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観世元滋

索引 観世元滋

観世 元滋(かんぜ もとしげ、1895年(明治28年)12月18日 - 1939年(昭和14年)3月21日)は、戦前のシテ方観世流能楽師。二十四世観世宗家。初名清久、後に元滋、そして観世宗家の通り名であった観世左近に改名。号は光雪(雪号参照)。混乱していた観世流の統一と発展に努め、当時の能楽界の指導者と目された能・狂言事典、前西芳雄の解説より。.

92 関係: お茶屋卒都婆小町大谷光尊大野徳孝大正天皇宝生九郎知栄小林静雄岩波書店川崎九淵上方舞丸岡桂三宅襄平凡社京都所司代井上流井筒 (能)仁保亀松式三番伝書徳川家達俊徳丸修羅能ビリヤード切能八島 (能)剣道羽田昶羽衣 (能)片山博通片山九郎右衛門片山幽雪片山晋三狩猟相撲花筐西野春雄西本願寺観世左近観世元義観世元正観世紅雪観世華雪観世清孝観世清廉観世流香西精高砂 (能)高等小学校鬘能...能勢朝次能楽師藤代禎輔脇能野上豊一郎野々村戒三釣り自然居士 (能)雪号東京音楽学校 (旧制)松風 (能)梅小路定行梅若実 (初世)梅若万三郎 (初世)梅若六郎 (54世)梅若流檜書店池内信嘉河出書房新社法主戦前景清12月18日1895年1907年1908年1911年1913年1914年1916年1917年1920年1921年1925年1927年1929年1931年1932年1934年1936年1939年3月21日 インデックスを展開 (42 もっと) »

お茶屋

お茶屋(おちゃや)とは、今日では京都などにおいて花街で芸妓を呼んで客に飲食をさせる店のこと。東京のかつての待合に相当する業態である。.

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卒都婆小町

卒都婆小町(そとばこまち)は能楽作品。金剛流では卒塔婆小町と書き、また「そとわこまち」(観世流)、「そとわごまち」(喜多流)ともいう。観阿弥作。小野小町を主人公とする「小町物」の代表的作品である。七小町の一曲。 乞食の老女が卒塔婆に腰掛けているのを、高野山の僧が見咎め、説教を始めるが、逆に法論でやり込められる。驚いた僧が彼女の名を聞けば、かつては才色兼備を謳われた小野小町の成れの果てだという。彼女は自らの来し方を語り始めるが、彼女にあこがれて通いつめながらついに願いを果たせなかった四位の少将の霊にとりつかれ、苦しめられる。 Category:能の演目 Category:京都市を舞台とした作品 Category:平安時代を舞台とした作品 Category:実在の作家を題材とした作品.

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大谷光尊

大谷 光尊(おおたにこうそん、嘉永3年2月4日(1850年3月7日)- 明治36年(1903年)1月18日)は、幕末から明治時代前期までの浄土真宗の僧侶。西本願寺21世門主。父は西本願寺20世広如。伯爵。諱は光尊。法名は明如上人。院号は信知院。 裏方は徳如(光威)長女、枝子(しげこ:大谷光勝養女)。 実子に大谷光瑞(鏡如)、大谷光明(浄如)、大谷尊由、九条武子、真宗木辺派錦織寺を継いだ木辺孝慈などがいる。.

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大野徳孝

大野 徳孝(おおの のりたか、嘉永4年12月18日(1852年1月9日) - 1931年(昭和6年)2月15日)は戦前日本の教育者。三重県師範学校校長、第三高等学校教授、高知県立第一中学校校長。旧桑名藩士。幼名は滋三郎。王陽明に私淑し、王乗鷹と号した。従四位勲四等。.

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大正天皇

大正天皇(たいしょうてんのう、1879年(明治12年)8月31日 - 1926年(大正15年)12月25日)は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。 明治以降で初の一夫一妻制を採った天皇。.

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宝生九郎知栄

16世 宝生 九郎(16せい ほうしょう くろう、1837年7月10日(天保8年6月8日) - 1917年(大正6年)3月9日)は日本の能楽師。能楽シテ方宝生流16世宗家。本名は知栄(ともはる)。 維新後衰退した能楽界にあってその復興の中心を担い、初世梅若実・桜間伴馬とともに「明治の三名人」と並び称される。また多くの後進を育て、宝生流のみならず、能楽界全体の発展に力を尽くした表・天野(1987)、366~7頁。.

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小林静雄

小林 静雄(こばやし しずお、1909年(明治42年)9月2日 - 1945年(昭和20年)1月24日)は、日本の能楽研究者。研究のみならず能評、さらに新作能の創作など才気にあふれた活動で将来を嘱望されたが能・狂言事典、第二次世界大戦で戦死した。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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川崎九淵

川崎 九淵(かわさき きゅうえん、1874年7月11日 - 1961年1月24日)は能楽大鼓の名手。葛野流宗家代理・宗家預りを歴任し、能楽界初の人間国宝となった。また、理論面においても地拍子の法則性を発見するなどの功績を残した。本名・旧名利吉。.

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上方舞

上方舞(かみがたまい)とは、江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて上方で発生した日本舞踊の一種。着流しに、屏風を立てた座敷で舞う素踊りを基本とする。源流となった御殿舞と、能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をする。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きである。本来、舞台より座敷で舞われることが多いとされていたので座敷舞と呼ばれたり、伴奏に地唄が用いられることから、地唄舞とも呼ばれる。また上方舞のうち、京都で発展した井上流、篠塚流を京舞(きょうまい)と呼ぶ。毎年、11月に東京の国立劇場で行われる「京阪の座敷舞」は、東京で上方舞が観られる数少ない機会であり、最も大規模なものである。.

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丸岡桂

丸岡 桂(まるおか かつら、1878年10月7日 - 1919年2月12日)は、歌人、能楽研究者、能楽書林創業者。.

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三宅襄

三宅 襄(みやけ のぼる、1897年3月3日 - 1965年12月4日)は、日本の能楽研究家・評論家。 島根県生まれ。本名・石田金一。1917年明治薬学専門学校(現明治薬科大学)卒。山内保の診療所で薬剤業務に従事しつつ演劇評論を書く。1932年から『謡曲界』の編集に携わるかたわら、新聞に能評を書く。『観世』『金剛』の編集を担当、観世流大成版謡本の改訂作業に関与。戦後は能楽協会の設立に従事し、理事兼書記長を務め、機関誌『能』を編集、能楽界の世話役であった。1961年紫綬褒章受勲。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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京都所司代

京都所司代(きょうとしょしだい)は、近世の日本において、京都に設置された行政機関である。 1568年(永禄11年)に織田信長が設置したものと、江戸時代に江戸幕府が設置したものがある。.

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井上流

井上流(いのうえりゅう)は、日本舞踊における流派のひとつ。上方舞に分類され、京都で発展したことから「京舞」とも呼ばれる(京舞と呼ばれる分野には、他に篠塚流がある)。.

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井筒 (能)

『井筒』 (いづつ) は、能を代表する曲の一つである。世阿弥作と考えられ、世阿弥自身が申楽談儀でこの曲を「上花也」(最上級の作品である)と自賛するほどの自信作であった。若い女性をシテとした鬘能で、序ノ舞を舞う大小ものである。.

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仁保亀松

仁保 亀松(にほ かめまつ、1868年4月24日(慶応4年4月2日)- 1943年(昭和18年)9月26日)は、日本の法学者。京都帝国大学名誉教授。財団法人立命館初代協議員。日本民法典の成立に寄与。.

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式三番

式三番(しきさんばん)とは、能・狂言とならんで能楽を構成する特殊な芸能の一つ。能楽の演目から転じて、歌舞伎舞踊や日本舞踊にも取入れられているほか、各地の郷土芸能・神事としても保存されており、極めて大きな広がりを持つ芸能である。なお、現代の能楽師たちはこの芸能を、その文化を共有する人たちにだけ通じる言葉、いわゆる符牒として「翁」「神歌」(素謡のとき)と呼んでおり、「式三番」と呼ぶことはほとんど無い。.

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伝書

伝書(でんしょ、傳書)とは、日本の芸道などにおいて芸術や武術の流派の奥義や秘伝を記した写本や本である。 伝書は、今日的に言えば、一種の教科書、マニュアルとも言えるが、その内容は初心者向けや一般向けに書かれたものではない。主にその流派の形の名、口伝、奥義や秘伝を記し、師匠が流派の後継者、あるいは目録、免許を与えた者に限って授けるような書物である。また空手道の糸東流のようにあらたに伝書を作成し伝えることも行なわれる。.

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徳川家達

德川 家達(徳川 家達、とくがわ いえさと、1863年8月24日 - 1940年6月5日)は、徳川宗家の16代当主。もとは田安徳川家の7代当主で、静岡藩の初代藩主。幼名は亀之助といった。号は静岳。位階、勲等、爵位は従一位大勲位公爵。世間からは「十六代様」と呼ばれた。第4代から第8代までの貴族院議長、ワシントン軍縮会議全権大使、1940年東京オリンピックの組織委員会の委員長、第6代日本赤十字社社長、華族会館館長、学習院評議会議長、日米協会会長などを歴任した。大正期には組閣の大命も受けた(拝辞)。.

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俊徳丸

天下無双佐渡七太夫正本『せつきやうしんとく丸』(正保5年3月刊、九兵衛板)挿図 俊徳丸(しゅんとくまる)は、「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)で語られる伝承上の人物。河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の筋で、この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)などが生まれた。説教節『しんとく丸』では信徳丸(しんとくまる)。おなじ説教節『愛護若』(あいごのわか)との共通点も多い。.

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修羅能

修羅能(しゅらのう)とは、能の演目の中で武人がシテになる曲を言う。修羅物とも言う。五番立においては二番目物となる。修羅道に落ちて苦しむさまが語られることからこう呼ばれる。多くは『平家物語』に取材し、源平の武将を主人公とするが、『田村』などの例外もある。 戦いに負けた側がシテである負修羅(まけしゅら)がほとんどであるが、戦いに勝った側をシテとする勝修羅(かちしゅら)もある。.

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ビリヤード

ビリヤード(billiards、cue sports, billiard sports)は、室内で行われるスポーツ競技のひとつ。ビリアード、撞球(どうきゅう)、球撞き・玉突き(たまつき)とも呼ばれる。(語源については疑義あり。ノート:ビリヤードでの議論を参照) -->.

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切能

切能(きりのう)とは、能において鬼・天狗・天神・雷神・龍神などがシテとなる曲。五番立においては最後の五番目に演じられることから、切能または五番目物と呼ばれる。また鬼畜物とも言われる。.

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八島 (能)

能楽における『八島』(やしま)は、「平家物語」に取材した作品。成立は室町時代。作者は世阿弥。複式夢幻能、修羅能の名作といわれる。作品名は世阿弥の「申楽談義」にみえ、『糺河原勧進猿楽記』に寛正5年(1464年)上演の記録があるなど、古くから頻繁に上演されてきた。「平家物語」の巻十一「弓流し」などから取材され、屋島の戦いにおける義経主従の活躍と修羅道におちた武将の苦しみが流麗な文体で描かれている。.

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剣道

剣道(けんどう)は、日本の剣術を競技化した武道。.

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羽田昶

羽田 昶(はた ひさし、1939年10月14日「羽田 昶先生 略歴と業績」『武蔵野日本文学第19号』2010年3月14日、pp.60-61 - )は日本の能楽研究者 2013年02月13日。武蔵野大学客員教授、同能楽資料センター研究員、能楽学会常任委員。2012年第34回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。共著の『能の囃子事』(1990年)で東洋音楽学会田邉尚雄賞を受賞。東京市大森区生まれ。.

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羽衣 (能)

『 羽衣 』(はごろも)は、 能楽 作品のひとつ。室町時代における上演記録は多く、現代まで人気のある演目として上演されている梅原猛、観世清和『能を読む④信光と世阿弥以後』角川学芸出版 2013年pp309-319 。.

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片山博通

三世井上八千代。1927年頃(20歳前後)。 片山 博通(かたやま ひろみち、1907年12月22日 - 1963年3月10日)は、観世流シテ方の能楽師。.

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片山九郎右衛門

片山 九郎右衛門(かたやま くろうえもん)は、シテ方観世流能楽師の片山家の当主が代々名乗る名である。片山家は初代以来現在に至るまで京都で活動し、江戸時代には禁裏御能に出勤するとともに、京阪地方の観世流の統括役でもあり、「観世流の京都所司代」と目された。また京舞井上流との関わりでも知られる。.

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片山幽雪

片山 幽雪(かたやま ゆうせつ、1930年(昭和5年)8月26日 - 2015年(平成27年)1月13日)はシテ方観世流能楽師。京都片山家九世当主(片山家能楽・京舞保存財団理事長)。重要無形文化財保持者(人間国宝)。日本芸術院会員。日本能楽会理事長。本名は片山 博太郎(かたやま ひろたろう)。.

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片山晋三

片山 晋三(かたやま しんぞう、1846年(弘化3年)7月26日 - 1890年(明治23年)12月6日倉田喜弘編『明治の能楽(三)』(国立能楽堂)所引「日出新聞」1890年12月7日記事)は、シテ方観世流能楽師。6世片山九郎右衛門。諱は豊光、また光吉、九郎三郎、一とも名乗る片山(1942)、3頁。幕末から明治期にかけて活躍し、当時の関西を代表する能役者の一人であった。.

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狩猟

イノシシ狩りを描いた絵画 鹿を仕留める源経基を描いた『貞観殿月』(月岡芳年「月百姿」) 狩猟(しゅりょう、英: hunting)とは、野生動物、特に鳥類・哺乳類を捕獲する人間の行為のことである。.

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相撲

隅田川テラスにかかる歌川広重の「相撲の図」の模写 相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。.

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花筐

花筐(はながたみ)は世阿弥作とされる能の一曲。成立は室町時代。 本作中で謡われる「李夫人の曲舞」は観阿弥の作で元々は独立した謡い物だったが本作に取り込まれたとされる新版 能・狂言事典、p.129。また、従者を連れて演じられる狂女物はこの曲のみという。.

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西野春雄

西野 春雄(にしの はるお、1943年-)は日本の文学研究者。法政大学名誉教授、専門は能楽・中世文学。.

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西本願寺

西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある仏教寺院。浄土真宗本願寺派の本山である。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。 西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」である。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されたがその後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した(詳細は後述「歴史」の項参照)。 境内は国の史跡に指定され、「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されている。「本願寺」のローマ字表記は、ヘボン式ローマ字では「Hongan-ji」であり、世界遺産「古都京都の文化財」登録時の英文名称も「Hongan-ji」であるが(参照:)、西本願寺自身は「Hongwan-ji」の綴りを採用しており(参照:)、URLもその綴りを採用している。 本願寺住職が浄土真宗本願寺派の門主となる。.

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観世左近

観世左近は、中世以来近代に至るまで、シテ方観世流宗家の当主がしばしば名乗った名。「左近」「左近大夫」の両形がある。近代以降では24世宗家観世元滋が特に有名。.

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観世元義

観世元義(かんぜ もとよし、1873年 - 1920年1月26日)は、シテ方観世流能楽師。22世宗家で最後の観世大夫・観世清孝の三男で、24世宗家・観世左近(元滋)の実父。7世片山九郎右衛門。初名・寿。号は寿雪(雪号参照)。.

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観世元正

土蜘蛛」。年少のため、直面で演じている 観世元正(かんぜ もとまさ、1930年(昭和5年)7月25日 - 1990年(平成2年)8月26日)は、シテ方観世流能楽師。二十五世観世宗家。観世左近を名乗る。 22世宗家観世清孝の次男・観世真弘の孫として東京で生まれる。旧名は藤田正司。1936年(昭和11年)当時実子に恵まれなかった24世宗家・元滋の養子となり、1939年(昭和14年)元滋の急逝により25世宗家継承。1988年(昭和63年)観世左近を襲名。1990年(平成2年)公演先の福岡で演能後に急逝。観世宗家公認の現行の観世流謡本である『観世流昭和大成版謡本』を刊行するなどの功績があった。また死後、その遺志により財団法人観世文庫が創設されている。 二十六世観世宗家観世清和は長男。山階弥右衛門(観世芳宏改メ)は次男、観世芳伸は三男である。.

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観世紅雪

観世 紅雪(かんぜ こうせつ、1843年(天保14年) - 1911年(明治44年)3月31日)は、シテ方観世流能楽師。 観世銕之丞家の五代目で、名は清永(きよひさ)。四代銕之丞清済の長男、1855年、父が没して翌年家督を継ぎ、1859年元服して銕之丞を襲名。 明治維新で観世宗家は静岡に移った徳川家についていったが、弟源次郎が梅若実の養子だったため当時六郎といった梅若と行動をともにし、明治5年(1872年)、梅若舞台で観世流として数十年ぶりに「道成寺」を披いた。妻は梅若実の姪で、弟が梅若六郎と改名した後、梅若家を離れて観世喜之家の祖となった後も梅若家と行を共にした。明治21年(1888年)、宗家の観世清孝が没した際には、年若の後継者観世清廉の後見役となった。 明治39年(1906年)、演能中に倒れ、明治43年(1910年)、長男織雄に銕之丞の名を譲って紅雪と号した。これが銕之丞家で存命中に雪号を名乗った始まりである。.

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観世華雪

観世 華雪(かんぜ かせつ、1884年11月14日 - 1959年1月6日)は昭和期のシテ方観世流能楽師。観世銕之丞家六世当主、六世観世銕之丞。戦後の観世流を代表する名手であった。 1884年、五世観世銕之丞(後の観世紅雪)の長男として、東京に生れる。初名織雄。弟に後に養子となった七世観世銕之丞(観世雅雪)がいる。1910年、父の隠居をうけて当主名観世銕之丞を襲名。初代梅若実の次女・濱子と結婚し、父のほか、義父および義兄の梅若万三郎、二世梅若実に師事。1921年、梅若流創設の際には義兄二人とともにこれに参加するが、1929年、観世流に復帰。1939年に二十四世宗家観世左近が没した後、流儀の長老として二十五世宗家観世元正の後見役となる。 芸風は温雅で上品なやわらかみがあり、梅若万三郎、橋岡久三郎と並んで観世流の三名人といわれた。1947年、弟銕之丞に家督をゆずって隠居し、華雪の雪号を名乗る。1951年日本芸術院賞受賞。1952年日本芸術院会員。 1959年74歳で没した。戒名諦観院妍誉諍邦華雪居士。墓所は港区三田済海寺にある。.

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観世清孝

観世清孝(かんぜ きよたか、1837年(天保8年) - 1888年(明治21年)2月11日)とは、シテ方観世流能楽師。観世流二十二世宗家。二十一世宗家観世左近清長の子。幼名・鋠之助。通称は三十郎。また維新後、一時的に代々の通り名である観世左近を名乗っている。号は普雪(雪号参照)。幕末〜明治期の宗家であり、「最後の観世大夫」と称される。.

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観世清廉

観世 清廉(かんぜ きよかど、慶応3年(1867年)5月26日 - 明治44年(1911年)7月17日)は、シテ方観世流能楽師。二十三世観世宗家。二十二世宗家・観世清孝の長男。幼名・鋠之助。号は和雪、擔雪(雪号参照)。.

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観世流

観世流(かんぜ-りゅう)は能楽における能の流派の一。シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がある。.

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香西精

香西 精(こうさい つとむ、1902年11月29日 - 1979年1月12日)は、英文学者、能楽研究者。 岡山県倉敷市出身。東京帝国大学文学部英文科卒業、甲南高等学校教授となるが病気のため辞職、1942年米穀会社に入り、兵庫米穀社長・会長。戦前から能楽研究を行い『謡曲界』などに多くの論文を発表。戦後、雑誌『宝生』に「とらうきやう考」を発表した後、表章との交流が始まり、世阿弥研究の基礎となる多くの功績を残した。1963年法政大学能楽研究所顧問。 甲南高校時代の教え子に武智鉄二がいる。長男は元住友化学工業社長の香西昭夫。次男は日本経済研究センター理事長や政府税制調査会会長を務めたエコノミストの香西泰。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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高砂 (能)

『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。古くは『相生』『相生松』と呼ばれた。 ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ歌で謡う『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり『謡曲集 上』224-225ページより引用。』は結婚披露宴の定番の一つである。江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つであった。.

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高等小学校

等小学校(こうとうしょうがっこう)は、明治維新から第二次世界大戦勃発前の時代に存在した、後期初等教育・前期中等教育機関の名称。略称は高等科(こうとうか)や高小(こうしょう)。.

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鬘能

能(かづらのう、かつらのう)とは、能の演目の中で、優美な女性や貴公子、天人などがシテの曲。鬘物とも言う。五番立において三番目物となる。『源氏物語』や『伊勢物語』に取材したものが多い。.

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能勢朝次

能勢 朝次(のせ あさじ、1894年(明治27年)4月1日 - 1955年(昭和30年)2月25日)は、日本の能楽研究者、国文学者。京都府北桑田郡山国村に生まれる。1923年(大正12年)京都帝国大学文学部国文科卒業。1924年(大正13年)大谷大学教授となる。以降、京都帝国大学、東京高等師範学校、東京文理科大学、東京教育大学などで教職につき、1954年(昭和29年)奈良学芸大学学長となった。1947年「能楽源流考」で東京文理科大学文学博士。 中世、近世文学研究を専門とし、とくに能楽研究の分野では膨大な史料を分析的に使う手法と卓抜した創見で斯界に一時代を画した。主著は1938年(昭和13年)に上梓された『能楽源流考』(岩波書店)。「平安時代の猿楽」「鎌倉吉野時代の猿楽」の2篇と附篇の「田楽攷」からなり、能の発生から戦国末期までの能楽史を網羅する。以後、能楽史研究においては、本著の学説をいかに乗り越えるかが目標とさえ言われている。この著書により1940年(昭和15年)、帝国学士院(現・日本学士院)の恩賜賞を受賞する審査要旨については(日本学士院公式サイト)を参照のこと。。 他に岩波で『世阿弥十六部集評釈』上下巻、名著刊行会で『三冊子評釈』などの著書がある。『能勢朝次著作集』全10巻が1981~85年に思文閣出版で刊行された。.

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能楽師

能楽師(のうがくし)は、職業的に能楽を演じる人。.

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藤代禎輔

藤代 禎輔(ふじしろ ていすけ、慶応4年7月24日(1868年9月10日) - 昭和2年(1927年)4月18日)は、ドイツ文学者、京都帝国大学教授。.

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脇能

脇能(わきのう)とは、能楽における神をシテとする曲。正式には翁の次に演じられ、翁の脇と言う意味から脇能または脇能物と言う。五番立においては初めに演じられることから初番目物や一番目物と言われる。多くは天下の太平を寿ぐ、目出度い内容である。 使用する扇は神扇(かみおうぎ)と言われ、白骨に妻紅。.

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野上豊一郎

野上豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。臼川(きゅうせん)と号する。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。.

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野々村戒三

野々村 戒三(ののむら かいぞう、1877年(明治10年)9月7日 - 1973年(昭和48年)11月21日)は、日本の歴史学者、能楽研究者。号は蘆舟、芥叟。クリスチャン。 大分県生まれ。父・卓二は塩谷宕陰の門人で、母は三浦梅園の玄孫に当たる。 1901年(明治34年)東京帝国大学文学部史学科卒業。専攻は西洋中世史。 立教中学校の教員として勤めていた頃、校長の元田作之進の依頼で自宅を謡の稽古場として貸すこととなり、その稽古場の師匠が池内信嘉だったことから、能との関わりを持つこととなる。 以後明治学院・青山学院の教師を経て、1911年(明治44年)第三高等学校の教授に就く。折しも1909年(明治42年)に池内、吉田東伍により『世阿弥十六部集』が刊行され、能楽研究がその緒に就いた時期であり、野々村も能楽史の研究に従事するようになる。 1916年(大正5年)に関西学院、1920年(大正9年)には早稲田大学の教授に就任。1949年(昭和24年)から1964年(昭和39年)まで立教大学教授。 西洋史学者としての著作には『基督教史の研究』(1920年)、『パウロの研究』(1925年)などのキリスト教史、また南北アメリカ史、イギリス史に関するもの、あるいはギボン『ローマ帝国衰亡史』の翻訳(1929〜31年)などがある。 能楽研究者としては、能楽史に関する文献を多く発見・紹介、これに基づく堅実な研究で多くの功績を残し、特に近世能楽史研究においてはその先駆けと見なされている能・狂言事典、西野春雄による解説。観世流の現行謡本である「観世流大成版謡本」の編纂にも携わった。また能評も手がける。 能楽関係の主な著作に、『能楽古今記』(1931年)、『近畿能楽記』(1933年)、『能苑日渉』(1938年)、『能楽史話』(1944年)、『能の今昔』(1967年)などがある。また『謡曲三百五十番集』(1928年)、安藤常次郎との共著『狂言集成』(1931年)、『金春十七部集』(1932年)など基礎史料の刊行も多く行っている。ほか、吉田本を元にした『世阿弥十六部集』(1926年)など。.

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釣り

海釣り 釣り(つり)あるいは魚釣り(さかなつり)とは、釣り針、釣り糸、釣り竿などの道具と餌や疑似餌を使って、魚介類などの生物を採捕する行為、方法のことである。 英語では Angling、あるいは Pole fishing などとされる。.

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自然居士 (能)

『自然居士』 (じねんこじ) は、観阿弥作の能の一曲である。世阿弥の手も入っていると考えられる。仏教の説教者の自然居士が芸尽しによって幼い者を人買いから救う。観阿弥らしい劇的構成が光る能である。.

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雪号

雪号(せつごう)とは能楽シテ方観世流において、隠居後に名のる「雪」字を用いた雅号のこと。主として宗家および分家にしかゆるされず、弟子家の場合には特に流儀に功績のある者もしくは名手の誉れ高い者にかぎられる。.

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東京音楽学校 (旧制)

東京音楽学校(とうきょうおんがくがっこう)は1887年、東京府下谷区に設立された官立(唯一)の音楽専門学校である。.

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松風 (能)

『松風』 (まつかぜ)は能楽作品の一つである。成立は室町時代。観阿弥のオリジナルを世阿弥が改修したと考えられる。須磨に流された貴公子と海人との深交を記した『撰集抄』・『源氏物語』の説話、及び『古今和歌集』の在原行平の歌を元にした秋の曲である。.

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梅小路定行

梅小路 定行(うめこうじ さだゆき、1866年1月3日(慶応元年11月17日『平成新修旧華族家系大成』上巻、253-254頁。)- 1942年(昭和17年)3月26日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』37頁。)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・栄麿『梅小路家譜』『大日本華族大鑑』126頁。。.

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梅若実 (初世)

五十二世梅若六郎(うめわか ろくろう、文政11年5月26日(1828年7月7日) - 明治42年(1909年)1月19日)とは、観世流シテ方能楽師。明治5年(1872年)以後は初世梅若 実(うめわか みのる)を名乗り、こちらの名でよく知られる。.

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梅若万三郎 (初世)

初世梅若万三郎(しょせい うめわか まんざぶろう、1869年1月3日(明治元年11月21日) - 1946年(昭和21年)6月29日)は、観世流能楽師。.

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梅若六郎 (54世)

五十四世梅若六郎(うめわか ろくろう、1878年(明治11年)4月28日 - 1959年(昭和34年)8月16日)とは、観世流シテ方能楽師。二世梅若実。 東京生まれ。初世梅若実の二男。兄に初世梅若万三郎。義兄・五十三世梅若六郎の準養子となり、梅若六郎家を継承。1948年隠居し、二世梅若実を襲名。浅草厩橋に能楽堂を構えていたが戦災で焼失し、1949年に後援会長の親族の土地(東中野)に移転。1955年日本芸術院会員となる。 長男が五十五世梅若六郎。.

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梅若流

梅若流(うめわかりゅう)とは、大正14(1921)年から昭和29(1954)年まで存在した能楽シテ方の流派。観世流から梅若派の梅若万三郎、二世梅若実、六世観世銕之丞が離脱して創設。昭和29年に能楽協会の斡旋で観世流に復帰している。.

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檜書店

檜書店(ひのきしょてん)は、日本の出版社。観世流大成版謡本や、能楽関連図書などを発行している謡本出版・能楽専門出版社である。.

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池内信嘉

池内信嘉(いけのうち のぶよし、1858(安政5年2月7日)-1934年5月17日)は、能楽研究家。 伊予国松山(愛媛県松山市)出身。高浜虚子の兄。号は如水・如翠。愛媛師範学校卒業、教職に就く。のち養蚕事業を興し、愛媛県会議員を務めた。1902年上京、能楽館を設立して「能楽」を発行。1923年東京音楽学校に能楽囃子科が設置され、同校の嘱託教師となり、のち教授。能楽会理事。.

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河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.

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法主

法主(ほうしゅ/ほっす)とは、仏教においてその教義を護持してその教えの要となるべき人を指し、転じて宗派(宗門)・教団の最高指導者(首長)を指すようになった。.

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戦前

戦前(せんぜん、antebellum、prewar、Vorkriegszeit)とは、ある戦争が始まる前の時代。対義語は戦後。.

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景清

景清(かげきよ)は、日本の男性名である。; 実在人物.

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12月18日

12月18日(じゅうにがつ じゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から352日目(閏年では353日目)にあたり、年末までは、あと13日となる。.

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1895年

記載なし。

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1907年

記載なし。

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1908年

記載なし。

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1911年

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1913年

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1914年

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1916年

記載なし。

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1917年

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1920年

記載なし。

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1921年

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1925年

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1927年

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1929年

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1931年

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1932年

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1934年

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1936年

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1939年

記載なし。

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3月21日

3月21日(さんがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から80日目(閏年では81日目)にあたり、年末まであと285日ある。.

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