ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

郷勇

索引 郷勇

郷勇(きょうゆう)は清代に臨時に召募された地方の武装補助部隊、すなわち義勇軍である。それぞれ大隊を形成し、勇営と称した。 郷勇の起源は清初めの郷兵にある。雍正8年(1730年)、オルタイが雲南省の烏蒙の反乱を鎮圧した時、郷兵を召募しているが、すぐに解散させている。つまり常設の軍隊ではなかったのである。その後の嘉慶年間の白蓮教徒の乱でも、郷勇は召募されている。地方有力者が郷鎮を盗賊等から自衛するために自発的に組織した武装集団の団練は、郷勇の有力な兵員の供給源となった。 咸豊2年(1852年)に曽国藩が創設した郷勇である湘勇は、後の湘軍に発展した。また咸豊11年(1861年)には李鴻章が後に淮軍となる郷勇を組織している。湘軍と淮軍は太平天国の乱と捻軍の反乱の鎮圧の主力となり、ついに清末には郷勇は陸軍に組み入れられるようになった。 中華民国期に入ると、軍閥が割拠し、土匪が横行するようになったため、地方の有力者たちは郷勇的な地方武装組織を保有した。 Category:清朝の軍事.

21 関係: 太平天国の乱中華民国匪賊嘉慶 (清)咸豊団練義勇兵白蓮教徒の乱軍閥郷鎮雍正雲南省捻軍李鴻章淮軍湘軍曽国藩1730年1852年1861年

太平天国の乱

太平天国の玉璽。 天王の玉座 天王府のミニチュア 長江での太平天国軍と清軍との戦い 太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は、清朝の中国で、1851年に起こった大規模な反乱。洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起きた。長髪賊の乱ともいわれる。.

新しい!!: 郷勇と太平天国の乱 · 続きを見る »

中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

新しい!!: 郷勇と中華民国 · 続きを見る »

匪賊

匪賊(ひぞく)は、「集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。「匪」「賊」とも否定的な価値判断を伴う文字であり、かれらと敵対する側、すなわち取り締まり側(体制側)・被害者側の視点からの他称である。日本では、特に近代中国における非正規武装集団を指す。.

新しい!!: 郷勇と匪賊 · 続きを見る »

嘉慶 (清)

嘉慶(かけい、満洲語:、ローマ字表記:saicungga fengšen)は清の仁宗の治世中に使われた元号。1796年 - 1820年。一世一元の制を採用していたため仁宗は嘉慶帝と称される。.

新しい!!: 郷勇と嘉慶 (清) · 続きを見る »

咸豊

咸豊(かんぽう、満州語:、転写:gubci elgiyengge)は清の文宗の治世中に使われた元号。1851年 - 1861年。一世一元の制を採用していたため文宗は咸豊帝と称される。.

新しい!!: 郷勇と咸豊 · 続きを見る »

団練

団練(だんれん)は、清代の地方に存在した武装集団。地方の有力者が盗賊等から郷鎮を自衛するために自発的に組織した民兵組織である。19世紀初頭の白蓮教徒の乱では、正規軍の八旗や緑営の軍隊では鎮圧できず、清朝政府は地方の郷紳に臨時の軍隊の徴募を命じた。これらの軍隊を「郷勇」と呼ぶが、団練はこれらの軍隊の兵員の有力な供給元となった。郷勇は地方民兵組織の団連をもとに創設されてはいるが、あくまで清朝政府の名のもとに臨時に募られた政府の軍隊である。郷勇では湘軍、淮軍が有名である。.

新しい!!: 郷勇と団練 · 続きを見る »

義勇兵

義勇兵(ぎゆうへい、military volunteer)は、正規軍に所属せず、金銭的見返りを求めずに自発的に戦闘に参加した戦闘員を指す。.

新しい!!: 郷勇と義勇兵 · 続きを見る »

白蓮教徒の乱

清代の白蓮教徒の乱(びゃくれんきょうとのらん、川楚白莲教起义)は、1796年から1804年にかけて、白蓮教の信徒が起した反乱である。白蓮教の乱ともいう。.

新しい!!: 郷勇と白蓮教徒の乱 · 続きを見る »

軍閥

軍閥(ぐんばつ).

新しい!!: 郷勇と軍閥 · 続きを見る »

郷鎮

郷鎮(ごうちん)とは、中華人民共和国の県級市の末端自治区のことである。県級市において比較的大きいものを鎮、比較的小さいものを郷という(中華人民共和国憲法第30条参照射手矢(2011年)24ページ)。そしてこれら郷や鎮において、農村集団経済組織又は農民の投資を主として設立された各種の企業を「郷鎮企業」という(郷鎮企業法第2条)。.

新しい!!: 郷勇と郷鎮 · 続きを見る »

雍正

雍正(ようせい、満洲語:、転写:hūwaliyasun tob)は清の世宗の治世に使われた元号。1723年 - 1735年)。一世一元の制であったため世宗は雍正帝と呼ばれる。.

新しい!!: 郷勇と雍正 · 続きを見る »

雲南省

雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.

新しい!!: 郷勇と雲南省 · 続きを見る »

捻軍

捻軍(ねんぐん)は太平天国の乱と同時期に清に反抗した華北の武装勢力。「捻」とは「ひねる」「こよる」という意味の語であるが、淮河北方の方言では「一本一本の糸をよりあげる」ことから転じて「人々の集まり」を示す。捻軍の起源は「捻子」という遊民の集団で安徽省・河南省一帯に広がっていった。.

新しい!!: 郷勇と捻軍 · 続きを見る »

李鴻章

李 鴻章(り こうしょう、、1823年2月15日(道光3年1月5日) - 1901年11月7日(光緒27年9月27日))は、中国清代の政治家。字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことでも知られる。.

新しい!!: 郷勇と李鴻章 · 続きを見る »

淮軍

淮軍(わいぐん)は、清朝の重臣李鴻章が同治元年(1862年)に編成した地方軍である。湘軍と並べて湘淮と称される。.

新しい!!: 郷勇と淮軍 · 続きを見る »

清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

新しい!!: 郷勇と清 · 続きを見る »

湘軍

湘軍(しょうぐん)は、清末の湖南地方の軍の呼称で、湘勇ともいう。太平天国の乱を清朝の正規軍(八旗・緑営)は鎮圧できず、やむを得ず清朝政府の命により各地の郷紳に臨時の軍隊を組織させた。これを郷勇と呼び湘軍はその一つであった。.

新しい!!: 郷勇と湘軍 · 続きを見る »

曽国藩

曽 国藩(そう こくはん、、嘉慶16年10月11日(1811年11月26日) - 同治11年2月4日(1872年3月12日))は、中国清代末期の軍人、政治家。字は伯函、号は滌生(てきせい)、諡は文正。湖南省湘郷県の出身。弱体化した清朝軍に代わり、湘軍を組織して太平天国の乱鎮圧に功績を挙げた。.

新しい!!: 郷勇と曽国藩 · 続きを見る »

1730年

記載なし。

新しい!!: 郷勇と1730年 · 続きを見る »

1852年

記載なし。

新しい!!: 郷勇と1852年 · 続きを見る »

1861年

記載なし。

新しい!!: 郷勇と1861年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

勇営

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »