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耽美主義

索引 耽美主義

耽美主義(たんびしゅぎ、aestheticism)は、道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にあるとする立場である。唯美主義、審美主義とも。.

90 関係: 同性愛吉井勇夢野久作山猫 (映画)岡谷公二中井英夫三島由紀夫建石修志伊藤晴雨作品社地獄に堕ちた勇者ども北原白秋マルキ・ド・サドマーク・ボランマシュー・アーノルドハーボーンメッセージラファエル前派ルネサンスルー・リードルートヴィヒ (1972年の映画)ルキノ・ヴィスコンティレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホヴィクトリア&アルバート博物館ヴェルナー・シュレーターヴェルヴェット・アンダーグラウンドピーター・グリーナウェイピーター・グリーナウェイの枕草子ピエール・ロティテオフィル・ゴーティエデレク・ジャーマンデヴィッド・ボウイデカダンスフランスフランスのファッションフリーア美術館フェリシアン・ロップスベニスに死す (映画)アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンアンチテーゼイノセントイギリスエロースエドガー・アラン・ポーエゴン・シーレオーブリー・ビアズリーオディロン・ルドンオスカー・ワイルドギュスターヴ・モローグラムロック...グスタフ・クリムトゲイシャルル・ボードレールジャン・コクトージューンジョン・ラスキンジェームズ・マクニール・ホイッスラースミスサタニズム哲学者団鬼六石井柏亭神秘主義細江英公画家異邦人 (映画)詩人評論家谷崎潤一郎金子國義英国式庭園殺人事件進歩主義退廃芸術LGBTSM (性風俗)染付松本俊夫村上芳正永井荷風江戸川乱歩沼正三泉鏡花澁澤龍彦木下杢太郎月岡芳年日本思想1860年19世紀 インデックスを展開 (40 もっと) »

同性愛

同性愛(どうせいあい)、ホモセクシュアリティ(homosexuality)ホモセクシャリティとも表記。は、男性同士または女性同士の間での性愛や、同性への性的指向を指す。同性愛の性質を持っている人のことを同性愛者(どうせいあいしゃ)、ホモセクシュアル(homosexual)ホモセクシャルとも表記。という。 本項では同性愛の一般概要について記す。「日本における同性愛」は同項を参照。.

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吉井勇

吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正期・昭和期の歌人、脚本家である。華族(伯爵)でもあった。.

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夢野久作

夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日 - 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。他の筆名に海若藍平、香倶土三鳥など。現在では、夢久、夢Qなどと呼ばれることもある。戒名は悟真院吟園泰道居士。禅僧としての名は雲水(うんすい)、法号を萠円と称した。 出家名は、杉山 泰道(すぎやま やすみち)、幼名は直樹(なおき)。父は、玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸。長男はインド緑化の父と言われる杉山龍丸。三男の杉山参緑は詩人となった。「夢野久作と杉山三代研究会」の杉山満丸は孫。 日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる畢生の奇書『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇色と幻想性の色濃い作風で名高い。またホラー的な作品もある。詩や短歌にも長け、同時代の他の作家とは一線を画す作家である。.

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山猫 (映画)

『山猫』(やまねこ、Il gattopardo / フランス語: Le Guépard )は、1963年公開のイタリア・フランス合作映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、シネスコ、187分。 イタリア貴族の末裔であるジュゼッペ・ランペドゥーサが自身の体験を基に描いた、彼唯一の長編小説を映画化した作品で、映画では全8章のうち第6章までを取り上げている。ヴィスコンティが初めてイタリアの貴族社会を取り上げた作品でもあり、後の作品に続く転機となった。また自身の血統であるイタリア貴族とその没落を描いた意味で、「ヴィスコンティが唯一自身を語った作品」と評された。 第16回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞し、国際的な評価を確立した。しかし、20世紀フォックスから「長すぎる」とのクレームを受け、シドニー・ポラック監修で161分の「英語国際版」が作成され、世界各国で主に短縮版が公開された(日本でも1964年1月に国際版が公開)が、ヴィスコンティ没後の1981年に、イタリア語オリジナル版(185分)が公開された(日本では当時の岩波ホールで同年12月に上映)。オリジナル・ネガは保存状態が悪かったため経年劣化を起こし、国際公開版よりも退色が目立つようになった。イタリア政府により修復され、本作の撮影監督ジュゼッペ・ロトゥンノの監修により、40周年を期し『山猫―イタリア語・完全復元版』(187分)を2003年に完成させた。この修復版は2004年秋に日本でも公開された。.

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岡谷公二

岡谷 公二(おかや こうじ、1929年4月9日 - )は、日本のフランス文学・美術研究者。跡見学園女子大学名誉教授。.

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中井英夫

中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名であるが、ノヴェレット主体のマニエリスティクな推理小説・幻想文学において知られている。別名に塔 晶夫(とう あきお)、碧川 潭(みどりかわ ふかし)、緑川弓雄、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世。.

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三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型「第一章」()。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である「第一回 三島由紀夫の誕生」()「十四 ノーベル文学賞の有力候補」()松永尚三「ヨーロッパ・フランス語圏における三島劇」()。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある「三島由紀夫」()。 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い佐伯彰一「三島由紀夫 人と作品」(新潮文庫版『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』解説、1973年12月執筆)「不思議な共感」「三島由紀夫の生まれ育った時代」()。 代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴「第六回 舞台の多彩の魅力」()「各項〈作品解説〉」()。 晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした(詳細は三島事件を参照)。.

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建石修志

建石 修志(たていし しゅうじ、1949年 - )は、日本の画家。 東京都生まれ。東京藝術大学卒業。鉛筆による幻想的な絵で知られ、『幻想文学』の表紙絵のほか挿画などで活躍する。.

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伊藤晴雨

伊藤 晴雨(いとう せいう、1882年(明治15年)3月3日 - 1961年(昭和36年)1月28日)は、日本の画家。本名は伊藤一。責め絵、幽霊画を得意とする。.

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作品社

作品社(さくひんしゃ)は、東京都千代田区にある人文社会科学系の出版社。 ヘーゲルの著作を長谷川宏の訳で多く出版。そのほか社会科学・哲学書を多数刊行。 『日本の名随筆』シリーズや、八切止夫の作品出版を続けた。傍ら『ペニスの文化史』などの、性にまつわる文化史(あるいはセクソロジー)の翻訳本を多数出版している。『ヴァギナの文化史』は1年間で12刷を数えるほどのヒットとなり、『体位の文化史』はタモリ倶楽部で取り上げられ話題を集めた。仲正昌樹の「入門講義」シリーズが好評を博している。 熊野純彦訳「判断力批判」「実践理性批判」「純粋理性批判」を刊行し、三批判書個人完訳を成し遂げた。海外文学では「金原瑞人選オールタイム・ベストYA」のシリーズがあり、八重樫克彦・八重樫由貴子訳でE・ロセーロ、M・バルガス=リョサ、M・アギニスが刊行されている。岸本佐知子訳のリディア・デイヴィス、佐川愛子訳のE・ダンティカでも知られる。ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』は第一回日本翻訳大賞読者賞を受賞した。.

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地獄に堕ちた勇者ども

『地獄に堕ちた勇者ども』(じごくにおちたゆうしゃども、オリジナル題は The Damned (Götterdämmerung)、イタリア語吹替え版は La caduta degli dei (Götterdämmerung)、ドイツ語吹き替え版はDie Verdammten (Götterdämmerung)))は、1969年公開のアメリカ資本によるイタリア・西ドイツ合作映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。副題はリヒャルト・ワーグナーの楽劇「神々の黄昏」(Götterdämmerung)が各国付記されている。なお、台詞は英語がオリジナル。イタリア語版、ドイツ語版、フランス語版など各国制作しているが、それらは吹き替え版。 『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』へと続く「ドイツ三部作」の第1作で、ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける製鉄一族の凋落をデカダンス調に描いている。 原案・脚本はヴィスコンティらのオリジナルだが、シェイクスピアの『マクベス』、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』からモチーフを得た。マルティンの少女強姦のシーンはフョードル・ドストエフスキーの『悪霊』における「スタヴローギンの告白」からの引用である。また、実在のクルップ製鉄財閥のナチスへの協力と相続人(:en:Arndt von Bohlen und Halbach)の醜聞をモチーフにしている。.

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北原白秋

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。 弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を創業し、従弟の北原正雄も写真系の玄光社を創業した。.

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マルキ・ド・サド

マルキ・ド・サド(Marquis de Sade, 1740年6月2日 - 1814年12月2日)は、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意であり、正式な名は、ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド(Donatien Alphonse François de Sade )。 サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1ヶ月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在その書籍は高い評価を受けている。サディズムという言葉は、彼の名に由来する。.

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マーク・ボラン

マーク・ボラン(Marc Bolan、1947年9月30日 - 1977年9月16日)は、イギリスのミュージシャン、ギタリスト、作曲家。ロック・バンド、T・レックス のヴォーカリスト・ギタリスト。本名はマーク・フェルド(Mark Feld)。 ボランBolanは、Bob Dylanを短縮したもの。.

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マシュー・アーノルド

マシュー・アーノルド マシュー・アーノルド(Matthew Arnold, 1822年12月24日 - 1888年4月15日)は、イギリスの詩人、批評家。 .

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ハーボーン

ハーボーン (Harborne) は、イングランドの都市バーミンガムの都心部からおよそ3マイル(約5km)南西郊外に位置する地区。ハーボーンは、市議会選挙区 (ward) であり、バーミンガム市のエジバストン (Edgbaston) 行政区 (formal district)、庶民院のバーミンガム・エジバストン選挙区 (Birmingham Edgbaston) の一部である。.

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メッセージ

メッセージ (message).

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ラファエル前派

フィーリア』(ジョン・エヴァレット・ミレイ、1852年、テート・ギャラリー) ラファエル前派(ラファエルぜんぱ、Pre-Raphaelite Brotherhood)は、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した美術家・批評家(また時に、彼らは詩も書いた)から成るグループである。19世紀後半の西洋美術において、印象派とならぶ一大運動であった象徴主義美術の先駆と考えられている。.

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ルネサンス

レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人体図、科学と芸術の統合 ルネサンス(Renaissance ルネサーンスイギリス英語発音: リネイスンス、アメリカ英語発音: レナサーンス)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。 日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記されるが、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。.

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ルー・リード

ルー・リード(Lou Reed, 1942年3月2日 - 2013年10月27日)は、アメリカニューヨーク州ブルックリン出身のミュージシャン。本名ルイス・アレン・リード (Lewis Allen Reed)。ユダヤ系の血を引いており、父の代にラビノヴィッツ (Rabinowitz) から改姓。シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツ(Delmore Schwartz)に師事して詩作を学ぶ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの時代から前衛性とポップさを兼ね備えた斬新かつ挑戦的な音楽性、陰翳と知性に富みながらも様々なスタイルを持つヴォーカル、音像を形成する上で欠かせないオリジナリティ溢れる独創的なギター・プレイ、人間の暗部を深く鋭く見つめる独特の詩世界を持ち、同時期にデビューしたデヴィッド・ボウイを始め、後のパンク・ロック/ニュー・ウェイヴ、オルタナティヴ・ロック、引いては音楽界全体に及ぼした影響は計り知れない。ロック・ミュージックにおける芸術性の向上、そのイノヴェーションに多大な貢献を果たした、20世紀以降における最重要アーティストの一人である。.

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ルートヴィヒ (1972年の映画)

『ルートヴィヒ』(Ludwig)は、1972年公開のイタリア・フランス・西ドイツ合作映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、シネスコ。最初に日本公開された際の邦題は『ルードウィヒ/神々の黄昏』で上映時間184分。後に237分の復元版も製作された。.

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ルキノ・ヴィスコンティ

モドローネ伯爵ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906年11月2日 - 1976年3月17日) は、イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)。映画監督・プロデューサーのウベルト・パゾリーニは大甥。.

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レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ

騎士レーオポルト・フォン・ザッハー=マーゾッホ(Leopold Ritter von Sacher Masoch, 1836年1月27日 - 1895年3月9日 フランクフルト・アム・マイン近郊リントハイム Lindheim)は、オーストリアの小説家、貴族。レンベルク(現ウクライナ・リヴィウ)生。ガリツィアをテーマにした物語が多い。「ザッヘル・マゾッホ」とも書かれる。ただしウィーンの発音では、母音の前のsを有声化しないため、「サッハー・マーソッホ」になる。 初期は故郷を題材にした歴史小説を書いていた。『毛皮を着たヴィーナス』など、作品の一部に特徴付けられる精神的あるいは肉体的な苦痛に快楽を感じる倒錯は、精神科医クラフト=エビングによって、1886年に著書「性の心理学」でマゾヒズムと名づけられた(当時、マゾッホは存命中であった)。哲学者ジル・ドゥルーズによる『サドとマゾッホ』という著作もある。これは、精神分析において二項対立的に語られたサディズムとマゾヒズムが、実は対立しない別ものである事を主張するものだった。 『毛皮を着たヴィーナス』はマッシモ・ダラマーノ監督によって1968年に映画化されている(『毛皮のヴィーナス』。主演、ラウラ・アントネッリ、レジス・ヴァレ)。 マゾッホ本人も情婦ファニー・ピストールと「夫人の奴隷となり、その願望と命令をすべて実現する」旨の誓約書を交わし、隷従した。この時に毛皮を着たファニーに対してマゾッホがひざまずく写真が残されている。また、アウローラ・リューメリンというお針子の若い女性と結婚し、彼女に『毛皮を着たビーナス』の登場人物と同じ名前である「ワンダ」を名乗らせた上に貴婦人に仕立て上げ、ファニーの時と同様の誓約書を交わし隷従していた。しかし10年ほどで2人の関係は破綻し、「ワンダ」は青年ジャーナリストとパリへ去り、作品と同様の結果となっている。.

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ヴィクトリア&アルバート博物館

ルネサンス様式の建築物 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ヴィクトリア・アンド・アルバートはくぶつかん、Victoria and Albert Museum)は、現代美術・各国の古美術・工芸・デザインなど多岐にわたる400万点の膨大なコレクションを中心にした国立博物館でロンドンのケンジントンにある。ヴィクトリア女王(1819年 - 1901年)と夫アルバート公(1819年 - 1861年)が基礎を築いた。略称「V&A」。 最寄り駅はサウス・ケンジントン駅。自然史博物館、人類学博物館、科学博物館、インペリアル・カレッジ・ロンドンなどに隣接している。 ベスナル・グリーンには、分館であるV&A子供博物館がある。.

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ヴェルナー・シュレーター

ヴェルナー・シュレーター (Werner Schroeter, 1945年4月7日 - 2010年4月12日) は、ドイツの映画監督・脚本家、オペラ及び舞台の演出家。.

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ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) は、1964年に結成されたアメリカのロックバンド。ヴェルヴェッツという略称でも呼ばれる。 商業的な成功を手にすることなく解散したが、その極めて内省的かつフリーキーなサウンドと、性におけるタブーや薬物など人間の暗部を深く鋭くえぐった歌詞は、同世代のデヴィッド・ボウイやストゥージズ、ドアーズ、後進のパティ・スミスやテレヴィジョンをはじめとするアーティストに多大な影響を与え、ロックの芸術性の向上に大きな役割を果たした。 1996年にロックの殿堂入りを果たした。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第19位。.

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ピーター・グリーナウェイ

ピーター・グリーナウェイ(英語:Peter Greenaway、1942年4月5日 - ) は、イギリスの映画監督である。CBE。.

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ピーター・グリーナウェイの枕草子

『ピーター・グリーナウェイの枕草子』( - まくら の そうし、原題:The Pillow Book)は、1996年製作のイギリス・フランス・オランダ合作映画である。ピーター・グリーナウェイ監督・脚本。清少納言の『枕草子』がベースになっている。衣裳や美術はワダ・エミが手がけている。.

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ピエール・ロティ

ピエール・ロティ(Pierre Loti 1850年1月14日−1923年6月10日)はフランスの作家。本名はルイ・マリー=ジュリアン・ヴィオー(Louis Marie-Julien Viaud)。フランス海軍士官として世界各地を回り、その航海中に訪れた土地を題材にした小説や紀行文、また、当地の女性との恋愛体験をもとにしたロマンチック小説を多く書き残した。.

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テオフィル・ゴーティエ

ピエール・ジュール・テオフィル・ゴーティエ (Pierre Jules Théophile Gautier,1811年8月30日 - 1872年10月23日)は、フランスの詩人・小説家・劇作家。文芸批評、絵画評論、旅行記も残した。日本では「ゴーチエ」とも表記される。また、よりフランス語の発音に近い表記は「ゴティエ」である。.

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デレク・ジャーマン

デレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942年1月31日 - 1994年2月19日)は、イギリスの映画監督、舞台デザイナー、作家、園芸家。.

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デヴィッド・ボウイ

デヴィッド・ボウイ(David Bowie, 本名 David Robert Haywood Jones, 1947年1月8日 - 2016年1月10日)は、イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。 グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得る。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つマルチ・アーティストとして知られている。 1996年『ロックの殿堂』入り。1985年・2017年度『グラミー賞』受賞。NME誌選出『史上最も影響力のあるアーティスト』など。.

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デカダンス

フェリシアン・ロップス『ポルノクラート』エッチング&アクアチント デカダンス(décadence)は退廃的なこと。 特に文化史上で、19世紀末に既成のキリスト教的価値観に懐疑的で、芸術至上主義的な立場の一派に対して使われる。フランスのボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、イギリスのワイルドらを指す(デカダン派を参照)。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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フランスのファッション

この記事ではフランスのファッション(la mode en France)について概説する。ファッションは服飾や習慣全般に関係するが、伝統ではなく、目新しさや現代性に価値を置く。ファッションは17世紀以降フランスの重要な産業と輸出文化であり続けている。 オートクチュールは1860年代のパリで始まった。ファッションデザイナーたちはブルジョワジーの服飾コードの奉仕者ではなく唯美主義者であろうとした。少なくともドイツ占領下での以降、若者のファッションは確立された社会秩序から進んで解放されようとした。それでもなお、ファッションは消費社会・服飾産業と明白な関係があるだけでなく、その輝かしい顔となっており、ファッション雑誌、写真、映画やテレビなどに現れる第一線のイメージを構成している。 今でも、パリはミラノ・ロンドン・ニューヨークそして東京などと並び世界のファッションの中心地の1つと考えられており、多くの一流メゾン(ファッションハウス)の発祥もしくは本拠地となっている。歴史的には、ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、ルイ・ヴィトン、ジャンヌ・ランバン、クロエ、エルメス、、イヴ・サン=ローラン、靴のデザイナーのクリスチャン・ルブタンなど数多くの世界のトップデザイナーとメゾンがフランス出身であった。.

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フリーア美術館

フリーア美術館(フリーアびじゅつかん、英語名Freer Gallery of Art)は、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.にある美術館の名称。首都中心部のナショナル・モールに沿って建てられており、スミソニアン協会が管理・運営するスミソニアン博物館群の一つである。隣接するアーサー・M・サックラー・ギャラリーと同様に、日本を含む中国やインドを中心としたアジアの古美術品が展示されている美術館である。.

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フェリシアン・ロップス

フェリシアン・ロップス フェリシアン・ロップス(Félicien Rops, 1833年7月7日 - 1898年8月23日)は、ベルギーの画家、エッチングやアクアチント技法の版画家。 ロップスはナミュールに生まれ、ブリュッセル大学で学んだ。ロップスは油絵よりもスケッチが得意で、最初戯画絵師として名声を得た。1864年、晩年のシャルル・ボードレールと出会い、ロップスは一生忘れることのできないほど強烈な印象を受けた。ロップスはボードレールの『漂着物』の口絵を描いた。この本は、フランスの検閲で削除された『悪の華』の詩を集めたもので、当然ながら、ベルギーで出版された。 ボードレール、ならびに、ボードレールが表現した芸術と関わることで、ロップスは、テオフィル・ゴーティエ、アルフレッド・ド・ミュッセ、ステファヌ・マラルメ、ジュール・アメデ・バルベー・ドルヴィ(:en:Jules Amédée Barbey d'Aurevilly)、ジョゼファン・ペラダン(:en:Joséphin Péladan)といった作家たちからの賞賛を得た。ロップスは象徴主義・デカダン派の文学運動と関係を持ち、そうした作家たちの詩集にイラストを描いた。詩の内容同様に、ロップスの作品も、セックス、死、悪魔のイメージが混在する傾向が強かった。 1892年、ロップスの視力は衰え始めた。しかし、死ぬまで文学との関わりは持ち続けた。ロップスはフリーメイソンで、ベルギー大東社(:en:Grand Orient of Belgium)のメンバーだった。.

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ベニスに死す (映画)

『ベニスに死す』(Death in Venice (オリジナル)、Morte a Venezia (吹替え版)、Mort à Venise (吹替え版) )は、1971年に公開されたアメリカ資本のイタリア・フランス合作映画。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、シネスコ、131分。テーマ曲にマーラーのアダージェットを使用し、ヨーロッパのみならず世界中におけるマーラー復興の契機となったことでも名高い。 トーマス・マン作の同名小説の映画化。『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』と並ぶ「ドイツ三部作」の第2作であるが、主人公がドイツ人(またはオーストリア人)というだけで、他の2作のようにドイツを主舞台にはしていない。.

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アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン

アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne, 1837年4月5日 – 1909年4月10日)は、ヴィクトリア朝のイングランド(イギリス)の詩人。スウィンバーンの詩は、その中に、SM、死の衝動、レズビアン、無宗教といったテーマが繰り返し出てくるため、発表当時はかなり物議をかもした。 小説「アルジャーノンに花束を」に登場するハツカネズミの名前は彼にちなんで付けられたもの。.

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アンチテーゼ

アンチテーゼ()とは、最初の命題の反対の命題で、直接的に対照をなすもの。正反対とも。反対の設定の中で、おのおのは表現の明確な対照によって、意味(定義、解釈、意味論など)の対照も引き出す。語源はギリシャ語のἀντί.(対する)+θέσις.(位置)。.

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イノセント

『イノセント』(L'innocente / フランス語: L'Innocent,「罪なき者」の意味)は、1976年公開のイタリア・フランス合作映画である。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、シネスコ、129分。 ガブリエーレ・ダヌンツィオの長編小説『罪なき者』(L'innocente )が原作で、映画の冒頭でめくられている書物は刊行当時の同書。『ルートヴィヒ』撮影中に心臓発作で倒れたヴィスコンティが、その後残った左半身マヒのまま車椅子に乗りながら演出を手掛け、ダビングの完成を待たずに死去したため、彼の遺作となった。 近年、同作のオリジナルネガは保存状態が悪く経年劣化が見られたが、『山猫』同様ジュゼッペ・ロトゥンノの監修により復元が行われ、2002年に作業が完了した。 日本ではヴィスコンティ没後の1979年に公開されたが、男性性器などに修正が加えられていた。2006年にヴィスコンティの生誕百年祭特集として上記の修復版が『イノセント【完全復元&無修正版】』として公開された。.

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イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

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エロース

ース(Ἔρως,Erōs)は、ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である。ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。日本語では長母音を省略してエロスとも呼ぶ。.

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エドガー・アラン・ポー

ドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い(父親は蒸発、母親は死亡)、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。学業成績は極めて優秀で、詩人としても認められるが、賭博、大酒で悪名を馳せる。養父アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学。家を出て陸軍に入隊。いったん除隊して養父とのよりを戻し、こんどは士官学校に入学するもなじめず、規則違反行為で退学処分。その後、文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作し始める。(筆名には、養家名のアランをそのまま名乗ることはなく、ほとんどエドガー・A・ポー、あるいはエドガー・ポーとしている) ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取った。また同時に有能な雑誌編集者であり、文芸批評家でもあったが、飲酒の悪癖などでトラブルを起こす癖はなおらず、いくつもの出版社を渡り歩いた。1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。 ポーはアメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家であったが、文名を得てからもその生活はほぼ常に貧窮の中にあった。その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与した。またポーが「モルグ街の殺人」で作り出したC・オーギュスト・デュパンの人物像は以後の推理小説における探偵の原型となっており、ポーは近代推理小説の開祖とみなされている。そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚はジュール・ヴェルヌら後世のSF作家にも影響を与えている。.

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エゴン・シーレ

ン・シーレ(Egon Schiele 、1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアの画家。エーゴン・シーレとも。 当時盛んであったグスタフ・クリムトらのウィーン分離派を初めとして象徴派、表現主義に影響を受けつつも、独自の絵画を追求した。強烈な個性を持つ画風に加え、意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画を多数製作し、見る者に直感的な衝撃を与えるという作風から表現主義の分野に於いて論じられる場合が多い。.

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オーブリー・ビアズリー

ーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley, 1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在。悪魔的な鋭さを持つ白黒のペン画で鬼才とうたわれたが、病弱ゆえに25歳の若さで夭折した。.

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オディロン・ルドン

=気球(1878)ニューヨーク近代美術館 トルコ石色の花瓶の花(1911頃)個人蔵 ビーナスの誕生(1912) オディロン・ルドン(Odilon Redon、1840年4月20日〈※異説では4月22日〉 - 1916年7月6日)は、19世紀後期から20世紀初期にかけて活動したフランス人画家である。本名 Bertrand-Jean Redon(ベルトラン=ジャン・ルドン)。ボルドーで生まれ、出生地および近郊の町で育つ。.

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オスカー・ワイルド

ー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。.

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ギュスターヴ・モロー

ルフェウス(オルフェウスの首を抱くトラキアの娘)》1865年、オルセー美術館。1865年のサロンに出品。国家買い上げ作品となる。トラキアの娘が抱くオルフェウスの首のモデルはミケランジェロの石膏像。 サロメ》1876年、モロー美術館。洗礼者ヨハネの首を、義理の父であるユダヤのヘロデ大王の息子・古代パレスチナ領主ヘロデ・アンティパスに求めた女性。水彩画のヴァージョンがルーブル美術館に所蔵されている。 ギュスターヴ・モロー(, 1826年4月6日–1898年4月18日)は、フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。 印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた。彼の作品は19世紀末のいわゆる『世紀末』の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。.

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グラムロック

ラムロック(glam rock)は、主にイギリスで1970年代前半から中盤にかけて流行した、ロック・スタイル。由来は、魅惑的であることを意味する英語の"glamorous"から来ている。日本のロックやファッションシーンにも影響を与えた。.

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グスタフ・クリムト

タフ・クリムト(, 1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、世紀末ウィーンを代表する帝政オーストリアの画家。.

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ゲイ

イ(gay)は、同性愛の人々、日本では特に男性同性愛者を指す場合が多い言葉である。原義は「お気楽」「しあわせ」「明るく楽しく」「いい気分」「目立ちたい」といった感情を表すものでもある。 本項では「ゲイ」という言葉と同性愛の関わりについて解説する。.

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シャルル・ボードレール

ャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire()、1821年4月9日 - 1867年8月31日)は、フランスの詩人、評論家である。.

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ジャン・コクトー

ャン・コクトー、右端 ジャン・コクトー (Jean Cocteau, 1889年7月5日 - 1963年10月11日) は、フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行った。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。.

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ジューン

ューン (June) は、「6月」を意味する英単語。.

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ジョン・ラスキン

ョン・ラスキン(John Ruskin, 1819年2月8日 - 1900年1月20日)は、19世紀イギリス・ヴィクトリア時代を代表する評論家・美術評論家である。同時に芸術家のパトロンであり、設計製図や水彩画をこなし、社会思想家であり、篤志家であった。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また、中世のゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆した。.

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ジェームズ・マクニール・ホイッスラー

ェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler, 1834年7月11日-1903年7月17日)は、19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。.

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スミス

ミス(Smith)は、英語圏におけるファミリーネームや地名などである。英語圏のファミリーネームで最も多いものである。 古英語で「職人」を意味し、鍛冶師(blacksmith)や金細工師(goldsmith)、銀細工師(silversmith)、スズ細工師(tinsmith)、ブリキ職人(whitesmith)等、特に金属加工の職人を示す。スミス姓の由来は、上記にあるように職業からきている。スミス姓は英国よりアメリカに多い、これは鍛冶屋を意味する姓を持つヨーロッパからの移民の多くが英語名のスミスに改名したためである。アメリカに237万人。英語圏で約400万人。.

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サタニズム

タニズム(Satanism)、あるいは、ディアボリズム(diabolism)とは、宗教的主義の一つである。イデオロギー的、哲学的信条や社会的現象との関係を含み、悪魔主義、悪魔崇拝、悪魔信仰とも呼ばれる。 一般的にサタニズムといえば、「サタン(悪魔)」を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝つことにより、世界征服を目的とすると想像されがちである。しかし、最大のサタニズム組織である「悪魔教会 (Church of Satan)」は、この考え方を否定している。悪魔教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。 サタニズムにも様々な形が存在するが、多くのサタニズムでは、サタンとはイデア・人間性のある一面、もしくはあらゆる存在の源や宇宙を超越した何らかの力の人間界におけるインターフェースを意味する。また、「サタン」は一般的には悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、サタニズムの支持者にとってはある少数派的な精神性と思想を示す言葉でもある。 サタニズム信仰者の一人で悪魔教会の創設者であるアントン・ラヴェイは、たとえそれがサタンという名の神であってもあらゆる神を信仰しないとされている(このことから有神論のサタニズム信仰者も存在することからサタニズムが自己矛盾した存在であるとされることもあるが、それは誤りである)。一般的なサタニズム信仰者には、神に仕え、天の御命に従うような(欧米では一般的な)考え方は存在せず、自身の物質的・身体的な発展と解決が殊更に重視される。 このような主張から、サタニズム信仰者はキリスト教やユダヤ教といった伝統的な宗教の信仰を疎んじ、自己中心的な世界観を構築し、そして利己主義であることを好むと捉えられている。一般には理解しがたい信仰のように思われるが、密教における観音信仰に通ずるところがある。ただし、密教のそうした祈願または信仰の対象はあくまで仏・如来の化身とされるのに対し、サタニズムは一神教における神から堕して切り離された信仰対象であることに違いがある。.

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哲学者

哲学者とは、広義に、哲学を研究する者のことである。「哲学者(フィロソファー)」という語は、「知恵を愛する者」を意味する古代ギリシャ語のφιλόσοφος(フィロソフォス)に由来する。ギリシャの思想家ピタゴラスによって導入された。.

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団鬼六

団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。.

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石井柏亭

石井 柏亭(いしい はくてい、1882年(明治15年)3月28日 - 1958年(昭和33年)12月29日)は日本の版画家、洋画家、美術評論家。1935年(昭和10年)沖水彩画用紙製造所(初代・沖茂八氏)が開発した水彩画および版画用紙のMO紙の命名者である。.

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神秘主義

主義(しんぴしゅぎ、)とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場のことである。.

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細江英公

細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - )は日本の写真家。本名は敏廣(としひろ)。東京工芸大学名誉教授。.

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この記事では美(び、καλόν カロン、 venustas, bellus、フランス語:beauté、beauty)について解説する。.

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画家

Jost Ammanによる木版画(1568年) 画家(がか)は、絵画を制作する者の総称である。日本画や洋画など、画風や画材・作成スタイルなどによって、様々なタイプの画家が存在する。画家たちで形成されるコミュニティー(社会)を画壇(がだん)という。.

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異邦人 (映画)

『異邦人』(いほうじん、Lo Straniero)は、1967年製作・公開のイタリア映画である。アルベール・カミュの小説『異邦人』(L'Étranger)の映画化作品である。.

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詩人

詩人(しじん)とは、詩を書き、それを発表する者。また、そのことを職業にしている者。 後者でも詩作のみで生活している人はほとんどおらず、多くの場合、評論、随筆、翻訳、小説、音楽、絵画、演劇、漫画、歌の作詞など他の分野の創作活動を並行して行っていたり、あるいは(文学と縁遠い)他の職業を持っている。たとえば高村光太郎は彫刻家としても多数の作品を残しているし、草野心平にはバーや居酒屋の経営をしていた時期がある。アルチュール・ランボーは10代に残した業績によって詩人と呼ばれているが、詩作を止めた後は貿易商などさまざまな仕事に捧げた。 シンガーソングライターが詩人としても高い評価を得、詩集を出すまでに至る例もある。ボブ・ディラン、パティ・スミスなどがその例である。 また、詩人は古くから聴衆を前に自身の詩を朗読するのを常としていたが、その行為を、ポエトリーリーディングという表現形態において現代社会に甦らせた動きが、欧米のみならず、日本においても1990年代の半ば以降見受けられる、フランスのパリのレーベルで自身のポエトリーリーディングのCDを出している詩人であり美術家でありポエトリーリーディングアートパフォーマーである千葉節子等がその代表的な例である。 詩を書く者以外に対しても「詩人」という言葉が使われることがある。新明解国語辞典第六版(三省堂)にもそのような広義の意味が書かれているし、三好達治は『詩を読む人のために』(至文堂、1952年)の中で「誰かもいったように」と前書きした上で「詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人」であると書いている。 歌の歌詞の作者のことは一般に作詞家と呼ばれる。.

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評論家

評論家(ひょうろんか、)とは、評論を仕事にしている者のことである。批評家ともいう。.

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谷崎潤一郎

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。.

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金子國義

金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 2015年3月16日)は、日本の画家。 埼玉県蕨市出身。織物業を営む裕福な家庭の四人兄弟の末っ子として生まれた。蕨第一国民学校(現・蕨市立北小学校)入学。図画工作に優れた子供だった。バレエ公演を観て憧れ、バレエを習う。ミッションスクールの聖学院高等学校を経て、1959年、日本大学藝術学部入学。歌舞伎舞台美術家の長坂元弘に師事し、舞台美術を経験する。大学卒業後、グラフィックデザイン会社に入社するも3か月で退社し、フリーとなる。1966年、『O嬢の物語』の翻訳を行っていた澁澤龍彦の依頼で同作の挿絵を手がける。翌1967年、澁澤の紹介により銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開き画壇デビューする。世紀末的・デカダンスな雰囲気を漂わせる妖艶な女性の絵を得意とする。活動・表現領域は幅広いが、一般には「富士見ロマン文庫」(富士見書房)、『ユリイカ』をはじめとする多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がけたことで知られた。 コシノジュンコとは、古くからの親交があった。 L'Arc〜en〜Cielのhydeからのラヴ・コールで、彼の好きなコウモリをモチーフにした浴衣をデザインしたり、ソロ・アルバム「FAITH」のジャケットを手掛ける他、プライベートでも呑みに行くなどの交流もあった。 2015年3月16日午後、虚血性心不全のため東京都品川区の自宅で死去。78歳没。.

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英国式庭園殺人事件

『英国式庭園殺人事件』(The Draughtsman's Contract)は、1982年製作のイギリス映画である。ピーター・グリーナウェイ監督・脚本。彼の初めての長編映画になる。.

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進歩主義

進歩主義(しんぽしゅぎ、progressivism)は、進歩に一定の高い価値を与える考え。ここでの進歩は、変化という事実に加え、その変化が好ましいものであるという価値判断をも含むものである。.

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退廃芸術

退廃芸術家とされた作家の一人、フランツ・マルクの『鳥(Vögel)』 (1914) 退廃芸術(たいはいげいじゅつ、Entartete Kunst、degenerate art)とは、ナチス党が近代美術や前衛芸術を、道徳的・人種的に堕落したもので、ナチス・ドイツの社会や民族感情を害するものである、として禁止するために打ち出した芸術観である。.

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LGBT

レインボーフラッグ LGBT(エル・ジー・ビィー・ティー)または GLBT(ジー・エル・ビィー・ティー)とは、女性同性愛者(レズビアン、'''L'''esbian)、男性同性愛者(ゲイ、'''G'''ay)、両性愛者(バイセクシュアル、'''B'''isexual)、トランスジェンダー('''T'''ransgender)の各単語の頭文字を組み合わせた表現である。 LGBTという用語は「性の多様性」と「性のアイデンティティ」からなる文化を強調するものであり、「性的少数者」という用語と同一視されることも多々あるが、LGBTの方がより限定的かつ肯定的な概念である。.

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SM (性風俗)

SMとは、サディズム(加虐嗜好)およびマゾヒズム(被虐嗜好)的な性的嗜好に基づいて行われる倒錯的プレイ全般、ないし同プレイを含む文化様式(サブカルチャー)群の総称である。加虐被虐性愛(かぎゃくひぎゃくせいあい)とも言う。 「SM」は、加虐嗜好の「サディズム」(sadism) と被虐嗜好の「マゾヒズム」 (masochism) を組み合わせたサドマゾキズム (sadomasochism) の略語。加虐嗜好者のことを「サディスト」(sadist) あるいは単に「S」、被虐嗜好者のことを「マゾヒスト」(masochist) あるいは単に「M」という。 SMプレイ フェムドム.

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染付

染付(そめつけ)とは、白色の胎土で成形した素地の上に酸化コバルト(II)を主とした絵の具で模様を絵付し、その上に透明釉をかけて高温焼成した陶磁器。おもに磁器で、模様は藍青色に発色する。 中国語で""(、日本語読み:せいか)、または""(、日本語読み:ゆうりせい.

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松本俊夫

松本 俊夫(まつもと としお、1932年3月25日 - 2017年4月12日)は、日本の映画監督、映像作家、映画理論家。元日本映像学会会長。愛知県名古屋市出身。.

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村上芳正

村上 芳正(むらかみ よしまさ、1922年(大正11年)5月11日 - )は、装幀家、挿画家、イラストレーター。 三島由紀夫、澁澤龍彦作品の装幀や、沼正三の『家畜人ヤプー』の装幀装画を手がけ、緻密な線画と点描を用いた独特の画風で知られる。.

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永井荷風

永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。.

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江戸川乱歩

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。 本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。 ペンネーム(江戸川乱歩)は作家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。.

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沼正三

沼 正三(ぬま しょうぞう)は、日本の小説家である。主に、1956年から『奇譚クラブ』に連載された小説『家畜人ヤプー』により知られる。覆面作家として活動し、その正体には諸説ある。これまでに沼正三の正体と見なされた人物は、三島由紀夫、奥野健男、武田泰淳、澁澤龍彦、会田雄次、倉田卓次、そして沼正三の代理人と称する天野哲夫である。.

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泉鏡花

泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。 尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。他の主要作品に『照葉狂言』『婦系図』『歌行燈』などがある。.

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澁澤龍彦

澁澤 龍彥『彥』[U+5F65]は「偐」の旁部分(「彦」の旧字体)。数値文字参照:(しぶさわ たつひこ、本名、龍雄(たつお)、1928年(昭和3年)5月8日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、日本の小説家、フランス文学者、評論家。 別名のペンネームに澁川龍兒、蘭京太郎、Tasso S.などがある。晩年の号に呑珠庵、無聲道人がある。旧字を新字に直す慣例のある出版界でも珍しく、いまだに名前の漢字全てが旧字体のまま出版されているが、澁澤自身は生前自らの名前が「竜」の字で代用されるのを嫌っており、「私は署名をするときにも、竜彦などとは間違っても書かない。(略)これはタツではなくて、尻尾の生えたカメみたいではないか」(『記憶の遠近法』所収「ドラゴン雑感」)と記している。.

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木下杢太郎

木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家、皮膚科の医学者。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。.

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月岡芳年

月岡 芳年(つきおか よしとし、1839年4月30日(天保10年3月17日) - 1892年(明治25年)6月9日)は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師。姓は吉岡(よしおか)、のちに月岡。本名は米次郎(よねじろう)。画号は、一魁斎芳年(いっかいさい よしとし)、魁斎(かいさい)、玉桜楼(ぎょくおうろう)、咀華亭(そかてい)、子英、そして最後に大蘇芳年(たいそ よしとし)を用いた。 河鍋暁斎、落合芳幾、歌川芳藤らは歌川国芳に師事した兄弟弟子の関係にあり、特に落合芳幾は競作もした好敵手であった。また、多くの浮世絵師や日本画家とその他の画家が、芳年門下もしくは彼の画系に名を連ねている(後述)。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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思想

思想(しそう、thought)は、人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。.

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1860年

記載なし。

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19世紀

19世紀に君臨した大英帝国。 19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。.

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