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薬局方

索引 薬局方

薬局方(やっきょくほう、、)は、医薬品に関する品質規格書。医薬品や生薬が収載されているほか、試験法や純度の基準・剤型などが記されている。 国または地域ごとに制定されており、多くは公定書である(アメリカ合衆国では、民間団体が作成)。日本においては、特に指定されていない限り、「日本薬局方」(略称は「日局」、「局方」)を指す。日本薬局方(Japanese Pharmacopoeia: JP)、中国薬局方(中国药典 Pharmacopoeia of the People's Republic of China: PPRC)、米国薬局方(United States Pharmacopeia: USP)、英国薬局方(British Pharmacopoeia: B.P.)、ヨーロッパ薬局方(European Pharmacopoeia: EP)などが主な薬局方とされる。他の国々は、これら薬局方を参考に、伝統医薬品類(特にアジア地域)を加え、国情に合わせて作成している。近年は日米欧の三極薬局方の国際調和を進めているが、合意に達した部分は少ない。.

81 関係: 厚生労働大臣太政官実吉安純宮入慶之助宋 (王朝)小池正直島薗順次郎不良品中川淳庵中国丹波敬三三宅秀三浦謹之助下山順一郎平山増之助平井政遒平成土方久元医療品規制医薬品医薬品一覧医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律モーズ・シャラスユリウス・スクリバヨハン・エイクマンヴァレリウス・コルドゥスファン・デル・ヘイデン和剤局方アメリカ合衆国アントン・ヨハネス・ゲールツエルヴィン・フォン・ベルツオランダ内務卿入沢達吉創元社国立医薬品食品衛生研究所国際一般名石黒忠悳琉球薬局方細川潤次郎緒方章生薬田原良純白松篤樹芳川顕正青山胤通行政法食品、添加物等の規格基準西野忠次郎高橋順太郎...高木兼寛近藤平三郎蘭学薬局薬剤学長井長義長谷川泰長與專齋長濱善夫柴田桂太柴田承桂林研海林春雄松本良順松方正義森鴎外永松東海江戸時代池田謙斎湯沢三千男朝比奈泰彦戸塚文海明治日本慶松勝左衛門10月1880年1886年1961年2016年6月 インデックスを展開 (31 もっと) »

厚生労働大臣

厚生労働大臣(こうせいろうどうだいじん、)は、日本の国務大臣。厚生労働省の長である。.

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太政官

太政官.

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実吉安純

実吉 安純(さねよし やすずみ、1848年4月23日(嘉永元年3月20日) - 1932年(昭和7年)3月1日)は、日本の医学者、海軍軍人、政治家。最終階級は海軍軍医中将。海軍軍医学校校長、海軍省医務局長、大本営海軍医務部長、東京慈恵会医院専門学校(現、東京慈恵会医科大学)校長、貴族院議員などを歴任した。勲一等旭日大綬章受章。子爵。慈恵医大の創設者である高木兼寛と共に、海軍の脚気撲滅に尽力したことで知られている。.

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宮入慶之助

宮入 慶之助(みやいり けいのすけ、慶応元年5月15日(1865年6月8日) - 1946年4月6日)は日本の寄生虫学者、衛生学者。九州帝国大学教授。.

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宋 (王朝)

宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.

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小池正直

小池 正直(こいけ まさなお、1854年12月23日(嘉永7年11月4日) - 1914年1月1日)は、日本の陸軍軍人。貴族院議員。陸軍軍医総監・正四位・勲一等・功二級・医学博士・男爵。山形県鶴岡市出身。.

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島薗順次郎

島薗 順次郎(しまぞの じゅんじろう、1877年3月12日 - 1937年4月27日)は、医師、内科学者、医学博士。和歌山県和歌山市出身。.

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不良品

不良品(ふりょうひん)とは、設計段階や製造・輸送過程の不都合により、機能上の欠陥ないし動作不良を起こす工業製品などである。対義語としては良品(りょうひん)が挙げられるが、製造分野ではそのような表現が見られるものの、消費者レベルでは単に正常な製品であるとして、意識して良品と呼ばれることは少ない。.

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中川淳庵

中川 淳庵(なかがわ じゅんあん/じゅんなん、元文4年(1739年) - 天明6年6月7日(1786年7月2日)は江戸時代中期の医者・本草学者・蘭学者。はじめ純安と名乗る。名は鱗(りん)もしくは玄鱗。字は攀卿。若狭国小浜藩の蘭方医であり、杉田玄白の後輩にあたる。前野良沢・杉田玄白とともに『解体新書』を翻訳した。向学心と積極性に富み、多くの学者と交わり、蘭学の発展に貢献する。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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丹波敬三

丹波 敬三(たんば けいぞう、1854年2月25日(嘉永7年1月28日) - 1927年(昭和2年)10月19日)は、明治・大正期の薬学者。摂津国八部郡走水村(現・兵庫県神戸市)出身。蘭方医・丹波元礼の三男。丹波直次、丹波哲郎、丹波明の祖父。先祖は丹波康頼(丹波氏)。そして直系である丹波家がその末裔。.

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三宅秀

アインシュタインと一緒に (三宅秀は左端) 三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年12月12日) - 昭和13年(1938年)3月16日)は、日本の医師・洋学者・医学者・貴族院議員。東京大学で最初の医学博士、のち名誉教授。幼名は復一(またいち)。三宅家には、明智光秀あるいは明智光秀の弟の子孫であるとの家伝がある。.

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三浦謹之助

三浦 謹之助(みうら きんのすけ、1864年4月26日(元治元年3月21日) - 1950年(昭和25年)10月11日)は、日本の医学者(内科学)。東京帝国大学名誉教授。外人教師依存から独立した日本人による内科学を確立した。仏医学を日本に紹介した。神経学を主に、生化学、寄生虫学、脚気など多彩な研究を行った。日本神経学会(1903年)、日本内科学会(1904年)の創立に寄与した。1906年学士院会員、1949年文化勲章。.

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下山順一郎

下山 順一郎(しもやま じゅんいちろう、嘉永6年2月18日(1853年3月27日) - 明治45年(1912年)2月12日)は、明治時代の日本の薬学者。薬学博士第1号であり、日本薬剤師会第2代会長、私立薬学校(現東京薬科大学)初代校長。.

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平山増之助

平山 増之助(ひらやま ますのすけ、1861年9月5日(文久元年8月1日) - 1914年(大正3年)6月29日)は、明治期の薬学博士、日本陸軍一等薬剤正。下総国出身。族籍は東京府士族ひ1369頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月7日閲覧。。.

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平井政遒

平井 政遒(ひらい まさかつ / まさる、1865年5月31日(慶応元年5月7日) - 1950年(昭和25年)『日本近現代医学人名事典』512頁。)は、明治期から昭和期にかけての内科医。日本陸軍軍医、最終階級は陸軍軍医総監(中将相当)、宮内省御用掛。若狭国小浜藩出身。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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土方久元

土方 久元(ひじかた ひさもと、天保4年10月12日(1833年11月23日) - 大正7年(1918年)11月4日)は、日本の武士(土佐藩士)・政治家である。爵位は伯爵。幼名は大一郎。通称は楠左衛門。号は秦山。.

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医療品規制

医療品規制(いりょうひんきせい、Regulation of therapeutic goods)では、医薬品および医療機器の規制について述べる。 制度は国によって様々であり、ある国では連邦国家レベルで規制しており(米国FDA)、またある国では州レベルであったり、またオーストラリアのように複数の政府機関によって規制されている場合もある。.

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医薬品

リタリン20mg錠。 医薬品(いやくひん)とは、ヒトや動物の疾病の診断・治療・予防を行うために与える薬品。使用形態としては、飲むもの(内服薬)、塗るもの(外用薬)、注射するもの(注射剤)などがある(剤形を参照)。 医師の診察によって処方される処方箋医薬品、薬局で買える一般用医薬品がある。医薬品は治験を行って有効性が示されれば新薬として承認され、新薬の発売から20年の期間が経過したらその特許がきれることで他の会社も販売可能となり、後発医薬品が製造される。 臨床試験による安全性の検証は限られたもので、グローバル化によって超国家的に薬の売り出し(ブロックバスター薬)を行っており、国際化されていない有害反応監視システムが手を打つ前に有害反応(副作用)の影響が広がる可能性がある。.

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医薬品一覧

ヒトへの投与が認められている医薬品(Pharmaceutical drug)の一覧。.

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医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律

医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(いやくひん、いりょうききとうのひんしつ、ゆうこうせいおよびあんぜんせいのかくほとうにかんするほうりつ、昭和35年法律第145号、Pharmaceutical Affairs Law)は、日本における医薬品、医薬部外品、化粧品、医療機器及び再生医療等製品に関する運用などを定めた法律である。医薬品医療機器等法、薬機法と略される。 制定当初の題名は薬事法であったが、平成26年11月25日の薬事法等の一部を改正する法律(平成25年法律第84号)の施行により現在の題名に改められた。 目的は、「医薬品、医薬部外品、化粧品、医療機器及び再生医療等製品の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医療品及び医療機器の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ること」にある(1条)。この趣旨に基づき、行政の承認や確認、許可、監督等のもとでなければ、医薬品や医薬部外品、化粧品、医療機器の製造や輸入、調剤で営業してはならないよう定めている。.

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モーズ・シャラス

モーズ・シャラス(Moyse Charas または Moïse、1619年 - 1698年)は17世紀、フランスの化学者、薬学者、薬剤師である。1676年に『欽定薬局方と化学』(Pharmacopée royale galénique et chimique)を出版した。 ユゼス(Uzès)に生まれた。古典を学んだ後、薬学を学びオランジュで薬局を開いた。1646年頃パリに出た。当時解毒剤として知られていたテリアカを公開で調製し、1667年にテリアカの成分を書いた著書Thériaque d'Andromachusを出版した。 1672年に、王立植物園の監督官、アントワーヌ・ダキン(Antoine d'Aquin)に雇われ、植物園の化学の実験助手になった。ダキンの指示で、当時の薬剤の製法をまとめた、『欽定薬局方と化学』の編集を行い、この書は好評を得て中国語を含む多くの言語に翻訳された。 1680年にプロテスタントの信者である疑いを受け、フランスを逃れ、イギリスに渡った。イギリスには3年ほど滞在し、その間に医学を学んだ。その後スペインに渡り、マドリードで開業した。1686年に異端審問を受けるが、オランダの外交官によって救われた。その後も異端審問にかけられ、カトリックになることで1689年に釈放された。オランダに戻り、1691年にフランスに戻った。その年、科学アカデミーの会員に選ばれた。 シャラスの治療法はまだ中世以来の知識、錬金術に影響を受けたもので、蛇毒や蛇肉をテリアカの材料として用いた。1699年に蛇毒に関する著書、Nouvelles expériences sur la vipère, les effets de son venin, et les remèdes exquis que les artistes peuvent tirer du corps de cet animal où il étudieを発表した。現代の知識からは多くの間違いが含まれるが毒の治療についての理解が進められている。イタリアの医学者、フランチェスコ・レディと蛇毒に関する論争を行った。レディは蛇毒は常に有毒であると主張し、シャラスは蛇が興奮したときのみ有毒であると主張した。.

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ユリウス・スクリバ

東京大学のスクリバの胸像 ユリウス・カール・スクリバ(Julius Karl Scriba、1848年6月5日 - 1905年1月3日)はドイツの外科医。明治期のお雇い外国人で日本における西洋医学の発展に重要な貢献をした。.

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ヨハン・エイクマン

ヨハン・フレデリック・エイクマン(Johann Frederik Eijkmann、Eykmanとも(オランダ語ページ)(2008年12月8日)公式webページ(2008年12月8日閲覧)、1851年1月19日-1915年7月1日)は、オランダ人の薬学者、化学者。明治時代に来日し、植物成分の研究に有機化学と栄養分析の手法を導入し、日本の薬学における新分野の基礎を築いた長崎大学薬学部公式webページ(2008年12月4日閲覧)。エーキマンとも呼ばれる「日本薬局方沿革略記」『第十五改正日本薬局方』 2006年、1頁。。.

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ヴァレリウス・コルドゥス

ヴァレリウス・コルドゥス(Valerius Cordus、1515年2月18日 - 1544年9月25日)はドイツの医師、薬学者、植物学者である。画期的な薬局方、『Dispensatorium薬法書』(Valerii Cordi Dispensatorium)を著し、死後、ニュルンベルク市によって出版された。また、エーテルの合成を行ったとされる。 エアフルトか、ヘッセン州のカッセルで生まれた。父はルター派の医師、エウリキウス・コルドゥス(Euricius Cordus、本名:Heinrich Ritze、1486-1535)である。父親から植物学と薬学を学び、12歳の時マーブルク大学に入った。16歳で卒業後、ライプツィヒの大学に進むと同時に、ライプツィヒの叔父の薬局で働いた。 1539年にヴィッテンベルク大学で医学の研究と教育のために移り、講義は人気を集めた。講義の概要は、1世紀のギリシャのペダニオス・ディオスコリデスの残した多くの薬草に関する知識を実際に観察から整理したもので、コルドゥスの没後の1549年に、"Annotations on Dioscorides"として出版された。 1540年にエチル・アルコールに硫酸を加えて、エーテルを合成する方法を発見し、発表した。 1542年にドイツ、イタリアで薬草の研究を行い、同時に『Dispensatorium薬法書』を編集し、ニュルンベルク市に提供した。ニュルンベルク市は報酬を払い、1546年に『Dispensatorium薬法書』は1巻本で出版された。薬局方としては1498年にフィレンチェ医師・薬剤組合が作成したものがあるが、公定された薬局方としてはヨーロッパ最初のものとなった。1544年にヴィッテンベルク大学から医学号を受け、同年、5巻の植物誌、Historia Plantarumを製作した。植物学的な解説と薬学的な解説がなされていた。 1544年の夏、ヒエロニムス・シュライバーとフランス人博物学者2人とイタリアに調査旅行に赴き、植物の採集のために湿地に入り込み、熱病に罹患した。ローマに運ばれたが同地で死亡した。没後、De Extractione やHistoria Stirpium et Sylvaなどのコルドゥスの著作はコンラート・ゲスナーによって出版された。 ムラサキ科の属、カキバチシャノキ属 (Cordia) に献名されている。.

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ファン・デル・ヘイデン

ファン・デル・ヘイデン(蘭:Van der Heyden, Wilhelmus Hubertus 1844年 - 1894年)は、1873年にお雇い外国人として来日し、横浜、新潟、神戸で医師活動、医学教師をしていたオランダ人医師である。日本薬局方の制定にユリウス・スクリバとともに委員として参加した。新潟病院に勤務していた当時、ヘイデンの生理学の授業を弟子の小石第二郎が翻訳し、「新潟病院講筵日記(生理篇)」として出版された。また、ドイツの神父ヨハン・マルティン・シュライヤーによって発明された人工言語ヴォラピュクを日本で唯一初めて紹介した文法書「」と辞典「861718 和訳世界語辞林」を翻訳出版した。1894年、病気療養のためフランスにわたり、その後故郷で亡くなった。.

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和剤局方

『和剤局方』(わざいきょくほう、)は、大観年間(1107年 - 1110年)に国家機関の関与のもと中国にて発行された医薬品の処方集の名称。 その後の増補版である1151年発行の『太平恵民和剤局方』(たいへいけいみんわざいきょくほう、)を指す場合もある。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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アントン・ヨハネス・ゲールツ

アントン・ヨハネス・コルネリス・ゲールツ(Anton Johannes Cornelis Geerts、1843年3月20日 - 1883年8月15日)は、オランダの薬学者。日本薬局方の草案を起草するなど近代日本の薬事行政、保健衛生の発展に貢献した。なお、ゲールツはドイツ語読みであり、オランダ語読みではヘールツ 横浜市、神奈川新聞社協編「家族の肖像3:日本薬学の祖ヘールツと清水藤太郎」『横濱』2005年、11号、p73-75。.

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エルヴィン・フォン・ベルツ

ルヴィン・フォン・ベルツ(、1849年1月13日 - 1913年8月31日)は、ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり。27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。滞日は29年に及ぶ。.

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オランダ

ランダ(Nederland 、; Nederlân; Hulanda)は、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。東はドイツ、南はベルギーおよびルクセンブルクと国境を接し、北と西は北海に面する。ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。憲法上の首都はアムステルダム(事実上の首都はデン・ハーグ)。 カリブ海のアルバ、キュラソー、シント・マールテンと共にオランダ王国を構成している。他、カリブ海に海外特別自治領としてボネール島、シント・ユースタティウス島、サバ島(BES諸島)がある。.

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内務卿

内務卿(ないむきょう、Lords of Home Affairs)は、明治時代の太政官制における事実上の首相。旧内務省を指揮監督した。後身は内務大臣(ないむだいじん、Ministers of Home Affairs)。.

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入沢達吉

入沢 達吉(いりさわ たつきち、1865年1月31日(元治2年1月5日) - 1938年(昭和13年)11月8日)は明治〜昭和期の医学博士、内科医。東京帝国大学教授、東京帝国大学附属医院長・同大学医学部長・宮内省侍医頭等を歴任、日本の内科学確立に貢献する。.

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創元社

創元社(そうげんしゃ)は、日本の出版社。大阪市に本社を置き、主に心理学、歴史学の書籍を出版している。 海外推理小説、SF小説の出版などで知られる東京創元社は、1954年にのれん分けで独立し別会社となったもの。.

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国立医薬品食品衛生研究所

国立医薬品食品衛生研究所(こくりついやくひんしょくひんえいせいけんきゅうしょ、National Institute of Health Sciences: NIHS)は日本の厚生労働省の施設等機関の一つ。.

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国際一般名

国際一般名(こくさいいっぱんめい 英: International Nonproprietary Name, INN)は、世界保健機関(WHO)が定める、医薬品の非独占的・一般的名称である。一つの化学物質を含む薬品は数多くの商品名で販売されているため、有効成分が何であるか混乱を招くことが多い。一つの物質に一つの標準的名称を与えるINNの使用により、医薬品に関するコミュニケーションが円滑になる。世界保健機関(WHO)は、英語・ラテン語・フランス語・ロシア語・スペイン語でINNを発行してきたほか、現在はアラビア語・中国語など、他言語のINNも発行している。 化学分野で使用されるIUPAC名は、非常に長い名前であることが多く、一般的な使用には適さないことから、こうした一般名が策定されてきた。日本では、厚生労働省の医薬品名称調査会が医薬品一般的名称(JAN, Japanese Accepted Name)を定めている。INNとJANは一部異なるが、両者の調和が取り組まれている。.

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石黒忠悳

石黒 忠悳(いしぐろ ただのり、弘化2年2月11日(1845年3月18日) - 1941年(昭和16年)4月26日)は、明治時代の日本陸軍軍医、日本赤十字社社長。草創期の軍医制度を確立した。爵位は子爵。.

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琉球薬局方

琉球薬局方(りゅうきゅうやっきょくほう)は、琉球政府が発行した医薬品に関する規準書で、日本本土における「日本薬局方」に相当する。沖縄で使用されていた医薬品や生薬が収載されている他、試験法や純度の基準、剤形などが記されていた。.

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細川潤次郎

細川 潤次郎(ほそかわ じゅんじろう、1834年3月11日(天保5年2月2日) - 1923年(大正12年)7月20日)は、幕末の土佐藩藩士、明治・大正時代の法制学者・教育者。男爵。幼名は熊太郎、諱は元(はじめ)。十洲と号した。 政治的要職としては司法大輔・貴族院副議長位であったが、日本の近代法導入の功績に関しては江藤新平と並んで高く評価されている。また、福沢諭吉に明治新政府に出仕するよう最後まで説得にあたった。.

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緒方章

緒方 章(おがた あきら、1887年10月26日 - 1978年8月22日)は日本の薬学者、東京大学名誉教授。薬学博士。日本の内分泌科学の創始者で、国内の薬学、薬業の発展に貢献した。幕末の蘭方医・緒方洪庵の孫。.

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生薬

生薬(しょうやく、きぐすり、Crude Drugs)は、天然に存在する薬効を持つ産物から有効成分を精製することなく体質の改善を目的として用いる薬の総称である。世界各地の伝統医学では多くの生薬が用いられている。 漢方薬は、生薬であるが漢方医学に基づいたものであり同一ではない。日本において、生薬は、医薬品医療機器等法によって医薬品として扱われるものと、食品として扱われるものの2種類に分類される。前者の製剤化されたものは生薬製剤であり、後者は健康食品である。.

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田原良純

'''テトロドトキシン構造式''' 田原の死後1964年に3人の研究者が独立に発表した 田原 良純(たはら よしずみ、1855年8月18日(安政2年7月6日) - 1935年6月3日)は、日本の薬学者。日本最初の薬学博士である。.

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白松篤樹

白松 篤樹(しらまつ あつき、1894年(明治27年)7月21日『新編日本の歴代知事』1070頁。 - 1941年(昭和16年)7月9日)は、日本の内務官僚。官選大分県知事。旧名・喜久代、1932年6月に「篤樹」と改名。.

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芳川顕正

芳川 顕正(よしかわ あきまさ、天保12年12月10日(1842年1月21日) - 大正9年(1920年)1月10日)は、日本の官僚、政治家。阿波国麻植郡山川町(後の徳島県吉野川市)出身。父は原田民部。伯爵。 官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行制度の確立に貢献。山縣有朋に認められて政界へ進出した。東京府知事(第8代)、貴族院議員。司法大臣(第5代)、文部大臣(第3代)、内務大臣(第12・16・23代)、逓信大臣(第9・12代)、枢密院副議長(第4代)を務めた。 男子に恵まれず、四女の鎌子に子爵・曾禰荒助の次男を婿養子にとって家を継がせた(芳川寛治)。三女の富子は藤田財閥2代目藤田平太郎妻。.

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青山胤通

青山 胤通(あおやま たねみち、安政6年5月15日(1859年6月15日) - 大正6年(1917年)12月23日)は日本の医学者。専門は内科学。医学博士。1906年、帝国学士院会員・勲三等瑞宝章、1916年、勲一等瑞宝章、1917年12月14日、男爵叙爵。.

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行政法

行政法(ぎょうせいほう)とは、行政特有の活動について、私人相互の関係とは異なる規律をする国内法である。.

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食品、添加物等の規格基準

食品、添加物等の規格基準(しょくひんてんかぶつとうのきかくきじゅん、英:Standards and criteria for food and food additives, etc.

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西野忠次郎

西野 忠次郎(にしの ちゅうじろう、1878年5月26日 - 1961年7月6日)は、医学博士、日本学士院会員、慶應義塾大学名誉教授。.

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高橋順太郎

橋 順太郎(たかはし じゅんたろう、安政3年3月28日(1856年5月2日) - 大正9年(1920年)6月4日)は明治・大正期の、医師、医学博士、薬理学者。東京帝国大学医科大学、初代薬物学教授。医術開業試験医員、日本薬局方調査委員、理学文書目録委員会委員、東京帝国大学評議委員などをつとめた。正三位勲一等瑞宝章。通称:順太郎、諱:信之(もりゆき)。石川県金沢市出身。著作に「河豚之毒」「肝油ノ効果ヲ論ス」「『ファゴール』二就テ」など.

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高木兼寛

木兼寛肖像画--高木兼寛生誕の地穆園広場内の案内板より 高木 兼寛(たかき かねひろ「けんかん」とも呼称される(有職読み)。、嘉永2年9月15日(1849年10月30日) - 大正9年(1920年)4月13日)は日本の海軍軍人、最終階級は海軍軍医総監(少将相当)。医学博士。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。当時日本の食文化では馴染みの薄かったカレーを脚気の予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。.

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近藤平三郎

近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日 - 1963年11月17日)は、日本の薬学者、薬化学者。薬学博士。 静岡県松崎町生まれ。本郷のドイツ語学校から東京帝国大学医科薬学科に進み、長井長義に師事。帝大卒業後は大学に籍を置きながらも陸軍薬剤官として入隊し、日露戦争に薬剤師として従軍。陸軍医学校教官を経て、ベルリン工科大学に留学して有機化学を専攻した。 1911年に帰国すると塩野義商店の塩野長次郎の懇請を受け、塩野義商店顧問に就任。この関係が発展して1915年には塩野の援助によって乙卯研究所を東京市に設立して所長となると共に、東京帝国大学教授にも就任した。以降はアルカロイド関係の薬剤開発に専心し、1928年学士院賞を受賞。日本薬学会会頭、日本薬剤師会会長を歴任した。1953年日本学士院会員。1958年文化勲章受章。.

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蘭学

蘭学(らんがく)は、江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきたヨーロッパの学術・文化・技術の総称。幕末の開国以後は世界各国と外交関係を築き、オランダ一国に留まらなくなったため、「洋学」(ようがく)の名称が一般的になった。初期は蛮学(「南蛮学」の意)、中期を「蘭学」、後期を「洋学」と名称が変わっていった経緯がある。.

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薬局

薬局(やっきょく)とは、薬剤師が調剤を行い販売または授与をする施設。調剤のみではなく、既製の医薬品、医療機器や一般雑貨などの販売も行っている場合もある。一般に接客する場とは別に調剤室があり、多くの国では調剤室について法規制が加えられている。薬剤師は基本的にファーマシューティカルケアの理念に従い業務を行う。営業時間内には薬剤師が常駐していることが求められ、また薬局の経営者が薬剤師であることを求める国も多い。.

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薬剤学

薬剤学(やくざいがく、英語:pharmaceutics)とは薬物治療に資するために、未加工の原薬を加工し利用するための、より効果的な方法について研究する薬学の一分野である。.

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長井長義

長井 長義(ながい ながよし、1845年7月24日(弘化2年6月20日)– 1929年(昭和4年)2月10日)は日本の薬学者。号:朴堂『長井長義 長崎日記』13p。 エフェドリンの発見者。日本薬学会初代会頭で、日本の近代薬学の開祖である。 阿波国名東郡常三島村薙刀丁出身(現在の徳島県徳島市中常三島町2丁目)河野『徳島―城と町まちの歴史』。。.

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長谷川泰

長谷川 泰(はせがわ たい/やすし、天保13年(1842年)6月 - 明治45年(1912年)3月11日)は、幕末期の越後長岡藩軍医、「済生学舎」(日本医科大学の前身、本記事内で詳述)創立者、内務省衛生局長、衆議院議員。従三位勲三等。幼名は多一、字は子寧、通称は復庵。号に蘇山・蘇門道人・柳塘・八十八峰外史・信水漁夫など。綽名は「ドクトル・ベランメー」。.

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長與專齋

長與 專齋(新字体:長与 専斎、ながよせんさい、天保9年8月28日(1838年10月16日) - 明治35年(1902年)9月8日)は、日本の医師、医学者、官僚。本姓は藤原氏、号は松香、諱は秉継。.

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長濱善夫

長濱 善夫(ながはま よしお、1915年(大正4年) - 1961年(昭和36年)6月)は日本の医学者、眼科医。医学博士。千葉医科大学(千葉大学)卒業。千葉大学医学部講師、国立横浜療養所内科医長を歴任した。日本東洋医学会の創設にも携わる矢数道明ほか「日本東洋医学会10年史」『日本東洋医学会雑誌』1960年、10巻、4号、p133-152。。.

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柴田桂太

柴田 桂太(しばた けいた、1877年9月20日-1949年11月19日)は、日本の植物生理学者・生化学者・微生物化学者。薬学者柴田承桂の長男。弟に化学者柴田雄次がいる。文化功労者・薬学者柴田承二の父。.

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柴田承桂

柴田 承桂(しばた しょうけい、嘉永3年5月12日 (旧暦)(1850年6月21日)- 明治43年(1910年)8月2日)は、日本の化学者、薬学者。柴田桂太・雄次の父。.

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林研海

林 研海(はやし けんかい、弘化元年6月16日(1844年7月30日) - 明治15年(1882年)8月30日)は、幕末期の医学者。陸軍軍医総監。.

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林春雄

林 春雄(はやし はるお、明治7年(1874年)2月25日 - 昭和27年(1952年)1月1日)は、医学博士、薬理学者。東京帝国大学医学部薬物学教室の二代教授。東京帝国大学名誉教授。貴族院議員。.

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松本良順

松本良順 松本 良順(まつもと りょうじゅん、天保3年6月16日(1832年7月13日) - 明治40年(1907年)3月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の日本の医師(御典医、軍医)、政治家。爵位は男爵。 西洋医学所頭取、将軍侍医、幕府陸軍軍医、大日本帝国陸軍軍医総監(初代)、貴族院勅撰議員などを務めた。父は佐倉藩藩医で順天堂を営む佐藤泰然。外務大臣の林董は実弟。幼名は佐藤順之助。後に幕医の松本良甫の養子となる。明治4年(1871年)に従五位に叙せられた後、順に改名した。号は蘭疇、楽痴。.

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松方正義

松方 正義(まつかた まさよし、天保6年2月25日(1835年3月23日) - 大正13年(1924年)7月2日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は海東『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年が「海来」としているのは誤植。。 明治期の日本において内閣総理大臣を2度(第4・6代)務めるとともに大蔵卿、大蔵大臣(初・第2・第3・第4・第6・第8・第11代)を長期間務めて日本銀行を設立したり、金本位制を確立するなど、財政通として財政面で業績を残した。また、晩年は元老、内大臣として政局に関与し影響力を行使した。独逸学協会名誉会員。日本赤十字社社長。.

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森鴎外

森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.

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永松東海

永松 東海(ながまつ とうかい、天保11年9月29日(1840年10月24日) - 明治31年(1898年)5月11日)は、幕末から明治期の日本の医師、陸軍軍医。肥前国出身。江戸時代の蘭法医から近代医師登場までの過渡期において、後進の育成と薬事の確立に寄与した。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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池田謙斎

池田 謙斎(いけだ けんさい、1841年12月22日(天保12年11月10日) - 1918年(大正7年)4月30日)は、明治時代の医者で、日本の近代医学の礎を築いた人物。医学博士、華族(男爵)、宮中顧問官、錦鶏間祗候。.

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湯沢三千男

湯沢 三千男(ゆざわ みちお、明治21年(1888年)5月20日 - 昭和38年(1963年)2月21日)は、大正・昭和期の日本の政治家、内務官僚。宮城・広島・兵庫県知事や東條内閣の内務大臣を務め、戦後も自由民主党参議院議員として活動した。.

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朝比奈泰彦

朝比奈 泰彦(あさひな やすひこ、1881年4月16日 - 1975年6月30日)は日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。薬学博士人事興信所、1925年、あ一〇一頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。。帝国学士院会員、文化勲章受章者。昆虫学者の朝比奈正二郎は次男。.

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戸塚文海

戸塚 文海(とつか ぶんかい、天保6年9月3日(1835年10月24日) - 明治34年(1901年)9月9日)は、日本海軍の軍人、医師。最終階級は海軍軍医総監。海軍軍医制度創設に貢献した。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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慶松勝左衛門

慶松 勝左衛門(けいまつ しょうざえもん、1876年9月21日 - 1954年1月28日)は、日本の薬学者、政治家。貴族院議員、参議院議員(1期)。薬学博士。.

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10月

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より10月 10月(じゅうがつ)はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、31日ある。 日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、新暦10月の別名としても用いる。 英語での月名 October は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第8の」という意味の "octo" の語に由来している。一般的な暦では10番目の月であるが、紀元前46年まで使われていたローマ暦では、一般的な暦の3月が年始であり、3月から数えて8番目という意味である。.

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1880年

記載なし。

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1886年

記載なし。

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1961年

記載なし。

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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6月

6月(ろくがつ)はグレゴリオ暦で年の第6の月に当たり、30日ある。 梅雨の季節である。.

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