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花柳壽輔 (2代目)

索引 花柳壽輔 (2代目)

二代目 花柳 壽輔(にだいめ はなやぎ じゅすけ、新字体:寿輔、1893年(明治26年)10月3日 - 1970年(昭和45年)1月22日)は、大正から昭和にかけて活躍した舞踊家。日本舞踊 花柳流の二世家元。本名は花柳 芳三郎(はなやぎ よしさぶろう)。 初代花柳壽輔と「とめ」という女性との間に晩年の一粒種として東京に生まれる。はじめ六代目尾上菊五郎に入門し、尾上 菊太郎(おのえ きくたろう)を名乗って歌舞伎役者になるが、父の死去後廃業し、大正7年(1918年)に二代目花柳壽輔を襲名、二世家元を継承する。その後は花柳舞踊研究会を興して新舞踊運動を先導した。1957年、日本芸術院賞を受賞。昭和35年(1960年)人間国宝。昭和38年(1963年)花柳壽輔の名跡を長女・若葉に譲り、自身は花柳 壽應(はなやぎ じゅおう、新字体:寿応)を名乗った。 四代目花柳芳次郎、二代目花柳壽樂、花柳宗岳、花柳寿南海、初代花柳寿美など多くの優秀な人材を育成した。.

20 関係: 大正家元小沢不二夫尾上菊五郎 (6代目)人間国宝花柳壽輔花柳壽輔 (初代)花柳壽楽 (2代目)花柳寿美花柳流朝日新聞東京本社明治昭和日本芸術院賞日本舞踊10月3日1893年1957年1970年1月22日

大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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家元

家元(いえもと)とは、日本の芸道などを家伝として承継している家系のこと。またその家系の当主個人を指しても用いられる。.

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小沢不二夫

小沢 不二夫(おざわ ふじお、 1912年6月13日 - 1966年5月15日)は、東京都出身の脚本家、劇作家、小説家、作詞家である。戦前のチャンバラ量産映画会社として知られる大都映画で、大伴麟三監督と組んだ松山宗三郎(のちの映画監督小崎政房)主演もののオリジナル脚本の作家として登場、戦後は美空ひばりの大ヒット曲『リンゴ追分』の作詞者として知られる。本名は小澤 不二雄(読みは同じ)。.

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尾上菊五郎 (6代目)

六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)は大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。 初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。.

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人間国宝

人間国宝(にんげんこくほう)は、日本の文化財保護法第71条第2項に基づき同国の文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物を指す通称である「人間国宝」は通称であるが、これに代わる法令上の正式名称はなく、「重要無形文化財の各個認定の保持者」のように説明的に言及するほかない。。文化財保護法には「人間国宝」という文言はないが、重要無形文化財の各個認定の保持者を指して人間国宝と呼ぶ通称が広く用いられている。.

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花柳壽輔

花柳 壽輔(はなやぎ じゅすけ、新字体:寿輔)は、花柳流宗家の家元が襲名する名跡。初代壽輔の師、七代目市川團十郎が、自らの俳号「壽海老人」の一字を贈ったことが由来である。「花柳壽輔」及び「花柳寿輔」は2008年12月より花柳寛の登録商標(登録番号5192213、5192215)。.

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花柳壽輔 (初代)

初代 花柳 壽輔(しょだい はなやぎ じゅすけ、1821年3月22日(文政4年2月19日) - 1903年(明治36年)1月28日)は、日本舞踊家、振付師。日本舞踊花柳流の初世家元。江戸期から明治初期にかけて『勧進帳』『船弁慶』など多くの舞台において振付を行い、舞踊界、歌舞伎界の中心的な役割を果たした。 .

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花柳壽楽 (2代目)

二代目 花柳 壽楽(にだいめ はなやぎ じゅらく、新字体:壽樂、新字体:寿楽、1918年(大正7年)3月7日 - 2007年(平成19年)1月7日)は、昭和から平成にかけて活躍した日本舞踊 花柳流の舞踊家。人間国宝。本名は青山 次郎(あおやま じろう)。花柳流の伝統を継承して古典舞踊を伝えるとともに、創作舞踊にも積極的に取り組み、宝塚歌劇団の演目の振付なども行った。 講談師の三代目錦城斎典山(さんだいめ きんじょう さいてんざん)の次男として東京に生まれる。昭和7年(1932年)義兄にあたる二代目花柳壽輔に入門して師事するかたわら、1937年(昭和12年)には六代目尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に修学、卒業後の昭和23年(1948年)初代花柳錦之輔(しょだい はなやぎ きんのすけ)を名乗り、花柳舞踊研究会の中心となった。 昭和40年(1965年)には花柳錦之輔の名跡を長男に譲り、自身は花柳壽樂の名跡を二代目として襲名。五代目花柳芳次郎とともに、家元を継いだばかりの姪・三代目花柳壽輔の後見人となった。昭和49年(1974年)紫綬褒章受章。平成14年(2002年)には人間国宝に認定、翌年には日本芸術院会員となっている。 平成19年(2007年)肺気腫のため死去、88歳だった。.

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花柳寿美

初代花柳 寿美(はなやぎ すみ、女性、1898年(明治31年)2月11日 - 1947年(昭和22年)2月8日)は、日本舞踊家。新舞踊運動を興した舞踊家の一人である。本名は大橋 勇(いさみ)。.

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花柳流

花柳流(はなやぎりゅう)は、日本舞踊の流派のひとつ。門弟は全国に約2万人を数え、日本舞踊では最大の流派。嘉永2年(1849年)初代花柳芳次郎(後の初代花柳壽輔)が創始。家元は「花柳壽輔」の名跡を継承し、現在は五代目壽輔が家元の座にある。 西川流の有能な舞踊家だった西川芳次郎が、師の四代目西川扇蔵の急死によって起きた宗家相続争いで西川流を破門されたため、新たに「花柳」と改姓し興した流派。「花柳芳次郎」の名前が初めて世に出たのが嘉永2年(1849年)で、この頃までに花柳流が成立したと見られる。「花柳」という名称の由来には諸説あるが、通説では芳次郎が幼い頃から吉原に育ち、破門の後に一時芸妓に舞踊を教えた経験から、「花柳の廓」にちなんで付けられたということになっている。 踊りの特徴について二代目市川猿之助(初代猿翁)は、「他の流派に比べて細かい間のリズムが重視され、舞よりも踊りを重視している」と解説している。 確かな技量に加えて時の芸能界や政財界のトップを後援につけ、組織を全国に発展。古典舞踊の継承と共に時代に即した新しい舞踊を次々と生み出し、また日本の子供に日本舞踊を伝えることを流派全体の事業と位置づけている。.

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朝日新聞東京本社

朝日新聞東京本社(あさひしんぶんとうきょうほんしゃ)は、首都圏を中心とした東日本(関東・東北・甲信越)地域、天竜川以東の静岡県に於いて朝日新聞を印刷・発行する朝日新聞社の地域本社である。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本芸術院賞

日本芸術院賞(にほん げいじゅついん しょう、旧字体:藝術院)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。卓越した芸術作品を作成した者または芸術の進歩に貢献した者に対して授与される。戦前は帝國藝術院賞(ていこく げいじゅついん しょう)といった。 昭和16年度にあたる1942年(昭和17年)の第1回から、第二次世界大戦の末期と直後(1945年 - 1947年)を除いて毎年授与されている。昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からは受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対して「恩賜賞」を授与するようになった。 恩賜賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賞状・賞牌・賞金が贈呈される。 授賞式は、天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、毎年6月に挙行される。 日本芸術院賞を受けると、その多くの者は後日、日本芸術院会員に推される。ただし日本芸術院会員は終身制で定員120と定められているため、日本芸術院賞受賞者全員が会員になれるとは限らない。.

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日本舞踊

日本舞踊(にほんぶよう)は、日本のいわゆる伝統的な踊りの総称である。日本の伝統的なダンスである舞(まい)と踊(おどり)を合わせたもの。 近年、日本舞踊の国際化に伴い欧米諸国やアジアにも Nihombuyo といった呼称が定着しつつある。.

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10月3日

10月3日(じゅうがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から276日目(閏年では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。.

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1893年

記載なし。

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1957年

記載なし。

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1970年

記載なし。

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1月22日

1月22日(いちがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から22日目に当たり、年末まであと343日(閏年では344日)ある。.

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