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蔚山沖海戦

索引 蔚山沖海戦

蔚山沖海戦(うるさんおきかいせん)は、日露戦争での日本海軍とロシア海軍との間の海戦である。英語では時に Battle of the Japanese Sea とも呼ばれるため日本海海戦(Battle of Tsushima)と混同しないよう注意が必要である。.

49 関係: 参謀吾妻 (装甲巡洋艦)大阪毎日新聞大本営大日本帝国陸軍大日本帝国海軍上村彦之丞帝国議会常磐 (装甲巡洋艦)常陸丸事件伊東祐亨佐藤鉄太郎リューリク (装甲巡洋艦・初代)ロシア帝国ロシア海軍ウラジオストクウラジオストク巡洋艦隊カールル・イェッセングロモボーイ (装甲巡洋艦)スパイスクーナーサンフランシスコ出雲 (装甲巡洋艦)八雲 (装甲巡洋艦)磐手 (装甲巡洋艦)第一艦隊 (日本海軍)第二艦隊 (日本海軍)煙台市衝角装甲巡洋艦魚雷黒板黄海海戦 (日露戦争)防護巡洋艦蔚山広域市膠州湾通商破壊東京湾東京日日新聞海戦浅間 (装甲巡洋艦)日露戦争日清戦争日本軍日本海日本海海戦旅順口区4月25日5月11日

参謀

参謀(さんぼう、英:Military staff)とは、軍隊などの軍事組織において高級指揮官の幕僚として、作戦・用兵などに関して計画・指導にあたる将校の役職。.

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吾妻 (装甲巡洋艦)

吾妻(あづま)は、大日本帝国海軍が日露戦争前にフランスのロワール社から購入した最初期の装甲巡洋艦。艦名の由来は福島県北部の吾妻山。本艦は六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で八雲型に次いで整備された艦である。日露戦争においては、航続力と速力を活かし、上村艦隊の主力として活躍した。.

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大阪毎日新聞

大阪毎日新聞(おおさかまいにちしんぶん)は、日本の日刊新聞である『毎日新聞』の西日本地区での旧題。通称「大毎」(だいまい)。 現在の毎日新聞大阪本社の前身に当たる。.

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大本営

昭和天皇御前の大本営会議の様子(1943年4月29日付朝日新聞掲載) 大本営(だいほんえい)は、日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令=大陸命、大本営海軍部命令=大海令)として発令する最高司令部としての機能を持つ。本来「本営」とは総司令官が控える場所(中世の本陣と同義)で、これを更に仰々しい名にしたもの。 日清戦争と日露戦争で設置され、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争(支那事変)では戦時外でも設置できるよう改められ、そのまま、太平洋戦争終戦まで存続した。連合国からは「」と呼ばれた。 太平洋戦争末期の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流され続けた。このことから現在では、権力者が自己の都合の良い情報操作をして虚偽の情報を発信することを揶揄した慣用として「大本営」「大本営発表」という表現が用いられることがある。 なお、陸海軍連合大演習および陸軍特別大演習においては司令部でなく、天皇の行幸行在所(あんざいしょ)を「大本営」と称した。 現在は防衛省市ヶ谷地区に庁舎遺構が残っている。.

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本 (大日本帝国) に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。.

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

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上村彦之丞

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。渾名は「船乗り将軍」。.

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帝国議会

帝国議会(ていこくぎかい)は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法(明治憲法)発布から1947年(昭和22年)の日本国憲法への改正まで設置されていた日本の議会である。公選の衆議院と非公選の貴族院から成る。「議会」もしくは「国会」と略称された『事典 昭和戦前期の日本』(吉川弘文館) 36頁。。1890年(明治23年)11月29日開会の第1回議会から、1947年(昭和22年)3月31日閉会の第92回議会まで行われた。今日の国会との連続性を持つ。.

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常磐 (装甲巡洋艦)

常磐(ときわ/ときは)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.60『常磐(ときは) 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり)淺間と姉妹艦なり。艦名考永久不變の義なり。(p.81) 艦歴明治32年5月18日英國にて竣工、同月19日英國出發、7月15日横須賀到着、淺間と姉妹艦なり。同33年北清事變に從軍:同33年5月太沽砲臺攻撃に從事(東郷司令長官旗艦、艦長大佐中山長明)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年8月蔚山沖海戦に参加(艦長大佐吉松茂太郎):同38年5月日本海々戰に参加、大正3年乃至9年戰役に從軍(第二艦隊第四戰隊):膠州灣封鎖に從事(艦長大佐片岡榮太郎)、同10月第三戰隊に属し、印度洋方面警備に從事、同4年2月北米沿岸通商保護に從事(第二艦隊第四戰隊、艦長大佐坂本則俊)、同4年12月浦鹽を経て加奈陀に回航、特別任務に從事(艦長同前)、同6年11月布哇及び南洋諸島警備に從事(艦長大佐森本義寛)、同10年一等海防艦に編入、同11年9月30日敷設艦に編入、昭和6・7年(日支)事變從軍:同7年1月第一遣外艦隊に属し、北支・上海方面警備に從事(艦長大佐山田定男、同大佐高須三二郎。)|要目其の他「淺間」に同じ 起工明治31-1-6 進水明治31-7-6 竣工名詞32-5-18 建造所英國安社』#日本補助艦艇物語47-48頁『(2)常磐ときわ』。 旧式化にともない機雷敷設艦に改造#日本軍艦集2600年版p.65『―敷設艦―常磐(ときは) 基準排水量9,240噸、長さ124.36米、幅20.45米、平均吃水7.42米、速力21.25節、備砲20糎砲2門、15糎砲8門、8糎砲2門、8糎高角砲1門、起工明治30年1月6日、進水明治31年7月6日、竣工明治32年5月18日、建造所英國アームストロング社―本艦は巡洋艦を改装したもの。なほ、ほかに勝力がある。』。 敷設艦として太平洋戦争に参加した#日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』。.

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常陸丸事件

常陸丸事件(ひたちまるじけん)とは、日露戦争中の1904年(明治37年)6月15日に玄界灘を西航中の、陸軍徴傭運送船3隻がロシア帝国海軍ウラジオストク巡洋艦隊(ウラジオ艦隊)所属の3隻の装甲巡洋艦、「」、「リューリク」および「グロモボーイ」によって相次いで攻撃され、降伏拒否などにより撃沈破された事件である。特に、陸軍徴傭運送船「常陸丸」(日本郵船、6,172トン)の喪失は日本の国内世論を憤激させ、連合艦隊、特に日本海の海上警備を担当していた上村彦之丞中将の第二艦隊に対して非難の声が向けられることとなり、第二艦隊は事件から二か月後の8月14日に起こった蔚山沖海戦でウラジオ艦隊を事実上壊滅させるまでの間、強い批判にさらされた。 本項では、事件当日の6月15日とそれにかかわる事項に極力絞って記述する。ウラジオストク巡洋艦隊のその他の行動については当該項目を参照されたい。.

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伊東祐亨

伊東 祐亨(いとう ゆうこう / すけゆき、天保14年5月20日『平成新修旧華族家系大成』上巻、159頁。(1843年6月17日) - 大正3年(1914年)1月16日)は、日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人、華族。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。初代連合艦隊司令長官を務めた。通称は四郎左衛門、四郎。号は碧海。家紋は庵木瓜。.

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佐藤鉄太郎

佐藤 鐡太郎(さとう てつたろう、慶応2年7月13日(1866年8月22日) - 昭和17年(1942年)3月4日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員、学習院教授。最終階級及び栄典は海軍中将・正三位・勲一等瑞宝章・功三級。山形県鶴岡市出身。.

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リューリク (装甲巡洋艦・初代)

リューリク(Рю́рикъ)は、ロシア帝国の保有した装甲巡洋艦。日露戦争ではウラジオストク巡洋艦隊に所属して活発な通商破壊戦を行ったが、蔚山沖海戦で日本軍の主力艦隊の遊撃部隊である第二艦隊(司令長官: 上村彦之丞中将)に撃沈された。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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ロシア海軍

ア海軍(ロシアかいぐん、Военно-Морской Флот、略称:ВМФ)は、ロシア連邦が保有する海軍。旧ソ連海軍とは密接な関係があるので、ここでは一括して扱う。正式名称を直訳するとロシア連邦軍事海上艦隊となる。.

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ウラジオストク

ウラジオストク(ロシア語:Владивосток ヴラヂヴァストーク、IPA:、;ラテン文字表記の例: Vladivostok、漢語: 海参崴)は、ロシアの極東部に位置する都市で、沿海地方(プリモールスキイ地方、Приморский край)の州都である。.

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ウラジオストク巡洋艦隊

ウラジオストク巡洋艦隊(ウラジオストクじゅんようかんたい、 ヴラヂヴァストークスキイ・アトリャート・クリイスィローフ)「巡洋する艦隊」ではなく「巡洋艦の隊」という意味。は、ロシア帝国の極東・太平洋方面における戦術的艦隊合同である。ウラジオストクに根拠地を置いたロシア帝国海軍バルト艦隊の分遣隊「отряд」は「分遣隊」という意味であるが、日本語文献ではこの隊に限り「艦隊」と意訳している。のひとつで、一等巡洋艦4隻(装甲巡洋艦3隻と防護巡洋艦1隻)と補助巡洋艦1隻を主力として編成された。一般に、ウラジオストク艦隊()とも呼ばれる。日本では浦塩艦隊(うらじおかんたい)とも呼ばれた。1903年に編成され、1906年に解隊した。.

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カールル・イェッセン

ールル・ペトローヴィチ・イェッセン(Карл Петро́вич Ие́ссен カールル・ピトローヴィチュ・イェーッスィェン、1852年6月30日 - 1918年11月30日)は、ロシア帝国の海軍軍人である。デンマーク系。日露戦争ではウラジオストク巡洋艦隊を率いて通商破壊戦を行ったが、蔚山沖海戦で敗れた。.

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グロモボーイ (装甲巡洋艦)

モボーイ」(「グロモボイ」とも。)は、ロシア帝国の建造した装甲巡洋艦(броненосный крейсеръ)である。ロシア帝国海軍での配備当初のは 1 等巡洋艦()で、1907年9月27日付けで装甲巡洋艦()、1915年7月16日付けで巡洋艦()に類別を変更された。ロシア革命ののち、ロシア共和国海軍、さらに労農赤色海軍へ所有者が変わった。 艦名は、キエフ・ルーシ時代の文学作品の登場人物に由来する。クリミア戦争での敗戦後、艦隊の復興と外洋進出を目指すロシア帝国が19世紀後半を通じて整備してきた大型の大洋装甲巡洋艦シリーズに連なる最後の巡洋艦であった本文で触れる「ペレスヴェート」級を除く。。.

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スパイ

パイ(SPY)とは、敵対勢力などの情報を得るため、諜報活動などをする者の総称である。 『Spy』は、『Espy (見つける、探し出す)』と同じで、古期フランス語で 『Espion(見張る者)』を意味しており、『Espionage (諜報活動:現仏語)』の語源。印欧語で『見る』を意味する語幹『Spek』に由来する。.

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スクーナー

フランス海軍の2本マストスクーナー、エトワール メインガフトップセイル、6)メインセイル、7)ブーム スクーナー()とは、2本以上のマストに張られた縦帆帆装を特徴とする、帆船の一種である。スクーナーは、最初にオランダで16世紀から17世紀にかけて用いられ、アメリカ独立戦争の時期に北米で更に発展した。日本では幕末に君沢形と呼ばれた。.

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サンフランシスコ

ンフランシスコ市郡(City and County of San Francisco、通称: San Francisco)は、アメリカ合衆国西海岸にあるカリフォルニア州の北部に位置する都市。.

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出雲 (装甲巡洋艦)

出雲(いずも/いづも)は、日本海軍の装甲巡洋艦。.

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八雲 (装甲巡洋艦)

八雲(やくも)は大日本帝国海軍が日露戦争前にドイツから購入した最初の装甲巡洋艦。六六艦隊の装甲巡洋艦の第一期拡張計画で整備された艦で、日露戦争から太平洋戦争の戦後まで活動した。.

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磐手 (装甲巡洋艦)

手(いわて/いはて)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦。出雲型装甲巡洋艦の2番艦。.

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第一艦隊 (日本海軍)

一艦隊(だいいちかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。もっぱら戦艦を主力とした決戦艦隊に位置づけられていた。.

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第二艦隊 (日本海軍)

二艦隊(だいにかんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。第一艦隊とともに常設の艦隊で、ワシントン軍縮条約による大量廃艦の影響を受けた1921年度の1年間を除くと、1903年の創設から1945年の壊滅まで常時編制された。巡洋艦および巡洋戦艦を主力とした。.

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煙台市

煙台市(えんたい-し、中国語:烟台市、英語:Yantai)は中華人民共和国山東省に位置する地級市。山東半島東部に位置する港湾都市である。山東半島の北海岸を占め渤海湾に面し、東は威海に、南と西は青島にそれぞれ接する。 山東省最大の漁港であり、なおかつ最初期に対外経済開放された沿岸都市の一つで、産業都市としても急発展している。現在は環境のよさ、景観のよさ、投資環境のよさが中国でも指折りと評価されている。海岸線に沿って広がる砂浜や断崖は、観光地として全中国から人が集まる。 かつて西洋人にはチーフー(Chefoo)の名で知られたが、これは伝統的に煙台の行政中心であった市の東寄りにある「芝罘」(チーフー、Zhifu)という陸繋島に由来する。今日の「煙台」という名は明の洪武帝の治世だった1398年(洪武31年)に初出する。この年、倭寇対策のために奇山北麓に城が築かれ、その北の山に倭寇襲撃時に警報の狼煙を上げる塔が建設された。これが簡単に「煙台」とよばれるようになった。.

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衝角

衝角が敵艦の船腹を突き破る様子を描いた模式図。水線付近の舷側装甲帯を避け、その下を突いている。 衝角(しょうかく)は、軍船の船首水線下に取り付けられる体当たり攻撃用の固定武装である。 英語では ram と呼ばれる。.

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装甲巡洋艦

装甲巡洋艦(そうこうじゅんようかん)とは、巡洋艦の一種。船体を防御する装甲帯と装甲板で覆われている事で他の巡洋艦と区別される。.

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魚雷

魚雷(ぎょらい)は、魚形水雷の略称であり、弾頭にエンジンと高速スクリューを組み合わせ、水中を航行し、目標とした艦船などを爆発によって破壊することを目的とした兵器である。魚雷は艦船の喫水下の部分を破壊するため多大の浸水を与え、行動力を奪う。魚雷を用いて攻撃することを雷撃、魚雷攻撃を浴びることを被雷と呼ぶ。 主に中小型の水上艦(水雷艇、駆逐艦、巡洋艦)と潜水艦、雷撃機に搭載されて運用された。現代において、「水上艦や航空機が用いる対水上艦兵器」としては対艦ミサイルに取って代わられたが、より先進的な誘導能力を付与された上で「潜水艦が用いる対水上艦兼対潜水艦兵器」(長魚雷)や「水上艦や航空機が用いる対潜水艦兵器」(短魚雷)として広く配備・運用されている。.

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黒板

黒板(こくばん)は、連絡事項あるいは伝達事項を記入もしくは掲示によって表示する器具 特許庁。文字や絵を繰り返し書いたり消したりできる。学校や企業の事務所などで使われる。 黒板という名称は、英語の の直訳である。日本へはアメリカから伝えられたが、アメリカへはフランス人が伝えた。.

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黄海海戦 (日露戦争)

海海戦(こうかいかいせん)は1904年(明治37年)8月10日に大日本帝国海軍連合艦隊とロシア帝国海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)との間で戦われた海戦。この海戦でロシア太平洋艦隊の艦船は激しく損傷し、以後大規模な海戦を行うことはなかった。.

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防護巡洋艦

防護巡洋艦(ぼうごじゅんようかん;Protected cruiser)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて存在した巡洋艦の形式である。装甲艦や戦艦、装甲巡洋艦が舷側に鋼鉄の装甲を張って防御としていたのに対し、主機室の上の甲板を装甲し(これを防護甲板という)、舷側には装甲を持たない比較的軽防御の巡洋艦をいう。 チリ海軍がイギリスのアームストロング造船所に発注した巡洋艦「エスメラルダ」(1884年竣工)が世界最初の防護巡洋艦といわれる(同艦は1895年に日本海軍が購入し、二等巡洋艦「和泉」となった)。大型の装甲巡洋艦 1 隻の費用で小型高速の防護巡洋艦 3 隻が建造できるとされ、各国が競って装備した。しかし、実戦において防御力の不足が明らかになったこともあり、やがて廃れた。 装甲巡洋艦が巡洋戦艦に進化し、戦艦が前ド級艦からド級艦に移っていったのと同様に、防護巡洋艦も技術や環境の変化につれて軽巡洋艦、さらには重巡洋艦へと変化していった。.

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蔚山広域市

蔚山広域市(ウルサンこういきし、韓国語表記:)は、大韓民国南東部に位置する広域市。1997年7月15日に広域市に昇格する前は慶尚南道に属していた。市のスローガンは「Ulsan for you」。.

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膠州湾

膠州湾租借地と山東半島を描いた1912年の地図 膠州湾(こうしゅうわん、胶州湾, Jiaozhou Bay)は中華人民共和国の山東半島の南側にある、黄海に面した湾。 古くは膠澳と称し、膠州の管轄下にあったことから膠州湾と呼ばれる。.

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通商破壊

通商破壊(つうしょうはかい)とは戦時に、通商物資や人を乗せた商船を攻撃することによって、海運による物資の輸送を妨害すること。主に潜水艦により行なわれたものが有名であるが、航空機や戦艦、武装商船などでも行う。なお、通商破壊に対する護衛・防御のことを通商護衛(つうしょうごえい)と呼び、通商破壊に対抗するために生み出された戦法が護送船団である。.

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東京湾

東京湾の衛星画像(2005年)人工衛星「ランドサット」による。 東京湾(とうきょうわん)は、日本の関東地方にある、太平洋に開けた湾である。南に向けて開いた湾であり、浦賀水道が湾口となっている。 現代の行政上、広義では、千葉県館山市の洲埼灯台から神奈川県三浦市の剣埼灯台まで引いた線および陸岸によって囲まれた海域を指す 。.

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東京日日新聞

#東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)は日本の日刊新聞である『毎日新聞』(まいにちしんぶん)の東日本地区の旧題号で、現在の毎日新聞東京本社発行による毎日新聞の前身にあたる。略称は「東日」(とうにち)。.

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海戦

海戦(かいせん, Naval battle, Naval warfare)は、狭義には艦艇同士の海上戦闘をいうが、広義には航空機、ミサイルなどを用いて海上で行われる戦闘の総称をいう。 武力紛争は、それが展開される地域の区分に従って、陸上は陸戦、海上は海戦、空中は空戦とされ、国際法はおおむねこの区分に従って規定されている。火薬や大砲の発達、汽走軍艦の出現、潜水艦、航空機、レーダー、ミサイルなどの新技術が登場するごとに、海戦の様相は大きく変化し、新しい戦略戦術が生まれている。.

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浅間 (装甲巡洋艦)

浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦(一等巡洋艦)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.56『淺間(あさま)【二代】 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考初代「淺間」の項(p.15)参照。艦歴常磐と姉妹艦なり、我國に於ける装甲巡洋艦として最初の艦なり。明治33年北清事變從軍:同33年8月22日英・獨・露・伊・墺の聯合郡と共に参戰、太沽攻撃に從事(艦長大佐細谷資氏)、同35年6月、高砂と共に英皇戴冠式に参列(司令官伊集院五郎)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年仁川沖海戰に参加(第四戰隊司令官少将瓜生外吉旗艦、艦長大佐八代六郎)、同年8月黄海々戰に参加(艦長同前)、同38年5月日本海々戰に参加(艦長同前)、大正3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月南洋方面に行動し、獨領南洋島占領に從事(艦長大佐吉岡範策)、同3年10月又遣米支隊に属し布哇・北米・中米方面警備に從事(艦長同前)、同4年1月31日遣米枝隊として北米沿岸に活動中、南加州「サンパルトロメー」に於て海圖上に指示されざる無名の暗岩に坐礁し常磐・關東等の掩護の下に非常なる辛酸を嘗めて同5月8日離礁、「エスカイモルト」に於て應急處置を行ひ、工作艦「關東」護衛の下に横須賀に歸着、同所に於て修理完了。同10年一等海防艦に編入、御召艦なること屢次、次の如し。33年4月28日-30日 大演習/36年4月10日-30日大演習/38年10月23日観艦式/41年11月18日-30日大演習(観艦式共) 尚ほ明治43年以來練習艦隊として海軍少尉候補生等の練習任務に服し今日に至る。―要目―(略)起工 明治29年-10-20/進水同31-3-22/竣工同32-3-18/建造所 英國エルスウィック安社』。 日本海軍の法令上は旧字体の淺間だが、本記事では浅間とする。 浅間型装甲巡洋艦のネームシップ。 旧式化に伴い、1921年(大正10年)9月1日附で海防艦に類別変更された。 艦名は群馬県と長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては明治初期のコルベット艦「浅間」に続いて2隻目#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.19『淺間(あさま)【初代】 艦種軍艦 三檣「シップリグ・コルベット」 艦名考山名に採る、淺間山は信濃國北佐久郡、上野國吾妻郡に跨る、標高8,184尺。艦歴明治元年佛國に於て建造、同7年7月開拓使より受領、當時北海丸と號す。同年10月淺間艦と改名、後ち砲術練習艦として當時有名なり。同9年萩の亂從軍、同10年西南役從軍、同24年3月3日除籍、船體は同25年6月横須賀水雷隊攻撃部に付属せしが同29年12月賣却。』。.

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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

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日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう)は、1894年(明治27年)7月25日(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争である。前者がイギリス帝国に接近し、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は戦勝国であったが、多くの兵を病死させている。また、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた。条約により台湾を譲り受けた日本は、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出した。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出した。.

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日本軍

日本軍(にほんぐん、にっぽんぐん)は、広義には日本が有する軍隊のことであるが、狭義には第二次世界大戦以前(以下戦前)の日本が保持していた軍隊(帝国陸軍と帝国海軍の両軍)を指す。第二次世界大戦の敗戦により軍は解体されたため、戦後は旧日本軍(きゅうにほんぐん、きゅうにっぽんぐん)、旧軍(きゅうぐん)などと略称する。また、戦前からの名称・呼称としては陸海軍(りくかいぐん)、帝国陸海軍(ていこくりくかいぐん)、国軍(こくぐん)、皇軍(こうぐん、すめらみいくさ)、官軍(かんぐん)などがある。 戦後、日本の防衛組織として創設された「自衛隊」については、日本国内では「日本軍」と称されることはほとんどない。日本語以外の言語地域では正式には英語名称で「Japan Self-Defense Forces」など「自衛隊」に相当する語で表現するが、「日本軍」に相当する語(「Japanese military」、「Japan Armed Forces」など)で表す場合もある。本項では「旧日本軍」について詳述する。.

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日本海

日本海の位置 日本海(にほんかい)は、西太平洋の縁海で、日本列島、朝鮮半島、沿海州などに囲まれた海である。.

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日本海海戦

東郷平八郎(1907年〈明治40年〉) ロジェストヴェンスキー 日本海海戦(にほんかいかいせん、1905年5月27日 - 28日)は、日露戦争中に行われた海戦である。日本以外ではこれを主力決戦の場所に因み対馬沖海戦(つしまおきかいせん、 (Tsusimskoye srazheniye)、英語:Battle of Tsushima)と呼ぶ。 この海戦は日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。連合艦隊はロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力のほとんどを失わせたが、連合艦隊の損失は軽微という海戦史上稀な一方的勝利となった。これにより両国間のポーツマス講和会議への道を開いた。なお日本では上記のロシア海軍両艦隊を指して「バルチック艦隊」と呼ぶことが定着しており本稿でもこの呼び名を用いる。.

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旅順口区

旅順口区(りょじゅんこうく)は中華人民共和国遼寧省大連市に位置する市轄区。遼東半島の最西部(突端部)にあり、天然の良港として知られて、かつては旅順軍港の軍港都市であり、現在は大連市に編入されている。区人民政府の所在地は新城大街1号にある。大連市内からは45kmの距離で、国家級風景名勝区、国家級自然保護区に指定されている。陸地面積506.8平方km、海岸線の長さは169.7km。沿海では真珠の養殖が盛んである。 旅順口区政府は2009年3月20日付の招待会で、旅順口区を外国人にも開放し、軍事禁区以外は外国人も訪問できるようになったと発表した。しかし、この発表は大連市や国家レベルの承認も得たものでない旨、日本領事館大連事務所から注意喚起されている。市および国家からの正式文書を得た段階で、下の「現状」にある訪問制限の記述も変更される。.

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4月25日

4月25日(しがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から115日目(閏年では116日目)にあたり、年末まではあと250日ある。誕生花はシャガ、モッコウバラ。.

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5月11日

5月11日(ごがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から131日目(閏年では132日目)にあたり、年末まではあと234日ある。誕生花はニセアカシア。.

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