12 関係: 南宋、宋史、張ショク、呂祖謙、福建省、秦檜、紹興 (宋)、高宗 (宋)、胡安国、開封市、楊時、朱熹。
南宋
南宋(なんそう、1127年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が建国した北宋が、女真族の金に華北を奪われた後、南遷して淮河以南の地に再興した政権。首都は臨安(現杭州)であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも社会・経済・文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分しやすい歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区分しにくい分野を宋 (王朝) で解説することとする。 この項目では全般にわたって山川出版社『中国史3』と講談社学術文庫『五代と宋の興亡』を使用している。この二書に関しては特に必要のない限りは出典としては挙げない。.
宋史
『宋史』(そうし)は、中国、元代に編纂された正史(二十四史)の一つ。宋(北宋・南宋)を扱った紀伝体の史書である。1345年完成。元のトクト(托克托・脱脱)が編纂した。16本紀47巻、15志162巻、2表32巻、197列伝255巻の計496巻。正史の中で最も膨大である。.
張ショク
張栻(ちょう・しょく、1133年 - 1180年)は、中国・南宋の儒学者・政治家で朱子学の源流に位置する。字は敬夫、または楽斎。南軒先生と称せられる。.
呂祖謙
呂 祖謙(りょ そけん、1137年 - 1181年)は、中国南宋時代の儒学者で、朱子学の源流に位置する。字は伯恭。東莱先生と称される。.
福建省
福建省(ふっけんしょう、中国語:福建省、拼音:Fújiàn Shěng、英語:Fujian)は、中国の省の一つで、大部分を中華人民共和国が統治し、一部の島嶼を中華民国(台湾)が統治している。省都は福州市。.
秦檜
檜(しん かい、元祐5年12月25日(1091年1月17日) - 紹興25年10月22日(1155年11月18日))は、南宋の宰相。字は会之。江寧(現在の南京)出身。金との講和を進め和議を結ぶが、その過程において岳飛ら抗金派の政府要人を謀殺・平民へ落とすなどし、その後も自らの権力保持のために敵国の金の圧力を背景に恐怖政治を敷いたので、後世、その名は売国奴の代名詞となり蔑まれた。妻は王氏(宰相・王珪の娘)、実子の名は不詳、養子秦熺(岳父王珪の孫)の子である孫が秦塤。.
紹興 (宋)
紹興(しょうこう)は中国の南宋時代に高宗の治世で用いられた元号。1131年 - 1162年。.
高宗 (宋)
宗(こうそう)は、南宋の初代皇帝(在位:1127年6月12日 - 1162年7月24日)。北宋の第8代皇帝であった徽宗の九男。太宗の血統では最後の皇帝となった。.
胡安国
胡安国(こ・あんこく、1074年 - 1138年)は、中国・北宋末の大儒学者。字は康侯。朝鮮の氏族の巴陵胡氏の始祖である。.
開封市
開封市(かいほうし、)は中華人民共和国河南省東部に位置する地級市。中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋の首都であった。11世紀から12世紀にかけて世界最大級の都市であった。.
楊時
楊 時(よう じ、1053年 - 1135年)は、中国の北宋末期から南宋初期の学者。字は中立、亀山先生と号する。諱を文靖という。.
朱熹
朱 熹(しゅ き、1130年10月18日(建炎4年9月15日) - 1200年4月23日(慶元6年3月9日))は、中国南宋の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚は文公。と尊称される。祖籍は徽州婺源県(現在の江西省)。 南剣州尤渓県(現在の福建省)に生まれ、建陽(現在の福建省)の考停にて没した。儒教の精神・本質を明らかにして体系化を図った儒教の中興者であり、いわゆる「新儒教」の朱子学の創始者である。.