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観世音寺

索引 観世音寺

観世音寺(かんぜおんじ)は、福岡県太宰府市観世音寺五丁目にある天台宗の寺院。山号は清水山。本尊は聖観音(しょうかんのん)。開基は天智天皇である。九州西国三十三箇所第三十三番札所。 九州を代表する古寺で、造営開始は7世紀後半にさかのぼる。奈良の東大寺・栃木の下野薬師寺とともに「天下三戒壇」の1つに数えられる。平安時代以降は徐々に衰退したが、仏像をはじめとする文化財を豊富に有する。.

88 関係: まほろば号十一面観音古寺古社寺保存法吉川弘文館大宰府大宰府学校院跡大正天台宗天平天平宝字天智天皇太宰府市太宰府駅妙心寺寺院寛永山号山川出版社川原寺不空羂索観音下野薬師寺跡九州九州国立博物館九州西国三十三箇所九州歴史資料館平安時代平凡社京都康平康和康治二中歴井上靖延喜弦書房佐和隆研地蔵菩薩メートル和銅元禄国宝玄ボウ祥伝社福岡県空海笠間市筑陽学園中学校・高等学校続日本紀縁起...當麻寺白鳳百済聖観音西鉄天神大牟田線西鉄太宰府線西鉄五条駅西日本鉄道西日本新聞社馬頭観音観音菩薩角川書店茨城県都府楼前駅阿弥陀如来藤原京鑑真重要文化財臨済宗東大寺東京芸術大学梵鐘江上栄子淡交社朝日新聞社本朝世紀戒壇院昭和海鳥社文化財保護法斉明天皇1143年661年663年683年746年7世紀905年 インデックスを展開 (38 もっと) »

まほろば号

車両 まほろば号は、福岡県太宰府市が運行するコミュニティバスである。.

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十一面観音

十一面観音(じゅういちめんかんのん)、梵名エーカダシャムカ (एकदशमुख)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の1つでもある。頭部に11の顔を持つ菩薩である。梵名は「11の顔」、「11の顔を持つもの」の意。.

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古寺

古寺(こじ、ふるでら)とは、古びた寺院または、古くなって荒れ果てた寺院。古くから存在する由緒ある寺院などをいう。さらに、日本の地名に古寺(こでら、ふるでら、ふるてら)がある。 なお、「寺院」という語が広義では仏教以外の諸宗教における類似の施設をも指すのと同様に、「古寺」もそのような語義を持っている。他方、後述する古刹(こさつ)の場合は、道教寺院を例外として、そのような用法はほとんど見られない。.

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古社寺保存法

古社寺保存法(こしゃじほぞんほう、明治30年6月10日法律第49号)は、日本の文化財保護に関する、廃止された法律。古器旧物保存方 (こききゅうぶつほぞんかた、明治4年5月23日太政官布告第251号)を引き継いで制定され、1929年(昭和4年)7月1日、旧国宝保存法施行に伴い廃止された。 条文は附則を含めて20条である。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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大宰府

大宰府(だざいふ)は、7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。和名は「おほ みこともち の つかさ」とされる。多くの史書では太宰府とも記され、おもに8世紀の大和朝廷内部で作られた史書で「大宰府」と記されている。.

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大宰府学校院跡

大宰府学校院跡(だざいふがっこういんあと)は、福岡県太宰府市大字観世音寺に所在する大宰府の官人養成機関に関する遺跡である。1970年(昭和45年)に、国の史跡に指定されている。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天平

天平(てんぴょう)は、日本の元号の一つ。神亀の後、天平感宝の前。729年から749年までの期間を指す。この時代の天皇は聖武天皇。 奈良時代の最盛期にあたるため、東大寺、唐招提寺などに残るその時代の文化を天平文化と呼ぶことが多い。.

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天平宝字

天平宝字(てんぴょうほうじ、正字体:天平寶字)は、日本の元号の一つ。天平勝宝の後、天平神護の前。757年から765年までの期間を指す。この時代の天皇は孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇重祚)。.

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天智天皇

天智天皇(てんじてんのう/てんぢてんのう、推古天皇34年(626年) - 天智天皇10年12月3日(672年1月7日))は、第38代天皇(在位:天智天皇7年1月3日(668年2月20日) - 10年12月3日(672年1月7日))。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)として知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「2番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号である「天智天皇」は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船が「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けたと言われる。.

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太宰府市

太宰府市(だざいふし)は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である。 九州地区の統治組織「大宰府」が置かれた事により栄えた。太宰府天満宮などの史跡が多くあり、毎年700万余りもの観光客が訪れる観光都市でもある。.

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太宰府駅

太宰府駅(だざいふえき)は、福岡県太宰府市宰府二丁目にある西日本鉄道(西鉄)太宰府線の駅。同線の終点で、太宰府天満宮最寄り駅である。.

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妙心寺

妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。寺紋は花園紋(妙心寺八つ藤)。 日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。.

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寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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山号

山号(さんごう)は、仏教の寺院に付ける称号。 寺院によっては付けていない所もあり、付けている場合についても、その寺院が所在する山の名称を付けている場合と、医王山や鶴林山のように、所在地とは関係のない、仏教用語を山号として付けている場合がある。それについては、以下の様々な理由によるものとされる。「号」も参照。.

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山川出版社

山川出版社(やまかわしゅっぱんしゃ)は、高校教科書(地歴公民科)・参考書・歴史関係の一般書などを刊行する日本の出版社である。.

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川原寺

川原寺(かわらでら)は、飛鳥(奈良県高市郡明日香村)にあった仏教寺院。跡地は国の史跡に指定されている。 飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院であったが、中世以降衰微し廃寺となった。現在は跡地にある真言宗豊山派の弘福寺(ぐふくじ)が法燈を継承する。.

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不空羂索観音

不空羂索観音坐像(香川県・法蓮寺、重要文化財) 不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)、梵名アモーガパーシャ(अमोघपाश )は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。六観音あるいは七観音の一尊に数えられる。三昧耶形は羂索(狩猟用の投げ縄、または両端に金具を付けた捕縛縄)、開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)。種字は(サ、)「印と真言の本」、学研、2004年2月、 p.105。 日本では「不空羂索観音菩薩」や、「不空羂索観世音菩薩」などさまざまな呼称がある。尊名の「不空」とは「むなしからず」、「羂索」は鳥獣等を捕らえる縄のこと。従って、不空羂索観音とは「心念不空の索をもってあらゆる衆生をもれなく救済する観音」を意味する。.

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下野薬師寺跡

下野薬師寺 回廊(復元) 下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)は、栃木県下野市にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。 寺院名称は「薬師寺」であったが、旧国名を冠して「下野薬師寺」と記載されることが多く、本項でも「下野薬師寺」と表記して解説する。.

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九州

九州(きゅうしゅう)は、日本列島を構成する島の一つで島国 (領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・離島6,847島)。<出典>『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧。ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。、その南西部に位置する。 北海道・本州・四国とともに主要4島の一つでもあり、この中では3番目に大きい島で【参考】 日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。  国立天文台 (編)理科年表 平成19年版 P565、ISBN 4621077635。、世界の島の中では、スピッツベルゲン島(ノルウェー)に次ぐ第37位の大きさである。 地質学や考古学などでは九州島という名称も使用される。 九州とその付随する島を合わせて九州地方(きゅうしゅうちほう)と言う。九州の最高標高は1,791メートル (m) で、大分県の九重連山・中岳の標高である。また、九州地方の最高標高は1,936 mで、鹿児島県の屋久島・宮之浦岳の標高である。(「#地理」および「日本の地理・九州」を参照) 九州には7つの地方公共団体(県)があり、7県総人口は13,108,027人、沖縄県を含めた8県総人口は14,524,614人である。都道府県の人口一覧#推計人口(右表 九州地方のデータ参照) 九州の古代の呼称は、「筑紫島」・「筑紫洲」(つくしのしま)である(#歴史書における呼称)。.

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九州国立博物館

九州国立博物館(きゅうしゅうこくりつはくぶつかん)は、福岡県太宰府市石坂にある歴史系の博物館。独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館の1つで、2005年10月16日に開館。太宰府天満宮裏で、同宮所有の丘陵地に建設された。通称「九博」(きゅうはく)。館長は島谷弘幸。.

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九州西国三十三箇所

九州西国三十三箇所(きゅうしゅうさいごくさんじゅうさんかしょ)は、福岡県・佐賀県・長崎県・大分県・熊本県の33箇所の観音霊場。半数近くが天台宗の寺院である。 起源は古く奈良時代、法蓮上人と仁聞菩薩が十八の霊場を巡拝したことによる。 一部寺院は筑後三十三観音霊場と重複する。.

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九州歴史資料館

九州歴史資料館(きゅうしゅう れきし しりょうかん)は、福岡県小郡市に所在する歴史系博物館である。福岡県教育委員会が運営している。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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康平

康平(こうへい)は、日本の元号の一つ。天喜の後、治暦の前。1058年から1064年までの期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.

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康和

康和(こうわ)は、日本の元号の一つ。承徳の後、長治の前。1099年から1103年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇。.

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康治

康治(こうじ)は、日本の元号の一つ。永治の後、天養の前。1142年から1143年までの期間を指す。この時代の天皇は近衛天皇。.

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二中歴

二中歴(にちゅうれき)は、鎌倉時代初期に成立したとされる事典である。 その内容は、平安時代後期に成立した「掌中歴(しょうちゅうれき)」と「懐中歴(かいちゅうれき)」の内容をあわせて編集したものとされている。現代では「掌中歴」の一部が現存するのみとなっており、二中歴がこれらの存在を知る手がかりとなっている。 掌中歴と懐中歴は三善為康(1049~1139)の手による、平安時代後期のものと推定されているが、二中歴の編纂が誰によるものであるかは不明である。現代には尊経閣文庫本と呼ばれる、加賀・前田家に伝わる古写本が残されているのみで、これは鎌倉時代後期から室町時代にかけての、後醍醐天皇のころに作られたと考えられている。 尊経閣文庫本には順徳天皇の御代に編纂されたとあり、1210年~1221年頃の成立であると考えられている。.

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井上靖

井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)5月6日 - 1991年(平成3年)1月29日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。.

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延喜

延喜(えんぎ)は、日本の元号の一つ。昌泰の後、延長の前。901年から923年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇。 この時代は形式的ながらも天皇親政が行われたが、のちにこれを延喜の治と呼ぶようになり、「天暦の治」とともに理想的な治世として賞賛されるようになった。.

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弦書房

弦書房(げんしょぼう)は、福岡県福岡市中央区に本社を置く、人文系の出版社。地元九州や山口(長州)関連の著作を多く刊行している。.

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佐和隆研

佐和 隆研(さわ りゅうけん / さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家、仏教学者、真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授、嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。.

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地蔵菩薩

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。 サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ )と言う。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖。種字は ह (カ、)。 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。 日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。 一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。.

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メートル

メートル(mètre、metre念のためであるが、ここでの「英」は英語(English language)による綴りを表しており、英国における綴りという意味ではない。詳細は「英語表記」の項及びノートの「英語での綴り」を参照。、記号: m)は、国際単位系 (SI) およびMKS単位系における長さの物理単位である。他の量とは関係せず完全に独立して与えられる7つのSI基本単位の一つである。なお、CGS単位系ではセンチメートル (cm) が基本単位となる。 元々は、地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 倍した長さを意図し、計量学の技術発展を反映して何度か更新された。1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は1秒の 分の1の時間に光が真空中を伝わる距離として定義されている。.

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和銅

和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の後、霊亀の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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国宝

建築:宇治上神社本殿覆屋(宇治市) 寺院建築:法隆寺金堂・五重塔(斑鳩町) 城郭建築:姫路城連立天守(姫路市) 絵画:源氏物語絵巻(徳川美術館) 彫刻:臼杵磨崖仏(阿弥陀三尊像) 工芸品:天寿国繍帳(中宮寺) 書跡・典籍:秋萩帖(東京国立博物館) 弘法大師筆尺牘「風信帖」(東寺) 考古資料:人物画像鏡(隅田八幡神社) 歴史資料:慶長遣欧使節関係資料のうちローマ市公民権証書(仙台市博物館) 国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている。 法的には、国宝は重要文化財の一種である。国宝・重要文化財の指定手続、指定制度の沿革などについては、重要文化財の項を参照。 なお、いわゆる「人間国宝」とは重要無形文化財に指定された芸能、工芸技術などの保持者として各個認定された者の通称であり、本項で解説する国宝とは異なる。.

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玄ボウ

昉(げんぼう、生年不詳 - 天平18年6月18日(746年7月15日))は、奈良時代の法相宗の僧。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もある。僧官は僧正。.

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祥伝社

株式会社祥伝社(しょうでんしゃ)は、日本の総合出版社。 文芸新書「ノン・ノベル」、ノンフィクション文庫「黄金文庫」、「祥伝社新書」などの書籍のほか、小説誌の『小説NON』を出版。また、雑誌部門では、女性漫画雑誌『FEEL YOUNG』、女子中高生向けファッション雑誌『Zipper』、かつてのZipper読者を対象とした主婦向けライフ&ファッション誌『nina's』、30代以上向けのライフスタイル&健康生活情報誌『からだにいいこと』などを出版している。一ツ橋グループに属する。2011年5月、本社を移転した。.

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福岡県

福岡県(ふくおかけん)は、日本の九州地方北部にある県。県庁所在地は福岡市。2017年現在の人口は約511万人で、全国の都道府県中9位である。.

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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笠間市

間市(かさまし)は関東地方の北東部、茨城県の中部に位置する市である。 古くから日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の鳥居前町として、また笠間城の城下町として栄えてきた。最近では笠間焼の生産地として知られ、春や秋に行われる陶器市の時期には、多くの観光客で賑わう。 2006年3月19日に笠間市(旧制)、旧西茨城郡(友部町、岩間町)の1市2町が新設合併し、新制の笠間市として発足した。新笠間市の市庁舎は旧笠間市より人口が多く、地理的にも中央に位置する旧友部町に本庁舎が置かれている。.

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筑陽学園中学校・高等学校

筑陽学園中学校・高等学校(ちくようがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、福岡県太宰府市朱雀五丁目にある私立中学校・高等学校。学校法人筑陽学園が運営する。.

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続日本紀

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀(しょっき)。.

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縁起

縁起(えんぎ、pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。 種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた。.

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當麻寺

麻寺(たいまでら、常用漢字体:当麻寺)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。 西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。毎年5月14日に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。 大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。 本項では寺号と行政地名については現地における表記を尊重して「當麻」とし、人名、作品名等については「当麻」の表記を用いる。.

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白鳳

白鳳(はくほう)は、寺社の縁起や地方の地誌や歴史書等に多数散見される私年号(逸年号とも。日本書紀に現れない元号をいう)の一つである。通説では白雉(650年〜654年)の別称、美称であるとされている(坂本太郎等の説)。 『二中歴』等では661年〜683年。また、中世以降の寺社縁起等では672年〜685年の期間を指すものもある。 なお、『続日本紀』神亀元年冬十月条(724年)に「白鳳より以来、朱雀以前、年代玄遠にして、尋問明め難し。」といった記事がみられる。.

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百済

済(くだら/ひゃくさい、旧字体:百濟、4世紀前半 - 660年)は、古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。 百済の歴史はその首都の移動によって、大きく漢城期(475年まで)、熊津期(475-538年)、時代(538から)に分類される。漢城期には現在の京畿道を中心としていたが、高句麗の攻撃によって首都漢城が陥落し、一時的に滅亡した後は、現在の忠清南道にあった熊津(現:公州)へと遷って再興した。熊津時代の百済は弱体化していたが、武寧王が高句麗を撃退したことにより次第に国力を回復し、南方の伽耶(加羅)地方へと勢力を拡張した。538年には新たな首都としてを建設し、一層伽耶地方を含む周囲への拡大を図った。百済が存続していた時代には、朝鮮半島北部から満州地方にかけての地域に高句麗、朝鮮半島南東部に新羅、半島南部には多数の伽耶諸国が存在していた。この時代は朝鮮史の枠組みにおいて三国時代と呼ばれている。 中国の東晋や南朝と密接な関係を結び、仏教や各種の南朝文化・学問を導入して栄え、周辺諸国とも交流を持った。現在、百済の歴史は高麗時代に編纂された歴史書『三国史記』や、日本の『日本書紀』、中国の歴代の正史などによって知られており、また墓や寺院跡のような考古学的遺物からも学術的な調査が行われている。宋山里古墳群にある武寧王陵は百済の最も著名な墳墓で、20世紀に未盗掘のまま発見されたため、往時の文化遺産が多数残された。 中国で南北朝時代が終焉を迎え、隋が成立すると隋の高句麗遠征に加わるも逆に高句麗から侵攻されることになり、ついで唐がその支配を握ると、唐は高句麗を制圧するためその背後を抑えるべく百済攻略を企図し、聖王死後の百済と対立していた新羅を支援して百済を攻撃した。これによって660年に百済は滅亡し、王族や遺臣たちは倭国(日本)の支援を受けて百済復興運動を起こしたが、663年の白村江の戦いにおける敗戦とともに鎮圧された。その後唐は旧百済領の経営に乗り出したが、本国における問題と新羅による攻撃の結果、最終的に朝鮮半島から撤退し、百済の故地は新羅に組み入れられた。.

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聖観音

聖観音(しょうかんのん)、梵名アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ (आर्यावलोकितेश्वर) は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。.

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西鉄天神大牟田線

天神大牟田線(てんじんおおむたせん)は、福岡県福岡市中央区天神の西鉄福岡(天神)駅から、同県大牟田市久保田町の大牟田駅までを結ぶ西日本鉄道(西鉄)の鉄道路線である。路線記号は。 2000年12月までは路線名が大牟田線であったことから、本路線のことを「天神大牟田線」ではなく「大牟田線」と呼ぶ利用者が多いなお徳田耕一著書の『まるごと西鉄ぶらり沿線の旅』では徳田は「天神大牟田本線」と記している。。また、かつては路線自体を指して急行電車の愛称が使われていた の中島駅の画像では、同駅は急行通過駅ながら「急行電車のりば」との案内が見られる。。.

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西鉄太宰府線

太宰府線(だざいふせん)は、福岡県筑紫野市の西鉄二日市駅から福岡県太宰府市の太宰府駅までを結ぶ西日本鉄道(西鉄)の鉄道路線である。路線記号は。 天神大牟田線から分岐して太宰府市内の中心部を通る路線で、沿線は住宅地が広がるとともに高校・大学が多く、また太宰府天満宮や九州国立博物館などの数多くの観光スポットがあり、福岡都市圏内の通勤・通学路線としての役割と、観光地へのアクセスの役割を併せ持つ。.

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西鉄五条駅

西鉄五条駅(にしてつごじょうえき)は、福岡県太宰府市五条二丁目にある西日本鉄道(西鉄)太宰府線の駅である。.

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西日本鉄道

西日本鉄道株式会社(にしにっぽんてつどう、Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.、NNR)は、福岡県を基盤に鉄道路線、バス路線などの路線網を持つ大手私鉄。本社所在地は福岡県福岡市中央区天神一丁目11番17号に所在する福岡ビル。また、西鉄グループの中心となる会社でもある。東証1部上場(証券コード:9031)。略称の西鉄(にしてつ、Nishitetsu)として一般的に知られている。 なお、西日本旅客鉄道(JR西日本)とは関連はないJR西日本は福岡県(山陽新幹線、博多南線)も営業エリアに含めているため、国鉄分割民営化の際は両社の混同が懸念されたことから、西鉄からJR西日本に対して紛らわしい表記をしないことなどを申し入れており、JR西日本もこれを了承している。このためだけではないが、正式社名の読みが西鉄では「にしにっぽん」と称すのに対し、JR西日本では「にしにほん」と称すという相違点がある。。.

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西日本新聞社

株式会社西日本新聞社(にしにっぽんしんぶんしゃ)は、福岡県福岡市に本社を置く新聞社である。 コーポレート・スローガンは「わたしたちの九州」。新聞販売店の愛称は「西日本新聞エリアセンター」。 2012年4月からスタートした子どもから大人まで楽しめる紙面「もの知りタイムズ」のキャラクターの愛称は「わキャッタピー」。.

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馬頭観音

頭観音(平安時代、ボストン美術館所蔵) ハヤグリーヴァの彫像(インド、カジュラーホー) 馬頭観音(ばとうかんのん、हयग्रीव、、ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとるとも言われ、柔和相と憤怒相の二つの相をもつが、日本では柔和相の姿はあまり知られておらず作例も少ない。そのため、通例として憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いが、密教では、憤怒相の姿を区別して馬頭明王とも呼び、『大妙金剛経』に説かれる「八大明王」の一尊にも数える。.

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観音菩薩

白衣観音図(狩野元信・画、ボストン美術館所蔵) 観音菩薩(かんのん ぼさつ、Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。.

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角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

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茨城県

茨城県(いばらきけん)は、日本の県の一つ。関東地方の北東に位置し、東は太平洋に面する。県庁所在地は水戸市。都道府県人口は全国11位、面積は全国24位である。.

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都府楼前駅

都府楼前駅(とふろうまええき)は、福岡県太宰府市通古賀三丁目にある西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線の駅である。.

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阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.

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藤原京

藤原京条坊(拡大してご覧ください) 列柱は実際位置から南30メートルで標示。奥に大極殿跡(樹叢)。 藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。 『日本書紀』には新益京持統天皇6年正月12日(692年2月4日)条。読みを「あらましのみやこ」「あらましきょう」「しんやくのみやこ」「しんやくきょう」などとしている。と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。本項ではこの藤原宮についても述べる。.

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鑑真

鑑真(がんじん、旧字体: 鑑眞、、 688年〈持統天皇2年〉 - 763年6月25日〈天平宝字7年5月6日〉)は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。唐招提寺に安置されている国宝「鑑真和上像.

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重要文化財

建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.

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臨済宗

臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国の禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。 中国禅宗の祖とされる達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目(六祖と呼ばれる)の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638年 - 713年)の弟子の1人である南嶽懐譲(677年 - 744年)から、馬祖道一(709 - 788年、洪州宗)、百丈懐海(749 - 814年)、黄檗希運(? - 850年)と続く法系を嗣いだ唐の臨済義玄(? - 867年)によって創宗された。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。 宋代の大慧宗杲(1089 - 1163年)と曹洞宗の宏智正覚(1091 - 1157年)の論争以来、曹洞宗の「黙照禅」に対して、公案に参究することにより見性しようとする「看話禅」(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。 日本には栄西(1141 - 1215年)以降、中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立した。黄檗宗も元来、中国臨済宗の一派である。歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山・鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められている他、室町文化の形成にも多大な影響を与えた。江戸時代の白隠慧鶴(1686 - 1769年)が中興の祖として知られる。.

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東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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東京芸術大学

1878年(明治11年)伊沢修二は、目賀田種太郎と連名で音楽教育の意見書を文部大臣に提出。1879年(明治12年)、文部省に伊沢修二を御用掛とする音楽取調掛が設立され、日本の音楽教育に関する諸調査等を目的とした。 翌年以降、東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)生や東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)生への音楽教育を行う教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)10月4日に「東京音楽学校」と改称される。1890年5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。 また1893年(明治26年)に、一時東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の附属学校となったが1899年(明治32年)に独立。数回に渡る機構改革を経て「東京藝術大学」開学の2年後(1952年(昭和27年))に閉校した。 Ongakutorishirabekakari.jpg|音楽取調掛(1879年頃) Luther Whiting Mason.jpg|お雇い外国人ルーサー・メーソン Teachers of Tokyo music school.jpg|初期の教員(中央左がメーソン) Tokyomusicschool1890Feb.jpg|新設時の東京音楽学校正門(1890年) Sogakudo1926.jpg|東京音楽学校(1926年) Orchestra of Tokyo school of music.jpg|東京音楽学校の教員と学生 Portrait of Mr.

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梵鐘

滋賀・園城寺(三井寺)の「弁慶引き摺り鐘」(奈良時代) 梵鐘(ぼんしょう)は、東アジアの寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)。撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。一般には除夜の鐘で知られる。 「梵」は梵語(サンスクリット)の Brahma (神聖・清浄)を音訳したものである。作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘(高麗鐘・新羅鐘)、和鐘(日本鐘)と呼ばれる。別名に大鐘(おおがね)、洪鐘(おおがね、こうしょう)、蒲牢(ほろう)、鯨鐘(げいしょう)、巨鯨(きょげい)、華鯨(かげい)などがある。 法要など仏事の予鈴として撞(つ)くという、仏教の重要な役割を果たす。朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられる。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされる。こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されている。 青銅製が多いが、小型のものにはまれに鉄製もある。小型のもの(一説には直径1尺7寸以下)は半鐘(喚鐘、殿鐘)といい、高い音で、用途も仏事以外に火事などの警報目的でも使われる。 響きをよくするために鋳造の際、指輪(金)を入れることがあるといわれ、江戸時代には小判を鋳込んだ例もある。雅楽と鐘の関係を記す文献もある。.

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江上栄子

江上 栄子(えがみ えいこ、1935年9月28日 - )は、日本の料理研究家。江上料理学院学院長、一般社団法人全国料理学校協会理事、特定非営利活動法人NPO日本食育インストラクター協会副理事長、東日本料理学校協会名誉会長。 東日本料理学校協会会長などを歴任した。.

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淡交社

淡交ビルヂング(京都市北区) 淡交社(たんこうしゃ)は、京都府京都市北区にある出版社。主に茶道関係、京都関係の書籍を出版している。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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本朝世紀

『本朝世紀』(ほんちょうせいき)は、平安時代末期に編纂された歴史書。 『六国史』の後を継ぐ史書として、鳥羽上皇の命により、信西(藤原通憲)が編纂。成立は1150年-1159年。『史官記』『外記日記』ともいわれる。全20巻。 『日本三代実録』に続くもので、宇多天皇の877年以降、近衛天皇(在位1141年-1155年)までを扱う。諸家の日記・系図を原文のまま時代順に整頓したものであった。信西が平治の乱(1159年)で死亡したため、未定稿に終わったうえ、多くが散逸している。現存しているのは935年~1153年のうち一部であるが、同時代の歴史・世相風俗を伝える好史料である。さらに未完とはいえ『六国史』以後のまとまった史書として、かつ現在残り少ない宮府の記録の遺文として高い価値を持つ。.

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戒壇院

戒壇院(かいだんいん)は、福岡県太宰府市にある臨済宗の寺院。奈良時代において、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも称される。 古くは観世音寺の一部であった。西戒壇(さいかいだん)として、中央戒壇(奈良の東大寺)・東戒壇(栃木の下野薬師寺)とともに「天下三戒壇」の1つである。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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海鳥社

有限会社海鳥社(かいちょうしゃ)は、福岡県福岡市博多区に所在する日本の出版社。1985年(昭和60年)に葦書房の社員であった西俊明と別府大悟が中心となって設立した。 社名は作家の上野英信に「朝鮮半島から九州・沖縄を結ぶ 巨大な<文化弧>のカナメとなれ」という言葉をもらったことに由来する。おもに地元・福岡および九州各地に関する歴史(郷土史)、文化、文学(郷土文学)、教育、自然環境、地元著名人のエッセイ集、写真集、観光ガイド本など、幅広いジャンルの書籍の出版を手がけている。双書(シリーズ)として「海鳥社ブックス」、また雑誌「海路」を刊行している。 『加藤典洋の発言』シリーズをはじめとして、竹田青嗣、内田樹、橋爪大三郎といった著名な評論家などの著作を刊行している。.

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文化財保護法

文化財保護法(ぶんかざいほごほう、昭和25年5月30日法律第214号)は、文化財の保存・活用と、国民の文化的向上を目的とする、日本の法律である。 有形、無形の文化財を分類。その重要性を考慮して、国の場合は文部科学大臣または文化庁長官、都道府県の場合は都道府県知事、市町村の場合は市町村長による指定、選択、選定、認定あるいは登録により、文化財の保護のための経費の一部を公費で負担することができる。.

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斉明天皇

皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して斉明天皇(さいめいてんのう;齊明天皇、推古天皇2年(594年) - 斉明天皇7年7月24日(661年8月24日))は、日本の第35代・第37代天皇。 在位期間は、皇極天皇として皇極天皇元年1月15日(642年2月19日) - 4年6月14日(645年7月12日)、斉明天皇として斉明天皇元年1月3日(655年2月14日) - 7年7月24日(661年8月24日)。 舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母である。推古天皇から一代おいて即位した女帝(女性天皇)になる。.

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1143年

記載なし。

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661年

記載なし。

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663年

記載なし。

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683年

記載なし。

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746年

記載なし。

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7世紀

ブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。 ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。.

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905年

記載なし。

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清水山観世音寺筑紫観世音寺

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