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蘭学塾

索引 蘭学塾

大坂の蘭学塾・適塾(正式名・適々斎塾) 蘭学塾(らんがくじゅく)は、江戸時代に西洋の学問を学ぶために私塾として広まった学問所。ヨーロッパの学問(蘭学)を初期は主に西洋医学と天文学、後に化学、物理学、西洋建築学等を学ぶ場所として使われ、その後の日本の近代化に大きな役割を果たした。.

41 関係: 大槻玄沢天真楼学問所中華人民共和国征夷大将軍徳川吉宗化学ヨーロッパフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトオランダオランダ商館キリスト教ターヘル・アナトミア出島前野良沢私塾緒方洪庵物理学芝蘭堂鎖国適塾青木昆陽西洋医学解体新書鳴滝塾近代化蘭学蘭学事始蘭学者蘭癖野呂元丈長崎通詞杉田玄白江戸幕府江戸時代洋学校洋書日蘭関係慶應義塾大学

大槻玄沢

大槻 玄沢(おおつき げんたく、宝暦7年9月28日(1757年11月9日)- 文政10年3月30日(1827年4月25日))は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。諱は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。出身地の磐井から磐水(ばんすい)と号す。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名である。.

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天真楼

天真楼(てんしんろう)は、杉田玄白の医学・蘭学塾。天真楼塾ともいう。.

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学問所

学問所(がくもんじょ)とは、中世・近世における教育機関の名称の1つ。 元は、個人所有の書斎・書庫の意味で用いられていたが、鎌倉時代以後に学問教授の場所としても用いられるようになった。建保元年(1213年)に鎌倉幕府将軍源実朝の学問所の警備と学友を兼ねた学問所番18名(6名ずつ3番)が設置され、北条泰時・安達景盛・島津忠久らが任じられている(『吾妻鏡』)。書院造が成立すると、書斎・書庫などの書室を特に学問所と呼称した。 江戸時代には、江戸幕府が設置した昌平坂学問所の略称として知られた他、江戸幕府が設置した学校や諸藩の藩校の中にもこの名称が採用されるものがあった。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん 旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。 飛鳥時代・奈良時代以来、東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職は、鎮東将軍・持節征夷将軍・持節征東大使・持節征東将軍・征東大将軍などさまざまにあったが、奈良末期に大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍に任命された。征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などの役職が置かれた。 大伴弟麻呂の次の坂上田村麻呂は阿弖流為を降して勇名を馳せたが、次の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた後は途絶えた。平安中期に藤原忠文が、平安末期には源義仲が征東大将軍に任じられたが、もはや蝦夷征討を目的としたものではなかった。なお、後述のとおり、義仲が任命されたのは征東大将軍であり、従来考えられていた征夷大将軍ではなかったことが明らかにされている。 平氏政権・奥州藤原氏を滅ぼして武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。.

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徳川吉宗

徳川 吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。初代将軍・徳川家康は曾祖父に当たる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。第7代将軍・徳川家継の死により秀忠の血をひく徳川将軍家の男系男子が途絶えると、6代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身では初の養子として宗家を相続し、江戸幕府の第8代将軍に就任した。紀州藩主時代の藩政を幕政に反映させ、将軍家宣時代の正徳の治を改める幕政改革を実施。幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を実行した。徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として権力を維持し、財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれた。 この幕府改革で破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれる。年貢率を引き上げるなど農民を苦しめた上で成り立った改革だったため、百姓一揆の頻発を招いた。また、庶民にも倹約を強いたため、景気は悪化し、文化は停滞した。.

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化学

化学(かがく、英語:chemistry、羅語:chemia ケーミア)とは、さまざまな物質の構造・性質および物質相互の反応を研究する、自然科学の一部門である。言い換えると、物質が、何から、どのような構造で出来ているか、どんな特徴や性質を持っているか、そして相互作用や反応によってどのように別なものに変化するか、を研究する岩波理化学辞典 (1994) 、p207、【化学】。 すべての--> 日本語では同音異義の「科学」(science)との混同を避けるため、化学を湯桶読みして「ばけがく」と呼ぶこともある。.

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ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796年2月17日 - 1866年10月18日)は、ドイツの医師・博物学者。標準ドイツ語での発音は「ズィーボルト」だが、日本では「シーボルト」で知られている。出島の三学者の一人。.

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オランダ

ランダ(Nederland 、; Nederlân; Hulanda)は、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。東はドイツ、南はベルギーおよびルクセンブルクと国境を接し、北と西は北海に面する。ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。憲法上の首都はアムステルダム(事実上の首都はデン・ハーグ)。 カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成している。他、カリブ海に海外特別自治領としてボネール島、シント・ユースタティウス島、サバ島(BES諸島)がある。.

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オランダ商館

ランダ商館(オランダしょうかん)は、オランダ東インド会社によって設けられた貿易の拠点。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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ターヘル・アナトミア

『ターヘル・アナトミア』はドイツ人医師クルムスの解剖学書のオランダ語訳書。『解体新書』の最も重要な底本である。.

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出島

出島(でじま)は、1634年江戸幕府の政策の一環として長崎に築造された人工島である。扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。1636年から1639年まで対ポルトガル貿易、1641年から1859年までオランダ東インド株式会社(AVOCアムステルダムに本部のあるVereenigde Oostindische Compagnie)を通して対オランダ貿易が行われた。出島全体は大正11年(1922年)10月12日、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されている。 現在は、高度経済成長期以降の埋め立て工事とビル建設により、出島の周囲は全て陸地になっている。.

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前野良沢

前野 良沢(まえの りょうたく、享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))は、豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者のち江戸幕府の幕臣。『解体新書』の主幹翻訳者。良沢は通称で、姓に源を用いることもあった。名は熹(よみす)で、「余実寿」「Jomis」と自著することもある。字は子悦、号は楽山、のちに前野蘭化。.

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私塾

私塾(しじゅく)とは、中国や江戸時代の日本における民間(秀才及び元長官などが先生となった)の教育機関である。 科挙の受験などの学習の面倒を見て、科挙の合格者や政界人の養成を目指した。三字経や千字文、四書五経を勉強する。.

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緒方洪庵

緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久3年6月10日(1863年7月25日))は、江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。 諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎・華陰と称する。.

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物理学

物理学(ぶつりがく, )は、自然科学の一分野である。自然界に見られる現象には、人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則があると考え、自然界の現象とその性質を、物質とその間に働く相互作用によって理解すること(力学的理解)、および物質をより基本的な要素に還元して理解すること(原子論的理解)を目的とする。化学、生物学、地学などほかの自然科学に比べ数学との親和性が非常に強い。 古代ギリシアの自然学 にその源があり, という言葉も、元々は自然についての一般的な知識の追求を意味しており、天体現象から生物現象までを含む幅広い概念だった。現在の物理現象のみを追求する として自然哲学から独立した意味を持つようになったのは19世紀からである。 物理学の古典的な研究分野は、物体の運動、光と色彩、音響、電気と磁気、熱、波動、天体の諸現象(物理現象)である。.

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芝蘭堂

芝蘭堂(しらんどう)は、江戸時代後期に蘭学者の大槻玄沢(磐水)が江戸で開いた蘭学塾。また玄沢の別号(堂号)でもある。.

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鎖国

鎖国(さこく)とは、江戸幕府が、キリスト教国(スペインとポルトガル)の人の来航、及び日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策であり、ならびに、そこから生まれた日本の孤立状態及び、日本を中心とした経済圏を指す。幕末に「開国」を主導した井伊直弼は、「鎖国」のことを閉洋之御法とも呼んでおり、籠城と同じようなものだと見做していた『』 P.183 小林庄次郎 1915年。 対外関係は朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」(正規の外交)、中国(明朝と清朝)当初は倭寇対策として「海禁」政策を採る明・清政府の正式な交流許可はなく、福建省をはじめとする南方中国の商人の私貿易であった。1684年に康煕帝により海禁が解除された後は寧波商人の貿易船が日本との交易を行うようになる。及びオランダネーデルラント連邦共和国、但し国際法上その独立をヨーロッパ諸国に承認されたのは、1648年のヴェストファーレン条約においてであった。さらにフランス革命戦争で本国がフランスに占拠され、1795年その衛星国バタヴィア共和国となり、併合を経て再独立したのは1815年であった。(オランダ東インド会社本国がバタヴィア共和国となっても、アメリカ合衆国の商船を雇用し、オランダの国旗を掲げて通商を行なっていた。なお、東インド会社自体は1799年に解散させられている)との間の通商関係に限定されていた。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。 一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。しかし、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降で、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。 なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた清は1684年に海禁を解いているが、その後も長崎貿易に類似した管理貿易制度を維持した(広東システム)。。.

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適塾

適塾(てきじゅく)は、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来である。幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、現在の大阪大学医学部および慶應義塾大学の源流の一つとされている。.

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青木昆陽

青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日(1698年6月19日) - 明和6年10月12日(1769年11月9日))は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。サツマイモの普及を図り、甘藷先生と呼ばれる。名は敦書(あつのり、あつぶみ)、字は厚甫(原甫とも)、通称は文蔵、昆陽と号した。.

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西洋医学

西洋医学(せいよういがく)は、欧米において発展した医学を指す用語である。明治初期から、欧米医学を指す言葉として用いられた 『しにか』8巻11号。正式な医学用語ではなく、俗語であり、文脈によって意味が異なる。 ヨーロッパ、アラビア(西洋)には、中国医学(東洋医学)とは異なる概念・理論・治療体系をもつ伝統医学(ギリシャ・アラビア医学、ユナニ医学)がある。これは古代ギリシャに始まり、四体液説・プネウマ論など基礎とするもので、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)・中国医学と同じように全体観(ホーリズム)の医学である。各地の伝統医学は交流しながら発展した。西洋医学は、古代から現代までの西洋の医学を指す場合もあるが、ルネサンスに端を発し、その後自然科学と結合し19世紀後半に発展した近代医学または現代医学(正式名称は医学)を指すことが多い。 欧米では、医学を応用科学に含めるのが一般的である。.

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解体新書

『解体新書』(かいたいしんしょ、解體新書)は、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書"Anatomische Tabellen"のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書。西洋語からの本格的な翻訳書として日本初。著者は前野良沢(翻訳係)と杉田玄白(清書係)。安永3年(1774年)、須原屋市兵衛によって刊行される。本文4巻、付図1巻。内容は漢文で書かれている。 適塾所蔵『解体新書』。扉絵は底本『ターヘル・アナトミア』の扉絵とはまったく異なっている。.

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鳴滝塾

ーボルト宅跡 鳴滝塾(なるたきじゅく)は、文政7年(1824年)に、シーボルトが長崎郊外に設けた私塾。診療所も兼ねていた。 木造2階建てで、書庫などがあり、庭には日本各地でシーボルトが採取した薬草類が栽培された。シーボルトは出島から塾まで通い、西洋医学や自然科学など科学の幅広い分野を教授した。鳴滝塾で学んだのは、高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、戸塚静海など50人以上に及ぶ。 私塾の跡地は現在の長崎市鳴滝にあり、1922年(大正11年)10月12日に、シーボルト宅跡の名称で国の史跡に指定された。跡地に隣接して1989年(平成元年)に長崎市によりシーボルト記念館が開館された。 鳴瀧という地名は、第24代長崎奉行の牛込忠左衛門勝登が、京都の鳴瀧にあやかって名付けた。.

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近代化

近代化(きんだいか)とは、社会を近代的な状態に変えること。即ち、政治・経済が、国民国家と産業化を特徴とする形態に変えることである。.

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蘭学

蘭学(らんがく)は、江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきたヨーロッパの学術・文化・技術の総称。幕末の開国以後は世界各国と外交関係を築き、オランダ一国に留まらなくなったため、「洋学」(ようがく)の名称が一般的になった。初期は蛮学(「南蛮学」の意)、中期を「蘭学」、後期を「洋学」と名称が変わっていった経緯がある。.

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蘭学事始

『蘭学事始』(らんがくことはじめ)は、文化12年(1815年)、83歳の杉田玄白が蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記。 上下2編。.

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蘭学者

杉田玄白 / 蘭学の開拓者の一人で天真楼で後発蘭学者の教育も手がけた。 蘭学者(らんがくしゃ)は、日本において蘭学、すなわちオランダ語を通じて輸入された西洋の学問文化を修め研究した人のことである。.

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蘭癖

蘭癖(らんぺき)は江戸時代、蘭学に傾注したり、オランダ式(或は西洋式)の習俗を憧憬・模倣したりするような人を指した呼び名である。.

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野呂元丈

野呂 元丈(のろ げんじょう、元禄6年12月20日(1694年1月15日) - 宝暦11年7月6日(1761年8月6日))は、江戸時代中期の本草学者。日本における蘭学の先駆者とされる。本姓は高橋、名は実夫。通称は源次。連山と号す。野呂三省の養子。.

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長崎

長崎(ながさき).

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通詞

通詞(つうじ)とは、江戸幕府の世襲役人で公式の通訳者のことである。ポルトガルとの南蛮貿易の際の通訳に始まり、オランダ貿易や中国貿易などを担当した。漢字は通事、通辞、通弁などとも書き、出島役人などとも言う。 蘭学などが彼らによって日本に入ってきたように、西洋文化受容の受け皿となっていた。 文化5年(1808年)のイギリスのフェートン号事件や嘉永6年(1853年)のロシアのプチャーチンの来航など、諸外国が日本との国交を求めるようになると、通詞たちはイギリス語やロシア語の習得を命じられるようになった。.

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杉田玄白

杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日(1733年10月20日)文化14年4月17日(1817年6月1日))は、江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催。 父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。 杉田氏は近江源氏である佐々木氏の支族である真野氏の家系。後北条氏に仕えた真野信安のときに間宮姓に改め、子の長安の代に復姓。医家としては、玄白で3代目にあたる。同時代に活躍し、間宮海峡にその名を残す探検家である間宮林蔵は同族である。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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洋学校

洋学校(ようがっこう)は、幕末から明治にかけて存在した、西洋の学問を学ぶ学校。.

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洋書

洋書(ようしょ)とは、主に西洋(欧米)で出版された本や、英語・フランス語・ドイツ語などヨーロッパの言語で書かれた本のことである。これ以外にもヒンディー語・アラビア語など、アジアやアフリカの言葉で書かれたものも含まれることがあり、広義には「日本以外の地域で出版された本」あるいは「日本語以外の言語で書かれた本」のことを指す場合がある。ただし中国語・朝鮮語については一定でなく、和書とすることも少なくない。 ようしよ.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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日蘭関係

日蘭関係(にちらんかんけい、Japans-Nederlandse betrekkingen、Japan–Netherlands relations)では、日本とオランダの関係について解説する。.

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慶應義塾大学

記載なし。

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