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舞曲

索引 舞曲

舞曲(ぶきょく)は、舞踏のリズムを取りやすくするなどのために使われる伴奏の音楽、あるいは、舞踏のリズムを取り入れた小規模な楽曲。西洋音楽において、舞曲は単独の作品として作曲される場合と、大規模な作品の一部として使用される場合の2つのケースがある。なおバレエ音楽は舞踏のための伴奏音楽に違いないが、一般には舞曲に含めない。.

64 関係: 古典派音楽吉松隆交響曲伴奏作曲ミュゼットミヒャエル・プレトリウスマズルカチャールダーシュハンガリー舞曲バルトーク・ベーラバレエ音楽バロック音楽ポルカポロネーズポーランドメヌエットヨハネス・ブラームスラシュスコ舞曲リゴドンリズムルーマニア民俗舞曲レントラーレオシュ・ヤナーチェクロマン派音楽ワルツヴェルブンクヴェルブンコシュボレロ (ダンス・音楽)トワノ・アルボブランルブレープレイアデス舞曲集パヴァーヌパッサカリアパスピエフォリアダンスアルマンドアントニン・ドヴォルザークウィンナ・ワルツエコセーズエスタンピーオルケゾグラフィガランタ舞曲ガヴォットガイヤルドクヤヴィアククラコヴィアククーラント...コダーイ・ゾルターンシチリアーナシャコンヌジグ (音楽)スラヴ舞曲スケルツォタランテラタンゴサラバンドサルタレロ組曲西洋音楽VoLTE楽曲 インデックスを展開 (14 もっと) »

古典派音楽

古典派音楽(こてんはおんがく)は、クラシック音楽の歴史において、1730年代から1820年代まで続いた時期の芸術音楽の総称。.

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吉松隆

吉松 隆(よしまつ たかし、1953年3月18日 - )は、日本の作曲家。東京都渋谷区生まれ。.

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交響曲

交響曲(こうきょうきょく、Symphony、Sinfonie又はSymphonie)は、管弦楽によって演奏される多楽章構成の大規模な楽曲である。シンフォニー、シンフォニア(Sinfonia)とも呼ばれる。「管弦楽のためのソナタ」ともいえる。 原則として4つ程度の楽章によって構成され、そのうちの少なくとも1つの楽章がソナタ形式であることが定義であるが、特に近現代においては、例外も多い。.

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伴奏

伴奏(ばんそう)は、主として西洋音楽で使われる音楽用語で、主たる旋律を演奏する単数または複数の歌手または奏者に対し、副次的な演奏をすることをいう。 また、演劇や映画・ドラマなどで流れる音楽のことも「伴奏」といい、劇伴という。.

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作曲

作曲(さっきょく)は、曲および音楽作品を作ること。作曲をした人を作曲者、作曲を業とする人を作曲家と呼ぶ。.

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ミュゼット

ミュゼット(musette)は、フランスの地方の民族音楽と、そこから派生した様々な音楽概念について用いられる。.

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ミヒャエル・プレトリウス

ミヒャエル・プレトリウス(Michael Praetorius、おそらく1571年2月15日 - 1621年2月15日)はドイツの作曲家・オルガニスト・音楽理論家。当時の最も多作で最も多彩な作曲家のひとり。プロテスタントの賛美歌の発展においてとりわけ重要。プレトリウス一族の最も有名な音楽家である。 大バッハの生地で知られるアイゼナハの北西約10㎞に位置する村クロイツブルクに生まれ、トルガウやフランクフルト・アン・デア・オーダー、ツェルプストなどに学ぶ。フランクフルトのマリア教会オルガニストを務めた後、1604年からヴォルフェンビュッテル宮廷にてオルガニスト兼宮廷楽長に就任。1613年から1616年まで、ドレスデンのザクセン宮廷に仕え、ヴェネツィア楽派の複合唱様式による最新のイタリア音楽を演奏した。ジョヴァンニ・ガブリエーリのようなヴェネツィア楽派の作品を熟知していたおかげで、プレトリウスはその後に教会コンチェルト様式を発展させることができた。 プレトリウスは甚だ多作な作曲家であり、ザムエル・シャイトやハインリヒ・シュッツ、同時代のイタリア音楽の影響を示している。プレトリウスの作品は、1000曲以上のコラールと賛美歌の編曲を含む9巻の曲集《シオンの音楽 Musae sioniae》(1605-10年)などがある。そのほかは、ほとんどがルター派教会のための作品である。舞曲集《テルプシコーレ Terpsichore》は、プレトリウスの現存する唯一の世俗音楽集である。3巻の論文集『音楽大全(シンタグマ・ムジクム) Syntagma musicum』(1614-20年)は、同時代の演奏習慣や楽器について詳細な説明と図解がなされ、音楽学・形態学研究や、古楽演奏の分野にとって、重要な文献となっている。.

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マズルカ

マズルカ(mazurek, クラシックの曲名としては mazurka が古くより一般的に使われている)は、4分の3拍子を基本とする特徴的なリズムを持つ、ポロネーズと並んで有名なポーランドの民族舞踊およびその形式(舞曲)。.

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チャールダーシュ

チャールダーシュ チャールダーシュまたはチャルダッシュ( 、)は、ハンガリー音楽(英語版)の、ヴェルブンコシュから派生したジャンルである。.

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ハンガリー舞曲

『ハンガリー舞曲集』(ハンガリーぶきょくしゅう、Ungarische Tänze)WoO.1 は、ヨハネス・ブラームスがハンガリーのジプシー(ロマ)音楽に基づいて編曲した舞曲集。もとは四手用のピアノ曲として書かれた。全部で21曲あり、それぞれの長さは1分程度のものから4分程度のものまでとまちまちである。中でも、管弦楽用に他者によって再編曲された第5番がとりわけ有名である(曲自体はのチャールダーシュ "Bártfai emlék" による)。.

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バルトーク・ベーラ

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor János, 1881年3月25日 - 1945年9月26日)は、ハンガリー王国の バーンシャーグ地方のナジセントミクローシュに生まれ、ニューヨークで没したクラシック音楽の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家。 作曲以外にも、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行った。またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から教えを受けた、ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師として活動した。ドメニコ・スカルラッティ、J・S・バッハらの作品の校訂なども行っている。.

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バレエ音楽

バレエ音楽(バレエおんがく)は、バレエの伴奏を目的として作曲された音楽。もともとバレエのために作曲されたものだが、バレエ以外のダンスの伴奏になることや、それ自体が音楽作品として演奏会で演奏されることもある。.

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バロック音楽

バロック音楽(バロックおんがく)は、ヨーロッパにおける17世紀初頭から18世紀半ばまでの音楽の総称である。この時代はルネサンス音楽と古典派音楽の間に位置する。絶対王政の時代とほぼ重なる。.

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ポルカ

ポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲である。速い2拍子のリズムに特徴がある。チェコのほか、タトラ山脈近辺のスロヴァキア、ポーランドなどの山岳地帯にも広がりをみせている。.

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ポロネーズ

ポロネーズ(polonaise、polonez、polacca)とは、フランス語で「ポーランド風」の意であり、マズルカと並んでポーランド起源のダンスまたはそのための曲の形式(舞曲)である。テンポがゆっくりな4分の3拍子で、もとはポーランドの民族舞踊であったが、1つの様式となってヨーロッパで流行した。特にショパンの英雄ポロネーズ、軍隊ポロネーズが有名。.

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ポーランド

ポーランド共和国(ポーランドきょうわこく、Rzeczpospolita Polska)、通称ポーランドは、中央ヨーロッパに位置する共和制国家。欧州連合 (EU)、北大西洋条約機構 (NATO) の加盟国。通貨はズウォティ。首都はワルシャワ。 北はバルト海に面し、北東はロシアの飛地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境を接する。 10世紀に国家として認知され、16世紀から17世紀にかけヨーロッパで広大な国の1つであったポーランド・リトアニア共和国を形成。18世紀、4度にわたり国土が隣国によって分割され消滅。 第一次世界大戦後、1918年に独立を回復したが、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツとソビエト連邦からの事前交渉を拒否し両国に侵略され、再び国土が分割された。戦後1952年、ポーランド人民共和国として国家主権を復活、1989年、民主化により共和国となった。冷戦時代は、ソ連の影響下に傀儡政権の社会主義国とし最大で最も重要なソ連の衛星国の一国となり、政治的にも東側諸国の一員となった。国内及び東側諸国の民主化とソ連の崩壊と東欧革命を経て、「中欧」または「中東欧」として再び分類されるようになっている。.

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メヌエット

メヌエット(Menuett メヌエット、minuetto ミヌエット、minuet ミヌエット、menuet ムニュエ)は、ヨーロッパの舞曲のひとつ。4分の3拍子で、2小節が1つの単位となってフレーズが構成されている。フランスの民俗舞踊に由来する。バロック時代に独立した楽曲として、また、組曲の1曲として数多く作曲された後、交響曲に取り入れられた。ハイドンやベートーヴェンによってスケルツォが分化した。.

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ヨハネス・ブラームス

ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風はおおむねロマン派音楽に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。 ベートーヴェンの後継者ととらえる人もおり、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の『交響曲第1番』を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評した。.

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ラシュスコ舞曲

ラシュスコ舞曲は、レオシュ・ヤナーチェクの成熟期の幕開けを告げた作品である。1888年から1890年にかけて成立した(1889年の作曲とも言われる)。当初は《ヴァラシュスコ(Valašsko)舞曲》と題されていたが、後に現在のように改称され、作品の由来となった地域ラシュスコ(Lašsko)を特定することとなった。この曲集のうち、最後の2曲をピアノ独奏用に編曲し、さらに1892年ごろに新曲〈エイ・ダナイ〉を付け加えたものが、ピアノ曲集《3つのモラヴィア舞曲》である。.

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リゴドン

リゴドン(リゴードン、仏:Rigaudon)は、南フランスのプロヴァンス地方を起源とする舞曲。4分の2または4分の4拍子で、快活なテンポで演奏される。バロック時代の組曲の中に用いられていることが多い。.

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リズム

リズム(rhythm)は古代ギリシャに生まれた概念で、ῥυθμός - rhythmos(リュトモス)を語源とする。リュトモスは古代ギリシャ語では物の姿、形を示すのに一般的に用いられた語で、たとえば「αという文字とβという文字ではリュトモス(形)が違う」というように用いられた。やがて、音楽におけるひとつのまとまりの形をリュトモスと言うようになった徳丸吉彦『音楽理論の基礎('07)第10回「リズムと時間構造」』、放送大学学園東京テレビジョン放送局・放送大学学園東京デジタルテレビジョン放送局、放送日2010年2月25日など。。 時間軸の中に人間に知覚されるような2つの点を近接して置くと、2点間の時間に長さを感じるようになるが、その「長さ」をいくつか順次並べたものをリズムという。律動(りつどう)と訳される。.

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ルーマニア民俗舞曲

ルーマニア民俗舞曲(ルーマニアみんぞくぶきょく)Sz.56は、バルトーク・ベーラが1915年に作曲した6曲からなるピアノの小品の組曲である。1917年、自身の手により小管弦楽に編曲された。バルトークの最もよきルーマニアの友人であり、また最も民謡採集に協力した人物であるイオン・ブシツィアに献呈された。.

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レントラー

レントラー(独:Ländler)は、3/4拍子の南ドイツの民族舞踊である。18世紀末頃まで、現在のドイツ、オーストリア、スイスにあたるドイツ圏南部一帯で踊られた。.

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レオシュ・ヤナーチェク

レオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček, 1854年7月3日 - 1928年8月12日)は、モラヴィア(現在のチェコ東部)出身の作曲家。 モラヴィア地方の民族音楽研究から生み出された、発話旋律または旋律曲線と呼ばれる旋律を着想の材料とし、オペラをはじめ管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲に多くの作品を残した。そのオペラ作品は死後、1950年代にオーストラリアの指揮者チャールズ・マッケラスの尽力により中部ヨーロッパの外に出て、1970年代以降広く世に知られるようになった。.

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ロマン派音楽

マン派音楽(ロマンはおんがく)は、古典派音楽をロマン主義の精神によって発展させていった、ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽を指す。.

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ワルツ

ワルツを踊る男女 ワルツ(、 (ウォールツ)、(ヴァルス)、(ヴァルツァー))もしくは円舞曲(えんぶきょく)とはテンポの良い淡々とした舞曲、及びそれに合わせて踊るダンスを言う(→ワルツ (ダンス) )。舞曲は3拍子が一般的である。.

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ヴェルブンク

ヴェルブンク(verbunk 、)はハンガリーのダンス(→ハンガリーの音楽)のうち、ハンガリー常備軍の設立(1715年)からハンガリー独立戦争(1848年)にかけて行われていた募兵活動の中で生まれた古いタイプのダンスと音楽ジャンル。1866年に徴兵制度が導入されるとこの募兵活動は廃止となった。 当時のハンガリーでの兵士の補充活動は、強制的徴兵の他、募兵という方法が採られていた。これは、この制度が始まった当初から、居酒屋(チャールダ)においての酒宴という形で行われていた。ハンガリー軍はこうして、「軍隊生活の楽しさ」をアピールしようとした。 これは次第に芸術的に完成されたものとなってゆき、18世紀の後半にヴェルブンコシュ音楽の基礎となった。.

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ヴェルブンコシュ

ヴェルブンコシュ(verbunkos )は、18世紀の終わりから19世紀の中葉にかけ、ハンガリーで展開したダンス音楽の一スタイル。ハンガリーの音楽史のうち、1780年~1830年にかけての時期をヴェルブンコシュ期と呼ぶ。 募兵活動で使われた男性のダンス・ヴェルブンクを基礎とする。 ハンガリー音楽がすでにそうであるように、ヴェルブンコシュ音楽も歴史的な多くの要素の複合の中で生まれた。たとえばヴェルブンコシュ音楽に使われている旋律要素の起源を辿って行くと、ハンガリー民俗器楽音楽の伝統的要素の他、イスラム世界・中近東諸民族・バルカンの要素、スラブ諸民族の要素、ルーマニアの要素、更にウィーン、イタリアの要素などを見い出せる。 Category:ハンガリーの音楽.

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ボレロ (ダンス・音楽)

ートレック画、1895年) ボレロ(bolero)はスペイン起源のダンスまたは音楽。18世紀末に始まったもので、1780年頃に舞踊家セバスティアーノ・カレッソ(Sebastiano Carezo)が創作したともいう。3拍子で、元来は歌にカスタネットやギターでリズムをつけ、1人またはペアで踊るダンスだった。19世紀になるとヨーロッパ全体に広まった。.

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トワノ・アルボ

トワノ・アルボ著「オルケゾグラフィ」表紙 ジュアン・タブロ(Jehan Tabourot)、筆名トワノ・アルボ(Thoinot Arbeau, 1520年3月17日ディジョン - 1595年7月23日ラングル没)は、ラングルの司祭。1589年(勅許は1588年)に出版した、ヨーロッパ史上初めて音楽とダンスのステップを細かく記述したオルケゾグラフィ (Orchésographie)の著者として有名である。 そのほかの著書には、1582年のKalendrier des bergersがある。.

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ブランル

ブランル(仏語:branle)は、16世紀前後のヨーロッパ、特にフランスを中心に普及した集団舞踊およびその舞曲である。語源は仏語で「揺れる」を意味するbranlerとされる。もともとは庶民が野外で踊っていたものをバス・ダンスのステップの一つとして取り入れたものだが、後に単独の舞踊となった。 基本は男女のペアが輪になって踊る輪舞の一種であり、陽気なステップが中心となっている。パヴァーヌやバス・ダンスのような洗練さは乏しく、やや田舎じみた踊りとも評されるが、気軽にはしゃげる踊りとして、あまり格式ばらない祝祭時を中心に、身分の上下にかかわらず広く楽しまれた。 トワノ・アルボの教本によると、ブランルを踊る際には、概ね3ないし4曲の異なるテンポの楽曲…最初から順番に、ブランル・ドゥーブル、ブランル・サンプル、ブランル・ゲイ、そして最後にブルゴーニュ風・ブランル(もしくは地元独自のブランル)…が、あたかも組曲のように演奏された。ブランル・ドゥーブルとブランル・サンプルは、ともに中庸のテンポで演奏される偶数拍子の曲であるが、ステップの違いで区分される(ブランル・ドゥーブルは、曲名にある通りダブルステップがアクセントになっている)。ブランル・ゲイは3拍子のやや速い曲で、踊り手は2拍ステップを踏んで1拍休止という動作を繰り返しながら左回りに進んでゆく。最後に演奏されるブランルはかなり速いテンポの偶数拍子の曲で、しばしば手の動きを加えながら、ブラ ンル・ドゥーブルと同じステップを賑やかに踏んでいく。 例えば、1曲が終わるごとに次第に若いペアに踊り手が交代していくことで、世代の違いを超えて同じ舞踊を楽しめたことも、この舞踊が親しまれる一因となった。また、小道具を使って踊り、それを手渡すことで自分の思いを相手に伝えたりといった趣向も盛んだったようで、「たいまつのブランル」など現在に伝わっている楽曲もある。 楽曲は17世紀初頭にミヒャエル・プレトリウスが編纂した「テルプシコーレ」などに多数収録されている。また、リコーダーアンサンブルなどのレパートリーとして様々な編曲がなされており、広く親しまれている。 Category:舞曲.

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ブレー

ブレー(20世紀初頭) ブレーまたはブレ、ブーレ(bourrée)は、オーヴェルニュとビスカヤに共通する17世紀の舞曲。速いテンポの2拍子の舞曲で、ガヴォットに似ている。組曲の中の舞曲や、独立した小品の形式としても利用されている。 ショパンなどもピアノのためのブレーを作曲しているが、代表的なブレーはバロック音楽の作曲家によって作曲され、ヘンデルの室内楽曲やバッハのチェンバロ曲が有名である。 ブレーのステップは、ポワントもしくはドミポワントとして、バレエの急速な楽章を構成するのにも利用されている。パ=ド=ブレー(パソ・ドブレに非ず)は、両脚をたわませ、片脚を伸ばしてから、2度跳び上がって着地し、膝を曲げるステップである。.

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プレイアデス舞曲集

プレイアデス舞曲集(ぷれいあですぶきょくしゅう、英題:Pleiades Dances)は、吉松隆の作曲したピアノ独奏のための小品集。2017年時点で計9巻が書かれている。.

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パヴァーヌ

パヴァーヌ(pavane)は、16世紀のヨーロッパに普及した行列舞踏である。 パヴァーヌのかしこまった行進は、厳粛なスペインに影響された16世紀イタリアの宮廷作法に似つかわしく、パヴァーヌはスペイン起源の舞曲なのかもしれないと想像させるが、パヴァーヌの名称の由来はいまだに諸説に分かれている。そのうち一つは、「パドヴァの踊り」(padovana )の転訛とするもの、もう一つは、一列に並んだ女性を、孔雀(ラテン語でpavo、スペイン語でpavon)の尻尾に見立てたとするものである。 パヴァーヌは、イングランドやフランス、イタリアの舞踏指南書に登場し、より活き活きとした舞曲ガイヤルドとしばしば対にされている。またパヴァーヌという語は、ダンスを伴奏する特定の音楽を描写するのに使われた。1630年代半ばにダンスそのものは時代遅れになり、ルイ14世の宮廷でパヴァーヌはアルマンドに追い落とされたが、曲としてのパヴァーヌは数百年にわたって生き続けてきた。 ダンスとしてのパヴァーヌは、しばしば一組のカップルの行進の意味で使われている。アルボーのフランス語のダンス指南書『オルケゾグラフィ』(Orchésographie )によると、パヴァーヌは王侯貴族のための踊りで、たいてい即席の舞踊であり、踊り手は自由自在にステップを飾り立てることができた。イングランドの資料によると、パヴァーヌは、いくつかの小節ごとに組み分けされた単純な舞曲で、振付けられている。イタリアの文献によると、パヴァーヌはしばしばかなり手の込んだダンスで、ガリアルダなどの部分が続いた。 パヴァーヌに使われたステップは、現代においては、時おり結婚式場での「ためらいの足取りhesitation step 」に見ることができる。エリザベス1世は、ガイヤルドと並んでパヴァーヌに偏愛を示した。このため同女王が主役の、キース・ロバーツの1968年のSF小説は『』と題されている。 近現代で曲名にパヴァーヌを用いた主要な作品としては、以下の例がある。.

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パッサカリア

パッサカリア(passacaglia, pasacalle, passacaille, passacalia)は、主に17世紀から18世紀にかけて用いられた音楽形式の1つ。 パッサカリアはスペインに起源を持ち、スペイン語の pasear (歩く)と calle (通り)に由来している。パッサカリアは17世紀初期にはギターで和音を奏するリトルネッロ(歌の前奏・間奏などの器楽演奏部分)を意味していた。 I-IV-V-I の和声進行が最も一般的で、歌に合わせて調や拍子が決められた。パッサカリアに対する言及は1605年頃のスペインの文献に初めて現れる。によるギターのためのタブラチュア Nuova inventione d'intavolatura per sonare li balletti sopra la chitarra spagniuola (1606年)にはパッサカリア及びチャッコーナ(シャコンヌ)が含まれている。通常の記譜法で書かれたパッサカリアの最初の例はジローラモ・フレスコバルディの鍵盤楽器のための Partite sopra passacagli (1627年)である。 パッサカリア及びチャッコーナは芸術音楽の領域に取り込まれるようになって、共にオスティナート・バスに基づく3拍子の変奏曲となり、関係が深くなっていった。主にパッサカリアは短調、チャッコーナは長調の定型が用いられた。フレスコバルディの Cento partite sopra passacagli (1637年)ではパッサカリアとチャッコーナが交互に現れる箇所がある。 フランスではパッサカリアは荘重な3拍子の器楽舞曲として扱われるようになった。しばしばロンド形式をとり、シャコンヌとの区別は曖昧となった。 ドイツのパッサカリアはフランスとイタリア両国から影響を受けている。シャコンヌとの関係はより複雑化し、マッテゾン、ヴァルター、クヴァンツといったドイツの理論家は、パッサカリアとシャコンヌの違いを明らかにしようとしたが、徒労に終わっている。.

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パスピエ

パスピエ パスピエ(仏語:passepied)は、17世紀から18世紀の古典舞曲。ブルターニュに起源を発し、17世紀にパリで大流行した。「パスピエ」という語は、passa-piedないしはpasse-piedが語源で、「通行する足」の意味であり、この舞曲に特徴的な軽やかなステップを言い表すものだった。古い時代は、8分の3拍子ないしは8分の6拍子の速い旋舞であり、性格的にジグやカナリーに近かった。ドビュッシーの《ベルガマスク組曲》の終曲「パスピエ」は、行進曲調の踏み踊りとして作曲されている。 当時の英語では、当時のフランス語からの音訳である「パスピー paspy」という語が使われたが、これは現代英語としては通用しない。 Category:舞曲.

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フォリア

フォリア(folia)は、イベリア半島起源の舞曲。15世紀末のポルトガルあるいはスペインが起源とされるが、いずれかは定まっていない。サラバンドと同じく3拍子の緩やかな音楽。フォリアとは、「狂気」あるいは「常軌を逸した」という意味があり、もともとは騒がしい踊りのための音楽であったことが窺われるが、時代を経て優雅で憂いを帯びた曲調に変化した。 フォリアは、低音部の進行及び和声進行が定型化されるにつれて、これをもとに変奏曲形式で演奏することが広まった。17世紀にはイタリアで大流行し、多くの作曲家が採り上げている。このような手法は、シャコンヌやパッサカリアなどの変奏曲、あるいは『パッヘルベルのカノン』とも共通するものである。とくに、アルカンジェロ・コレッリの『ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ』作品5の12曲中最後に置かれた『ラ・フォリア』がよく知られ、フランチェスコ・ジェミニアーニはこの楽曲を合奏協奏曲に編曲にしている。その後も各時代で扱われたほか、フォリアとは明記されていないものでも、フォリアの低音部進行を部分的に採用している曲も多い。 コレッリの曲が有名になったため、フォリアそのものがコレッリの作品と同一視されるという誤解も広まり、20世紀になって、セルゲイ・ラフマニノフは、フォリアを題材にした変奏曲を作曲したとき、『コレッリの主題による変奏曲』作品42という題名をつけているほどである。.

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ダンス

ダンス(dans、dance)は伴奏に合わせて演じられる一連の動作である。ソロ、デュエットあるいは集団で演じられ、祭りや儀式の場においても行われるGrau 1999, pp.2,8。太古から神々への礼拝、国事の祝い、歴史の伝承、言葉を用いない権力への抵抗、戦闘前の行事といった役割から身体を動かして自己を表現し、感情的、精神的、肉体的に自らを称賛したり、労働の際に共同体の協力を得る手段としても、またあるものは長い年月を経て洗練された舞台芸術となっている。 日本では、はじめdanceの訳語として、舞(狭義の「ダンス」)と踏(「ステップ」)を組み合わせた舞踏(ぶとう)が使われた。しかし、坪内逍遥の「新楽劇論」(1904年(明治37年))で舞踊(ぶよう)という言葉が使われるようになり、現代ではこちらの方が一般的である。舞踊は、坪内逍遥と福地桜痴による造語で、日本の伝統的なダンスである舞(まい)と踊り(おどり)を組み合わせたものである。.

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アルマンド

アルマンド アルマンド(仏:allemande、「ドイツ風」の意)は舞曲の一種である。バロック音楽の時代には器楽曲形式として栄え、組曲の第一曲、または前奏曲に続く第二曲として採用されることが非常に多かった。.

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アントニン・ドヴォルザーク

アントニーン・レオポルト・ドヴォルザーク(チェコ語:Antonín Leopold Dvořák 、1841年9月8日 - 1904年5月1日)は後期ロマン派におけるチェコの作曲家。チェコ国民楽派を代表する作曲家である。チェコ語の発音により近い「ドヴォルジャーク」「ドヴォジャーク」という表記も用いられている(表記についてはドヴォジャークを参照)。 ブラームスに才能を見いだされ、『スラヴ舞曲集』で一躍人気作曲家となった。スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれる。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させている。 代表作に、弦楽セレナード、管楽セレナード、ピアノ五重奏曲第2番、交響曲第7番、交響曲第8番、交響曲第9番『新世界より』、スラヴ舞曲集、この分野の代表作でもあるチェロ協奏曲、『アメリカ』の愛称で知られる弦楽四重奏曲第12番などがある。.

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ウィンナ・ワルツ

ウィンナ・ワルツ ウィンナ・ワルツ (Wiener Walzerヴィーナー・ヴァルツァー、Viennese waltzヴィアニーズ・ウォールツ) は、19世紀のウィーンで流行し、ウィーン会議を通してヨーロッパ中に広まっていった3拍子のワルツ。 ウィンナ・ワルツにおける3拍子は、3拍が均等な長さを持たず、2拍目をやや早めにずらすように演奏され、独特の流動感を生んでいるが、これは当時の演奏習慣ではなく、20世紀中頃に成立した習慣である、とする見解もある。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートは、シュトラウス一家の作品を中心とするウィンナ・ワルツが演奏されることで有名である。 オーストリアの無形文化遺産となっている。 ウィーンでは冬に約450の舞踏会が催され、朝まで踊り続けられる。ウィーン市内にはダンス学校が30超あり、15歳位の高校生になると、舞踏会デビューに備えワルツを習い、経済的に苦しい生徒には無料でレッスンするダンス学校もある。最近のはやりは、ヨハン・シュトラウス2世の像のある公園でヘッドホンをかけてのサイレント・ワルツ。ウィーンでダンス講師をする日本人女性の羽部真紀子によると、ウィンナ・ワルツは男性が女性の目を回して、その後ワインを飲んで、何でもお願いできるために踊るので、男性は目を回さず他のカップルとぶつからないリード技量が必要だという。.

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エコセーズ

ーズ(Ecossaise)は18世紀末から19世紀初めにかけてフランスとイングランドで特に流行したスコットランドのフォークダンス。 フランス語で:スコットランド風(舞曲)の意味。通常は4分の2拍子である。 この音楽形式をクラシック音楽の作曲家も用いている。ベートーヴェン、シューベルト、ショパンはいずれもピアノのためのエコセーズを作曲しており、彼らの快活さを示している。.

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エスタンピー

タンピー(エスタンピエ、エスタンピ、estampie aka estampida, istampitta, istanpitta, stampita)とは、中世ヨーロッパのダンス・楽式の両方を指す。.

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オルケゾグラフィ

初版の表紙 スペインのパヴァーヌについての解説 オルケゾグラフィ (フランス語 Orchesographie et traicté en forme de dialogue par lequel toutes personnes peuvent facilement apprendre & practiquer l'honneste exercice des dances)は1589年(勅許は1588年)にラングルの僧侶であったジュアン・タブロ(Jehan Tabourot)がトワノ・アルボ(Thoinot Arbeau)の名で出版したダンスを取り扱った書である。 この書は1596年に著者の死後の再版をされた他、1878年以降、数多くの再版をされて現在に至っている。 オルケゾグラフィは16世紀のダンスの実際についての最も完全な資料である。また特筆すべきことは初めて楽曲に対応させてダンスのステップを詳細に記録した手引書ということであろう(21曲に及ぶ舞曲の楽譜が記載されている)。同時に打楽器についての初めての指導書でもある。 オルケゾグラフィの目的は若い「人々」、つまり良家の子女にダンスのステップと作法を手ほどきすることにあり、扱われているダンスは中世やこれに先立つ時代の書物に現れるものとは差異を見せている。こうした、「教育書」といえる書物の初期の例としても画期的な書のひとつである。 本文はCapriolと名乗るダンスの技術には未熟な宮廷の若者が、その指導者であるアルボArbeauに教えを請う会話形式で書かれている。.

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ガランタ舞曲

ランタ舞曲(Galántai táncok )はコダーイ・ゾルターンが1933年に作曲した管弦楽曲。楽譜に指定された演奏時間は15分。.

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ガヴォット

ヴォット・ダンス(フランス、ブルターニュ地方・1878年) ガヴォット(仏語:gavotte)は、フランスの地方のフォークダンスと、それに由来する古典舞曲の名称。「ガヴォット」の名は、踊りの発祥したドーフィネ旧地域圏のペイ・ド・ギャップ(Pays de Gap)地方ガヴォ(Gavot)に由来する。 ガヴォットは、中庸のテンポの舞曲で、4分の4拍子ないしは2分の2拍子で記譜される。ガヴォット特有のリズムの特色は、小節の半ばかアウフタクトに始まることである。 ガヴォットは、リュリが首席宮廷作曲家として権勢をふるったルイ14世の宮廷で持て囃された。その後たびたび舞曲や、組曲の任意挿入楽章として利用され、標準的な器楽曲として定着した。古典組曲においてガヴォットは、他の任意楽章(たとえばパスピエ、ブレー、メヌエット、リゴドン)とともに、しばしばサラバンドとジグの間に挿入される。組曲における用例として最も有名なのは、バッハの作品であり、とりわけ《パルティータ第3番》BWV1006の「ロンド形式によるガヴォット」であろう。バロック時代のガヴォットは、典型的な二部形式をとっている。上記のバッハ作品は、その有名な例外にほかならない。 19世紀になるまでに、ガヴォットはアウフタクトよりも、小節の半ばで開始するのが通例となり、有名な《ゴセックのガヴォット》はこの典型的な例となっている。マスネの歌劇《マノン》のガヴォットも同様である。ルイ13世の作と伝えられるフランス民謡《アマリリス》も、小節の半ばで開始する例である。 ミュージカル《マイ・フェア・レディ》(1956年)の「アスコット・ガヴォット」は、競馬を観戦する上流階級のお偉方を描写するため、アウフタクトによる伝統的なリズム定形を完全に廃し、行進曲風の堂々とした押し出しを利用している。対照的に、同年のレナード・バーンスタインのオペレッタ《キャンディード》は、小節半ばに始まるガヴォット特有のリズム定形を保持したナンバーが含まれている。.

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ガイヤルド

ガイヤルド(15世紀、イタリア・シエーナ) ガイヤルド、またはガリアルダ、ガリアード(仏語:gaillarde、伊語:gagliarda、英語:galliard)は、ルネサンス時代にヨーロッパで普及した舞曲。急速な3拍子の跳ね踊りで、緩やかな踏み踊りであるパヴァーヌとしばしば組み合わされる。 元来は大衆舞曲であったが、15世紀末までにヨーロッパの数多くの宮廷に採用された。16世紀の舞踏指南書には、この舞曲のたくさんのバリエーションが記されている。 ガイヤルドは、ひとりで踊ることも、またパートナーと一緒に踊ることもできるが、宮廷社会においては常にパートナーと踊るものとされた。イングランドのエリザベス1世は熱狂的なガイヤルドの踊り手として有名で、同女王の寵臣エセックス伯爵のテクストによるダウランドのリュート歌曲《彼女は許してくれようかCan shee excuse 》は、ガイヤルドのリズムが使われている。 Category:ルネサンス音楽 Category:ヨーロッパのダンス.

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クヤヴィアク

ヤヴィアク(kujawiak)は、オベレク、クラコヴィアク、ポロネーズ、マズールとともにポーランドの五大民族舞曲の一つである。ポーランド中部のクヤヴィ地方の発祥であり、名前もこの地方に由来する。シンコペーションが使われる3拍子の緩やかな舞曲で、マズルカに近い。日本語では、2拍子のクラコヴィアクと混同されやすいが、この舞曲とは似ていない。輪をなして並んだ男女が舞曲に合わせてダンスを踊り、女声合唱が加わる場合もある。女性だけのクヤヴィアクは舞台の演目になることもある。.

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クラコヴィアク

ラコヴィアク(krakowiak)は、クラクフやマウォポルスカ県の民族舞曲で、ポロネーズやマズルカ、オベレクと並んでポーランドの主要な舞曲となっている。日本語では、もう一つの主要なポーランド舞曲のクヤヴィアク(kujawiak)と混同されて「クヤコヴィアク」と呼ばれることがあるが、クラコヴィアクとクヤヴィアクは由来も性格も異なる、別々の民族舞曲である。 クラコヴィアクは、時に「突き踊り」とも呼ばれる、シンコペーションが特徴的な、急速な2拍子の舞曲である。クライコヴィアクのダンスは、馬の動きを摸倣したステップで知られている。クラクフ圏域では、馬が民間でも軍事でも利用され、非常に愛された動物だったのである。 クラコヴィアクは、ウィーンでは「クラカウアー("Krakauer")」の、パリでは「クラコヴィエンヌ("Cracovienne")」の名で、舞踏会の人気のあるダンスとなった。これらの地では、ポロネーズやマズルカとともに、絵のように美しい異国の抑圧された民族に同情を寄せるロマン主義者の感覚を先取りするものとなった。19世紀半ばのロシアでも人気が出て、ミハイル・グリンカはクラコヴィアクを歌劇《皇帝に捧げた命》(1836年)の目玉にしている。 クラコヴィアクの最初の出版譜は、フランツィシェク・ミレツキのピアノ曲集『ポーランド人女性に捧げるクラコヴィアク』(1816年,ワルシャワ)である。フレデリック・ショパンは、非常に華麗な演奏会用クラコヴィアク(ピアノと管弦楽のための《クラコヴィアク風ロンド(Rondo á la Krakowiak in F major )ヘ長調》作品14)を作曲した。.

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クーラント

ーラント(仏語:courante)またはコッレンテ(伊語:corrente)は、後期ルネサンスからバロック時代の3拍子の舞曲の一種である。 フランスにおけるクーラントは、しばしば2分の3拍子と4分の6拍子の交代を伴う優雅な舞曲となったが、イタリアのコッレンテは、よりテンポが早い。 バロック時代の組曲では一般にアルマンドとサラバンドの間におかれる。.

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コダーイ・ゾルターン

ダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán, 1882年12月16日 - 1967年3月6日)は、ハンガリーの作曲家、民俗音楽学者、教育家、言語学者、哲学者。.

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シチリアーナ

シチリアーナ(イタリア語:siciliana)とは、ルネサンス音楽末期から初期バロック音楽に遡る舞曲の一つ。ゆるやかな8分の6拍子か8分の12拍子で作曲され、ためらいがちにたゆとう曲想と付点リズムが特徴的で、通常は短調(もしくは自然短音階)をとる。器楽曲の楽章として利用されただけでなく、オペラ・アリアにも応用されている。シチリアーナは、おそらく「シチリア舞曲 danza siciliana」ないしは「シチリア風に A la Siciliana」に由来する女性名詞であるが、男性名詞であるシチリアーノ(siciliano)や、フランス語の女性名詞・シシリエンヌ(Sicilienne)も用語法として定着している。 古い時代のシチリアーナとして最も有名なのは、20世紀にレスピーギによって《リュートのための古風な舞曲とアリア》第3組曲の第3曲として弦楽合奏用に編曲された、16世紀イタリアの作者不詳のリュート曲であろう。この原曲は1999年に、日本でトマトピューレ会社のTVCMに利用され、曲名と演奏者についてメーカーに問い合わせが殺到し、急遽リリースされたマキシシングルCDがヒットチャートに躍り出るという事態を招いた。 バロック時代の有名なシチリアーナには、ヘンデルの《リコーダー・ソナタ ヘ長調》HWV369の第3楽章(ニ短調)や、伝バッハ(偽作)の《フルート・ソナタ 変ホ長調》BWV1031の中間楽章(ト短調)が挙げられる。後者は「西部警察」PART 1の第49話「俺だけの天使」にも使われた。 シチリアーナのリズムは古典派音楽においても愛用され、モーツァルトの《ピアノ協奏曲第23番》や、ハイドンのオラトリオ《天地創造》のソプラノ独唱のアリアにも利用されている。チマローザの《オーボエ協奏曲》にもシチリアーナの楽章が含まれている。 19世紀の間、シチリアーナによる有名な曲はほとんど産まれなかったが、世紀の変わり目にフォーレによって、チェロとピアノのための《シシリエンヌ ト短調》が作曲された。これは後にフォーレの高弟・ケックランによりオーケストラ用に編曲され、劇付随音楽《ペレアスとメリザンド》とその組曲版に挿入され、いっそう広く知られるようになった。 しちりあな しちりあな.

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シャコンヌ

ャコンヌ (仏 chaconne、チャッコーナ 伊 ciaccona、チャコーナ 西 chacona) は、3拍子の舞曲の一種。 バロック時代にはオスティナート・バスによる変奏曲の形式として盛んに用いられた。オスティナート・バスによる類似の音楽としてパッサカリアがあるが、17世紀後半以降、「シャコンヌ」と「パッサカリア」の呼称はしばしば混同して用いられている。.

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ジグ (音楽)

ジグ (jig) は、8分の6拍子または8分の9拍子の舞曲で、イギリスやアイルランドの民俗的な踊りの形式の一つである。しばしば ジーグ(gigue) とも呼ばれるが、これはバロック時代にフランスをはじめとするヨーロッパ各地で流行した際のフランス語風の綴りに由来する。 8分の6拍子のものを「ダブル・ジグ」(double jig)、8分の9拍子のものを「スリップ・ジグ」(slip jig) と呼ぶ。また、8分の12拍子のものもあり、これは「シングル・ジグ」(single jig) または「スライド」(slide) と呼ばれる。 バロック組曲の終曲にしばしば置かれ、急速なテンポで演奏される。 Category:ヨーロッパの音楽 Category:バロック音楽 Category:アイルランドの音楽 Category:民族音楽 Category:舞曲 Category:ヨーロッパのダンス Category:音楽のジャンル fr:Gigue (danse) he:ג'יג.

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スラヴ舞曲

『スラヴ舞曲集』(スラヴぶきょくしゅう、)は、アントニン・ドヴォルザークが作曲した舞曲集。元はピアノ連弾のために書かれたが、作曲者自身によって全曲が管弦楽編曲された。各8曲からなる第1集作品46(B83)と第2集作品72(B147)がある。.

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スケルツォ

ルツォ(scherzo)は、楽曲の区分に用いられる名前のひとつ。イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にはふざけた音楽を指すが、その意味あいは形骸化していった。諧謔曲(かいぎゃくきょく)。 スケルツォは、メヌエットに代わって多楽章形式の器楽作品に組み込まれるようになり、室内楽曲にハイドンが導入したり、器楽ソナタや交響曲にベートーヴェンが導入したのをきっかけに、頻繁に用いられるようになった。 その後、ショパン が独立した楽曲として芸術的価値を高めた。 楽曲の性格を現す語であり、特定の形式や拍子テンポに束縛されない。ただし、初期のものは、テンポが速いことを除けば、3拍子だったり、舞踏的な性格を持ったり、トリオ(中間部)を持つ複合三部形式をとったりと、メヌエットの性質を借用していることが多い。主部は「舞踏的な性質」「歌謡的性質の排除」「強拍と弱拍の位置の交代」「同一音型の執拗な繰り返し」「激しい感情表現」などが目立ち、中間部は逆に「歌謡的な性質」「牧歌的な表現」が目立つことが多いのは、緩徐楽章との対照を狙っていると考えられている。.

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タランテラ

タランテラ (tarantella) は、イタリア・ナポリの舞曲。 3/8または6/8拍子のテンポの速い曲である。曲名は、タラントという町の名前に由来するという。また、同じ町の名を由来とする毒蜘蛛のタランチュラに噛まれると、その毒を抜くために踊り続けなければならないとする話から付けられたという説もあるほか、その毒の苦しさゆえに踊り狂って死に、それを表現したという説もある。 タランテラの歴史は中世にまで遡ることができ、より古い形式のダンスが起源とされる。マンドリンやタンバリンの演奏に合わせて踊られるが、1つのスタイルに固まるまでいろいろなリズムが存在したらしい。ショパンやリストなども、タランテラを作曲している。 タランテラは、1人で踊ることよりはグループ、特にカップルや女性のペアで踊られることが多い円舞曲である。最初は右回りに踊るが、曲の一区切り毎に回る方向も左になり、テンポも速くなる。これが何回か繰り返され、遅れずについていくのがだんだん難しくなっていく。 タランテラは舞台ではヘンリック・イプセンの『人形の家』、映画では『ゴッドファーザー』などに登場する。.

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タンゴ

タンゴは18世紀後半にイベリア半島で発祥した舞曲のリズム。19世紀後半南米にこのダンスパターンが輸出され、アルゼンチン・ブエノスアイレスまたはウルグアイ・モンテビデオでダンススポットのために考案された一ジャンルも指す。.

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サラバンド

ラバンド(sarabande、sarabanda サラバンダ)とは、3拍子による荘重な舞曲である。小節内部の2拍めと3拍めがしばしば結合され、(たとえば4分の3拍子の場合には)二分音符の代わりに、付点四分音符と八分音符を組み合わせたリズムが多用されることが特徴的である。これは、ダンスにおいて引きずるようなステップに対応するのだと言われてきた。サラバンドの特徴ある荘重なリズムは、聞き手にとっては非常に再認識しやすい。その他の目立った特徴としては、次のような点が挙げられる。.

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サルタレロ

ルタレロ サルタレロ(saltarello)は、13世紀のナポリにおいて初めて記述が見られる、活発で陽気なダンス。音楽が現存しているが、この当時どのようなダンスであったかは知られていない。速い3拍子の音楽で、特徴的な跳躍(イタリア語の動詞でsaltare)のステップにその名を由来する。.

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組曲

組曲(くみきょく、suite)は、いくつかの楽曲を連続して演奏するように組み合わせ並べたもの。.

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西洋音楽

西洋音楽(せいようおんがく、英語:western music)とは、ヨーロッパ起源の音楽のことである。.

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VoLTE

VoLTE(Voice over LTE, Voice over Long Term Evolution、ボイス・オーバー・LTE(ロング・ターム・エボリューション)、ボルテ)とは、携帯電話に利用されるデータ通信技術、及び通信技術規格の名称である。 LTE網は高速なパケット交換が可能であるが、音声通話のための回線交換を想定していない。そこで、音声およびビデオ通信をデータ(パケット)として取り扱い、LTE網で音声通話およびビデオ通信を実現するための技術としてGSMAで標準化が進められているのがVoLTEである。インターネットを経由するVoIPではQoS保証がなく遅延が発生しやすいが、VoLTEではQoS保証による優先制御で遅延を抑えている。また、広帯域な音声コーデックの採用によって従来の第3世代移動通信システムを上回る通話品質を得られる。.

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楽曲

楽曲(がっきょく)とは、音楽において続けて演奏されるひとまとまりのこと。.

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