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肝付兼続

索引 肝付兼続

肝付 兼続(きもつき かねつぐ)は、大隅の戦国大名。肝付氏16代当主。.

41 関係: 大隅国天文 (元号)島津忠将島津忠親島津忠良島津忠朝 (豊州家)島津貴久島津氏伊東氏志布志町北郷時久入来院重嗣国司禰寝重長高山城 (大隅国)鹿児島県肝付兼亮肝付兼護肝付兼興肝付良兼肝付氏永禄永正河内国戦国大名戦国時代 (日本)日向国11月15日 (旧暦)12月26日1511年1533年1538年1542年1544年1546年1553年1558年1561年1562年1564年1566年

大隅国

大隅国(おおすみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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島津忠将

島津 忠将(しまづ ただまさ)は、戦国時代の武将。島津氏の家臣。相州家第4代当主。島津忠良の子。子に日向佐土原藩初代藩主・島津以久。.

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島津忠親

島津 忠親(しまづ ただちか)は、戦国時代の日向、薩摩の武将。北郷氏9代当主、豊州家5代当主。.

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島津忠良

島津 忠良(しまづ ただよし)は薩摩の戦国武将。日新斎(じっしんさい)の号で知られる。.

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島津忠朝 (豊州家)

島津 忠朝(しまづ ただとも、文正元年(1466年) - 天文9年3月3日(1540年4月9日))は室町時代後期の薩摩国の人。島津氏の分家、豊州家3代当主。父は2代当主の島津忠廉。通称は二郎三郎、右馬介。官は豊後守。子に島津忠広(4代当主)。 薩摩島津氏の分家、豊州家3代当主。2代忠廉の子。延徳2年(1490年)、忠廉の死去により家督を継ぐ。明応5年(1495年)、島津宗家11代当主島津忠昌の家老である平田兼宗が反乱を起こした際には鎮圧を命じられ、兼宗の居城である大隅岩弘城を攻略。この功績により大隅串良の領土を安堵される。 天文元年(1532年)、北郷忠相・北原久兼と連合して伊東氏領の三俣院高城を大軍で攻め、伊東軍に深刻な被害を与えた。 島津宗家において薩州家の島津実久と伊作家の島津忠良・貴久親子との間で家督を巡った争いが起きると、忠朝は両者の和議を図るも失敗、実久側に味方することになった。志布志の新納氏は実久からの誘いを拒んだため、天文7年(1538年)、忠朝らは北郷氏らとともに新納氏を攻撃。志布志城に迫ると新納氏を追放した。志布志を手に入れた忠朝は志布志へ移り、長子の忠広に飫肥を任せた。 忠良・貴久父子が薩摩半島を掌握して対立を深めていく中で、天文9年3月3日(1540年4月9日)死去した大山智美「戦国大名島津氏の権力形成過程―島津貴久の家督継承と官途拝領を中心に―」(初出:『比較社会文化研究』25号(2009年)/所収:新名一仁 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第一巻 薩摩島津氏』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-103-5)。享年75。.

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島津貴久

島津 貴久(しまづ たかひさ)は、戦国時代の武将。薩摩の守護大名・戦国大名。島津氏の第15代当主。.

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島津氏

島津氏(しまづし)は、日本の氏族。鎌倉時代から江戸時代まで続いた、薩摩を根拠地とする大名家のほかに、多数の分家がある。通字に「忠」「久」(初名も含めると基本的な通字は全時代を通じて「忠」の字が多く、江戸時代初期までは執権や将軍の偏諱を受けた場合に『「偏諱」+「久」』が多い。明治以降現在は嫡男に「忠」、次男に「久」)を用いる。また、公式文章の面では「嶋津氏」の表記を用いられてきた。本項は主に、薩摩の島津氏を主軸とした記述である。その他の島津氏についてはそれぞれ越前島津氏、信濃島津氏、若狭島津氏、江州島津氏などの項目または島津氏族の段を参照の事。.

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伊東氏

伊東氏(いとうし、いとううじ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘(現静岡県伊東市)を本貫地としていた豪族。藤原南家・藤原為憲の流れを汲む工藤氏の一支族。通字は「祐」(すけ)。 一族である工藤祐経の子孫が日向国へ下向して戦国大名の日向伊東氏・日向国飫肥藩藩主となり、伊東祐親の子孫が尾張国岩倉に移り住んで、後に備中伊東氏・備中国岡田藩藩主となる。.

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志布志町

志布志町(しぶしちょう)は、鹿児島県の東部にあった町。曽於郡に属していた。 2006年1月1日、有明町・松山町と合併(新設合併)して市制施行、志布志市となり消滅した。.

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北郷時久

北郷 時久(ほんごう ときひさ)は、戦国時代の武将。北郷氏10代当主。日向の庄内一帯を領しており、都之城に居していた。 島津宗家と手を結び、肝付氏や伊東氏と争う。それらの功績から、永禄5年(1562年)には島津貴久から所領を与えられた。また同年、貴久および肥後国の相良義陽と共に、伊東氏により家督と領地を簒奪されていた北原氏の再興に助勢している。天正6年(1578年)、大友氏の日向国進出に際して先陣を仰せ付かり宮崎城に在った際、この前年に没落した伊東氏の残党1,000が三納平野にて反乱を起こすが、時久は300余人を討ち取って追い散らした。翌天正7年(1579年)には不和となった嫡男の相久を廃して切腹に追い込み、次男の忠虎を跡取りとする。原因は不明である。 豊臣秀吉の九州征伐には島津方に与して抗戦したが、元より敵うはずもなく、時久は石田三成と伊集院忠棟を通じて秀吉に謝罪し、人質を差し出したため、所領は安堵された。しかし後に薩摩祁答院(現・さつま町の大部分)に移封され(時久が故地を懐かしみ居館を宮之城と名付け、後にそれが地名となった)、都之城には忠棟が入った。文禄・慶長の役で忠虎が早世、孫の長千代丸(後の忠能)の後見人となったが、慶長元年(1596年)に66歳で死去。長千代丸が当主になり、三男の三久が後見人の役目を引き継いだ。 ときひさ Category:戦国武将 Category:1530年生 Category:1596年没.

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入来院重嗣

入来院 重嗣(いりきいん しげつぐ)は、戦国時代の武将。入来院氏13代当主。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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禰寝重長

寝 重長(ねじめ しげたけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。禰寝氏16代当主。 禰寝氏は大隅国の国人。 永禄4年(1561年)、肝付兼続に従って大隅国内に出陣する。その後も肝付氏に従って島津氏と戦ったが、兼続の死で肝付氏の形勢が不利になると、元亀4年(1573年)、島津義久と単独で和睦した。このため、肝付兼亮と伊地知重興に攻められることとなったが、これは島津軍の援軍によって撃退している。 また、重長は内治において優れた才を発揮し、対明貿易や商業の奨励を盛んに行なった。温州みかんの栽培を日本で最初に行った人物といわれている。 天正8年(1580年)死去。嫡子・重張が17代当主となり、島津氏の重臣として引き続き仕えた。.

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高山城 (大隅国)

山城跡 高山城(こうやまじょう)は、鹿児島県肝属郡肝付町新富本城にある城。形式は山城に属する。別名「肝付城」。国の史跡。.

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鹿児島県

鹿児島県(かごしまけん)は、九州地方南部に位置する日本の都道府県。九州島の南側には離島(薩南諸島)が点在する。九州島の部分は県本土と表現され、2つの半島(薩摩半島・大隅半島)を有する。南北の距離は600km、海岸線は2,722kmに及ぶ。県庁所在地は鹿児島市。 世界遺産の屋久島や種子島宇宙センター、霧島山、桜島などがあり、自然・文化・観光・産業などの面において、豊富な資源を有している。.

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肝付兼亮

肝付 兼亮(きもつき かねあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。肝付氏18代当主。.

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肝付兼護

肝付 兼護(きもつき かねもり)は、安土桃山時代の大名。肝付氏19代当主。.

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肝付兼興

肝付 兼興(きもつき かねおき)は、戦国時代の武将。肝付氏15代当主。大隅国高山城主。 明応元年(1492年)、14代当主・肝付兼久の子として生まれる。大永3年(1523年)、父の死去により家督を継ぐ。 薩摩国の島津氏とは縁戚関係を結んでいたが、大永4年(1524年)、島津氏の分家である「豊州家」の岳父・島津忠朝から同族北原氏の居城であった大隅の串良城を奪還した。その後、居城を高山城に移し、島津氏と幾度も抗争して勢力拡大に努めたが、天文2年(1533年)に死去。享年42。 死後、子・兼続と兼興の弟・兼親(兼執)の間で家督争いが起こり、兼続が勝利して相続することとなる。 かねおき Category:戦国武将 Category:大隅国の人物 Category:1492年生 Category:1533年没.

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肝付良兼

肝付 良兼(きもつき よしかね)は、大隅国の戦国大名。肝付氏17代当主。.

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肝付氏

肝付氏(きもつきし、)は、日本の氏族の一つであり、大隅の戦国大名でもあった。隣接する島津氏と熾烈な勢力争いを繰り広げた。.

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永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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河内国

河内国(かわちのくに/かはちのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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戦国大名

戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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日向国

日向国(ひゅうがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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11月15日 (旧暦)

旧暦11月15日は旧暦11月の15日目である。六曜は先勝である。.

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12月26日

12月26日(じゅうにがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から360日目(閏年では361日目)にあたり、年末まであと5日ある。.

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1511年

記載なし。

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1533年

記載なし。

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1538年

記載なし。

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1542年

記載なし。

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1544年

記載なし。

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1546年

記載なし。

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1553年

記載なし。

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1558年

記載なし。

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1561年

記載なし。

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1562年

記載なし。

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1564年

記載なし。

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1566年

記載なし。

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