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興居島

索引 興居島

興居島(ごごしま)とは、瀬戸内海に浮かぶ、愛媛県松山港の沖合いの有人島。面積8.49平方キロメートル、人口は1127人(2015年3月現在)、世帯数は586数(2015年3月現在)。行政区画としては全島松山市に属する。.

37 関係: ごごしま大内教弘大阪太平洋戦争寛正中島 (愛媛県)広島東洋カープ伊予小富士伊予国モモビワイヨカンウンシュウミカンキビサツマイモ倭寇琴引鼻細川勝元由良港瀬戸内海西本聖西本明和角川書店読売ジャイアンツ釣島釣島海峡柑橘類松山市松山港民俗文化財江戸時代河野通春泊港港山城日本愛媛県1465年

ごごしま

株式会社ごごしまは、愛媛県松山市に本社を置く海運会社。松山港と興居島を結ぶフェリー航路を運営している。2011年に有限会社小冨士汽船から社名を変更した。.

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大内教弘

大内 教弘(おおうち のりひろ)は、室町時代中期の守護大名。周防・長門・筑前・豊前・肥前守護。大内氏第13代当主。第11代当主大内盛見の子(一説には大内持盛の次男)。教幸の弟。妻は山名宗全の養女(山名熙貴の娘)。政弘、娘(大友政親室)、娘(山名政理室)、娘(佐伯親春室)の父。 幼名は六郎、のち元服に際して6代将軍・足利義教より偏諱を受け教弘と名乗る。通称は新介、周防介。官位は左京大夫、大膳大夫、従五位下、従四位下、死後に従三位。.

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大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

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寛正

寛正(かんしょう)は、日本の元号の一つ。長禄の後、文正の前。1461年から1466年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇、後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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中島 (愛媛県)

中島(なかじま)とは、忽那諸島の中で一番大きい島嶼。釣島海峡を隔てて、松山港の沖合い約10kmに位置する。みかんとトライアスロンの島として知られる。 人口は2,938人、世帯数は1,520戸(2015年7月1日現在)。 国土地理院による正式名称は中島(なかじま)。ただし、島としての中島と旧中島町域との意味で区別するために、中島本島(なかじまほんとう)、または本島(ほんとう)と呼ばれることが多い。.

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広島東洋カープ

広島東洋カープ(ひろしまとうようカープ、)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。 広島県を保護地域とし、同県広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。.

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伊予小富士

伊予小富士(いよこふじ)は、愛媛県松山市の興居島にある小高い山である。標高は282m。その姿から「富士」の名が付けられている。山頂近くまで、果樹園が広がっている。地元では小富士山(こふじさん)と呼ばれることが多い。瀬戸内海航路では、松山港入港の目標地形となる。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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モモ

モモ(桃、学名は Amygdalus persica で、Prunus persica (L.) Batsch はシノニムとなっている。)はバラ科モモ属の落葉小高木。また、その果実のこと。.

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ビワ

ビワ(枇杷、学名: Eriobotrya japonica)は、バラ科の常緑高木。 原産は中国南西部で、日本では四国、九州に自生し、多くは果樹として栽培される。樹高はおよそ10メートルほどになる。葉は濃い緑色で大きく、長い楕円形をしており、表面にはつやがあり、裏には産毛がある。そして、その大きな葉陰に楽器の琵琶に似た形をした一口大の多くの甘い実がなり、黄橙色に熟す。語源は、葉の形や実の形が楽器の琵琶に似ているからとされる。中国語でも「枇杷」()と表記する他、「蘆橘」()とも呼ばれ、英語の「loquat」は後者の広東語発音に由来する。日本には古代に持ち込まれたと考えられており、主に本州南部や四国や九州に分布する。またインドなどにも広がり、ビワを用いた様々な療法が生まれた。中国系移民がハワイに持ち込んだ他、日本からイスラエルやブラジルに広まった。トルコやレバノン・ギリシャ・イタリア南部・スペイン・フランス南・アフリカ北部などでも栽培される。 日本においては梅雨のころに実がなるため、「枇杷」及び「枇杷の実」は仲夏(芒種〔6月6日頃〕から小暑の前日〔7月6日頃〕まで)の季語とされている。また冬には、枝先にやや黄色味を帯びた白い五弁の小花を咲かせる。目立たない花ではあるけれどもかぐわしい香りを持ち、「枇杷の花」や「花枇杷」あるいは「枇杷咲く」などは初冬(はつふゆ:立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日ごろ〕まで)の季語となっている。.

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イヨカン

イヨカン(伊予柑)は、柑橘類でタンゴールの一種。日本で生産される柑橘類では、ウンシュウミカンに次ぐ生産量の果物である。日本の在来種で、主に愛媛県で生産されている。 明治時代には、紅みかん、穴門みかん(あなとみかん)と呼ばれていた。「伊予柑」の名称は、1930年(昭和5年)に伊予国(愛媛県の旧令制国名)にちなんでつけられた。 ミカンとオレンジの交雑種とされるが、正確な起源は不明である。最近の研究ではミカンとブンタンの交雑種と考えられている。 1885年(明治19年)に山口県阿武郡東分村(現:萩市)の蚕業指導員・中村正路が発見した。1888年(明治22年)に中村所有の苗木を、愛媛県温泉郡持田村(現:松山市)の養蚕家・果樹園芸家であった三好保徳が購入し、松山を中心に徐々に栽培が広がった。1955年(昭和30年)に松山市平田町の宮内義正によって発見された「宮内伊予柑」は、従来種に比べ成熟が早く実付きもよく、また皮が薄く酸が少なくて食べやすいことから普及が進み、1970年代以降は柑橘の主力品種として出荷量を大きく伸ばした。その後も「大谷伊予柑」、「勝山伊予柑」といった優れた品種の発見が相次いでいる。 果汁はジューシーで甘く、香りもよい。皮はウンシュウミカンに比べ厚めだが、手でむくことは可能である。しかし、厚い皮を手でむくわずらわしさから、近年若干敬遠されがちである。.

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ウンシュウミカン

ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu)は、ミカン科の常緑低木またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。.

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キビ

ビ(黍、稷、学名:Panicum miliaceum)は、イネ科の一年草で、穀物の一種である。糯(モチ)と粳(ウル)があり、粉食、粒食され、日本では五穀の一つとされる。.

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サツマイモ

掘り出したサツマイモ サツマイモのアミノ酸スコア http://www.nal.usda.gov/fnic/foodcomp/search/『タンパク質・アミノ酸の必要量 WHO/FAO/UNU合同専門協議会報告』日本アミノ酸学会監訳、医歯薬出版、2009年05月。ISBN 978-4263705681 邦訳元 ''http://whqlibdoc.who.int/trs/WHO_TRS_935_eng.pdf Protein and amino acid requirements in human nutrition'', Report of a Joint WHO/FAO/UNU Expert Consultation, 2007 サツマイモ(薩摩芋、学名: Ipomoea batatas)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、とういも)、琉球薯(りゅうきゅういも)、とん、はぬす等がある。近縁の植物に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)がある。 英語圏の一部では、サツマイモ「sweet potato」を「Yam」などの別の名前で呼んでいるニュージーランドではkumaraと呼ぶ。ヤム芋を育てていたアフリカ系奴隷が、アメリカで作られた水っぽい「ソフトスイートポテト品種」をヤム芋と似ていたことから「ヤム」と呼ぶようになった。アメリカなどでは本来のヤム芋は輸入食料品店ぐらいにしか置いてないことから、ヤムと表示されていれば「ラベルに注意書き」が無い限り「ソフト」スイートポテトのことである。.

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倭寇

倭寇(わこう)とは、一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の中国・朝鮮側の呼称。和寇と表記される場合もある。また海乱鬼(かいらぎ)、八幡(ばはん)とも呼ばれる。 倭寇.

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琴引鼻

琴引鼻(ことひきのはな)は、愛媛県松山市興居島(ごごしま)の北端にある岬。 磯釣りが楽しめる場所だが、釣島水道の南側で磯になっているために、しばしば「海難事故報告書」に記載されている。 またこの地には「源平期に平家の落武者がこの鼻で琴を弾いていた」という伝承が残り、岬名の由来となっている。 Category:四国地方の岬 Category:愛媛県の地形 Category:松山市の地理.

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細川勝元

細川 勝元(ほそかわ かつもと)は、室町時代の武将・守護大名。第16、18、21代室町幕府管領。土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。第11代細川京兆家当主。父は第14代室町幕府管領、細川持之。政元の父。応仁の乱の東軍総大将として知られている。.

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由良港

由良港(ゆらこう).

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瀬戸内海

戸内海(せとないかい)は、本州、四国、九州に挟まれた内海。山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、大分県、福岡県がそれぞれ海岸線を持つ。沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれている(ただし瀬戸内海の名称源ではない。瀬戸内海は「瀬戸の内海」の意である)。 古来、畿内と九州を結ぶ航路として栄えた。気候は瀬戸内海式気候と呼ばれ、温暖で雨量が少ない。.

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西本聖

西本 聖(にしもと たかし、1956年6月27日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者、プロ野球指導者。 江川卓と共にエースとして巨人の一時代を築き、巨人退団後は中日、オリックスでもプレーした。選手生活晩年に巨人へ復帰して引退。エース級としての活躍に加え、左足を高く上げるダイナミックな投球フォームでも人気があった。 引退後は野球解説者を務めていたが、2003年には阪神の一軍投手コーチを務めた。阪神のコーチ辞任後は再び野球解説者を務めていたが、2010年よりロッテのコーチとして現場に復帰し、2013年よりオリックス・バファローズの投手コーチ兼バッテリーコーチ、育成チーフコーチ、2015年はハンファ・イーグルスの一軍投手コーチを務めた。 兄は、広島に所属していた元プロ野球選手の西本明和のドラフト1位であった。西本の野球に対するストイックな姿勢に関連して、、二所ノ関部屋・片男波部屋に所属していた元大相撲力士の玉松山(最高位三段目)がいる。.

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西本明和

西本 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - )は、愛媛県松山市興居島出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。 巨人、中日、オリックスで活躍した西本聖は実弟。.

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角川書店

角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.

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読売ジャイアンツ

読売ジャイアンツ(よみうりジャイアンツ、英:Yomiuri Giants、読売巨人軍)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属しており、日本に現存する12球団の中で最も歴史が長いプロ野球球団でもある。現在の監督は高橋由伸(第18代)、キャプテンは坂本勇人(第19代)。 親会社は読売新聞グループ本社、運営法人の商号は「株式会社読売巨人軍」。東京都を保護地域としている。都内文京区にある東京ドームを本拠地とし、専用球場としている。また、二軍・三軍はイースタン・リーグ(三軍はホテルルートインBCリーグ交流戦にも参戦)に所属しており、本拠地は神奈川県川崎市多摩区にある読売ジャイアンツ球場である。.

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釣島

釣島(つるしま)は、愛媛県松山市に属し、興居島の西に位置する有人島。 忽那諸島に含めることもある(忽那七島という場合、通常は含まない)。 周辺は好漁場であり、松山市街からの遊漁(釣り)客も多い。.

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釣島海峡

釣島海峡(つるしまかいきょう)は、瀬戸内海西部斎灘(安芸灘)と伊予灘を隔てる海峡。釣島水道とも。 愛媛県松山市の沖合にある興居島(ごごしま)と中島との間にある。瀬戸内海の本線航路があり、ここから中島西方の怒和島(ぬわじま)との間にあるクダコ水道を北上すると、広島湾(山口県岩国沖)に入ることができる。 旧海軍呉鎮守府が広島県呉市に置かれていた当時、連合艦隊の艦船は多くクダコ水道と釣島海峡を通過して伊予灘から豊後水道経由で外洋に出た。.

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柑橘類

柑橘類(かんきつるい)は、ミカン科ミカン亜科ミカン連(カンキツ連)の、ミカン属など数属の総称である。漢籍由来の言葉ではなく日本での造語で、ミカン(蜜柑)やタチバナ(橘)に代表される。.

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松山市

本館 松山を代表する偉人の一人である正岡子規の句碑(JR松山駅前) 松山市(まつやまし)は、愛媛県の中部に位置する市。同県の県庁所在地であり、四国地方で最大の人口を擁し、中核市に指定されている。.

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松山港

松山観光港ターミナルビル 松山港(まつやまこう)は愛媛県松山市にある港湾である。港湾管理者は愛媛県。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。万葉集に歌われた「熟田津」(にぎたつ)は松山港のうちの古三津に当たるとも考えられており、古くから瀬戸内海交通の重要拠点とされてきた。 現代においても長距離フェリーや国際コンテナ船などが多く寄港する主要港として発展を続けている。.

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民俗文化財

民俗文化財(みんぞくぶんかざい)とは、民俗資料のうち、とくに資料性が高く、保存措置が必要だったり、あるいは、保存のための措置や施策が功を奏すると期待される資料を、国や地方公共団体が文化遺産保護制度の一環として指定した文化財である。本項では主に日本における事例について述べる。 日本の民俗文化財は有形の民俗文化財と無形の民俗文化財に大別される。それぞれに重要有形民俗文化財、重要無形民俗文化財の指定制度があり、指定制度を補完するものとして登録有形民俗文化財と選択無形民俗文化財(通称)がある。保護のしかたや取り扱いには違いがある。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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河野通春

河野 通春(こうの みちはる)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将、守護大名。伊予守護。居城は港山城。河野氏宗家と対抗した分家の予州家当主。 当初は細川氏の支持を受け、嘉吉の乱後、幕府からの命令を引き出して又従兄弟で本家の河野教通を討とうとするが、教通には吉川経信や小早川盛景の援軍があったため、うまく進まなかった。文安6年(1449年)に伊予守護に就任したが、翌年に教通に交替、享徳2年(1453年)に守護職に再任されたが、享徳4年(1455年)に細川勝元に交替させられた。 長禄3年(1459年)に3度目の伊予守護職に補任されたが、寛正3年(1462年)に勝元の同族の阿波守護細川成之と戦い勝元と対立、寛正5年(1464年)には伊予の混乱を見た勝元の軍勢が攻め込んで来たため危機に陥ったが、細川氏と対立関係にある大内教弘の援軍を受けて細川氏を撃退する。直後に教弘は興居島で死去したが、なおも子の大内政弘の援助を受けた。 応仁元年(1467年)からの応仁の乱では西軍に与したが、通春の在京中に東軍についた教通が勝元死後の文明5年(1473年)に伊予の守護職を確保し、伊予における基盤を固めてしまう。乱後に伊予に帰国し文明9年(1477年)に4度目の伊予守護に任じられ、翌文明10年(1478年)にも教通と和気郡にて戦ったが、敗れている。その後も教通と抗争を繰り返しながら、文明14年(1482年)閏7月14日に港山城で病没した。子の通篤が後を継いだが、本家に対抗出来ず没落していった。 通春と教通の抗争は河野氏の衰退を招き、河野氏が守護大名から戦国大名へ成長できなかった一因を成した。.

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泊港

泊港(とまりこう).

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港山城

港山城(みなとやまじょう)とは伊予国、現在の愛媛県松山市港山の、海に面する西側の小丘陵に築かれた河野氏の河野水軍が拠点にした日本の城(山城)。湊山城とも書かれた。 三津の港を見下ろす丘の上にあり、港の警護と監視、有事の際に軍船で出撃するにはうってつけの立地であったと思われる。東西に細長く本丸と二の丸が伸びていた。現在は整備されていて面影はないが、かつては海岸線が入り組んでいて島のような状態であったという。 三津浜港の入口に位置する港山.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

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1465年

記載なし。

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