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藤原家房

索引 藤原家房

藤原家房(ふじわら の いえふさ、仁安2年(1167年) - 建久7年7月22日(1196年8月17日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。父は摂政松殿基房、母は内大臣三条公教の娘。兄藤原隆忠の母とは姉妹。傍流とされたため、「松殿」は名乗らなかった。 寿永元年(1182年)に従五位上に叙され、侍従・左近衛中将などを歴任して文治3年1月23日(1187年3月4日)に従三位に叙される。建久6年(1195年)に従二位権中納言に昇進したが、翌年に30歳の若さで没した。 和歌・漢詩に優れ盟友である九条良経とともに九条家の文芸集団の中心にあった。早世のため遺された作品は少ないが、勅撰和歌集においては『新古今和歌集』と『新続古今和歌集』に採録されている。 いえふさ Category:平安時代後期の貴族 Category:鎌倉時代の公家 Category:平安時代の歌人 Category:鎌倉時代の歌人 Category:1167年生 Category:1196年没.

36 関係: 寿永中納言三条公教九条家九条良経平安時代仁安 (日本)建久侍従従三位従二位従五位和歌内大臣公卿勅撰和歌集鎌倉時代近衛府藤原隆忠松殿基房松殿家歌人漢詩新古今和歌集新続古今和歌集文治摂政1167年1182年1187年1195年1196年1月23日 (旧暦)3月4日7月22日 (旧暦)8月17日

寿永

寿永(じゅえい、正字体:壽永)は、日本の元号の一つ。養和の後、元暦の前。1182年から1183年までの期間を指す。この時代の天皇は安徳天皇と後鳥羽天皇。後白河法皇の院政期。 源氏と平家が相争った治承・寿永の乱の時代。源頼朝の源氏方ではこの元号を使用せず以前の治承を引き続き使用していたが、源氏方と朝廷の政治交渉が本格化し、朝廷から寿永二年十月宣旨が与えられた寿永2年(1183年)以降、京都と同じ元号が鎌倉でも用いられるようになる。また、平家方では都落ちした後も次の元暦とその次の文治の元号を使用せず、この寿永をその滅亡まで引き続き使用した。.

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中納言

中納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。.

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三条公教

三条 公教(さんじょう きみのり/さんじょう きんのり)は、平安時代後期の公卿。藤原北家閑院家流三条家当主。太政大臣三条実行の子。正二位・内大臣。.

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九条家

九条家(くじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。.

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九条良経

九条 良経(くじょう よしつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。従一位、摂政、太政大臣。後京極殿と号した。通称は後京極摂政(ごきょうごく せっしょう)、中御門摂政。摂政関白・九条兼実の次男。 小倉百人一首では「後京極摂政前太政大臣」。 「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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仁安 (日本)

仁安(にんなん、にんあん)は、日本の元号の一つ。永万の後、嘉応の前。1166年から1168年までの期間を指す。この時代の天皇は六条天皇、高倉天皇。.

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建久

建久(けんきゅう)は、日本の元号の一つ。文治の後、正治の前。1190年から1198年までの期間を指す。この時代の天皇は後鳥羽天皇、土御門天皇。.

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侍従

服をまとった侍従(大阪歴史博物館) 侍従(じじゅう)とは、広義では(しばしば高貴な立場の)ある人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。日本においては、特に天皇に側近奉仕する文官や位を意味するため、この項目ではこれについて解説する。なお、武官による侍従武官や皇太子に付される東宮侍従については、それぞれ項目を参照のこと。.

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従三位

従三位(じゅさんみ)は、位階及び神階における位のひとつ。 正三位の下、正四位(正四位上)の上に位した、律令制下では任参議及び従三位以上の者を公卿といった。贈位の場合、贈従三位とされた。.

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従二位

従二位(じゅにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。正二位の下、正三位の上に位する。.

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従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

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和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.

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内大臣

内大臣(ないだいじん)は、日本の律令官制で太政官に置かれた令外官の一つ。左大臣・右大臣に次ぐ官職。唐名は「内府(だいふ)」「内丞相」「内相国」「内僕射」。和訓は「うちのおおまえつぎみ/うちのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。員外の大臣の意から「数の外(ほか)の大臣」とも、太政大臣と左・右大臣の三公を三台星と呼ぶのに対して「かげなびく星」とも呼ばれる。左大臣および右大臣の両人が欠員の場合や何らかの事情のために出仕できない場合に、代理として政務・儀式を司った。.

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公卿

公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を差す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった。.

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勅撰和歌集

勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、天皇や上皇の命により編集された歌集のことである。古今和歌集(延喜5年(905年)成立)に始まり、新続古今和歌集(永享11年(1439年)成立)までの534年間で21の勅撰和歌集があり、総称して「二十一代集」という。このほかに南朝で編纂された新葉和歌集を準勅撰集とする。 また編集時期による分類として、三代集(古今集・ 後撰和歌集・拾遺集)・八代集(古今集から新古今集)・十三代集(新勅撰集から新続古今集)とする。(三代集と八代集の対象は重複していることに注意).

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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近衛府

近衛府(このえふ)は令外官のひとつ。765年に授刀衛を改めて設置された。左近衛府と右近衛府の二つが存在する。唐名は羽林。長は近衛大将(左近衛大将・右近衛大将)である。(左右)衛門府、(左右)兵衛府とあわせて「六衛府」と呼ばれる。別名「おおきちかきまもり」「ちかきまもりのつかさ」と呼ぶ。.

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藤原隆忠

藤原 隆忠(ふじわら の たかただ、長寛元年(1163年) - 寛元3年5月22日(1245年6月17日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。摂政・松殿基房の長男だが、傍流とされたため、「松殿」は名乗らずに大覚寺左大臣と号した。官位は従一位・左大臣。.

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松殿基房

松殿 基房(まつどの もとふさ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。実名は藤原基房(ふじわら の もとふさ)。藤原北家、関白・藤原忠通の五男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。松殿家の祖。 松殿・菩提院・中山を号す。通称は松殿関白(まつどの かんぱく)。.

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松殿家

松殿家(まつどのけ)は、摂関家として創設された公家のひとつ。藤原氏北家嫡流の藤原忠通の次男・松殿基房が祖で、家名の由来は京都に松殿と呼ばれる屋敷を構えたことによる。 本来であれば五摂家の近衛家・九条家に並ぶ家格の家であるが、藤原北家嫡流でありながら摂関は初代とその子の2人のみ、その後は大体が参議、出世しても権大納言がやっとで、戦国時代には断絶した。.

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歌人

歌人(かじん)とは、和歌または短歌を詠む人物のことをいう。歌詠み(うたよみ)ともいう。.

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漢詩

漢詩(かんし)とは、中国の伝統的な詩。韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した中国の国家芸術としての詩のこと。中華文明の伝来に伴い、8世紀から日本でも詠まれた。.

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新古今和歌集

『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)とは、鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集。全二十巻。いわゆる八代集の最後を飾るもの。略称を『新古今集』(しんこきんしゅう)と称す。.

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新続古今和歌集

『新続古今和歌集』(しんしょくこきんわかしゅう)は、室町時代の勅撰集。二十一代集の最後にあたる。.

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文治

文治(ぶんじ)は、日本の元号の一つ。元暦の後、建久の前。1185年から1189年までの期間を指す。この時代の天皇は後鳥羽天皇。.

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摂政

摂政(せっしょう、英:Regent)とは、君主制を採る国家において、君主が幼少、女性、病弱、不在などの理由でその任務(政務や儀式)を行うことが出来ない時、君主に代わってそれを行う(政を摂る)こと、またはその役職のことである。 多くの場合、君主の後継者(皇太子など)、兄弟、母親、あるいは母方の祖父や叔父などの外戚が就任する。.

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1167年

記載なし。

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1182年

記載なし。

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1187年

記載なし。

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1195年

記載なし。

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1196年

記載なし。

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1月23日 (旧暦)

旧暦1月23日は旧暦1月の23日目である。六曜は大安である。.

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3月4日

3月4日(さんがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から63日目(閏年では64日目)にあたり、年末まであと302日ある。.

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7月22日 (旧暦)

旧暦7月22日は旧暦7月の22日目である。六曜は仏滅である。.

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8月17日

8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。.

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