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鎮信流

索引 鎮信流

鎮信流 (ちんしんりゅう)は、肥前平戸藩松浦氏で伝えられた茶道の流派。4代藩主松浦鎮信が片桐石州に学び、また様々な流儀を研究して打ち立てた。石州流鎮信派とも。現在宗家は藤沢市にある。.

19 関係: 学習院女子大学三斎流平戸藩石州流片桐貞昌遠州流茶道藤沢市肥前国金森重近松浦厚松浦詮松浦誠信松浦重信松浦陞松浦氏有楽流明治維新日本女子大学

学習院女子大学

1948年(昭和23年)、高等女学校・高等学校(学習院女子高等科含む)卒業生を対象とする各種学校として、1年制の「学習院女子教養学園」が設けられ、これが本学の源流となる。.

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三斎流

三斎流(さんさいりゅう)は、豊前小倉藩主細川忠興(三斎)を祖と仰ぐ茶道の一派。三斎の門人である一尾伊織が許しを得て興したので一尾流(いちおりゅう)、三斎流一尾派などとも言われる。現在家元は島根県出雲市にあり庵号を観翠庵、同門組織として九曜会がある。安藤家御家流も一尾流の流れを汲む他、細川三斎流と称する流派がある。.

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平戸藩

平戸藩(ひらどはん)は、肥前国松浦郡と彼杵郡の一部、および壱岐国を領した藩。藩庁は平戸城(現在の長崎県平戸市)。.

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石州流

石州流 (せきしゅうりゅう)は、片桐石州(貞昌)を流祖と仰ぐ茶道の流派の総称。一口に石州流と言っても様々であり、初期の伝承系譜によって大きくいくつかの派に分けられるほか、地域ごとに様々なグループを形成している。さらにこれらのグループには、片桐家を宗家として仰ぐもの、慈光院を宗元として緩やかに糾合したもの、引き続き独立しているものとがある。また片桐家の菩提寺高林庵(芳春院内)を宗元として諸派の糾合グループもある。.

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片桐貞昌

片桐 貞昌(かたぎり さだまさ)は、江戸時代前期の大名、茶人。大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として片桐石州(かたぎり せきしゅう)の名で知られる。.

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遠州流

遠州流(えんしゅうりゅう)は小堀政一(遠州)に始まる小堀家本家に伝わる武家茶道の一派である。宗家は東京都新宿区にあり、財団法人として小堀遠州顕彰会、同門組織として茶道遠州会がある。また小堀遠州流(こぼりえんしゅうりゅう)は遠州から弟の小堀正行に分かれた流派で、家元は東京都練馬区にあり、同門組織は松籟会という。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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藤沢市

藤沢市(ふじさわし)は、神奈川県南部中央に位置する、相模湾に接した市である。「湘南」と呼ばれる地域の中では、最大の人口を有する。.

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肥前国

肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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金森重近

金森 重近(かなもり しげちか、天正12年(1584年) - 明暦2年12月16日(1657年1月30日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、茶人。金森可重の長男。宗和(そうわ)の号で知られる。宗和流茶道の祖。子に金森方氏、山下氏政室。.

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松浦厚

松浦 厚(まつら あつし、1864年7月6日(元治元年6月3日) - 1934年(昭和9年)5月7日)は、明治時代から昭和時代初期の華族。肥前平戸藩主松浦詮の長男。正二位、伯爵。茶道家、漢詩人。 夫人は浅野長勲の養女(長勲の伯父・浅野懋績の娘)益子。弟に大隈信常、松浦靖(はかる、分家、子爵、宮内省御用掛)ら。子に松浦陞(すすむ)、晃子(大久保忠春夫人)、和子(戸沢富寿夫人)、克子(大久保教恵夫人)、東胤騤(東胤禄養子)。.

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松浦詮

松浦 詮(まつら あきら、天保11年10月18日(1840年11月11日) - 明治41年(1908年)4月13日)は、肥前国平戸藩第12代(最後の)藩主。松浦家第37代当主、茶人。書家。麝香間祗候、伯爵。 松浦秋(第10代藩主・松浦熈の三男。母は政野氏)の長男。正室は松浦晧の娘、継室は青山幸哉の娘。子は松浦厚(長男、伯爵家を継ぐ)、松浦靖(次男、分家の子爵家を継ぐ)、稲葉正縄(三男)、佐竹義準(四男)、大隈信常(五男、侯爵)、本多正復(六男、子爵)、松浦廉(七男)、井上勝純(八男、子爵)、長女・宣子(前田利嗣夫人)、次女・逸子(松平頼温夫人)、三女・都子(伊達宗基夫人)、正子(松井康義夫人)、冏子(伊達武四郎夫人)。官位は従五位下、肥前守。.

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松浦誠信

松浦 誠信(まつら さねのぶ、正徳2年3月11日(1712年4月16日) - 安永8年4月29日(1779年6月13日))は、江戸時代中期の大名。肥前国平戸藩の第8代藩主。 第6代藩主・松浦篤信の次男。第7代藩主・松浦有信の弟。母は池内氏。正室は宮川氏。子に松浦邦(長男)、松浦政信(三男)、松浦保(五男)、娘(稲垣昭央正室)、娘(永井尚俶正室)、娘(木下利忠正室)、娘(本多忠籌正室)、娘(相良頼峯婚約のち市橋長璉正室)、娘(松浦信安室)。官位は従五位下、肥前守。 幼名は吉松、数馬。享保13年(1728年)11月7日、兄有信の死去にともない、末期養子として家督を相続した。同年11月15日、将軍徳川吉宗に謁見する。同年12月21日、従五位下肥前守に叙任する。享保14年2月28日、初めてお国入りする許可を得る。 長男・邦の死後、後継者は三男・政信と定めていたが、その政信は明和8年(1771年)に自身に先立って死去する。このため、政信の子・清を後継者として定めた。安永4年(1775年)2月16日、隠居し、嫡孫清が継いだ。その後、安永8年(1779年)に68歳で病死した。 明治天皇は誠信の来孫に当たる。.

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松浦重信

松浦 重信(まつら しげのぶ、元和8年3月13日(1622年4月23日) - 元禄16年10月6日(1703年11月14日))は、江戸時代前期の大名。肥前平戸藩の第4代藩主。平戸松浦氏第29代当主。隠居の後に諱を曾祖父と同じ鎮信(しげのぶ)へと改めており、その漢字表記でよく知られている。 第3代藩主・松浦隆信の長男。母は牧野康成の娘・充。正室は明石藩主松平忠国の娘。幼名は千代鶴、通称が源三郎。官位は従五位下、肥前守。 宋の文人文天祥を尊敬して天祥庵を結び、天祥と号する。後年、退静爺や、徳祐とも称した。法名は圓惠(円恵)。.

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松浦陞

松浦 陞(まつら すすむ、1884年(明治17年)3月15日 - 1962年(昭和37年)8月31日)は、明治時代から昭和時代の華族。旧平戸藩主松浦家第39代当主。茶人。鎮信流を継承する石州流鎮信派の家元で如月と号する。 松浦厚の子。夫人は徳川篤敬長女敬子。敬子病没後、水無瀬忠輔の娘治子を夫人に迎える。子に松浦素、松浦擇ら。.

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松浦氏

松浦氏(まつらし)は、日本の氏族の一つ。.

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有楽流

有楽流(うらくりゅう)は、織田信長の実弟織田長益(有楽斎)に始まる茶道の流派の一つ。四男織田長政の系統の大和芝村藩、五男織田尚長の系統の大和柳本藩の家中で嗜まれ、現在は長政の末裔を宗家としている。また長益の次男織田頼長、その長男織田長好、信長の孫織田貞置と継承され、貞置以降のものを貞置流ともいう。さらに、貞置の甥織田貞幹を召し抱えた尾張藩の家中に伝えられ、現在まで続く流派として尾州有楽流(びしゅううらくりゅう)がある。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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日本女子大学

成瀬記念講堂内部(目白キャンパス).

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