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胡喬木

索引 胡喬木

胡 喬木(こ きょうぼく、1912年12月 - 1992年12月10日)は、江蘇省塩城県生まれ。中華人民共和国の政治家。喬木はペンネームで本名は胡鼎新。 1930年江蘇省揚州高校から卒業,清華大学在学中の1930年に中国共産主義青年団加入、1932年中国共産党入党。1935年に浙江大学文理学院外国語文学学科卒業。延安時代は毛沢東の政治秘書。1948年新華社通信社長、党中央宣伝部副部長として毛沢東選集を編纂。1945年には若干の歴史問題に関する決議、1954年には中華人民共和国憲法の起草に関わる。1956年に中央委員、中央書記処候補書記となる。 1961年から健康不良を理由に第一線を退き、文化大革命で批判される。1974年に復活、1978年に新設された中国社会科学院院長、1982年に中央政治局委員となる。1983年から始まった反精神汚染キャンペーンで人道主義を支持した人民日報の胡績偉社長を批判、退任に追い込んだ。 1987年に党中央顧問委員会常務委員となり第一線から退いたものの、保守派の重鎮として李鵬らを支えた。 1992年9月28日、北京で逝去。遺言により、その遺骨は延安に撒かれた。.

29 関係: 塩城市中国共産主義青年団中国共産党中国共産党中央宣伝部中国共産党中央顧問委員会中国共産党中央政治局中国共産党中央書記処中国社会科学院中華人民共和国中華人民共和国憲法人民日報延安市北京市李鵬毛沢東江蘇省清華大学浙江大学新華社文化大革命政治家12月10日1912年1961年1974年1978年1982年1987年1992年

塩城市

塩城市(えんじょう-し)は中華人民共和国江蘇省の北部から中部にかけての黄海沿いに位置する地級市。面積は14,562平方kmで江蘇省第一位、人口は780万人(うち市区人口140万人)で江蘇省第二位。.

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中国共産主義青年団

中国共産主義青年団団旗 中国共産主義青年団徽章 中国共産主義青年団(ちゅうごくきょうさんしゅぎせいねんだん)は、中国共産党による指導のもと14歳から28歳の若手エリート団員を擁する青年組織。略称は共青団(きょうせいだん)。.

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中国共産党

n1996年までの党旗 中国共産党(ちゅうごくきょうさんとう、簡体字: 、拼音: Zhōngguó gòngchǎndǎng、)は、中華人民共和国の政党。共産主義の実現を最終目標としている。略称は中共(ちゅうきょう)。中国大陸の唯一の指導政党であり、国内の略称は党もなる。 2016年末時点で8944.7万の党員を数える。党員数では、2015年にインド人民党(1億1千万党員)に追い抜かれ、世界で2番目に大きい政党である。.

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中国共産党中央宣伝部

中国共産党中央宣伝部(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうせんでんぶ)は、中国共産党中央委員会に直属し、中国共産党の思想や路線の宣伝、教育、啓蒙を担当するプロパガンダ機関。 国内の新聞、出版物、テレビ、映画、インターネットなどメディア全ての監視を行う。文化部、国家新聞出版広電総局(広電局)の監督権を持ち、メディアに対して党の不利益になる幹部の腐敗や台湾問題などの情報の扱いを禁止する権限を持つ。実際にはそのような権限は無いのだが、メディア上層部の人事権を握っているため通達には「重み」が出る。 2003年には『中央宣伝部を討伐せよ』と題した批判本が、焦国標・北京大学助教授(当時)の手によって書かれ、その内情が明かされた。同書は中国国内で発禁とされている。.

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中国共産党中央顧問委員会

中国共産党中央顧問委員会(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうこもんいいんかい)、略称「中顧委」は、1982年から1992年まで中国共産党に存在した組織で、中央委員会の補佐・助言機関。老齢化した革命第一世代の古参幹部を中央委員会から引退させ、党中央の世代交代を促すために設立された。加入資格は党員歴40年以上の古参党員に限定。初代主任を務めた鄧小平は「一種の過渡的性質の組織」と表現している。 革命第一世代には「現在の中国を建国したのは自分たち」という自負があり、それ故「いつまでも権力を握っている権利がある」としてなかなか引退しなかった。この傾向は文化大革命の終了後、胡耀邦党中央組織部長(当時)が文革によって失脚していた革命第一世代を復活させるとさらに強まった。 1978年の第11期3中全会で、党と国家の指導者に対する職務の終身制度廃止が提起された。鄧小平はまず指導者クラスの退職制度を確立するべきだと考えていたが、この段階では実現できなかった。1982年の第12回党大会で鄧小平は党中央の若返りを図るため、古参幹部の受け皿として中央顧問委員会を設立し、自ら顧問委員会主任に就いた。 しかし古参幹部たちは、中央軍事委員会主席(鄧小平)、国家主席(李先念)、全人代常務委員会委員長(彭真)などの要職を手放さなかった。第12期1中全会で選出された政治局委員は最年少の趙紫陽でも63歳であり、政治局常務委員に至っては85歳の葉剣英が留任するなど、政治局は文革で一度失脚し、その後復帰した革命第一世代がほとんどを占めた。 また、同大会を通過した「中国共産党章程」では、顧問委員会委員は党中央委員会全体会議、副主任は党中央政治局全体会議に参加することができ、常務委員は必要な場合政治局会議に出席することを認められた。この結果、顧問委員会主任は政治局常務委員、副主任及び常務委員は政治局委員、委員は中央委員と同格とされ、中顧委自体も政治局常務委員会と同格となった。これにより、引退した長老に合法的な権力を持たせることになり、世代交代を行って長老の影響力を抑えるという鄧小平の意図は十分達成したとは言い難い結果となった。 鄧小平は1987年の第13回党大会で古参幹部を道連れに中央委員及び顧問委員会主任を引退して、胡耀邦総書記に主任を継がせる考えを持っていたが、保守派主導の精神文明決議が採択されて、古参幹部に攻撃された胡耀邦は党総書記を辞任した。批判は顧問委員会が開いた会議で行われ、古参幹部の胡耀邦に対する厳しい叱責が相次いだ。第13回党大会では一部の古参幹部は中央委員会からは引退したものの、陳雲が主任に就任するなど、特に政治、経済改革に消極的な保守派の影響力は衰えなかった。 1989年5月16日に趙紫陽がゴルバチョフ書記長に明かしたところによると、第13期1中全会において、政治局の重要決定は鄧小平に最終判断を委ねる決議が採択された。また、楊尚昆と薄一波にはオブザーバーとして政治局常務委員会に出席する権限が与えられ、長老たちが重要決定に携わる構造はさらに組織的に強化された。天安門事件では陳雲が中心となって長老をまとめ、趙紫陽ら改革派を辞任に追い込んでいる。 1992年10月、中央顧問委員会は「第14回党大会以降、中央顧問委員会を設置しない」という意見を党中央に提出、10月18日の第14回党大会で党規約から中央顧問委員会に関する条文が削除され、同委員会は廃止された。なお、委員たちからは反対が相次いだため、説明に当たった薄一波はどうすることも出来ず、「鄧小平が決定したことだ」と発言することでその場を収めた。.

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中国共産党中央政治局

中国共産党中央政治局(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうせいじきょく)は、中国共産党を指導し、政策を討議・決定する機関。.

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中国共産党中央書記処

中国共産党中央書記処(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうしょきしょ、簡体字:中国共产党中央书记处、繁体字:中國共產黨中央書記處、)は、中国共産党中央政治局と中央政治局常務委員会の事務処理機構。略称は中共中央書記処や中央書記処など。構成員である書記は中央政治局常務委員会が指名し、中央委員会全体会議によって選出される。.

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中国社会科学院

中国社会科学院(ちゅうごくしゃかいかがくいん)は中華人民共和国の哲学及び社会科学研究の最高学術機構であり、総合的な研究センター。研究所31、研究センター45、研究者4200人を擁し、中国政府のシンクタンクとして大きな影響力をもつ。また世界80ヵ国のシンクタンク、高等研究機関200余りと日常的に交流する。国務院直属事業単位である。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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中華人民共和国憲法

中華人民共和国憲法(ちゅうかじんみんきょうわこくけんぽう、中国語簡体字:中华人民共和国宪法)は、中華人民共和国の最高法規である。.

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人民日報

人民日報(じんみんにっぽう、人民日报)は、中国共産党中央委員会の機関紙である。人民日報社が発行している。.

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延安市

延安市(えんあんし)は、中華人民共和国陝西省に位置する地級市。1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、この期間中に毛沢東の党内主導権が確立したことから、中国革命の聖地とされる。.

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北京市

北京市(ペキンし、、)は、中華人民共和国の首都である。 行政区画上は直轄市であり、中国の華北の中央に位置する。人口は2152万(2014年)であり、中国では上海に次ぐ第二の都市。世界有数のメガシティであり、高い影響力を有する世界都市でもある。古くは大都・燕京・北平とも呼ばれた。.

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李鵬

李 鵬(り ほう、リー・ポン、本名:李 遠芃、1928年10月20日 - )は、中華人民共和国の政治家。国務院総理(首相)、全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長に相当)、中国共産党中央政治局常務委員などを務めた。初代国務院総理の周恩来・鄧穎超夫妻の養子となり、建国の元老である養父母を後ろ盾として国務院トップまで上り詰めた二世政治家である。.

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毛沢東

毛 沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン、1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。 中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、1945年より中国共産党中央委員会主席と中央軍事委員会主席を務めた。 日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあった。.

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江蘇省

江蘇省(こうそしょう、、、)は、中国東部にある行政区。長江の河口域であり、北部は淮河が流れ黄海に面する。名称は江寧(現南京市)の江、蘇州の蘇による。省都は南京市(中華民国政府が公表している省都は鎮江市)。略称は蘇。.

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清華大学

清華大学(せいかだいがく、ピンイン:Qīnghuá Dàxué、英名:Tsinghua University)は、北京市海淀区に所在する中華人民共和国の副部級大学である。1911年に創立された。大学の略称は清華(チンホワ)。.

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浙江大学

紫金港キャンパス 之江キャンパス 浙江大学(せっこうだいがく、ピンイン:Zhèjiāng Dàxué, 英称:Zhejiang University)は、中国で最も歴史がある副部級大学の一つである。浙江省の省都である杭州市の西湖区に位置する。1897年に求是書院(ピンイン:Q­íushì Shūyuàn)として設立された。略称はZJUおよびZheda.

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新華社

新華社(しんかしゃ)は、中華人民共和国の国営通信社である。正式名称は新華通訊社。日本では新華社通信(しんかしゃつうしん)として知られている。.

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文化大革命

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた社会的騒乱である。全称はプロレタリア文化大革命(簡体字: 无产阶级文化大革命, 繁体字: 無產階級文化大革命)、略称は文革(ぶんかく)。 名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動だった。しかし実際は、大躍進政策の失敗によって国家主席の地位を劉少奇党副主席に譲った毛沢東共産党主席が自身の復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であった。 これにより1億人近くが何らかの損害を被り、国内の大混乱と経済の深刻な停滞をもたらした。.

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政治家

政治家(せいじか)とは、職業として政治に携わっている者のことである。.

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12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

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1912年

記載なし。

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1961年

記載なし。

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1974年

記載なし。

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1978年

記載なし。

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1982年

この項目では、国際的な視点に基づいた1982年について記載する。.

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1987年

この項目では、国際的な視点に基づいた1987年について記載する。.

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1992年

この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。.

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