136 関係: 千島国、場所、場所請負制、大宝律令、大正、大滝村 (北海道)、天領、室蘭郡、安政、寿都郡、寛文、寛政、山越郡、常用漢字、三県一局時代、平成、幌別郡、京極町、庄内藩、廃藩置県、伊達邦成、弘前藩、後志国、後志総合振興局、後志支庁、地方自治法、北海道、北海道 (令制)、北海道の分領支配、北海道一・二級町村制、北海道庁 (1886-1947)、マラリア、ニセコ町、嘉永、喜茂別町、函館市、勇払郡、国道37号、国郡里制、倶知安町、噴火、火砕流、箱館戦争、真狩村、町村制、留寿都村、盛岡藩、白老郡、道東、蝦夷地、...、馬頭観音、角川日本地名大辞典、豊浦町、郡、郡区町村編制法、胆振国、胆振総合振興局、胆振支庁、開拓使、長万部町、陸奥国、虻田町、松前藩、江戸時代、洞爺村、洞爺湖町、渡島国、有珠山、有珠郡、戊辰戦争、明和、明治、昭和、文化 (元号)、文政、慶応、10月11日、10月1日、10月4日、10月5日、11月5日、12月1日、1869年、1871年、1879年、1880年、1882年、1886年、1888年、1897年、1899年、1902年、1906年、1910年、1915年、1916年、1917年、1918年、1920年、1922年、1923年、1925年、1932年、1938年、1940年、1941年、1943年、1946年、1947年、1950年、1952年、1962年、1964年、1月26日、2006年、2010年、2月1日、2月8日、3月14日 (旧暦)、3月1日、3月27日、4月1日、5月1日、5月20日、5月3日、6月1日、7月10日、7月1日、7月23日、8月15日 (旧暦)、8月1日、8月20日、8月20日 (旧暦)、9月1日、9月20日、9月7日 (旧暦)。 インデックスを展開 (86 もっと) »
千島国
千島国(ちしまのくに)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つで、五畿八道のうち北海道 (令制)に含まれた。領域は最初国後島と択捉島のみであったが、後に得撫島以北の千島列島と色丹島が加わった。現在の根室振興局管内の東部にあたる。.
場所
場所(ばしょ).
場所請負制
場所請負制(ばしょうけおいせい)は、江戸時代の松前藩政下における家臣の知行形態である商場(場所)知行制から発生した、蝦夷地特有の流通制度。.
大宝律令
大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。.
大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
大滝村 (北海道)
大滝村(おおたきむら)は、かつて北海道の南西部に位置していた村である。現在は伊達市になっている。村名は、村の名所である三階滝に由来した。 伊達市と合併協議を進めた結果合意に至り、両自治体は2005年3月24日、合併申請書を提出し、2006年3月1日に伊達市へ編入された。壮瞥町を間に挟むため、飛地となる。大滝村区域は、伊達市の地域自治区「大滝区」となった。.
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天領
天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.
室蘭郡
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安政
安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.
寿都郡
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寛文
寛文(かんぶん)は日本の元号の一つ。万治の後、延宝の前。1661年から1673年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇、霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.
寛政
寛政(かんせい)は日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。.
山越郡
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常用漢字
常用漢字(じょうようかんじ)は、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として内閣告示「常用漢字表」で示された現代日本における日本語の漢字。現行の常用漢字表は、2010年(平成22年)11月30日に平成22年内閣告示第2号として告示され、2136字/4388音訓[2352音・2036訓]から成る。 常用漢字表の目的は、漢字使用の目安であって制限ではない一方、日本の学習指導要領では義務教育の国語で読みを習う漢字は常用漢字しか規定がない。日本の主な報道機関は、日本新聞協会が発行する『新聞用語集』(新聞用語懇談会編)に掲載される新聞常用漢字表に基づき、各社で多少手を加えて、漢字使用の基準としている場合が多い。.
三県一局時代
三県一局時代(さんけんいっきょくじだい)とは、北海道の歴史における時代区分のひとつ。 1882年2月8日の開拓使廃止に伴い、函館県(はこだてけん)・札幌県(さっぽろけん)・根室県(ねむろけん)が設置された。また、北海道にはこの3県のほか、北海道事業管理局(農商務省の一部局)が設置されていた。 3県と事業管理局は、1886年1月26日の北海道庁設置に伴って廃止された。.
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平成
平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.
幌別郡
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京極町
京極町(きょうごくちょう)は北海道後志総合振興局管内、羊蹄山(蝦夷富士)の麓にある町。 羊蹄山の湧き水が出るふきだし公園は、同町の観光名所である。 地名の由来は、開拓を率いた旧讃岐丸亀藩主家の京極高徳(後述)。.
庄内藩
庄内藩または荘内藩(しょうないはん)は、江戸時代の日本で、出羽国田川郡庄内(現在の山形県鶴岡市)を本拠地として、現在の庄内地方を知行した藩である。 譜代大名の酒井氏が一貫して統治した。明治時代初頭に大泉藩(おおいずみはん)と改称した。 藩庁は鶴ヶ岡城。枝城として酒田市に亀ヶ崎城を置おいた。支藩に大山藩・松山藩がある。.
廃藩置県
廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.
伊達邦成
伊達 邦成(だて くにしげ、天保12年10月28日(1841年12月10日) - 明治37年(1904年)11月29日)は、仙台藩一門・亘理伊達氏第14代当主。通称は靫負、藤五郎、安房。 戊辰戦争で新政府軍に敗れ、99%以上の知行を取り上げられたため、家臣団と共に北海道開拓に活路を求めた。開拓の功により、賊軍出身ながら勲四等を叙勲され、男爵に叙せられている。 鹿島国足神社祭主。のちにキリスト教徒(日本基督一致教会の信徒)福島恒雄『北海道キリスト教史』日本基督教団出版局、1982年、221頁。となったが、伊達神社および開拓神社の祭神ともなっている。.
弘前藩
弘前藩の拠点であった弘前城 弘前藩(ひろさきはん)は、陸奥国にあった藩である。通称は津軽藩(つがるはん)。弘前改称以前を鷹岡藩(高岡藩)、鷹岡移転以前を堀越藩ともいう。藩主は津軽氏で、家格は柳間詰め外様大名、幕末に家格向上して大広間詰めもある国主に準ずる扱いを受けた。藩庁は 弘前城(青森県弘前市下白銀町)に置いた。.
後志国
後志国(しりべしのくに)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つである。五畿八道のうち北海道 (令制)に含まれた。国名の由来は、阿倍比羅夫が郡領を置いた後方羊蹄(しりべし)の語音にちなみ、後志国を流れる尻別川のアイヌ語「シリ・ペッ」(山の・川)を採り、音訳して後志としたもの。命名者は松浦武四郎。道南から道央にかけての地域に位置し、現在の後志総合振興局管内のうち虻田郡と小樽市銭函4~5丁目相当区域を除いた大部分と、檜山振興局管内のせたな町以北および奥尻島にあたる。.
後志総合振興局
後志総合振興局(虻田郡倶知安町) 後志総合振興局(しりべしそうごうしんこうきょく)は、北海道の総合振興局のひとつ。 振興局所在地は虻田郡倶知安町。檜山振興局、日高振興局と並んで、振興局所在地が「市」でない振興局である。檜山振興局、日高振興局管内に市は存在しないため、市が存在する振興局で振興局所在地が市でないのは後志総合振興局のみである。。 2010年(平成22年)4月1日、後志支庁に代わって発足した。.
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後志支庁
後志支庁(しりべししちょう)は、かつて北海道に存在した支庁のひとつ。支庁名は後志国に由来する。小樽市と19の町村を所管していた。支庁所在地は虻田郡倶知安町。2010年(平成22年)4月1日、後志総合振興局に改組。 衆議院議員総選挙の小選挙区は北海道第4区に属する。.
地方自治法
地方自治法(ちほうじちほう)は、地方自治に関する日本の法律である。.
北海道
北海道(ほっかいどう)は、日本の北部に位置する島。また、同島および付随する島を管轄する地方公共団体(道)である。島としての北海道は日本列島を構成する主要4島の一つである。地方公共団体としての北海道は47都道府県中唯一の「道」で、道庁所在地は札幌市。.
北海道 (令制)
明治時代の日本地図。北海道の令制国も記されている。 北海道(ほっかいどう)は、1869年9月20日(明治2年8月15日)に制定された日本の広域行政区画名である。 それまでの五畿七道に、北海道(令制) を加えたことで五畿八道の一つとなった。 その範囲は、北海道本島(江戸時代までは蝦夷地・北州・十州島などと呼ばれた)とその付随する島々を含んだ。(#行政区画) この名が制定されたのは、戊辰戦争(箱館戦争)終結直後であり、また、箱館府(箱館奉行の後身)を置き換えるように開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である)を設置した年であった。この開拓使の開拓判官であった松浦武四郎の『北海道々国郡名撰定上書』をもとに命名された。 松浦のこの書から、北海道という名は、7世紀後半成立の律令制下の五畿七道における東海道、西海道、南海道などを踏襲し、命名されたものである。 なお、明治維新後の近代行政区画としての北海道については北海道の項を、近代行政機関については三県一局時代および北海道庁 (1886-1947)、北海道庁の項目を参照。.
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北海道の分領支配
北海道の分領支配(ほっかいどうのぶんりょうしはい)は、明治2年(1869年)7月から明治4年(1871年)8月まで、開拓使が管轄する北海道を諸藩、士族、庶民の志願者に分割して支配させた体制のことである。.
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北海道一・二級町村制
北海道一級町村制(ほっかいどういっきゅうちょうそんせい、昭和2年8月27日勅令第269号)、北海道二級町村制(ほっかいどうにきゅうちょうそんせい、昭和2年8月27日勅令第270号)とは、町村制に関連した大日本帝国憲法下における地方自治に関する法律である。本項では二級町村制を継承した指定町村(していちょうそん)についても述べる。.
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北海道庁 (1886-1947)
旧本庁舎(赤レンガ)(2009年10月撮影) 明治期の北海道庁舎 北海道庁(ほっかいどうちょう)は、1947年まで存在した、内務省直轄の行政区画北海道を管轄する地方行政官庁である。.
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マラリア
マラリア(麻剌利亜、「悪い空気」という意味の古いイタリア語: mal aria 、Malaria、malaria)は、熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染症。高熱や頭痛、吐き気などの症状を呈する。悪性の場合は脳マラリアによる意識障害や腎不全などを起こし死亡する。古典などで出てくる瘧(おこり)とは、大抵このマラリアを指していた。 マラリアは予防可能、治療可能な病気である。全世界ではマラリアに年間2.16億人が感染し、うち44.5万人が死亡している(2016年)。.
ニセコ町
ニセコ町(ニセコちょう)は、北海道虻田郡にある町。.
嘉永
嘉永(かえい)は日本の元号の一つ。弘化の後、安政の前。1848年から1855年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。.
喜茂別町
喜茂別町より望む尻別岳 喜茂別町(きもべつちょう)は、北海道後志総合振興局管内にある町である。虻田郡に属す。.
函館市
函館市(はこだてし)は、北海道にある市である。渡島総合振興局所在地。札幌市、旭川市に次ぐ北海道第三の人口約26万人を有する中核市。.
勇払郡
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国道37号
国道37号(こくどう37ごう)は、北海道山越郡長万部町から北海道室蘭市へ至る一般国道である。全線で道央自動車道と並走する。旧一級国道にしては珍しく、起点が郡部である(他には国道27号終点の京都府船井郡京丹波町や、国道31号起点広島県安芸郡海田町大正交差点の例がある)。また、北海道の旧一級国道の中で唯一全長100キロ未満の国道である。.
国郡里制
国郡里制(こくぐんりせい)とは、古代日本において大宝律令により施行された地方行政・地方官制の方式である。.
倶知安町
倶知安町(くっちゃんちょう)は、北海道虻田郡の町。後志総合振興局所在地。.
噴火
火山噴火 リダウト山の大噴火 噴火(ふんか、)とは、火山からマグマや火山灰などが比較的急速に地表や水中に噴き出すことである。火山活動(かざんかつどう、)の一つで、マグマの性質によって、規模や様式にさまざまなものがある。気象庁では、火口から固形物が水平あるいは垂直距離でおよそ100 - 300mの範囲を越したものを「噴火」として記録することになっている。.
火砕流
火砕流(かさいりゅう、pyroclastic flow、火山砕屑流)とは、火山現象で生じる土砂移動現象のひとつで、特に火山活動に直接由来する「'''火'''山'''砕'''屑物の流れ」で、気体と固体粒子からなる空気よりもやや重い密度流である。「熱雲」、「軽石流」を含めて「高温のマグマの細かい破片が気体と混合して流れ下る現象」の総称。英語では「pyro(火の)-clastic(破片の) flow(流れ)」。.
箱館戦争
永嶌孟斎画 箱館戦争(はこだてせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である。旧幕府軍の蝦夷地での根拠地から五稜郭の戦いとも呼ばれる。この戦いの最中に干支が戊辰から己巳に替わったことから、己巳の役(きしのえき)と呼ばれることもある。.
真狩村
真狩村(まっかりむら)は、北海道後志総合振興局管内にある村である。虻田郡に属する。.
町村制
村制(ちょうそんせい、明治44年4月7日法律第69号)とは市制とともに大日本帝国憲法下における地方自治に関する基本法である。.
留寿都村
留寿都村(るすつむら)は、北海道後志総合振興局管内にある、虻田郡に属する村である。.
盛岡藩
盛岡藩(もりおかはん)は、陸奥国北部(明治以降の陸中国および陸奥国東部)、すなわち現在の岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。一般に南部藩とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は長らく表高10万石であったが、内高はこれより大きく、幕末に表高20万石に高直しされた。 同じ南部氏領の八戸藩、支藩の七戸藩(盛岡新田藩)があるが、八戸藩の詳細を除き、ここにまとめて記述する。.
白老郡
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道東
道東(どうとう)とは、北海道の地域区分の1つであり、同道の東部を指す言葉。.
蝦夷地
蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。.
馬頭観音
頭観音(平安時代、ボストン美術館所蔵) ハヤグリーヴァの彫像(インド、カジュラーホー) 馬頭観音(ばとうかんのん、हयग्रीव、、ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとるとも言われ、柔和相と憤怒相の二つの相をもつが、日本では柔和相の姿はあまり知られておらず作例も少ない。そのため、通例として憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いが、密教では、憤怒相の姿を区別して馬頭明王とも呼び、『大妙金剛経』に説かれる「八大明王」の一尊にも数える。.
角川日本地名大辞典
『角川日本地名大辞典』(かどかわにほんちめいだいじてん)は、角川書店の出版による日本の地名辞典である。 著者は「角川日本地名大辞典」編纂委員会で、委員長を務めた竹内理三は本書を制作する目的として「民族遺産としての地名を将来に伝えること」、現代の地名を収録したことについては「現代の社会生活上の必要を満たし、地域の現状を歴史として後世に伝えること」としている(それぞれ本書冒頭の「編纂のことば」より引用)。.
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豊浦町
豊浦町(とようらちょう)は、北海道胆振総合振興局の西部に位置する町である。.
郡
郡(ぐん)は、行政区画の一種。中国・日本・朝鮮などの漢字文化圏に導入されたものである。 なお、欧米などの行政区画の一部を日本語に翻訳するときに、訳語としてこの語を当てることがある(カウンティも参照)。.
郡区町村編制法
郡区町村編制法(ぐんくちょうそんへんせいほう、明治11年7月22日太政官布告第17号)は、1878年(明治11年)7月22日に制定された、日本の地方制度に関する太政官布告である。.
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胆振国
胆振国(いぶりのくに)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つである。五畿八道のうち北海道 (令制)に含まれた。制定当初は膽振國とも表記された。国名の由来は、斉明天皇のころ阿倍臣が胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷(えみし)たちを饗応したという故事にちなむ。道南から道央にかけての地域に位置し、現在の胆振総合振興局管内の全域、渡島総合振興局管内の長万部町と八雲町のうち旧熊石町を除く部分、後志総合振興局管内の虻田郡、石狩振興局管内の千歳市・恵庭市、上川総合振興局管内の占冠村にあたる。.
胆振総合振興局
胆振総合振興局が入居するむろらん広域センタービル 胆振総合振興局(いぶりそうごうしんこうきょく)は、北海道の振興局。所在地は室蘭市。2010年(平成22年)4月1日、胆振支庁から改組。.
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胆振支庁
胆振支庁(いぶりしちょう)は、かつて北海道に存在した支庁のひとつ。支庁名は胆振国に由来する。人口密度は高知・島根・秋田・岩手の四県より高く、北海道内では石狩支庁に次いで二番目。支庁所在地は室蘭市。2010年(平成22年)4月1日、胆振総合振興局に改組。.
開拓使
開拓使(かいたくし)は、北方開拓のために明治2年(1869年)7月8日から明治15年(1882年)2月8日まで置かれた日本の官庁である。 樺太開拓使が置かれた明治3年(1870年)2月13日から明治4年(1871年)8月7日までは、北海道開拓使と称した。開拓使設置前の北海道行政は箱館府(箱館県)が行なっていた。開拓使の廃止後は札幌県・函館県・根室県が設立された。.
長万部町
長万部町(おしゃまんべちょう)は、北海道渡島総合振興局北部にある町。南北に伸びた町域を擁し、交通の要衝として昭和時代から栄えてきた町である。.
陸奥国
奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.
虻田町
虻田の海岸 虻田町(あぶたちょう)は、北海道南西部、胆振支庁管内虻田郡にあった町。 噴火湾(内浦湾)と洞爺湖に挟まれた場所にある。洞爺湖岸には洞爺湖温泉があり、東の壮瞥町にある有珠山、昭和新山観光の拠点としての役割も担う道内有数の観光地である。 本項では、2006年3月27日の虻田町廃止時点での情報を記載する。.
松前藩
松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。 江戸時代初期の領地は、現在の北海道南西部。渡島半島の和人地に限られた。残る北海道にあたる蝦夷地は、しだいに松前藩が支配を強めて藩領化した。藩と藩士の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった。江戸時代後期からはしばしば幕府に蝦夷地支配をとりあげられた。.
江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
洞爺村
洞爺村(とうやむら)は、北海道胆振支庁の西部に位置し、洞爺湖の北岸に面していた村。.
洞爺湖町
洞爺湖町(とうやこちょう)は、北海道胆振総合振興局にある町。.
渡島国
渡島国(おしまのくに)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つである。北海道 (令制)に含まれた。国名は北海道の旧称あるいは北海道の入り口を指している「渡島(わたりしま)」という言葉、読みは南部津軽の人たちがこの地を「おしま」と呼んだことに由来。道南に位置し、現在の渡島総合振興局管内と檜山振興局管内のそれぞれ南部(東は現在の八雲町のうち旧落部村以南、西は同じく旧熊石町以南)にあたる。.
有珠山
有珠山(うすざん)は、北海道・洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山。山頂は有珠郡壮瞥町にあり、山体は虻田郡洞爺湖町、伊達市にまたがっている。支笏洞爺国立公園内にあり、昭和新山とともに「日本の地質百選」に選定され、周辺地域が洞爺湖有珠山ジオパークとして「日本ジオパーク」「世界ジオパーク」に認定されている。.
有珠郡
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戊辰戦争
戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.
明和
明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.
明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
昭和
昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.
文化 (元号)
文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.
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文政
文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.
慶応
慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.
10月11日
10月11日(じゅうがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から284日目(閏年では285日目)にあたり、年末まであと81日ある。.
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10月1日
10月1日(じゅうがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から274日目(閏年では275日目)にあたり、年末まであと91日ある。.
10月4日
10月4日(じゅうがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から277日目(閏年では278日目)にあたり、年末まであと88日ある。.
10月5日
10月5日(じゅうがついつか)はグレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。.
11月5日
11月5日(じゅういちがついつか)はグレゴリオ暦で年始から309日目(閏年では310日目)にあたり、年末まであと56日ある。.
12月1日
12月1日(じゅうにがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から335日目(閏年では336日目)にあたり、年末まであと30日ある。.
1869年
記載なし。
1871年
記載なし。
1879年
記載なし。
1880年
記載なし。
1882年
記載なし。
1886年
記載なし。
1888年
記載なし。
1897年
記載なし。
1899年
記載なし。
1902年
記載なし。
1906年
記載なし。
1910年
記載なし。
1915年
記載なし。
1916年
記載なし。
1917年
記載なし。
1918年
記載なし。
1920年
記載なし。
1922年
記載なし。
1923年
記載なし。
1925年
記載なし。
1932年
記載なし。
1938年
記載なし。
1940年
記載なし。
1941年
記載なし。
1943年
記載なし。
1946年
記載なし。
1947年
記載なし。
1950年
記載なし。
1952年
この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.
1962年
記載なし。
1964年
記載なし。
1月26日
1月26日(いちがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から26日目に当たり、年末まであと339日(閏年では340日)ある。.
2006年
この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.
2010年
この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.
2月1日
2月1日(にがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から32日目にあたり、年末まであと333日(閏年では334日)ある。.
2月8日
2月8日(にがつようか)はグレゴリオ暦で年始から39日目にあたり、年末まであと326日(閏年では327日)ある。.
3月14日 (旧暦)
旧暦3月14日は旧暦3月の14日目である。六曜は仏滅である。.
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3月1日
3月1日(さんがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。.
3月27日
3月27日(さんがつにじゅうななにち、さんがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から86日目(閏年では87日目)にあたり、年末まであと279日ある。.
4月1日
4月1日(しがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から91日目(閏年では92日目)にあたり、年末まであと274日ある。誕生花はカスミソウ、クロッカス。 日本や一部の国では4月1日は会計年度・学校年度の初日である。この日は政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、異動や新入学など大きな変化が起こる日である。.
5月1日
5月1日(ごがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から121日目(閏年では122日目)にあたり、年末まであと244日ある。誕生花はプリムラ・ポリアンサ。.
5月20日
5月20日(ごがつはつか、ごがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から140日目(閏年では141日目)にあたり、年末まではあと225日ある。誕生花はデルフィニウム。.
5月3日
5月3日(ごがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から123日目(閏年では124日目)にあたり、年末まではあと242日ある。誕生花はミズバショウ。.
6月1日
6月1日(ろくがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から152日目(閏年では153日目)にあたり、年末まであと213日ある。誕生花はマトリカリア、クレマチス。.
7月10日
7月10日(しちがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から191日目(閏年では192日目)にあたり、年末まであと174日ある。誕生花はグロキシニア、マツバボタン。.
7月1日
7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.
7月23日
7月23日(しちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から204日目(閏年では205日目)にあたり、年末まであと161日ある。誕生花はブーゲンビレア、ツリガネソウ。.
8月15日 (旧暦)
旧暦8月15日は旧暦8月の15日目である。六曜は仏滅である。.
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8月1日
8月1日(はちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から213日目(閏年では214日目)にあたり、年末まではあと152日ある。.
8月20日
8月20日(はちがつはつか、はちがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から232日目(閏年では233日目)にあたり、年末まであと133日ある。.
8月20日 (旧暦)
旧暦8月20日(きゅうれきはちがつはつか)は、旧暦8月の20日目である。六曜は先負である。.
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9月1日
9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.
9月20日
9月20日(くがつはつか、くがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。.
9月7日 (旧暦)
旧暦9月7日(きゅうれきくがつなのか)は旧暦9月の7日目である。六曜は先負である。.
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