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長野重一

索引 長野重一

長野 重一(ながの しげいち、1925年3月30日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.487 - )は、日本の写真家。 大分県大分市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。在学時に写真サークルである「フォトフレンズ」に入会、そこで野島康三の指導を受けた。1947年9月に大学を繰り上げ卒業して商社に就職したが、その1ヶ月後にフォトフレンズの先輩である三木淳に誘われ『週刊サンニュース』の編集部員となる。このときの編集長であった名取洋之助から雑誌編集の基礎を教えられる。1949年、名取の誘いを受け岩波映画製作所が刊行を計画していた『岩波写真文庫』の写真部員となる。ここで『鎌倉』、『いかるがの里』、『長崎』、『広島』などおよそ60冊の撮影を担当した。 1954年にフリーとなり、総合誌や写真雑誌でルポルタージュを発表。東京を対象とした作品も多く撮影している。 1960年代からは映画カメラマンとしても活躍し、市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』などに参加した。同時期にTV CMのカメラマンとしても活躍。CM時代からの付き合いで大林宣彦監督の映画も数本、撮影カメラマンを担当した。 岩波書店の『日本の写真家』の編集委員でもあった。.

30 関係: はるか、ノスタルジィふたり名取洋之助大分市大分県大林宣彦岩波写真文庫岩波映画製作所岩波書店市川崑三木淳伊奈信男賞北京的西瓜アイピーシーケーブルテレビ品川写真写真家商社野島康三東京オリンピック (映画)東京都写真美術館映画日本日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群慶應義塾大学1925年1947年1949年1954年3月30日

はるか、ノスタルジィ

『はるか、ノスタルジィ』は、山中恒が映画のために書き下ろした同名小説を原作とする日本映画。東映系で公開。山中恒の故郷である北海道・小樽を舞台に、人気小説家の男が、高校時代の自分とともに過去の記憶をたどっていく様を描く。.

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ふたり

『ふたり』は、赤川次郎の小説。1989年1月新潮社刊。事故死してしまったしっかり者の姉と、姉に頼ってばかりいた妹との、奇妙な共同生活を温かくつづる。大島弓子がカバーイラストを手がけた。 発行部数は2003年時点で約230万部。赤川次郎の代表的作品であり、本人も名刺代わりの作品であると述べている。本作の後半では父親の不倫話も扱っているが、子どもの読者層に配慮して書かない方がいいのではないかという意見もあったという。しかし子どもだからファンタジーというのは間違いであり、実際に子どもの身にも起こりうることは小説の中で経験しておいてほしいという赤川の思いからそのまま執筆された。.

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名取洋之助

名取 洋之助(なとり ようのすけ、1910年9月3日 - 1962年11月23日)は日本の写真家、編集者。.

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大分市

大分市(おおいたし)は、九州東部にある大分県の中部に位置する市である。大分県の県庁所在地で、中核市に指定されている。県内で2番目に人口が多い別府市を大きく引き離し県下最大の人口を擁する。人口は、九州で福岡市、北九州市、熊本市、鹿児島市に次ぐ第5位で、東九州では鹿児島市に次ぐ第2位。.

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大分県

大分県(おおいたけん)は、日本の九州地方東部に位置する県。県庁所在地は大分市である。 全国的に知名度が高い別府温泉や、由布院温泉をはじめとする温泉は源泉数(4,538ヶ所)、湧出量(291,340L/分)ともに日本一で、また地熱発電の発電量でも日本一でありさらに栽培、養殖などの産業、食文化、美容やと医療に至るまで豊かな温泉の恵みが幅広く活かされている。「日本一のおんせん県おおいた」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている。.

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大林宣彦

大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日 - )は、日本の映画監督。広島県尾道市東土堂町生まれ大林の最新の著作・『大林宣彦の映画談議大全《転校生》読本』他、『日本映画・テレビ監督全集』『日本の映画人 ―日本映画の創造者たち―』等の人名録など、全ての映画関係の出版物には、大林は尾道生まれと記載されている。。※講演会の発言が検証出来ないため(「検証可能かどうか」Wikipedia:検証可能性)、大林の公式ブログ記載のプロフィールを優先した。岡山県岡山市生まれ。-->。尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。 妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており、その夫は漫画家の森泉岳土。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。 自主製作映画の先駆者として(Internet Archive)、、(Internet Archive)、CMディレクターとして#日本の映画人P114-115、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"キネマ旬報社編『知っておきたい映画監督100・日本映画編』キネマ旬報社、2009年、P183、186-187映画秘宝EX『爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、P18-19、36-37樋口尚文『テレビ・トラベラーー昭和・平成テレビドラマ批評大全』国書刊行会、2012年、p354-->。.

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岩波写真文庫

岩波写真文庫(いわなみしゃしんぶんこ)とは、岩波書店が1950年代に出版していたテーマ別写真集叢書(カラー写真は使われていない)。編集長は名取洋之助。1980年代以降度々復刻版が出されている。.

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岩波映画製作所

株式会社岩波映画製作所(いわなみえいがせいさくしょ)は、かつて日本に存在した、映画製作会社。北海道大学教授中谷宇吉郎、岩波書店の小林勇らによって新しい科学映画を製作することを目的に設立された。やがて、ATGで活躍する羽仁進、黒木和雄や、評論家の田原総一朗、保守派の論客である入江隆則など、各界に多くの人材を輩出している。創立当初から1968年に日本映画社出身の小口禎三が社長に就任するまでの間、社長のポストは空席のまま、岩波書店の専務でもあった小林勇が代表取締役専務として実質経営していたが、岩波書店、岩波ホールとの資本関係はなかった。1998年に倒産。残された作品は、2000年に管財人から、日立製作所へ売却されている。しかしその後、岩波映画の後身企業である「岩波映像」に再売却された。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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市川崑

市川 崑(いちかわ こん、幼名:市川 儀一、1915年(大正4年)11月20日 - 2008年(平成20年)2月13日)は、日本の映画監督、アニメーター。 娯楽映画から実験的映画、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、昭和の日本映画黄金期から21世紀初頭まで、第一線で映画制作に取り組んだ。代表作に『ビルマの竪琴』『炎上』『おとうと』『野火』『東京オリンピック』『犬神家の一族』『細雪』など。.

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三木淳

三木 淳(みき じゅん、1919年(大正8年)9月14日 - 1992年(平成4年)2月22日)は日本の写真家。 吉田茂の葉巻をくわえた姿のポートレートなどを撮ったことで知られる報道写真家。1940年代末から国際的なフォトジャーナリストとして活躍。その作品は雑誌LIFEに掲載され、日本の報道写真の基礎を築いた。 また三木が機材にニコンを使用していたことから、ニコンが海外に知られるきっかけともなった。 ニッコールクラブ会長、日本大学芸術学部教授、日本写真家協会会長、日本写真作家協会会長などを務めた。 1999年には彼の功績を讃え、「三木淳賞」(ニコンサロンで行われる35歳以下の公募展Juna 21の最優秀人物に与えられる)が設立された。.

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伊奈信男賞

伊奈信男賞(いなのぶおしょう)は、ニコン主催の写真の賞。 ニコンサロン名誉館長(1968年から1978年)であった写真評論家伊奈信男の、日本写真界の発展に対する貢献と業績を記念して1976年に創設された。 ニコンサロンで毎年10月から翌年9月までの1年間に開催された全ての作品展の中から最も優れたものに与えられる。 1995年からは従来の正賞、賞状、および副賞のニコン製品に加え、100万円の賞金が与えられる。.

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北京的西瓜

『北京的西瓜』(ペキンのすいか)は、1989年公開の日本映画。船橋市郊外のとある八百屋を舞台に、中国人留学生のためにすべての生活を捧げた八百屋夫婦と中国人留学生たちとの交流を描いた、実話を元にした映画。.

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アイピーシー

アイピーシー(IPC; Inter Press Companyの略)とは、かつて存在した日本の出版社(ISBN:4-87198-)。旧名は「インタープレス」。住所は東京都内。中川右介の父藤岡啓介が創立・経営していた。1990年前後に、極めて大判の写真集(タテ長でタテの長さが40センチ以上)をはじめ、歴史に残るような写真集を多く出版した。 事実上の倒産後、中川右介自身の持つ会社「アルファベータ」が、1995年6月に事業を引き継いだ、ISBNも引き継いでいる。「専門用語辞典」はインタープレス時代からの継承である)。.

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ケーブルテレビ品川

株式会社ケーブルテレビ品川(ケーブルテレビしながわ)は、東京都品川区に本社のある、ケーブルテレビ及びインターネットを事業とするケーブルテレビ局である。現在は東急グループの1つとなっている。 2016年7月1日に、旧社名の株式会社南東京ケーブルテレビ(みなみとうきょうケーブルテレビ)から、元々愛称として使われていた「ケーブルテレビ品川」を新社名とした。.

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写真

写真(しゃしん、古くは寫眞)とは、.

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写真家

写真家(しゃしんか、photographer)とは、主に写真を撮影もしくは製作する事を生活の中心にしている人。カメラマンと区別して写真家と呼ぶ場合、動画ではない写真を撮影する人をさす場合や、特に芸術的な写真を撮影し発表する人(芸術写真家)を指す場合がある。.

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商社

商社(しょうしゃ)とは、輸出入貿易ならびに国内における物資の販売を業務の中心にした、商業を営む業態の会社である。幅広い商品・サービスを取り扱う総合商社と特定の分野に特化した専門商社に区分される。広義の卸売業である。特に総合商社は日本特有の形態とされ、海外においても「Sogo shosha」と呼ばれる。「商社」という言葉は、幕末期の幕臣小栗忠順が英語の「company」から訳したともいわれている。.

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野島康三

野島 康三(のじま やすぞう、1889年2月12日 - 1964年8月14日)は、日本の戦前期を代表する写真家のひとり。埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。特に、ポートレイトやヌード写真に長ける。 初期のピクトリアリスムの重厚な絵画的な作品から、のちにストレートな表現に移行した。.

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東京オリンピック (映画)

『東京オリンピック』(とうきょうオリンピック、Tokyo Olympiad)は、1964年の東京オリンピックの公式記録映画。市川崑が総監督を務めた。.

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東京都写真美術館

東京都写真美術館(とうきょうとしゃしんびじゅつかん)は、東京都目黒区三田一丁目にある、写真・映像専門の公立美術館である。指定管理者制度により、東京都歴史文化財団グループ(公益財団法人東京都歴史文化財団、鹿島建物総合管理株式会社、アサヒビール株式会社の共同事業体)が管理・運営している。.

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映画

映画(えいが)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの。活動写真、キネマ、シネマとも。 なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に映画と呼ばれている。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群

『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』(にほんじゅんじょうでん おかしなふたり ものくるおしきひとびとのむれ)は、1988年公開の日本映画。.

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慶應義塾大学

記載なし。

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1925年

記載なし。

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1947年

記載なし。

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1949年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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3月30日

3月30日(さんがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から89日目(閏年では90日目)にあたり、年末まであと276日ある。.

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