84 関係: 参議、叙爵、吉川弘文館、官位、宇多天皇、安倍氏、寛平、少納言、崩御、中務省、中納言、平安時代、享年、仁和、延喜、延長 (元号)、式明親王、従三位、従五位、従四位、保明親王、刑部省、和琴、内宴、公卿、公卿補任、元慶、光孝天皇、琵琶、百済王勝義、馬寮、貞信公記、近衛府、藤原南家、藤原忠平、藤原諸葛、藤原文範、藤原敦忠、蔵人、醍醐天皇、陽成天皇、正三位、正五位、正四位、清和天皇、木工寮、朱雀天皇、昌泰、昇殿、斉衡、...、承平 (日本)、1月21日 (旧暦)、2月18日、856年、883年、886年、888年、890年、893年、894年、895年、897年、899年、901年、903年、904年、905年、906年、909年、911年、912年、913年、914年、916年、917年、919年、920年、923年、924年、925年、927年、931年、932年、933年。 インデックスを展開 (34 もっと) »
参議
参議(さんぎ)は、日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つである。四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。唐名(漢風名称)は宰相・相公・平章事・諫議大夫。和訓はおほまつりことひと。 宮中の政(朝政)に参議するという意味で、朝政の議政官に位置する。.
叙爵
叙爵(じょしゃく)とは、.
吉川弘文館
吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.
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官位
日本における官位(かんい)は、日本史では人が就く官職と、人の貴賤を表す序列である位階の総称、古代朝鮮史(高句麗・百済・新羅)においては人の貴賤の序列として定められた位のことである。ともに中国の影響を受けたものだが、中国史では官位という言葉は用いない。 官職と位階との相当関係を定めたものを官位相当といい、各官職には相当する位階(品階)に叙位している者を任官する制度を官位制(官位制度、官位相当制)という『日本歴史大事典 1』小学館、2000年(平成12年)、768頁。日本において、官職と位階は律令法(律令制)によって体系的に整備された。位階制度については「位階」の項目を、官職については「日本の官制」を参照のこと。以下、日本における官位制について概説する。.
宇多天皇
宇多天皇(うだてんのう、貞観9年5月5日(867年6月10日) - 承平元年7月19日(931年9月3日))は、日本の第59代天皇(在位:仁和3年8月26日(887年9月17日) - 寛平9年7月3日(897年8月4日))。 諱は定省(さだみ)。後の佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にもあたる(詳細は皇子女の欄参照)。.
安倍氏
安倍氏 (あべし).
寛平
寛平(かんぴょう、かんびょう、かんぺい、かんべい)は、日本の元号の一つ。仁和の後、昌泰の前。889年から898年までの期間を指す。この時代の天皇は宇多天皇、醍醐天皇。.
少納言
少納言(しょうなごん/すないものもうし)は、日本の朝廷の最高機関である太政官の職の一つ。.
崩御
崩御(ほうぎょ)は、天皇、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、君主等の死亡を表す敬語。.
中務省
中務省(なかつかさしょう)は、律令制における八省のひとつ。和名はナカノマツリゴトノツカサ。唐名は中書省など。「中」は禁中の意。.
中納言
中納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。.
平安時代
平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.
享年
享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.
仁和
仁和(にんな)は、日本の元号の一つ。元慶の後、寛平の前。885年から889年までの期間を指す。この時代の天皇は光孝天皇、宇多天皇。.
延喜
延喜(えんぎ)は、日本の元号の一つ。昌泰の後、延長の前。901年から923年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇。 この時代は形式的ながらも天皇親政が行われたが、のちにこれを延喜の治と呼ぶようになり、「天暦の治」とともに理想的な治世として賞賛されるようになった。.
延長 (元号)
延長(えんちょう)は、日本の元号の一つ。延喜の後、承平の前。923年から931年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇、朱雀天皇。.
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式明親王
式明親王(のりあきらしんのう、延喜7年(907年) - 康保3年12月17日(967年1月30日))は、平安時代中期の皇族。醍醐天皇の第六皇子。官位は三品・中務卿。.
従三位
従三位(じゅさんみ)は、位階及び神階における位のひとつ。 正三位の下、正四位(正四位上)の上に位した、律令制下では任参議及び従三位以上の者を公卿といった。贈位の場合、贈従三位とされた。.
従五位
従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.
従四位
従四位(じゅしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正四位の下、正五位の上に位する。贈位の場合、贈従四位という。.
保明親王
保明親王(やすあきらしんのう、延喜3年11月20日(903年12月16日) - 延喜23年3月21日(923年4月14日))は、平安時代の皇族。醍醐天皇の第二皇子でその皇太子となる。母は藤原穏子(藤原基経の娘)。朱雀天皇・村上天皇の同母兄。初名は崇象(むねかた)。諡は文献彦太子。.
刑部省
刑部省(ぎょうぶしょう)は、古代日本の律令制下の八省の一つ、もしくは明治時代の省庁の一つ。.
和琴
和琴(わごん)は、雅楽の国風歌舞でもちいられる日本固有の弦楽器で、日本最古の楽器。大和琴(やまとごと)、東琴(あずまごと)とも。 現在日本でよく知られる箏は大陸からの渡来楽器が基となっており、和琴とは起源や系統が異なる。 なお、和琴の起源は神代紀の「天沼琴」(あめのぬごと)である。「天石窟(あめのいわや)前で天香弓六張をならべ弦を叩いて音を調べた」とある。.
内宴
内宴(ないえん)とは、平安時代に1月下旬に内裏にて行われた宮中の私宴。 中国(唐)の風習に基づいて嵯峨天皇の時代に始められたとされているが、具体的な成立年については大同4年(809年:『類聚国史』)、弘仁3年(812年:『年中行事秘抄』)、同4年(813年:『河海抄』)と諸説に分かれている。当初は特定の期日は無かったが、仁明天皇の時代以降に原則は1月21日、ただし1月22日もしくは23日が“子の日”であれば、その日に開催されることとなった。なお、この日程に開催されることになった背景には一連の新年の儀式が一段落し、天皇がそれらに参加した貴族らを慰労する意味があったと言われている。 当日は天皇が仁寿殿の南面東廂に出御して三献を行った後、文人の詩や内教坊の舞姫の女楽奏舞の披露、後宴と采女や更衣による陪膳を伴う後宴などが実施された。 後一条天皇の長元7年(1034年)を最後に中絶し、その後保元3年(1158年)に信西によって再興されるが、翌年発生した平治の乱で信西政権が崩壊すると、再度中絶して再興されることは無かった。.
公卿
公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を差す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった。.
公卿補任
公卿補任(くぎょうぶにん)は、歴代朝廷の高官の名を列挙した職員録で、日本史の基本史料の1つ。.
元慶
元慶(がんぎょう、げんけい)は、日本の元号の一つ。貞観の後、仁和の前。877年から885年までの期間を指す。この時代の天皇は陽成天皇、光孝天皇。.
光孝天皇
光孝天皇(こうこうてんのう、天長7年(830年) - 仁和3年8月26日(887年9月17日)は、第58代天皇(在位:元慶8年2月23日(884年3月23日) - 仁和3年8月26日(887年9月17日))。諱は時康(ときやす)。 仁明天皇の第三皇子。母は藤原総継の娘、贈皇太后沢子。.
琵琶
琵琶(びわ、, 特に日本のものは )は、東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があり、後者は伝承が廃絶し使われなくなったが、前者は後に中国及び日本においていくつもの種類が生じて発展し、多くは現代も演奏されている。ヴェトナムにはおそらく明代に伝播した四弦十数柱のものが伝承され、ダン・ティ・バと呼ばれる。なお、広義には阮咸(げんかん)や月琴などのリュート属弦楽器も琵琶に含めることもある。 四弦系(曲頚)琵琶は、西アジアのウード、ヨーロッパのリュートと共通の起源を持ち、形もよく似ている。すなわち卵を縦に半分に割ったような形の共鳴胴に棹を付け、糸倉(ヘッド)がほぼ直角に後ろに曲がった形である。五弦系(直頚)琵琶はインド起源とされ、糸倉は曲がらず真っすぐに伸びている。正倉院に唯一の現物である「螺鈿紫檀五絃琵琶」(らでんしたんごげんのびわ、図参照)が保存されている。.
百済王勝義
済王 勝義(くだらのこにきし しょうぎ、宝亀11年(780年) - 斉衡2年(855年)7月)は、平安時代初期の貴族。従四位下・百済王元忠の孫、従五位上・百済王玄風の子。官位は従三位・宮内卿。.
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馬寮
寮(めりょう/うまのつかさ)は、律令制における官司の一つ。唐名では典厩(てんきゅう)。左馬寮(さめりょう/さまりょう)と右馬寮(うめりょう/うまりょう)に分かれていた。.
貞信公記
『貞信公記』(ていしんこうき)は、関白太政大臣藤原忠平の日記。 日記の名称は忠平の諡号「貞信公」に因んだもので、『貞信公御記』ともいう。10世紀前半の政治史を知るうえでの基本史料で、朝廷儀礼や政務に関する記述が多く見られる。 今日現存するのは、忠平28歳の延喜7年(907年)から、忠平薨去前年の天暦2年(948年)までの期間で、途中欠落している部分がある。 忠平が記した日記の原形を伝える詳本は現存せず、現在伝来している『貞信公記』は、忠平の長男である実頼が抄出した抄本である。故に、記述が簡略であるため、他の日記に見られる朝儀の次第や、政務の手続き等の詳細な記述が余り見出せない。また、「私記」という形で実頼の記した註記が附されている。他に特徴として、実頼が日記を抄出する際、多数の暦注記事も抜書きしていることから、原本は具注暦に書かれていたことが分かる。ちなみに、藤原道長の日記である『御堂関白記』も具注暦に書かれている。 現在、本書の写本は、九条元公爵家本(鎌倉時代初期、重要文化財)が天理図書館に、久松本が京都大学に所蔵されている。また、宮内庁書陵部、尊経閣文庫、神宮文庫等にも写本が所蔵されている。また、『西宮記』『北山抄』などの儀式書に本書の逸文が見られる。 刊本は、活字化されたものが『大日本古記録』『続々群書類従』に収められている。また、九条元公爵家本の影印本が、『天理図書館善本叢書』として刊行されている。 Category:平安時代の日記 Category:10世紀の書籍.
近衛府
近衛府(このえふ)は令外官のひとつ。765年に授刀衛を改めて設置された。左近衛府と右近衛府の二つが存在する。唐名は羽林。長は近衛大将(左近衛大将・右近衛大将)である。(左右)衛門府、(左右)兵衛府とあわせて「六衛府」と呼ばれる。別名「おおきちかきまもり」「ちかきまもりのつかさ」と呼ぶ。.
藤原南家
藤原南家(ふじわら なんけ)とは、奈良時代の藤原不比等の長男である藤原武智麻呂に始まる藤原氏の一流。「南家」の称は、武智麻呂の邸宅が弟房前の邸宅に対し南に位置したことに由来する。子孫は、房前を祖とする藤原北家に押されて振るわなかったが、為憲流藤原南家の伊東氏・二階堂氏・相良氏など武家(軍事貴族)の名族を多く輩出した。.
藤原忠平
貞信公(百人一首より) 藤原 忠平(ふじわら の ただひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原基経の四男。 兄・時平の早世後に朝政を司り、延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。朱雀天皇の時に摂政、次いで関白に任じられる。以後、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。兄・時平と対立した菅原道真とは親交を持っていたとされる。平将門は忠平の家人として仕えていた時期もあった。.
藤原諸葛
藤原 諸葛(ふじわら の もろくず/もろかず、天長3年(826年) - 寛平7年6月20日(895年7月16日))は、平安時代前期の公卿。藤原南家、右大臣・藤原三守の孫。侍従・藤原有統の長男。官位は従三位・中納言。.
藤原文範
藤原 文範(ふじわら の ふみのり)は、平安時代中期の公卿。藤原北家、参議・藤原元名の次男。官位は従二位・中納言。.
藤原敦忠
藤原 敦忠(ふじわら の あつただ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。藤原北家、左大臣・藤原時平の三男。官位は従三位・権中納言。三十六歌仙の一人。通称は枇杷中納言・本院中納言。小倉百人一首では権中納言敦忠。.
蔵人
蔵人(くろうど、藏人)は日本の律令制下の令外官の一つ。天皇の秘書的役割を果たした。唐名は侍中(じちゅう)、夕郎(せきろう)、夕拝郎(せきはいろう)。蔵人所は事務を行う場所のことで、内裏校書殿の北部に置かれた。また、蔵人は百官名或いは人名の一つでもあり、この場合は「くらんど」と読む。.
醍醐天皇
醍醐天皇(だいごてんのう、元慶9年1月18日(885年2月6日)- 延長8年9月29日(930年10月23日))は、平安時代の第60代天皇(在位:寛平9年7月13日(897年8月14日)- 延長8年9月22日(930年10月16日))。臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源 維城(みなもと の これざね)といった。のち父の即位とともに皇族に列し親王宣下ののちに敦仁(あつぎみ・あつひと)に改めた。 宇多天皇の第一皇子。母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子。養母は藤原温子(関白太政大臣基経の女)。.
陽成天皇
陽成天皇(ようぜいてんのう、貞観10年12月16日(868年1月2日) - 天暦3年9月29日(949年10月23日))は、平安時代前期の第57代天皇(在位:貞観18年11月29日(876年12月18日) - 元慶8年2月4日(884年3月4日))。諱は貞明(さだあきら)。.
正三位
正三位(しょうさんみ)とは、位階及び神階のひとつ。従二位の下、従三位の上に位する。日本では「おおいみつのくらい」とも読む。.
正五位
正五位(しょうごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。従四位の下、従五位の上に位する。贈位の場合、贈正五位という。.
正四位
正四位(しょうしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。 従三位の下、従四位の上に位する。贈位の場合、贈正四位という。.
清和天皇
清和天皇(せいわてんのう、嘉祥3年3月25日(850年5月10日) - 元慶4年12月4日(881年1月7日))は、平安時代前期の第56代天皇。在位は天安2年11月7日(858年12月15日) - 貞観18年11月29日(876年12月18日)。諱は惟仁(これひと)。後世、武門の棟梁となる清和源氏の祖。 文徳天皇の第四皇子。母は太政大臣・藤原良房の娘、女御・明子。.
木工寮
木工寮(もくりょう)は律令制において宮内省に属する機関。和名はコダクミノツカサ(古多久美乃豆加佐)。 主に造営、および材木採集を掌り各職工を支配する役所である。.
朱雀天皇
朱雀天皇(すざくてんのう、延長元年7月24日(923年9月7日) - 天暦6年8月15日(952年9月6日)、在位:延長8年11月22日(930年12月14日) - 天慶9年4月13日(946年5月16日))は第61代天皇。諱は寛明(ゆたあきら)。 第60代醍醐天皇の第十一皇子。母は藤原基経の娘、中宮藤原穏子。.
昌泰
昌泰(しょうたい)は、日本の元号の一つ。寛平の後、延喜の前。898年から901年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇。.
昇殿
昇殿(しょうでん)とは、平安時代以降の日本の朝廷において、内裏清涼殿の南廂にある殿上の間に昇ることを許すことである。昇殿による身分体系の制度を昇殿制(しょうでんせい)という。 公卿(三位以上および四位を含む参議以上の議政官)は原則的に昇殿が許され、この他に四位以下(参議を除く)の特定の官人および蔵人に、勅許(宣旨)によって昇殿が許された。この勅許は、天皇の代替わりによって効力を失なった。四位以下の昇殿を許された者は殿上人として特権的な待遇を受けたため、位階・官職を補う身分制度として、重要な意味を有した。中世以降には家格によって昇殿の対象者が決まるようになり、殿上人となり得る家を堂上家と呼んだ。 院や女院、皇后や東宮も、それぞれの御所において昇殿の制度があった。これらを内裏の昇殿と区別するには、内裏のものを「内の昇殿」(うちのしょうでん)、院のものを「院の昇殿」等と言う。 また、有力家の子弟が、元服前に小舎人として昇殿を許されて宮中に参仕する制度があり、童殿上(わらわてんじょう)と言った。.
斉衡
斉衡(さいこう)は、日本の元号の一つ。仁寿の後、天安の前。854年から857年までの期間を指す。この時代の天皇は文徳天皇。.
承平 (日本)
承平(じょうへい、しょうへい)は、日本の元号の一つ。延長の後、天慶の前。931年から938年までの期間を指す。この時代の天皇は朱雀天皇。.
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1月21日 (旧暦)
旧暦1月21日は旧暦1月の21日目である。六曜は先負である。.
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2月18日
2月18日(にがつじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から49日目にあたり、年末まであと316日(閏年では317日)ある。.
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856年
記載なし。
883年
記載なし。
886年
記載なし。
888年
記載なし。
890年
記載なし。
893年
記載なし。
894年
記載なし。
895年
記載なし。
897年
記載なし。
899年
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901年
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903年
記載なし。
904年
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905年
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906年
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909年
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911年
記載なし。
912年
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913年
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914年
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916年
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917年
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919年
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920年
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923年
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924年
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925年
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927年
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931年
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932年
記載なし。
933年
記載なし。