ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

賀茂水穂

索引 賀茂水穂

賀茂水穂(かものみずほ、天保11年5月12日(1840年6月11日) - 明治42年(1909年)2月28日)は、日本の海軍軍人、神職。旭日章従五位。 遠江国浜名郡に生まれ、賀茂備後直章と称する。賀茂真淵の末裔。慶応4年(1868年)2月23日、兄である山本金木らと共に遠州報国隊を組織し、有栖川宮熾仁親王の麾下に入り先鋒となって戊辰戦争における東征に参加。 明治7年(1874年)に海軍省に出仕、海軍少秘書となり佐賀の乱に従軍。海軍大秘書を経て海軍大主計(秘書科が主計科に統合されたことによる)。 明治24年(1891年)から明治42年(1909年)まで靖国神社2代目宮司。.

27 関係: 大日本帝国海軍天保宮司山本金木佐賀の乱従五位神職遠江国靖国神社賀茂真淵有栖川宮熾仁親王戊辰戦争明治海軍省浜名郡日本旭日章慶応1840年1868年1874年1891年1909年2月23日 (旧暦)2月28日5月12日 (旧暦)6月11日

大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

新しい!!: 賀茂水穂と大日本帝国海軍 · 続きを見る »

天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

新しい!!: 賀茂水穂と天保 · 続きを見る »

宮司

宮司(ぐうじ、みやづかさ)とは神職や巫女をまとめる神社の長(おさ)である神職の職階(職名・職称)である。.

新しい!!: 賀茂水穂と宮司 · 続きを見る »

山本金木

山本 金木(やまもと かねぎ・かなき、文政9年1月10日(1826年2月16日)- 明治39年(1906年)11月27日)は、戊辰戦争における遠州報国隊の隊長。神職。浜松にある井伊谷宮権宮司。山本大隅とも称する。賀茂県主家で賀茂真淵の末裔。 遠江国浜名郡雄踏にて宇布見村金山神社神主 賀茂鞆音(賀茂日向)の長男として生まれる。弟に新所村八幡神社神主の内藤山城、のちの靖国神社二代目宮司となる賀茂水穂がいる。 4歳半から書に親しみ、6歳で中村源左エ門亀年に就き、12歳で自法庵千寿から漢籍を学ぶ。 天保11年(1840年)12月8日、15歳で賀茂家より八幡宮神官の山本家を継ぐ。 この頃には岩間寺住職三宅均との親交があり互いに往復し和歌を作った。 遠州西遠地方では「歌の山本、書の三宅」と言いはやされた。 22歳になると小栗公伴の門人となる。次いで国学者石川依平に教えを受けるが、師が病気となってからは神官で国学者でもある鬼島広蔭(富樫広蔭)から教えを受ける。 慶応4年(1868年)1月3日、京都での鳥羽・伏見の戦いを始めとする戊辰戦争が勃発すると遠州報国隊を結成し、山本金木と池田庄三郎が隊長となる。尊王攘夷論の急先鋒として、錦の御旗を掲げ倒幕に向かう東征大総督有栖川宮熾仁親王や東征大総督参謀西郷隆盛らと共に江戸へ進軍し先鋒をつとめる。隊員数は 306名(神主 280余名、僧侶 3名、農商 14名、浪人 5名、他若干名)で神主中心の草莽隊であった。日本最古の軍歌「宮さん宮さん(トコトンヤレ節)」はこのときの様子を軍歌にしたもの。遠州報国隊が神官中心の組織で結成されたことで、それまで沈黙していた各地神官(駿河赤心隊、伊豆伊吹隊など)がそれに呼応し神官中心の義勇隊が一気に組織されていった。 そのとき山本金木が詠んだ句に、  「天皇の御先にたちてしめしてむ、やまと心の花の色香を」  「数ならぬ身にはあれども世のためと、おもふひとつの心ばかりは」 がある。 慶応4年(1868年)5月15日、上野戦争での彰義隊との戦いや東北戦争にも参加し、江戸城内の警護を終えると同年11月(明治元年11月)、山本金木は故郷浜松に帰り、弟の賀茂水穂は東京にとどまる。 明治5年(1872年)宗良親王を祭った井伊谷宮が明治天皇により創立されると天皇から官幣中社の社格を賜り、山本金木は井伊谷宮権宮司となる。 明治39年(1906年)11月27日、井伊谷にて没。81歳。 Category:幕末の人物 Category:神職 Category:1826年生 Category:1906年没.

新しい!!: 賀茂水穂と山本金木 · 続きを見る »

佐賀の乱

佐賀の乱(さがのらん)は、1874年(明治7年)2月に江藤新平・島義勇らをリーダーとして佐賀で起こった、明治政府に対する士族反乱の一つである。佐賀の役、佐賀戦争とも。不平士族による初の大規模反乱であったが、電信の情報力と汽船の輸送力・速度を活用した政府の素早い対応もあり、激戦の末に鎮圧された。.

新しい!!: 賀茂水穂と佐賀の乱 · 続きを見る »

従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

新しい!!: 賀茂水穂と従五位 · 続きを見る »

神職

職(しんしょく)とは、神道、神社において神に奉仕し祭儀や社務を行う者のことである。.

新しい!!: 賀茂水穂と神職 · 続きを見る »

遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

新しい!!: 賀茂水穂と遠江国 · 続きを見る »

靖国神社

(靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社である。.

新しい!!: 賀茂水穂と靖国神社 · 続きを見る »

賀茂真淵

賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。通称三四。真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。 荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされ、その門流を「県居(あがたい)学派」、あるいは「県門(けんもん)」と称した。.

新しい!!: 賀茂水穂と賀茂真淵 · 続きを見る »

有栖川宮熾仁親王

有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)は、江戸時代後期~明治時代の日本の皇族、政治家、軍人。号は初め「泰山」、後に「霞堂」。階級・勲等・功級は陸軍大将大勲位功二級。 有栖川宮幟仁親王の第1王子で、幼名は歓宮(よしのみや)。生母は家女房の佐伯祐子。官職は任命順に、大宰帥、国事御用掛、政府総裁、東征大総督、兵部卿、福岡藩知事(のちに県知事、県令)、元老院議官(後に議長)、鹿児島県逆徒征討総督、左大臣、陸軍参謀本部長、参謀総長、神宮祭主。 和宮親子内親王と婚約していたことで知られる#三島由紀夫のニ・ニ六事件76-77頁。だが和宮との婚約は徳川幕府の権力失墜に伴い公武合体を余儀なくされた幕府が公武合体を国内外に誇示するための実績として和宮は降嫁し、徳川将軍第14代徳川家茂と結婚した。主旧水戸藩主・徳川斉昭の娘で徳川慶喜の妹の徳川貞子を、明治維新後に最初の妃として迎える。貞子は婚儀の2年後、熾仁親王の福岡赴任中に23歳で病没。明治6年(1873年)7月に旧越後新発田藩主・溝口直溥の七女・董子と再婚した。 明治維新後は陸軍軍人として明治天皇を支え、王政復古による天皇中心の明治政府樹立において、政務を統括する最高官職である三職の総裁を務めた。明治28年(1895年)に61歳で薨去。有栖川宮は跡を継いだ異母弟の有栖川宮威仁親王の代で断絶した。.

新しい!!: 賀茂水穂と有栖川宮熾仁親王 · 続きを見る »

戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

新しい!!: 賀茂水穂と戊辰戦争 · 続きを見る »

明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

新しい!!: 賀茂水穂と明治 · 続きを見る »

海軍省

海軍省(かいぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つである。大日本帝国海軍の軍政機関。主任大臣は海軍大臣。軍令は最高司令官である天皇に直属する軍令部が担当する。.

新しい!!: 賀茂水穂と海軍省 · 続きを見る »

浜名郡

*.

新しい!!: 賀茂水穂と浜名郡 · 続きを見る »

日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

新しい!!: 賀茂水穂と日本 · 続きを見る »

旭日章

旭日章(きょくじつしょう、Order of the Rising Sun)は、日本の勲章の一つ。.

新しい!!: 賀茂水穂と旭日章 · 続きを見る »

慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

新しい!!: 賀茂水穂と慶応 · 続きを見る »

1840年

記載なし。

新しい!!: 賀茂水穂と1840年 · 続きを見る »

1868年

記載なし。

新しい!!: 賀茂水穂と1868年 · 続きを見る »

1874年

記載なし。

新しい!!: 賀茂水穂と1874年 · 続きを見る »

1891年

記載なし。

新しい!!: 賀茂水穂と1891年 · 続きを見る »

1909年

記載なし。

新しい!!: 賀茂水穂と1909年 · 続きを見る »

2月23日 (旧暦)

旧暦2月23日は旧暦2月の23日目である。六曜は赤口である。.

新しい!!: 賀茂水穂と2月23日 (旧暦) · 続きを見る »

2月28日

2月28日(にがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦においては年始から59日目にあたり、年末まであと306日(閏年では307日)ある。平年では、この日が2月の末日になる。 日本においては冬であり、本朝七十二候においては多く「霞始めてたなびく」(「かすみが たなびき始める」)に当たる。誕生花はフリージア(アヤメ水仙)とされる。.

新しい!!: 賀茂水穂と2月28日 · 続きを見る »

5月12日 (旧暦)

旧暦5月12日は旧暦5月の12日目である。六曜は仏滅である。.

新しい!!: 賀茂水穂と5月12日 (旧暦) · 続きを見る »

6月11日

6月11日(ろくがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から162日目(閏年では163日目)にあたり、年末まであと203日ある。誕生花はヒゲナデシコ、ガクアジサイ。.

新しい!!: 賀茂水穂と6月11日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »