135 関係: すさみ町、南富田村、南牟婁郡、古座町、大塔村 (和歌山県)、大都河村、大正、富二橋村、富田川町、富田村 (和歌山県)、富里村 (和歌山県)、岩田村 (和歌山県)、川添村、川添村 (和歌山県)、上富田町、上秋津、上芳養、中芳養、中辺路町、串本町、市ノ瀬 (上富田町)、万呂村、三川村 (和歌山県)、三舞村、三栖村、平成、二川村 (和歌山県)、廃藩置県、佐本村、御附家老、北富田村、北山川、北牟婁郡、周参見町、和歌山県、和深村、元町 (田辺市)、知行、秋津川、秋津町 (田辺市)、稲成町、紀州藩、紀伊大島、紀伊国、紀伊田辺藩、生馬、田並村、田辺市、田辺町 (和歌山県)、町村制、...、熊野川、牟婁町、牟婁郡、白浜町、芳養町、西富田村、角川日本地名大辞典、鮎川村 (和歌山県)、豊原村 (和歌山県)、龍神村、近野村、郡、郡区町村編制法、郡制、藩、長野村 (和歌山県)、東富田村、東牟婁郡、栗栖川村、水野氏、江住村、湊村 (和歌山県西牟婁郡)、潮岬村、朝来村 (和歌山県)、本宮町 (和歌山県)、有田村 (和歌山県)、明治、昭和、新庄町 (田辺市)、日置川町、日置町 (和歌山県)、日高郡 (和歌山県)、旧高旧領取調帳、慶応、10月15日、11月12日、11月22日 (旧暦)、12月15日、1868年、1871年、1872年、1875年、1876年、1878年、1879年、1887年、1889年、1897年、1907年、1923年、1924年、1926年、1929年、1940年、1942年、1950年、1954年、1955年、1956年、1958年、1959年、1964年、1月15日、1月20日、1月24日 (旧暦)、1月2日、2005年、2006年、2月11日、2月17日、2月4日、3月15日、3月1日、3月25日、3月31日、4月1日、5月1日、5月20日、6月30日、7月14日 (旧暦)、7月1日、7月2日、8月29日、9月1日、9月30日。 インデックスを展開 (85 もっと) »
すさみ町
すさみ町(すさみちょう)は、和歌山県西牟婁郡にある町である。 カツオ漁や「ケンケン船」で知られており、近世には熊野地域一帯の中心部となったこともある。.
南富田村
南富田村(みなみとんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町栄・中(南白浜地区)にあたる。.
南牟婁郡
三重県南牟婁郡の範囲(1.紀宝町 2.御浜町) 南牟婁郡(みなみむろぐん)は、三重県の郡である。南牟娄郡と表記される場合もある。 以下の2町を含む。.
古座町
古座町(こざちょう)は和歌山県東牟婁郡にあった町。2005年4月1日、西牟婁郡串本町と合併して新たに東牟婁郡串本町となった。隣接する古座川町は合併から離脱し単独で残った。.
大塔村 (和歌山県)
大塔村(おおとうむら)は、かつて和歌山県西牟婁郡にあった村。 2005年(平成17年)5月1日に田辺市・龍神村・中辺路町・本宮町との新設合併により、現在は田辺市大塔地区となっている。富田川流域の鮎川から日置川上流域の山間部を含む地域で、中辺路町、古座川町などと面していた。大塔山系の約半分がこの地域に含まれるが、過疎化などにより人口が減少しつつあった。 村名の由来は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王が、都から落ちのびる際立ち寄ったという故事からである。.
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大都河村
大都河村(おおつがわむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在のすさみ町の北西部にあたる。.
大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
富二橋村
富二橋村(ふじばしむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の東牟婁郡串本町中心部の北方一帯にあたる。.
富田川町
富田川町(とんだがわちょう)は、和歌山県西牟婁郡にあった町。現在の上富田町の南半にあたる。.
富田村 (和歌山県)
富田村(とんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町の北西部、富田川の河口右岸、国道42号の沿線にあたる。.
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富里村 (和歌山県)
富里村(とみさとむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市の南東部、日置川の上流域にあたる。.
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岩田村 (和歌山県)
岩田村(いわだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の上富田町大字岩田・岡にあたる。.
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川添村
川添村 特記以外の読みは「かわぞえむら」。.
川添村 (和歌山県)
川添村(かわぞえむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町の東端、日置川の中流域および同支流・将軍川の流域にあたる。.
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上富田町
上富田町(かみとんだちょう)は和歌山県西牟婁郡にある町である。.
上秋津
上秋津(かみあきづ)は、和歌山県田辺市の町丁。2014年1月末現在の人口は3,287人。郵便番号は646-0001。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡上秋津村(かみあきづむら)についても記す。.
上芳養
上芳養(かみはや)は、和歌山県田辺市の町丁。2016年4月末現在の人口は1,747人。郵便番号は646-0101。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡上芳養村(かみはやむら)についても記す。.
中芳養
中芳養(なかはや)は、和歌山県田辺市の町丁。2016年4月末現在の人口は1,942人。郵便番号は646-0057。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡中芳養村(なかはやむら)についても記す。.
中辺路町
中辺路町(なかへちちょう)は、かつて和歌山県西牟婁郡にあった町。富田川上流域と日置川の最上流域を含み、北側は奈良県に接して果無山脈の南半分を含む地域であった。熊野古道の主要部分(滝尻-近露-大坂峠)を含む地域でもある。 2005年(平成17年)5月1日に田辺市・龍神村・大塔村・本宮町との合併により、現在は田辺市中辺路町となっている。.
串本町
串本町(くしもとちょう)は、和歌山県東牟婁郡の町。本州最南端の地である。.
市ノ瀬 (上富田町)
市ノ瀬(いちのせ)は、和歌山県西牟婁郡上富田町の大字。2010年10月1日現在の人口は1,756人。郵便番号は649-2107。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡市ノ瀬村(いちのせむら)についても記す。.
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万呂村
万呂村(まろむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市中心部の北東一帯、左会津川の下流域にあたる。.
三川村 (和歌山県)
三川村(みかわむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市の南東端、日置川の中流域にあたる。.
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三舞村
三舞村(みまいむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町の中部、日置川の中流域およびすさみ町大字太間川にあたる。.
三栖村
三栖村(みすむら)は、和歌山県西牟婁郡にかつて存在した村。現在の田辺市中心部の東北東一帯、左会津川の中流域の三栖地区にあたる。.
平成
平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.
二川村 (和歌山県)
二川村(ふたかわむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市中辺路町の中部、富田川の上流域にあたる。.
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廃藩置県
廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.
佐本村
佐本村(さもとむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在のすさみ町佐本各町にあたる。.
御附家老
御附家老(おつけがろう)は、江戸幕府初期、将軍家の連枝を大名として取り立てた際に、特に将軍から直接の命令を受けてその者の家老に附属された家臣のことをいう。江戸時代には、将軍から附けられたことから「御附家老」と呼ばれたが、現在では単に附家老(つけがろう)ということが多い。多い場合は十数人付けられたらしいが、通常はそのうちの筆頭家老を指す。附家老家の中でも徳川御三家の筆頭附家老5家が特に知られている。.
北富田村
北富田村(きたとんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町の北西部、富田川の下流右岸、国道42号の沿線にあたる。.
北山川
北山川(きたやまがわ)は、奈良県南部を流れる新宮川(熊野川)水系の支流。一級河川。大台ヶ原から奈良県・三重県内や和歌山県の飛地を抜け、和歌山県新宮市(熊野川町)で熊野川に合流し熊野灘に注ぐ。.
北牟婁郡
三重県北牟婁郡の範囲(緑:紀北町 薄黄:後に他郡に編入された区域) 北牟婁郡(きたむろぐん)は、三重県の郡。北牟娄郡と表記される場合もある。 以下の1町を含む。.
周参見町
周参見町(すさみちょう)は、和歌山県西牟婁郡にあった町。現在のすさみ町の南西部、紀勢本線・周参見駅の周辺にあたる。本項では町制前の名称である周参見村(すさみむら)についても述べる。.
和歌山県
和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.
和深村
和深村(わぶかむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の東牟婁郡串本町の西端にあたる。.
元町 (田辺市)
元町(もとまち)は、和歌山県田辺市の町丁。2014年1月末現在の人口は29人。郵便番号は646-0053。本項では本町丁の前身にあたる西牟婁郡西ノ谷村(にしのたにむら)についても記す。.
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知行
知行(ちぎょう)とは、日本の中世・近世において、領主が行使した所領支配権を意味する歴史概念。平安時代から「知行」の語が使用され始め、以降、各時代ごとに「知行」の意味する範囲は微妙に変化していった。日本の歴史上の領主はヨーロッパの農奴制における領主のように無制限に所領の土地と人民を私有財産として所有したのではなく、徴税権・支配権にかかわる一定の権利義務の体系を所持した存在であった。この体系が知行であり、日本史における領主階層のあり方を理解する上で、知行の概念の理解は欠かせない。.
秋津川
秋津川(あきづがわ)は、和歌山県田辺市の町丁。2014年1月末現在の人口は721人。郵便番号は646-0102。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡秋津川村(あきづがわむら)についても記す。.
秋津町 (田辺市)
秋津町(あきづちょう)は、和歌山県田辺市の町丁。2014年1月末現在の人口は3,214人。郵便番号は646-0005。本項ではかつて概ね同区域に存在した西牟婁郡下秋津村(しもあきづむら)についても記す。.
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稲成町
成町(いなりちょう)は、和歌山県田辺市の町丁。2014年1月末現在の人口は2,980人。郵便番号は646-0051。本項ではかつて概ね同区域に存在した西牟婁郡稲成村(いなりむら)についても記す。.
紀州藩
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑 和歌山城 紀州藩(きしゅうはん)は、江戸時代に紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県と三重県南部)を治めた藩。紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。 版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山藩(わかやまはん)。藩庁は和歌山城(和歌山県和歌山市)。藩主は紀州徳川家。紀州家は徳川御三家の一つで、石高は55万5千石。紀伊一国37万石のほか、伊勢国内の17万9千石を統括するために松坂城に城代を置いた。その他、大和国に約1千石の所領があった(石高には御附家老の水野家新宮領と安藤家田辺領を含む)。.
紀伊大島
紀伊大島(きいおおしま)は和歌山県東牟婁郡串本町の沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ面積およそ9.68km2、周囲28kmを誇る和歌山県下最大の島である。元来より大島と呼ばれてきたが、全国的に大島の名を持つ土地は数多く、それらとの区別のため「紀伊」を冠し「紀伊大島」と呼ばれる。また、串本大島とも呼ばれる。人口はおよそ2,000人で、和歌山県で唯一の離島振興対策実施地域ともなっていた。1890年には、日本とトルコの友好関係のきっかけとなったエルトゥールル号遭難事件が当島の沖で発生した。.
紀伊国
紀伊国(きいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.
紀伊田辺藩
紀伊田辺藩(きいたなべはん)は、紀州徳川家の御付家老だった安藤氏が治めた藩。代々紀州藩主を補佐し、紀伊国に3万8千石の所領を与えられたが、紀州徳川家の家臣であることから徳川将軍家の陪臣となり、江戸時代を通じて独立した藩としては扱われなかった。藩主が諸侯に列し正式に藩として認められたのは明治維新後のことである。.
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生馬
生馬(いくま)は、和歌山県西牟婁郡上富田町の大字。2010年10月1日現在の人口は1,824人。郵便番号は649-2103。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡生馬村(いくまむら)についても記す。.
田並村
並村(たなみむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の東牟婁郡串本町田並・田並上にあたる。.
田辺市
龍神温泉 湯の峰温泉つぼ湯 田辺市(たなべし)は、近畿地方の南部、和歌山県の中南部に位置する市。 和歌山県南部の中心都市である。熊野古道の中辺路ルート、大辺路ルートの分岐点で、「口熊野」と称される。 近畿の市の中では面積は最大である(全国順位は20位).
田辺町 (和歌山県)
辺町(たなべちょう)は、和歌山県西牟婁郡にあった町。現在の田辺市の中心部にあたる。.
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町村制
村制(ちょうそんせい、明治44年4月7日法律第69号)とは市制とともに大日本帝国憲法下における地方自治に関する基本法である。.
熊野川
谷瀬の吊り橋 新宮市と十津川村の中間地点付近 河口付近(左手三重県・右手和歌山県) 熊野川(くまのがわ)は、奈良県、和歌山県および三重県を流れる新宮川水系の本流で一級河川。下流の熊野本宮大社と熊野速玉大社間の流域は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。 なお、1970年に一級河川の指定を受けた当初は新宮川(しんぐうがわ)であったが、地元では熊野川の呼称が定着しており、変更の要望が多かったため1998年4月9日に法定名称が熊野川と変更された。水系名は新宮川水系のままである。.
牟婁町
牟婁町(むろちょう)は、和歌山県西牟婁郡にあった町。現在の田辺市中心部の北東一帯、旧・田辺市域の北半にあたる。.
牟婁郡
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白浜町
白浜町上空俯瞰。滑走路延長線上の弧を描く白い浜が地名由来の白良浜。 白浜町(しらはまちょう)は、和歌山県西牟婁郡にある町。千葉県などにも白浜という地名が存在することもあり、区別する意味で南紀白浜と呼ばれることもある。古くは奈良時代から、温泉地として有名である。.
芳養町
芳養町(はやちょう)は、和歌山県田辺市の町丁。2016年4月末現在の人口は1,788人。郵便番号は646-0056。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡下芳養村(しもはやむら)についても記す。.
西富田村
西富田村(にしとんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町大字堅田・才野にあたる。一旦は市(田辺市)に編入されながら、のちに町(白浜町)に再編入されたのは、全国でも稀な事例である。.
角川日本地名大辞典
『角川日本地名大辞典』(かどかわにほんちめいだいじてん)は、角川書店の出版による日本の地名辞典である。 著者は「角川日本地名大辞典」編纂委員会で、委員長を務めた竹内理三は本書を制作する目的として「民族遺産としての地名を将来に伝えること」、現代の地名を収録したことについては「現代の社会生活上の必要を満たし、地域の現状を歴史として後世に伝えること」としている(それぞれ本書冒頭の「編纂のことば」より引用)。.
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鮎川村 (和歌山県)
鮎川村(あゆかわむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市鮎川、上富田町大字下鮎川にあたる。.
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豊原村 (和歌山県)
豊原村(とよはらむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市の南東部、日置川支流の前の川・将軍川の流域にあたる。.
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龍神村
龍神村(りゅうじんむら)は、かつて日本の和歌山県日高郡に存在した村。同県の中央東部に位置し、龍神温泉の村として知られていた。2005年(平成17年)5月1日に田辺市、中辺路町、本宮町、大塔村と新設合併して(新)田辺市となったが、田辺市の広域地名として大字に「龍神村○○」の名称を残している。.
近野村
近野村(ちかのむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市中辺路町の東部、日置川の上流域にあたる。.
郡
郡(ぐん)は、行政区画の一種。中国・日本・朝鮮などの漢字文化圏に導入されたものである。 なお、欧米などの行政区画の一部を日本語に翻訳するときに、訳語としてこの語を当てることがある(カウンティも参照)。.
郡区町村編制法
郡区町村編制法(ぐんくちょうそんへんせいほう、明治11年7月22日太政官布告第17号)は、1878年(明治11年)7月22日に制定された、日本の地方制度に関する太政官布告である。.
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郡制
郡制(ぐんせい、明治32年3月16日法律第65号)は、日本における府県と町村との間に位置する郡を地方自治体として定めた制度であり、また、その制度を規定した法律である。明治期から大正期にかけて実施された。最初の法律は、1890年(明治23年)5月17日に公布され(明治23年5月17日法律第36号)、後に全部改正された。.
藩
藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.
長野村 (和歌山県)
長野村(ながのむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市長野・上野・伏菟野にあたる。.
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東富田村
東富田村(ひがしとんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町の北西部、富田川の河口右岸から紀勢本線・椿駅の周辺にかけての区域にあたる。.
東牟婁郡
和歌山県東牟婁郡の位置(1.那智勝浦町 2.太地町 3.古座川町 4.北山村 5.串本町 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域) 東牟婁郡(ひがしむろぐん)は、和歌山県の郡。東牟娄郡と表記される場合もある。 以下の4町1村を含む。.
栗栖川村
栗栖川村(くりすがわむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市中辺路町の西部、富田川の中流域にあたる。.
水野氏
水野氏(みずのし)は、清和源氏を称する日本の氏族。戦国時代には緒川城、刈谷城を中心に尾張国南部の知多半島と三河国西部に領地を広げ、織田氏や徳川氏と同盟を結び最盛期には24万石と称される勢力となった。 宗家のほか、大高水野氏、常滑水野氏などの諸氏があった。宗家は徳川家康の母・伝通院の実家にあたり、江戸時代には徳川氏の外戚家として遇された。『柳営秘鑑』では、岡崎譜代とされる。近世大名家を輩出した一族の一つであり、また江戸時代中期から後期には幕府の老中に人物を輩出し続け、享保の改革や天保の改革に関与するなど、国政を握った。 幕末期においては、下総結城藩、駿河沼津藩、上総鶴牧藩、出羽山形藩の各藩の藩主が水野氏であった。その他、寛文7年(1667年)に改易となった上野安中藩の藩主や紀州藩の附家老であった紀伊新宮城主もこの一族であった。.
江住村
江住村(えすみむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在のすさみ町の南東部、紀勢本線・見老津駅および江住駅の周辺にあたる。.
湊村 (和歌山県西牟婁郡)
湊村(みなとむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の田辺市の中心部、紀勢本線・紀伊田辺駅の北側および南東一帯にあたる。.
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潮岬村
潮岬村(しおのみさきむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の東牟婁郡串本町潮岬・出雲にあたる。.
朝来村 (和歌山県)
朝来村(あっそむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の上富田町南紀の台および大字朝来・岩崎にあたる。.
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本宮町 (和歌山県)
本宮町(ほんぐうちょう)は、和歌山県南部の町。東牟婁郡に属する。 2005年(平成17年)5月1日の市町村合併で、田辺市など4市町村と合併し、新市制の田辺市の一部となった。.
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有田村 (和歌山県)
有田村(ありたむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の東牟婁郡串本町の中部、紀勢本線・紀伊有田駅の周辺にあたる。.
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明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
昭和
昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.
新庄町 (田辺市)
新庄町(しんじょうちょう)は、和歌山県田辺市の町丁。2014年1月末現在の人口は4,899人。郵便番号は646-0011。本項ではかつて概ね同区域に存在した西牟婁郡新庄村(しんじょうむら)についても記す。.
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日置川町
日置川町(ひきがわちょう)は、和歌山県西牟婁郡にあった町で、2006年3月1日に隣接する白浜町と合併した。.
日置町 (和歌山県)
日置町(ひきちょう)は、和歌山県西牟婁郡にあった町。現在の白浜町の南端、日置川の河口域、紀勢本線・紀伊日置駅の周辺にあたる。本項では町制前の名称である日置村(ひきむら)についても述べる。.
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日高郡 (和歌山県)
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旧高旧領取調帳
旧高旧領取調帳(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)とは、明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳である。.
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慶応
慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.
10月15日
10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。.
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11月12日
11月12日(じゅういちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から316日目(閏年では317日目)にあたり、年末まであと49日ある。.
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11月22日 (旧暦)
旧暦11月22日は旧暦11月の22日目である。六曜は友引である。.
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12月15日
12月15日(じゅうにがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から349日目(閏年では350日目)にあたり、年末まであと16日ある。.
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1868年
記載なし。
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1871年
記載なし。
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1872年
記載なし。
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1875年
記載なし。
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1876年
記載なし。
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1878年
記載なし。
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1879年
記載なし。
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1887年
記載なし。
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1889年
記載なし。
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1897年
記載なし。
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1907年
記載なし。
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1923年
記載なし。
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1924年
記載なし。
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1926年
記載なし。
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1929年
記載なし。
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1940年
記載なし。
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1942年
記載なし。
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1950年
記載なし。
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1954年
記載なし。
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1955年
記載なし。
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1956年
記載なし。
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1958年
記載なし。
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1959年
記載なし。
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1964年
記載なし。
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1月15日
1月15日(いちがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から15日目に当たり、年末まであと350日(閏年では351日)ある。誕生花はオンシジューム、白いスミレ、黄色のチューリップ、サンザシ、トゲ。.
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1月20日
1月20日(いちがつはつか、いちがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から20日目に当たり、年末まであと345日(閏年では346日)ある。 西暦年が4で割り切れる年の翌年のこの日、アメリカ合衆国で大統領の就任式が行われる。.
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1月24日 (旧暦)
旧暦1月24日は旧暦1月の24日目である。六曜は赤口である。.
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1月2日
1月2日(いちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から2日目に当たり、年末まであと363日(閏年では364日)ある。誕生花は孟宗竹、または蝋梅。.
2005年
この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.
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2006年
この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.
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2月11日
2月11日(にがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。.
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2月17日
2月17日(にがつじゅうななにち、にがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から48日目にあたり、年末まであと317日(閏年では318日)ある。.
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2月4日
2月4日(にがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から35日目に当たり、年末まであと330日(閏年では331日)ある。.
3月15日
3月15日(さんがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から74日目(閏年では75日目)にあたり、年末まであと291日ある。.
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3月1日
3月1日(さんがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。.
3月25日
3月25日(さんがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から84日目(閏年では85日目)にあたり、年末まであと281日ある。.
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3月31日
3月31日(さんがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から90日目(閏年では91日目)にあたり、年末まであと275日ある。3月の最終日。 日本では前年4月始まりの年度最終日とされている。.
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4月1日
4月1日(しがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から91日目(閏年では92日目)にあたり、年末まであと274日ある。誕生花はカスミソウ、クロッカス。 日本や一部の国では4月1日は会計年度・学校年度の初日である。この日は政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、異動や新入学など大きな変化が起こる日である。.
5月1日
5月1日(ごがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から121日目(閏年では122日目)にあたり、年末まであと244日ある。誕生花はプリムラ・ポリアンサ。.
5月20日
5月20日(ごがつはつか、ごがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から140日目(閏年では141日目)にあたり、年末まではあと225日ある。誕生花はデルフィニウム。.
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6月30日
6月30日(ろくがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から181日目(閏年では182日目)にあたり、年末まであと184日ある。6月の最終日である。誕生花はビヨウヤナギ、ヘリオトロープ。.
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7月14日 (旧暦)
旧暦7月14日(きゅうれきしちがつじゅうよっか)は、旧暦7月の14日目である。六曜は友引である。.
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7月1日
7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.
7月2日
7月2日(しちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から183日目(閏年では184日目)にあたり、年末まではあと182日ある。平年では1年のちょうど真ん中にあたる日である。誕生花はキンギョソウ、カラー。.
8月29日
8月29日(はちがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から241日目(閏年では242日目)にあたり、年末まであと124日ある。.
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9月1日
9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.
9月30日
9月30日(くがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から273日目(閏年では274日目)にあたり、年末まであと92日ある。9月の最終日である。.
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