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聖守

索引 聖守

聖守(しょうしゅ、建保3年(1215年) - 正応4年11月27日(1291年12月19日))は、鎌倉時代中期の東大寺の僧。父は東大寺厳寛で、戒壇院円照の兄。中道上人とも称される。 東大寺東南院の樹慶に三論を、醍醐寺報恩院憲深に真言密教を学んだ。東大寺に新禅院を創建して三論講学の道場とし、真言院・真言院灌頂堂・西南院を創建して真言密教の復興を図った。その後、新禅院は後深草上皇の、西南院は後嵯峨上皇の勅願所となり、真言院も鎮護国家の道場とされた。造東大寺大勧進に任じられている。 Category:鎌倉時代の僧 Category:東大寺 Category:1215年生 Category:1291年没.

17 関係: 密教三論宗建保後嵯峨天皇後深草天皇円照 (鎌倉時代)真言宗鎌倉時代醍醐寺東大寺正応憲深11月27日 (旧暦)1215年1291年12月19日

密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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三論宗

三論宗(さんろんしゅう)は、中国・東アジアの大乗仏教宗派の1つで、インド中観派の龍樹の『中論』『十二門論』、その弟子提婆の『百論』を合わせた「三論」を所依の経典とする論宗である。空を唱える事から、空宗とも言う。その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もある。日本仏教における三論宗は、南都六宗の一つ。.

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建保

建保(けんぽう)は、日本の元号の一つ。建暦の後、承久の前。1213年から1218年までの期間を指す。この時代の天皇は順徳天皇。後鳥羽上皇の院政。鎌倉幕府将軍は源実朝、執権は北条義時。.

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後嵯峨天皇

後嵯峨天皇(ごさがてんのう、承久2年2月26日(1220年4月1日) - 文永9年2月17日(1272年3月17日))は、鎌倉時代の第88代天皇(在位:仁治3年1月20日(1242年2月21日) - 寛元4年1月29日(1246年2月16日))。諱は邦仁(くにひと)。 土御門天皇の皇子。母は、源通宗の娘、通子。.

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後深草天皇

後深草天皇(ごふかくさてんのう)は、鎌倉時代中期の第89代天皇(在位:寛元4年1月29日(1246年2月16日) - 正元元年11月26日(1260年1月9日))。諱は久仁(ひさひと)。 後嵯峨天皇の皇子。母は西園寺実氏女、中宮・西園寺姞子(大宮院)。持明院統の祖。父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛し、亀山天皇を治天の君としたことに不満を抱き、やがて後深草系の持明院統と亀山系の大覚寺統との対立が生じる端緒となった。.

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僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

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円照 (鎌倉時代)

円照(えんしょう、承久3年(1221年) - 建治3年10月22日(1277年11月18日))は、鎌倉時代中期の律宗の僧。父は東大寺厳寛で、戒壇院中道聖守の弟。号は実相。 叡尊・円爾・良忠・覚盛・良遍などに師事して仏教教学を学び、三論・法相・天台・真言密教・禅など8宗を修学した。1251年(建長3年)東大寺戒壇院の院主に任じられ、1258年(正嘉2年)造東大寺大勧進に就任し、堂塔の復興に尽力し戒壇院の中興開山となった。1269年(文永6年)には後嵯峨上皇に戒師として戒を授けている。弟子には凝然・真照などがいる。 Category:鎌倉時代の僧 Category:律宗 Category:東大寺 Category:1221年生 Category:1277年没.

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真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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醍醐寺

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院、真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。.

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東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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正応

正応(しょうおう)は、日本の元号の一つ。弘安の後、永仁の前。1288年から1292年までの期間を指す。この時代の天皇は伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、久明親王、執権は北条貞時。.

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憲深

憲深(けんじん、建久3年(1192年) - 弘長3年9月6日(1263年10月9日))は鎌倉時代前期から中期にかけての真言宗の僧。藤原南家、中納言・藤原成範の孫で、侍従・藤原通成の子。醍醐寺座主。権僧正。極楽房、または報恩院僧正と号す。 醍醐寺三宝院の叔父成賢に師事し、建保2年(1214年)11月に三宝院で灌頂を受ける。建長3年(1251年)に勝尊の後を継いで醍醐寺座主に就任する。この時の院宣(三宝院では『建長院宣』と呼ばれた)は、「三宝院門跡」の語が登場する初出であるとともに、三宝院が醍醐寺座主を務めたことを明示する先例として後世まで大切にされた。建長7年(1255年)にこれを実深に譲り、建長8年(1256年)に権僧正となった。弘長元年(1261年)7月に実深を正嫡とし、定済に三宝院を譲って、弘長3年(1263年)9月6日、72歳で入寂。 憲深は醍醐寺報恩院に住んだため、その法流は報恩院流と呼ばれた。同流は長きにわたって伝授されたために、憲深はその流祖として仰瞻された。著作に『大法外儀』や『報恩院記』がある。.

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11月27日 (旧暦)

旧暦11月27日は旧暦11月の27日目である。六曜は先勝である。.

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1215年

記載なし。

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1291年

記載なし。

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12月19日

12月19日(じゅうにがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から353日目(閏年では354日目)にあたり、年末まであと12日ある。.

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