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覚源

索引 覚源

覚源(かくげん、長保2年(1000年) - 治暦元年8月18日(1065年9月20日))は、平安時代後期の真言宗の日本の僧。花山天皇の第3皇子。母は不詳だが、一説には平平子(若狭守平祐忠女)とも言われている。法名は覚深とも表記する(『東大寺別当次第』)。宮僧正と呼ばれた。.

32 関係: 天台宗天喜平安時代康平仁海後冷泉天皇出家灌頂真言宗花山天皇醍醐寺長保長元若狭国東大寺東大寺別当次第東寺長者永承治暦法印明観日本1000年1030年1048年1050年1054年1062年1065年8月18日 (旧暦)9月20日

天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

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天喜

天喜(てんぎ)は、日本の元号のひとつで永承の後、康平の前。1053年〜1058年の期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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康平

康平(こうへい)は、日本の元号の一つ。天喜の後、治暦の前。1058年から1064年までの期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.

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仁海

仁海(にんがい、天暦5年(951年) - 永承元年5月16日(1046年6月22日))は、平安時代中期の真言宗の僧。父は宮道惟平。和泉国の出身。小野僧正・雨僧正・雨海僧正とも称される。真言宗小野流の祖。.

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後冷泉天皇

後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう、万寿2年8月3日(1025年8月28日) - 治暦4年4月19日(1068年5月22日))は、日本の第70代天皇(在位:1045年 - 1068年)。後朱雀天皇の第一皇子。母は藤原道長女藤原嬉子(贈皇太后)。諱を親仁(ちかひと)。紫式部の娘大弐三位が乳母である。.

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僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

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出家

出家(しゅっけ、pabbajja、pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。 仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。.

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灌頂

頂(かんじょう, abhiṣeka, abhiṣecana)とは、菩薩が仏になる時、その頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位(くらい)に達したことを証明すること。密教においては、頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことをいう。本項では密教における潅頂について述べる。.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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花山天皇

花山天皇(かざんてんのう/かさんてんのう、安和元年10月26日(968年11月29日) - 寛弘5年2月8日(1008年3月17日)、在位:永観2年10月10日(984年11月5日) - 寛和2年6月23日(986年8月1日))は、日本(平安時代中期)の第65代天皇。諱は師貞(もろさだ)。花山院(かさんいん)や花山法皇とも呼ばれる。 冷泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。三条天皇の異母兄。花山源氏(神祇伯を世襲した伯王家、のち断絶)の祖。.

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醍醐寺

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院、真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。.

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長保

長保(ちょうほう)は、日本の元号の一つ。長徳の後、寛弘の前。999年から1003年までの期間を指す。この時代の天皇は一条天皇。.

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長元

長元(ちょうげん)は、日本の元号の一つ。万寿の後、長暦の前。1028年から1036年までの期間を指す。この時代の天皇は後一条天皇、後朱雀天皇。.

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若狭国

若狭国(わかさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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東大寺別当次第

東大寺別当次第(とうだいじべっとうしだい)とは、東大寺の歴代の別当に関して、その補任年月日・任期・師資関係・事績などが列記された記録。.

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東寺長者

東寺長者(とうじちょうじゃ)は、東寺(教王護国寺)の管理者・長官である僧侶の呼称。真言宗の最高位としての権威を兼ね備えた。正式には単に長者(ちょうじゃ)と呼ばれているが、氏長者と紛らわしいために「東寺長者」と呼ばれることが多い。初代長者は空海。.

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永承

永承(えいしょう)は、日本の元号の一つ。寛徳の後、天喜の前。1046年から1052年までの期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.

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治暦

治暦(じりゃく)は、日本の元号の一つ。康平の後、延久の前。1065年から1068年までの期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇、後三条天皇。.

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法印

法印(dharmoddāna, 音訳: 達磨憂檀那)とは、仏教の特徴をあらわすしるしを意味する。法印とされる3つないし4つの経句は三法印、四法印と呼ばれ、中国仏教で経典の仏説・非仏説を識別する判定規準とみなされた。三法印、四法印を構成する教説は初期仏教から存在するが、法印という用語自体は後代に成立したものであり、漢訳語の初出は5世紀の鳩摩羅什と言われる。法印のパーリ語における対応語は現存資料には見出されない。.

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明観

明觀(みょうかん、天暦7年(953年) - 治安元年10月8日(1021年11月15日))は平安時代中期の真言宗の僧。醍醐天皇の曾孫で佐忠王の子だというが、諸系図類には記載がないため詳細な系図は不明。醍醐寺11世座主。御齋所座主と号す。 醍醐寺の観理・元杲・慶助らに師事して永観2年(984年)4月5日に伝法を受けた。長徳4年(998年)に慶助の後を継いで醍醐寺座主に就任。寛仁2年12月26日(1019年2月3日)座主職を覚源に譲り、治安元年(1021年)10月8日に入寂した。享年69。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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1000年

月曜日から始まる。また、10世紀および1千年紀における最後の年でもある。.

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1030年

記載なし。

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1048年

記載なし。

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1050年

記載なし。

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1054年

記載なし。

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1062年

記載なし。

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1065年

記載なし。

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8月18日 (旧暦)

旧暦8月18日(きゅうれきはちがつじゅうはちにち)は、旧暦8月の18日目である。六曜は先勝である。.

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9月20日

9月20日(くがつはつか、くがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。.

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