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脚韻詩

索引 脚韻詩

脚韻詩 (きゃくいんし) は、詩の一形式。韻文詩に含まれる。 脚韻とは、句末、行末で類音・同音を反復することである。中国、インド、欧米諸言語の詩文において発達し、韻といえば、だいたい脚韻をさすほどになった。 日本では、古代から漢詩の伝統があり、脚韻の意識は古くからあったから、和歌や俳句における脚韻について研究されることもあったものの、それが脚韻詩だと意識されたことはまったくなかったとみてよい。 九鬼周造ほか、いくつかの試みを経て、本格的な脚韻詩がスタートしたのは、1942年のマチネ・ポエティクという集団による試みからだとされている。これは、当時の若手詩人の朗読会として始まったもので、福永武彦、加藤周一、中村真一郎、白井健三郎、窪田啓作、原條あき子ら10人が参加していた。その成果が、1948年に刊行された『マチネ・ポエティック詩集』である。 これ以後、細々と脚韻詩は作られてきた。 代表的な物として、作者に脚韻詩としての意識は強くないらしいが、谷川俊太郎の『ことばあそびうた』シリーズは、脚韻詩としての魅力を持った作品群だと言える。 また、翻訳の世界では、原文の押韻を可能なかぎり伝えようとする翻訳者の努力が続いた。2006年には、ちくま文庫に和田誠によるマザー・グースの翻訳が収められ、脚韻の可能性が追求されている。また、柳瀬尚紀の仕事も注目される。 1991年、飯島耕一が中心となって、「日本定型詩協会」を発足。ここを拠点に、多くの脚韻詩が作られた。また、日本語にとっての脚韻とはどのようなものか、そのルールと位置付けについて様々な論議が交わされた。.

20 関係: 加藤周一原條あき子ちくま文庫中村真一郎九鬼周造マチネ・ポエティクマザー・グース和田誠福永武彦窪田啓作白井健三郎韻文詩飯島耕一谷川俊太郎押韻柳瀬尚紀1942年1948年1991年

加藤周一

加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は日本の評論家。医学博士(専門は内科学、血液学)。妻は評論家・翻訳家の矢島翠。 上智大学教授、イェール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長などを歴任。哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。岩村清一海軍中将は大叔父。.

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原條あき子

原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2003年)は、日本の詩人。マチネ・ポエティクに属し、押韻定型詩を試みた。作家池澤夏樹の母。声優の池澤春菜は孫。 本名は山下澄。兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業後上京、日本女子大学に学ぶ。第2外国語として学んでいたフランス語の力をつけるためにアテネ・フランセに通い、福永武彦と知り合う。福永の誘いによって、マチネ・ポエティクの集まりに参加し、原條あき子の筆名を使用するようになる。1944年、女子大卒業直後に福永と結婚、1945年に長子夏樹をもうける。戦後まもなく、帯広に赴任した武彦とともに雑誌『北海文学』の同人となる。 だが、福永との結婚は間もなく破綻する。1950年、武彦と協議離婚。その後池澤喬と再婚した(自身の子供も喬の養子となったため、長子夏樹や夏樹の娘である春菜は池澤姓を名乗っている)。その後、1968年に思潮社から『原條あき子詩集』を刊行した。 2003年に没したあと、2004年に池澤夏樹によって『やがて麗しい五月が訪れ――原條あき子全詩集』が書肆山田から刊行された。.

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ちくま文庫

ちくま文庫(ちくまぶんこ)は、株式会社筑摩書房が発行している文庫レーベル。1985年12月より刊行開始した。基本的な装幀(フォーマットならびに安野光雅がデザインした。 ちくま文庫を立ち上げた松田哲夫は安野の教え子である。それが縁で依頼したという。 なお、同音の「チクマ文庫」とは別。.

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中村真一郎

中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。.

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九鬼周造

九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)は、日本の哲学者。出身は東京府東京市。京都大学教授。東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業、京都帝国大学文学博士。.

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マチネ・ポエティク

マチネ・ポエティクとは、太平洋戦争中の1942年に、日本語によるソネットなどの定型押韻詩を試みるために始まった文学運動。加藤周一、中村真一郎、福永武彦、窪田啓作、原條あき子らが中心となった。ただし、正式に外部に対してこう名乗ったのは終戦後の1946年、「世代」創刊号から第6号まで掲載された『CAMERA EYES』においてである。 この運動の念頭には、フランス文学者でもあった福永の近代日本文学への批判及び、日本の文学者は外国語を理解していない、という批判(加藤、中村との共著『1946・文学的考察』より)があった。福永らは、文学にとって必要な「他者としての自己」を確立するために外国語を学ぶことを主張し、その一環として外国語の手法で詩を作ることを目指した。 戦後の1948年、中村らは真善美社より「マチネ・ポエティク詩集」を上梓するが、日本語による押韻詩を否定していた三好達治(『マチネ・ポエテイクの試作に就いて』、「世界文学」1948年4月号)から否定的な評価を受ける。その後、三好の批判を受けて自己批判を行った中村が1950年に「終息宣言」を出すに至る。以降、メンバーは小説や評論に転じて殆ど詩作を廃した。ちなみに、福永は1947年から肋膜炎により療養していたため、論争には参加していない。 中田喜直は1950年に歌曲集「マチネ・ポエティクによる4つの歌曲」を作曲している。付曲したのは、福永の『火の鳥』、加藤の『さくら横ちょう』、原條の『髪』、中村の『真昼の乙女たち』。.

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マザー・グース

マザー・グース (Mother Goose) は、英米を中心に親しまれている英語の伝承童謡の総称。イギリス発祥のものが多いが、アメリカ合衆国発祥のものもあり、著名な童謡は特に17世紀の大英帝国の植民地化政策によって世界中に広まっている藤野 (2007), 4頁。。600から1000以上の種類があるといわれるマザー・グースは、英米では庶民から貴族まで階級の隔てなく親しまれており、聖書やシェイクスピアと並んで英米人の教養の基礎となっているとも言われている。現代の大衆文化においても、マザー・グースからの引用や言及は頻繁になされている。 なお、英語の童謡を指す言葉としてほかにナーサリーライムがあり、イギリスでは童謡の総称としてはマザー・グースよりもこちらが使われる傾向もある。しかし「ナーサリー・ライム」が新作も含む童謡全般を指しうる言葉であるのに対して、「マザー・グース」は伝承化した童謡のみに用いられる点に違いがあると考えられる藤野 (2007), 7頁。。後述するように「マザー・グース」が童謡の総称として用いられるようになったのは18世紀後半からであるが、それに対して「ナーサリー・ライム」が童謡の総称に用いられるようになったのは1824年のスコットランドのある雑誌においてであり、「ナーサリー・ライム」のほうが新しい呼称である。.

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和田誠

和田 誠(わだ まこと、1936年(昭和11年)4月10日 - )は、日本のイラストレーター、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。.

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福永武彦

福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月19日 - 1979年(昭和54年)8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。.

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窪田啓作

啓作(くぼた けいさく、1920年7月25日 - 2011年)は、日本のフランス文学者、詩人、銀行員。本名・開造。窪田般彌の兄。カミュ『異邦人』の翻訳で知られる。 神奈川県生まれ。1943年、東京帝国大学法学部卒業。在学中にマチネ・ポエティクに参加し詩や小説を書いた。 大学卒業後、東京銀行に入行。パリ、新橋各支店次長、国際投資部副参事役を経て、1948年欧州東京銀行頭取となる。.

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白井健三郎

白井 健三郎(しらい けんざぶろう、1917年12月12日 - 1998年2月13日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者。.

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韻文詩

韻文詩(いんぶんし)とは、詩用語。脚韻詩、頭韻詩などがある。 散文詩とは対にある。 もともと韻文とは、詩と同義であり、散文と対立する漢文用語。一定の韻に属した語を並べることで、声調を整えた文が、韻文。中国、インド、欧米において発達した。しかし、しだいに押韻の要素を持たない詩的な文が、散文詩として、19世紀末から殊に急速な発展を遂げる。.

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飯島耕一

飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2013年10月14日)は、日本の詩人、小説家、日本芸術院会員、元明治大学法学部教授。長男は建築評論家の飯島洋一。.

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詩(し、うた、poetry, poem; poésie, poème; Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。 英語のpoetryやpoem、フランス語のpoésieやpoèmeなどの語は、「作ること」を意味するギリシア語ποίησις (poiesis)に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は西周のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに詩経と称される)。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする。 印刷技術が普及した後は詩の多くは活字で提供され「読まれる」ようになったが、詩は文字の発明以前から存在したとも言われFor one recent summary discussion, see Frederick Ahl and Hannah M. Roisman.

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谷川俊太郎

谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年12月15日 - )は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。東京府出身。現在の東京都立豊多摩高等学校を卒業、法政大学文学部卒業。.

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押韻

押韻(おういん)とは、同一または類似の韻をもった語を一定の箇所に用いることをいう。圧韻ともいう。リズムを作って響きの心地よさや美しさを作り出す。 中国文学で、押韻される文を韻文という。中国文学における韻文には詩・詞・曲・賦などがある。転じて他言語の文芸作品で押韻するものにもこの語を用いる。.

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柳瀬尚紀

柳瀬 尚紀(やなせ なおき、1943年3月2日 - 2016年7月30日)は日本の英文学者、翻訳家、随筆家である。 その翻訳は、語呂合わせなどの言葉遊びを駆使した独自の文体で有名。「悪訳」をするとみなした翻訳家に対する痛烈な批判でも知られる。.

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1942年

記載なし。

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1948年

記載なし。

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1991年

この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.

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