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郷試

索引 郷試

郷試(きょうし、満州語:golotome simnembi)は、中国で行われた科挙の中の地方試験である。 唐や宋の時代には「郷貢」「解試」といった。明・清代では3年に一度、すなわち子・午・卯・酉の年の8月に省城で行われた。このため「秋闈」ともいう。3年に一度の正科のほかに新帝の即位など国家の慶事があったとき、特別に恩科と称して郷試がおこなわれることもあった。 試験の際には、朝廷から正副の主考官が派遣され、四書五経・策問(時事論述)・八股文などを試験した。郷試の行われる場所を貢院という。合格者を挙人といい、首席合格者を解元といった。 生員・貢生・監生に受験資格があったが、過失によって罷免された官吏・街頭芸人・妓館で働く者・父母の3年の喪が明けていない者は、受験を認められなかった。 Category:科挙.

17 関係: 子 (十二支)宋 (王朝)八股文四書五経科挙生員監生解元貢生満州語挙人

right 卯(う、ぼう)は十二支のひとつ。いわゆる「うさぎ」。通常十二支の中で第4番目に数えられる。前は寅、次は辰である。.

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right 午(うま、ご)は、十二支のひとつ。通常十二支の中で第7番目に数えられる。前は巳、次は未である。.

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子 (十二支)

子(ね、し)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第1番目に数えられる。子年(ねずみどし)とも言う。前は亥、次は丑である。.

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宋 (王朝)

宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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八股文

八股文(はっこぶん、、)とは、中国の明や清の時代に科挙の答案として用いられた、特殊な文体のことである。八股文は四書文、八比文、時文、時芸、制芸、制義とも呼ばれることがある。四書五経の中から出題された章句の意味について、対句法を用いて独特な8段構成で論説した。.

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四書五経

四書五経(ししょごきょう)は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたものである。.

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科挙

科挙の合格者発表(放榜) 貢院の号舎 科挙(かきょ、)とは、中国で598年~1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である。.

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生員

生員(せいいん、満州語:šusai)とは、中国明朝及び清朝において国子監の入試(院試)に合格し、科挙制度の郷試の受験資格を得たもののことをいう。生員となったものは、府学・県学などに配属される。また、秀才と美称され、実質的に士大夫の仲間入りをしたことになり、徭役免除などの特権を得た。なお、諸生(しょせい)とは童試の中の最初の二つの試験である県試・府試に合格したもののことを差すが、院試には合格していないので科挙の受験資格は得られていない。 郷試に合格するのは毎回400人程度であるのに対して、諸生は50万人もいたとされている。.

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監生

監生(かんせい)とは、明・清代の中国において現在の国立大学に当たる国子監の学生、および学生の身分を入手した人物を指す。明代と清代では、その分類に差があり、明代には挙監・貢挙・廕監・例監の4種類に分けられ、清代も同様に恩監・蔭監・優監・例監という四つの分類がなされていた。.

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解元

解元(かいげん、満州語:bonggo tukiyesi)とは中国の科挙の一つ郷試の成績第1位の名称。宋代以前は解頭と称していた。 明、清代になると科挙は郷試、会試、殿試の三段階が設けられ、それぞれ成績第1位を解元、会元、状元と称していた。これら全てを獲得した進士は連中三元或いは三元及第と称された。 Category:科挙 Category:栄誉称号 Category:中国の称号.

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貢生

貢生(こうせい、満州語:silgasi)は明清両代に生員(秀才)の優秀な者で、国子監で学ぶことを許可された者を指す。明代には歳貢・選貢・恩貢・細貢があり、清代では恩貢(fulehun i silgasi)・抜貢(simnehe silgai)・副貢・歳貢・優貢(tukiyehe silgasi)・例貢があった。 明清代に、毎年あるいは3年ごとに各府学・州学・県学の中から生員を選抜して国子監に送った。これを歳貢と称したため、選抜された生員は貢生または歳貢生と呼ばれた。恩貢は皇帝の即位やその他の慶事があったときに「恩詔の年」として歳貢の枠外で行われた選抜である。抜貢は朝廷が特に優秀な生員を国子監に選抜する制度で、6年ごとに行われていたが、1742年以降は12年に一度となった。副貢とは副榜(郷試の補欠合格者)の中から選ばれた者を指す。例貢は金銭で貢生の資格を取得することである。清代の貢生はまた「明経」とも呼ばれた。 貢生のほかにも国子監には監生がいた。監生は試験によって国子監に入った者ではなく、多くは高官の子弟または功臣の子弟であった。恩監・蔭監・優監・例監の区分がある。 Category:科挙.

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right 酉(とり、ゆう)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第10番目に数えられる。前は申、次は戌である。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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満州語

満州語(滿洲語、まんしゅうご、ᠮᠠᠨᠵᡠᡤᡳᠰᡠᠨ、転写:manju gisun)は、満州族が話すツングース諸語に属する言語。.

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挙人

挙人(きょじん、満州語:tukiyesi)は中華圏の人材登用に関する称号。時代によって概念が異なる。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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