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長尾重景

索引 長尾重景

長尾 重景(ながお しげかげ)は、室町時代中期から後期にかけての武将。越後国守護代。越後長尾氏5代当主。上杉憲将の外玄孫で、長尾為景の祖父、上杉謙信の曽祖父に当たる。.

35 関係: 古河公方室町幕府室町時代守護守護代山吉行盛山吉能盛上杉顕定上杉謙信上杉房定上杉憲将享徳の乱弾正台信濃国応仁応永国司続柄越後国関東管領長尾実景長尾為景長尾頼景長尾能景長尾邦景長尾景信林泉寺 (上越市)武将春日神文明 (日本)1425年1467年1482年2月25日 (旧暦)3月14日

古河公方

古河公方(こがくぼう)は、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となった。(享徳の乱) その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれる。御所は主に古河城。古河公方を鎌倉公方の嫡流とみなし、両方をあわせて関東公方と呼ぶこともある。.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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守護

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.

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守護代

守護代(しゅごだい)とは、鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職である。.

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山吉行盛

山吉 行盛(やまよし ゆきもり)は、室町時代前期の武士。.

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山吉能盛

山吉 能盛(やまよし よしもり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。越後国三条城代。蒲原郡郡代。.

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上杉顕定

上杉 顕定(うえすぎ あきさだ) は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・守護大名。山内上杉家11代当主。越後上杉家の出身で山内上杉家を継ぎ、関東争乱期の40年以上にわたって関東管領を務めた。.

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上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。最強の戦国武将の1人といわれ、後世、軍神や越後の虎、越後の龍と称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)。1561年(景虎31歳)、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られ(「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられ)上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継いだ。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られている。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大したが48歳で志半ばで死去した。兜は、飯綱明神前立鉄錆地張兜。謙信には実子がおらず、謙信の死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発した。 謙信は、「義」を重んじ、戦乱の世にあっても侵略のための戦いはしない一方、他国から救援を要請されると出兵し、「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」(私利私欲で合戦はしない。ただ、道理をもって誰にでも力を貸す)『白河風土記』と述べている。また、謙信が敵将武田信玄の領国甲斐が塩不足に苦しんでいるのを知り、塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれた。.

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上杉房定

上杉 房定(うえすぎ ふささだ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての守護大名。越後国・信濃国守護。越後上杉家6代当主。 15世紀後半の約46年という長きにわたって越後を支配し、関東で享徳の乱や長享の乱を戦う過程で守護領国を完成させた。.

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上杉憲将

上杉 憲将(うえすぎ のりまさ)は、南北朝時代の武将。.

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享徳の乱

享徳の乱(きょうとくのらん、享徳3年12月27日(1455年1月15日) - 文明14年11月27日(1483年1月6日))は、室町幕府8代将軍・足利義政の時に起こり、28年間断続的に続いた内乱。第5代鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺した事に端を発し、室町幕府・足利将軍家と山内上杉家・扇谷上杉家が、鎌倉公方・足利成氏と争い、関東地方一円に拡大し、関東地方における戦国時代の遠因(もしくは直接の発端)となった。.

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弾正台

弾正台(だんじょうだい、彈正臺)は、律令制下の太政官制に基づき設置された、監察・治安維持などを主要な業務とする官庁の一つで、古代と近代(明治時代初期)に存在した。.

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信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.

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応仁

応仁(おうにん)は、日本の元号の一つ。文正の後、文明の前。1467年から1468年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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続柄

続柄の関係図 続柄(つづきがら)とは、血縁関係あるいは婚姻関係を指す語である。俗に「ぞくがら」と読まれることもある。 血族と姻族、直系と傍系、尊属と卑属の意味や親等については「親族」を参照。 本項目において「親族」とは、民法第725条「親族の範囲」で定める「法定親族」を指す。.

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越後国

越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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関東管領

関東管領(かんとうかんれい)は、南北朝時代から室町時代に、室町幕府が設置した鎌倉府の長官である鎌倉公方を補佐するために設置された役職名である。鎌倉公方の下部組織でありながら、任免権等は将軍にあった。当初は関東執事(かんとうしつじ)と言っていた。上杉氏が世襲した。.

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長尾実景

長尾 実景(ながお さねかげ)は、室町時代の長尾氏の人物。鎌倉長尾家と越後長尾家にそれぞれこの氏名を名乗った人物がいる。ともに同時代に生きた人物で関東管領の上杉憲実に仕えてその偏諱(「実」の1字)を受け、また両名ともに長尾氏の通字である「景」の字を使用したため、同姓同名の人物が同時代に二名いるといった現象が起きている。尚、この両名はともに長尾景為の玄孫であり、三従兄弟の関係にある。.

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長尾為景

長尾 為景(ながお ためかげ)は、越後国の戦国大名。越後守護代・越中国新河郡分郡守護代。上杉謙信の実父。米沢藩初代藩主・上杉景勝は外孫に当たる。.

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長尾頼景

長尾 頼景(ながお よりかげ)は、室町時代前期から中期にかけての武士。越後国守護代。越後長尾氏4代当主。.

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長尾能景

長尾 能景(ながお よしかげ)は、越後国の戦国大名。越後長尾氏6代当主。越後守護代。長尾為景の父。上杉謙信の祖父。.

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長尾邦景

長尾 邦景(ながお くにかげ)は、南北朝時代から室町時代中期にかけての武将。越後国守護代。越後長尾氏3代当主。.

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長尾景信

長尾 景信(ながお かげのぶ)は、室町時代中期から後期にかけての武将。山内上杉家の家宰。白井長尾氏4代当主。上野国・武蔵国守護代。.

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林泉寺 (上越市)

林泉寺(りんせんじ)は、越後国守護代・長尾氏およびその後裔である上杉氏の菩提寺として知られる曹洞宗の寺院である。山号は春日山(かすがさん)。 長尾氏の居城・春日山城(現在の新潟県上越市)の山麓に建立された上越市の林泉寺と、江戸時代初期に上杉氏が移封先の米沢城下(現在の山形県米沢市)に建立した米沢市の林泉寺がある。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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春日神

春日神(かすがのかみ)は、神道の神である。春日明神または春日権現とも称される。春日大社から勧請を受けた神のことであり、神社の祭神を示すときに主祭神と並んで春日大神などと書かれる。春日神を祀る神社は春日神社などという社名になっており、日本全国に約1000社ある。 春日大社の祭神は以下の四柱の神。.

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文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

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1425年

記載なし。

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1467年

記載なし。

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1482年

記載なし。

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2月25日 (旧暦)

旧暦2月25日は旧暦2月の25日目である。六曜は友引である。.

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3月14日

3月14日(さんがつじゅうよっか、さんがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から73日目(閏年では74日目)に当たり、年末まであと292日ある。.

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