は、江戸時代末期の大名。第10代肥前国佐賀藩主。9代藩主・鍋島斉直の十七男。母は池田治道の娘。正室は徳川家斉の十八女・盛姫(孝盛院)、継室は徳川斉匡の十九女・筆姫。明治維新以前の名乗りは斉正(なりまさ)。号は閑叟(かんそう)。「佐賀の七賢人」の一人。.

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蝦夷地

蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。.

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青森県

青森県(あおもりけん)は、日本の本州最北端に位置する県。県庁所在地は青森市である。県の人口は全国31位、面積は全国8位。令制国の陸奥国(むつのくに、りくおうのくに)で構成されている。.

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表高

表高(おもてだか)は、江戸時代に大名や旗本が将軍によって与えられた所領の額面上の石高のことである。 表高は、多くの場合、江戸幕府公認の検地によって打ち出された石高の額面で、代替わりごとに新当主に対し主君である将軍が発給する所領安堵の朱印状に、所領の地名とともに記され、大名・旗本の格式や、参勤交代、手伝普請などの形で負担すべき軍役の算出基準となる。 表高に対し、実際に領民に課される年貢額の算定に用いられる石高を内高と言う。 表高は江戸時代初期に確定したまま使われていたことが多いので、多くの藩では、新田開発などにより実際には表高より大きな内高を持っていた。.

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西郷従道

西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち、天保14年5月4日(1843年6月1日) - 明治35年(1902年)7月18日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍および海軍軍人、政治家。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級侯爵。名前の読みとして「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家によると「じゅうどう」が正訓である。兄の西郷隆盛を「大西郷」と称するのに対し、従道を「小西郷」と呼ぶ佐々木隆(2002)p.96。 文部卿(第3代)、陸軍卿(第3代)、農商務卿(第2代)、元老、海軍大臣(初・2・3・7・8・9・10代)、内務大臣(第4・5・18代)、貴族院議員を歴任した。.

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角田県

角田県(かくだけん)は、明治2年8月(1869年9月)に明治政府によって磐城国北部および陸前国南部に設置された県。管轄区域は現在の宮城県南部および福島県新地町に相当する。本項では前身の南部氏白石藩(しろいしはん)および白石県(しろいしけん)についても併記する。.

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調所広丈

調所 広丈(ちょうしょ ひろたけ、1840年5月2日(天保11年4月1日)- 1911年(明治44年)12月30日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・政治家。官選県知事、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、男爵。姓の元の読み「ずしょ」を「ちょうしょ」に変更した。.

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黒田清隆

黒田 清隆(くろだ きよたか、学術誌、研究書、文部科学省検定教科書における歴史人物としての表記は「黒田清隆」、御署名原本における本人の署名は「黒田清隆」、『枢密院高等官履歴』における枢密院書記による氏名手記も「黒田清隆」である。印刷物では本字に統一するという慣例に従い、印刷局刊『職員録 明治21年(甲)』(1888年3月31日現在)における内閣総理大臣名の表記は「黒田淸隆」、同時代の新聞紙上での表記は「黒田淸隆」ないし「黑田淸隆」である。、天保11年10月16日(1840年11月9日) - 明治33年(1900年)8月23日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。位階勲等爵位は従一位大勲位伯爵。通称は仲太郎、了介。 薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、明治元年(1868年)から明治2年(1869年)の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執った。開拓次官、後に開拓長官として明治3年(1870年)から明治5年(1872年)まで北海道の開拓を指揮した。開拓使のトップを兼任しつつ、政府首脳として東京にあり、明治9年(1876年)に日朝修好条規を締結し、同10年(1877年)の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。翌年に大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となった。しかし、開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件を起こして指弾された。明治21年(1888年)4月から内閣総理大臣。在任中に大日本帝国憲法の発布があったが、条約交渉に失敗して翌年辞任した。その後元老となり、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長を歴任した。.

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薩摩国

薩摩国(さつまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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開拓

開拓(かいたく)とは、未開の地に分け入り住居や農地を造り、森を林に変え、社会基盤である道路、鉄道や治水また安定的な水の供給を図り最終的に社会や街や都市を形成していく初期の過程を指す。転じて、新しい分野や販路などの拡大の意味でも用いられる。.

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開拓使号客車

開拓使号客車(かいたくしごうきゃくしゃ)は、1880年(明治13年)に開業した北海道で最初の鉄道である官営幌内鉄道で使われた開拓使等の政府高官専用の特別客車である。アメリカのハーラン・アンド・ホリングスワース(Harlan and Hollingsworth)社で製造されたものである。.

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開拓使官有物払下げ事件

開拓使官有物払下げ事件(かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)は、北海道開拓使長官の黒田清隆が開拓使官有物を同郷薩摩の政商五代友厚らの関西貿易商会に安値・無利子で払下げることを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、 払下げ中止となった事件を指す。1881年(明治14年)、明治十四年の政変のきっかけとなり、伊藤博文が大隈重信を政府から追放。また、国会開設の詔(みことのり)が出された。.

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藩閥

藩閥(はんばつ)とは、明治時代を通じて日本の政府や陸海軍の要職をほぼ独占していた「薩長土肥」(薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩)出身の有力者によって形成されていた概念的な寡頭制に対する批判的な呼称。西洋言語では「Meiji oligarchy、Oligarchie de Meiji」と訳される。.

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長谷部辰連

長谷部 辰連(はせべ たつつら / ときつら、1844年(天保15年5月)- 1910年(明治43年)6月12日)は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・政治家。官選山形県知事、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候。.

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鉄道

鉄道(てつどう、railway railroad)とは、等間隔に設置された2本の鉄製の軌条(レール)またはそれに代わる物を案内路として車輪を有する車両が走行する交通機関である。線路・停車場などの施設、旅客や貨物を輸送する列車、運行管理や信号保安まで様々な要素で構成される一連の体系である。 広い意味では、レール、案内軌条などの案内路に誘導されて走行する車両を用いた交通機関を指し、懸垂式・跨座式のモノレール、案内軌条式のAGT(新交通システム)、鋼索鉄道(ケーブルカー)、浮上式鉄道を含む。日本では鉄道事業法の許可、または、軌道法の特許を得て敷設される。トロリーバス(無軌条電車)は、架線が張られたルートを集電装置(トロリー)により集電した電気を動力として走行するバスであるが、鉄道事業法に基づく鉄道、または、軌道法上の「軌道に準ずる」軌道として扱われる。ロープウェイも鉄道事業法、または、軌道法の対象であるが、索道という扱いとなる。 なお、本項では鉄製レールの案内路を有する鉄道について解説する。.

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折田平内

折田 平内(おりた へいない、1847年1月23日(弘化3年12月7日) - 1905年5月7日)は、明治時代の政治家。薩摩藩士。開拓使大書記官、内務書記官、警視総監を務め、山形県令、福島・栃木・広島・滋賀県知事など多くの官選知事を歴任。後に貴族院勅選議員となる。.

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東久世通禧

東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ、天保4年11月22日(1834年1月1日) - 明治45年(1912年)1月4日『平成新修旧華族家系大成』下、384-385頁。)は、日本の江戸時代末期から明治時代にかけての公家、政治家。 七卿落ちで長州に逃れた尊王攘夷派公卿の1人。王政復古後は外国事務総督を務め、発足したばかりの新政府の外交折衝にあたる。神奈川府知事、開拓長官、侍従長などの要職を歴任し、後に貴族院副議長・枢密院副議長に至った。華族(伯爵)。号は竹亭、古帆軒。.

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東京府

東京府庁(東京市役所との合同庁舎) 東京府(とうきょうふ)は、1868年から1943年までの間に存在していた日本の府県の一つである。現在の東京都の前身に当たる。府庁所在地は東京市。.

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東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.

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松前藩

松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。 江戸時代初期の領地は、現在の北海道南西部。渡島半島の和人地に限られた。残る北海道にあたる蝦夷地は、しだいに松前藩が支配を強めて藩領化した。藩と藩士の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった。江戸時代後期からはしばしば幕府に蝦夷地支配をとりあげられた。.

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松本十郎 (開拓使大判官)

松本 十郎(まつもと じゅうろう、天保10年11月27日(1840年1月1日)-大正5年(1916年)11月27日)は、明治時代初期に活躍した庄内藩出身の官僚。開拓使で北海道開拓事業にあたる。旧名は戸田 直温、通称は総十郎。.

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松浦武四郎

松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) - 明治21年(1888年)2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好古家。名前の表記は竹四郎とも 小堀一正、待兼山論叢 史学篇 16、1982。諱は弘。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)、多気志楼など多数。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。.

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樺太

樺太(からふと)、樺太島(からふととう、、)、サハリン、サハリン島は、ユーラシア大陸の東方、オホーツク海の南西部にあるロシア連邦サハリン州の島。広義の日本列島に含む場合もある。南北約948km、東西の幅最大約160kmで南北に細長い。面積76,400kmは世界第22位で21位の北海道(78,073km)より若干小さい。人口約50万人。最大都市はサハリン州の州都でもあるユジノサハリンスク(人口約18万人)。 樺太は、日露戦争後のポーツマス条約により北緯50度線を境界に南北に分割され、それぞれ異なる沿革を経たため、ここでは北緯50度以北を「北樺太」(または「北サハリン」)、以南を「南樺太」と表記する。 現在、サハリンプロジェクトが進められている。.

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樺太・千島交換条約

樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)は、明治8年(1875年)5月7日に日本とロシア帝国との間で国境を確定するためにサンクトペテルブルクで署名され、同年8月22日に東京にて批准され締約された条約。 千島・樺太交換条約や、署名した場所からとってサンクトペテルブルク条約(Treaty of Saint Petersburg、Санкт-Петербургский договор 1875 года)と呼ぶ場合もある。.

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樺太アイヌ

樺太アイヌあるいはサハリンアイヌ(からふとアイヌ、、)とは、かつて樺太南部に居住していたアイヌ系民族である。 トンコリやミイラ作りに代表される、北海道アイヌや千島アイヌとは異なる文化・伝統を有することで知られる。1945年のソ連による樺太占領によって大多数の樺太アイヌは樺太を離れ、以後は北海道各所に散在している。.

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樺太開拓使

樺太開拓使(からふとかいたくし)は、明治3年(1870年)2月13日から明治4年(1871年)8月7日まで、樺太開拓のために設けられた官庁である。開拓使から分離して設置されたが、1年余りで廃止して元に戻った。 樺太は江戸幕府がロシア政府と結んだ日露和親条約で日露混住の地とされ、王政復古の後は箱館裁判所と箱館府の支配を経て、開拓使の管轄となった。裁判所時代から現地の行政は岡本監輔(けんすけ)が執り、明治元年(1868年)と2年(1869年)から移住した日本人入植者約500人を指導していた。岡本は、樺太移住者に無税の条件と当面の食糧供給などの厚遇を用意したが、定住は容易に進まなかった。 この間ロシア側の移住と開発の速度は日本側を上回り、さらに日本人との紛争が頻発した。これには、現地の岡本が日露和親条約の効力を否定し、樺太を日本固有の領土とみなして、ロシア側の開発を原則拒否する態度を取っていたことにも原因があった。岡本の考えは、日露和親条約は条約締結権のない徳川家の家臣が結んだものだから、天皇親政の時代には改めて国境を決定しなければならないというものだった。この見解は、幕府時代の条約を引き継いだという認識に立つ日本政府と異なるものであった。 岡本は事態の緊急性を告げるべく上京した。政府は報告に危機感を抱き、明治3年(1870年)2月13日に樺太の所管を開拓使から分離して樺太開拓使を設置した。独立した予算を立て、久春古丹にあった公議所を樺太開拓使庁と改称した他は、実質的変化はなかった。次いで5月9日に、黒田清隆を開拓使の次官(樺太開拓使の次官ではない)に任命し、樺太専務とした。黒田は樺太視察に赴き、8月に現地に到着した。黒田は日露雑居の原則に沿う形で現地のロシア当局と折衝し、当面の紛争を解決してから東京に帰った。岡本はこの年閏10月に辞職した。 東京に戻った黒田は、樺太の状況がこのまま推移すれば3年しか持たないという建議を出し、北方開拓を本格化する必要を説いた。これが、開拓使十年計画という予算計画を産むことになった。十年計画の予算で、北海道の開発は加速したが、樺太の状況は基本的に変わらなかった。樺太にはこれ以後高官が派遣されることも任命されることもなく、樺太開拓使は明治4年(1871年)8月7日に廃止された。.

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檜山郡

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汚職

汚職(おしょく)とは、議員・公務員など公職にある者が、自らの地位や職権・裁量権を利用して横領や不作為、収賄や天下りをしたり、またその見返りに特定の事業者等に対し優遇措置をとることなどの不法行為をいう。国際連合腐敗防止条約を始め国際法では、汚職は『腐敗』の一部と認識されている。 他方、便宜供与や優遇措置を求める側のする活動は、ロビー活動やレント・シーキングという。.

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津軽郡 (北海道)

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渡島国

渡島国(おしまのくに)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つである。北海道 (令制)に含まれた。国名は北海道の旧称あるいは北海道の入り口を指している「渡島(わたりしま)」という言葉、読みは南部津軽の人たちがこの地を「おしま」と呼んだことに由来。道南に位置し、現在の渡島総合振興局管内と檜山振興局管内のそれぞれ南部(東は現在の八雲町のうち旧落部村以南、西は同じく旧熊石町以南)にあたる。.

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測量

1728年刊 "Cyclopaedia" より、測量機器と測量手法の図 測量(そくりょう)は、地球表面上の点の関係位置を決めるための技術・作業の総称。地図の作成、土地の位置・状態調査などを行う。 日本では高度の精度を必要としない測量は基本的に誰でも行うことができるが、国または地方公共団体の実施する基本測量、公共測量等は測量法に従って登録された測量士又は測量士補でなければ技術者として従事することはできず、またこうした測量は測量法に従って登録された、営業所ごとに測量士が一人以上置かれた測量業者でなければ請け負うことはできない。一方、登記を目的とした測量は土地家屋調査士でなければ行うことはできない。 測量の歴史は古く、古代エジプトの時代から行われてきた。日本では1800年に伊能忠敬が日本地図作成のため、蝦夷地(現在の北海道)で本格的な測量を行ったのが始まりとされる。.

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清水谷公考

京都にて(中央が公考) 清水谷 公考(しみずだに きんなる)は、幕末から明治時代の公家。.

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札幌市

円山山頂から眺めた札幌都心(2013年4月) 札幌市(さっぽろし)は北海道にある政令指定都市。道庁所在地及び石狩振興局所在地。.

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札幌市時計台

正面から見た時計台 エントランス部 北1条通からの夜景 高層ビルに囲まれた状況 札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)は、北海道札幌市中央区北1条西2丁目にある歴史的建造物である。重要文化財(1970年6月17日指定)。 正式名称を「旧札幌農学校演武場」(きゅう-さっぽろのうがっこう-えんぶじょう)と称する。現在の通称は「札幌時計台」、もしくは単に「時計台」と呼ばれ、たくさんの観光人が訪れる名所になった。.

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札幌農学校

札幌農学校(さっぽろのうがっこう)とは、明治初期に北海道札幌に置かれた教育機関であり、現在の北海道大学の前身である。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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政府

政府(せいふ、government, rectio)とは、近代国家において国家もしくは国家の一部分となる地方における統治機構(国家の意思決定及び統治のための組織)の総体。 広義には、統治に関わる立法・司法・行政すべての機関および機構の総称を指し、狭義には、行政を司る内閣とそれに付属する行政機関(執行機関)から成る行政府を意味する。それぞれ、アメリカやイギリスなどの英米法系の国家では広義の意味で、ドイツや日本などの大陸法系の国家ただし、戦後の日本国憲法は、大陸法の源流ともいうべきドイツが英米法への移行を企図したように、英米法を指向したもので、警察制度や司法制度に特徴づけられる。このように地方の自治権を尊重する英米法を採用している。では狭義の意味で、用いられる語である。なお、マルクス主義の立場からは「支配階級の政治委員会」に位置付けられる。 明治時代以降の日本政府の関係者(行政関係者)が「日本国政府」を指す場合に、省略して「政府」と言う場合がある特に(江戸幕府と対比する文脈などで)明治期の日本の政府を指す場合は「明治政府」と呼ばれることがある。。.

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時任為基

時任 為基(ときとう ためもと、天保13年5月(1842年) - 明治38年(1905年)9月1日)は、日本の内務官僚、政治家。府県知事、元老院議官、貴族院議員。通称・静吉。.

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1869年

記載なし。

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1870年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1872年

記載なし。

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1873年

記載なし。

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1874年

記載なし。

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1875年

記載なし。

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1881年

記載なし。

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1882年

記載なし。

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2月13日

2月13日(にがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から44日目にあたり、年末まであと321日(閏年では322日)ある。.

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2月8日

2月8日(にがつようか)はグレゴリオ暦で年始から39日目にあたり、年末まであと326日(閏年では327日)ある。.

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3月17日

3月17日(さんがつじゅうななにち、さんがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から76日目(閏年では77日目)にあたり、年末まであと289日ある。.

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7月8日

7月8日(しちがつようか)はグレゴリオ暦で年始から189日目(閏年では190日目)にあたり、年末まであと176日ある。誕生花はホオズキ、クロユリ。.

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8月19日

8月19日(はちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。.

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8月20日

8月20日(はちがつはつか、はちがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から232日目(閏年では233日目)にあたり、年末まであと133日ある。.

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8月7日

8月7日(はちがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から219日目(閏年では220日目)にあたり、年末まであと146日ある。.

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